水大歳時記(令和四年度)
秋 の 部
秋、白秋、金秋
風吹けば舞い落ちる葉に秋を見る
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり
秋がきて翅虫たちは土還る
秋散歩はやめに出たのに真っ暗だ
肥えていく食欲の秋おそろしい
今年こそ抑制したい食欲の秋
気が付けば肌に感じる秋の涼しみ
秋感じ夏思い出し秋感じ
秋が来て、準備できたとおなか鳴る
風が吹き秋を感じるここ数日
秋になる季節の変わり目風邪注意
寒くなり秋を感じて上着着る
秋が来て寒々しいのは心かな
恵みの秋木の実色づき食欲実る
風吹いて服がなくなる秋の木々
おいしいな秋の食べ物おいしいな
秋になりつめたいかぜで葉っぱちる
クーラーとコバエと彼女と消えて秋
空見上げ泳ぐ魚に秋見つけ
枯れ葉舞い、銀杏香る、秋の味
菊色に染まる静かな秋
この道の先に秋あり枯葉あり
秋小寒長袖の服に腕通す朝
秋の旅宮島旅行がお気に入り
秋の実(みのり)冬にそなえてたくわえる
公園で座ると気付く秋のにおい
秋であれ星座を見ては冬感じ
秋になり周り一面枯葉道
帰り道上を向かずに秋探し
秋ライブほてった体にしみる風
紅葉があちらこちらに秋が来た
秋になり涼しくなって風邪をひく
食の秋ダイエットのため増量だ
秋探し公園歩く午後一時
車内から見える景色が秋模様
初秋(はつあき、しょしゅう)
満月に
奏でる音色
秋の初(そ)め
虫の音が取り残されてる初秋なり
立秋
秋来たり さんまが食べたい季節だな。
八月
8月末 夏を連れ去る 暴風雨
残暑、秋暑(しゅうしょ)、秋暑し
行き帰りしたたる汗は秋暑のせい
朝風に吹かれて感じる秋暑
夏過ぎれど長袖まくる暑さかな
仲秋
仲秋の星空のもと月見バーガー
仲秋の朝昼気温が夏の様
白露
朝起きて庭一面の白露かな
秋分
秋分の夜に虫の声鳴り響く
秋分の涼しさまだかな待ち遠し
晩秋
晩秋の日の暮れ早くかなしかな
寒露(かんろ)
秋風や揺れる木犀寒露の空
秋の朝
カーテンを開けると白い秋の朝
秋の朝雨降る音で目が覚める
秋の朝空と空気が儚いね
秋の朝鏡見て気づくキスマーク
秋の昼
難しい体温調節秋真昼
秋なのか分からなくなる昼暑い
秋の暮
秋の夕あかねの空に舞う蜻蛉
秋の暮れ近く感じる初冬の日
秋の暮れ夕日見るため海駆ける
帰り道冬を感じる秋の暮
秋暮れに目を細め見る秋風で (時鳥)
夕暮とカラスが鳴くは秋の暮
紅葉できれいに染まる秋の暮
帰り道哀愁迫る秋の暮
帰り道同じ画を撮る秋の暮
秋の暮ふと香り立つ住宅街
ふと思うあの娘何処へ秋の暮
日没の 嘆ずる
早きを嘆く
秋の暮
日が暮れて秋の静けさ冬の目覚め
秋の宵(よい)
猫の目に箒星落つ秋の宵
秋の宵たばこの煙とごみ出しへ歩く
秋の暮真っ赤に照って火事のよう
秋の夕いわし雲へととんぼ飛ぶ
いわし雲オレンジに輝く秋の夕暮れ
秋の夜
夏終わり
エアコン要らずの
秋の夜
虫の音の合唱ひびく秋の夜
せんぷうき それとも暖房秋の夜
秋の夜布団かぶって扇風機
虫の音感じる秋夜にモンブラン (他力本願魅ヤ娘)
秋の夜ふと思い出す夏の思い出
秋の夜涼しい風が澄み渡る
気がつけばつるべ落としの秋の夜
秋の夜くしゃみで焦る衣変え
虫の音と寒さ感じる秋の夜
秋の夜窓を開ければ虫の音
秋の夜目を閉じ感じる心地よさ
助手席で感じる秋の夜の風
秋の夜月と虫の音色に心躍る
夕暮れの時間早まる秋夜かな
秋の夜に一人酔い痴れ月想う
秋の夜に眩しく映る屋台の灯
満月がとてもきれいな秋の夜
夜長(よなが)
秋の夜どんどん長く冬の気だ
夜長さえ抱えきれない私の悩み
長き夜や我に眠れと語りかけ
(編者)「夜や」は「夜か」にも見えます。
月のぼり始まる秋の長い夜
サンマ焼きぼうっと眺める秋の夜長
長き夜で空を眺めて座りこむ
秋麗(あきうらら、しゅうれい)
夏終わり晴れ渡る空秋麗
秋澄む
秋澄みて肌にふれるは寂しい夜
秋澄みて人肌恋しい一人部屋
コーヒーはホットに変わり秋は澄む
秋雨の降りたる後に天は澄む
山の色木々が色づき秋澄む
秋気(しうき)
夏の背に感じる涼しさ秋気かな
陽が落ちて町いっぱいの秋気かな
爽(さはや)か
爽やかや風にあおられ揺れる木々
ペダルこぎ爽やかな風身に浴びる
爽やかな風で一枚服羽織る
朝起きて眠気を覚ます爽やかな風
爽やかな風吹く夜の帰り道
爽やかな夜風に触れて秋を知る
うそ寒(さむ)
うそ寒を嬉しく思う帰り道
うすら寒上着を羽織る季節かな
うすら寒昼の薄着に後悔し
肌寒(はださむ)
気がつけば秋の夕暮れ肌寒い
肌寒くなりて葉も身も衣替え
肌寒く秋の訪れ感じけり
かつての暑さは雨に流るる
星が降るはだ寒くなる秋の夜は
肌寒し見上げてにらむ秋の空
肌寒いそろそろ出そう冬ごたつ
紅葉散り冬を感じる肌寒さ
夜寒(よさむ)
朝と晩温度差激しく夜寒い
外へ出づ若煙草を吸い夜寒かな
秋深し
秋深き日当たりながら赤い花 (秋田花憐)
秋深し日暮れの早さに似る心
秋深し変えねばならぬ生活を
行く秋
行く秋や肌寒くなり服着込む
行く秋やアウター求めて古着屋へ
行く秋や袖を通さずしまうシャツ
秋の終わりはやく暮れる夕暮れや
朝の気が冬のよそおい秋終し
寂しいな紅葉が散って秋終わる
秋過ぎて風がつめたくこごえてる
冬隣(ふゆどなり)
ほらそこに冬の足音きこえるよ
さむくなりもう冬がくる目前だ
九月尽(くぐわつじん)
帰り道肌で感じる九月尽
秋色(しうしよく)
夏終わり 緑終わる 秋景色
秋の色季節の分け目感じけり
踏切りを電車過ぎれば秋の色
秋晴
秋晴れの空を飛んでる赤とんぼ
秋晴れに散歩する足はずみだす
ポカポカの秋晴れのもとランニング
秋晴れに蚊のよにはしゃぐ子供かな
秋晴か散歩しようか家いるか
子どもたち土手で缶蹴り秋日和
(編者)出席カードでは「蹴」の真ん中の「京」が抜
けています。
秋の声
聞こえずも通ずる心秋の音
秋の空
作業中何度も変わる秋の空
秋の空夕日と輝く清水寺
それぞれの人生集う秋の空
秋の空雲の形が可愛すぎ
(編者)句末に添えられた、” ”に囲まれたハートマー
ク略。
秋空と赤の葉絨毯夢の中
秋の空ころころ変わる面白い
書きたいことを俳句にするのがとても難しいです。
秋の空 夜空輝き星流る
秋の空黄色と赤のグラデーション
秋の空見とれちまうぜ夕暮れの空
晴れやかな空ひとつなき秋の空
(編者)「晴れやかな空」は「晴れやかな雲」?
秋高し、天高し
過ぎる日々ふと見上げると天高し
天高し響く子の声芋の蔓
秋の雲
空見上げ儚く揺れる秋の雲
鰯(いわし)雲、鯖(さば)雲
サバ雲や悠然たるよう空流る
夕に出づるそらいっぱいのいわし雲
見上げると大空泳ぐ鰯雲
秋高しゆるりと泳ぐ鰯雲
秋の空心も踊るいわし雲
空泳ぎ青を飲み込むいわし雲
空という大海泳ぐは鰯雲
空一杯高々出たるうろこ雲
見上げれば海に広がる鰯雲
青に映え空一面にうろこ雲
夕焼けの空に飛び出す鰯たち
帰り道ふと目に映る鰯雲
入道を追って群がる鰯雲
空を見て一面にあるうろこぐも
鰯雲見ると雨かと不安だな
雨の恵み望み見る空いわし雲
大雨となりし青空鰯雲
鰯雲におい浮かべて腹が鳴る
淡い空映える白色鰯雲
見上げれば空いっぱいの鱗雲
月
目前に輝きたるは満月の海
セミが消え
たかい鈴の音
大きな月
月明り 照らすは白紙の 練習題
大地の目瞳は月を追いかける
秋の夜月を見ながら餅喰らふ
夕方の月の光は儚げだ
秋風にゆられたなびく まばゆい月
しんみりと澄んだ空気と夜の月
暗闇を上から眺める夜の月
月を見て遠く離れる君想う
屋根上の昨日と違う月の顔
残業後終電逃し月は照る(尽き果てる)
寂しさは身に風染みる月夜かな
月明かり夜道てらすもまだ暗い
月出づるふと立ち止まる君と見る
見上げれば丸い月が笑ってる
月見れば静かにねむる夜の街
月を見てうさぎを探す愛しの子
冷える秋夜空に浮かぶ丸い月
月を見て冷える空気を感じゆく
月見ればあっと驚く美しさ
月食や雲は一つもなかりけり
三日月
消えそうな三日月をみて君想う
窓の外風に吹かるる三日月よ
名月
名月に照らされ歩く帰り道
名月はでかっちかっきいろ いつも思う
満月の夜空見上げて団子食う
満ちた月水面に揺らぐ十五の夜
名月や光一筋照りつける
満月やバイト帰りの猫の声
満月はなんと大きなあんドーナツ
秋の星
雨上がり夜に落つるは秋の星
星月夜
帰り道一人見上げる星月夜
天の川
天の川ウットリ眺める星祭り
天の川願いを乗せて流るるは
流れ星
夜の空見つけてうれしい流れ星
秋の夜澄んだ夜空の流れ星
願い込め流星思う深更や
一発屋流れ星のよう虫の息
流星や願いを乗せて消えて行く
流星に叶わぬ願い三度かな
夜が来る流れ星見てねがいごと
秋風
秋の風ほだされ走る子供かな
山の葉を赤・黄に染める秋の風
秋の風故郷の友と感じけり
秋風が頬を撫でて笑み浮かぶ
秋風にほのかになびく木々の音
肌寒く無人の浜に秋の風
オレンジの秋風が舞い枯れ葉散る
朝早く窓を開ければ秋の風
秋の風人肌恋しきワンナイト
秋風に気づかず外出て肌冷える
秋の風寒さに気付く窓の外
秋風がひんやりしてて目を覚ます
夏が過ぎ浜の砂を握り持ち
朱を抜け
無情に過ぎる秋風の香
(編者)「朱」と読み取りましたが、それとも
「手」?
昼暑く朝夜涼しい秋の風
風が吹く夏よりすずしい秋の風
秋の風 風邪引きそうな寒さかな
秋風にゆれてたなびく菊の花
寒い風体に当たる秋の風
秋風と共に去りゆく君の顔
授業中うたた寝誘う秋の風
自転車でのぼる坂道秋の風
秋風や寒さ久しき夏忘れし
秋風に吹かれて消える赤い空
星見上げ大きく吸いこむ秋の風
身にささる冷たい風は秋の風
秋の風夜に舞い散る落ち葉かな
秋風が体を抜けて冬へ行く
秋の風冬のよそおい感じるな
秋風と夕日の色があたたかい
野分(のわき、のわけ)
休講か?いつも野分けに期待寄せ
涼しさを求めていたら吹く野分
野分過ぎ冷えた窓から澄んだ青
颱風(たいふう)、台風
暴風雨朝起き台風と勘違い
台風のせいで被害が起きている
台風で動き変わる予定と進路
台風が来るというのに日は熱く
台風の雨風来なず一安心
台風の進路変えるな休ませろ
颱風の嵐でざわつく家の音
気が落ちて眠さに襲われる台風の日
休校の知らせと共に台風来(きた)る
台風よ暑さも湿度も吹き飛ばせ
荒らすだけ荒らして去ってく台風よ
台風で風が強まる昼下がり
台風よ来いと願うも逸れた朝
夏の顔台風来たって湿度増す
台風よバイトの時間に来ておくれ
台風に一喜一憂子供心
台風の予報だけ過ぎてさびしさや
台風が青と暑さを奪い去る
暑さ過ぎ 次に来るのは 台風だ
窓吹けば 上陸合図 親分だ!
海が荒れ 台風過ぎると 蒸し暑い
台風で
生協あかず
ご飯なし
台風よ
今宵の空は
大荒れか
台風で
窓から見える
揺れる木々
台風に一喜一憂子供心
台風が
涼しさ運ぶ
夜明け前
台風の過ぎて秋の夜涼しけれ
台風が来ればいつもの風景が
先生は泣き生徒はニヤリ
(編者)実は、先生もニヤリかも…。
秋の雨
秋の雨夏の熱を差押え
秋の雨上着を一枚羽織り出る
秋の雨静かな朝を感じけり
袖通し季節感じる秋の雨
秋の雨昼を過ぎれば傘入らず
冷ややかに肌に染み入る秋の雨
秋の雨体と心を冷やしけり
秋の雨見渡す落ち葉湿りけり
大掃除木の葉を流す秋の雨
染まりゆく言の葉の庭秋雨に
秋雨や辺り濡らしてしんみりと
秋雨の後の冷たさ身に染みる
秋雨で湿った落ち葉が彩る道
秋時雨(しぐれ)
秋時雨濡れる黒髪透く白肌
霧(きり)
宙に舞うレースカーテン霧雨や
秋霧のうえにかくれる蝉の声
露(つゆ)
朝日あびきらりと光る露の玉
朝露や視界をつつみ流れけり
朝露に冬の到来感じけり
暁や日に照らされて露光る
秋の山
秋の山赤にオレンジいろとりどり
秋の山夕日に染まるだいだい色
秋の山紅く燃え立つ谿紅葉
紅葉が明るく照らす秋の山
風景を紅に染めゆく秋の山
赤色へ衣がえする秋の山
夕暮れに赤黄が映える秋の山
蝉の声気づけば止みて秋の山
昨日より大きく見えた秋の山
秋の山赤や黄色に染め上がる
夏過ぎて赤・黄に染まる秋の山
秋の山赤く染まってちってゆく
秋の山赤と黄色に染まってる
花野
友達と思い出作る花野かな
秋の田
田んぼ道見渡す限りこがねいろ
葉が落ちる秋の山見てこころうつ
秋の海
秋の海 月と海月 勘違い
夕焼けを浴びて火照った秋の海
秋の波風を纏いて流れゆく
夏終り静けさ感じる秋の海
月の下余熱冷めるは秋の海
白波がゆるやかに立つ秋の海
秋の海恋告げられておらが世や
静寂が心しずめる秋の海
秋の海夏の喧騒何処へやら
夏終えて寂しさ募る秋の海
秋の海太陽キラキラきれいだな
オレンジに染まる地平線秋の海
秋の湖
秋の湖(うみ)今なし残るあほらしき
(編者)「今なし」はひょっとして「今なく」?
秋の湖枯葉の色に染まりけり
秋の服
暑いかなニット着てみて いやいける
新米
秋の田に 黄金の新米 煌びやか
夜食
麻婆茄子夜食に残こすこと出来ず
(編者)「残す」です。
寝むれぬ日夜食食らひて腹重い
(編者)「眠れぬ」です。
夜食して眠気がさしてうたた寝る
夜食して消えぬ心の罪悪感
1日の終わりを告げる夜食かな
夜食しておなか太ってしまいけり
時々夜食一日悔いなく布団行く
夜食して腹いっぱいでふとん行く
枝豆
枝豆の緑あざやか かものはし
栗飯、栗強飯(おこわ)
秋にぴったり母の夕飯栗ごはん
(編者)皮の光る栗のイラスト略。
テレビ見て、一緒に食べる栗ごはん
栗ひろいホカホカごはんおいしいな
栗ご飯おわんの底にまだあった
きりたんぽ
肌に刺す寒風とぼくのきりたんぽ
(トリプルミーニング)
干柿(ほしがき)
柿干してまだ重たさを失わず
秋の灯(ひ)
秋の灯に照らされる海きらきらと
案山子(かがし)
案山子立つ人無き村の守り神
赤とんぼ案山子に乗りて一休み
稲刈(いねかり)
稲を刈る人らを見やる電車窓
稲刈りて案山子一人の寂しさや
稲刈りに実家の手伝いがんばるぞ!!
月見
暗い夜にうさぎ集まるお月見や
秋の夜 夜空見上げて月見する
月を見て月に見られて笑いあう
手作りの団子を食べて月を見る
月見の日だんごを口にほおばる子
空を見る月見の中に兎いる
月見してあの娘何処と想うだけ
屋上で団子と楽しむ月見かな
マクド行こう選ぶはやはり月見バーガー
紅葉狩(もみぢがり)
秋の日の紅葉狩りはきれいだな
文化の日、文化祭
いつもとは違う仲間と文化祭
七夕(たなばた)、星祭
短冊に願いを込める七夕や
七夕に思い出すのは平塚駅
七夕やソーダゼリーの天の川
(編者)俳句を囲む吹き出しの左上に散らばる星の
イラスト略。
祖父祖母と空を見上げる星祭り
星祭り鳴りをひそめる欠けた月
七夕にかける願いは星のよう
七夕は今年はなぜか雨が降る
七夕や彼女と見上げ星光る
雲多く七夕の日は星見えぬ
七夕の夜空見上げて思う人
星祭 今も昔も美しく
ハロウィン
ハロウィンで仮装がしたいハタチの秋
ハロウィーンご主人様と呼ばれ待ち
鹿
由布岳に鹿の親子まぎれてる
孤独な夜紅葉す季節に鹿が鳴く
たくさんのしかがあふれる奈良公園
ふと思う鹿のなきごえきこえない
夜の中ひびきわたるは鹿の声
夜の山暗闇のぞく鹿の顔
渡り鳥
鳥渡る北からいでし冬景色
渡り鳥冬の景色を運びくる
落鮎(おちあゆ)
落鮎で秋の訪れ感じけり
川辺にて燃える落鮎たき火の音(ね)
鯊(はぜ)
秋になり ハゼの天ぷら 食べたいな
秋鯖(さば)
秋鯖も串ざしにする若狭の民
脂のせまぶしく光る秋鯖や
鰯(いわし)
人集い鰯の如し秋の街
担任の車のナンバー184(いわし)
秋刀魚(さんま)
山越えの
秋刀魚の薫る
月の元
サンマ好き柿も好きだし梨も好き
帰り道さんまのにおい いいにおい
秋刀魚食べ劇太りした秋惜しい (大高段)
食欲が湧きし炭火の秋刀魚焼き
秋刀魚食べしみじみ感じる秋の味
夕暮れに昇る煙と秋刀魚の香り
減少をどうしたものか秋刀魚たち
夕暮れにさんまの匂いで秋感じ
寿司屋では秋刀魚の商品食べる
秋空の夕日に秋刀魚焼く匂ひ
数が減り難しくなる秋刀魚漁
金足りぬ少数高騰秋刀魚売り
秋刀魚焼くけむりの中のいい香り
秋刀魚食べ腹わた苦いが癖になる
実家出て秋刀魚を食べる機会減る
食の秋秋刀魚を食し堪能す
ぱちぱちと焼く香ばしさ秋刀魚かな
サンマ食べハンバーグ食べアイス食べ
スーパーで高値なサンマ気持ちは秋
秋終わりまだ食してない秋刀魚
香ばしく胃の中泳ぐ秋刀魚かな
淋しさに秋刀魚つついて酒を飲み
鮭(さけ)
川流れそれにさからう鮭の群れ
鮭の波水面にはねる水しぶき
鮭の群れ命を懸けて滝奉行
食卓に秋香りけり鮭の切り身
鮭を見て秋を感じる季節かな
5分前鮭の塩焼き骨に苦戦
(編者)「さけ」は魚偏に「圭」で「主」ではありま
せん。
川の音も鮭の群れにて揺れ動く
川のぼり鮭のうろこが光りけり
ホイル焼きメインの魚は鮭一択。
生命と共に天にのぼる鮭
白波の間を縫い帰る冬の鮭
秋の蚊(か)
秋の蚊は夏と同じでうっとうしい
秋の蝶(てふ)、老蝶
力尽き散ってゆくのは秋の蝶 (酔いどれ魅ヤ姫)
(編者)「蝶」は「女」偏ではなく「虫」偏です。
秋の蝶舞い散る行方紅葉川
蜻蛉(とんぼ)
飛ぶとんぼ色とりどりな麦の秋
自転車と ともに走る 秋茜
田舎道尾花に集う蜻蛉かな
帰り道一緒に帰る赤とんぼ
(編者)大きな目玉の赤とんぼのイラスト略。
赤とんぼ空を雄々飛んでいる
在りし日の笑顔うかべて赤蜻蛉
夕焼けに赤とんぼ飛ぶ帰り道
田の稲をかき分け進む赤蜻蛉
夕焼けに赤とんぼ飛ぶ田舎道
夕焼けの赤とんぼが飛ぶ帰り道
田舎道夕方に飛ぶとんぼの群れ
赤とんぼ田んぼの近くでお散歩だ
つかむもの みなゆれ動く赤とんぼ
夕焼けに群がっているトンボたち
赤とんぼ止まっているよ竿の先(蚊帳乃外)
虫
季節かな部屋にてきこえる虫の声
虫の音とかすかに感ず吐息かな
虫の音と冷たい風で秋を知る
虫の声聞こえる秋の散歩道
虫の音を聞くと感じる秋の訪れ
夕暮れの空に聴こえる虫の声
何想う過ぎ行く日々に虫が鳴く
仲夏過ぎ虫の音のラストステージ
窓開けて遠くに聞こえる虫の声
虫の声秋夜にひびく音楽祭
窓の外秋澄む夜に虫の音
虫の声耳をすませる愛犬よ
無視はしないで悲しいわ
蟋蟀(こほろぎ)
こおろぎの鳴き声響く秋の夜
鈴虫
スズ虫の鳴く音に心いやされる
鈴虫の鳴きて奏でる夜の闇
木犀(もくせい)
秋香る近所に庭の金木犀
秋の朝香りをはなつ金木犀
庭に咲く金木犀の匂い甥思う
夏過ぎて鼻をかすめる金木犀
木犀の甘さを冷ますような夜
再びの香に巡り逢う金木犀
梨(なし)
梨かじり脳裏に浮かぶふる里や
梨をむく母の指先見つめてる
白い実をかじって見れば梨の皮
移りゆく花香を思い梨を剥く
梨を剥く月無き夜を照らすかな
駆けるのは梨は口実会うために
乾く喉うるおすものは梨一択
無意識に手に取る梨の香りかな
ふろ上がりかわいた喉をうるわす梨汁
(編者)「うるわす」はひょっとして「うるおす」?
林檎(りんご)
おいしいな りんごをまるごと ひとかぶり
仕送りの中に一つの林檎あり
林檎むきウサギの形祖母の真似
トーストに母が作ったりんごジャム
美しき指とくちにはりんごが映える
西の空夕日の落ちる林檎色
風に触れ君の横顔りんごのよう
林檎狩り皮捨てる客見る目なし
冷ややかとのどにしみる林檎のつゆ
青空やいとこの頬は林檎色
食卓に真っ赤な林檎並びけり
道ばたにりんごがおちてておいしそう
皮剥かず林檎をかじりご満悦
妹にねだられ林檎を兎に切る
葡萄(ぶだう)
祖母からの葡萄心なつかしい
葡萄狩り巨峰かピオーネやっぱシャイン
栗(くり)
栗ひろいとげがささって飛び上がる
ダイエットお腹がすいたな栗食べよ
焼きさんまカツオのたたき栗ご飯
(編者)「さんま」の右下に小さなサンマの、「栗ご
飯」の左下に、椀に盛られた輝く小さな栗ご飯のイラ
スト略。
栗拾い棘がささって飛び上がる
そろそろ割って収穫栗の山
栗一つ道に転がる秋見つけ
紅葉(もみぢ、こうよう)
夕刻の紅葉が薫る風涼し
ひらひらと紅葉と入る露天風呂
初紅葉辺り一面紅く染む
街路樹や葉を赤らめ散ってゆく
夕焼けで染まる紅葉は茜色
秋晴れに映えし紅葉の赤天井
山見れば赤く色付く紅葉の葉
紅葉や軽トラ走る田舎道
紅葉の染まる一面あたたかや
紅葉が風にたなびく一人夜に
紅葉で赤 黄 緑 衣替え
金風に色付き始めるもみじの木
風に乗り木から落ちゆくもみじかな
紅葉と私の頬が染まってく
忘れゆく秋の彩り赤紅葉
秋の紅葉見とれてしまう鮮やかさ
秋風にたなびき散るは紅葉かな
枝々の間を照らす紅葉かな
見上げれば赤く染まった葉浮かぶ
色を変え年末告げる紅葉かな
山一面に満面と浮かぶ紅葉かな
天仰ぎ紅葉(こうよう)舞い散る秋の日差し
宮島のもみじの大半まだ緑
風が舞い前に広がる紅葉道
秋となり心躍るは紅葉かな
頂へ登ると一面の山紅葉
子の顔が紅葉にてらされ嬉しそう
紅葉とおいもとくりと全部好き
散る紅葉まどろむ君の横顔へ
紅葉が赤く染まる季節かな
赤や黄の葉っぱを踏んで歩く道
君といてとてもたのしい もみじかな
もみじの葉風で舞い散る秋の旅
銀杏(いてふ)散る
夕暮れに黄色に光る銀杏道
秋風でいちょうが舞いしみじみと
ひらひらと地にちり積もるイチョウの葉
銀杏(ぎんなん)
街路樹の銀杏実る秋の道
朝顔(あさがほ)
アサガオの季節になれど花見れず
朝顔に光が指して雫落ちる
(編者)「指して」は「差して」or「射して」?
コスモス、秋桜
秋雨の露が滴る秋桜
コスモスが桜に見える季節かな
コスモスの花びらたちが風になる
菊(きく)
菊が咲き夜の暗闇光いける
白菊や庭に花の香り立つ
秋咲きの白菊香る故郷かな
西瓜(すいか)
店先のスイカ眺めて喉潤す
甘藷(さつまいも)、薩摩薯
さつまいも秋を感じる野菜だな
掘り出した安納芋は地に帰る (芋男)
まちきれず手の平跳ねるさつまいも
さつまいも ほってもほっても あふれだす
萩(はぎ)
はぎが咲きはだざむくなり秋の虫
薄(すすき)
夕やけの赤を背に受け舞うすすき
風吹てすすきが揺れる月の夜
撫子(なでしこ)
撫でし子を握らせ送る田んぼ道
狗尾草(ゑのころぐさ)、猫じゃらし
嵐過ぎ 茶色に染まる ねこじゃらし
そよそよ揺れる 夏の残り香
曼珠沙華(まんじゅしゃげ)
彼岸花懐かし夕(ゆう)の帰り道
彼岸花咲く季節にトンボ飛ぶ
墓参り道を彩る彼岸花
ひがん花赤くさきゆく秋の花
茸(きのこ)
秋の暮育つキノコとクリ拾い
松茸(まつたけ)
秋の味覚松茸咥えゆるむ顔
授業
文化論 後期はないの 寂しいな
(編者)ありがとう、そんなに言ってくれる学生がい
るなんて、幸せです!
初テスト 期間長くて 疲れそう…
テスト勉強
いつもぎりぎり
大変だ
ため息が
止まらぬ手抜きの
勉強に
目が開かぬ四限に来るのがゆううつだ
(編者)でも、来て下さいね!
秋暑し集中できない文化B
(編者)そう言わず頑張ってください!
休みボケ容赦ない秋学期
(編者)ぼそぼそと講義をしている編者が片隅にい
る、舞台のような教壇と、左上の「16:20」(授業終
了時)を示す電光掲示板のイラスト略。
学生生活
帰省子や
かばんつよく
握りしめ
万物に 命宿るの ロマンだな
あの人と
夜空を見上げた
あの堤防
青い空
風浴び走る
スクーター
海上で 死を待つだけか タイタニック
車窓から移りゆく空鮮やかに
嵐過ぎ知らぬまに変わる夜の音
服や靴物欲あるのにお金ない
茜空嫌でも想う去りし君
風吹きて人肌恋しい夜の道
夕暮れの空もまなこも茜色
あかね色夕暮れ時の季節かな
角部屋の部屋に広がる橙色や
レンタカー夜のドライブ充実感
原付で走り出したらこけちゃった
日が昇り高い鳴き声雀かな
寒暖差コロナじゃないよ鼻炎持ち
流れ落つ涙に映るほうき星
夕暮の寒さがやけに身に沁みる
夕暮れや月光辺りを照らしけり
夜風がそっと闇へと誘う
夕暮の水面に浮かぶ宝石よ
夕暮れや心に浮かぶ故郷の空
憂戚が心を覆い海想う
(編者)「憂戚」はひょっとして「憂寂」?
山々が緑の衣脱ぎ鮮彩に
十七時辺りが急に暗くなる
金時計マッチング待ちの地雷系
夜闇がそっと日を包み込む
お金ない考えすぎても意味がない
エッセイ
感想.
エドガー・アラン・ポーが江戸川乱歩のモデルで
ある、ということを初めて知りました。海洋小説を
今まで読んだことがなく、「白鯨」という映画を見
たことがある程度だったので、読んでみたいと思い
ました。
有名な海賤の中で、特にキャプテン・キッドの話
が印象的でした。元々は海賤を取り締まる側だった
にもかかわらず、食料の不足等により海賤行為に走
らざるを得なかったことが悲惨だと思いました。
(編者)「海賊」です。
今と違って、自分の環境以外の情報が得にくい時
代の航海は、ずっと暗い不安がつきまとって楽しく
なさそうだなと思った。
実際にこの授業でないと触れることのあまりない
ものに触れることができてとても教養の深まるもの
となったためよかったです。
(編者)そう言ってもらえると、嬉しいです!
涼しげに色が染まる秋の空
初めの海賊の話は、面白かったです。
落鮎の跳ねる簗の音はずむ秋
様々な趣深い秋の季語を知ることができ、大変興
味深かった。また、花野が秋の七草であることや下
り鮎を捕まえるための簗が存在することを知り驚い
た。
畦道を一人で歩く秋の夕暮れ
夕暮れどきに田んぼと田んぼの間の道を一人で歩
くはかなさを表現した。
月明かり深く潜った秋の海
(感想)
主人公の男の子は悲惨な目に合っていてかわいそ
うだと思った。当時の子供がこの本を読んだらトラ
ウマになって、船に乗れなくなりそうだと思った。
(編者)「〜目に遭う」です。確かに、アーサー・
ゴードン・ピム少年はかわいそうですね。
蛤となる雀かも崖の木に (坂井春青)
・海と空という住む世界は違うが姿形が似ている生
物について詠まれているのが良いと思った。
展開が現代の作品とは全然違うので
とてもおもしろいです。
悪人についてがとても興味深かったです。
(編者)『ピムの物語』についての感想ありがとう!
見上げれば秋の星空感動だ
昨日アルバイトを終えて、何気なく空を見たら大
量の星が光っていてとても感動したので俳句にしま
した。
水産大【第15回目俳句感想文】
幽霊船がカブ畑の上に来たのに冷静に話せていて、
幽霊も異常だが、村の人も異常なんだなと感じた。
(編者)リチャードソンの短編『幽霊船』についての
感想ですね!
(感想)
見渡せば詠(ながむ)むれば見れば須磨の秋 芭蕉
私の出身地に程近い「須磨」という地名に目が留ま
り、選びました。
見渡してみて、俳句を詠んでみて、見て、と様々な
見方をしたくなるくらいに、須磨の秋の情景が作者
にとってとても素晴らしいものに映っていたことが
伝わってきました。
引潮が砂の落書き消して秋 (山本環)
砂の落書き消しての部分に、楽しかった夏が終わっ
てしまうことに対する寂しさがとても良く表れてい
ると思います。また体言止めで終わるところも余韻
があって、名残惜しい気持ちがよく伝わる句だと思
いました。
引き潮が砂の落書き消して秋
感想
夏の終わり、満足いくまで海で泳いだ後に書いた浜
の落書き。それを夏の暑さと共に徐々に引き潮が連
れ去っていく。ゆっくりと近づく秋を感じられる作
品だと感じた。
引き潮が 砂の落書き 消して秋
夏の喧騒が遠ざかり、その賑わいの痕跡である落
書きを静かな波音と共に潮が消して行く。そんな景
色が思い浮かぶ俳句だと思いました。
引 潮 が 砂 の 落 書 き 消 し
て 秋
( 山 元 環
)
砂の落書き消しての部分で、海で遊んだ夏が終わっ
たということがうまく表現していると思った。
引潮が砂の落書き消して秋
潮の満ち引きは一年中あり、夏の砂浜の落書きも
満ち潮の時に毎日消えます。しかし秋とは違い、夏
の海にはほぼ毎日海水浴等を目的に人が訪れます。
そのため人々が書いた落書き、またはそのように見
える痕跡が毎日残されては消えを繰り返します。こ
れにより、作者には夏の砂浜の落書きはずっと消え
ることがないように見えたのだと思います。そして
秋になって砂浜を訪れる人が減り、それに伴って落
書きも減少します。これにより作者には秋の砂浜か
ら夏の間はずっと残っていた落書きが消えてしまっ
たように見えたのだと思います。また、わざわざ引
潮というワードを選んだ理由は、秋になって人々の
生活から海が少し遠のいたことを表現するためだと
思います。
引き潮が砂の落書き消して秋
誰もが一度は経験したことがあるようなことが書い
てあり寂しさと秋のイメージが重なっていてきれい
だと思った。
引潮が砂の落書き消して秋
感想
波で海水浴客が砂浜に書いた落書きが消えていくの
を、夏の終わりとして捉えて、引潮で消えていくの
を秋の始まりと捉えるのを風情があると感じた。
引潮が砂の落書き消して秋 (山元環)
夏に海水浴で訪れた子供の落書きが引潮によって
かき消される、“秋”という言葉が使われていますが、
“秋の訪れ”というよりは“夏の終わり”のイメージが
強いように感じました。
私の好きな俳句 「引き潮が砂の落書き消して秋」
感想 自分や他の子たちが時間をか
けて大きな絵や言葉を書いたり書き途中だっ
たとしても波はそれを一瞬で飲み込んでゆき、
消していく寂しさと悲しさにも秋の冷たさと
同じ趣深いものであるように感じたからです。
大 い な る も の が 過 ぎ 行
く 野 分 か な
(高浜虚子)
野分は秋の強い風という意味から台風だと考えられ
る。台風は我々の力では手に負えないので大いなる
ものとして扱われているのだろう。台風による被害
が多い秋の日本らしい。
颱 風 の ゐ る 天 気 図 を
怖 ( お そ ) れ け り
( 日 野 草 城)
感想:今回は秋に関する俳句でしたが、中でもこの
俳句は秋の台風からくる恐れが感じられ、あの不安
ながらに季節を感じられるのがいいなと思い選びま
した。
颱風のゐる天気図を怖れけり
〔感想〕まさに昨晩の私の様子を反映しているかの
ような俳句だと思った。下関が台風11号の暴風警戒
域に入っている中で、夜に停電や断水、最悪の場合
避難することになってしまったらどうしようかと不
安だった。風の音でなかなか寝付けなかったが、幸
い大きな被害もなく無事に一夜を明かすことができ
て本当に良かった。
颱風のゐる天気図を怖れけり
感想
この俳句のように、私も天気図に台風が写っている
と少し不安になります。台風のもたらす影響や威力
を知っているため不安になるのだと思いますが、人
の心にまで影響を与える自然環境はすごいと思いま
した。
颱風のゐる天気図を怖れけり
私はこの俳句について、夏が過ぎると日本人なら誰
もが観る、台風に関するニュースや予想される進路
を思い浮かべることができ共感するとともに素晴ら
しいと感じた。
颱 風 の ゐ る 天 気 図 を
怖 ( お そ ) れ け り
( 日 野 草 城 )
【感想】
今回の台風11号が怖かったなと思いました。また、
これから先台風が来なければいいなと思います。
颱風の ゐる天気図を 恐れけり
昨日の夜からの台風の強風がとても怖かったため、
とても共感できました。
颱風のゐる天気図を怖れけり (日野草城)
台風のいる天気図…。私の実家がある大阪府では
あまり台風が列島に上陸したとニュース等で聞いて
も「へぇー」みたいな感じで軽く聞き流していた感
じでしたが、ここに来てしかも今日(九月六日)休
講と聞き、そんなに警戒するのかと驚きました。な
のでこの句を見て直感したことはこれから台風が天
気図に現れたら「警戒しないと」と感じた事です。
(編者)日野草城先生の「颱風のゐる天気図を怖れけり」を写し間
違えて
台風のある天気図を恐れけり
台風が来る前日の夜ちょうどバイトとかぶっていて
行きも帰りもとても風が強く髪が無茶苦茶崩れたし、
運転中に車のハンドルを持っていかれ、ついてない
日だなととても思ったのでこのの俳句にしました。
台風はとても怖いというのは昔から今も恐れられて
いるという事がわかりました。
颱風のゐる天気図を怖 れけり
感想:この俳句を詠むと台風ができてそれが日本に
来るから怖ろしく感じているということが読み取れ
た。自分も台風が来ると災害など起こるため嫌な気
持になるので共感してこの俳句を選んだ。
また、台風という言葉一つで秋を感じさせることが
できることもすごいと感じた。
颱風のゐる天気図を怖れけり (日野草城)
最近台風に見舞われたので、身近だなと思いこの
句を選びました。当初は日本を避けるような動きを
していたのに、急な方向転換でこちらに向かってき
ていたことが驚きとともに印象に残ってます。この
句が書かれた時代の人も、台風の動向に怯えながら
生活をしていたのかなと思うと親近感がわきました。
また、“颱風”という漢字を使っている点が、とても
趣があるなと思いました。
「颱風のゐる天気図を怖れけり」(日野草城)
感想:最近、台風が多い季節になってきたのでこの俳
句にとても共感できました。
実家にいるときはあまり怖いと思っていませんでし
たが、一人暮らしをはじめて怖いなと思うようになっ
てきたので、前までの自分だと共感する気持ちがあ
まりなかったのではないかと感じました。
颱風のゐる天気図を怖れけり
この俳句は颱風の天気図の怖さが良く表されている
と思いました。
感想
「魚飛んで新涼の海きらめかす」(長岡富士子)
「魚」と「飛んで」の間に接続詞がないためリズム
が良く、魚が勢いよく飛んでいるところを想像でき
ました。また、時系列が前後していないため、飛ん
でから海に入り水しぶきで海面がきらめくまでを光
景が頭に浮かびやすかったです。
魚飛んで新涼の海きらめかす
魚が飛んだ時にその光が海に反射している光景が容
易に浮かんできました。また、光があることからそ
の時は天気が良いということも想像できるいい詩で
あるなと思いました。
厚切りの鮪(まぐろ)のとろや今年米
新米の上に厚切りのマグロが乗っている情景が浮か
んだ。食欲の秋を感じる俳句だと思った。
【選んだ俳句】
厚切りの鮪(まぐろ)のとろや今年米
【感想】
秋は実りの秋と呼ばれるくらい、様々な食べ物が旬
を迎える。
この句においては、鮪と米がそれであり、秋の実り
の豊かさを端的に表現した句であるといえる。
落鮎(おちあゆ)
落鮎のいのちひしめくひかりかな (神保 輝子)
もう夏も終わるころになって、もうすぐで秋になる
ようなこの頃、川では鮎が新しい命を宿らせるため
に遡上し、命を全うした鮎が川から流れる風情を感
じました
落鮎のいのちひしめくひかりかな
感想
落鮎が川の中で懸命に泳ぎ、それが太陽光にあたっ
てきれいに光っている美しい様子が想像できました。
それと同時に、産卵のために一生懸命に泳ぐ鮎の命
の輝きも感じられるとても良い俳句だと思いました。
落鮎(おちあゆ)
落鮎のいのちひしめくひかりかな (神保 輝子)
もう夏も終わるころになって、もうすぐで秋になる
ようなこの頃、川では鮎が新しい命を宿らせるため
に遡上し、命を全うした鮎が川から流れる風情を感
じました
波立ちて
かはるけしきや
鱸(すずき)つり (百合山羽公)
感想
自分もスズキ釣りは好きなので釣りをしているとき
の景色が鮮明に浮かび、とてもイメージしやすい詩
と感じました。
「波だちてかはるけしきやスズキつり」
この俳句からは秋を感じやすくて共感できる部分が
多いなと思いました。
波だちて
変わる景色や
鱸釣り
私はこの俳句を読んで地元にいる時によく鱸釣りを
していた事を思い出しました。
つまらなくなるほど釣れ鯊(はぜ)日和
(小林都史子)
鯊がたくさん釣れるようになる秋を感じられる。
つ ま ら な く な る ほ ど に
釣 れ 鯊 日 和
( 小 林 都
史 子 )
趣味に釣りをするときは、釣れすぎも釣れなさすぎ
も、つまらなくなってしまう様子が思い浮かぶ。
鯊(はぜ)
つまらなくなるほどに釣れ鯊日和
(小林都史子)
私はこの俳句を自身の体験から気に入りました。
その体験とは入学して間もない頃に本校の前を流れ
る永田川で鯊釣りをしながら、新しく出来た友人と
身の上話で盛り上がった事です。
「あんぱんいちじくすこやかなる睡(ねむ)り」
感想 字数にとらわれない素敵な俳句だと思った
あんぱんいちじくすこやかなる睡り (岡井省二)
感想
昔、母が庭で大切に育てていたいちじくがカラスに
食べられ、母が大泣きしていたという出来事があり
ました。その情景を思い出しました。その時のいち
じくも大きくてとても健やかに実っていました。
あんぱんいちじくすこやかなる睡り
語呂がよくてスッと頭に入ってきました。俳句でも
こういった記憶に残る語呂で読むという方法でもい
いんだと思いました。
あんぱんいちじくすこやかなる睡り
語呂がよくてスッと頭に入ってきました。俳句でも
こういった記憶に残る語呂で読むという方法でもい
いんだと思いました。
下関市大【第1回目俳句感想文】
秋の船風吹く港でてゆけり (飯田龍太)
(感想)
秋の少し冷めたくなった風が肌に当たる場面が
想象できました。さんまが食べたいと思いました。
(編者)「想像」です。
「引潮が砂の落書き消して秋」(山元環)の感想
俳句になじみのない自分でも、想像しやすいもの
だったので良いと思いました。
引潮が砂の落書き消して秋
感想
海は夏のイメージがあり、その波が夏の思い出
である砂の落書きを消す様子で夏から秋へと移り
変わることを表現していて、とてもおもしろいと
感じた。
(感想)
引潮が砂の落書き消して秋
夏に家族が遊びに来て賑わった海が、落書きを
引き潮で消すことで冬の訪れを表しており、寂し
い気持ちになりました。
”引潮が砂の落書き消して秋”の排句から
夏が終わって、涼しくなり始めた今にぴったりな
詩だと感じました.
(編者)『俳句」です。
◎「さびいろの残暑鉄路は海添いに」(遠山泰子)
「残暑」という秋になってもまだ暑さが残っている
中で熱が伝わりやすい鉄の==、線路を用いること
と秋色のイメージがある「さびいろ」、「海」を用
いることで蜃気楼すらも鮮明に想像させる言葉のセ
レクトに感動した。
雨降れば暮るる速さよ九月尽 (杉田久女)
<感想>
9月の終わりになってきて、夏よりも日が暮れ
るのが速くなってきている情景を想像できる良い
作品だと感じた。
杉田久女氏の俳句は現代の人でも理解しやすくて、
良いと思いました。
・雨降れば暮るる速さよ九月尽
つい最近、家に帰る途中、日が暮れるのが早く
なったなと感じることがあったから。
また、”九月尽”という言葉を初めて知り、格好
良い表現だと思った。
天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)
私は、この句を読んで、秋の空の美しい情景が思
い浮かんだ。秋の空特有の空高くに浮かぶ大きな雲
で高く感じる空を思い浮かべた。また、作者に強く
共感する点もあった。高い空に雄大に浮かぶ空を見
ると、自分がとてもちっぽけに感じてしまう。雄大
な空や雲に比べると、なんとちっぽけで恥の多い人
間なのだろうと筆者同様に考えたことがある。
(編者)「高い空に雄大に浮かぶ空」は「高い空に雄
大に浮かぶ雲」?
天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)
について、他の句は読んだ際に情景が浮かんだのに
対して、この句だけは「天が高い」ことと「人生を
恥じる」ことのつながりがわからず、理解するのが
難しいと思った.
「秋高し」「天高し」が使われている他の句を知っ
てどのような意味で使われる言葉なのか知りたいと
思った。
(感想)
天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)
10句から私が最もいいと感じたのはこの句です.
天高くという爽快で晴れやかな様子から
恥多くという卑屈な様子に変わる感じが好きです.
<感想>
草の葉を游びあるけよ露の玉 (嵐雪)
・ 葉についた露が重力のままに葉の上をつたわっ
ていく様子が思い浮かびました。露に「游び歩け
よ」と言って、擬人法のように表しているのがお
もしろいなと感じました。
感想
露が草の上を遊び歩いているように捉えているの
が一番印象深かったです。遊び歩いていると書くこ
とでただの草の葉の上の露に対して幼さを感じられ
たので、言い回し次第で抱く印象も大きく変わるの
だなと思いました。
「朝露に翅(はね)をたゝみて蝶ねむる」
(高木晴子)
朝露は秋の季語であり、羽をたたんでねむる様子.
冬眠する姿を見て秋の終わりと冬の始まりを感じる。
蝶自身が朝梅雨で秋の終わりを意識している.また、
その様子は美しくも感じるだろう
『虫』虫の夜の星空に浮く地球かな(大峯あきら)
<感想>
「虫」や「星空」があることで秋の夜の情景を思
い浮かべることができ、また、「虫」と「地球」が
比べられているので、地球がちっぽけに感じた。
虫の夜の星空に浮く地球かな( 大峯あきら)
感想
・この詩を読んで祖父の家の夜が思い浮かんだ.
地球が星空に浮いているという感覚は分かるしと
てもきれいな表現だと思った.
虫の夜の星空に浮く地球かな (大峯あきら)
感想
私はこの俳句の表現の仕方が気に入りました。
星が空に浮いていると表現するのではなくて、地
球が浮いていると表現しているのがとてもおもし
ろいと思いました。
虫の夜の星空に浮く地球かな
感想
この句にある「虫」と「地球」は月とすっぽん
のように大きく違うものを対比させることにより読
み手に創造力を生み出している。これに非常に惹か
れました。
選んだ排句 虫の夜の星空に浮く地球かな
(大峯あきら)
感想 この排句を読んだ際に、情景がすぐうかん
で、田舎の静かな夜に虫がないている姿を想
像しました。星空が広くきれいに浮いている
姿を見ると、とても美しく儚いなと思いまし
た。
(編者)「俳句」です。
虫の夜の星空に浮く地球かな (大峯あきら)
感想: 秋の夜に目を閉じて虫の鳴き声を聞いてい
ると、星空にただよう地球の様子が頭に浮か
んだのかなと思いました。
大峯あきらの俳句が宇宙のくらさと夜の暗さがリ
ンクして宇宙に浮かぶ地球の様子が映像としてすぐ
にうかんだので良い俳句だなと感じました.
虫の夜の星空に浮く地球かな (大峯あきら)
感想
地球の空に輝くきれいな虫(蛍)の情景が浮か
んだ。
そんなに鳴けば破れるよ虫の翅(はね)
(川田さちえ)
夏はせみの鳴き声を聞くとうっとおしく感じるが、
秋に聞こえてくる虫の鳴き声は様々な虫の鳴き声が
混ざり合い、大合唱のように聞こえる。精一杯鳴き、
大合唱のようになる鳴き声を聞くと秋が来たなぁと
思う。
「そんなに鳴けば破れるよ虫の翅」という詩が印
象的でした。秋という季語は入っていませんが夏の
かえるの鳴き声から秋のコオロギの鳴き声に変わっ
たのかなというイメージが頭に浮かんできました。
感想、「そんなに鳴けば破れるよ虫の翅」
私が現在住んでいるアパートは裏手に山があり、
ここの所毎晩虫たちが大合唱を繰り広げているので
すが、この句の筆者は虫の小さな躰から出てくる大
きな音に着目するばかりか、虫に対して心配の念を
向けている点において、不快な音ととらえていた私
とはあらゆる面で視点が異なっており、非常に素晴
らしい一句であると感じました。
そんなに鳴けば破れるよ虫の翅
感想:まるで真夏の中、庭に座り、そこで、周囲の
虫が想像以上の音を出し、その音は夏の象征で
あるが、音の大きさは虫たちの翅が破れるかも
と心配をかけてしまう。真夏の暑さを歌う音み
たい。
”そんなに鳴けば破れるよ虫の翅” (川田さちえ)
5歳くらいの子供が言いそうなことだと感じたけ
れど、羽の字が難しいことから詠んだ人の知識や知
性も感じてギャップがありおもしろかった。
引潮が砂の落書き消して秋 (山元環)
海水浴シーズンを終えた秋という季節が夏にで
きた砂の凹凸を消しているんだなと感じました.
天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)
暑くもなく、やや涼しいと感じる秋.
私も自分自身を見つめ直す機会が多いです.
秋の俳句は全体的にさびしい感じがしました。
私の秋のイメージは食べ物がおいしくて紅葉が
きれいなイメージで華やかな感じです。
下関市大【第2回目俳句感想文】
竜淵に潜みて深む水の色 (戸田白雅)
感想
竜が水中に潜んでいることにより、水の色が濃
くなっていく様を短的に表していて、非常に面白い
川柳と思いました。
(編者)「端的」です。なお、この作品には「竜淵に
潜む」という季語があるので、川柳ではなく俳句
です。
(編者)飯田蛇笏先生の「地と水と人をわかちて秋日澄む」を写し
間違えてしまいました。すみません。
秋澄む
地と天と人をわかちて秋日澄む
感想
最近、夏から秋に季節が変わって匂いや風が変わっ
てきているのを実感します。秋は○○の秋という言
葉が多いため、人・天・地など様々なことが移り変
わっている季節だと感じました。
「地と天と人をわかちて秋日澄む」
感想: 秋の晴れた日は空気が澄んでいて、とても
空が高く感じられます。その様子が天と地、そして
人をいつもより分ちているように感じたのではない
かと思いました。
感想です。
恋の余熱ゆるく消しとり秋は澄む (大高翔)
この俳句がとても心に残った。
今の自分と重ねることができそうで、しみじみと
切なさを感じた。夏から秋にかけてのこの急に気温
が下がり、寒さを感じる時が私は一番1年の中で好
きである。
新しいことに挑戦したくなるような匂いがするか
らだ。
暑い夏が終わり、すずしい秋なることを恋の熱と
かけているところが魅力的であり、秋と恋はやっぱ
り素敵であると感じた。
感想
右から三つ目の句が
夏も終わり秋にさしかかると熱さも消え去ってし
まうことを恋の熱と同様に捉え、恋の熱が冷めると
同時に夏が終わってしまった 理解することができ
たので秋の訪れを感じさせる表現がとても巧みで印
象深かったです.
「恋の余熱ゆるく消しとり秋は澄む」の句がとても
きれいだと感じた。秋は空気が乾そうして澄んでい
るのを感じられるため、すっきりした心の内がわかっ
て好きな句だ。
はかないものが美しいと感るられるからか消えてい
く恋の熱もきれいだと思える。
(編者)「感るられる」は「感じられる」?
恋の余熱ゆるく消しとり秋は澄む (大高翔)
を読んで
「恋の余熱」という、表現の仕方をほとんど聞いた
ことがなかったので、非常に、心に残った。
感想「星一つ命燃えつつ流れけり」(高浜虚子)
私が今回この句に興味を持った理由の一つに、
「流星」という季語が秋の句であったことが挙げら
れます。しかし、よくよく考えてみると旧暦の秋で
ある7月から9月はペルセウス座流星群が観則される
時期でもあり、この季語が妥当であることは明らか
であると気付かされました。また、無機物であるは
ずの星に対して命があるように描くことで、一瞬で
消えてゆく流星の儚さが強く表現されており、素晴
らしい句であると感じました。
(編者)「観測」です。
星一つ命燃えつつ流れけり (高浜虚子)
感想
わかりやすく「流星」という季語を使わなくて
も、言葉の表現だけで、流星という季語が伝わって
きておもしろいと思いました。
星一つ命燃えつつ流れけり (高浜虚子)
感想
人の命が絶たれたら、空の星へと変わると昔から
言われていて、この俳句はそのことを表現している
のではないかと感じた。
星一つ命燃えつつ流れけり
流星が流れている様子を詠んだものだと思うが、
流星があっけなく燃えながら流れている様子をイメー
ジでき、束の間のことに切なさやまた希望を感じら
れた。
・星一つ命燃えつつ流れけり
・秋の澄んだ空に流れ星が激しく燃えながら消滅し
ていることに切なさを感じました。
「星一つ命燃えつつ流れけり」という俳句は、
短い文章の中に流れ星の切なさが読まれていてとて
も良いと思った。私は流れ星に楽しいイメージがあ
るけれど、この俳句を書いた人にはきっと切ないイ
メージがあるんだなと思い、自分とは違った感情を
感じられた。
星一つ命燃えつつ流れけり
<感想>
流れ星が「命燃えつつ」という言葉があることで
とてもはかないものに感じました。
流星;星一つ命燃えつつ流れけり (高浜虚子)
流星が季語であることを初めて知った。
流星をテーマにした俳句をあまりみたことがない
ので、他にどのような作品があるか気になった。
<感想>星一つ命燃えつつ流れけり
流星が、燃えながら流れて最後には消滅してしま
うという、はかなさを感じました。「燃えつつ」と
いうところが、句の中にあるように命を燃やしてい
る(最後には消滅する)ことと、実際に燃えながら
流れているという、2つのことを表しているのかな
と思いました。
秋の雨しづかに午前をはりけり (日野草城)
今日の午前も雨がふっていたがたしかにきづか
ない内に静かにやんでいた。
そのため景色を想像しやすかった。
秋の雨しづかに午前をはりけり (日野草城)
感想
少しさびしさがあると思いました。
秋の雨しづかに午前をはりけり
(感想)今日の天気にぴったりで印象に残りました.
秋の雨はしとしとと降るような様子が想像でき
ました.
しとしと降り雨が知らない間にやんでいる
ような様子も想像できた.
心が落ち着くような俳句だと思った.
秋の雨しづかに午前をはりけり (日野草城)
を読んで
私はきれいだと感じました。
今日の雨と似ていたので共感する部分がありまし
た。
<感想>秋の雨しづかに午前をはりけり
夏の終わりを告げるような涼しげな秋の雨が思い
浮かんでしんみりとした気持ちになりました。秋は
夏とはうって変わって落ち着いた雰囲気があるので
好きです。でも、それと同時に夏を思い出して少し
悲しくなる季節でもあります。
はてもなく瀬のなる音や秋黴雨(つい)り(史邦)
・秋ついりという言葉を初めて聞き、意味を知り、
美しい言葉と思った。
また、秋のおだやかに降る雨の情景が想像でき
た。
天渺々(びょうびょう)
笑ひたくなりし花野かな (渡辺水巴)
果てしなく広がる空と花いっぱいの野原の雄大で
美しい光景が浮かんできました。作者がこの光景を
見て笑いたくなったのにはどのような理由があるの
でしょうか。
この笑いは何を表しているのでしょうか。
まぼろしの狐(きつね)あそべる花野かな
(稲垣きくの)
狐とたわむれることができるというので北海道で
作られた俳句だと考えた。狐と遊べる野原は羨しい
と考えた。
まぼろしの狐あそべる花野かな
<感想>
まぼろしの狐という不思議な存在と”花野”という
きれいな景色の相性がとても良いように感じた。
落鮎や一夜高瀬の波の音 (北枝)
私の地元では、よく鮎を捕って食べていた。こ
の句を詠むと、その川の光景やその周辺の木々の
風景を思い出した。とても風情のある句だと感じ
た。
北枝氏の俳句は、落鮎という季語を用いていたり、
情景を頭の中に浮かべやすい俳句で、よみ親しみや
すかったです。
落鮎や一夜高瀬の波の音 (北枝)
鮎が∧力強さ、命のはかなさを感じた。
高瀬でナワバリ争いをして波が音を立てるほどの
鮎を塩焼きにして食べたい。晩ご飯に。
(編者)「鮎が」の後の∧印は、そこに何か挿入する
つもりだったのでしょうか?
”竜淵に潜みて深む水の色” (戸田白雅)
”星一つ命燃えつつ流れけり” (高浜虚子)
私は今回の10つの排出句でこの2つが最も印象
に残りました.
・竜淵に潜むという季語を知らなかったのと、”深む
水の色”と水の色が深むなんて発想したこともな
かった.
・星一つ命燃えつつ流れけり”の季語は流星なのに、
流れる星一つと分けて表現するのがかっこいいと
感じた.命燃えつつが加わることで淋しい様子が
伝わった.
恋の余熱ゆるく消しとり秋は澄む(大高翔)、や
秋の雨しづかに午前をはりけり (日野草城) の
句から、秋に対してさびしい感じを抱くのは昔も現
代も通じているのだな、と思った.
《秋の雨》の感想
秋の雨といえば、今日の朝は雨が降りました。こ
の俳句にそっくりな雨と思います。しづかとはいえ
ない雨だが夏の温度や香りを取り去り、秋の風と色
を散った雨だなと思いました。
感想です。
秋澄むや花野など、秋の季語は美しいのが多いと
感じました。
夏はいきいきとした印象で秋は静かでゆるやかな
印象だと感じました。
恋の余熱〜の句は特にその感じが出ていたと思い
ます。
秋の雨〜の句はなぜ「しずかに」ではなく「しづ
かに」になっているのだろうかと思い、意味がきに
なりました。
(編者)「しづかに」は旧字体で意味は同じです。
(俳句の感想)
秋の俳句は、一つ一つの言葉選びがきれいですて
きだと思った。一つ一つの俳句を読むと情景がはっ
きり浮かび上がってくるように感じた。
下関市大【第3回目俳句感想文】
・蛤となる雀かも崖の木に
海の中に入る雀が蛤となるという発想が面
白く、どうしてそのように思ったのか、どう
してこのような表現をしたのかを調べたいと
思った。
坂井春青の雀が蛤になるという考え方が自分には
考えつかないもので印象に残った。
秋にいる雀と蛤の姿が考えられました。蛤となる雀
という表現がとても興味深かったです。
(感想)
坂井さんの作品が印象的でした。
最初、雀と蛤と聞いて「何が関係しているのだろ
う?」と思いましたが、中国では海に入る雀が蛤に
なっていると思われていたという説明に納得しまし
た。この説明を聞いて秋という季節で思い浮かぶ単
語が増えて詩の面白みを改めて感じました。
<感想>
雀蛤となる 蛤となる雀かも崖の木に(坂井春青)
結局全然違う話で関連性はなかったが、
この句を読んだとき、漁夫の利という言葉を思い
出した。雀じゃなかったと思うが、ある貝をある
鳥がくわえ、最後に漁夫が貝をくわえた鳥をつか
まえたことで、利益を得るといったもの。
雀の模様と蛤の模様が似ているということを聞き、
この句からおもしろさ半分不思議さ半分といった
印象を受けた。
(編者)「漁夫の利」に登場するのはシギと蛤です。
蛤となる雀かも崖の木に
中国で古秋に雀が海に入ることで蛤となると考
えられていたことはおどろいたし、それが季語になっ
ていることが面白いと思った。前提知識がないと全
くわからないものもあると始めて知った。
鰯雲しづかにほろぶ刻(とき)の影(石原八束)
今回の俳句も、今の時期の景色がはっきり見えて
くるような感じがして、すてきだなと思った。特に、
石原八束の俳句について良いと思った.
空はいま大魚となりぬうろこ雲 (斎藤ツギ子)
秋の澄んだ空を想像させる句だと感じた。また、
小学生の頃の休み時間に外で遊んでいた時の情景
を思い出した。
感想
うろこ雲の句が印象深かったです。自分がうろ
こ雲はそういう名前のただの雲の形としか考えてい
なかったのに対し、この句ではうろこという部分に
着目して、それが多く集まっているのだから最早大
魚といえると読みとれ、さらに季節の深まりまでも
読み取ることができる、独自の観点とすんなりと解
釈できる文章が、素晴らしい句だと思いました。
空はいま大魚となりぬうろこ雲
秋になり、このうたのような雲を見ることが増え
たのでとても想像しやすかった。
(感想)
空はいま大魚となりぬうろこ雲
空に浮かんでいる小さい雲たちが集まり、そ
れが小さい魚の群れとなり、それが最後に大き
な魚になっていく様を短的に表現していて大変
興味深い。
(編者)「端的」です。
<感想>空はいま大魚となりぬうろこ雲
空と海、雲を大魚に例えているところが素敵だと
思いました。「うろこ雲」という名前の由来は細々
とした雲が魚のうろこに見えるからだそうです。う
ろこ雲はいわし雲と呼ばれることもあるそうで、い
かにも秋らしい句だと思いました。
空はいま大魚となりぬうろこ雲
青空いっぱいに広がるうろこ雲の雄大で美しい
光景が浮かんできました。秋の澄んだ空気を感じ
ました。
空はいま大魚となりぬうろこ雲、について、
大きなうろこ雲が浮いている様子が目に見えるよう
に想像できた.
空はいま大魚となりぬうろこ雲
<感想>
空がうろこのようになって一つの大きなかたまり
になる様子が想像でき、スケールの大きな現象が短
くわかりやすくまとめられていてすごいと思いまし
た。
空はいま大魚となりぬうろこ雲(斎藤ツギ子)
うろこ雲の由来は魚のうろこから来ているのだと
思いますが、逆転してうろこ雲が浮かぶ空を大魚に
見立てているのが斬新で面白いと思いました。
「空はいま大魚となりぬうろこ雲」
青空に大きなうろこ雲が横たわっている様子が目
に浮かびました。もし空の色が青色でなかったら、
雲の形が魚にたとえられることもなかったのかなと
思いました。
空はいま大魚となりぬうろこ雲 (斎藤ツギ子)
感想
秋の季節は空がとてもきれいなイメージで、私
自身バイトに行く道で夕暮れの美しさにみとれてし
まいます。この排句を読んでうろこ雲が大きく広がっ
ている夕暮れのイメージが浮かびました。
(編者)「俳句」です。
”空はいま大魚となりぬうろこ雲”という俳句をよん
で、秋の夕暮れのときの空が思い浮かんできました。
空はいま大魚となりぬうろこ雲、
大魚は冬を育てつ消えり、
3回目の授業にして初の出席です。先生、よろし
くお願いします。
(編者)こちらこそよろしく。
逢(あ)うも驛訣(わか)るるも駅いわし雲
↑ ↑(望月紫晃)
違う時を使っている理由が
気になりました.
(編者)「時」はひょっとして「字」?
《秋の波》感想
秋の波同じところに来て崩(くず)る(倉田紘文)
の中の波は海の波であるか生活中の波かわからない
この俳句をよんで私は自分が前年の秋と今年の秋会
う事を思い出した。同じ季節で、同じところで同じ
事が発生したが、最後は同じ形で終わった。まるで
海の波みたいと思いました。
川全て鮭(さけ)の光となりにけり(佐藤緑芽)
複雑な俳句ではなく、分かりやすいのに一目見て
秋の俳句だと分かり、景色が想像できることがすご
いと思った。
川全て鮭の光となりにけり
鮭が活発に動くのは秋で、その秋に大量の鮭が自
身の鱗で川が光っている様子がよく分かる。鮭の生
命力や、群となる情景が思い浮かべることができ、
実際に目にしたら感動するだろう
川全て鮭の光となりにけり
が、川にたくさん鮭がいる風景を、鮭のうろこが太
陽や水の光と反射して、”光”とあらわしているのが
良いなと思った。
川全て鮭の光となりにけり
(感想)
鮭が川にいるのが思い浮かびました。食欲の
秋を感じて、少しお腹がすきました。
<感想>
・川全て鮭の光となりにけり
・川いっぱいに鮭がおり、日の光が鮭のうろこに反
射していることを表しているのかなと思いました。
川が全て鮭の光(反射光)となるくらい、多量の鮭
がいる様子が思い浮かびました。
川全て鮭の光となりにけり
(感想)
川の水が太陽の光に反映して光るのと鮭の皮
膚の銀色がリンクしていて面白いと思いました。
また、鮭が産卵のために川を懸命にのぼる姿の
哀愁もあいまって生命の光のようなものも感じ
ました。
佐藤緑芽氏の俳句は鮭という季語をつかい想像し
やすい俳句で良いと思いました。
川全て鮭の光となりにけり
この俳句を読んで、光という単語を用いることにビッ
クリしたと同時に、その発想が無かったので、すご
く感心した。
佐藤緑芽さんの詩が1番情景を想像できておもし
ろいと思いました。
はららごをぬかれし鮭が口を開け(清崎敏朗)と
いう俳句がよくニュースとかで見る いくらをとられ
ている鮭の様子がすぐに鮮明にうかび印象に一番
残りました。
(編者)俳句の「はららご」は漢字ですが、フォント
がないので、ひらがなに変えました。
たましひのしづかにうつる菊見かな(飯田蛇笏)
感想
秋の心が落ちつく心情がよく現れていて好きです。
ひとつの詩から季節を感じることができるのは昔
から変わらない季節の特徴などもあるのかと感じた。
(編者)以下、過去の見本の句についての感想
竜淵に潜みて深む水の色 (戸田白雅)
秋の涼しくなってきた、肌寒くなってきた気
温が深む水の色で感じ取れた。
貌(かお)見えてきて行違う秋の暮
(中村草田男)
秋になり、夏とは違って日が落ちるのも早くなる
様子が想像できた。黄昏時の切なく、不安な感じも
感じた。
下関市大【第4回目俳句感想文】
引く浪の音はかへらず秋の暮 (渡辺水巴)
引く波は足元の土を削りとって海へと還っていく。
ただ押しよせるときに前にある水を後ろからくる水
が押し潰すようにしてガガーといくあの音に引く波
に**のかも。引くときはただ音もなく静かに足元
を削りとっていく日の暮れる冬の訪れ
夏の終わりの秋。
(編者)2文字(あるいは1文字?)読み取れません
でした。
爽やかや風のことばを波が継ぎ (鷹羽狩行)
この一文だけで、海沿いで耳をすませ、風の音と
波の音が交互に聞こえる情景が浮かび上がり、少し
寂しさも感じる。
「爽やかや何から話そ何聞かう」(高木晴子)
何から話そう、何聞こうという風に爽やかな風景
や天気から気分が上がっていると感じられる。爽や
かな気分になると外に出たくなったり、誰かと話し
たくなるのは、今も同じだと思う。
爽やかや何から話そ何聞かう
秋の心地良い風の中で、親しい人と会って話
したいことをいろいろと思い浮かべながら、わ
くわくとしている人の様子が浮かんできました。
高木さんの詩から、秋に感じる独特の物悲しさを
感じました。少し寒くなり始める秋だからこそ、人
の温もりが恋しくなる。人を感じたいからこそ”何か
ら話そ何聞こう”という人を連想できる節が入ってい
るのかなと思いました。
秋の灯の一つが流れ来て電車 (江川虹村)
感想 電車に結ぶまでの流れるような句が他になく
独特だ。
意味はわからないが秋の灯と電車の関連する
季語なのかと疑問に思った.
秋の灯の一つが流れ来て電車
秋の灯の一つが電車であれば、夏の灯の一つは蛍
かなと思いました。電車の光はどちらといえば都市
のイメージがある一方、蛍は田舎のイメージがあり
ます。同じ光が逆の所に存在していました。また、
ほかの秋の灯といえば何がありますか、今日帰り途
中探してみたいと思います。
夏休みに自動車学校(教習所)で免許を取った時
の話。
9月後半に夜中、実習で車を走らせているとうっ
すらと畑に案山子が何体か佇んでおり、人間の服を
着ていたものだから驚いた。
翌日に、朝も夕方、昼時も同じ道を通ったが、か
わらず案山子はそこに立っていた。
名月にけろりと立ちしかゞし哉(かな)(一茶)
この句を読んで何体かの案山子のことを思い出し
た。
名月にけろりと立ちしかゞし哉
山口は田舎なので畑や田んぼに案山子がよく立っ
ているので風景が頭に浮かびやすく、この詩から寂
しさも伝わってきた。
名月にけろりと立ちしかゞし哉
<感想>
この俳句を読んで秋の季語として案山子が入って
いるが、これを入れることで一体ぽつんと立ってい
る案山子のさみしい感じが秋のさみしい感じとリン
クしていると思った。
宮島の鳥居も鹿も海に立つ (鷹羽狩行)
「鹿」の単語は秋の季語であるらしいが、田舎の
山道はもちろんだし、奈良や宮島にいる鹿も年中居
るイメージがあるので少し意外な気がする。私が宮
島を訪れた時、海に鹿はいなかったけれど、砂浜に
はいたので、情景がすぐ思い浮かんで一番好きだな
と感じた。
(編者)鹿の交尾期は秋で、この時期の鹿の声は哀調
を帯びて物悲しく聞こえ、それを愛でて、鹿は秋の
季語とされています。
鷹羽狩行氏の俳句を読んで今の季節の宮島に行き
たいとおもいました。
宮島の鳥居も鹿も海に立つ
感想
高校生の頃に初めて、宮島に行った際、潮が引い
ていたため、赤い鳥居が見えたのを思い出すと共に、
鹿が海辺に多くいたことを懐しむことができる俳句
で非常に面白いと感じた。
<感想>宮島の鳥居も鹿も海に立つ
私の出身が広島ということもあって、この句を見
た時、すぐに宮島の風景が頭に浮かんできました。
宮島の鳥居は海の上にあるのが印象的で、小さい頃、
鳥居のすぐ下まで行って大きな鳥居を見上げたこと
を思い出しました。
”宮島の鳥居も鹿も海に立つ”という詩を読んで、
宮島の美しい景色が思い出されて、行ってみたいな
という気持ちになりました。
宮島の鳥居も鹿も海に立つ
・先月、宮島へ行ったのですが、鳥居は工事中でし
た.工事が終わったら行きたいです.
・宮島の鳥居も鹿も海に立つ
・感想:「鹿」という語が季語であるということに
驚いた。鳥居の朱から紅葉の葉の朱が連想
され、秋が感じられる短歌だと思った。
(編者)「俳句」です。
鷹羽狩行さんが書いた
宮島の
鳥居も鹿も
海に立つ
という俳句の季語がどこにあるのか
分からなかったです。
宮島の鳥居も鹿も海に立つ (鷹羽狩行)
宮島の情景が見事に表現されていて心が落ちつき
ました。鳥居だけでなく、鹿も海に立っているとい
う表現が斬新だと思いました。
「宮島の鳥居も鹿も海に立つ」という俳句について、
短い文だけど、とても宮島の風景が思い浮かんで良
いと思った。
感想「怨(うら)み顔とはこのことか鯊の顔」
(能村登四郎)
今回この句を読んで、小さい頃この季節になると
鯊を釣って遊んでいたことを思い出しました。当時
から独特な顔とは思っていましたが、怨み顔と称し
た筆者のセンスに驚かされ、またある種納得させら
れました。
”怨み顔とはこのことか鯊の顔”に対する感想。
はぜの明るくはなく暗い表情を見て、怨み顔をお
もったのが興味深いなと思った。はぜの顔をまじま
じと見て、安西均の詩集から、はぜの顔に対して心
がないような様子を回想する野村登四郎は面白いな
と思った。
怨み顔とはこのことか鯊の顔
秋の旬であるハゼを釣った時の俳句だと思う。
調べたところ、ハゼは秋から冬に海に下って産卵
をするらしく、卵が産めなかった悔しさからもうら
みを作者は感じているのだと思う。
怨み顔とはこのことか鯊の顔
・人の表情を別の生き物の顔に例えて表現している
のが面白いと感じた。
『梨を剥(む)くきれいな夜に会いたくて』
(山本恵子)
この句が一番好きだと思いました。理由は想像が
できるからです。”梨を剥くきれいな夜”に会いたい
のかそれとも梨を剥くきれいな夜に”だれかと”会い
たいのか。
どちらでもすてきな夜だと思うけれど、もし後者
なら会いたい相手ば梨が好きなのかな?など想像が
広がってすてきだと感じました。
秋の季語に梨がありますが最近は夏にしか梨が食
べられないのでイメージと現実はちがうなと思いま
した。
梨を剥くきれいな夜に会いたくて
感想
梨を食べたくなりました。切った梨は三日月
のように見える気がします。
梨という秋の季語があることで”きれいな夜”が秋
のきれいな月の夜に会いたがっている光景が浮かん
だ。
秋の詩を見て1つひとつに秋を感じるなと思った。
秋は少し寒くなることでなぜかさびしさや悲しさ
もありそれが色々表現されていた。
秋の俳句は少しの涼しさや澄んでいるようにも感
じさせてくれる気がする。
秋が暮れる頃の情緒を叙情的に表現していたのが
印象深かったです。また秋の暮に秋を感じるという
ことも印象的だったんです。秋の涼しい空気が感じ
られるようでした。
秋の季語はあまりすぐに思い浮かびませんでした。
季語に”爽やか”があるのに驚きました。
爽やかや風が運ぶ色あせた(?)葉
下関市大【第5回目俳句感想文】
横にゐて横顔ばかり見て夜長 (小島花枝)
隣にいる人への近くいるのにどこか遠くにいるよ
うな気持ちが思い起こされ、印象に残った。
小島花枝氏の詩はロマンス感る詩で好きです。
(編者)「感る」は「感じる」?
ふるさとは川の上手に月のぼる (京極杞陽)
(感想)
実家に帰りたいという、少しさびしい気持ち
になりました。
ふるさとは川の上手に月のぼる
感想
自分は田舎の方に住んでいるので秋になってくる
と空も快晴でこのような風景をよく見るのでとても
共感できる。
ふるさとは川の上手に月のぼる
ふるさとは上手から月が登るが、今いるところで
は月は川の下手かまたは別のところからあがるのだ
ろうと思いました。ふるさとへの郷愁が感じられ、
しみじみとしました。
京極さんの詩が印象的でした。
この詩は主に田舎の風景にみられるのではないか
と思いました。私も田舎育ちなので、この詩の情景
が映像として頭の中に流れてきて、どこか懐かしさ
を感じました。
月
・恐竜の骨月光に起きむとす (有馬ひろこ)
恐竜の骨と月光という組み合わせが個人的に
好きです.
「恐竜の骨月光に起きむとす」
実際に恐竜が起きようとしているわけではないが、
月は恐竜が生きていた時代もあったはずなので月光
の光でより目立って見えたのではないか。恐竜の骨
が月光に照らされていたら、恐竜の時代を想像して
しまうだろう
「恐竜の骨月光に起きむとす」という俳句について、
自分ではどういう状況なのかあまり思い浮かばなかっ
たが、”恐竜の骨”というワードが新鮮で良いなと感
じた。
恐竜の骨月光に起きむとす
夜中の博物館に行ってみたいと感じました.
ああああと畳に赤子秋の山 (鈴木鷹夫)
感想
最初の4文字がインパクトがあり、見慣れない文
字の使い方だと思った.
ああああと畳に赤子秋の山
まるで日本昔話に出てきそうな光景だと感じた。
「畳」という語が使われているからか、「和」を感
じる歌だった。
ああああと畳に赤子秋の山
俳句に、「ああああ」と叫んだ様な描写があるの
は珍しいなと思って印象深かった。
好きな俳句をつくっていいんんだなと思った。
ああああと畳に赤子秋の山
<感想>
俳句に「ああああ」と4字同じ字を使っている
のがとても新鮮な気持ちになった。
鈴木鷹夫さんの俳句を読んで、「ああああ」と4
つ同じ文字を並べるのはびっくりした。
すごい感性だ。
感想 石投げて広がる波紋秋の湖(うみ)
(小森広司)
秋の湖に石を投げて、水面の波紋が揺れる様を表
している非常に日常じみた面白い作品だと感じた。
黒葡萄こころ痺(しび)るるほど食べて
(鍵和田ゆう子)
食欲の秋というだけあって秋になると食欲が湧く。
この時期に食欲が湧く理由を医学的に証明できるの
か気になる。
葡萄ではないが、幼いころいちご狩りに行って、
食べすぎが原因で腹をこわしたのをこの句を読んで
思い出した。
(編者)名前の「ゆう」(禾+由)のフォントがない
ため、ひらがなにしました。鍵和田先生すみません。
黒葡萄こころ痺るるほど食べて
こころが痺れるほどの葡萄とは、どれくらいの
量なのでしょうか。たくさん葡萄を食べたからこ
ころが痺れたのでしょうか?
<感想>黒葡萄こころ痺るるほど食べて
私の中で、秋といえば食欲の秋なので、この句
に一番”秋”を感じました。
実家にいたころ、秋になるとぶどうが大好きな
親がよくぶどうを買ってきてくれていたのを思い
出しました。
○黒葡萄こころ痺るるほど食べて
今まで、ぶどうの色といえば紫だと思って
いたため、ぶどうを黒色と表現するのが新鮮
だと感じたから。確かに、高級な巨峰などは、
黒々と輝いて、おいしそうに見えると思った。
朝市に買ふ秋鯖の海の色 (小黒露村)
秋の味覚の魚のイメージは鰹と秋刀魚である。
秋じゃなくてもサバは売っているし美味しいけれ
ど、食べてみるのもいいなと感じた。
(編者)漢字「鰹」から「臣」が欠けてますが、
「鰹」(かつお)の書き間違いと取りました。
感想:秋鯖を季語としている俳句は朝市と海と冷た
い印象を抱かせるような言葉が使われていたの
で、寒さをとても感じさせられる俳句だと思い
ました
○感想 「朝市に買ふ秋鯖の海の色」
鯖の体表の色を「海の色」と称するセンスに驚
かされました。確かに海の魚である鯖が生まれた
場所の色に染まっているのではないかという考え
方はある種非常にロマンチックなものなのではな
いかと思います。
朝市に買ふ秋鯖の海の色
感想: 今日の昼飯はちょうど”さば”を食べました。
今もちょうど秋の尾まで来ました。秋や冬はや
はりさばが食べたくなります。この俳句ではさ
ばの色を海の色と述べたが実際に自分は調理前
の鯖を見たことがないです。この俳句を契機に
検索したさばの写真はまれなブルーでまさに海
の色だと思います。
秋の山の最初の始まりがとても新しいように感じ
た。また、葡萄の詞も情景が浮かびあがるような気
がした。
個人的に今回の俳句の一覧はどれも難しかったよ
うに感じました。少し今回の作品は総じて難しかっ
たです。
(編者)どんな俳句が皆さんにぴったりなのか、僕も
手探りです。
下関市大【第6回目俳句感想文】
行く秋や雲はあはれに水はかなし (青蘿)
青蘿さんの詩が印象的でした。秋から冬に変わり
始める頃の空の様子や水などの自然に表れるもの悲
しさがとても伝わってきました。この詩では空や水
について触れられていますが、枯葉や冷たい風など
という冬に変わる情景も浮かんできました。
秋深しロダンは考へこむばかり (鶴田独狐)
○文の構成が少し変わっていてオシャレな詩だと感
じました。考える人という作品は知っていました、
が、ロダンという名前は知らなかったのでそこも
知れてよかったです。
秋深しの詩が好きだなと思いました。東京で見た
ロダンの「考える人」の像を見ながら作られた詩な
のかなと思いました 考えにふけるロダンと秋にふ
ける深さがかけてあるのが面白いなと思いました。
流れゆく時ゆるやかに秋の海 (日下野由季)
・人が多く集まる夏が終わったことで、それまで忙
しくなく流れていた時間がゆるやかになったことを
海の流れに例えて表現しているのが素晴らしいと感
じた。
(編者)「忙しくなく」は「忙しく」?
流れゆく時ゆるやかに秋の海
海は夏のイメージがあるが、秋の海も季語として
使えるのが意外だ。
秋の海も見に行ってみたい。
とっくんのあととくとくと今年酒(鷹羽狩行)
鷹羽狩行の俳句が文字の並びが面白いなと感じま
した。ほとんど平仮名だということでぱっと目を引
くのに加え、実際に読んでみると音が凄く遊び心が
あるなあと思いました。
排句なのに5・7・5じゃないものが存在するこ
とは知っていても、実際の句を見ると違和感が大き
い。字数も異なっていると排句だとはなんとなく受
け入れがたい。
「なんと丸い月が出たよ窓」(尾崎放哉)
(編者)「俳句」です。
○なんと丸い月が出たよ窓
美しい月を見ることができた嬉しさがリズム
感のよいこの俳句によく現れていると思ったか
ら。
月見 なんと丸い月が出たよ窓
秋の空といったらやはり満月だと思います。つい
最近までの秋の空の月はすごくきれい.部屋の中に
あるちいさい窓で時々月を見てたです。満月の日は
少いが、満月が出る時の丸さは秋の名物だなと思い
ました.この俳句が書いたのは意外にシンプルが、
美しいと思います。
腹わたはどうも苦手や秋刀魚食(た)ぶ
(高木晴子)
(感想)
秋の季語である「秋刀魚」を用いた俳句で、
多くの人が苦くて得意ではない腹わたのことを
言っており、自分もその部分に共感することが
できた。
小さいころは秋刀魚を食べるのが下手だった。
秋刀魚に限らず、魚を上手く食べるのが苦手だっ
た。
ぜいたくな悩みだが、最初はとてもおいしいが終
盤は味にあきていたのを覚えている。
今だに腹わたは苦手だが、最近は魚のおいしさに
気づけるようになり、きれいに食べれるようになっ
ていると思う。
魚料理はあゆの塩焼とからすかれいの煮つけが好
きだ。
腹わたはどうも苦手や秋刀魚食ぶ (高木晴子)
感想
腹わたはどうも苦手や秋刀魚食ぶ
秋刀魚のお腹の黒い部分は独特の味がして、苦手
なので、この俳句に共感を感じた。
腹わたはどうも苦手や秋刀魚食ぶ
とても共感しました。サンマの腹わたは口に合わ
ないです。
「腹わたはどうも苦手や秋刀魚食ぶ」
自分もさんまの内臓部分は苦手なので共感できた.
ただ、秋といえばさんまなのでもっと食べたいと思
う.
腹わたはどうも苦手や秋刀魚食ぶ
私もサンマのはらわたが得意ではないので印象
に残りました。けれどあの苦みが秋を感じさせる
のかもしれないと思いました。
さんまよりカツレツが好き子は育つ
(尾村馬人)
秋の美覚の代表であるさんまをおいて、カツレツ
に焦点をおいた俳句は珍しいなと思った。
(編者)「美覚」は「味覚」?
さんまよりカツレツが好き子は育つ (尾村馬人)
秋の句であるさんまを楽しむことを知らない子ど
もも、好きな物を食べて元気に育っていれば良いと
いう親心の様なものが感じ取れた。
感想
一つ来し秋の蚊打って目醒めけり(長谷川かな女)
秋になると必ず一回はあるので
すごく共感できて、とても気に入りました。
普段の生活の中で起こることを、
俳句で表せるのは、すごいことだと思った。
一つ来し秋の蚊打って目醒めけり
稀に見る秋の蚊に共感を覚えると同時に、昼の太
陽の下は暑く夜は寒いという夏から秋への移ろいを
感じる短歌であった。
(編者)「短歌」ではなく「俳句」です。
一つ来し秋の蚊打って目醒めけり
感想 今頃蚊は見たことがないのでめずらしい希語
だと思った。蚊といえば夏っぽい。
(編者)「季語」です。
秋の蚊はよく分からなかったのですが、蚊は夏の
イメージがあり、
秋の蚊もあるんだな、と思いました。
<感想>一つ来し秋の蚊打って目醒めけり
真夏に大量発生していた蚊がいなくなっていたの
に最近また増えてきて、私もこの句のように最近蚊
に刺されて目が醒めてしまったのを思い出しました。
最近は夜はもちろん昼間も寒くなる日が増えてきて
いるように感じます。
感想
秋刀魚の腹わたや蚊など他の句よりも身近に感
じられる句が印象に残りました。私も秋刀魚に限
らず魚の腹わたが苦手ですし、先日に蚊を退治し
ようと苦闘したばかりだったので、今昔関係なく
日本人は同じ悩みを抱えるのだなと感慨深くなり
ました。
雲や空、海に関する俳句が多いように感じた。海
といえば夏というイメージなので少し不思議に思っ
た。また食べ物に関してのものもあり、食欲の秋が
関係するのだろうかとも思った。
詩の中でもユーモアがあり、その詩を想像すると
笑みがこぼれる感じがした。
下関市大【第7回目俳句感想文】
海辺の町両手をひろげ冬が来る (岡本眸)
冬になり、朝方早くに深呼吸をして吸った空気の
冷たさに冬の到来を感じつつ、町の変わらぬ日常を
始める様子が伝わってきた。
海辺の町両手をひろげ冬が来る
最近、特に朝・晩がかなり寒くなり、秋が終わ
り、冬が近づいて来たなと感じていた。そのため、
自分のなかで情景を思い浮かべやすかった。
跳(とび)箱の突き手一瞬冬が来る (友岡子郷)
勢いよく跳んだ時のここち良さを冬に例えて
いるのかなと思った。
跳箱の突き手一瞬冬が来る
跳箱をうまく飛ぼうとする緊張感や冬の冷えて
澄んだ空気が伝わってくる.躍動感のある句だと
思いました.
跳箱の突き手一瞬冬が来る
感想 なぜ跳箱を突くと冬が来るのかは、わからな
いが、一周回って意味がよくわからない句が好
きです。
跳箱の突き手一瞬冬が来る
<感想>
この俳句を見て、ものすごく共感しました。
大体の人がこれを経験したことがあるのではな
いかなと思います.突き指は寒いとしやすくなる
ので、冬が来たと感じる気持ちが分かるなと思い
ました。
跳箱の突き手一瞬冬が来る
(感想)
跳箱などのものを冬に触ると冷たくて、
辛いのを思いだしました
感想
肌寒くなったなどそういった実体のない寒さを俳
句にしているものは多くみてきましたが、今回あっ
た跳箱に手をついてその表面の冷たさで冬の寒さを
表している句は跳箱という実体のあるもので寒さを
表現していたのが印象深かったです。確かに自分に
も跳箱の表面に冷たさを感じたことは何度もあった
ので不思議とすんなり想像できてしまったのも面白
かったです
友岡さんの詩が印象に残りました。冬は空気が冷
たいため、跳箱さえも冷えているというのが伝わっ
てきました。小学校の体育の時間を思い出し、とて
も懐しい気持ちになりました。
跳(とび)箱の突き手一瞬冬が来る (友岡子郷)
跳び箱を冬にやると、手をついた瞬間だけ、
ひんやりとした感覚を味わうことがあったので、
その情景が浮かんできてなつかしく感じました。
秋雨のバス待てば疾(と)く暮れにけり(及川貞)
秋・冬は日が暮れるのが早く、いままでは明るい
時間に来ていたバスも、同じ時間でも暗い時間のバ
スになりますね
”秋雨のバス待てば疾く暮れにけり”の感想。
秋・冬となり、どんどん暮れるのがはやくなるの
を毎年感じるが、秋雨を用いてバスを待っている間
に暮れてしまうと言い、日暮れが早くなっている様
子を表していてバスという言葉を使うのが、すぐに
過ぎていく(季節が)のを表していて面白いと思い
ました。
○感想「秋雨のバス待てば疾く暮れにけり」
この所日に日に日没が早まってきている中で、暗
くなる秋雨が降りやまぬ中でバスを待っている情景
がハッキリとイメージでき、非常に印象の残りまし
た。しとしとと降る秋雨特有の雰囲気を思い出せた
ように思います。
夜食してあたま濁ってしまいけり(梅本豹太)
夜食をしてしまった際に、罪悪感から頭を抱え
てしまう情景が思い浮かんだ。
夜食してあたま濁ってしまいけり
<感想>
夜食を食べて作業を頑張ろうというイメージが
強いけれどこの俳句を読んで確かに夜食を食べたこ
とで眠たくなったり、何の料理か考えてみたりご飯
のことを考えて、作業に集中できなくなることもあ
るなと思いました。
感想
夜食してあたま濁ってしまいけり
夜食という単語が季語として使えることに驚
きました。夜食をすることであたまが濁るとい
うことは、眠くなるということかなと思いまし
た。
うつくしや鰯の肌の濃き淡き (小島政二郎)
感想
寒くなるにつれて、旬を迎える鰯がますます美
味くなる様がうかがえて、非常に面白い.
食卓にいつも二つの林檎あり (武智徳子)
・いつも二つの林檎ありという表現から、食事をす
る際には1人ではなく、複数人で食卓についてい
る場面を想像することができ、分かりやすい表現
だと思った。
食卓にいつも二つの林檎あり
実家の食卓にいつも並んでいた物・置いてあった
物は、一人暮らしをしているとふいに思い出し懐し
い気持ちになるが、それと似た感覚をこの歌に覚え
た。
林檎の俳句についての感想
日常のありふれた情景が思い浮かんでとてもい
いと思った。
今は散るのみの紅葉に来たり会ふ (細見綾子)
今の季節にぴったりでとても秋の終わりを感じ
る。
<感想>今は散るのみの紅葉に来たり会ふ
この句では紅葉は散り始めているが、この地域で
はもみじが色づき始めていて、やっと秋を感じられ
るようになってきたと思う。もちろん真っ赤なもみ
じが咲き誇っているのも美しいと思うが、散ってし
まったもみじが地面にじゅうたんのように広がって
いるのもまた違う美しさが感じられる。この句はそ
ういうことを表しているのではないかと感じた。
「流れには憩(いこ)ひ
濃紅葉(こもみじ)には歩く」(藤崎久を)
紅葉を見ているとき一番秋を感じる時で見るだけ
でも休らぎを与えてくれる感じがする一句だと感じ
る
(編者)「安らぎ」です。
秋の季語は本当にたくさんあるのだなと改めて思
いました。
さんまだけでなく、鰯も季語になっていることに
驚きました。鰆や鰍など魚食が昔から盛んだったか
らこそ季節と魚が結びつくのだなと感じました。夜
食が季語なのも意外でした。
冬になると夜に着目した句が増えるように感じた。
また空や旬の食材に注目した句は年間通して多い。
海辺の町両手をひろげ冬が来る(岡本眸)
という句はとてもすてきだと思った。
日常生活、身の回りにあるモノなどで
季節を感じたり、日本の四季をこの詩たちを
通して秋冬が来たんだとさらに感じた。
秋の俳句なので、食べ物に関連する俳句が多く見
られるなと思った。
冬が来るときですが、まだ冬が来ていない頃の気
持ちが感じられて印象的でした。冬を待つ気持で読
みました。冬が来る前の赤い色彩が感じられたのも
印象的でした。
(編者)ここからは前回までの俳句の手本についての感想です。
”流れゆく時ゆるやかに秋の海”(日下野由季)と
いう詩をよんで秋のおだやかな波の海を眺めながら、
空には星空がかがやいている美しい景色が思い浮か
びました。
”ふるさとは川の上手に月のぼる”(京極杞陽)と
いう詩から先日見た皆既月食の美しさが思い浮かぶ
と同時に、部活帰りに毎日みていた.高校生のとき
がなつかしく感じられました。
翻車魚(まんぼう)の揚(あ)がる港の月夜かな
(宮坂静生)
まんぼうが普通に海を泳いでいる想像がつかない。
「揚がる」ということは食用だったのだろうか。調
べたいと思う。