水大歳時記(令和二年度)

 秋 の 部 

       残暑

  首筋に一筋の汗秋暑し

  銭湯に 長くつかれず 残暑かな

 

    肌寒(はださむ)

  肌寒く 秋を知らせる 朝の風

 

       

  君の顔   優しく照らす   月灯り

  秋の月照らすは夜の虫の歌

  たそがれて名月共に酒酔いす

  月が綺麗と言ったきみの横顔

 

     天の川、銀河

  喧騒の 合間懐かしむ 天の川

 

     流星、流れ星

  流星が 終夏の夜空 かけまわる

  来年も 貴方の隣で 流れ星

  星流れ私の恋は終わりけり

  流れ星一閃の筋夜空(そら)を切る

  待ちわびて 頭文字だけ 流れ星

 

       秋風

  秋風と 凪海に浮く おぼろ月       備考:空気が澄んできたことを表す

  山の中さりげなく囁く秋の風

 

      台風、颱風

  台風だ   風が強くて   吹き飛ぶよ

  通過して晴れをもたらす台風や

「台風一過」   母が去り  台風一家  ここにあり

  強すぎる 秋風として 台風は

 

   盂蘭盆会(うらぼんゑ)

  お盆来て 夏の暑さは 熱地獄

激怒   盆明けの 白波たてる 日本海

 

      鈴虫

  水芭蕉   揺れるあぜ道   鈴虫か

 

    桃(もも)の実

  白桃も 毎日食えば 飽きが来る

 

   山葡萄(やまぶだう)

  雨粒と   朝日にきらめく   山葡萄

 

    西瓜(すいくわ)

  大玉の スイカがポツンと 店の番

 

       授業

  休み明け   でも対面なし   うれしなし

  来週は   テストいっぱい   やだきつい   でもやらいないと   単位取れない

  夏終わり 近づいてくる 期末課題

 

      学生生活

  波待ちて ここぞとばかり パドリング

「土砂降り」   土砂降りの 明けない夜に 花およぐ

残暑   ギラギラと 光さす頃の 忘れ物

  渡せずに冷蔵庫の中仕舞い込む      寂しく眠る心のように

  暴風雨  海をも動かす  力持ち

台風   暴風雨 ビニール袋の お祭りなり。

台風   暴風に 全てを盗られ 残酷だ

  深海に 美貌を隠す 赤珊瑚   色抜けて 止まる演奏 泣く珊瑚

  美しいその一言が含み持つ      尊敬の念愛惜の情

 

      エッセイ

季語:今朝の秋   立秋の 前から見れた 今朝の秋  立秋の日の朝に、秋の予感を感じさせることを表 す言葉がありました。しかし今日の外からくる朝日 の色は既に、熱いにも関わらず秋を感じさせる色で あったので、この俳句を詠んでみました。

季語:台風 台風が 窓を揺さぶり 戸を叩く  もう季節は秋に入り、台風が日本にやってくる時 期になりました。そんな台風は家のドアと窓をめちゃ くちゃに叩くのです。そこで、そんな台風と家の様 子を俳句にして詠んでみました

「実家から秋刀魚の糠漬け焼き損ず」  実家から地元の初秋刀魚が届きました。アパート にはIHしかなく、火力が弱いので思い通りに焼くこ とができませんでしたが、旬の秋刀魚は脂がのって いておいしかったです。でも、やっぱり秋刀魚は七 輪で遠火の強火でこんがりと焼けた秋刀魚が一番美 味しいです。

  夏終わり 人が少ない 表海      しかしクラゲと 魚は増えた  夏になって少し人が増えたかなと思っていた表海 も夏休みが終わると入学当初に見たような人の少な さを取り戻していました。しかし、そんな表海でク ラゲと魚(特に稚魚)をたくさん見ることができる ようになりました。

 

【第9回目俳句感想文】   初秋や草をくぐれる水の音 (鷲谷七菜子) 感想・・・最近本当に暑いので、この句を詠んだ瞬  間はやく涼しい秋が来ないかなと感じました。で  も初秋という言葉を夏が過ぎ涼しくなった頃を指  すと考えていましたが、正しくは8月の中旬から  9月はじめを指していると知ったので、この句の  時期はまだまだ暑い時期なのかと少し驚きました。  そう考えてこの句を詠むと、水の音という部分に  暑さの中の少しの涼しさを感じることが出来る気  がします。

初秋 初秋や草をくぐれふ水の音 (鷲谷七菜子)  ここ2日間は、雨が降っていたりして、夏の暑さ がどっかに行った気がした。  そして、少し濡れた草をみて、初秋を感じた。

  初秋や草をくぐれる水の音  想像ができて良いと思う

  初 秋 や 草 を く ぐ れ る 水 の 音  この句を選んだ理由は、季節の変化を感じにくい このご時世で季節の変化を詠んだこの句は毎年のよ うに感じられる季節を感じさせてくれて良いなと感 じた。まだ、秋の訪れは早いように感じるが秋がく るのを楽しみにさせてくれるような句だった。

選んだ句;初 秋 や 草 を く ぐ れ る 水 の 音 選んだ理由;梅雨が明けて木々の葉っぱに残った水  滴が落ちていくような風景が想像でき趣深く感じ  たから。

初 秋(はつあき、しょしゅう)   初 秋 や 草 を く ぐ れ る 水 の 音              (鷲谷七菜子)  まずこの句の季語は「初秋」季語ですが、秋の季 語です。私の中では8月は夏という認識なので秋の 季語というと違和感があります。  句についての感想ですが、私は絶えず水の流れて いる水路の両脇には草がたくさん生い茂っていて、 それが水路を覆うような様子をイメージしました。 この句は初秋やで一度句が切れています。そして次 に出てくるのが草でそれをくぐる水の音とあります。 普通、8月になれば草木は茎が伸び、葉をたくさん つけている時期です。だから水は草をくぐることが できるのでしょう。逆に冬であれば大体の草は枯れ てしまうので草をくぐるという表現は適さないと思 いました。

  初秋や 草をくぐれる 水の音  他がぴんと来なかった。

  初 秋 や 草 を く ぐ れ る 水 の 音     感想:秋の季節の風流な情景を流麗に表現        していると思います。

初秋   初秋や草をくぐれる水の音  夏休みが終わり夏の終わりが近づいて来たのでこ れを選びました。最近台風が発生して天気が荒れて きて水の音をよく聞きます。まだまだ暑い日が続い ており、この詩を読んで秋を待ち遠しく感じました。

「初秋やひとのうしろを風がすぎ(桂信子)」  秋になると稲穂が黄金色に染まり風になびく。そ んな越後平野の田園風景を思い出しました。

  初 秋 や ひ と の う し ろ を 風 が す ぎ  まだまだ暑い日が続きますが、気が付けば8月も 後半でもうすぐ9月です。あっという間に夏が過ぎ 去った感じです。時間は風のように一瞬で流れて行 き、自分の背後で刻々と時が去って行くようなこと を感じさせる句だなあと思いました。

  初秋や人のうしろを風がすぎ 桂信子  今は、まだ秋というより、夏という言葉が似合う ぐらい、毎日うだるような暑さが続いていて、正直 夏にうんざりしています。しかし、毎年夏が終わる ころになると、風の匂いが変わり、もう終わるのか となんだかとてもさみしくなります。ですが、秋に なると、食べ物がおいしく感じられ、さらに、スポー ツをするにしても、読書するにしても、一番快適に 出来るような気がして、ワクワクした、うれしい気 持ちになります。そして、これから待っている寒い 冬に、なぜだかわかりませんが、少し不安を感じた りもします。この俳句は、風が人の前を通るのでは なく、後ろを通ることから、どことなくさみしいも のを感じました。以上のことから、秋を迎えるうれ しさは、この俳句からはあまり感じることが出来ま せんでしたが、夏を終えるさみしさ、冬を迎える不 安が感じられたので、これからの自分を表すようで、 気になり選びました。

「初 秋 や ひ と の う し ろ を 風 が す ぎ 」  秋の初めになってもまだ暑さを感じるが、人の後 ろを不意に風が通り過ぎる様子が秋の気配を感じさ せる。

  初秋やひとのうしろを風がすぎ(桂信子)  蒸し暑さでたまらなかった夏の風が、いつの間に か風が吹くと涼しく感じられるようになった。自分 の後ろに吹く風はもう秋なのか、という情景が思い 浮かびました。  夏が終わる時は順調に季節が移り変わるのではな く、猛暑の爪痕を残しながら涼しくなっていきます。 ふと感じる風が秋なのは、季節を感じることができ、 夏が恋しい寂しい気持ちになります。  そのあとの残暑で、早く秋になってほしいと思っ てしまいますが。

  初秋やひとのうしろを風がすぎ  少し涼しくなって来て秋を感じる様子が風がすぎ のところで感じまた移り変わるというのも風がすぎ、 去っていく様子から伺える

秋 暑 し 亀 甲 泥 を の せ て 這 ふ            ( 横 山 白 虹 )   2020年、夏。  気を失いそうになるほどの暑さも、もうすぐ終わ りを告げようとしている。なぜ夏の終わりはこうも 寂しくなるのか。  私は約半年ぶりに実家に帰省した。地元の景色は 何も変わっていなかった。父が少し老けたように見 えたぐらいだろうか。私は帰省中の2週間に夏のす べてを詰め込んだ。このバカンスが終われば、大勝 負のテストが待ち受けている。私は好きなものは後 にとって置く性であるが、今回はそういうわけには いかなかった。こうして私の夏休みは終わりを迎え た。  吉見の駅で降り、アパートに歩いて帰った。  確かに暑かったが、心なしか風は秋の涼しさを私 に感じさせた。

  秋暑し亀甲(きっこう)泥をのせて這(は)ふ  やけに明るい夜, 大きな軍団が一斉に上陸する. 心 地よい場所を見つけ, 其々続々と掘り返し始める. 穏 やかになった夜, 新しい生命が誕生する. 土を被りな がら各々海へと旅立っていった.

  秋暑し亀甲(きっこう)泥をのせて這(は)ふ              (横山白虹) 感想…… 秋の暑いとき、亀が甲羅にかける泥に水  分が混ざっているから涼んでいる様子がわかる。

俳句:秋暑し亀甲泥をのせて這ふ 感想:秋だからもうあまり暑くないだろうと思った  亀が、沼から出てきたが、思った以上に暑くて太  陽の日差しが強く、甲羅についた泥が乾燥してへ  ばりついてしまったということを私はこの俳句を  詠んで感じました。

  愛されずして沖遠く泳ぐなり (藤田湘子)  この俳句に不穏な感じがして、気になったので調 べてみたら、作者の絶望的な気分とリンクした俳句 であると知りました。海水浴という楽しげな題に対 して孤独を詠むのにも色々と考えが湧いてきます。

  愛 さ れ ず し て 沖 遠 く 泳 ぐ な り               ( 藤 田 湘 子 )  なんかしんみりとした気持ちになりました。

海水浴      愛されずして沖遠く泳ぐなり 感想:本来沖に出て泳ぐことは離岸流に巻き込まれ  ることにより、カナヅチでなくてもおぼれる可能  性がある危険な行為。つまり自殺行為です。しか  し、筆者はそれを知ったうえでか「愛されないこ  の身の上命を絶つ他ない」と考え、このようにつ  づったことでしょう。個人的にポルノグラフィティ  の楽曲、サウダージの一節「思いを紡いだ言葉さ  え影をにおわすのならば 海の底で物言わぬ貝に  なりたい」を思い出しました。しかし、何故筆者  は愛されないと感じたのでしょうか。『母なる海』  と言われるくらいに、海は包容力の象徴とされま  す。おそらく、自分を受け止めてくれる人が身近  にいなかったからでしょう。

  キャンプして海の暗さを知りにけり(白土青波)  夜の海は暗くて恐いのは当然だが、キャンプでの キャンプファイヤーで周りが明るくなり、夜の海が 照らされると、昼とは違う海の顔が見える。

  キャンプして海の暗さを知りにけり(白土青波)   感想  夏の海に行く機会が多く明るい海をみるが、キャ ンプして夜の海を見ると海が暗くなっていたという 情景が浮かび想像できたためこの俳句を選びました。

  キャンプして海の暗さを知りにけり(白土青波)  キャンプというのは日常から離れた楽しいものと いうイメージが浮かぶがここではその危ない一面を 海の暗さとして表現しているのではないだろうか。 考えさせられる一句だ。

好きな句   キャンプして海の暗さを知りにけり 感想  昼間は太陽の光を浴びて海は輝いているが、夜に なるとそんな海も漆黒になる。太陽に海は見出され ているのだ。  また、海の輝きがあるからこそ太陽の存在もより 際立つ。  暗闇の中にある一つのぽつんとしたキャンプの明 かり、それは太陽の偉大さと広大な海を再び実感さ せてくれるだろう。

キ ャ ン プ し て 海 の 暗 さ を 知 り に け り            ( 白 土 青 波 )  海辺でのキャンプの夜の時間に、海を見に行って あたり一面真っ暗な海を初めて見た様子を表してい る。「けり」で最後区切られているため、海の暗さ がより強く印象に残る。波の音だけが響き、海の暗 さと広さに飲み込まれそうな感じがした。

キ ャ ン プ キ ャ ン プ し て 海 の 暗 さ を 知 り に け り  キャンプではないが私はこの前、海の近くで花火 をした。以前私が住んでたところは海から遠く、ま た、旅行などで海に行くことはあっても、暗くなっ てから海に近づいたことはなかった。なのでその時 初めて、暗い海をまじかで見た。昼間は青く透き通 り、魚なども見えていたが、夜の海は、浅瀬でも真っ 黒で、吸い込まれそうで、怖かった。

  キャンプして海の暗さを知りにけり  この句を読んで、海辺でキャンプファイアーをし ながら海を見つつ、明るい陸地と暗い海を対比して いるようで綺麗だなと思いました。

  キャンプして海の暗さを知りにけり(白土青波)  私が、この句を詠んだ感想はキャンプをしていて 夜になると波の音しか聞こえなくなり海の暗さを感 じることを連想させられました。最近は、バイト帰 りに暗い海を見て1日の終わりを感じます。

  キ ャ ン プ し て 海 の 暗 さ を      知 り に け り  ( 白 土 青 波 )  キャンプをしたことがあまりないので、やってみ たい。海のが暗いときはおそらく夜か天気が悪い時 なので、快晴の日の昼に海を見れば海の明るさを知 ることができると思った。

 私が最も気に入った詩は(キャンプして海の暗さ を知りにけり)です。理由は普段夜海を歩いていて も暗いことに何も感じず考えようともしませんが、 キャンプなどいつもおは違う場所で過ごすことで改 めて考え感じることができ海の暗さを知ることがで きるのだと思いました。

  キャンプして海の暗さを知りにけり  私はこの句を選びました。この句は、普段は昼の 明るい海しか見たことがなかった人が、キャンプを して初めて夜の海をみて、青い海ではなく、暗い海 を初めて眺める、という情景が浮かびました。  私もこの夏、海で友達とバーベキューをしました、 その時に見た海の暗さを思い出しました。思い返せ ば夏以外の季節で海に行った思い出があまりありま せん。そのため、海の暗さ、といった言葉は、夏の 季語としてとてもふさわしいと感じました

キ ャ ン プ し て 海 の 暗 さ を 知 り に け り 感想:キャンプの時のあの真っ暗で独特の雰囲気が  漂っている夜の海の情景がぱっと思い浮かびます。  海の昼と夜の二つの違う世界観が引き立てられた  句だと思います。

キャンプ キャンプして海の暗さを知りにけり (白土青波)  夜の海は日中の美しい海とは異なり、真っ暗で波 の音がはっきり聴こえて少し怖い印象を受けたこと が伝わってきました。

  キャンプして海の暗さを知りにけり(白土青波)  私がこの俳句を選択した理由は、海の暗さという 言葉にとても惹かれたからだ。私は昼間の海も好き だが、夜の海を眺めることも好きなため、改めて海 の暗さを初めて知った時の興奮と少しの恐怖を思い 出し、改めて海の魅力に気づくことが出来た。

  キャンプして海の暗さを知りにけり(白士青波) 感想  この俳句を詠んだ時に、いつも見ている海は太陽 の光を反射してキラキラと輝いているが夏の定番行 事であるキャンプを海でした時にいつも見ているの とは違い、とても暗く少し怖くも感じることを初め て知り、筆者が衝撃を受けている様子が思い浮かび 印象に残りました。毎年家族でキャンプをしていた のですが、今年はコロナの影響で行くことができな かったので来年こそはキャンプに行って夏を満喫し たいです。

  キャンプして海の暗さを知りにけり  この句から夏で海辺でキャンプをし、夜の暗さ、 そして海の暗さ、などを感じ、夏の到来を感じさせ る句だと思いました。

  キャンプして海の暗さを知りにけり  キャンプの場所は街頭などの光がなく、星や月の 輝きがあります。その輝きのおかげで海の暗さがと ても際立つと思いました。

キ ャ ン プ し て 海 の 暗 さ を 知 り に け り             ( 白 土 青 波 ) 感想  キャンプは川に行くので海の暗さはしらないのと、 海の良さも知りたくなっていきたくなる。

キャンプして海の暗さを知りにけり     自分も小学生の頃、海沿いでキャンプをし    た際、夜の海を初めて体験しました。これま    では日中の明るい海しか知らなかったので、    少し怖かったことを覚えています。

  キャンプして海の暗さを知りにけり  私はまず海岸沿いでキャンプをしている風景を想 像しました。普段、太陽が昇っているときは日光が 海面に反射して明るいが、夜は暗いため、海の暗い 一面を知ったことを俳句にしたと感じました。

キャンプ   キャンプして海の暗さを知りにけり (白土青波)  私は、この句を詠んで以前友達とキャンプをした ときのことを思い出した。元々、都会に住んでいた ので夜も少し明るかったが、キャンプしたときは周 りが暗く、海の音は聞こえるけれど暗くて何も見え なかった。その時の脳裏に焼き付いた景色を思い出 した。

  キ ャ ン プ し て 海 の 暗 さ を       知 り に け り  ( 白 土 青 波 ) (感想)  キャンプをしたことによっていつもは青い海が夜 には真っ暗で自分も昔に同じような経験をしたこと があったのでとても共感することのできる詩でした。

キ ャ ン プ し て 海 の 暗 さ を 知 り に け り  この俳句の季語は、キャンプである。私は、この 俳句から、海にキャンプに来た夜に灯りが一つもな く真っ暗な光景を思い浮かべた。

キ ャ ン プ   キ ャ ン プ し て 海 の 暗 さ を       知 り に け り  ( 白 土 青 波 )  この俳句を詠むと家族と海岸沿い近くでキャンプ していて、日が暮れた後の海を見ると思っている以 上に海が黒く染まっていて驚きを感じたという気分 になってくる。

  キャンプして海の青さを知りにけり 感想  昼間あんなにも輝いていた海が、太陽が沈んだこ とで真っ暗になり昼間では感じることができない海 に対する恐怖の感情が感じられた。       俳句を書き間違えてます。「青さ」ではなく「暗さ」。

キャンプ   キャンプして海の暗さを知りにけり(白土青海)  キャンプは夜もたき火をしたりして明るかったり 施設の明かりが明るかったりするので海の何もない ときの暗さとはくらべものにならない状景を思いう かべることができる句でした。

キャンプ   キャンプして海の暗さを知りにけり(白土青波)  海が見える場所でよるを過ごすことで普段見るこ とのない夜の海をのぞむことができ、陸地に比べて 光源がないことで海の暗さを実感する。それに加え て夜特有の静けさをどこか感じさせているようにも 思えました。

選んだ俳句:キャンプ   キャンプして海の暗さを知りにけり(藤田湘子) 感想:キャンプをすることで海に光が無くて真っ暗  である事が改めて分かったことを伝えたい作品で  あると思いました。私自身も海沿いでキャンプし  た経験があり当時同じことを感じたのでとても共  感できました。

  キャンプして海の暗さをしりにけり(白土青波)  キャンプで、夜の海を目の当たりにして、昼の青 い海とは違い、真暗な海を見たというのが想像でき た。また、カタカナが使われているのが新鮮だった。

キャンプ   キャンプして海の暗さを知りにけり  海に美しいというイメージだけを持っていたがキャ ンプの夜に波の音をきいたり外を歩いてみると、暗 い海岸の不気味さ、怖さなんてものを感じてしまっ たのではないかと、この詩をよみ思いました。

「キャンプして海の暗さを知りにけり(白土青海)」  昼間の海は雄大で寛大なものだと感じるが、一方 で、夜の海は暗く人知れない怖さを感じることがあ る。しかし、周りが暗いため、星はよく見え、夜月 に照らされ輝く水面は綺麗です。またキャンプした くなりました

  キャンプして海の暗さをしりにけり(白土青波)  この句を選んだ理由は、今年の夏はコロナウイル スの影響でキャンプに行けず、いつもより残念な夏 となってしまった。そこで、過去に海辺でキャンプ したときに夜、海を見たときに真っ暗だったことを 思い出させてくれたこの句でこの夏を乗り越えるこ とができた。これから先も少しの間は外出もままな らないだろうが、来年にはコロナウイルスも収まっ て夏にキャンプに行けるのを熱望している。  次の句は自作の句である。   伝統の太鼓鳴らない夏休み  私は、北九州に住んでいるのだが、夏には小倉祇 園という祭りがあり、そこで祇園太鼓の 演奏がある。 これは、ある一定のリズムで太鼓を叩くもので、小 倉に住んでいれば誰しもが毎年練習していたり、聞 いていたりするものである。しかし、今年はコロナ ウイルスの影響で祭りが中止になり、太鼓の音色が 聞こえることはなかった。例年ならば、七月には音 色が響いていたのが今年は全く聞こえない。いつも あったのが当たり前だったが、当たり前に感謝して 生きていかなければと思った夏休みだった

【俳句】   サーファーが涛(なみ)の白馬に乗りきたる              (半田黄三) 【感想文】 俳句の中に記述されている白馬はサーフィンに適し ているような白波の比喩表現でサーファーは波にま るで白馬に乗る王子様のような爽やかに悠然と乗っ ているのが想像できる。

  サーファーが涛の白馬に乗りきたる  白波のことを白馬と呼ぶ視点が素晴らしいと思う

  サーファーが涛の白馬に乗りきたる(半田黄三)  サーファーはサーフボートに立って波に乗る。そ の波に乗った倒れないサーファーと波の波しぶきの 白色がまるで白馬に乗っているようだと読んだ詩だ と思った。とても夏を感じられる。

【選んだ俳句】   サーファーが涛(なみ)の白馬に乗りきたる              半田黄三 【感想】  海の白波の上をいくサーファーのカッコよさと、 それを羨望の眼差しで見つめる人の姿が思い浮かび ました。  今年は分かりませんが、私の地元はサーフスポッ トとして有名であり、夏にはいつも静かな浜がサー ファーでいっぱいになります。波にのる人々は老若 男女問わず、カッコよく見えたものです。そんな今 年は見られなかった光景が目に浮かび懐かしく思い ました。  また、白い波を白馬ということで、まるで王子様 のように颯爽と波に乗るカッコよさが表されていて、 作者がサーファーに熱い眼差しを向けていることが 想像されました。

  サーファーが波の白馬に乗りきたる 感想  自分は、宮崎の海岸沿いに家があったので、よく サーフィンをする人を見てました。この句は、波に 乗っているサーファーをうまく表しているので、選 びました。

  サ ー フ ァ ー が 涛 ( な み ) の 白 馬 に       乗 り き た る  この俳句からサーファーが大きな波の白波の上を 華麗に乗りこなしているような情景を浮かべること ができ。夏の海を満喫しているように感じることが できる。

サーフィン   サーファーが   涛の白馬に   乗りきたる  サーファーが白波に乗っている所を、白馬に乗っ ていると例えているところが素敵だと思いました。

 私は「サーファーが涛の白馬に乗りきたる」が気 に入りました。連日猛暑の日々が続いていますが、 この俳句を読んだ時サーファーが波に乗っている姿 が想像でき、少し涼しい気分になれました。また、 波を白馬と表現しているところからも躍動感があっ ていいと思いました。

選んだ句 「サーファーが涛の白馬に乗りきたる」 半田黄三 感想  これは、海でサーファーが楽しんでいる情景を連 想するとともに波に乗っていてとても快い感覚を感 じさせるものだと感じました。また、この句からは、 夏といったものが強く感じるため興味をそそる感じ がしたので特に目に留まるような感じがしました。 さらに、夏を楽しむという雰囲気から自分の夏休み に関して楽しかったことを振り返るといったことを 気づいたりしていてこちらまで楽しい雰囲気になっ たのでこの句にひかれたように感じました。

俳句:サ ー フ ィ ン サ ー フ ァ ー が 涛 の 白 馬 に 乗 り き た る            ( 半 田 黄 三 ) 感想:波を白馬に見立てることで水面を疾走してい  る情景が思い浮かべやすかった。

  サーファーが涛の白馬に乗りきたる (半田黄三)  サーファーが白波に乗る様子を白馬に乗る様子に 例える発想に感銘を受けた。また、波の漢字も涛を 使うことで、波の勢いが強いことを表しているのこ とも馬の力強さを表しているようで素晴らしいと思っ た。

「サーファーが涛の白馬に乗りきたる」(半田黄三) 感想  秋が近づく季節ではあるが、まだまだ暑く海岸で  サーファーがサーフィンをしている光景が鮮明に  イメージできた。また、波の頂点の崩れた白波の  部分を白馬に例えており、うさぎ等の例えは聞い  たことはあるが、白波から白馬が連想されること  は初めてで驚いた。

・私が選んだ俳句は サ ー フ ァ ー が 涛 ( な み ) の 白 馬 に     乗 り き た る  ( 半 田 黄 三 ) という句です。 (感想)  筆者の白波のことを白馬と例えているところがナ ルシストに感じて面白いと感じました。また、今年 はコロナの影響で海水浴することができませんでし たが、来年海水浴に行くことになれば少しだけサー フィンをしてみたいと感じました。

選んだ句「サーファーが涛の白馬に乗りきたる」 感想:涛という暴れ馬をサーファーという騎手が華  麗に乗りこなしている姿を連想することが出来る。

  サーファーが涛の白馬に乗りきたる  今までの課題では、題となる単語が和語だったけ れど、今回は片仮名の俳句がいくつかあり、その中 でもこの「サーファー」という単語に目を引かれま した。  句自体は非常に想像しやすく、「涛」という書き 方が特徴的だけれど、「白馬」というのは表現で、 波が起きたときにできる白い空気の泡を現している のだろうと思いました。

句 サーファーが涛の白馬に乗りきたる 感想  サーファーが波に乗っている様子を白馬に例えて よまれている句だと思った。波の先は泡等で白く見 えるために白馬に例えることができるのだと思い、 この情景が例えにより増して輝いて見えるようにな るのではないかと思う。またサーフボードが馬に乗 る部分と重なって見えるように感じた。

好きな句:サーファーが涛の白馬に乗りきたる            (半田黄三) 感想:サーフィンの様子をサーファーが上手く乗れ  ている波を白馬にたとえて「白馬に乗りきたる」  としているのがおしゃれでいいと思いました。

  サーファーが涛の白馬に乗りきたる  夏のスポーツの一つのサーフィンが季節感もよく、 昔からの御伽話とは一味違う令和版の白馬の王子様 に見える焼けた肌の似合うスポーティな男性を好む 女性もいるのではないかと思い表現が面白かったた め。

「サーファーが涛の白馬に乗りきたる」  サーフィンは、凪な日より多少荒れていて白波が 立っている日の方が向いていると聞いたことがあり ます。白波を白馬と読み替えているところが非常に 趣が深いと思いました。

  サーファーが涛(なみ)の白馬に      乗りきたる     (半田黄三)  サーファーが、白馬に乗ると表現しており、白波 にうまく乗りかっこよく滑っている様子が容易に想 像できた。自分もかっこよくサーフィンでうまく波 に乗ってみたいと思えるような歌であった。

俳句:晩夏光サーフボードはまだ濡れて               (津田このみ) 感想:作者はサーフィンをまだ楽しみ切れていない  のに終わりそうな夏に悲しみを感じていることを  俳句にしたのではないかと思いました。

  晩夏光サーフボードはまだ濡れて  夏も終わりが近いけど、サーフボードが濡れてい る所から、まだ海へ行きサーフィンをしていると思 われ、まだこの人は夏が終わって欲しくないと思っ ているのだと感じ、少し切ない気持ちになりました。

  ぬつと鰍目と目が合うて光揺るる(佐怒賀直美) 感想:昔、釣りキチ三平の漫画でカジカの夜突きを  読んだ。この句から、光でカジカの影を浮かばせ  ている場面を見て、自分もいつかしてみたいと興  味を持ったことを思い出した。

鰍(かじか) ぬつと鰍目と目が合うて           光(かげ)揺(ゆ)るる  ふと鰍目を見つけたが鰍目も人の気配を感じて、 水面越しに逃げる様子が表されていることが理解で きる句であった。

鰍(かじか) ぬつと鰍目と目が合うて       光(かげ)揺(ゆ)るる(佐怒賀直美)  私はこの俳句を聞いて、夏に外に網を持って川遊 びにきた子供が川の中にいる鰍を見つけて眺めてい ると、鰍と目が合って鰍が逃げていき、その水の揺 れで光が揺れている情景を思い浮かべました。

鰍 ( か じ か )  ぬ つ と 鰍 目 と 目 が 合 う て     光 ( か げ ) 揺 ( ゆ ) る る          ( 佐 怒 賀 直 美 )  鰍ろ目が合って影が揺れた。  佐 怒 賀 直 美 先生がみた情景を簡単に想 像でき、鰍は先生と目が合って影ではなく、 怖さで体が震えた(揺れた)のでしょう。

 ぬ つ と 鰍 目 と 目 が 合 う て     光 ( か げ ) 揺 ( ゆ ) る る         ( 佐 怒 賀 直 美 )  鰍と目が合ってすぐに逃げていく様子が思いうか んだ

  ぬつと鰍目と目が合うて光揺るる  私の地域ではカジカはよくとることができました。 「カジカは清流の証」と言われるくらい、きれいな 川でしか生きられないようです。川の深い、一層冷 たいところに潜るとゆったりと泳いでこちらをにら んでいます。海に出たものは50センチを超える怪 魚になるそうなので、一度見てみたいものです。

  白桃をよよとすすれば山青き (富安風生)  白桃を食べたいと思う季節は、山が青く見えるこ とを表していると思った。

  白桃をよよとすすれば山青き (富安風生) ・恐らく周りを山で囲まれた田舎で白桃を頬張って いる様子を詠んだ句であると思いますが、私は手元 にある白桃だけに焦点がいきがちなところをその遥 か奥に見据える山々にも焦点を当てることで思い浮 かぶ風景に奥行きを持たせる効果があるように思い ました。自分もこれを駆使して俳句作りに臨みたい と思います。

  白桃をよよとすすれば山青き  親戚が桃農家をやっているので、おじさんもこの ような情景が見えているのかと思った。

桃の実 白桃をよよとすすれば山青き 富安風生 感想  桃が好きなので、桃が有名なところにでも遊びに 行って桃を買いたいと感じました。

桃の実   白桃をよよとすすれば山青き  私はなぜこの俳句を選んだかというと、夏の暑い 中旬の果物である白桃を食べるとあまりのみずみず しさと白桃の甘美な香りによって作者がまるで涼し い山の中にいるように錯覚するほどおいしい白桃で あったということが鮮明に伝わってきたからです。

好きな俳句1つ目:初秋や草をくぐれる水の音 感想:残暑はまだ厳しく、秋が始まったが、草叢の  中に水の音が聞こえているので秋の気配があまり  しないということが読み取ることができる。体言  止めを用いたり、表現が分かりやすい。暑さがま  だ残る中、心地良い俳句であると思った。 好きな俳句2つ目:愛されずして沖遠く泳ぐなり 感想:この俳句からは鬱屈した気持ちが読み取られ  て、愛されないというのは人にとっては傷つくこ  とである。終わりが見えないまま遠くまで苦しみ  ながら泳いでいるように私は感じた。全体的に切  ない詩ではあるが、人間関係の複雑さが俳句から  分かり、非常に奥深い詩であると思った。

 

【第10回目俳句感想文】
  海光へ消ゆる人影浜晩夏(神徳芳子)  夏ももう終わりに近づき、活気のあった浜に、人 影がなくなっていく様子が描かれている。今年の夏、 私自身は海には行ってないが、去年の海に行ったと きの賑わった浜を思い出しながら、俳句の表す様子 に寂しく感じられた。

  海光へ消ゆる人影浜晩夏  感想:この詩を目にしたとき、一瞬にして脳裏に  三角定規たちの肝臓が脳裏によぎりました。この  詩は一見、太陽が沈みゆく夏の砂浜から帰ろうと  する人々を描いたようにも見えます。しかし、そ  れはまやかしです。その理由は、彼らは存在その  ものが消えているからです。いえ、もともと消え  ていた者が人影として表れているのかもしれませ  ん。生からのリバティーは、アオブダイの見る夢  のごとく恐れもなしにやってくるものです。もし  彼らが、束縛との同一性を保持しようとすれば、  私たちに見分けがつくでしょうか。彼らは消えた  訳ですらなっかた、海に反射した光に溶け込み見  えなくなっただけです。彼らはそこに確かにいる  のです。

  海光へ消ゆる人影浜晩夏  私はこの句を選びました。  晩夏になり、夏の全盛期ほどの賑わいが無くなっ た砂浜を、人が海の光に消えていったと表現してい る点がすごく好きな句です。  季節が過ぎた旬のスポット、夏で言うと川や山、 海、キャンプ場などは、私はどこかさみしい気分に なります。その何とも言えないさみしさを、この句 はとてもうまく表現して、今回の句を選ぶ際に、こ の句しかないなと思うほどでした。  私個人として、夏の終わりはなんだかさみしい気 持ちになります。そのさみしい心情を自分でも言葉 でうまく表現してみたいです。

選んだ句 「海光へ消ゆる人影浜晩夏」 神徳芳子 感想 この句からはだんだん夏から本格的な秋へと  移り行く雰囲気が感じられます。また、少し寂し  くなるような感じもありとても趣があるなと感じ  ました。そして、「消ゆる人影」というところか  ら連想される情景が動いてるかのように頭の中で  どんどん連想されていく感じがとても興味深く感  じました。さらにこれからの秋へと情景が変わっ  ていったこともあり本当に面白いといった印象を  持ちました。

  処暑けふの吊橋(つりばし)の揺れ身にのこり                 (喜田将子)  私がこの俳句を選択した理由は、「揺れ身にのこ り」という言葉が頭に残ったからだ。森の中の川の 上につられた吊橋をわたりながら、川のせせらぎと まだ残るセミの鳴き声を聞きながら、和らぎつつあ る夏を感じる姿が古風でもありつつ現代的でもある と感じた。その終わりつつある夏の残りと吊橋の揺 れの残りがかみ合い、よりこの俳句の深みを感じる ことが出来た。

  処暑けふの吊橋(つりばし)の揺れ身にのこり 感想:夏の余韻を吊橋が揺れることで表現している  観点に驚きました。

  涼新た白いご飯の湯気の香も(飯田龍太)  秋涼しの「涼」であり、秋になり涼しくなってき た。お米は秋に収穫されるものであり、白いご飯(お 米)が収穫されたばかりで湯気にも新米の美味しい 香りが感じられることが表現されている。

秋涼し 涼新た白いご飯の湯気の香も(飯田龍太)  この俳句を詠むと秋の涼しさを感じながら家族と 夕飯を食べている光景が頭に浮かんでくる。

  涼新た白いご飯の湯気の香も(飯田龍太) (感想)白いご飯が温かくてご飯の温度と外気の温度  の差から秋が近づいているのを実感していてとて  も共感しました。白いご飯などの身の回りにある  ものから次の季節を実感するような句が好きです。

  涼新た白いご飯の湯気の香も 感想  打ち水をするとコンクリートの道路から湯気が出 てしまう。そんな暑さだ。涼しさを惜しむあまり暑 さに何か違うものを求めてしまう。食卓に出てくる ご飯の湯気は暑さから出てくる湯気とは違う。香り もある。この暑さに比べればご飯の暑さなど涼しい ものだ。また、こんな自然界の暑さにも何か面白み や暑さに対するとっておきの工夫があればいいのに。

新涼、秋涼し   魚飛んで新涼の海きらめかす(長岡冨士子)  夏の時期になり魚が活発に活動する中で、魚が飛 び跳ねて飛んだ水しぶきが煌めいてる姿が思い浮か んで夏が思い浮かべられました。

  魚飛んで新涼の海きらめかす  夏が終わり、徐々に涼しくなってきた日に、魚が 跳ねて水面がきらきらと輝いている状態がとても綺 麗だと感じました。

  魚飛んで新涼の海きらめかす  バイト終わりに川や海沿いを歩いているとよく魚 がはねるので、この詩に親近感がわきました。また、 山口の夏はじめじめしていて、詩のさわやかな雰囲 気とは相反しているので、それも印象的でした。

  魚飛んで新涼の海きらめかす (長岡冨士子)  魚がしぶきをあげながら飛び、涼しげな海が見え る。海の破片が陽光できらめき夏を彩るそんな感覚 だった。

  魚飛んで新涼の海きらめかす (長岡冨士子) 感想・・・秋の初めの涼しさを感じる句なので、早  く現実も涼しくならないものかと少し、しみじみ  思いました。

魚飛んで新涼の海きらめかす (長岡富士子)  船の上から見た景色なのか海岸線を走る電車の中 から見た景色なのか浜辺から見た景色なのかわから ないがとても奇麗な景色が思い浮かんだ。今年の夏 は海に行けなかったのでコロナが収まったら海に行 きたいと思いました。

・私が選んだ俳句は   魚飛んで新涼の海きらめかす (長岡冨士子) という句です。 (感想)  魚が飛び、水が飛び散って、それに太陽光が当た り、光っている様子が頭に浮かび夏らしいと思いま した。今年は海に行けなかったので来年には絶対に 行きたいと思いました。

 私は「魚飛んで新涼の海きらめかす」が気に入り ました。この俳句の様子を想像しながら読んだ時、 視覚的な涼しさを感じることが出来ました。どこま でも広がる美しい海を想像すると暑苦しさも多少和 らぐ感じがします。

流れ星   星飛んで無音の白き渚あり (菅原鬨也)  流れ星の描く軌跡がまるで波線のようで、空に波 打ち際があるかのように感じている情景が思い浮か びました。

  星飛んで   無音の白き   渚あり  流れ星と渚という、情景だけをシンプルに書き表 し、その美しさがよく表されている句だと思いまし た。

  星飛んで無音の白き渚あり (菅原閧也)   まるで意思を持って力強く飛ぶ星は一瞬に輝いて いた.  この句を見た瞬間に“マクロスF”という作品を連想 した影響か, どこか悲壮感を感じました.

星飛んで無音の白き渚あり    海の浜にいて、夜の空をみて流れ星をみてい   るんだなと思った。吉見の浜でも星がきれいに   みえるので流れ星がみえますよというときに見   ることを挑戦してみたいと思う。

流れ星 星飛んで無音の白き渚あり (菅原鬨也)  流れ星が通った跡が、白く美しい尾を引き、それ が波打ち際を連想させ、海に思いをはせている様子 が浮かびました。

  星飛んで無音の白き渚あり  流れ星を見たことがないのでいとどでいいので見 てみたい       (編者)「いとど」は「一度」?

  星飛んで無音の白き渚あり  この句を選んだ理由はパッと見た時、季語がわか らなかったから興味を持ったことにより調べてみよ うと思たからだ。この句の季語は「渚」だろう。読 みは「みぎわ」だと思う。流れ星が無音の白い波を 作っているように詠める。情景が浮かび良いなと思っ た。

  星飛んで無音の白き渚あり  静かな秋の夜の風景を思い浮かべました。私の住 んでいるアパートの裏には砂浜がありますが、そこ で波の音を聞きながら星空を見上げたら心が落ち着 きそうだなあと思いました。もう少し涼しくなった らやってみようと思います。

  星飛んで無音の白き渚あり  この句を読んで、夜の静かな渚でたたずんで、流 れ星の落ちる空を見上げている… という幻想的な光景が浮かんできました。

流れ星   星飛んで無音の白き渚あり (菅原鬨也)  私はこの句を詠んだ時、理解できませんでした。 何が理解できないかというと、星が飛ぶという表現 です。流れ星という言葉を見ていなかったら流れ星 だとわからなかったと思います。そしてそれに続い て「無音の白き渚」とあります。渚は波打ち際のこ とをいうので普通は音がします。しかしこの句では 「無音」とあります。はじめは海にいて星空を見上 げていて周りの音が聞こえないほど見入っているの かと思いましたが、空にある「白き渚」なのかなと も思うようになりました。空には天の川という川が あるのでそれをさしている可能性も考えられました。

  星飛んで無音の白き渚あり (菅原鬨也)  夜空を流れる星と地上の波のうち際を比較してい る俳句なのかな思いましたどちらも風情があって美 しい情景が浮かんでくるなと感じました。

【選んだ俳句】 星飛んで無音の白き渚あり      菅原鬨也 【感想】  この夏の思い出が、家族で庭に寝転んで流れ星を 見たことだったので、ぴったりだと思って選びまし た。  流れ星というのは、流星群の日でもなかなか流れ ないものだということを実感したので、無音という 言葉が、みんなが言葉も交わさず、一生懸命に夜空 を眺めている様子を表しているのだと思いました。 また、渚という言葉から、明かりのない浜辺まで来 て、波の音も聞こえないくらいに必死になっている のかなと想像が膨らみました。

  星飛んで無音の白き渚あり  この句は今日の課題に書かれていた俳句の中でも 特殊な言葉もなく非常にシンプルだけれど、それゆ えに情景描写がとても分かりやすく、さらには星の 動向を「飛んで」と表現することに惹かれました。

  星飛んで無音の白き渚あり 感想  この前ペルセウス座流星群があり一人海付近で見 に行き寂しくなって帰ってきたときのことを思い出 しました。  この句は波打ち際で広大な星空を細々眺めている 人の目の輝きと心の中にある寂しさを感じました。 この前の自分の句を詠まれているようです。

  星飛んで無音の白き渚あり  流れ星と静かな海が目に浮かびました。

選んだ句「星飛んで無音の白き渚あり」 感想:宇宙という無音の海に流星の尾が幻想的に見  えることが出来る。

  飛んで無音の白き渚あり  星が輝いていている中で流れ星が流れるととても 綺麗に見てたと思います。

俳句:星飛んで無音の白き渚あり(菅原鬨也) 感想:作者は星と楽しい思い出がはかなくなくなっ  ていくことをか惜しんでいると思いました。

流れ星   星飛んで無音の白き渚あり  今年の夏休み、自分ははじめての流れ星を知床の 海岸で見ました。流れ星を見ることに集中すると周 囲の音は耳に入ってこないかもしれません。流れ星 を見終わり視線をおとしてはじめて綺麗な夜の波打 ち際に気づくのかも知れないと思いました。

  星飛んで無音の白き渚あり (菅原鬨也) 「流れ星が流れている間に3回願い事を言い切れた ら、その願い事が叶う。それって流れ星で願い事は 叶わないと遠回しに言われているようなもんじゃな いか。」 「いや、僕は絶対にあきらめない。今夜絶対に願い 事を言いきってやる。」   不可能に挑みし者に流れたり      星追うものにただ誉あれ (近藤駿介)

  月の夜の水の都の生簀(いけす)船(鈴木花蓑) 9月の月のイメージとあっていて気に入りました。

  月の夜の水の都の生簀船  月夜の美しい中に船が浮かんでいる様子が見えま す。

  月の夜の水の都の生簀船  夏の夜に水に浮かぶ生簀船は趣があると思いまし た。

好きな句 船料理   月の夜の水の都の生簀船(鈴木花蓑) 感想  真っ黒な海に反射する月と舟の明かりがとてもき れいな景色だと思いました。

  月の夜の水の都の生簀船  月光に甲板と海面が照らされる中、水の都の水路 を通る船が想像でき風情を感じた。また生簀の中に いる魚も月の光を見て何かしら思いふける様子が想 像できた。

「夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり(三橋鷹女)」  はっきりと嫌いなものは嫌いと言える女性の意思 の強さを感じました。  私は優柔不断でどっちつかずの返答をしてしまう ことが多々あるので、物事をきっぱりと言える人は かっこいいと思います。あと、私は夏痩せで5kg 痩せました。

「夏痩せて嫌いなものは嫌いなり」  夏痩せして栄養価の高い食べ物を食べろと言われ るが、嫌いなものは嫌いなのだからこればかりはど うしようもない

  夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり 感想  今年の夏、夏バテで食欲がなくなり、体重が減っ たのを思い出しました。食欲を出すため、食事のバ リエーションを増やしました。

 私が一番気に入った詩は(夏痩せて嫌ひものは嫌 ひなり)です。気に入った理由は夏という体力など がいる中嫌いなものは食べないときめて痩せて行っ てしまうという考えがぱっと頭にうかんだのでこれ にしました。

  夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり (感想)  夏はしっかりと野菜を取らないといけないと言わ れるが、野菜はあまり取りたくないという気持ちも あり、嫌いなものは嫌いだと言っているこの句に共 感した。

  夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり (三橋鷹女)  この句は夏の暑さで夏バテして痩せてしまい嫌だ という気持ちが表現されているのだろうか。今週に 入り先月に比べ涼しくなってこのように嫌と感じる ことがなくなったが、先月は私もこの句の様に苦し んでいたので今回の排句の中でも目についた。       (編者)「俳句」です。

「夏痩せて嫌いなものは嫌いなり」  夏痩せして栄養価の高い食べ物を食べろと言われ るが、嫌いなものは嫌いなのだからこればかりはど うしようもない

選んだ句;夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり 選んだ理由;真夏の暑苦しい日が続いて食欲不振が 原因でやせてしまっているが嫌いなものは食べるこ とをためらってしまう様子が想像出来たから。

俳句:夏痩せて嫌ひな物は嫌ひなり 感想:夏バテで全く食欲がわかなくて2キロくらい  痩せた去年の夏のことを思い出した。

  夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり  夏の暑さに体がやられ食欲が減り痩せていくのに 対し食べた方がいいよと促されるものの嫌いなもの はやはり嫌いで結局食べる気にならない様子が伺え る

  夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり  夏バテで食べる量が減り、栄養のあるものを食べ ないといけないと思いますが、特に野菜などに好き 嫌いが多く結局食べるものに偏りが出てしまうなと 感じる俳句でした。

  夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり(三橋鷹女)  今年の夏は身体を動かすこともなく、クーラーが 壊れていて暑いこともあって朝飯を食べずに簡単な ブレンチで済ませることが多かったです。そのため か体重が50キロをきってしまいました。特異な状 況とうだるような暑さでかなり痩せてしまい、久し ぶりに会った同級生に「胸筋ない男は嫌い」と言わ れてしまったので、もっと多く食べて身体を動かそ うと思いました。

夏痩せ 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり (三橋鷹女)  自分も夏になり食欲が減り夏痩せをした。  この作者が嫌と考えているものは、多分ご飯を食 べることだと思う。  いくら体重が減っても嫌なものは嫌だ。

夏痩(や)せ   夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり 三橋鷹女 感想  今年の夏は家にいることが多く、夏バテはそんな になかったように感じました。ちゃんと食べて冬に 備えていきたいです。

夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり   (三橋鷹女)    自分は嫌いなりの部分を夏に痩せたことも合   わせて夏の食べものがどうしても食べられない   姿が思い浮かんだ。自分は夏野菜などがあまり   得意でないのでとても共感できた。

  夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり (三橋鷹女) ・鬱陶しいまでの強い日差しと蒸し暑さに気力と食  欲がどこかに追いやられる中、好きなものでさえ  も受け付けないことがあり、増してや嫌いなもの  は受け付けるはずがないというわがままを詠んだ  句のように感じました。このわがままも暑さのせ  いなのかなと暑さに対する強い嫌悪感を感じまし  た。

鯊日和(はぜびより)   つまらなくなるほどに釣れ鯊日和(小林都史子) 感想  秋はハゼ釣りの時期で仕掛けと釣り方は非常にシ ンプルで初心者でもスムーズに釣れ楽しめるため、 飽きるまで釣りを体感せよってニュアンスを感じた のためこの俳句を選びました。

俳句:つまらなくなるほどに釣れ鯊日和 感想:朝起きてからつまらなくなるほど暇な時間を  過ごしていて、ふと外を見てみると鯊が釣れそう  なとても良い天気だったと私はこの俳句を詠んで  感じました。

鯊日和(はぜびより)   つまらなくなるほどに釣れ鯊日和(小林都史子)  私はこの俳句を聞いてハゼ釣りは釣ることを楽し むのではなくつれない時間を楽しむものであり、そ こに風流を感じるものであるため釣れすぎてはつま らなくなってしまうという夏休みの長い時間を楽し もうとしている様子を感じました。

  つまらなくなるほどに釣れ鯊日和 感想:この時期の鯊は数釣りが非常に高い確率でで  きるので、つまらなくなるほど鯊が釣れるという  作者の気持ちがうかがえる句だと思います。

  つまらなくなるほどに釣れ鯊日和(小林都史子)  釣りで全く釣れないことも楽しくないが、釣り上 げすぎるのも面白くない。夏の日、はじめは魚の食 いつきが良いことに嬉しく思えるけれど、あまりに も釣り上げすぎてなんだかつまらなくなってしまっ た。  予測できないことが楽しかったなぁ、と改めて感 じさせ、予想外のことがあるから釣りは楽しいと思 いました。

鯊日和(はぜびより)   つまらなくなるほどに釣れ鯊日和(小林都史子)  本来は魚が釣れることはうれしいことであるが、 鯊が釣れすぎて、魚を待つという楽しみがないため に面白くないことが伝わる句だった

俳句:つまらなくなるほどに釣れ鯊日和              (小林都史子) 感想:夏の風物詩であるハゼ釣りは実際に飽きるほ  どよく釣れた経験があるためこの俳句に共感した。

俳句:つまらなくなるほどに釣れ鯊日和 感想:朝起きてからつまらなくなるほど暇な時間を  過ごしていて、ふと外を見てみると鯊が釣れそう  なとても良い天気だったと私はこの俳句を詠んで  感じました。

  つまらなくなるほどに釣れ鯊日和(小林都史子)  飽きるほどにハゼが釣れるのが羨ましいと思った。

「つまらなくなるほど釣れ鯊日和」  この俳句を読んで思ったのが鯊というのが夏が終 わり、もう秋になったのだと思いました。これほど 短い俳句ですが、船に乗りながら鯊釣りを楽しむ様 子が思い浮かびます。

  つまらなくなるほどに釣れ鯊日和(小林都史子) この句を詠んだ感想は、夏の暑さが秋の季節のよう な涼しさに変わったころ鯊の季節となりつまらなく なるほどに釣れたのを想像させられました。最近は、 徐々に日中など涼しく感じ秋を連想します。

  つまらなくなるほどに釣れ鯊日和(築山能波)  鯊が釣れ過ぎていることと、ハゼが釣れるに「つ れ」つまらなくなっていく言葉を掛けているように も見れて面白いです

  釣れざるを楽しむゆとり鯊日和(築山能波) 感想:小さい頃に父とハゼ釣りをしていた時を思い  出した。幼い私はハゼが釣れないときはイライラ  していたが、父は海を眺めて穏やかな顔で釣れる  のを待っていた。今はあの時の父の気持ちが少し  わかる気がする。

  釣れざるを楽しむゆとり鯊日和  この俳句の季語は鯊日和である。私は、この俳句 から釣れるか釣れないかを気にせずのんびり鯊釣り をする様子が思い浮かんだ。

「釣れざるを楽しむゆとり鯊日和 」  秋によく行う鯊釣りにて、多くは釣れずとものん びりとしながら楽しんでいる様子が感じられた。

「釣れざるを楽しむゆとり鯊日和」(築山能波) 感想  私も釣りをするので、釣れない時間を楽しむ余裕 が必要であることがよく理解できた。また、ハゼ釣 りは夏から秋でもよく釣ることができ、良型が狙え るので季節と私の好みにあった良い俳句であると思 う。

釣れざるを楽しむゆとり鯊日和      自分も釣りをやっていますが、釣りをし     ているときのゆったりとした時間が好きで、     釣れなくても楽しいところに共感しました。

  釣れざるを楽しむゆとり鯊日和(築山能波)  快晴の秋の日に、釣れない間の待つ時間がゆっく りと過ぎていくのがとてものどかな様子を表してい る。釣れない時間を楽しむむゆとりをもって釣りを するのは、贅沢な時間の使い方だと思った。

  釣れざるを楽しむゆとり鯊日和(築山能波)  魚釣りの魅力は魚を釣ることだが、魚が食いつく のを待つ時間も楽しいと言われているので、自分も 釣りをしてみたいと思った。

選んだ俳句:鯊日和   釣れざるを楽しむゆとり鯊日和 (築山能波) 感想:釣り目的で楽しもうとしていたのに釣れない がために自然などを感じ、それを楽しむことに目的 が変わっているようです。釣りに関わらず、本来の 目的とは別のものをいつの間にか楽しみ堪能するこ とは、私自身度々あったりすることなので、筆者は その環境を楽しんだことを書いているようで共感で きました。

【俳句】 梨を剥(む)くきれいな夜に会いたくて(山本恵子) 【感想文】  梨を剥いたようなきれいな満月の夜、会いたい人 がいるんだとロマンチックな俳句だと思った。秋と いう季節はどこか寂しい感じがするためこの俳句は とてもぴったりな俳句だとも思う。

  梨を剥くきれいな夜に会いたくて  私がこの俳句を選んだのは、二つの理由がありま す。  まず一つ目は、秋がすごく恋しいという気持ちか らです。梨というのは、秋が旬です。「梨を剥くき れいな夜に会いたくて」という俳句からは、梨を剥 く秋が恋しくてたまらないという気持ちを感じまし た。  そして二つ目は、梨がすごく恋しいという気持ち からです。自分の実家の周りは、小さい頃は梨畑で したが、畑をやっていた人が高齢になり、後継ぎも いないために、梨の木がたくさん切られています。 農業の後継者不足と、高齢化は社会問題でもありま すが、小さい頃から見ていた梨畑がなくなるのは、 とてもさみしい気持ちになりました。そのため、「会 いたくて」というこの俳句の表現が、すごく胸に刺 さってきました。  以上の二つの理由から、この俳句を選びました。

  梨を剥くきれいな夜に会いたくて(山本恵子)  私は、この句を見てルンルン気分で梨を剥いてい る女性の姿を想像した。きれいな夜に縁側に座って 二人で梨を食べている姿を考えると非常に心が温か くなった。

梨(なし)   梨を剥(む)くきれいな夜に会いたくて               (山本恵子)  なしのようなきれいなものに憧れている感情があ ふれてくる。

句   梨を剥くきれいな夜に会いたくて 感想  言葉の雰囲気から女性目線の句だと思った。梨を 使うことで秋を思い起こし、「会いたくて」とまだ 会っていないことからまだ秋にはなりきれていない 季節なのだろうと考えた。明確な描写はないが、恋 人に会いたい想いを詠んでいるようにもとらえられ た。また、梨が食べたくなる句だった。

  梨を剥くきれいな夜に会いたくて(山本恵子)  この句を選んだ理由は、私が梨が好きだからに限 る。そこで、この句を読んでみたのだが、おそらく 梨を剥くようなきれいな夜に好きな人と会いたいと いう気持ちが高まっているときに読んだのだろうと 考えた。そこで、わたしは思った。そもそも梨を剥 くようなきれいな夜とはどんな日なんだろうかと。 これから先はあくまでも推測に過ぎないが、おそら くその年はじめて梨を剥いて食べた日、その日は月 がきれいで一人で見るのはもったいないと思い、そ こから好きな人と見れたらいいなと思い、この句を 詠んだのではないか。  次の句は自作の句である。   梨買ってせがむ子供に悩む母  この句は、この前スーパーに行ったときに見た光 景である。その子供はよっぽど梨が好きなのだろう。 その子供の母と思われる女性に梨買ってとせがんで いた。しかし、その梨はブランド物だったのか少し 値段が高めであった。それを見て女性は、少し悩む ようなしぐさをしていた。家計のことを管理する母 親からすると、少し高いものは無駄なものであるた め、子供に言い聞かせる言葉でも考えていたのだろ うか。いずれにせよ私の想像の範囲ではあるが、も し本当だったら面白いなと思った。

  梨を剥くきれいな夜に会いたくて  暑い夏にもうそろそろうんざりしていて、早く涼 しい秋の旬の果物である梨が食べたいという情景が 浮かんできたのでこの俳句を選びました。

  梨をむく綺麗な夜に会いたくて  梨を食す趣のある夜を感じれました。

  梨を剥(む)くきれいな夜に会いたくて               (山本恵子) 感想  この俳句を詠んだ時に、筆者が秋の果物である梨 をきれいに剥くことができ、その梨を満月に見立て て、夜満月がきれいな日に恋人と会った時を思い出 し恋人のことを恋しく思っている様子が思い浮かび、 印象に残りました。私の秋の果物といったら梨で、 果物のなかでも特に梨が好きなので今年も梨をたく さん食べたいです。

梨(なし)   梨を剥(む)くきれいな夜に会いたくて                  (山本恵子) 感想:瑞々しい梨を食べながら、秋の夜空を楽しみた  いということを表していると思った。

梨   梨をむくきれいな夜に会いたくて <感想>  心地よい秋の夜長を待ちわびている心情を想像で きる

  梨をむくきれいな夜に会いたくて 感想  ロマンチックな言い回しがとても気に入りました。 梨と言えば秋なので、秋の夜が思い出されました。

  梨を剥くきれいな夜に会いたくて  今の季節に美味しい梨がしに入っていて夏らしい 爽やかさを感じた。また梨を食べながら見る星空も とても綺麗だった今年の吉見での夏を懐かしんでこ の詩を選んだ。

  梨を剥くきれいな夜に会いたくて  梨は夏を代表する果物で、天の川が見える綺麗な 夏の夜に一緒に梨を食べたいという、恋愛の感じを 想像しました。

  梨を剥くきれいな夜に会いたくて(山本恵子) 感想  「秋の剥いた梨のようなきれい満月な夜に会いた い人がいる」という俳句なのかと思った。

  梨 を 剥 ( む ) く き れ い な 夜 に       会 い た く て ( 山 本 恵 子 )  夜空に出てる綺麗な月と梨に例えていると思った。 美味しい梨を食べながら、綺麗な月を見てみたい。

好きな句1つ目:海光へ消ゆる人影浜晩夏 感想: 夏に賑わっていた浜辺も海が暗くなり、人  影も見えなくなり、夏の終わりを告げているよう  な俳句であると思った。晩夏という季語を用いて  いるので、季節の終わりを分かりやすく表現して  いる俳句であると思った。 好きな句2つ目:魚飛んで新涼の海きらめかす 感想: 秋の初めの涼しくて晴れた日に、多くの魚  が気持ちよさそうに飛び跳ねている様子が分かる。  魚が太陽の光を浴びて輝き、同時に海も輝いてい  る光景が思い浮かぶ。非常に美しい俳句であると  思った

鯊日和   つまらなくなるほどに釣れ鯊日和   釣れざるを楽しむゆとり鯊日和  魚釣りは釣れない日もあるから面白いということ を改めてわからせてくれました。

 

【第11回目俳句感想文】   無意識に唇に指あてて秋 (富安風生)  木枯らしや乾燥による唇のかさつきを無意識のう ちに気にしていることを感じる句

  無意識に唇に指あてて秋  私は、夏が過ぎ、じわじわ冷え込んでくる秋になっ て、少しずつ乾燥していく唇を触って季節の流れを 感じていると思いました。

  無意識に唇に指あてて秋  この句にはとても共感できるなあと思いました。 空気が乾燥してきて唇がかさかさしてきて、無意識 のうちに触っているということだと思います。知ら ず知らずのうちに秋を感じているということを表し た句であると思いました。

  無意識に唇に指あてて秋  寒くなり唇がカサカサになってくる秋の訪れを感 じさる句だと思った。

  無意識に唇に指あてて秋  秋は少し涼しく、また少し肌寒さもあったりで心 理面で人肌が恋しくなったり、物理的な面で自ら潤 いを保つことの出来ない唇が乾燥気味になってきて いるなどといった季節と仕草の様々な関係が見えて くる

  秋の船風吹く港でてゆけり (飯田龍太) 秋の味覚の代表である秋刀魚等、夏を過ぎて多くの 魚の漁がはじまる。夏から秋に移ろっていき、少し 涼しくなった風に後ろを押されるように、漁に向か う船が港からでていく様子がうかがえる。

  秋の船風吹く港でてゆけり 飯田龍太  吉見港から出港する蓋井島行の船の情景が目に浮 かんだ。秋の山と海のコントラストが目に浮かんだ。 飯田龍太は山梨県出身の俳人である。伝統俳句の代 表として活躍した。海なし県の海に対する憧れが多 少表現されているのだと考えた。

 私は「秋の船風吹く港でてゆけり」が気に入りま した。  ちょうど今台風で風が吹いており、少しずつ秋ら しくなってきていてこの俳句の様子を想像しやすかっ たです。秋の色が濃くなり少し寂しい様子の港を船 が出航していく姿はとても絵になるなと感じました。

  秋の船風吹く港でてゆけり (飯田龍太)  秋は風が強く船が揺れてるイメージがありこの句 に似ていると思ったから。

  引潮が砂の落書き消して秋 (山元環)  砂の落書きが、引き潮に消されていく様子に夏が おわり、秋がやってくるしみじみとした感じがした。 秋、体言止めで終わっているため、秋の訪れをより 一層強調されるように感じた。

  引き潮が砂の落書き消して秋  引き潮が落書きを消す様子が、夏が終わるという ことを表しているようだと思った。

  引潮が砂の落書き消して秋  みんながはしゃいで残していった落書きとともに 夏が終わりを告げ秋が訪れようという俳句で楽しい 夏が終わってしまった実感で少し悲しい気持ちにな ります。

  引潮が砂の落書き消して秋 (山元環) 感想  夏が終わりに近づいているのがわかり、とても風 流がある

  引潮が砂の落書き消して秋  私はこの句を選びました。  この句は、夏のうちに書かれた砂浜の落書きが、 秋になり、落書きをする人がいなくなり、波が落書 きを消していく情景が浮かびます。  私は四季の中で、夏が好きです。私は毎年この季 節になると、少し悲しい気持ちになります。  その悲しい気持ちを、うまく表してくれている句 だと思いました。

  引潮が砂の落書き消して秋 (山元環)  子どもの頃、砂浜で落書きをしては波に消されて 何度も繰り返し書いて遊んでいた頃もあったと思い ださせる文章だった。

好きな句   引潮が砂の落書き消して秋 感想  著者は砂浜の上に文字を書いたがその著者がそこ に書いたという証拠は引き潮によって消された。つ まり著者の中ではそこに書いたということが記憶に 刻まれたが潮から見ればただの書き物で消すだけの もの。自然は時間とともに変わっていくが記憶、思 い出はいくら表面上で消されてもその印象的な事柄 は忘れない。人間の自然にしかない深い意味での消 すという能力に羨んでいる。時に人間は自然にしか ないものから学ばなければならないということだと 思う。

「引潮が砂の落書き消して秋」(山元環) 感想  砂に書いた絵が潮に流されて消えていく様子と、 海で遊んでいた夏の頃から時間が流れて秋に移り変 わる様子がかけられており、とても綺麗に感じた。 季節の流れは、潮の流れと同じように過ぎていくも のであるが、また潮と同じように一周して季節は戻っ てくるので、夏が終わる寂しい気持ちもあるが次の 夏の待ち遠しさも感じる。また、秋には秋の良さが あり、いまだ残暑が残っているがこれから来る秋が 楽しみでもある。

  引潮が砂の落書き消して秋   (山本環) 感想  この俳句を詠んだ時に、海に行ったときに砂浜に 書いた落書きが引潮によって消されてしまったのを 見て、もうすぐ海の季節である夏が終わり、秋がやっ てくるんだなあと実感している様子が思い浮かび、 印象に残りました。私は秋が一番好きな季節なので、 これからがとても楽しみです。

  引潮が砂の落書き消して秋(山元環) 感想・・・友だちとよく砂浜で落書きしていたので、  この句をよんであの落書きももう波で消えてしまっ  たのかなとふと考えてしまいました。その友だち  はコロナで学校に通えておらず地元に残っていま  したが、そろそろ学校に通えるらしく県外に引っ  越してしまい簡単には会えなくなるので、秋になっ  た涼しさと別の涼しさもこの句に感じてしまいま  した。

俳句:引潮が砂の落書き消して秋 感想:秋になると海にはなかなか来なくなるため、  思い出として秋の初めに海に行き砂浜に文字など  を書いたりしたが、波によりその文字などが消さ  れてしまい切なくなっているような感じがしまし  た。

  恐竜の骨月光に起きむとす (有馬ひろこ)  なんか恐竜が俳句の中に入ってきて新鮮です。

  恐竜の骨月光に起きむとす 感想  この句から、博物館の中央広場にある恐竜の骨に、 上から光があたり少し光っている情景が浮かびまし た。非常に良い句だと思いました。

月   恐竜の骨月光に起きむとす  月の明かりには何か神秘的な力がある、そういう 風に受けとる作品はとても多くこれもその一つかな と思いました。  夜の暗がり、電気の消えた部屋、月明かりだけを 浴びる化石や骨格標本は今にも動き出しそう、と自 分が見ても思うだろうなと思いました。

  遥(はる)かなる旅はるかにも月の船             (角川春樹)  雄大な旅を、ゆったりと船で行くような優雅な様 子を想像した。自分もこのような旅をしてみたい。

  遥(はる)かなる旅はるかにも月の船            (角川春樹) ・恐らく、三日月当たりの船形の月を見て、はるか 遠くの海を航行するを思い浮かべて詠んだ句だと思 われますが、私には長い船旅に出ている男の恋人が 帰りを待ち焦がれその船路を月にも重ね合わせてい るという物語にも思えました。作者は恐らく男性で すから実際にそのようなことはないのでしょうけれ ど、もしかしたら同じように考えていたかも知れな いと想像が膨らまされる句だと思いました。

【選んだ俳句】 颱風をよろこぶ子等と籠りゐる     篠原鳳作 【感想】  子供のころのことを思い出し、懐かしく思ったの で選びました。  台風というのは、小さいころは学校を休ませてく れるものだと思っていて、臨時休校の連絡を風が吹 く中、待つというのが決まりのようなものでした。 今回の台風十号は、非常に勢力が強いということで、 実家の妹たちも臨時休校になったと電話で嬉しそう に報告してくれました。しかし、両親は台風の備え に追われ、被害がでないかと心配していました。ま さに、この作者さんも親の気も知らないでというよ うな気持ちだったと思いました。自分の家族を客観 的に見ることができてから気づくことができました。  また、大学で一人暮らしをするようになると、生 活が心配で全くよろこぶものではなくなりました。 この句読んで大人になったのかなと思い少し嬉しく 思っています。

颱風をよろこぶ子等と籠りゐる      自分の地元には台風がよく来ていたので、     そのたびに学校が休校になって喜んでいた     のを想いだしました。

  颱風をよろこぶ子等と籠りゐる  子供にとって未知である物は何であれ興味の対象 になりうると思いました.

  颱風をよろこぶ子等と籠りゐる (篠原鳳作)  小学校の頃台風が来るとなぜか特別な日が来たよ うにわくわくしたのを覚えている。今日この課題を しているときに台風9号が通過しているが当時と違 い全くわくわくしない。成長して見識が広がったの か、それとも幼いころに持っていた何かを失ってし まったのだろうか。

  颱風をよろこぶ子等と籠りゐる  子供の時は颱風など普段より特殊な状況のため喜 んでいたが被害のことを心配する親の気持ちが今で はよく理解できる。

台風   颱風を   よろこぶ子達と   籠りゐる  自分も台風が来ると学校が休みになるので喜びま す。なのでこの句に出てくる子供たちにとても共感 できました。

颱風をよろこぶ子等と籠りゐる 藤原鳳作  私がこの俳句を選んだのは、台風がちょうど近づ いていて、印象が強いためです。  昔、自分が小さかったときは、台風が来ると、言 いようのないワクワク感がありました。  もちろん、多くの被害が出ているのは、当時も分 かっていましたが、これからどんな台風が来るのか、 ワクワクしていました。さらに、台風が来ると学校 が休校になって、うれしい気持ちもありました。  しかし、最近は、台風が来るたびにこれからどう なるのか、どれくらいの被害が出るのか正直不安で、 仕方ないです。特に、初めて一人暮らしをしたため、 停電したら…や、窓が割れたら…など、不安が付き ません。  このように、台風という今ちょうど印象深いテー マであったことと、昔を思い出したテーマであった ために、選びました。

  颱風をよろこぶ子等と籠りゐる  この句を最初に読んだとき、まず僕は「颱風」の 漢字が何と読むかわからなくて、全く共感や理解が できなかったけれど、気になったので調べてみたと ころ、「たいふう」と読むことを知り、もう一度読 み返してみると、“颱風をよろこぶ子等“の部分では 恥ずかしながら小・中学生の頃の自分に当てはまる ところがあり、初見とは違って、共感ができ、印象 深かったです。

  颱風をよろこぶ子等と籠(こも)りゐる               (篠原鳳作)  台風が来たら停電や浸水でとても大変ですが、そ れでもまだ少しどきどきする私です。けれどそれは ただ無邪気なのではなく、圧倒的な存在の前にはど うすることもできないので、慌てたり絶望したりす るよりかは少しばかりの非日常を期待してみるとい う、諦観を含んだどきどきです。恍惚と不安二つ我 にありの状況ですが、台風に選ばれたくはありませ んね。

台風、颱風   颱風をよろこぶ子等と籠(こも)りゐる  とても危険な台風10号が迫っておりとても不安で いっぱいです。はじめて一人ではじめての土地で台 風を受けるので心配ですがしっかり対策しようと思 います。

  颱風をよろこぶ子等と籠(こも)りゐる               (篠原鳳作)  大人は外にある植木や自転車などを中に非難させ たり、颱風が来ると大変になるが、子供はいつもと 違って雨、風が強く刺激的で非日常を感じられ喜ぶ 情景が浮かんだ為、この俳句を選びました。

  落鮎のいのちひしめくひかりかな (神保輝子) 感想:秋に産卵のため、命を削って、川を下っている  鮎の様子に感動していると思った。

  落鮎のいのちひしめくひかりかな  産卵場へ群れをなして川をくだる鮎を月光や日光 が照らしている様子がとても趣深い。成体の鮎の中 にある多数の小さないのちのひかりと日光や月光の 光がかけられているようで素晴らしいと思った。

・私が選んだ俳句は 落鮎のいのちひしめくひかりか な(神保輝子) という句です。 (感想) アユが命をつなげるために頑張って上った  川を必死に下りるという描写が頭に思い浮かび こ  の句に力強さを感じました。 「アユも頑張って生  きているんだなあ」と感動しました。 俺も新しい  生活(新しい土地での一人暮らし)に未だ慣れて  いないけど馴染めるように頑張ろうと思いました。

落鮎(おちあゆ) 落鮎のいのちひしめくひかりかな (神保輝子)  落鮎は、卵をうんで、命尽きたが新たな生命の誕 生でもありいのちのひかりが輝いている情景が、心 の中に浮かびました。

  落鮎のいのちひしめくひかりかな (神保輝子) 感想:命をつなぐために必死に川を下る魚の姿はと  ても美しいと思う。それをひかりと表現している  ところに心を惹かれた。

落鮎のいのちひしめくひかりかな (神保輝子)  落鮎とは、産卵後川を下りつつ死んでいく鮎のこ とである。この落鮎が、自分の死と引き換えに新た な生命のもととなる卵を産み付け、そのたくさんの 産み付けられた卵が、太陽に照らされキラキラと光 り輝いているような情景を思い浮かべることができ た。この様子に少し寂しく感じると同時に、新たな 生命への可能性に感動を覚えた。

落鮎(おちあゆ)   落鮎のいのちひしめくひかりかな (神保輝子)  この句の季語は落鮎で秋の季語です。落鮎は秋に 産卵のために下流に下る鮎のことです。私は落鮎と いう単語から鮭が産卵のために川を遡上し産卵後に 力尽きるのと同じ様子なのかと思っていましたが全 く違いました。落鮎と同じ意味で下り鮎という言葉 で言い換えができるようです。  私はこの句を詠んでみて、先述したように鮭の産 卵をイメージしていたため鮎が産卵のために上流で ひしめき合っているのかと思い、そして鮎が産卵し た卵を含めて命が次の代へ引き継がれていく「ひか りかな」と感じているのかと思いました。しかし落 鮎の意味を知って、鮎が産卵のために集団で川を下っ ていく様子なので、次の命を残そうと頑張っている 鮎をみて「ひかりかな」といっているのかなと思い ました。

  落鮎のいのちひしめくひかりかな 感想  鮎たちがその短い生涯を終えるために秋に産卵を 行い産卵中に太陽の光が体で反射し、たくさんの場 所で光っている様子が想像できた。  今まで見てきた俳句の中で一番好きな俳句かもし れない。

鱸(すずき)   波だちてかはるけしきや鱸つり (百合山羽公)  私はこの俳句を聞いて鱸は風のある日に動きが活 発になるのでそこを狙った漁師が鱸を追っている状 況を思い浮かべました。

  波だちてかはるけしきや鱸つり (百合山羽公)  鱸の釣られる時の激しい動きは通る場所を波立た せ景色を少し変えてしまいます。その様子を詠む発 送がとても面白いと思います。

「波だちてかはるけしきや鱸つり」  鱸は波があり白波が磯に打ち付けるところを好む と聞いたことがあります。作者がいう鱸というのは、 この状況に釣れやすいヒラスズキのことだと推測で きます。そのため、西日本でこの俳句を読んだので はないでしょうか。釣りが好きな人にはわかる奥深 い俳句だと思います。また、鱸の旬は夏なので、夏 をイメージするかもしれませんが、秋からヒラスズ キの荒ぐいシーズンが始まるため、波を台風の荒波 とかけているのではないかと思いました。

  波だちてかはるけしきや鱸つり (百合山羽公)  波が立って川が荒れ、小魚を捕食しに来た鱸を釣 ろうとすることに共感が持てた。

鱸   波立ちて かはるけしきや 鱸つり  自分もシーバスをよく狙っているので、共感でき るものがありました。

鱸(すずき) 波立ちてかはるけしきや鱸つり              (百合山羽公)  波の様子や堤防などで鱸釣りをする人が現れ始め たことから夏から秋へと変化を表した句であると思 いました。

  波だちてかはるけしきや鱸つり 感想:鱸は波が荒立っているときによく釣れる魚な  のでその時の海が荒れているときの情景を表現し  ている句だと感じました。

  波だちてかはるけしきや鱸つり  鱸が集まって、波が立って、今までの海とがらっ と変わるのが、想像しやすくて、良かったです

  波だちてかはるけしきや鱸つり  鱸を荒波の中釣りあげて、幸福感に包まれている 感じがいいなと思いました。

  波立ちてかはるけしきや鱸つり(百合山羽公)  なんでこの句を選んだかというと、私がよく狙う 魚が鱸であり、このような景色を見ることが多く、 よくわかるなと思ったからである。鱸は、年中釣れ る魚であるのだが、秋はよく釣れるイメージがある 魚である。しかし、私は鱸を釣ったことが無く、本 当に秋が多く釣れるのかは知らない。話は戻るが、 季節はもう秋である。今年の夏はどこにも行けず、 厳しい暑さも過ぎ去り、もうすぐ紅葉も始まるころ である。今年の秋こそは、紅葉を見ながら鱸を釣り あげたいものだ。  次の句は自作の句である。   盛夏過ぎまつは地獄のテストなり  この句は、今の水産大生が思っていることを表し ている句である。ほかの大学では夏休み前にテスト が終わっているのだが、水産大では夏休み後にテス トがあるのだ。という事は、楽しい夏休み後に地獄 のテスト期間となる。しかし、このテストが終われ ば、つかの間の休日を得ることができる。という事 で、頑張ってこのテスト期間を乗り越えようと思う。

  食卓にいつもふたつの林檎あり (武智徳子)  ふたつの林檎は食べるために置かれているわけで はなく、食卓のある空間において季節の変化を象徴 するものであり、二つあることから食卓を囲む人数 もいつも二人なのではないだろうかと思いました。

  食卓にいつもふたつの林檎あり (感想)  秋になり、食後のデザートにはほぼ毎日リンゴが 出てくるほどに好きだったので思い出深い果物です。

句   食卓にいつもふたつの林檎あり 感想  この句に登場する家庭は二人で暮らしているのだ ろうと「ふたつの林檎あり」という表現で予想をつ けられる。「いつもふたつ」なので欠かすことなく 仲良く暮らしていると考える。また、二人が夫婦だ と考えると本当のりんごではなく子供をりんごとた とえて食卓でたくさん頬ばりながら食べている子供 を愛おしく見ている様子と捉えることもできると思っ た。

林檎   食卓にいつもふたつの林檎あり  食卓にふたつの林檎が置かれている情景から、林 檎が好きな兄弟、姉妹がいる微笑ましい家庭を連想 でき、面白いと思いました。

  食卓にいつもふたつの林檎あり (武智徳子)  ふたつの林檎は食べるために置かれているわけで はなく、食卓のある空間において季節の変化を象徴 するものであり、二つあることから食卓を囲む人数 もいつも二人なのではないだろうかと思いました。

  食卓にいつもふたつの林檎あり (武智徳子)  私がこの句を詠んだ感想は、食卓に林檎が並ぶ時 期は、秋から冬にかけて多くなるので秋が終わり冬 に近づいているのを連想します。ちなみに、実家で は毎年冬の季節になると林檎が出されていたのを思 い出しました。

  食卓にいつもふたつの林檎あり  実家が農家で、きょうナシとブドウが届きました。 もうじきリンゴの時期だな、と思っていたので、リ ンゴの句がちょうどいいと思いました。実家にいれ ば、はね出しのおいしいリンゴが山のようにありま したが、今年は俳句のように個数を数えながら食べ ることになりそうで寂しいです。

林檎(りんご) 食卓にいつもふたつの林檎あり                (武智徳子)  この俳句を詠むと、子供の頃、お盆の季節に祖父 母の家に尋ねに行った際、テーブルの上に置いてあっ た林檎を弟と一緒に食べたという記憶がよみがえっ てきた。そんな懐かしい気分になれる俳句だった。

  食卓にいつもふたつの林檎あり  学校から家に帰ってきて、テーブルの上にはいつ も林檎が2つあり、懐かしなと思っていると思いま した。

  食卓にいつもふたつの林檎あり (武智徳子)  秋になると我が家にもいつも林檎がおいてあった のを思い出した。どの食卓でもそうなるのかなと思っ た。

林檎(りんご)   食卓にいつもふたつの林檎あり (武智徳子) 感想  林檎がふたつあるのは観賞用としてなのか、毎日 欠かさず食べているからなのか気になりました。毎 日食べられたとしたなら、リンゴ農家を営んでいる のか考えさせられました。

林檎(りんご)  食卓にいつもふたつの林檎あり (武智徳子)  二つの林檎を見て、夫婦の関係がいつまでも続く ようにと願っている様子が浮かんできました。

  食卓にいつもふたつの林檎あり  この句を選んだ理由は、年中食卓にあるリンゴは 旬がわかりにくいが実は秋から冬にかけてであるこ とを学ばせてくれるきっかけとなったからだ。2つ のリンゴというのも考え深いと思った。なぜ2つな のか気になった。

  食卓にいつもふたつの林檎あり  この句を読んで、食卓にいつも二人分のリンゴが あるように、二人の生活の変わらない平和な様子が ありありと浮かんでくるようでした。

選んだ句「食卓にいつもふたつの林檎あり」              武智徳子 感想 この句からは、描かれている情景というもの がすぐに連想できるといった印象を感じた。また、 リンゴというところから秋を連想させるところにひ かれたように僕は感じました。この季節感やふたつ の林檎というところから秋を過ごす家族の絵が思い 浮かびとても楽しく日々を過ごして言っているのだ ろうと思います。以上の秋という温かみと情景のホ ンワカしたような感じがとても気に入りました。

選んだ句「食卓にいつもふたつの林檎あり」 感想 林檎は秋の季語であり、秋の林檎は真っ赤に  熟していることがわかる。また、ふたつあるとい  うことは夫婦を表していると私は考える。さらに  食卓にいつもということは長年変わらない夫婦愛  をうかがうことが出来る。

食 卓 に い つ も ふ た つ の 林 檎 あ り            ( 武 智 徳 子 )  なぜ2つなのか、凄く気になった。食いしん坊な のか、一緒に食べるがいるのか。

  食卓にいつもふたつの林檎あり 感想  私もリンゴが大好きで、実家にもよくリンゴが買 いだめされていました。この詩は、実家を思い出さ せてくれました。とても好きな詩です。

  食卓にいつもふたつの林檎あり 感想 私の実家の食卓には4つくらいりんごがあっ  たので少し共感できた。

  食卓にいつもふたつの林檎あり (武智徳子)  この俳句は夕日が差し込む食卓にかごに入った2 つのりんごを連想させる。また、実家の食卓を想像 させ、落ち着きのある、あたたかさが伝わる。

林檎   食卓にいつもふたつの林檎あり (武智徳子)  私は、この句を見て男女が二人で談笑している真 ん中にあるリンゴを想像した。辛いときや悲しいこ とがあったり夫婦喧嘩をしたりしても赤い林檎があ ることで常に食卓が明るくなると思う。

俳句:食卓にいつもふたつの林檎あり(武智徳子) 感想:作者はいつもある日常の大切さを感じたので  俳句にしたのだと思いました。

「 食卓にいつもふたつの林檎あり 」  深紅に色づいた林檎が常に食卓に出てくる様子に 秋の到来を感じた。

林檎(りんご)   食卓にいつもふたつの林檎あり  今、一人暮らしを始めりんごを食べる機会が減っ てしまったが、実家暮らしをしていた時はほとんど 毎日のようにりんごなどのフルーツを食べていたこ とを思い出しました。  そんな、懐かしい想いに浸ることのできた詩だと 感じた。

林檎(りんご)   食卓にいつもふたつの林檎あり(武智徳子)  りんごの中の虫たちの恋。  テーブルに置かれた2つの林檎。恋をしているの は人間だけではない。片方の林檎の中の男の子は、 もう片方の林檎の中にいる女の子に恋をしていた。 でも女の子はこちらに興味はないみたい。彼はいつ も、自分でかじって作った窓からその女の子を眺め る。ある日、女の子が別の男の子と遊んでいるのを 見てしまった。彼はそれから窓に現れなくなった。 そして数日後、男の子のいたリンゴはテーブルから なくなった。   甘酸っぱい恋の思い出林檎味 (近藤駿介)

好きな句1つ目: 無意識に唇に指あてて秋 感想: この俳句からいつの間にか秋が来ていると  いうことが分かり、突然の秋の訪れを感じさせる  ような俳句である。日常生活の中でも、このよう  な状況に出会うことが多いと思うのでこの俳句に  親しみを持てた。 好きな句2つ目: 引き潮が砂の落書き消して秋 感想: この俳句は夏の時期に砂浜で書いた落書き  が波に消されて秋の訪れを表しているように思う。  この波が夏をさらって秋を呼び寄せているように  感じ、時間の流れを上手に表現していると思った。