水大歳時記(令和三年度)

 冬 の 部

       

  冬が来て、日の出が遅れ寝坊する。

  紅の路を遺して散るは冬

  息白く澄みたる空や冬はつとめて

 

  初冬(はつふゆ、しよとう)

  初冬の白き恋人の手と月と (深尾航一郎)       (月は秋の季語(?)ですがここでは物体として使い         ました)

  冬はじめ並ぶ二つのマグカップ

 

     立冬、冬立つ

  冬が立つ    雪が降る     色も音とも      今は白

  寒い朝ふとんに包まる冬きたる

 

       冬めく

  厚着して一人冬めく街の中

 

     師走(しはす)

  師走の夜町を歩くととても寒い。

 

       年の暮

  年の暮朝の七輪夕に灰

  来年の幸せ願う年の暮

 

    大寒(だいかん)

  潮流は西へ東へ源平の      旗浮かばれし大寒の海

 

       冬の朝

  冬の朝玄関開ける風寒し

  冬の朝ココアとパンと君の声

 

       冬の夜

  冬の夜や今日も10km弱走る (自作)       (編者)私の去年の実体験を読みました。

 「不合格」我泣き叫ぶ冬の夜           (自作)(才能ナシ)       (編者)迫力ある力作だと思います!

 

       冬の水

  蛇口より出でるは冷たき冬の水

 

     蒲団(ふとん)

  疲れ切り ふとんにくるまり すやすやと

 

       マスク

  マスクして顔の表情見えにくい。

 

    寄鍋(よせなべ)

  肌寒い講義終わりに鍋囲む

 

       おでん

  帰り道暖を求めておでんかな

 

       息白し

  息白く日暮れもはやし きたる初冬

  待ち合わせ吐く息白く頬赤し

 

      クリスマス

  クリスマス君が来るのを駅で待つ

 

     海豚(いるか)

  イルカ描く落書きれてクジラみたい       (編者)イルカ(=クジラ?)、波、2本だけ触手         がやけに長いイカのイラスト略。

 

     鮪(まぐろ)

  とろろかけわさび醤油で食ふ鮪

 

   金目鯛(きんめだい)

  金目鯛見た目が大きい金魚のよう

 

     牡蠣(かき)

  冬に食ふ、鍋の牡蠣は美味しいな.

 

   冬薔薇(ばら、さうび)

  いつ見てもきれいな蕾冬ばら

 

       冬紅葉

  かなしみも冬紅葉もあつめて焚く

 

      紅葉散る

  紅葉散り1年の終わり感じけり

 

       枯葉

  日が沈み枯葉を落ちて寂しけり       (編者)「枯葉が」、「枯葉も」?

 

      学生生活

  気温差に驚く我の手にうちわ  私(作)       (熱帯地域では一年中夏なので、それにふれてびっく         りした昔の十二月の私を読みました。)

 

      エッセイ

  ひとりより ふたりまたよし おでん鍋  一人でおでんを食べても温まるが2人、また3人 と多くの人と、おでんを囲んで食べた方が身も心も 温まる。

  蜜柑をひとつふたつ数える浜辺  メルヴィルが描く『白鯨』の世界の広さに驚かさ れました。自分はあまり信心深い方ではありません が、神秘的な海に神を重ねて畏れる船員とそれでも 狂気的にモビー・ディックを追い求めるエイハブ船 長の対比が印象的でした。当時は海を安全に渡りな がら漁を行う訳にはいかないかったはずなので、彼 らが海や鯨に対して立ち向かう際に神を思うのは必 然的だったのかも知れないと感じました。  これはまた別の疑問なのですが、日本の鯨狩りで は肉、骨、鯨油、皮の全てを利用していたといいま すが、『白鯨』の時代鯨の肉はどうなっていたので しょうか。       (編者)肉は保存がきかないので、海にほっとかれた         ようです。一部は船の中で食されたと思います。

  蜜柑むき手が黄色いと子が笑う  「蜜柑むく」というのを読んで、昔、蜜柑をむい ていた弟の手が黄色くなっていることを思い出し、 排句を作ってみた。  弟とは歳が13個離れているので、黄色い手に驚く 姿が新鮮でみんなで笑っていたことを思い出して詠 んだ。       (編者)「俳句」です。

  窓の結露手をこすり起きる初冬や  自分は最近、窓が湿っているのを朝起きてみると、 冬のはじめを実感する。今年も1年とても早かった とすごく感じる。

  手をこすりそそくさと帰る雪道   かじかむ手暖を求めて家族の輪  寒いといつも自分は暖を求めるので、その気持ち や行動を俳句にしてみました。

自作「マスク」 ウイルスと、表情遮る、マスクかな 脱マスク 早くしたいが したくない  (マスクをつけなくて良くなることへの、葛藤。   苦しくて、肌荒れするから外したいという気持   ちと、顔を隠すものがなくなって恥ずかしいか   ら、外したくないという気持ち)

 真魚鰹という魚の名前も写真も初めて見た。青魚 のような色合いで、熱帯魚のようなかたちをしてい る。さらに、”かつお”が名前に入っているのに”かつ お”とは関係がないところもまたおもしろいと感じた。       (編者)お手本で用いられている「まながつお」の漢         字(魚偏+昌)がないので、別の漢字を用います。         「まながつお」の簡単なイラスト略。

 

【第8回目俳句感想文】
冬  四季載せて今冬載せて海はあり(中村草田男)   自分の地元は海が近く、海に行くことも多かっ  た。実際に海は夏に行くイメージがあるが、冬の  海の方が自分は好きだ。冬の海で、他の季節とあっ  とうてきにちがうのは、周りの環境と水の温度で  ある。特に周りの環境の面では、まず人が少なく  静かな海を楽しむことができる。しかし、この静  かな海であると表現できるのも、夏のあのにぎわ  しい海があるからである。このように何1つ海がな  くても、海は表現できないと思った。また、この  冬に筆者は何かあったのかと感じた。

「四季載せて今冬載せて海はあり」、海は不思議な ものであり、四季春夏秋冬を反映している。まるで 鏡みたい。冬の海は宝庫、色々な魚やおいしいもの がある。

<四季載せて今冬載せて海はあり>  海は春、夏、秋、冬と時期によって情景が違って 見えるのだなぁとこの句を見て感じました。また、 今月は11月ということもあり今年の終わりが近づい ていることも感じられ、少し儚さを感じました。

冬が持つ白きあかるさの中をゆく(加藤かけい) (感想)  ”雪”という言葉を使わず、”白きあかるさ”という  言葉で間接的に雪景色を表現している点が良いと  思った。冬の綺麗な部分が良く表現されていると  思った。

  冬が持つ白きあかるさの中をゆく  冬になって真っ白な雪が降り積もり、白いあかる さの中、歩いている様子を思い浮かべました。冬に しか感じられない明るさにわくわくしていた頃を思 い出し、また子供のときのように雪の中歩くという ことをしたいと思いました。

「冬が持つ白きあかるさの中をゆく」という俳句で すが、私は、作者が冬、雪が降る深夜に、積もった 雪の上を歩いている情景を思い浮かべました。なぜ 深夜の光景を思い浮かべたかというと、私も昔同じ ような経験をしたからです。私は中学受験をしたの ですが、受験のため塾に通っていました。夜10時近 くの通り道、積もった雪に感動しながら帰った覚え があります。街灯に照らされた雪は淡い白で、明る かったです。

「冬が持つ白きあかるさの中をゆく」    自分は冬が好きなんだなと最近感じることが   多くある。冬の朝はどんなに寒くても早起きし  たくなるし、冬特有の澄んだ空気や空の青さは窓  を開けてでも感じたくなる。あの心地良い肌寒さ   を楽しみに四季を過ごしている。

〔冬〕(加藤かけい)  冬が持つ白き明るさという部分が、雪が降り積も り白銀に包まれる風景を思わせていて、その中を進 んでいく光景が目に浮かんでとても綺麗だと感じま した。  冬の楽しみの一つでもある雪を早く見てみたい気 持ちになりました。

 加藤かけいの「冬が持つ白きあかるさの中をゆく」 について。  冬が持つ、白くてあかるいといえば、すぐに雪が 思い出された。また、この俳句を読んで、小学生の 頃の登下校を思い出した。小学生の頃、雪が降り、 積もった道は、太陽の光に照らされて、白く明るく、 いつもより町が明るくなっていた。その中を、列に なって、歩いて、学校に向かったり、学校から帰っ たりしていたなと、懐しい日々を思い出した。

  冬が持つ白きあかるさの中をゆく  この歌は雪に光が反射をして白くかがやいている という視覚的な白さと冬の動物(ウサギなど)や植 物(ダイコンなど)の白というイメージから来る白 さを意味していると思う。

  冬が持つ白きあかるさの中をゆく(加藤かけい) (感想)雪が積もって景色が白に染まっている様子 がすぐにイメージでき、確かに雪による白い明るさ は冬という季節特有の明るさだなと思い、納得しま した。       (編者)雪だるまのある、雪降る輝く野(?)を歩く         丸と線と描かれた二人の人のイラスト略。

冬が持つ白きあかるさの中をゆく(加藤かけい)  僕の地元がとても雪が降っていて、とてもその景 色が好きだったなと思い出させてくれる排句でした。 積もった雪は車が出発するのを除ましてきていたけ どそれもいい思い出だなとしみじみ感じました。       (編者)「俳句」です。「除ま」は「邪魔」?

 私は冬が持つ白きあかるさの中をゆくが良いと思っ た。  なぜなら、冬に雪がふって積もり、そこに反射す る太陽の光にまぶしいと感じながら進むのを鮮明に 想像できたからだ。特に、スノーボードをしている ときの感覚に似ていて面白いなと感じた。

「手をつなぎくる湖の小春波」(能村登四郎)  湖の上でボートに乗って恋人と手を繋いで湖のの どかな雰囲気を味わっている姿が想像できます。そ んな日々が訪れるといいなぁ。

 能村登四郎さんの俳句は、10月の春に似た心地の 良い天気の中で、誰かと手をつなぎ湖を訪れいるこ とが想像できる句となっている。作者は、息子が二 人いたが、二人とも病気で失っている。この句は、 その息子の二人と手をつないで歩きたかったという 願望が含まれていると考える。  湖の水面を軽く揺さぶるような波を小春波という 言葉で表しているところに技術を感じた。この句は、 小春日和の穏やかな情景とともに、このような日常 の幸せを感じ取りたかったいという二つの意味があ ると考える。       (編者)「訪れいる」、「取りたかったい」は「訪れ         る」、「取りたかった」の書き間違いですね?

  小春日や笑ひの渦(うず)のなかに母(石嶌岳)  小春日という季語が春のものではなく、晩秋から 初冬にかけての暖かく穏やかな晴天を表現した言葉 だということを最近知った。この句も春になって暖 かくなったのを表現しているのではなくだんだんと 寒くなるなかでめずらしく暖かい日をすごす家族の 様子を表現しているのだろうと思う。

  はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな(草間時彦)  寒くなってきておでんのおいしい季節になってお でんを作っている様子があったまる.

はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな  私はこの俳句が最も印象に残った。季節は今ごろ か、12月ごろだと考えた。寒くなってきたので、お でんを作って食べている様子が想像できた。私も、 この俳句を見ておでんを食べたいと思った。そのた め、このおでんの俳句が最も印象に残った。

  はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな  今回はこの句が最も印象に残りました。家族団ら んで一つの鍋を囲んでいる様子が思い浮かびました。 実家にいるときは冬によくおでんが食卓に出ていた ので非常に懐しい気持ちになりました。

  はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな  先日、ゼミの先生の家でおでんを食べ、学校の話 や私生活の話などをしました。同じ鍋をつつきあっ て、無駄話をすることは本音で意見を聞けたり、自 分も素直に話すことができ、とても有意義な時間で した。この句と同様に先生の作ったおでんのはんぺ んは浮き、たまごは沈んでいました。

 私が一番印象に残った句は、草間時彦さんの「は んぺん浮き玉子沈めるおでんかな」という句である。 この句をみたときに、家族でおでんを囲みながら会 話をしたり食べたりしているときのことを思い出し た。その光景を思い出させてくれる句だった。

  ぐちぐちと愚痴(ぐち)をこぼしておでん煮え                  (清崎敏郎)  私もおでんに限らず、友人との食事中に愚痴をこ ぼしがちのなので、私自身のことを表した句のよう に感じました。あまり愚痴ばかりこぼさず、明るい 話題を話しつつ、年末年始を迎えたいなと思いまし た。昨年はあまりおでんを食べなかったように思う ので、これから食べたいと思います。

  ぐちぐちと愚痴をこぼしておでん煮え  ダジャレやん、と思った。 「こぼして」と「おでん煮え」の所がかかっていて いいなと思った。

 ようやく「冬」に入ってきました。「冬」と言え ば、おでんですね。今日の俳句の内容がとてもおも しろいです。「ぐちぐち」という表現とともに「愚 痴をこぼした」を使うことで「ぐち」を3回も出て、 読み上げると、斬新な感じがしました。

選んだ俳句 ぐちぐちと愚痴をこぼしておでん煮え (感想) ・年末にお父さんと息子がコタツの中で温まりなが  らお互いの仕事の愚痴をこぼしつつ煮えたおでん  をつつきながらお酒を飲んでいるような情景が想  像できてとてもほっこりした。 ・ぐちで韻を踏んでいるので、リズミカルかつスピー  ディーさが俳句に生まれていて読んでいて楽しい一  句であった。   この作者の他の俳句も読んでみたくなるぐらい  個人的にこれまでの講議の中で上位に来た。       (編者)「講義」です。

 「ぐちぐちと愚痴をこぼしておでん煮え」   まず情景として、仕事帰りのサラリーマンが家 に帰る途中で屋台のおでん屋により、店主に仕事や 家庭の不満をもらしている様子が浮かびました。 「ぐちぐち」はおでんを煮込む「グツグツ」と「愚 痴」が掛けてあり、言葉遊びのユーモアを感じます。 また、「ぐちぐちとぐち」と五感の良い言葉が続く ことで、句全体にリズムが生まれ、不満をこぼして いる場面ながらも、どこか明るさが生まれていてお り、この句の主人公の将来に対する希望が込められ ているように感じました。

新海苔の故郷の海の香をあぶる (高橋悦男)   新海苔をあぶったら磯の香りがして、故郷の海 を思い出したのかなと感じました。下関も海が近い のでいつか将来、海苔を食べるときに下関を思い出 すことがあるのかなと思いました。

  新海苔の故郷の海の香をあぶる  新海苔が季語に使えることを始めて知りました。 海苔の季節を知ることができてよかったです。

金目鯛大き虹彩(こうさい)の目を持てる(山元貞)  金目鯛が冬の季語であることと深海魚であること は知らなかった。一人暮らしでは金目鯛をしっかり 調理して食べることはないので少し懐しくなり、買っ て煮付けにしてみようかなと思ってしみじみとした。 これを知って冬の料理であることを実感できたため 面白く感じた。

「金目鯛大き虹彩の目を持てる」  この俳句を読んだとき、金目鯛のように大きく目 を見開いて、授業を受けなければと思ってしまいま した。目を開いて昔の頃のように輝かせて授業を受 けたいと思います。

 私は金目鯛の俳句に最も興味をもった。この俳句 は、魚を食べている時の様子を想像することができ た。また、魚つりをしていて、金目鯛をつり上げた 様子も想像した。私は金目鯛を実際には見たことな いが、この俳句で金目鯛がとてもきれいな目を持っ ている魚ということがわかった。  そのため、私が今回の作品の中で、金目鯛の俳句 に最も興味をもった。

  蜜柑(みかん)むく      はてこんなことしてゐては(星野麥丘人)  わかりやすくて面白い句だなと思った。

蜜柑むくはてこんなことしてゐては 私も蜜柑があればついつい食べてしまう。勉強中に もついついむいてしまう。ふとして勉強しなくては、 と思うが、やはり食べてしまう。とても共感できる 句である。

蜜柑むくはてこんなことしてゐては (星野麥丘人)  私はみかんが好きなのでこの俳句をえらびました。 これは、私の推測ですが、この俳句に出ている人は みかんをたべているだけなくこたつにも入ってるか ら、そこから抜けだせず、こんなことをしていては と思ったのではないでしょうか。

  蜜柑むくはてこんなことしてゐては  私の中でこの句が最も印象に残りました。ボーッ としながらみかんの皮を向いていると、ふと我に返 りこんなことをなぜしているのだろうと思った作者 の心情が思い浮かびました。私もたまに無心になっ て無駆にみかんの皮を丁寧にむいてしまうことがあ るのでとても共感できました。       (編者)「向いて」は「剥いて」か「むいて」です。          「無駆」は「無垢」?

「蜜柑むくはてこんなことしてゐては」(星野麥丘人)  私はコタツで食べるみかんが大好きです。みかん の生産地で育ったのでみかんが旬の時期になると近 所の人や親せきからたくさん頂いて1日に何こも食 べていました。こたつに入ってぼーっとテレビを見 たり家族と話したり特に何もしないで流れていく時 間がなんともいえない幸せを感じます。

  蜜柑むくはてこんなことしてゐては  冬といえばやっぱりこたつとみかんが定番です。 本当は掃除や課題などやらなければならないことが あるのに、こたつに入って蜜柑をむいているとつい つい何個も食べてゆっくりしてしまう、という光景 を想像しました。焦らなくてはならないのに、こた つで蜜柑を食べながらゆっくりしている時間はとて も幸せです。これは誰でも一度は経験したことがあ るのではないでしょうか。

蜜柑むくはてこんなことしてゐては <理由>  蜜柑をただ何となくむいては食べ、いつのまにか 時間が過ぎてしまったというところが非常になつか しさを感じた。私の実家は愛媛県で、冬になるとよ く家に蜜柑があり、蜜柑のことを聞くと、ふるさと のなつかしい記憶がよみがえってくる。

蜜柑むくはてこんなことしてゐては  冬休み、課題をやらなくてはならないのにこたつ にもぐってひたすらみかんの皮をむいて家族と喋り ながら実を口に入れていたなと思い出した。実の美 味さももちろんだが、あの皮をむく感覚が楽しくて 手を伸ばしてしまう感覚は現代だけでなく昔からあ るのだろうと思った。

「蜜柑むくはてこんなことしてゐては」  冬は寒くて何もする気がおきない。  こたつに入ってボーッとテレビを見ながら、無意 識に自然にみかんに手をのばし皮をむく。むきおわっ たところでハッとし、課題や食器洗い等、やらなけ ればならないことを思い出すが、寒くてこたつから 出る気になれない。

蜜柑むくはてこんなことしてゐては  蜜柑をむいている途中に何かやらなければならな いことがあったような感じがする情景がすぐ頭に浮 かんだ.蜜柑に限らず、このようなことはよくある なと思った.

四季載せて今冬載せて海はあり(中村草田男)    海は1年中ずっとそこにあるものなので、ど   の季節にも対応していく自然の寛容な感じがし   ました。「載せて」のリズム感が好きです。 金目鯛大き虹彩の目を持てる (山元貞)    金目鯛のおっきな目が印象的で、唯一写真を   見て名前を言える魚なので、この句はわかりや   すく感じました。かっこいいです。

冬が持つ白きあかるさの中をゆく(加藤かけい)   雪が降って、一面、真っ白になっている様子が  分かる。 手をつなぎくる湖の小春波 (能村登四郎)   波が押しよせてくる様子を手をつなぎくると表  現していて、面白いと思った。また、この表現は、  穏やかな波だということを強調していると思う。

冬   冬が持つ白きあかるさの中をゆく(加藤かけい) (感想)冬における「白きあかるさ」というものを どう表現すればいいのか分かりませんが、言いたい ことはすごく分かるように感じました。他の季節に はないあの「あかるさ」というものは、冬のおける 気温によるものなのか、その要因こそは分かりませ んが、今の季節に合う俳句だと思いました。 おでん   はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな(草間時彦) (感想)玉子にもっと出汁を染みこませて、後で食 べるつもりなのか、その意図はよく分かりませんが、 個人的にはおでんの中で一番好きなのがたまごであ り、好きな食べ物は最後まで取っておく派なので、 作者と同じことを私もするだろうと思いました。

冬が持つ白きあかるさの中をゆく(加藤かけい)   雪が積もって真っ白な景色が頭に浮かんだ。   夜の間に雪が降って、朝になってカーテンを開  けるとまぶしいぐらいに白い世界になっているの  を見るのがすごく好きなので、雪が降るのが楽し  みになった。 蜜柑むくはてこんなことしてゐては(星野麥丘人)   テスト勉強や受験勉強をしないといけないのに、  こたつに入って蜜柑を食べる高校時代の自分を思  い出した。   この状況を俳句にした作者が面白いなと思った。

 はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな(草間時彦) の俳句を読んで、久しぶりにおでんを食べたいと思 いました。金目鯛大き虹彩の目を持てる(山元貞) では、昔は魚が嫌いで金目鯛などを好んで食べなかっ たので久しぶり金目鯛の煮付けなどを食べたいと思 いました。

・はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな(草間時彦)   昨日、おでんを食べたため、よくイメージがつ  きました。 ・金目鯛大き虹彩の目を持てる (山元貞)   金目鯛といえば大きな目が印象的なので この  句で金目鯛を想像できました。

はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな(草間時彦)  おでんを鍋て作って見たまんまのことを俳句にし ているだけだけど、誰もが感じることでなんか面白 さの中の温かさを感じられて良い。 蜜柑むくはてこんなことしてゐては(星野麥丘人)  こんなことしてゐては期限が過ぎる。こたつの中 で蜜柑をだらだらと食べていて、課題の提出期限が 近づいてしまうという、生活の中で感じることをつ なげて考えてみた。このように続きを読んだ者が想 像できるのは楽しいと思った。

「ぐちぐちと愚痴をこぼしておでん煮え」                (清崎敏郎)  愚痴を言っている様子とおでんの煮える音を重ね ているのがおもしろいと思いました。また、「煮え」 ということから、おでんが完成するくらいの時間愚 痴をこぼしていたのかなと思い、そこもおもしろい と思いました。 「蜜柑むくはてこんなことしてゐては」              (星野麥丘人)  他にやることがあるのに、こたつに入ってしまっ たがために、寒くて動きたくなくなり、そのままみ かんを食べている様子が浮かび、おもしろいと思い ました。

新海苔の故郷の海の香をあぶる (高橋悦男)   海苔をガスコンロで炙っている情景が浮かびま した。新海苔をご飯で一緒に食べようと火をつけ海 苔をあぶるとふと故郷のなつかしい海の潮の香りが して故郷を思い出しているのではないかと感じます。 蜜柑むくはてこんなことしてゐては (星野麥丘人)   やることがあるのにコタツでみかんをむく手が 止まらないという共感が多い俳句だと思いました。 この時期はコタツから出たくなく家事や勉強などを 後回しにしがちです。しないといけないことは分かっ ているけれどもコタツから出たくない。蜜柑を食べ たいという思いからいつの間にか時が経ってしまい 後に後悔してしまう情景が思い浮かびます。

蜜柑むくはてこんなことしてゐては(星野麥丘人)   美味しい蜜柑を食べていると止まらくなり、本  当にこんなにのん気に食べていて良いのかと思う  ことがあるため。 はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな(草間時彦)   ただ当たり前の状況を句にしているだけなのに、  美味しそうなおでんの画がぱっと浮かびあがった  ため。       (編者)「止まらなく」です。

 おでんの句をみて、もうすぐ冬が来ると感じると 一年が早いなとおもった。今年はゆっくりこたつに 入りながらおでんをゆっくりと食べたい

 冬といえばやはりおでん等の煮物が美味しい季節 で、私もおでんや金目鯛の煮物は好きですが、改め て俳句として表現されたものを見ると、「冬がやっ てきたな」という感情になって、文字が持つ力はす ごいと感じました。

 

【第9回目俳句感想文】
「てのひらは宇宙のひとつ冬はじめ」という丸山海 道さんの句は過去に取り上げたことがある。そこで 学んだことは、まず宇という字は空間を表しており、 宙という字は時間、及びそれらの広がりを表すそう だ。「てのひら」には、その人の歩んできた空間や 時間というのが皺となり色となり、その人特有のも のとなって刻まれている。また、「冬はじめ」まで の人生の「時間」が、「てのひら」という「空間」 に集約されているのである。これを学んだとき、私 の手にも小中高と野球をやってきてできたまめのあ とがしっかり残っているのを見て、感慨深かった。

てのひらは宇宙のひとつ冬はじめ (丸山海道)  宇宙という壮大なスケールのものを手のひらで表 現しているのがギャップがあって面白いと思った。

 私はてのひらは宇宙のひとつ冬はじめが良いと思っ た。なぜなら、手のひらは冬の寒さで冷たくなり、 宇宙の方則からは自分の体も逃れられないというこ とを実感させられている感じが好きだからだ。

  てのひらは宇宙のひとつ冬はじめ  冬の寒さを1番無防備に感じるてのひらで、地球 の公転を感じている雄大な詩だと思いました。

赤糸の切れしが冬のはじめなり (赤澤千鶴子)  作者が考えていたものと一致しないかもしれない が、赤糸が切れるという表現で、冬に乾燥して、手 や指が切れてしまっている様子を想像した。

  赤糸の切れしが冬のはじめなり  赤糸というのは冬になるとさむくなり、赤ぎれに なるが、その赤ぎれによる血かんが切れたことを 「赤糸の切れし」と表し、そのことを冬と結びつけ ているように感じた。また、冬に着るセーターの赤 い毛、これが切れたことも表しているのではないか と思った。赤い毛というのはクリスマスのサンタカ ラーからも連想することができる。

「赤糸の切れしが冬のはじめなり」(赤澤千鶴子)  人によって解釈がわかれる句なのではないかと思 う。自分は、この「赤糸」という言葉が恋愛を表し ていると考えた。「赤糸」が切れるということは1 つの恋愛が終わりをむかえたということであり、そ れが冬という季節と重なってより深い悲しみやさび しさを表しているのだろうと感じた。あえて詳しく は書かず、読み手の想像力にまかせているように感 じられる深い俳句でとても好きだ。

  謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸)  十一月を「謙虚」だと表現したところが面白いと 思いました。十一月は季節が移り変わる月でもあり、 一瞬で過ぎ去るので「謙虚」であり、作者は愛して いるのかなと感じました。私も十一月にしか感じら れない匂いや景色が好きなので、作者にとても共感 できました。

 謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸) 感想:冬の季節の変わり目故か、十二月や一月より   行事や特別なものが少ないことを表現している   ように思えた。また、その少ない部分を”謙虚”   と前向きに言い表しているところも面白いと思っ   た。

『謙虚なる十一月を愛すなり』  この句をきいて、確かに11月は謙虚なのかもしれ ないと感じた。  10月になると寒くなってきて秋を感じ、少しせつ ない気持ちになり、12月になるとクリスマスや大み そかなどのたくさんの行事がありワクワクするが、 その間に挟まれた11月はこれといった行事もなく存 在感が薄い。

謙虚なる十一月を愛すなり 遠藤梧逸   特に大きな行事やイベントがない11月で好きな  人があまりいないから、愛してほしいのかと思っ  た。

謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸)  私も11月が好きなので選びました。とても寒いわ けではなく、涼しい秋という意味で謙虚なのかなと 考えました。

「謙虚なる十一月を愛すなり」  十一月という月は年末である十二月の存在が大き すぎて、あっという間に過ぎていくことから謙虚と いう言葉が使われているのではないかと考えました。 そのような月でも、忘れず、過ごすことの大事さを 教えられて面白かった。

謙虚なる十一月を愛すなり  十一月は一瞬で過ぎていって存在感が控えめであ ると感じた。それに”謙虚”という表現は当てはまっ ていると思った。

・謙虚なる十一月を愛すなり  この詞は、年の終わりである十二月がとても派手 で目立つため、影にひっそりと隠れる月が十一月な ので、この謙虚な月である十一月は大事にするべき だと感じて面白かったです。

「謙虚なる十一月を愛すなり」(遠藤梧逸) 「十一月」という月を謙虚であるとするところがま ず、面白と思いました。どういうことだろう…と自 分なりに考えてみましたが、これだ、と思う予想は できませんでした。十一月は、他の月に比べ目立っ たイベントがなかったり、人々の気持ち的にも一年 の終わり、始まりを前にそこまで十一月は意識され なかったりするのかなと考えました。そのことを謙 虚なる十一月と表現したのかなと思いました。お正 月、バレンタイン、初節句、ひなまつり、クリスマ ス、ハロウィン…皆が好きなイベントが特にはない 十一月を愛すのも良いと思いました。

謙虚なる十一月を愛すなり 十二月や十月のように はっきりとした季節じゃなくて 秋と冬のはざまで、それを謙虚という表現で あらわしていて、すてきだと思った。

「謙虚なる十一月を愛すなり」  十一月は確かに、秋と冬の間で、毎年気がつくと 終わっている。10月は秋の訪れやハロウィンなどの イベントがあり、記憶に残り、12月は年末とクリス マス等、1年の終わりを味わっている。11月の下旬 はまだ、年末感がないのに、12月に入ると、歳の瀬 を感じるのは不思議で、11月は存在感なく謙虚とい ういいまわしがステキだと思った。

  謙虚なる十一月を愛すなり  十一月を謙虚であるという考え方は自分の中には なかったのでおもしろい考え方だと思いました。

  謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸)  十一月という月を謙虚と表現していることがとて も面白いなと思いました。僕の誕生日がある月なの で僕も愛しています。十一月が謙虚なら、八月が一 番ごうまんだなと思いました。

「謙虚なる十一月を愛すなり」  たしかに全十二月の中でも十一月は他の月と比べ ても大きなイベントはなく(例、1月・正月、2月・ 節分、3月・ひなまつり・卒業、4月・入学式、5月・ ゴールデンウィーク・端午の節句、6月・梅雨、7 月・七夕、8月・夏休み、9月・2学期、10月・ハ ロウィン、12月・クリスマス)とあるのに、11月 には目立つようなイベントはなく、地味という感じ で謙虚ではあるが、そんな十一月も好きであるから。

 謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸) <理由>  十一月のことを「謙虚」という言葉で説明してい るという部分が気に入ったから。個人的に十一月の 謙虚さは、暑くもなくまた極端に寒くもなくちょう どいい具合の気候であること、植物においても春・ 夏のように花が咲いていてもなく、冬のよう木がすっ からかんでもなく紅葉をしてちょうどよいというこ とが謙虚であると感じた.       (編者)「冬のよう」は「冬のように」?

 選んだ俳句  謙虚なる十一月を愛すなり (感想)  今では冬といえば12月や1月がクリスマスであっ たり正月などのイベントをすることもあり、よく取 り上げられるが、11月はそういった目ぼしいイベン トがないため影が薄い気がする。また10月もハロウィ ンがあったりとイベントが全国的にも起こるので11 月の存在感の薄さに拍車をかけていると思う。そん な中で、11月を取り上げてかつ11月の存在感の薄 さを謙虚という言葉で自分が周りを立てているよう にしてプラスにして材料にしているのがとても技巧 派だと感じたしその感覚が渋くてカッコイイと思っ た。

  謙虚なる十一月を愛すなり  11月を「謙虚」と表現した作者の感性が素敵だと 思った。  12月に入ると年末年始に向けて忙しくなるから、 その前に静かに一息つくことができるのが11月とい う動と静の対比のようなものを感じた。

  欠航をいふも冬めくもののうち (高野素十)  冬になる時化が多くなる海で、冬の荒々しさや孤 独感を表しているように感じた。瀬戸内海と日本海、 太平洋側では、波の高さや表情が異なるので、波が 荒れやすい日本海にある離島の情景が思い浮かんだ。 これから本格的な冬が来るのを待ち構えているよう な、少し喜んでいるような気がした。

  欠航をいふも冬めくもののうち  大雪で飛行機が欠航になってしまった時のはかな い感情を読み取ることができた。

「欠航をいふも冬めくもののうち」、冬は寒いです. 当然港を凍結することも多くなる.だから欠航する こともありえる.むしろ冬の象徴になるでしょう。 欠航が多くて、冬が来る.

冬めく夜鯉の輪切りの甘煮かな (大野林火)  鯉は一度も食べたことはないですが、前から食べ てみたいなと思っていました。甘煮などどんな味が するのか少し気になったのでこの詩を選びました。

  海をゆく心細さよジャケツ着込む (津田清子)  冬の海の近くはとても寒くて、夏よりもさみしい 心細い感じがよく当てはまると思った。

  海をゆく心細さよジャケツ着込む  これから船で海に出る漁師や釣人が厚着をしてジャ ケットを着込む様子が思い浮かびました。海に出る 人はたいてい早朝に出ると思うので、きっと冬のま だ真っ暗な一番寒い時間なんだろうなと思います。

「海をゆく心細さよジャケツ着込む」    冬の寒さが好きな理由として、”ジャケット”   が挙げられる。あの寒い中に大きなジャケット   を着てぬくぬくするのが大好きだ。様々なジャ   ケットを集めるのが冬の恒例行事となっている   が、街を行く人々がどんなジャケットを身に纏っ   ているのかを見るのも好きだ。

海をゆく心細さよジャケツ着込む (津田清子)  海の上か、岸かわからないけど風の冷たさや海の   広さに圧感されて心細い様子からジャケットを着    る様子がいい

「海をゆく心細さよジャケツ着込む」という俳句です が、私は作者がたまに海に散歩に行っていて、同じよ うにこの日も海に行こうとしたが、冬だからか以前行っ たときよりも寒く、また、夏とは違い海岸や砂浜で時 を過ごしている人も減っていたため、心細く感じつつ ジャケットを羽織っているのだろうと思いました。場 面は日が暮れそうな夕方で、初冬だと思いました。

  海をゆく心細さよジャケツ着込む 「ジャケット」が季語であることを初めて知った。こ の句は、船に乗って冬の海に出て、海風の厳しい風に 吹きさらされている場面が思い描かれているのだろう か。

  海をゆく心細さよジャケツ着込む  海の近くにいる人たちが冬の寒さに耐えるように ジャケットを着込む様子や、1人で海辺を散歩して いる光景が目に浮かび、少し寂しい気持ちになった。

「海をゆく心細さよジャケツ着込む」  まず情景として、漁を生業としている漁師が、ま だ日ものぼっていない早朝に、海に行くために家を 出る直前、玄関でジャケットをはおる光景が浮かび ました。冬という気温の落ち込みに加え、夜明け前 の海は黒く暗いため、二重でこの主人公の心が落ち 込んでいるのではないかと思いました。そして、一 見、それらから来る物寂しさを払拭するように暖か いジャケットを着込むように思われますが、ジャケッ トだけでは心が明るくならず、この服に対するたよ りなさも感じました。

  ジャンパーや別れはいつも無雑作に  冬になっていくとともにジャンパーではなくて、 コートとかを着るようになる  それを別れと同じようにあらわしているのがよい。

ジャケット   ジャンパーや別れはいつも無雑作に から、春   が訪れて急に暖かくなったからさっさと脱ごう   とする想いが伝わった

ジャンパーや別れはいつも無雑作に(山口みずゑ)      一番わかりやすい句だった.

ジャンパーや別れはいつも無雑作に(山口みずゑ)  季語にジャンパーというカタカナ文字が使われて いることが印像に残りました。「別れはいつも無雑 作に」の部分は、家に帰ったらすぐに脱いでしまう ことや、季節の終わりに適当にクロゼットの中に片 付けられることを表しているのかなと思いました。       (編者)「印象」です。

ジャケット   ジャンパーや別れはいつも無雑作に               (山口みずゑ)  冬はいつも突然やってくるというイメージを私は 持っていたので、この俳句はとても印象に残り選ば せてもらった。私は今から初めてこの下関市で冬を 過ごすことになっている。今まで感じたことのない 気候や雰囲気の中で生活しており、どんな冬なのか、 とても楽しみなのだが、この年だけであるかはわか らないが秋がなかった。夏からいっきに冬になった という印象を持った。このような経験を今年できた からこそ、よりこの俳句を見たときに、本当にこの 通りのことが起こったなあと思ったことを思い出せ た。

  ジャンパーや別れはいつも無雑作に  ジャンパーは冬に着る温かいアウターである。こ れを季語というかたちで用いている点に感動があっ た。今の時代ではあまりジャンパーという言葉を使 わないため少し前の時代の印象がある。冬の急な別 れとジャンパーを着ながら雪の中ですごしている様 子が思いうかんだ。

鰭酒や逢へば昔の物語 (高浜年尾)   同級生や友人に会って鰭酒を飲みながら昔の話 をして盛り上がったんだろうなという作者の記憶が 読み取れました。私も長期休暇になると、よく地元 の友人とお酒を飲みながら楽しむので、早く地元に 帰りたいなと思いました。

 高浜年尾の「鰭酒や逢へば昔の物語」について。  これは、大人の感覚で書かれた感じがする。お酒 を飲みながら、ふるくからの友人や親せき、家族と、 昔の思い出話に花が咲き、懐しみながらたくさん話 をする情景が思い描かれているような気がした。大 人、とはいえ大学生である私も、地元に帰ったら、 友人たちと昔(小学や中学、高校)の話をたくさん して、いつの間にか時間が過ぎることが多くなった。 大人らしさあふれる、句だと思った。

 高浜年尾の俳句は、冬に飲む鰭酒で昔の思い出を 懐かしんでいると感じた。鰭酒はフグや鯛を燗酒に 入れたものであり、その魚たちの旬は冬である。作 者は、このお酒を飲むことで昔の友人や亡くなった 父のことを思い出していたのだろうと思う。作者の 知人には小林多喜二や伊藤整がいる。このような有 名な作家に囲まれていた作者は、いつも新しい刺激 を貰っていたと考える。彼は七十八歳と長生きをし ている。冬になれば毎年のように友人を思い出し、 懐しさと寂しさを感じていただろう。この句はそん な思いを忘れ無いように残した句だと考える。彼は 数多くの句を残しており、寂しさや切なさなどの感 情も巧みに表現している。彼はそのような感情を大 切していたのだろうと考える。       (編者)「大切にしていた」ですね。

「鰭酒や逢へば昔の物語」(高浜年尾)  鰭酒はバイトの仕事で扱うことが多く、よく作り はするが、まだのんだことはない。蓋を開けて火を つけるとアルコールが軽く飛ぶというのを自分で味 わってみたいなと思う。昔話はしなくていいが、一 人でいいのでぜひたしなんでみたい。

鰭酒や逢へば昔の物語   旅館でアルバイトをした際に鰭酒を出していた が、これが冬の季語だというのは初めて知った。今 思い返せばそのアルバイトをしていたのは冬だった なと思い出した。  せっかくなので、下関にいるうちに鰭酒を飲みた いなと思った。

  魚店(うおだな)の甘鯛どれも      泣面(なきつら)に   (上村占魚)  写真を見てみると、確かに悲しそうに見える顔を している。食べられることが悲しいのか仲間と離れ たからなのか…と多くを考えることができる.

嘘(うそ)ついてポインセチアの赤いのか(松澤昭)  私は嘘をつくのが苦手ですぐにばれるのですが、 嘘をつく赤面とポインセチアの深紅を合わせている のが大変面白いなと感じました。

嘘ついてポインセチアの赤いのか  うそをついて、顔があかくなるくらい、ポインセ   チアの鮮やかな赤色が伝わってきてとても良い    なと思う.

  てのひらは宇宙のひとつ冬はじめ(丸山海道)  はらりと静かに初め落ちてくる雪がてのひらにの り本格的に冬が来たことを知らせる俳句だと思いま した。今より寒くなってしまうのかという寒さが強 くなることに対しての少しの苛立ちが冬にはありま す。しかし、初雪はとても神秘的でこの俳句のよう に少し宇宙のかけらが落ちてしまい自分の手のひら に来たのではないかと思う気持ちは少しわかるよう な気がします。この地方は寒くなるばかりで雪が降 りにくいのですが初雪は是非外にいる時に知りたい なあと思います。   嘘ついてポインセチアの赤いのか (松澤昭)  初め、この詩を見た時共感できないと感じたので すがポインセチアの写真を見てこの俳句を書いた意 味がわかりました。この花は作り物のように赤く、 この赤さは少し怖く感じました。なので著者もこの 異常なほど美しい赤色の花ポインセチアを見た時こ の赤色は嘘なのではないかと疑ったことからこの俳 句が作られたのではないかと思ってしまいました。

赤糸の切れしが冬のはじめなり (赤澤千鶴子)  「赤糸の切れし」はあかぎれのことを指している  と思う。   手にあかぎれができ始めたら、冬が来たという  ことだ、と作者は言いたいのだと思う。 ジャンパーや別れはいつも無雑作に(山口みずゑ)   寒い外では、ジャンパーをずっと着ているが、  家に帰ると、暖房やこたつによって、ジャンパー  の必要性は急になくなり、脱ぎ捨てている様子を  表現していると思う。

赤糸の切れしが冬のはじめなり (赤澤千鶴子)   恋人が別れるということなのかなと思った。冬  なのに、別れるなんて悲しいなと思ったが潔くて  かっこいいなとも思った。 謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸)   ”謙虚なる十一月”とは、どういう意味の表現な  のか分からなかったけど、面白い表現で好きだな  と思った。

「赤糸の切れしが冬のはじめなり」(赤澤千鶴子)  失恋や恋人との別れのむなしさ、心の寒さによっ て、冬の寒さをより一層感じやすくなってしまった 様子が浮かびました。 「鰭酒や逢へば昔の物語」(高浜年尾)  鰭酒をたしなめるくらいの大人になった人たちが、 久しぶりに集まって、学生の頃の話に花を咲かせて いる様子が浮かびました。

十一月   謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸) (感想)十一月の気温、雰囲気を謙虚という言葉で  表している所が好きだなと思いました。個人的に  すごくしっくりきた表現ですし、他の月ではどの  ような言葉が当てはまりそうか気になってしまい  ました。 ジャケット   海をゆく心細さよジャケツ着込む(津田清子) (感想)ジャケットの古い言い方としてジャケツと  いうものをはじめて知りました。また作者は防寒  対策としてジャケツを着込んだのか、それとも心  細さというものは心理的なものであり、その心の  上から布をかぶせて包むようなイメージとしての  ジャケツ着込むなのか気になりました。個人的に  は後者の解釈の方が好きです。

・謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸)  十月ほど暖かくはないが十二月ほど寒くはない十 一月は存在感が強くありません。  そのような十一月を謙虚という言葉で表している のが素敵だと思います。 ・嘘ついてポインセチアの赤いのか (松澤昭)  ポインセチアはクリスマスの花のイメージがあり ましたが、クリスマスとは限らないことが分かりま した。

冬めく夜鯉の輪切りの甘煮かな (大野林火)    鯉を食べたことがないので、地方によって冬   の感じ方が違うのかなと思い、おもしろかった   です。1回食べてみたいと思いました。 ジャンパーや別れはいつも無雑作に(山口みずゑ)    家に帰ると、上着をすぐにぬいで床に捨てて   しまうので、すごく共感しました.疲れて帰っ   てきたときは特にめんどくさくなってたたもう   ともしません。

ジャンパーや別れはいつも無雑作に(山口みずゑ)  この俳句は、毎年、寒くなったり、暖かい時期の ずれが自分の気分次第で上着を着るタイミングは異 なり、気づけばいつのまにか春が来ているという状 況を表したものかなぁと感じました。 海をゆく心細さよジャケツ着込む (津田清子)  この俳句は、海に出てなかなか陸に帰れなくなる ため、家族などの別れがさびしく、さらに冬の寒さ も重なり、ジャケットを着て気をまぎらわそうとし ているのかなぁと考えました。

 今回は「ジャンパーや別れはいつも無雑作に」 (山口みずゑ)が印象に残りました.冬は肌寒くなっ てきて、着込み出しますがそのジャンパーと無造作 に別れてしまうという、少し寂しい感じもする情景 が思い浮かびました 「鰭酒や逢へば昔の物語」(高浜年尾)私も以前鰭 酒を飲んだことはありますが、鰭酒を飲んでもこう いった心地にはなれなかったのでこの境地に達する ことができるよう、様々な経験を積んでいきたいな と思いました

 鰭酒の句は、酒を飲みながら楽しい昔話をしてい る風景が思い浮かびました。  大野さんの冬めくの句では、夜寒い中温かい鯉の 甘煮を食べているのかなと思いました。寒い中温か いものを食べるのはおいしそうです  山口さんのジャケットの句はだんだん暖かくなっ てきて、ジャンパーを着なくなるのか寒さが増して きて別のもう一層暖かいジャンパーに着がえるのか 気になります。

「赤糸の切れし」だったり、「心細さ」だったり、 「別れ」だったり、「嘘」だったり、この時季の俳 句だとものさみしくなるような語句がたくさん見ら れるようになるなと感じた。冬の寒さの訪れに誘わ れてそういった語句が表らされやすいのだろうと推 測する。       (編者)「表らされ」は「表され」ですね?

 

【第10回目俳句感想文】
くつくつと泣く空腹のような冷え」(水谷仁志子)  情景としては寒さが空腹のひもじさに例えられて いるものだと思うが、このふたつが両方とも襲って くるとなかなかにきついだろうというイメージをもっ た。生活が最近困窮しているのでこのような事態だ けにはならなようにしたいと思った。

「くつくつと泣く空腹のような冷え」    今まで冷えは何かに似た感覚があると感じて   いたが、今日のこれで、点と点が繋がったよう   な気がする。空腹と同じように冷えも峠を越え、   慣れればどうってことないので、この冬も気を   引き締めて乗り越えたい

「くつくつと泣く空腹のような冷え。」  アルバイトが夜の9時まであるので、当然なよう に終業までにはお腹が減るし、寒さも感じるのでこ の歌に共感する部分が多かったから選んだ。

  くつくつと泣く空腹のような冷え  寒さの表現がリアルだと思った。

  くつくつと泣く空腹のような冷え  この俳句の季節は冬である。空腹のような冷えと いう所から冬の寒さの厳しさが感じられる。また、 くつくつと、という表現の仕方も面白く印相に残っ た。  もう冬に入り、温度も下がり寒くなったので、こ の俳句の景色が考えやすかった。そのため、今日の 授業の俳句の中で、この俳句が最も印象に残った。

  マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)  特にコロナ禍でマスクをして生活をするのが当た り前の世の中となっていて、最近出会った人のほと んどは、素顔をちゃんと見たことがないから、全員 綺麗に見てしまうマジックに陥っている。

「マスクして少し美人となりしかな」.冬になると、 気温の変化が激しくなる。だから予防しなければな らないこと。マスクをして、風邪をならないように。 そしてマスクをして、顔の半分が隠した。人は瞳だ け見れば、すぐに美人だと思うでしょう.       (編者)「風邪に」、「隠れた」です。

マスクして少し美人となりしかな  マスクをすることで顔半分が隠れ、実際よりも美 人に見える様子を想像し、とても共感できる一句だ と思いました。  今はコロナの関係で全員がマスクをしなければな らず、今の時代ならではだと感じました。また、コ ロナが流行る前も今の時期はインフルエンザの予防 でマスクをする人が増える時期だと思うので、冬な らではの一句だと思いました。  コロナは早く終束してほしいけど、私は顔にコン プレックスがあるので、今のマスクをつけなければ いけない状況を嬉しく思うことも多く、この俳句は そんな気持ちを表している気がします。       (編者)「終息」または「収束」です。

 私が印象を強く受けた句は、前川美智子さんの 「マスクして少し美人となりしかな」という句であ る。この句からは、容姿に自信がない女性がマスク をすれば少しはましに見えるだろうという気持ちを 詠んだ句だと私は考えた。現在、コロナによりマス クをつけて生活することが当たり前になった今、マ スク美人という言葉が生まれている。そういう点か ら読み手の心情が察しやすく、わかりやすい句だな と感じた。

  マスクして少し美人となりしかな  マスクをしてメイクをすると別人のように印象が 変わる、という話を耳にしたことがある。マスクだ けでも確かに別人に見えるものだ。最近はコロナの せいでみんなマスクをするため、本来の顔が分から いな、と今だからこその感想ももった。

*マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)  この俳句を詠んで、とても、わかる気がした。  今は、マスクを外して、自分の顔を見せるのが、 恥ずかしくなっている。逆に、マスクをつけている 時の方が、少し自分に自信が持てる。

マスクして少し美人となりしかな (前川美智子)  コロナ禍である今にとても合っている俳句である と思いました。毎日マスクをつけていてマスク美人 という言葉もできたのでまさにこの俳句のことだと 考えました。私の母や友達も「マスクをつけている からみんな美人に見える」と言っていたのを、思い 出す俳句でした。

「マスクして少し美人となりしかな」  マスクをしていると目元しか見ることができない ため、見えないところを想像するため美人に見える ことがよくあり共感できました。

  マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)  今はコロナの影響でほとんどの人がマスクをして いてみんな美人になっている。冬はかぜ予防でマス クをしていたのが少し美人にみえる様子と思った.

マスクして少し美人となりしかな (前川美智子)  この前部活の先輩が似たようなことを言っていて 思い出しました。僕は基本的に杉咲花以外同じ顔に 見えているので考えたこともなかったのですが、み な同じようなことを思っているんだなと感じた。

「マスクして少し美人となりしかな」という俳句で すが、私は2パターンで読めると思いました。  まず、コロナが流行る前と場面設定をした際の読 み方です。コロナが流行る前、冬は風邪を引いた人 や花粉症持ちなどといった病状関連でマスクをつけ る人が多かったですが、私の友人にニキビなどを隠 すためマスクをつけている人も中にはいました。作 者の年齢は分かりませんが、高校生辺りならニキビ や鼻筋、高齢ならしわを隠すために出かける前にマ スクをしている作者の様子が思い浮かびました。  次にコロナが流行っている今現在の句であると場 面設定をした際の読み方です。今は新型コロナウイ ルスの対策をするため、毎日マスクをつけて生活し ています。それに慣れ親しんだ作者が、冬となった 今日もいつも通りマスクをして、鏡を見て「私ちょっ と美人になってるかも…!」などと思っている情景 が思い浮かびました。

「マスクして少し美人となりしかな」  コロナでマスクをしている女性がいる中で、目し か分からないので普通よりも美人に見えやすいとい うことを表している句。そもそもマスクとはウイル スが活発に動きやすくなる冬につけるものなので、 マスクという言葉で冬を連想できたが、今はコロナ で年中マスクを付けていないといけないので、マス クという単語に季節感をあまり感じれなくなってし まっている。

  マスクして少し美人となりしかな  いつ詠まれた俳句か分からないが、コロナ禍の現 在においてもしっくりくるような俳句だと感じた。  また、マスクという単語が季語だということに驚 いた。

 昨年と今年に限っては、冬の季語とはなりえない 「マスク」だが、コロナの感染が拡大するまでは、 「かぜ予防」をうたいながら自分の顔半分を隠して ごまかせるのが良くて冬のあいだよくマスクをして いたな、ということを思い出した.

マスクして少し美人となりしかな  昨今はコロナウイルスのせいでマスク美人という 言葉がよく聞けたが、似たような状況を詠んだ句が あることを知って驚いた。

「マスクして少し美人となりしかな」  今のご時世、マスクは必需品となっている。マス クを着けずに生活していた時代がとても懐かしく、 いつかまたそのような時代が来ることを願っていま す。この俳句を見て、少し今の時代と被るものを感 じました。

マスクして少し美人となりしかな  今回はこの句が印象に残りました。今のコロナ禍 の中で非常に共感できるからです。街に出かけたり、 学校に行ったりすると、みんなマスクをしているた め全員美人に見えます。逆に男も全員かっこよく見 える気がします。早くコロナが収束し、マスクを外 せるようになって、昔の顔をしっかり見ることがで きる日が待ち遠しいです。

「マスクして少し美人となりしかな」  感染症の流行により、ここ2年程はマスクが欠か せない不便な生活が続いているが、これによって意 外な恩恵を受けることが出来ている。この句にもあ る通り、「少し美人に」見えるのである。これは女 性に限った話でもなく、男である私自身もマスクを つけると、普段よりも男前になった…ような気がす るのである。  このご時世によく合った句という点でとても気に 入っている。

マスクして少し美人となりしかな (前川美智子) コロナのこともあってタイムリーな句だなと思った。

マスクして少し美人となりしかな (前川美智子)  マスクの下は、理想の顔を想像するといわれてい ます。自分もマスクをしていると堂々として歩けま す。  先日、マスク姿しか見たことがなかった後輩の顔 を初めて見たのですが、想像とちがい、少し違和感 が残りました。もしかしたらその後輩も私の顔に関 して同じことを思っているのではないかと考えてい ます。       先週26日(金)の授業は、企業のインターンシップだ          ったため欠席しました。

マスクして少し美人となりしかな  最近はコロナの影響で世界的にマスクをしなけれ ばならない時代になってしまった。そのなかで「マ スク美人」という言葉が流行ってきている。冬はコ ロナ禍となる前から病気が流行る季節であったため マスクをする人が多かった。いつの時代にもマスク をすると顔がよく見えるという現象はあったのだろ うと思う

  マスクして少し美人となりしかな  この句を書いた人がコンプレックスに感じている のかなと思うと少しクスッと笑える句であった。  今のコロナのご時世で、マスクをするのが普通に なっているので、色々と感じるものがある。

  マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)  マスクが冬の季語となっていることに新鮮さを感 じました。年中マスクをしなければならない今の状 況だからこそ、そう感じるのだろうなと思います。 マスクを外す前と後で印象が変わるのは、今、とて も身に染みているので、この俳句を選びました。

マスクして少し美人となりしかな  女性を見て季節を感じる中でマスクに注目する所 がおもしろかったです。いまとなってはその季節の 変化を感じられないこともさびしく思います.

マスクして少し美人となりしかな   現在、コロナ禍という未曾有の状況下にあり、  2年近くの間マスクをし続ける生活をしているが、  それ以前を思い返してみると、冬の時期のかぜ予  防だったことを思い出した。

「マスクして少し美人となりしかな」  今のご時世だからこそ、とても共感できる句だと 思った。マスクすることで他人の顔も見えないし、 自分の顔も覚えてもらえないので、マスクなしの生 活がもどってきてほしいと感じつつも、マスクのお かげでもしかしたら美人と思われている可能性もあ るかもしれないので、マスクなしの生活がこわくも 感じる。

「マスクして少し美人となりしかな」  コロナ禍になり、マスク美人という言葉がよく聞 かれるようになったが、本来は、冬のアイテムだと 今思い出せた。  マスク美人と言われると、嬉しいようで、少し傷 付きもすると思うため、自分で言う分はいいと思う が人にはあまり言わない方がいいと思う。

  鮟鱇(あんかう)の骨まで凍てて      ぶちきらる     (加藤楸邨)  あんこうは身も骨も柔らかくて、簡単に切れるよ うな魚なのに、ぶち切るという表現を使うほど、骨 の髄まで凍っている様で寒さがとても伝わってきた。

鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる <理由> 「美味しんぼ」というアニメで主人公の山岡士郎が アンコンをつるして自らさばいて、美食家たちを論 破していたのを思い出したから。       (編者)「アンコウ」ですね?

 私が最も印象に残った「俳句は、鮟鱇の骨まで凍 ててぶちきらる」である。  この俳句で印象に残った点は鮟鱇である。  私は鮟鱇は食べたことがなく、今回の授業で下関 で鮟鱇を食べることができ鮟鱇の骨まで食べること ができるとわかった。  また、鮟鱇の骨が凍るほど冬の寒さが厳しいこと がわかった。  そのため、私は、この俳句が最も印象に残った。       (編者)”「俳句は、鮟鱇の〜”ではなく、”俳句は、「鮟鱇の〜”です。

鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる 「アンコウ」を「鮟鱇」と書くのを初めて知ったし、 「ぶちきらる」という言葉を初めて聞いた.「ぶっ た切る」のような意味なのだろうか.それとも全然 違う意味を持つのだろうか.       (編者)「ぶった切る」のような意味です。

  冬紅葉しづかに人を歩ましむ (富安風生)  この俳句は、冬になり寒くなって外に出たくない 季節であるが、色彩やかな紅葉を見に行こうと人を 動かせるような自然のすばらしさを表したものであ ると考えた。そして、一ヶ所見るともっともっと見 たくなり、どんどん歩いていき、寒さの中でも人を 引きこませる力があるのが紅葉なのかなぁと感じた。       (編者)「色彩やかな」は「色鮮やかな」?でも、悪         くない当て字だと思います。

冬紅葉   冬紅葉しづかに人を歩ましむ  紅葉といえば、秋というイメージを持ちがちだが、 紅葉を木だけでなく、足元も楽しめるという面で冬 もまた良いと感じている。また、冬になったという より、秋が終わってしまったとう感じがするため、 はかなさもあると思った。冬紅葉は今まで見たこと がないので、楽しみだ。       (編者)「とう」は「という」ですね。

  冬紅葉しづかに人を歩ましむ (富安風生)  私は紅葉と言えば秋のイメージがあったため、冬 紅葉って何だろうと思い、調べたら”散りおくれてわ ずかに残っている紅葉と書かれてありました。この 句のしづかに歩ましむの”しづかに”という表現は落 ち葉があたり一面におちていて人々がそれを踏みな がら歩く様子を秋が過ぎ日々変わりゆく景色の中で さまざまな想いにふけって考えごとをするしみじみ とした心情も表しているのかなと感じました。       (編者)最初の引用符(”)の終わりの符号(")があり         ません。

「冬紅葉しづかに人を歩ましむ」(富安風生)  雪に映える紅葉のきれいさに言葉を失い、更に良 く見える場所を求めて歩みを進めている情景が浮か びました。  また、これとは別に、紅葉を楽しんでいた秋から、 急に雪がつもるような冬の気候になったことから、 言葉を発することも忘れて家路を急いでいる様子も 浮かびました。

「冬紅葉しづかに人を歩ましむ」   情景として、紅葉した葉が落ち、地面に絨毯の ように広がっている中を、人々がいつもよりゆっく りとしたスピードで下を見ながら歩くという光景が 浮かびました。これは私も自分で体験したことがあ り、地面に落ちている葉の量が増えるほど、歩く速 度はゆっくりになっていった記憶があります。この ように歩く速度が遅くなる原因は、「何かを踏む」 という行為を人々がうしろめたく思っている、又は 自分の歩く音を聴くことで(コンクリートの地面で はコツコツと小きざみに、落ち葉の地面ではさわさ わとゆっくり)人々の心のリズムが変わって、歩く スピードにも反映されるのではないかと考えました。

ことごとく紅葉散り終へ里に冬 (高木晴子) 感想 秋の季節が終わり、冬の到来が近いことを表   現しているように感じられた。ことごとくとい   う表現から、紅葉の散る速度が速いように感じ   られた。

 高木春子さんの俳句は、紅葉の秋が終わり、いよ いよ年を越す季節になったと心身ともに感じている 場面だと思う。毎年のように秋には美しい景色を見 せてくれる木々だが、冬になれば葉は落ちて上の景 色は寂しいものになってしまう。しかし、落ちた葉 たちは地面を赤く染め、人々の心をまた楽しませる。 作者は、そんな景色を味わいながら里のことを思う のだろうと考える。また、里に冬が訪れたことで、 その年のあったことを思いだし、来年への希望も見 い出しているのだろうと感じた。毎年のように散る 葉たちは、そのことを知らないかのように落として いく。そんな姿を作者が何回も見ている。作者は、 今年こそは葉を落とさず耐えるのかと木々に訴える が葉は散ってしまう。この場面を「ことごとく」 という五文字で確実に表現していると思う。

ことごとく紅葉散り終へ里に冬 (高木晴子)  私は紅葉が好きなので、冬になって紅葉が散って いくのはとても悲しく感じます。ですが、季節の変 わり目が感じられる良い時期でもあるなと思います。

<感想>  高木晴子の「ことごとく紅葉散り終へ里に冬」に  ついて。   まず、秋になると、外にはたくさんの紅葉が見  える。イチョウ並木が美しく、黄色やオレンジに  包まれる。それは温かい風景のように思われる。   そして、秋から冬へと移り変わるとき、一気に  紅葉が散り、道路一面が黄色のじゅうたんをしい  たようになる。そうすると、(田舎の)里が一気  に冬の顔に変わる様子を表していて、美しい里の  移り変わりが思い浮かんだ。

「ことごとく紅葉散り終へ里に冬」(高木晴子)  冬が近づいてくると、そうじしてもしても散り積 もる紅葉で溢れます。葉を落とした木々たちは枝だ けとなり見た感じも寂しく寒い冬が今年もやってき たんだなと思わせられます。そんな季節の変わりを 表した俳句だと思いました。

 選んだ俳句 ことごとく紅葉散り終へ里に冬 (感想)12月や1月はきれいに色づいていた紅葉も 木から全て落ちて木は裸になってものかなしくなる 様子が思い浮かべることができた。また、木にあっ た紅葉が散り終えた時期はたしかに住んでいる場所 も冬が訪れ暖房を入れるなどして寒さの対策をして いる。そんなことが早直に伝わってくるのでこの俳 句を選んだ。       (編者)「早直」は「率直」あるいは「素直」?

  ことごとく紅葉散り終へ里に冬  冬の季語に冬紅葉と紅葉散るの2つがあるのが興 味深い。初冬は雪と紅葉と両方冬のものと認めて時 間によって分類しているのか、それとも紅葉の分布 や雪足に影響を受けて地域によって違うのかが気に なる。       (編者)時間だと思います。

・立てかけしサーフボードや冬ざるる(佐藤棗女)    季節感にまったく合ってないサーフボードが   あるのを想像してさびしそうだなと思った。来   年の夏がくるまで寒いなか待ってるような感じ   がした。 ・鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる (加藤楸邨)    鮟鱇を食べたことが無いので、冬が旬の魚な   んだと初めて知った。鍋がおいしそうだと思っ   た。

立てかけしサーフボードや冬ざるる(佐藤棗女)   出番のないサーフボードが立てかけられている  様子がわかる。この俳句は、夏と冬、正反対のも  のを書いており、冬の寂しさを強調していると思  う。 ことごとく紅葉散り終へ里に冬 (高木晴子)   紅葉が全て散り、いよいよ本格的に冬が来たと  いうことを表現していると思う。

・くつくつと泣く空腹のような冷え(水谷仁志子)   寒くなりお腹が冷えることが多くなりました。  お腹の痛みを空腹のときの痛みと似ているためこ  のような句ができたのかな、と思いました。 ・マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)   コロナ渦でマスクをすることがあたり前となり、  マスク美人を見かけることが多くなりました。       (編者)「コロナ禍」です。

 今日の句では「くつくつと泣く空腹のような冷え」 (水谷仁志子)が印象に残りました。冬の厳しい寒 さを空腹に例えるのが非常にユニークに感じました。  もう一つは「鮟鱇に目のあり二つちよぼとあり」 (藤田あけ烏)アンコウは、深海魚で、なんとなく 怖いイメージがありますが、目がちょぼとありで少 し可愛らしくなっているのは面白いなと感じました。

マスクして少し美人となりしかな (前川美智子)  すごく今のご時世にぴったりだと思った。  顔全体が見えるとそこまで美人でもないけど、そ ういう人がマスクをすると美人になるという皮肉の ようなものも少し感じた。 冬紅葉しづかに人を歩ましむ (富安風生)  私は紅葉が散って、地面に赤いじゅうたんのよう になっている光景がとても好きなので、この句を選 びたいと思った。紅葉の上を歩くときは大きな足音 はしないけど耳を澄ますとサクサクのような音がす るのが個人的にはお気に入り。

 マスク  マスクして少し美人となりしかな (前川美智子) (感想)このご時世的に誰しもがマスクをしており   共感度の高いものだと思いました。素顔を知ら   ない人にとっては余計、抱いてしまう感想だと   思います。また、マスクが冬の季語というのは   少し不思議な感じがしました。  冬紅葉  冬紅葉しづかに人を歩ましむ (富安風生) (感想)紅葉はいつ見ても素敵で、ついつい追いか   けてしまうかのように歩いていくのにも納得が   いきました。最近も綺麗な紅葉を見たばかりな   ので、そのことをつい思い出しました。

マスクして少し美人となりしかな (前川美智子)  この俳句は今のコロナ時代に少し苛ついてしまう 俳句だと感じました。目元以外のマスクで隠れてし まっている顔部分は人間が勝手に頭の中でベストな ものに置き換えて顔を想像しているということを聞 きました。そのためこの俳句も目元だけだったら少 しマシになったね。というようなとても皮肉めいた 意味を込めた俳句だと感じました。しかし作者が女 性であっため少し苛立ちが小さくなりました。 冬紅葉しづかに人を歩ましむ (富安風生)  綺麗に色付いていた葉が冬の強い風により落ち人 に踏まれている情景を描いている情景だと感じまし た。秋の時期では山にわざわざ行き紅葉を見に行く ほど自分達を楽しませてくれる葉の色付き。しかし 冬になりそれが枝から落ちてしまうとただ道の上を 邪魔する存在になってしまうという少し寂しさが感 じられる俳句だと思います。

 鮟鱇という漢字を初めて見ました。鮟鱇は食べた ことがないので、いつか食べてみたいと思いました。 マスクして少し美人になりしかなは、コロナでマス クをつける回数がとても増えたので、少し親近感が 湧きました。

 すっかり気温も落ちて、「冬」や「冷」といった 冬らしい寒さに関する季語が多い中、紅葉に関する 季語もあって、秋の季節のものにも冬の要素がある という所に日本語の面白さを感じました.

 

【第11回目俳句感想文】
あたたかき日は日短きこと忘れ (後藤比奈夫)   この俳句は今日の天気にとても合っていると思  いました。今日は外にいると日が照っていて冬と  は思えないほどあたたかいので今日のような天気  の日は本当に日が短いことを忘れそうだと思いま  した。

 あたたかき 日は日短きこと 忘れ という句に ついて、地元の日が短くなるよりこの地域の方が早 いと感じました。昨日も17時ぐらいには暗く、街灯 が少ない場所では真っ暗でした。毎年、もう暗くなっ たのかと思い、年の終わりを感じます。小学生の頃 は、時間が長く感じたのに対して、時間が短く感じ るようになって、大人の世界に足を踏み入れたのか と感じるようになりました。

「あたたかき日は日短きこと忘れ」、冬は寒い、寒 くて寒くて何もしたくなくなる。なので時間の流れ も遅くなる。何もしていないですから。でもあたた かい日に人のやる気が出て来る。何かをしている時 の時間は早いです。

「あたたかき日は日短きこと忘れ」  この句は、冬のたまに訪れる、日がよく当たる温 かい日を感じることで、冬の日が短いという事柄を 忘れてしまう非日常さを感じることのできる句で、 とても面白いと思った。

  あたたかき日は日短きこと忘れ(後藤比奈夫)  今日の様な気温の高い日でも、夕方からすぐに寒 くなってしまうのがよく思い浮かんだ。

  あたたかき日は日短きこと忘れ(後藤比奈夫)  私は、あたたかい日の方が気持ち的にもおだやか になり、何かに挑戦してみようと思ったり、ふだん は面倒で後まわしにしていることに取りくんでみた り、活動的になるように思います。逆に寒い日は極 力動かずに過ごしたいと思ってしまうため、家でじっ としている状況が多いです。楽しい時間はあっとい う間にすぎるというように忙しなく過ごすあたたか い日は時間がすぎるのを早く感じるし、特に冬は日 が短いため、さらに時間の感じ方を加速させるのか なと思いました。

あたたかき日は日短きこと忘れ (後藤比奈夫)   今日がまさにそのような感じなので共感した。  気持ちや情景が共感できる句を選ぶ傾向が私は強  いが、暖かい日が連日寒い中にたまたまあったり  するとなんとなく、時間の進みが早くなり、日が  落ちるのが早く感じるというのは五感に訴ったえ  かけてくる感じが心地良い句であると感じた。       (編者)正しくは「訴えかけて」です。

(編者)以下、例句を写し間違えて。   あたたかき日は短かきこと忘れ  冬になると日が短くなって寒くなりますが、あた たかい日がきたら寒い冬を忘れることができるでしょ う。

あたたかき日は短かきこと忘れ   冬でも暖かい日があると、日が短いことを忘れ  て、たくさん遊んでしまう様子を思い浮かべまし  た。このようなシチュエーションは子供のときに  多くあり、なつかしく感じました。大人になった  今は、時間の進み方が早く感じ、家事やしなけれ  ばいけないことをしている内に1日が終わるとい  う感じがします。人によってもこの感じは違う気  がするので、他の人はどう思っているのか気にな  りました。

買物はたのしいそがし日短(ひみじか)(星野立子)  この俳句を読んで共感しました。買い物はすごく 楽しいもので、あっという間に時間がたってしまう といつも思うからです。冬は、特に年末セールや福 袋などがあり、朝一番で行ってもいつのまにか日が おちて帰る時間になるのは少しさみしいです。今年 の冬休みも買い物に行きたいなぁと思いました。

「買物はたのしいそがし日短」      年末になると夏に比べて買い物が楽しく     なる。冬物は夏物に比べて割高であるが、     その分、自分の目で見て塾考するのが楽し     い。それが醍醐味だ。      今年も残り少ないが冬の醍醐味を存分に     楽しみたいと思う。

買物はたのしいそがし日短(ひみじか) [星野立子]  買い物する時、多くのお店を見て回るのに、とて も忙しいが、その時間がとても楽しくて、あっとい う間である。  楽しい時間ほど短かい日に感じる。また、年末セー ルに福袋が始まるから、これから楽しみである。

  買物はたのしいそがし日短  今でこそ年齢的に言えば夜中に出かけても何とも ないためあまり感じないが、小学校高学年だとか中 学生のころ、親なしで友達どうしで買い物に行き始 め、それが冬だとずいぶん日が落ちるのが早くなっ て別れるのが寂しかったなとこの句を見て思い出し た.

買物はたのしいそがし日短 (星野立子)  大変な時は長く感じるが、  楽しい時はあっという間に過ぎ去ってしまうので、  とても興感した。       (編者)「共感」です。

  買物はたのしいそがし日短  この句からは買物をする時の楽しい感情や忙しく あわてている様子が見てわかり、一日の短さをより 実感する句だなと感じました。

「買物はたのしいそがし日短」(星野立子)  私は買物が大好きで、大きなショッピングモール に行くと1日があっという間に過ぎていきます。  特に冬は、日が短く、外に出たら真っ暗というこ とが多々あります。  そんな時の様子を思い浮かべました。

  買物はたのしいそがし日短 (星野立子)  冬に買物に出かけると楽しくはあるけれどもとて も1日が短く感じるので、この句に大変共感しまし た。昼間に買物に出かけて楽しむのも良いですが、 夜が長いので、夜にお酒でも飲みながら楽しみたい なと思いました。冬休みに入って実家に戻るので、 友人と昼も夜も楽しもうと思います。

「買物はたのしいそがし日短」という俳句ですが、 私は作者が以下のようにしているのだと読みました。  まず、筆者が今よりもあまり交通手段が発達して いない時代の人であると仮定しました。だからこそ、 冬になると日が沈むということに敏感になったのだ ろうと思いました。冬になり日短になったからこそ、 買物を楽しむ気持ちを持ちつつも日が沈まないうち に帰らなくてはいけないという葛藤を詠んだのだろ うと思いました。

冬の水   冬の水浮かむ虫さえなかりけり (高浜虚子)  この俳句を見て一番に思ったのは、どこの地域で の出来事なんだろうということです。すごく寒い地 域であることに変わりはないですが、あまりに寒す ぎても水は凍ってしまうので、ぜつみょうな時期・ 地域だなと思いました。秋までは様々な虫が生息し ている水のまわりにいなくなった虫たちを感じると、 冬になったなあと感じる、考えることも多々あるな と思いました。

・冬の水浮かむ虫さえなかりけり <理由>  冬の冷たい水に堪えかねて、浮くことをやめた虫 に少し共感したから。また、筆者の高浜虚子は、私 の地元である愛媛県松山市では正岡子規に並ぶほど 有名な歌人であるので、是非取り上げたいと思った から。

  選んだ俳句 冬の水浮かむ虫さえなかりけり (感想)   虫は 生命力が強くて様々な環境に年中いるが  流石に冬のまっただ中になると冬の川や池に浮か  んでいる虫もいなくなり厳しい冬の寒さを強調し  ていることが感じられた良い俳句だと思った。   また越冬のためにヤゴ等の水生昆虫は冬の池や  川に浮かんだりはしていないが底の方で卵になっ  ていたりするのだろうかと疑問に思った。

  冬の水浮かむ虫さえなかりけり  水が冷たいということを直接言葉にすることなく、 水面に浮かぶ虫の有無で表現しているのがすごいと 思った。

  冬の水浮かむ虫さえなかりけり  森の中にある小さな池を思い浮かべた。  冬眠してしまってもう虫がいないのか、池に氷が 張ってしまって浮かべないのか、虫も水に浮かびた くないような、キンキンに冷えた水の冷たさが伝わっ てくる。

 私が印象に残った句は、「冬の水浮かむ虫さえな かりけり」という、高浜虚子さんの句である。この 句を見た時に実家にある水がめに夏は蚊の幼虫がい るが冬には何にもいなかったことを思い出した。実 家を思い出させてくれ、帰りたいなあと思わせてく れる句である。

  冬の水浮かむ虫さえなかりけり  冬の水は冷たく、魚はもちろん虫さえいない、夏 か秋と比べるとそれは明らか。少し寂しい気持ちに なった。

冬の水   冬の水に浮かぶ虫がいないのは、気温が低くて  虫が活動していないか、水が冷たすぎるから、虫  が水の上で止まろうとしていないかのどちらかの  解釈ができるなと思った。

  百の岩百の滝なす冬怒濤(どとう)(安田龍泉)  他の句に比べるとこの句だけ冬の静けさやもの悲 しさを語るものではなく目をひかれた。同時に滝に も季節があるのが気になる。梅雨には滝の勢いもよ くなるだろうし、乾燥する冬は弱くなってそうだが、 それによってこの句の印象も変わってくるだろう。

黙っている羊のコート温(ぬく)ければ                (橋本美代子)  最近はもう寒くなってきているので、私もコート を時々着ています。羊のコートはあまり見たことや 聞いたことないのですが、かなり温かいんだろうな と感じました。

「黙っている羊のコート温ければ」  この句のすごいと思った場面は、人々が冬になる と当然の行動として行う、「防寒着を着る」という 状況を、前半に「黙っている羊」という言葉を入れ ることで、とても奇妙で猟奇的な風に表していると ころです。[(追加)なぜなら、コートのような防寒 着は、すべてではないですが、動物の毛皮から作ら れているものもあるからです。] また、もう少しカ ジュアルにとらえると、人間1人ひとりがコートと 称した「動物」をそれぞれ背向っていると考えると、 少し滑稽だとも思いました。       (編者)「背負って」です。

黙っている羊のコート温ければ  もとは羊として生きていたが今ではコートの毛皮 となってしまったのだろうと思う。羊の儀牲の上で の温かさであるとこのコートを着る人は考えなけれ ばいけない。羊の命に感謝して温かさをかみしめる べきだと思う。       (編者)「犠牲」です。

黙っている羊のコート温ければ  私はこれまで安価なコートしか使ったことがなかっ たのですが最近ウールのコートを購入しました。小 倉のよく行っている古着屋さんで60年代のコートが 完璧な状態でありました。今までのコートとは全く 異なり馴染み方や温かさが段違いでした。最近コー トを買って温かいと思っていたのでこの句を選びま した。

ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり (臼田亜浪)   冬の寒い朝、ポカポカのふとんからでたくなく  て、あと5分だけこのままいられたらどんなに幸  せだろう…と毎日思っています.この気持ちはみ  んな思じなのかなと思ってうれしく思いました。     (編者)「思じ」は「同じ」?

「ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり」  冬になって、気温が下がり、短日(日が短い)に なります。寒くなると、なかなかふとんから出られ ません。それで、寝坊したり授業に遅刻したりする こともあります。

  ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり  蒲団に入って寝るという行為にぽつくりを加える だけで、寒い夜に蒲団に入るだけですぐに意識が失 なわれる情景が表わされています。

  ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり  とても身に覚えのある俳句だった.ちょっとだけ 休憩するつもりで布団に入ると、気がついたら2〜 3時間寝てしまっていることがよくあるので、とて も共感した.

  ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり  ぽつくりと、という表現が良いなと思った。  早く家に帰ってふとんに入りたいと思った。

ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり (臼田亜浪)  冬は気温が下がり、ふとんで身を包んで出られな くなるが、それを”ぽつくり”と表現しているのが面 白いと感じた。

「ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり」  私も冬の寒さ朝ふとんから出るのがとてもいやで、 引きこもっているうちに気持ちよくなって二度寝を してしまうことがあったので、このふとんの歌には どこか親近感が湧きました。       (編者)「寒さ」は「寒い」?

ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり (臼田亜浪)   冬の寒くなった季節でふとんから出られなくな  る様子が思いつく

「ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり」  先週から、今週の水曜まで、雨の後だったのもあ り、気温がとても低く寒く、家路が遠く感じたが、 冬は睡眠時間が長くなるような気がするし、ふとん から出れなくなるため、とても共感した。

ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり (臼田亜浪)   冬の自分の様子そのままで共感しました。蒲団  に入っている姿を"ぽつくりと"と表現しているの  が、丸く盛り上がった様子を思い起こさせて可愛  らしいなと思いました。

(編者)「ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり」(臼田亜浪)の  「つ」が小さくなりました。   ぽっくりと蒲団に入りて寝たりけり  昨日の僕です。完全に蒲団気持ち良すぎてぽっく りいってしまうというのがとても共感できるなと感 じました。

(編者)同上。  臼田亜浪の「ぽっくりと蒲団に入りて寝たりけり」 について。まず、「ぽっくりと」という表し方が俳 句らしく、かわいらしく、この一言で何となく、温 かい雰囲気がわかる。さらに、冬になると、誰しも、 寒くて、蒲団から出られなくなり、ずっと寝ている。 この、誰もが当てはまり、冬の日常をかわいらしく 表現しているのが、魅かれた。

 「海はるか長方形となる鮪」(大脇みや)  長方形というだけで、夜ごはんで鮪の刺身が出て くるイメージが浮かんだ。図形を使うにしても箱な ど無機物でしか使わないのに、食べ物と関連づけて 読み手に連想までさせるというのは流石だなと感じ た。

海はるか長方形となる鮪 (大脇みや)  遠い海で鮪が大きく成長しているのかなと思った

「枯れてゆく葉にねぎらひの日射(ひざし)かな」                 (進藤幸子)  葉が枯れ落ちていくような季節になると、太陽が 雲に隠れてしまう日や、雪が降る日が多くなります が、ごく稀にコートが必要ないくらいの暖かな日差 しがさす日があり、その日をただ「今日は暖かくて ラッキーだな」と思うのではなく、枯れていく葉た ちへ労いととらえているのが素敵だと思いました。

枯れてゆく葉にねぎらひの日射かな  冬になり落ちてゆく葉にひざしが当たる様子が日 の光がそれまで生きてきた葉をねぎらっているよう に感じたのだろう。

枯れてゆく葉にねぎらひの日射かな   冬は植物が枯れてしまうため、さびしいです。 しかし、この詩ではねぎらいの日をあびていてあた たかい気持ちになりました。

 私は「枯れてゆく葉にねぎらひの日射かな」とい う俳句が良いと感じました。枯れてしまって、自分 の役割を終えた葉たちが、日射によって賞賛される という情景がキレイでとても良いと思いました。

  枯れてゆく葉にねぎらひの日射かな  この俳句からは、一年を通して、冬に終わりを告 げてしまう葉に注目した句で、枯れて落ちていく葉 に一年の頑張りを認めるかの様な句は、とても興味 深いなと思いました。

枯れてゆく葉にねぎらひの日射(ひざし)かな」               (進藤幸子) 感想:枯葉に当たる日射を「ねぎらひ」の光として 表現されていることが面白いと感じた。また枯葉に 前向きな印象を与えている点が面白いと感じた。

(編者)「枯れてゆく葉にねぎらひの日射かな」(進藤幸子)の  「ねぎらひ」を「ねぎらい」に改めて。 「枯れてゆく葉にねぎらいの日射かな」   紅葉に日が当たって美しく見える様が思い浮か  んだが、その日を”ねぎらいの”と表現しているの  が良いと思った。

(編者)同上。  枯れてゆく葉にねぎらいの日射かな  秋から冬へと季節が移ろいゆく中で、青々と茂っ ていたはずの葉がどんどん枯れ果てていく。そのよ うな葉に労いの言葉をかけるかのように暖かい日射 しが降りそそぐというのどかでありながらも物悲し い風景が思い浮かぶ、そのような季節ならではの様 子がとても気に入っている。

(編者)手本を写し間違えて。 枯れてゆく葉にねぎらひの日射   冬は植物が枯れてしまうため、さびしいです。 しかし、この詩ではねぎらいの日をあびていてあた たかい気持ちになりました。

「あたたかき日は日短きこと忘れ」(後藤比奈夫) が印象に残りました。最近家でこたつを出したので すが、家でゴロゴロしているとあっという間に日が 沈んでしまい、日の短さをしみじみと感じるのはこ の句と同じだなと感じました。 「ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり」(臼田亜浪) も印象に残りました。朝早い時等は特に、温かい蒲 団から中々抜けられなくなるのと、共感を覚えまし た。

買物はたのしいそがし日短 (星野立子)   買い物は楽しくて、あっという間に時間が過ぎ  るものだということを言いたいのだと思う。 冬の水浮かむ虫さえなかりけり (高浜虚子)   冬の水の冷たさがわかる俳句だと思った。   水がとても冷たくて、水面に浮かんでいる虫が  いないということを表現している。

 星野さんの短日の句はすごく共感できます。たま に行く買い物は楽しいけれど色々考えたりして忙し く、あっという間に1日がすぎて充実していること を思い出しました。  冬の水の句は、夏など暖かい日にはどこにでもい た色々な虫が冬の寒い時期には一匹もおらずさみし いような虫が苦手な人からすればうれしいようにも 取れる句だなと思いました。  ふとんの句はあたたかそうな感覚が伝わってきて いいなと思いました。自分が寝ることが好きなので うらやましいなとも思いました

・買物はたのしいそがし日短(星野立子)    この句の通りで、冬になると太陽が早く沈ん   でしまうので、友達と買い物に行くと、楽しい   時間はあっという間に過ぎてしまいます。それ   に、買いたい物を選ぶ時間も短くなってしまう   ので、早く店内を回らないといけなくなって、   忙しいし、つかれるときもあります。 ・ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)    ふとんに入っているとあったかくて気持ちい    いので、朝起きれなくなります。特にするこ    とが無い日はずっとこもってしまいます。

 短日  買物はたのしいそがし日短 (星野立子) (感想)確かに買物をした日は短く感じます。よく   言う楽しい時間はあっという間に過ぎるという   ことなのだと思いました。最近は長時間、外で   買い物をせず、ネットで済ませてしまうことが   多いので、詠まれているような内容を実感しづ   らくなっているとも感じました。  蒲団  ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪) (感想)冬は本当にふとんから出たくない季節だと   毎年感じています。もしこの授業が3限ではな   く、1限だったら休む人が増えていたかもしれ   ません。それくらいふとんの気持ちよさと冬の   寒さの厳しさは力強いものだと思いました。

・冬の水浮かむ虫さえなかりけり (高浜虚子)   冬の水は本当に冷たいため虫も人間と気持ちが  同じなのだと思いました。 ・ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)   寒いため全身で蒲団をかぶりたい気持ちに共感  しました。

黙っている羊のコート温(ぬく)ければ               (橋本美代子)  羊のコートだけでは耐えられないほど酷く冷え込 んだ日の情景を表していると考えられます。羊のコー トという名前は想像ではモコモコとしていて体を暖 めるのにはとても適していると考えられます。しか し、そんな羊のコートを着ていても耐えられないと いう俳句なのでこの俳句が作られたのは雪が降るほ ど冷え込んでいる冬の一日なのだと思いました。 ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり (臼田亜浪)  この寒い冬の時期のとても頼もしい蒲団の様子を 表現しており今回の俳句の中で一番共感できました。 冬になると気温が低いのに加えて…日が暮れる時間 も早く日が昇る時間も遅いという深い眠りにつくの はピッタリな時期です。寒い外から疲れて帰ってき て暖かい家の蒲団で泥のように眠る。このように眠 れるのは冬の今だけだと伝えてくれるような俳句だ と思いました。

ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)   ぽつくりというのは死んだように寝ているとい  うことかなと思った。毎朝ぶとんから出たくない  自分と、早く起きないとと考える自分とで戦って  いるので、たまに、死んだように一日中ふとんの  中で寝ていたい。 海はるか長方形となる鮪 (大脇みや)   海を長く泳いできた鮪が、長方形の形に切られ  て食べられるということなのかなと思った。想像  しただけで美味しそうでした。鮪食べたい。

 冬といえば他の季節と比べて、「寂しい」や「静 か」というイメージがあって、実際多くの句がそう いったイメージを含んでいましたが、「冬の波」 「冬濤」といった季語で冬の荒々しさを表現する句 もあって、同じ冬にも色んな面があることを知り、 面白いと感じました

 

【第12回目俳句感想文】
「師走の夜つめたい寝床が一つあるきり」            (尾崎放哉)  この俳句から恋人との別れを感じました。  恋人と別れたさびしさが、師走の夜の気温によっ て冷えてしまった寝床をさらに冷たく感じさせてい るような様子が思い浮かびました。また、「寝床が 一つあるきり」からも1人ぼっちになってしまった さびしさを感じました。

師走の夜つめたい寝床が一つあるきり(尾崎放哉)  この俳句から、とても寂しい印象を受けました。 何があったとは書かれていませんが、悲しい出来事 があったのではないかと私は考えました。読手の想 像力をかきたてる句であると思いました。師走とい うと忙しさや行事が思い浮かびますが、寂しさを感 じさせる月でもあるなとこの句を読んで感じました。

師走の夜つめたい寝床が一つあるきり  12月になり、とても寒くなった寝床へと入るさび しさをうたったのだろう。冬の夜のつめたい空気感 とそこからくるなんともいえないさびしさが伝わっ てくる。

「師走の夜つめたい寝床が一つあるきり」  十二月の寒い冬の夜だと、布団をしいて、寝よう としても、しばらくの間は暖かくなく、むしろ冷た いくらいで、さらに一人暮らしの寂しさもあいまっ て体だけでなく、心も冷たい気分になってしまう状 況がこの歌から読み取ることができ、状況が私と似 ているところがあるので共感したから。

「師走の夜つめたい寝床が一つあるきり」              (尾崎放哉)  一人暮らしをしていると、帰宅したら真っ暗な部 屋で室温も下がっています。  ちょっと寂しいな。早くお正月帰省したいな。そ んな気持ちも浮かんでくる俳句だと思いました。

  師走の夜つめたい寝床が一つあるきり  冬、とくに12月の寒さは厳しい。そのため寝床も ひどく冷えてつらい、という気持ちに共感できた。

 尾崎放哉の師走の句は一人の寂しさを冬の冷たさ でより一層強く感じていると思う。放哉は若い頃は 豊かな暮しをしていた。しかし、無所有の信条に心 を移し、一人の生活を行うことにした。放哉は常に 自然と一体化することを求めていたため、人一倍感 性が優れていたのだと考える。また、彼の俳句は自 由律のものが多く個性的な句が多いと感じた。今回 の句は慣れた生活の中でふと感じた冬の寒さや孤独 感を的確に表現していると考える。彼は「孤独」と いうものを悪い意味で捉えず、一種の趣として扱っ ていると思う。そのような考えだからこそ一人とい う俳句の中に力強さや生命の尊さを上手く入れ込ん でいると思う。

 人工肛門(オストミー)のおなら優しき師走かな              (秋元不死男)  オストミーって何だろうと不思議に思った。

  人工肛門のおなら優しき師走かな  人工肛門というのがどういう意味なのかよく分か らなかった。おならが私たちの考えている臭いもの でよいのか、それとも全く別の”おなら”なのかギモ ンに思った

「オストミーのおなら優しき師走かな」  この時期にこたつでおならをするのがとても気持 ちがいい覚えがあります。この俳句を見て、それを 思い出しました。体調に気をつけて過ごしたいです。

冬の朝 「母恋し冬あかつきの汽車ひびき」(渡辺白和泉)  都会で仕事をしている人が、正月に実感へ帰ろう と汽車に乗っている情景が浮かびました。  自分も冬休みに実家に帰る予定なので重なるとこ ろがあります。

母恋し冬あかつきの汽車ひゞき  この句は一人暮らしの人なら感じると思います。 今では汽車ではなく独特の汽笛も聞こえませんが、 年末に実家に帰るため、朝早く起きたことを思い出 します。今年は冬休みが短いので帰れませんが、実 家が恋しく感じたり、帰りたくなることは毎年のよ うに訪れます。

「母恋し冬あかつきの汽車ひゞき」  まず情景として、実家に帰省していた大学生の娘 が、冬休みが明けて、学校へ行くため実家をあとに する、帰りの汽車の出発の頃の光景が思い浮かびま した。これは私も毎回の長期旅行のたびに体験して いることで、やっと実家で人がいる生活や勝手に食 事が出てくるありがたさになれてきた頃に帰る時間 となり、さびしくなります。また、朝早く出発であ るのもかかわらず娘のために、わざわざ起きて駅ま で見送る母の愛情と、母もまたさびしがっている様 子が伝わってきました。

  母恋し冬あかつきの汽車ひびき(渡辺白和泉)  これを読んでとても母を思い出しました。とても 良い句です。早く帰省したいと思います。

  母恋し冬あかつきの汽車ひびき  昨年、初めてのひとり暮らしで、コロナがあって 夏のあいだ帰れず、正月も3ヶ日がすぎてからやっ と帰れたのだが、それまでのあいだ線路を通る新幹 線の音を聞いて家族恋しさが増していたのをこの句 で思い出せた。

  母恋し冬あかつきの汽車ひゞき  私はこの俳句が最も印象に残った。  上の句で母恋しとあるので家族と作者は別々の場 所にいることがわかった。汽車とあるので、冬に家 族を思っている時汽車の蒸気の音が聞こえてきた様 子を俳句にしたのではないかと考えた。私も下関に 来て、家族から離れてしまったため、この俳句の様 子を深く感じることができた。そのため私は今日の 授業の中でこの俳句が最も印象に残った。

  母恋し冬あかつきの汽車ひゞき  実家が電車の走る線路に近い所にあったので、こ の句を読んで自身がまだ幼い頃の様子を思い出し、 少し懐かしい気持ちになった。

 母恋し冬あかつきの汽車ひゞき (渡辺白和泉) (感想)   「冬の朝」の部分を「あかつき(暁)」と表現   することにより具体性がつき冬の朝早い時間だ   と推測できる部分が面白いと感じた。また「母   恋し」と「汽車」で別れの表現だと思わせる部   分も工夫していると感じた。

  月一輪凍湖(とうこ)一輪光りあふ            (橋本多佳子)  月が湖に反射して光りあっている様子がきれいだ と思った.一輪と表現しているのもいいと思った。

  月一輪凍湖一輪光りあふ   湖の表面の氷であればそれなりに白んでいるは ずなので月の光も分散してきれいに反射しないよう に思う。この人が見た湖はかなりにごった汚い湖だっ たのかもしれない。もしくは植物性プランクトンが 育ちすぎたかのどちらかであると思う。

  月一輪凍湖一輪光りあふ  空に浮かんでいる月と、凍った湖の氷に写ってい る月が光あっている状況を指しているのだろうか。

  月一輪凍湖一輪光りあふ  幻想的で美しい自然の一場面を切り取ったおしゃ れな句だと思った

 猟銃音湖(うみ)氷らんとしつつあり(相馬遷子) の俳句から、猟銃を撃ったことで、周辺の空気が緊 張して、湖が凍ったように静かになった情景が浮か んだ。

  黒板と黒板拭(ふき)と冬休み (三橋敏雄)  小学生の頃、冬休みの直前に一斉で学校の大掃除 をしたのを思い出しました。黒板をきれいに拭ける と達成感があったのを覚えています。

黒板と黒板拭と冬休み  学校の冬休み前の大掃除をイメージした。  普段黒板は黒板消しを使って消すことぐらいしか ないが、年末の大掃除の時はぞうきんで拭いたりな ど特別な掃除をするのだろう。

 私は黒板と黒板拭と冬休みが良いと感じた。  冬休みに入る前の大掃除できれいにされた黒板と 黒板拭きがぽつんと教育にある感じが想想できて冬 休みだなと感じられるからだ。黒板拭きが大掃除を 連想させるのも良い       (編者)「教育」は「教室」、「想想」は「想像」で         すね?

選んだ俳句……黒板と黒板拭と冬休み (感想)  日頃は朝から夕方まで授業で使っているので黒板 にはチョークで書かれた文字がいつもあるし、黒板 拭きも授業で書かれた黒板を消すために汚れている が、冬休みには授業もなく生徒もいないので、黒板 は深緑のままで黒板拭きもチョークの粉で汚れてい ない.その情景を余計な技法を一切使わずストレー トに伝えてくるのでとても気持ちの良い俳句だと感 じた。

  黒板と黒板拭と冬休み  冬休みに入る前は大掃除があって、普段よりも黒 板がきれいだったことを思い出した。  また、学校では必ず毎日使われる黒板はしばらく 使われない冬休みの閑散とした学校の雰囲気を感じ た。

黒板と黒板拭と冬休み   なんでもないような、大したことのない句のよ うにみえるが、大人になるとなかなかこのような句 は思いつかないなと感じた。  子どものころは、冬休み前の終業式の日は、いつ も以上に黒板と黒板拭をきれいにしていたなと思い 出した。そしてそのきれいな黒板を見てわくわくし ていた。今思い返すと、あの時の異常にきれいな黒 板が冬休みのはじまりの合図だったのかもしれない。

黒板と黒板拭と冬休み (三橋敏雄)  小学校や中学校・高校の頃、冬休みの前になると 大そうじをして、必ず黒板ふきをしていたのを思い 出しました。とてもなつかしく思い、この俳句を選 びました。

「黒板と黒板拭と冬休み」という俳句ですが、私は 以下のように読みました。季節は冬で、その中でも 冬休みの時期だという場面設定です。冬休みで人が いない教室に、黒板と交番消しがぽつんと佇んでい る情景が頭に浮かびました。冬の寒さから生じる冷 たさが無機質に浮かびあがっていると思います。

黒板と黒板拭と冬休み <理由>  子供たちがみんな冬休みになって休んでいる中、 学校の中でも同様に黒板と黒板拭きが休んでいると いう視点が興味深いと感じたから。最近は黒板が減 り、ホワイトボードにかわっていっていると聞き、 少しさびしく感じた。

 三橋敏雄の冬休み 黒板と黒板拭と冬休み につ いて。  この詩を読んだとき、小学校や中学校を思い出し ました。冬休みに入る前に、学校で大掃除があり、 ずっと使っていた黒板も、冬休みに入る前にきれに 黒板拭きに拭かれる。何ともいえない、冬休み前独 特の教室の雰囲気が、教室の中でも、大きくて、目 立つ黒板が存在感を放ち、休みが始まることを告げ てくれているような感じが懐しく、その瞬間が非常 に伝わりました。       (編者)「きれに」は「きれいに」?

 三橋敏雄の「黒板と黒板拭と冬休み」を読んで、 師走の12月の下旬に誰もいない教室の中、黒板と黒 板消しだけが残っているという情景描写に冬らしい 風情を感じた。

  黒板と黒板拭と冬休み  小中高校生の時は誰しもが経験したことだと思い ます。  冬休みに限らず長期休暇前の大掃除では必ず雑巾 で黒板拭きをしていました。特に冬休みの前は、寒 い中冷たい雑巾を絞って年末だからきれいにしなきゃ という気持ちで掃除をしていました。いつもは乾い ていてちょっと白い黒板が、水で濡れてピカピカに なった様子を思い出させてくれる句でした。

黒板と黒板拭と冬休み  今回はこの句が印象に残りました。なぜかという と、この句の情景、作者の心情等がすぐに想像でき たからです。冬休みに入る前に教室を掃除し、黒板 も綺麗にしてから下校するという風習が小中学校の 時にあったのを思い出しました。冬休みに入るのを 嬉しく思う反面、がらりとした教室を見て少し寂し く感じていたのをよく覚えています。

 今日の句で一番印象に残ったのは、三橋敏雄さん の「黒板と黒板拭と冬休み」である。この句を見た 時に、冬休みに入る前の大掃除で黒板をきれいにし ていたことを思い出した。あの時は何でもない普通 の日常だったが、今となればどれも大切な思い出な んだなと思った。この気持ちを味わわせてくれたこ の句はとても印象に残った。

「黒板と黒板拭と冬休み」.確かに、冬休みになる 前、教室の掃除が必ず行います.教室を整えて、秋 学期の終りを宣言する。

黒板と黒板拭と冬休み  小学生や中高生の頃、冬休みに備えて大掃除でい つもより丁寧に黒板を拭いて、ピカピカにしていた のを思い出しました。いつもの掃除の時間とは違い、 冬休みに入るワクワク感があって皆もどこか楽しそ うな様子が思い浮かびます。もうこのような楽しみ は体験できないけど、時々思い出したいと思いまし た。

『黒板と黒板拭と冬休み』  冬休みが始まる前にみんなで行った大掃除がなつ かしいなと思った。制服からジャージに着替えてめ んどくさいと思いながらもなんだかんだ楽しく、達 成感のあるものだったことを思い出した。あれは高 校生や中学生だったから味わえたものだと思うと、 なんだかさみしい気持ちになった。

 「冬休み」 <感想>一件、簡単な単語からできた句ではあるが、    季節感がとても合っていて親しみやすいと感   じた。

「寒鰈箸(はし)こまやかに食ふべかり」            (草間時彦) カレイが鰈と書くのを初めって知ったが、カレイの 平たい様が蝶にも似ているとも感じた。カレイと平 目の見分けは、置き方を変えると通用しないのでは ないかと思った。  この句のように、カレイは骨が小さく急いで食べ るときには適してないため好みではなかったが、昔 祖父が、カレイのような魚料理は、食事の時間が長 引くため好きなメニューと言っていて、納得した。

冬薔薇の棘(とげ)にさされし血は甘し          (鈴木真砂女)  バラは凄く上品な花なのでそのトゲにさされて出 る血も上品な感じがするなと思いました。バラの中 でも白いバラの方が赤いバラより落ち着きがあって 良いなと思いました。

 薔薇の棘はもちろんささると痛いもので、冬薔薇 ともなればなおさら痛いということが想像できます が、冬という季節自体自分にとっては寒いを通り越 して痛いと感じることがあり、より冬っぽさが際立 つ季語だと思いました。

冬薔薇の棘にさされし血は甘し  ふゆのバラはどこかさびしい感じとはかない感じ がしつつ、それでいてより美しいというイメージが あります。そんなバラのトゲにさされたケガの血は 甘いというのは、よりそのバラの美しさや赤い血か ら連想される赤いバラが鮮明に伝わってきました。 夏でも秋でもなく、冬のバラだからこそ、活かされ るバラのよさを感じることができて、とても好きな 句でした。

  冬薔薇の棘にさされし血は甘し 「血は甘し」という表現が良いなと思った。なぜバ ラのトゲにさされた血が甘いのか考えてみたが理由 はわからなかった。  「さされし」の所をひらがなにすることで全体の バランスをとっていると感じた。

   冬薔薇(ばら)  バラは、冬のイメージがあるので、しっくりきま した。雪がかかっていると尚、情緒があると思いま す。「冬薔薇の棘にさされし血は甘し」の詩を詠ん で、バラのとげにさされたら痛いと思いますが、何 故かロマンティックな雰囲気を感じました。       (編者)一輪のバラのイラスト略。

 私は、今回の俳句の中で、”冬薔薇の棘にさされし 血は甘し”に興味を持った。  この俳句の季節は冬である。俳句の中に冬薔薇と あるが、私は自然に咲くバラを見たことがない。ま た、俳句の中に、”血は甘し”とあるため、とても真 赤な血が流れたことを表現する比喩表現ではないか と考える。  また、寒い中、バラの棘でさしてしまったことは 痛々しく考えたくなかった。冬薔薇は何色であるの かも気になった。普通のバラは赤いため、冬薔薇も 同じ赤一色をしているのか、別の色をしているのか 調べたくなった。  以上より、私は”冬薔薇の棘にさされし血は甘し” という俳句が最も印象に残った。

冬薔薇の棘にさされし血は甘し (鈴木真砂女)    血が甘いわけないと感じた。    普通に痛くて、鉄の味がすると思う。

師走の夜つめたい寝床が一つあるきり(尾崎放哉)  一人ぼっちで寂しいのかなと感じた。  12月はクリスマスもあるから余計に一人だという ことが悲しく感じてしまうのかなと思った。 月一輪凍湖一輪光りあふ (橋本多佳子)  月の光が氷った湖に反射して、きれいに光ってい るように見えるのかなと思った。  すごく良い情景だなと思った。

・師走の夜つめたい寝床が一つあるきり(尾崎放哉)   夜、寝る時に布団に入ったばっかりだと冷気で  布団が冷たいです。このような様子をうまく句に  していてすごいと思いました。 ・冬薔薇の棘にさされし血は甘し (鈴木真砂女)   正直よく理解できませんでした。血の味が甘い  と感じたことは一度もありません。

師走の夜つめたい寝床が一つあるきり(尾崎放哉)   最近は夜すごく寒くて、ふとんに入ってもふる  えるくらいです。しばらく入ってあっためてやっ  と寒くないようになります。 冬薔薇の棘にさされし血は甘し (鈴木真砂女)   バラは触ったことがないので、どれだけ痛いか  わからないけど、ばらにさされた血が甘いとはど  ういうことなのだろうと考えさせられました。

 月一輪凍湖一輪光りあふ (橋本多佳子) 月の光が凍った湖の上を反射している様子が描かれ  ていると思う。月と氷湖の両方が光っているとい   うことを光あふで表現している。 黒板と黒板拭と冬休み (三橋敏雄)   冬休みは学校が休みであるため、黒板と黒板拭  を使うことがない。黒板と黒板拭も人間と同じで  休みだということを表現していると思う。

 今回は「月一輪凍湖一輪光りあふ」が印象に残り ました。句から月が凍った湖に映る情景が浮かび、 非常に美しいなと感じました。もう一つは、「黒板 と黒板拭と冬休み」(三橋敏雄)も冬の学校の肌寒 く、休みの嬉しくも、少し寂しいような感覚を思い 出しました。

 冬薔薇の棘にさされし血は甘しでは、冬の棘にさ されるのはとても痛そうだと思いました。黒板と黒 板拭と冬休みでは、黒板などが懐かしく感じました。

  猟銃音湖(うみ)氷らんとしつつあり             (相馬遷子)  動物たちが冬眠してしまう時期が近づき狩猟がそ ろそろ終わってしまう時期が近づいていることを表 現した俳句だと感じました。冬の静かな山の中で猟 銃の音だけが轟く美しい情景が動んできました。  冬薔薇の棘(とげ)にさされし血は甘し               (鈴木真砂女)  冬の手の感覚がなくなりそうなほど寒い1日の出 来事を表現した俳句だと感じました。多くの植物が 枯れてしまう冬の時期。そんな中美しく咲いている 薔薇に思わず手をけがしてしまう。手をけがしたこ とよりも薔薇という美しい花を見つけた嬉しさと寒 すぎてあらゆる感覚がにぶってしまっているため血 が甘く感じたのだと私は思いました。冬薔薇という ものを今まで見たことがないため見てみたいという 気持ちが生まれました。       (編者)「情景が動んできました」の「動んで」は         「浮かんで」?

 冬休み  黒板と黒板拭と冬休み (感想)高校生の時は黒板ではなく、ホワイトボー   ドだったので、中学校の頃を思い出しました。   夏休みに比べるとかなり短い休みだったけど、   個人的には夏以上に思い出があるように思いま   した。  冬薔薇  冬薔薇の棘にさされし血は甘し (感想)傷口から血を舐めたのだろうと思われます   が、自分の経験では、血は甘くなかったので、   不思議でした。薔薇の棘による出血の時だけ血   が甘くなるとか、そういうことがあるのでしょ   うか。多分ないと思いました。

 冬の朝の句は私も電車の音を聞くと家族のことを 思い出すので共感できました。冬の朝は空気が澄ん でいて汽車の音がよく聞こえるのかなと思いました。  相馬さんの氷湖の句はだんだん凍っていく湖の様 子に寒さを感じました。  広瀬さんの霜月鰈の句は冬限定の霜月鰈に旬の色 という表現をしている所がいいなと思いました。競 りに冬の旬の魚がたくさん並んでいる景色も浮かび ました。

 

【第13回目俳句感想文】
好きな人ふたりゐて冬あたたかし (浦川聡子)   恋人でなくても、友だちや家族といった好きな  人といると寒さを忘れるほど、楽しい!!冬は、  誰かと過ごしたくなる。       (編者)クリスマスツリー、ケーキの箱、帽子、ハー         ト形、雪の結晶などの集められたイラスト略。

 浦川聡子さんの句は、冬になると人肌が恋しい季 節になるという意味が含まれていると思う。現代は ストーブやエアコンなど機械の発達により寒さを防 ぐことが簡単になった。しかし、作者はそんな暖か さよりも人の湿もりを感じることがいちばんの防寒 になると考えていると思う。また、好きな人と一緒 だとその効果は増大し、心まで湿められるというこ とを表現したかったのだと考える。特別なことを行 うのではなく、好きな人と日常的な生活を送ること が幸せなんだと作者からの思いが伝わってきた。作 者は、夫と子どもが存在している。この環境が一番 幸せだということに気付けたのだと感じた。何気な いことが、実は大切だということをこの句を通して 伝えたいのだろうと思う。       (編者)「湿もり」、「湿めらる」は「温もり」、         「温められる」です。でもこの誤字、いいですね。

 浦川聡子さんの「好きな人ふたりゐて冬あたたか し」という句が一番印象に残った。冬というのは寒 い季節であるが、好きな人との間に生まれる愛情と いうぬくもりが、その寒ささえ忘れさせてくれると いうような句で、とても良いなと思った。

好きな人ふたりゐて冬あたたかし  好きな人がいればそれは身も心もあたたまるだろ う。無論冬もあったかいはずだ。しかし、好きな人 がいない人にとってはつらいものなのだろう。きっ と二人であたたまっているのを見てこのような人は、 冷たい視線を寒い中向けるかもしれない。私の冬は いつも寒いな、と変な風に考えてしまう。そんな一 句であった。

「好きな人ふたりゐて冬あたたかし」  冬になると、寒くなりますが、好きな人と一緒に いると、寒さがやわらぎ、心があったまります。と てもすてきな時間です。恋人はもちろん、家族と一 緒に過ごすと、いままでたまっていた疲れが取れ、 いやされる時間です。年末に家族団らんで、リビン グに集まり、談笑したり、食事をしたり、新年をむ かえたりすることはとてもすてきです。母国に帰っ て、家族を会いに行きたいです。

  好きな人ふたりゐて冬あたたかし  まず、最初にある「好きな人ふたりゐて」という ところから、2人の好きな人で思い浮かぶのは親の こと。親2人と冬をすごしていて心があたたまって いるということを表したものであると考えた。  もしくは好意を寄せている異性が2人おり、その 両方と別々の場所で時間を過ごすことができて、幸 せであるということも表していると考えた。

  好きな人ふたりゐて冬あたたかし(浦川聡子)  冬は人肌が恋しく感じて、身も心も冷えきってし まうし、失恋なんかしたらもっとさびしくなってし まうため、あえて恋人ではなく”好きな人”を2人作 ることによって心の空虚感を紛らわしているのを表 した句なのかなと思いました。

 好きな人ふたりゐて冬あたたかし   るんるんな感じが伝わってくる

好きな人ふたりゐて冬あたたかし (浦川聡子)   冬はクリスマスや正月など人とすごす行事が多  くて、1人では余計に寒さが辛いだろうなと共感  した。

好きな人ふたりゐて冬あたたかし  自分は今までクリスマスに縁がなく、プレゼント のもらえる日であると思っていましたが、彼女が言 うには恋人と過ごすのが一般的と言われ、冬という 寒さは心までも寒くしてしまうのだと理解しました。 男性と女性では感覚がこんなにも違うのだなと実感 しました。

好きな人ふたりゐて冬あたたかし (浦川聡子)   これは、好きな人とふたりで一緒に過ごすのが あたたかいねという話なのか、好きな人が2人いて、 好きな人が1人だけなのより多くのあたたかさを感 じているのかどちらなのかが気になった。読んだと きの直感では後者に感じた。

”好きな人ふたりゐて冬あたたかし”  寒い冬だけど、恋人や友人など、好きな人がいる   から心もあたたまることができて、好きな季節    だなと感じます。     また、寒いからこそ人のぬくもりをより感    じることができて、あたたかいという情景が       伝わってきて好きな句でした。

暖冬の海を三百六十度 (増成栗人)  海の上にいて360度海を見渡せる様子がいいと思っ た.冬でも海風をあびながら気持ちよさそうと思った.

  暖冬の海を三百六十度 (増成栗人)  冬の海は寒すぎるが、最近の様な暖冬であれば、三 百六十度みたいにゆっくり見に行くのも良いと思った。

  てんたうむしだましが死んで冬至かな            (斎藤夏風)   この句で初めて「てんとう虫だまし」という虫 が存在することを知りました。アブラムシではなく 野菜などを食べる草食のてんとう虫に似た虫は害虫 であり、この虫が死ぬことで冬を感じるという私に とっては新しい感覚で面白いなと思いました。これ から草食のてんとう虫っぽい虫を見かけたら、この 句を思い出すと思います。

てんたうむしだましが死んで冬至かな   さみしい感じで、でもてんとうむしというとこ  ろでやわらぐ感じがする。

  のらくらもあればあるぞよとしの暮 (一茶)  この俳句は、おおみそかの家族団らんの場面が浮 かんできました。家から出た家族も戻ってきて、皆 で年を越す所をイメージしました。最近は、コロナ で帰省ができない人も多くいるので早くコロナが収 束して、家族皆で紅白を見ながらゆっくりできる日 がくると良いなぁと感じました。

  いさゝかの金欲しがりぬ年の暮 (村上鬼城)  年末で欲しいものがあってお金が足りないという のはとても共感できるが、少ししか欲していないと いうのが少し違うなと感じた。基本的には物欲がな いが、今回たまたま欲しいものができたという倹約 家が使いそうな言葉に思える。貯金ができない自分 にそのワードチョイスはない。

「いさゝかの金欲しがりぬ年の暮」  最近、苦学生に対し、10万円の給付が決定し、僕 のもとにも、給付金の申請書が届いたので状況的に、 この歌とマッチしていたので選びしまた。

  いさゝかの金欲しがりぬ年の暮  つい最近までお年玉をもらえる「子ども」の立場 だったけれど、20歳を向かえてそろそろあげる側に なったり諸々の準備をしなくてはならなかったりと お金を使う側になってしまうなとこの句を読んで思っ た。       (編者)「迎える」です。

 村上鬼城の「いさゝかの金欲しがりぬ年の暮」に ついて。  年の暮ということは、もうすぐで次の年が来て、 お正月が来るということ。お正月には、子どもたち は家族や親せきの人たちから、お年玉をもらう。子 どもたちが、お正月にお年玉をもらうことを楽しみ にしている様子が思い描かれる。  正直、年始ではなく、年の暮になっているところ がよくわからないが、もしかしたら、大人の目線で 考えると、年末年始にたくさんのお金を必要とする ため、年の暮にお金を欲しがるのかなとも予想でき る。

年の暮  いさゝかの金欲しがりぬ年の暮   年末で忘年会などの飲み会で、出費が多い社会  人をイメージした俳句なのかなと思った.   また、お年玉が待ちきれない子供としても考え  られると思った.

  いさゝかの金欲しがりぬ年の暮  年末年始やクリスマスと年の暮は一年で最も忙し く、あわただしく時が過ぎていきます。イベントが 多くお金をたくさん使ってしまうので、ついお金が 少しでも欲しいと思ってしまいます。正月には家族 や親せきからお年玉を貰うことがあるので、特に子 供はこの時期に待ち遠しくなるのかなと思います。

  選んだ俳句 いさゝかの金欲しがりぬ年の暮 (感想)   この俳句を読んで私は「少しもお金が欲しくな い」という態度を親に見せて子供が良い子でいるよ うにして親に対して好印象を与えて年明けのお年玉 をもらうときに例年よりも良い子にしていたという 褒美の分を加えてより多くのお年玉をもらおうとす るズル賢さが伝わってきた。

いさゝかの金欲しがりぬ年の暮   年末になると誰しも出費が多くなってしまうた め、お金が欲しくはなる。それは自分達のような学 生だけではなく、年始のお年玉の用意やクリスマス プレゼントを用意しなければならない大人や親もそ うなのだろうと思った。

冬海や落花のごとく鴎(かもめ)浮く            (中村草田男) 感想 冬の海の上を飛んでいる鴎(かもめ)を散り   落ちた花のようにたとえている部分が面白いと   感じた.       (編者)お手本で用いられている「かもめ」の旧字体         がないので、「鴎」で代用します。

冬海や落花のごとく鴎浮く (中村草田男)  まずこの句をつくった人の名前がすんごいなと感 じた。とてもおもしろい。句に関しては光景を実際 見たことはないけれどなんとなく想像がついておも しろいと感じた。

・冬海や落花のごとく鴎浮く <理由>  冬の寒い海にもの悲しくいる鴎と海の景色がしみ じみと感じたから。またこの景色は2時間ドラマの ワンシーンに出てきそうな感じがした。

「冬海や落花のごとく鴎浮く」 ・冬の海に鴎たちが浮いている情景を落花の様に見 えたという風情がある表現がされていて、とても面 白いと思った。

  冬海や落花のごとく鴎浮く  ”落花のごとく”と表しているのが、秋の紅葉の季 節がすぎ去り、冬になったというのをさらに感じさ せるなと思いました。

冬海や落花のごとく鴎浮く 中村草田男  冬の静かな海の上でカモメが飛んでいるという風 景は、そのままでも絵になりそうなものではあるが、 この句ではその様子を「落ちる花」のようだと表現 している。個人的に、カモメをこんな風に言い表せ る感性がとても素晴らしいと感じた。

「冬海や落花のごとく鴎浮く」   情景として、ほどよくひらけた場所から冬の海 をながめている人間が、海面を不規則に上昇・下降 する鴎を見ている光景が浮かびました。鴎を木から 落ちる花びらのようにたとえたのは、海とそれを眺 める人間の距離が物理的に遠かったのか、その人間 の視力が悪かったのか、人間と鴎と、それを見る第 三者(詠み手)との物理的距離又は次元の異なりが 影響しているのか…など、様々な解釈ができると思 いました。鳥を、たった今役割を終えた落花にたと えることで、どこか無感覚で、冷たい印象を与え、 それが冬の海と非常によくマッチしていると思いま した。

冬の海 改札に人なくひらく冬の海 (能村登四郎)  私がこの俳句を読んで一番に感じたのは、冬の海 が本当に冬の海なんだろうか?ということです。本 当に田舎の人にしかないような情景が思いうかんだ ため、これが都会だったら、一体何が広がっている んだろうと考えました。実際に人のいない改札があ るとしたら、やはり冬の朝早くなんだろうなと思い、 これは時間にしばられている都会では絶対にできな いものだなと改めて美しい景色を思い浮かべました。

  改札に人なくひらく冬の海  ”人なく”という言葉が、冬のしんとした海の広さ をより効果的に表現しているのではないかと感じた。

「改札に人なくひらく冬の海」  改札、冬の海という2つの単語でここまでものさ びしい雰囲気が出せるのかと感心した。人なくひら くという言葉できちんと人気のないことが言葉にさ れているが、この2つの単語だけでも静かでさびし い様子が伝わってくる.

改札に人なくひらく冬の海  年末年始に休日なので改札に人が少ない状況なの かなと思いました。

「改札に人なくひらく冬の海」 ・冬の海への改札には誰もいなくて、さみしさが残 るが冬の海はひらかれている広大さが伝わって良い 詞だと感じた.

”改札に人なくひらく冬の海”    これからは離れてしまうが、私は冬の改札が   好きだ。色々な目的のために個性豊かな冬の装   いをして、改札を通る。朝と夕方が一番人が多   いので、その時間に電車に乗るのも好きだ。冬   という単なる季節のおかげで好きなものが増え   ていく。

「改札に人なくひらく冬の海」(能村登四郎)   近くに海がある地方の駅員がいない無人駅で、  さらに利用者も減ってしまってがらっとしたホー  ムが、冬の海とリンクしてより一層さみしさを感  じさせている情景が浮かびました。   また、ホームに人がいないことで、駅の向こう  側にある海まで景色がひらけている様子も浮かび  ました。

改札に人なくひらく冬の海   電車の改札が開くが誰もいない様子を悲しく感  じ、冬の寒さも合わさってより寂しさを感じてい  るのだろう。

  改札に人なくひらく冬の海  改札に出て、目の前に海がある、寒い冬なので海と 駅のさびしい様子を浮かんできました。

  みそ味の少し甘めの真魚鰹 (福井貞子)       (編者)お手本で用いられている「まながつお」の漢         字(魚偏+昌)がないので、別の漢字を用います。

「まながつお」という魚のことを初めて聞いた.  どんなカツオだろうと思ったら、とくにカツオと は関係ないと聞き、驚いた

酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠(わな)か(岡村夕虹)  牡蠣は私も好きでよく食べます。いろんな食べ方 があってどの食べ方もおいしいですが、酢で食べる のは初めて知りました。今度機会があれば食べてみ ようと思います。

「酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か」(岡村夕虹). 冬の時期になると、牡蠣の旨みもより一層になる. さらに酢を入れて、酢で肉を軟らかくなる効果があ るため、牡蠣の肉はもっと軟らかくなる.厚重な旨 み(甘さな感じ…)と酸っぱいの味を組み合わせ、 最高の酢牡蠣になるでしょう.

酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か (岡村夕虹)   字余りと字足らずがとてもいい味を出している  と感じた。熱していない牡蠣はとても美味しいが、  だからこそその後起こるかもしれない苦痛が待っ  ている。

  酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か   かきのおいしさが伝わってくる

  酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か (岡村夕虹)  広島出身なので、とても牡蠣が食べたくなりまし た。冬に実家に帰ると毎年牡蠣を食べるので、この 年末年始で食べようと思います。酢牡蠣もとてもお いしいのですが、昔お腹を壊したことがあるので、 「罠か」という部分が共感できるような気がしまし た。

酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か (岡村夕虹)  牡蠣が食べたくなるような句で良いと思った。

 私は酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠かが良いと思っ た.牡蠣は軟らかく、美味しく、ついつい食べ過ぎ てしまうんだけど、多く食べると腹をくだしたり、 痛風になったりノロウイルスにかかったりといった 危険もあるのを罠と表現しているところが気に入っ た

酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠(わな)か(岡村夕虹)  冬の味覚として知られる牡蠣だが、 ノロウイルスをもち、感染すると強列な腹痛におそ われる食材でもある。  生牡蠣を食べないという人もいる程だが、 美味しくてつい食べてしまう牡蠣を、罠と例えてい るのが面白かった。  食べられるしかない牡蠣の最後の抵抗かと思う。

 私は酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠かが良いと思っ た.牡蠣は軟らかく、美味しく、ついつい食べ過ぎ てしまうんだけど、多く食べると腹をくだしたり、 痛風になったりノロウィルスにかかったりといった 危険もあるのを罠と表現しているところが気に入っ た

  酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か 牡蠣を食べてノロウイルスの食中毒を心配しつつも、 そのおいしさに箸を止めることができずに罠と表現 している

・てんたうむしだましが死んで冬至かな(斎藤夏風)   テントウムシダマシが正直気持ち悪かったです。 ・暖冬の海を三百六十度 (増成栗人)   展望台から海を見下ろしている風景が目に浮か  びました。凄い絶景だと思います。

てんたうむしだましが死んで冬至かな(斎藤夏風)   てんとうむしだましが冬至の時期に寒くて死ん  でいる様子を表現していると思う。 冬海や落花のごとく鴎浮く (中村草田男)   冬の海の上に、飛んでいる鴎が落花のようにゆっ  くり降り、浮いている様子を表現していると思う。

冬至  てんたうむしだましが死んで冬至かな(斎藤夏風) (感想)テントウムシだましという生き物がいるこ   とを初めて知りました。そして、なぜてんとう   虫だましが死ぬと冬至なのか不思議でした。何か   そういう意味があるのでしょうか。 冬の海  改札に人なくひらく冬の海 (能村登四郎) (感想)冬の電車の改札やホームにはなぜか人がいな   い感覚になります。気温が落ちて空気がうすいよ   うな、視界がうすいようなそんな気がします。特   に海なんかは夏のれがんが多いだろうから、この   排句の情景が容易に想像できました。       (編者)「れがん」と読み取りましたが、意味はわか         りません。「俳句」です。

「いさゝかの金欲しがりぬ年の暮」(村上鬼城)の 年の瀬にどことなく懐の寂しい感覚に共感を覚えま した。  他には「てんたうむしだましが死んで冬至かな」 (斎藤夏風)も印象に残りました。夜の長く冬の寒 さも本格的に厳しくなってくる冬至をてんとう虫と からめて表現しているのが印象に残りました。

いさゝかの金欲しがりぬ年の暮 (村上鬼城)  この俳句を初めて聞いた時これは見栄を張ってい る俳句なのではないかと思いました。年の暮れとい えば昔は大晦日までに今までの借金を返さなければ ならないというお金に追われる時期と言われた以上、 今となればお年玉や正月太りというように贅沢な食 事をしてお金が消えてしまう時期なため少しでも多 くのお金があった方がよい時期だと考えられます。 しかし、この俳句では少しのお金も欲しがらないと 書かれており少しかっこつけている、もしくは来年 が良い年になるように我慢している様子を描いてい るのではないかと思いました。 冬海や落花のごとく鴎(かもめ)浮く            (中村草田男)  この俳句は小魚などを求めた鴎が海面に多く集ま り食事をした後、ゆったりと海面に浮んでいる様子 を描いていると感じました。冬の海というイメージ は寒い上に風が強く波も洗いイメージを思い浮かべ ていたのですがこの俳句を聞いて持っていたイメー ジが少し変わりました。

改札に人なくひらく冬の海 (能村登四郎)   静かな感じで冬のさびしさを感じました。  「開く」とあるので、人を待っているけれど、誰  も訪ずれない感じがして、切なくなりました。 みそ味の少し甘めの真魚鰹 (福井貞子)   あまり食べたことがないけれど、おいしそうに  書かれているので食べてみたいと思いました。

 酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か(岡村夕虹)を読 んで久しぶりに牡蠣を食べたいと思いました。真魚 鰹(まながつお)の詩では、最近よく見ている漁師 Yotuberの動画で真魚鰹がよく出てくるので、一度 食べてみたいと思いました。       (編者)多分「YouTuber」です。

冬海や落花のごとく鴎浮く (中村草田男)   落花のようにカモメが浮いているとはどういう  感じなのだろうと思った。想像しにくい俳句では  あるがなんとなく好きな俳句だと思った。 酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か (岡村夕虹)   酢牡蠣は食べたことはないが、おいしそうだな  と思った。軟らかいレベルを罠と表現するのが面  白い人だと思った。個人的には牡蠣フライが好き  なので牡蠣フライを食べたい。

 冬といえば寒いということに関する言葉が多く、 多くの句が気温や温度に関したものですが、「年の 暮」という季語はあまり寒暖には関係なく、それで いて12月下旬のこの時期らしさを感じられる句に なっていて、面白い季語だなと思いました。