水大歳時記(平成三十年度)春 の 部
春
おだやかなねむけとととも春が来る
浜のみち波寄る朝に春を知る
春知れるめばるコウイカ アオリイカ (編者)釣針の餌に突進する目と口の大きな魚と、縦 縞のあるエンゼルフィッシュのような魚のイラスト 略。
もういいよ春でも雪降る北海道
新しい友と出会う春初め
七曲り春を感じる風強し
呼々春や川面に浮かぶ桜かな (編者)「呼々」はひょっとして「嗚呼」?
春暁(しゆんげう)
香り立つ桜のにほひ春の朝
春の朝目覚し止めてまた眠る (編者)8時を指す、ベルの二つ付いた目覚まし時計 のイラスト略。
朧(おぼろ)月夜
おぼろ夜に過ぎゆく春をおしみける
朧夜の静けさ劈(つんざ)く我が嚔(くさめ) (編者)「はっくしょん」と言っている、三日月の頭 ののった非常に逞しい筋肉質の男のイラスト略。な お、難しい漢字で編者を試さないでネ…。
おぼろ夜に月光たより魚釣る
麗(うらら)か
麗かな風を感じてひとねむり
うららかな風と陽の元セーリング
うららかな晴日の下をただ歩く
麗かな春光浴びし昼下がり
長閑(のどか)
帰る場所海透き通り長閑なり
穀雨(こくう)
光る海飛び込みたくなる穀雨かな
行く春
春終わりほのかに汗ばむ通学路
夏近し、夏隣
初めての自動車学校緊張し もうすぐ夏のある日の事です
涼風のまだ夏来ぬ晴天の空
梅雨がきてじめじめしだし夏近し
湿度より高ぶる気持ちで夏を待つ
春の日
春日なたゆれる水面に子ふぐかな
春光
春の光さびしさなぐさめる温かさ
春光の水面に映る桜色
春風
春の風花の香りを連れてくる。
春風があみ戸をこえてやってくる
春風が帆をふくらませ波散らす
春の風新入生をはこび来る
春風のきいろい帽子宙に舞う
春風が顔に吹くたびくしゃみ出る
春が来てもう一年としんみりし
春に住みまだまだ慣れぬ1人暮らし
春風や薄着の季節乳と尻 (編者)際どいですが、ぎりぎりセーフとします。
春風の吹きゆくさきは浜の家
春一番
春一番日本海は大荒れだ
春疾風(はるはやて)
彼方より温もり乗せて春疾風
霾(つちふる)
黄砂きてのどはいたいし鼻つまる
春雨
春雨が桜を散らせ地固める
雪解(ゆきどけ)
雪溶けて気づいたときには下関
春の水
四月十三日 雪溶けて 海を育む 春の水
春の海
青々と光を食らふ春の海
入学し毎日見ている春の海
春の海魚達が目を覚ます
春の海、荒れる波音、焦り湧く
春の海 期待いっぱい 照り輝く
暑くても泳ぐとかぜひく春の海
春の海船内走る新人が
君思う僕の心は春の海
春の海風が強くて肌寒い
春の海春風はげしく海あれる
風が吹き白波目だち春の海
嵐あり小魚揺れる春の海
散歩道気付けば夕焼春の海
春の海潮の香りがここちよい
春の海地平線に日よ深め
春の波
春波に舟を浮かべてもただ流れ 行く先迷い将来を想う (編者)幾重にも波の押し寄せる曇天の海に浮かび沖 へ向かうボートのイラスト略。
春潮(しゆんてう)
青空に舞って霞む春の潮
蜆汁(しじみじる)
蜆汁栄養豊富ですばらしい
桜餅(さくらもち)
桜餅葉ごと食べるか食べないか
葉っぱまでとてもおいしい桜餅
さくらもち二つ持ちつつ列並ぶ
芳香が噛めば広がる桜餅
あああわれピンクと緑のコントラスト 桜もち早く食べたいの
桜餅春の銘菓は売れていく
花見
春の宵片手に酒持ち花見酒
花見して川に流るる桜花
春眠(しゆんみん)
おだやかなねむけとともに春が来る
早朝に春のここちで寝坊する
爽やかに海風香る講義棟 伏して眠るは夢のひととき
黄金週間
楽しみだ大型連休ゴールデン
蛙(かえる)
雨が降り地面潤いカエル鳴く
桜鯛(さくらだひ)
寮食にいつか刺身で桜鯛 (編者)(桜?)鯛のイラスト略。
眼張(めばる)
メバル釣り寒さに負けてあきらめる
ちび眼張釣るときリールは軽く巻け
メバル煮て皿を置いたらみな笑顔
桜散り眼張が釣れて夏が来る
鰆(さわら)
春になり鰆釣ったが触られん
さより
さよりづり かぜがふくとね まだねむい
家の前ピチャピチャ逃げるサヨリかな
鮎並(あいなめ)、あぶらめ
鮎並を食べて感じるこの季節
アイナメはブラクリ使えばすぐ釣れる
鮎魚女(あいなめ)は油で揚げるし煮るし焼く (編者)筋肉質の体の首に魚がのっていて、「あいな めうめえ」と言っているイラスト略。
睦五郎(むつごろう)
泥浴びし干潟で寝転ぶムツゴロウ (編者)泥の上の(多分)ムツゴロウのかわいいイラ スト略。
むつごろう光る海にたくさんだ
睦五郎見た目かわいい味美味い
ムツゴロウきょろきょろする間に天ぷらに
花烏賊(はないか)
花烏賊が墨を吐く様下痢のよう
蜆(しじみ)
五月雨に流され現わるしじみ貝
蜂(はち)
ミツバチや野花に響く羽の音 (編者)蝶のようにも見える、小さな蜂のイラスト 略。
桜
桜の芽新生活の希望見る
乱れ咲き舞い散る桜で祝杯(しゅくはい)を
舞い桜新たな出会い運びだす
桜さくそこで出会う新友たち
桜道夢へ飛び立つ準備する 入学式の時を思い出してつくってみた. 掘に咲き船より見上げし初ざくら (編者)「掘」は「堀」?「w」が真ん中に書かれた 桜の花のイラスト略。
我が桜散れど待どとも散り知らず (編者)一応こう読み取りましたが…。
春過ぎて水面に浮かぶ桜舟 (編者)「桜舟」はひょっとして「花筏(はないか だ)」(=水に浮かんだ花びらの切片)?
落花
桜散る新たな門出と白い顔
散る桜君の心に芽吹く恋
桜散る別れとともに涙散る
桜散り新たな季節の始まりだ
桃色の紙きれ散りて緑萌ゆ
桜散り大学生活幕明けだ (編者)「幕開け」です。
落花して緑一面春の木々
桜散り花の跡地に草生える
花
花が散り川面に桜のカーペット
花香る下校の道で君を追う
花は去り命が芽吹き私知る 生のはかなさ生きる美しさ
山吹(やまぶき)
黄金に生命(いのち)湧き出す山吹よ
山吹の花を咲かせる春の夜
桃の花
春風に吹かれ現る桃の川
桜の木、下に広がる桃の海
チューリップ
カラフルに庭を彩(いろど)るチューリップ
チューリップ久しぶりに見てみたい
チューリップ皆に見られて照れている
チューリップ子の名を聞いて顔しぼむ
チューリップ次はどこへと春の空(玉置陸途)
蒲公英(たんぽぽ)
たんぽぽのわた毛ふわふわ かわいいな
土筆(つくし)
夜明けて朝日をあびるつくしかな
つくしんぼう春のおとずれやってきた
若布(わかめ)
つりをして つれるえものは わかめだけ (編者)岩から上方へ伸びているワカメのイラスト略。
授業
喜望峰バスコ・ダ・ガマが希望見る
並び咲き十人十色のオランダ人 (編者)『ピムの物語』の幽霊船の甲板上の死体のこ とを言っているのでしょうか?
学生生活
新歓で三人潰れたサッカー部
新歓で生肉食べてはらくだす
あをい海よりもきれいな蒼井優
PASUIの音(ね)新生活の胸が鳴る 目が覚めて時計をみたら遅刻した。
ここへ来いお前はずっと離さない
花粉症(えらい)つらい苦しいマジウザい
早起きし、ラジオ体操くそねむい
凪の間の水面に浮かぶ白銀の群れ (編者)岸壁に置いたクーラーボックスの横から海面 に伸びた釣竿とその下の浮き、海面に映る小魚たちの 群れのイラスト略。
川の鯉もみ合う夜の歓喜かな
魚釣り海に着いたが潮、干潮
潮風の空を飛ぶトンビ風に乗る
物語
(1) エウラシア大陸に君臨している大国「四那」。古 代より文明が発達しており、数々の技術や圧倒的な 人口を武器に巨大な帝国形成。大陸の覇権を握って いた。 一方、エウラシア大陸の東部に位置する「大和ノ 国」は四方を海という天然の要塞に囲まれていると いう事もあり、また、火ノ力という独特の力を有し ていたため、四那帝国の支配を免れていた。 しかし、平和というものは永遠に続かない。東暦 二〇九年、時の皇帝「九比烈」は突如大和ノ国に侵 攻。不意をつかれた大和ノ国は前衛基地である対州 を攻め落とされる。 単独で四那帝国に立ち向かうことは不可能と判断 した大和ノ国は大国随一の軍事国家であるハルハ国 に同盟を持ちかける… 鈴原弓「 … ってなんですかこれ。」 山辺陸「うーん … ハルハ戦記。」 弓「ぜったい今考えましたね…」 陸「だめだった?」 弓「別にどうでも良いですけどね…」 (編者)冒頭の番号は編者が付しました。
(2) 東歴一八〇六年秋津連合皇国・ハルハ族連合軍は 十倍の四那国軍に対し、夜襲を敢行。突然の襲撃に 加え、夜の闇のせいで敵軍の数を誤ったこともあり、 四那軍は大困乱を期たした。数の多さが仇となり、 あちこちで同士討ちが行こり、四那軍はたった一夜 にして壊滅した。 大国四那を東の端の小さな島国が破った。その報 は、四那の圧政に苦しんでいた周辺国を勇気づけ、 各地で反乱が勃発、大国四那は秋津連合皇国への出 撃を諦めざるをえなかった。 鈴原弓「 … 前回から進んでるのはなんでですか?」 山辺陸「そりゃあ、時間がすぎると話もすすむから ねぇ」 弓「でも … 前回と名前が違ったり年がめちゃくちゃ だったりしますけど …」 陸「そりゃぁ … あれだ。ほう … 」 弓「「一週間も空いたら忘すれた。」」 陸「… ってわかってるならきかないでよ」 弓「はあ … まぁいいですけど。」 (編者)「大混乱を来した」、「起こり」、「忘れ た」です。弓ちゃんはやさしいですね。冒頭の番号は 編者が付しました。
(3) このとりとめのないメモ書きが誰かの目に留まる 事があるのかわからない。いや、たぶんそんな事は ないであろう。これはいわゆる雑記や日記といった ものであろう ◯/△ 夢を見た。久々であった。私が見た夢は未来 に起こる − つまり私は「予知夢」というものの 持ち主であるらしい。今日の夢は久々に大きなも のだったような気がする。この私が何かを書こう と思ったくらいには。 ◯/□ 今日は***のおじさんが大きないのししを しとめた。私は夢を見ていたから知ってはいたが、 それでも驚くほど大きないのししだった。その他 に***や***なども大きな獲物を仕留めた。 どうやら今日はいつもは姿を現さないような動物 が村近くまで降りてきていたらしい。村中がお祭 り騒ぎになり猟師三人がしとめた獲物は村中の人 々に振るまわれた。私にはいつものように一部良 い部分をくれた。私はそんなもの、いらないのに。 ◯/▽ 今日は昨日とはうってかわり、まったく獲物 がとれなかったらしい。どうやら、動物が全くい なかったらしい。***のじいさんは、「いいこ とと悪い事は交互にやってくる。昨日たくさんとっ たぶん今日はまったくこなかったんだ」とか言っ ていた。 ◯/◯ 今日も猟師達は何もとれなかったらしい。 ◯/× 今日の水は少し濁っていた。この傾鳥の姿を まったくみない。からまれている時はあれほどうっ とおしかったが、ここまでこなくなると一抹の寂 しさを感じ? ◯/☆ 夢に向き合ってみる事にした。この運命は逃 れられない。 ◯/◇ そういえばまだここの事を話していなかった 気がするので話す。ここは山に囲まれた小さな小 さな村。住民は100人にも満たない。でも、みん なやさしくて、良い人ばかりである。 ◯/◆ 今日は、***と***の婚礼があった。私 も通例に従い、二人の仲を祝福した。 ◯/∞ 今日、***のおばあさんが死んだ。村は悲 しみにつつまれた。 再び夢のことを考えてみる。あの運命 … 逃れ る事はできないのか、何かできないのか、考えれ ば考える程思考の海に沈んでしまう。 ◯/8 あの時降来猟はまったくらしい。そろそろ食 料庫の底がみえてきた。 ◯/▲ また夢をみた。 ◯/★ 最後の夢を見た。これでおわりだ。食料庫の 底がつきたらしい。村人同士で争いが絶えない。 下の方からものすごい力を感じる。声を出そうと するが声が出ない。村人同士の争いは激しさを増 し、とうとう死人がでる。もう私の声を聞くもの はいない。私のことを信じるものもいない。私は 私を思う人がいないと存在できない。どうやら今 度がさいーーーーーーーーーーー 「3/23日、◯×県を震源とした大規模な地震が発生。 震源近くの***村との連絡が取れなくなっていま す。 (編者)老眼になりました。見えやすいように大きな 字を書いてくれるとありがたいです。「この傾鳥の 姿を〜」は「この頃」?「あの時降来」は「以来」? 冒頭の番号は編者が付しました。
エッセイ
これまであまり小説は読まなかったけれどこの講 議で海洋小説に触れていけたらいいと思う. (編者)「講義」です。ぼくもがんばりますので、よ ろしく。
季語の表現の仕方もたくさんあるんだと感心しま した。昔の航海の話は、困難なことや悲惨な話が多 くて、衝撃をうけました。
今回のガイダンスで海洋文化論ではどのようなこ とを学ぶのか分かりました。 文学を学ぶことができる講義はこの講義しかない のでしっかり授業に参加し、様々な小説をあらゆる 視点から見ることができるようにしていきたいです. (編者)背中から二股の潮吹きをしている鯨からの四 角い吹き出しの形に、本文が構成されている。鯨の上 には雲と翼を広げた3羽の海鳥。以上のイラスト略。
オフィーリヤについて 以前NHKのびじゅちゅーんという歌のテレビでオ フィーリヤの歌があっていたのでなんとなくは知っ ていましたが、今日の授業で、深い話があると知り 驚きました。気が狂ったから、歌をうたいながら川 に沈んでいったことを哀れと書いていましたが、私 は哀れだとは思いませんでした。花と一緒に流され ながら、歌をうたいながら、ゆっくり沈んでいくと いう死に方は、美しく、ステキな死に方だと思いま した。まだまだ死にたくはないですが、死ぬ際は、 オフィーリヤのような美しい死に方をしたいと思い ました。 (編者)題名横の正面から見たフグのイラスト、文末 左下のいくつのも花と葉っぱのイラスト略。
春風や旅路の我の背中押し この水産大学校に入学するにあたって、栃木県か ら山口県へ引っ越してきました。栃木は山からの吹 き降ろしで強い風が吹くのですが、ここ吉見でも毎 日強い風が吹いていることにびっくりしたのと同時 に、少し懐かしさも感じました。まだ少し寒い春風 が新天地へと赴く私を後押ししてくれました。
「ぼくなりの春の俳句」 冬過ぎて食器ゆすぎし水温し (”ゆすぎ”のだじゃれ) 一人暮らしを始め、自分で食器洗いをするように なり、水道の水が温かくなったことから春を感じま した。
港町別れをおしむ恋人と 港町で、長い航海に向けて出港する船に乗る若い 船員と、その恋人とが別れをおしむ様子を想像し、 考えた。双方どちら側の思いも含まれる。
一匹のメバル求めて行く夜道 「白鯨」のタイトルは知っていたのですが、読ん だことがなく読んでみようと思います。今まで海洋 小説は「老人と海」しか読んだことがないのでE.A ポーのアーサー・ゴードン・ピムの物語を読んでみ ようと思いました。 (編者)いずれ授業でも『白鯨』のあらすじを紹介し ます。小さな「Albatross 信天翁」のイラスト略。
風の日の揺れる水面は春の色 説明・春の強い風にふかれて散る桜の花。川の水面 には花びらが一面に漂い、桃色に染まる、そん な状況をストレートに詠んだ一句。
散りやまぬ花のいのちを手のひらに (松野加寿女) 春のイメージをダイレクトに受けとることができ るこの詞は気に入りました。
<俳句の感想> 落花の「散りやまぬ花のいのちを手のひらに(松 野加寿女)」という俳句が最も印象に残った。花び らが手のひらの上に儚く落ちていく情景が浮かんで、 綺麗だと感じた。
散りやまぬ花のいのちを手のひらに(松野加寿女) 散ってしまった桜自身はもういのちはないもの だと思う。でも、散ることにより次に咲く花のい のちを散りやまないほどの桜の花びらに、それほ どまで花をつけた桜に感じているのではないかと 思った。
感想 散りやまぬ花のいのちを手のひらに(松野加寿女) の俳句が一番いいなと思いました。 私は季節の中で春が最も好きで、特に桜が満開に 咲いている時に春だな…と感じるので、この句の 「散りやまぬ」のところがたくさん咲いた桜が一気 に風で散ってしまっている場面が想像つきました。 今はもう散って桜の木は葉っぱの緑になってしまい ましたが、この句をきいたら、きれいに花が咲いて いた様子を思いだしました。
散りやまぬ花のいのちを手のひらに (松野加寿女) この詩は文字の意味だけを見てみると、枯れつつ ある花を手のひらに乗せて見つめている様な場面を 想像しますが、私には大切なだれかが死にゆくのを 見てやることしかできない無力感を表している様に も思えました。「散りやまぬ」からは、さけること のできない死を表現し、「花」で繁栄を強調するこ とで、その対極にある没落も、切っても切れないも のとして表している様に感じました。ですので、 「手のひらに」というのは、もうすぐいなくなる人 の手を取って見送る親族や友人を表しているのだと 思います。多くの新しい命が生まれる春ですが、い なくなる人のことも忘れないでほしいという思いが 込められている様な気がしました。
散りやまぬ花のいのちを手のひらに (松野加寿女) 満開の桜の花が風に吹かれていくつもの花びらが ひらひらと舞いおりてくる美しい景色や、その花び らを大事に手のひらに持っている作者の様子が思い 浮かぶから。
・散りやまぬ花のいのちを手のひらに(松野加寿女) 感想 一見春のイメージで明るいかんじもするけれど、 よく意味を考えると悲しいようなかんじもする文 で、春の別れと出会いの感覚を感じるなぁと思っ た。
散りやまぬ花のいのちを手のひらに (松野加寿女) 私は今年花見をせずに花を過ごした。実に忌々し き事態である。日本に生まれ花見をし、女を愛でる ことは立派な日本の文化であり、引き継ぐべきであ る。 手のひらで女を転がしてみたいものである.
「散りやまぬ花のいのちを手のひらに」(松野加寿 女)の歌は、満開だった桜の花が散っていき、季節 が夏へと変わっていく様子を悲しむ作者の気持ちが 伝わってくるようだった。”花のいのちを”からは春 の季節のみに咲く桜のはかなさや美しさを表現して いるように感じた。
散りやまぬ花のいのちを手のひらに (松野加寿女) この句からは、満開の桜が風に揺られ桜の花びら が舞っている情景が脳裏をよぎります。 また、花びら一枚一枚のいのちの様も感じられ、 非常に趣深い思いました。
散りやまぬ花のいのちを手のひらに(松野加寿女) の感想 満開の桜の花びらが風になびきながら散ってゆく 情景を思い浮かべた。一見春らしくさわやかで美し い情景だがそれは1つ1つの桜の花の終わりであり、 多くの花の命が散っていると思うと、なんとなく不 気味でさみしい感じがした。
「散りやまぬ花のいのちを手のひらに」 (松野加寿女) 散りやまない花を手にすることで、花びらの命を 手のひらに乗せることができるのは人間だけであり、 その花の命を感じることで、自分の命の大切さとい うものを感じられる句だと思います。いま世界には 粉争などで散っていく人間の命がたくさんあります が、その亡くなる命というものを手にとって考える ことが私達に求められていることだと思います。 (編者)「紛争」です。
散りやまぬ花のいのちを手のひらに(松野加寿女) という排句を読んで感じたことは、人間にとって、 桜の散りゆく姿は、入学式や新生活等の何か始まり を意味するものであるが、桜にとっては開花してか ら、短い期間で命を失う姿であります。何かが終わ ると、何か違うものの始まりにつながるものなのだ とこの排句を読んで感じた。感慨深い作品だと思っ た。 (編者)「俳句」です。
散りやまぬ花のいのちを手のひらに (松野加寿女) 満開の桜の花びらが風に吹かれて散っている所を 作者が眺めながら、落ちてきた花びらをキャッチす る風景が見えた。
散りやまぬ花のいのちを手のひらに (松野加寿女) 命が芽吹く春に手のひら一杯の花から生命の誕生、 溢れんばかりの活気を感じる。それが絶えることな く続いていて、命が繋がっていることがわかる。
散りやまぬ花のいのちを手のひらに (松野加寿女) 花が散るイメージがしやすい作品であるが、私が この詩を読んだとき桜が散っていく様子が思い出さ れた。春の訪れをつげる桜が散り、詩の中にいのち という語があることで少し哀愁を感じさせる作品で あるととらえた。また、最後に手のひらにとあるこ とで温かみも表現されていると考えた。
池にできた波紋がまるで鯉の模様に似ているのを、 逆に鯉の模様を波紋によってできたようによんでい てるので。面白いとおもった。 春水の魚紋ほどけて鯉となる (橋本鶏二) 鯉が食べたくなった。
春水の魚紋ほどけて鯉となる (橋本鶏二) 水大の近くの川を思い出しました。水大にきて2 年目ですが、春になると、どこからか鯉がその川へ 戻ってくるのを知りました。来年から、春のおとず れを、鯉で判断できそうです。
〔春水の魚紋ほどけて鯉となる〕 (橋本鶏二) 描写が頭に浮かんでくるような、とても美しい排 句だと思いました。 (編者)「俳句」です。
春水の魚紋ほどけて鯉となる (橋本鶏二) 春に川か池かの水に 魚紋を作りながら泳いでいるが、その行紋が消える ころにふと鯉が見え、鯉が作った魚紋だったのかと いう風景が浮かんだ。 状況がわかりやすく想像できる良い詩だと思った。
自分の家には、庭や池がないが、魚紋がほどけて 鯉となる。という一節が頭の中で容易に想像できた。 また春の終わりには、桜が散って花びらもあると思 うので美しい池の様子なのかと想像した。
一番綺麗だなと思った句は橋本鶏二の「春水の魚 紋ほどけて鯉となる」です。水面にある魚の波がほ どけるという表現が好きです。 また、この句を読んだ時に、魚紋が解けて鯉に写っ て模様になるっていうシーンと、魚紋がほどけたと 思ったら、紋を出した錦鯉が見えるというシーンの 2つが浮かんで、一つの短い文で色々な情景を生み 出す事のできる俳句について改めて凄いなと思いま した。 また、世の中に受け継がれる俳句はやっぱり文を 読んだだけで素人の私でも情景が浮かんできたので、 ちょっと感動しました。
「春水の魚紋ほどけて鯉となる」(橋本鶏二) 雪が完全にとけて波紋のようにじょじょに広がっ て大きくなるさまがわかる。
・春水の魚紋ほどけて鯉となる (橋本鶏二) 春水で氷が溶け出した時期に鯉も生き生きと動き 出すということと鯉と鯉をかけているのだろう。 後者の意味は寒い冬を超えて自らの恋が実ったと いうことを言っているのだと思う。僕も受験期の冬、 たくさんの試練を乗り超えてここにいるからこそと ても共感でき、希望の春という題名がふさわしい一 句だと思いました。
顔拭いて顔細りけり目借どき (岸田稚魚) ・私たちがよく寝むたくなる時、それは蛙が目を借 りているせいであるため、私たちは悪くないですね。 (編者)「眠たく」です。
蛙の目借りどきということわざを初めて知りまし た。常に眠気を感じる自分は、蛙に目を奪われたの だと思いました。
蛙の目借時の考え方が好きです.
蛙の目借り時は面白い発想だと思った。 その考え方を借りるなら、私は一年中誰かに目借 りをされている。 時とわずよろずの獣へ目貸時
感想 「顔拭いて顔細りけり目借どき」(岸田稚魚) という俳句から、初めて”カエルの目借どき” という季語があることを知り、驚きと共に日 本人の想像力の豊かさに感心しました。現代 では「五月病」と言われる春の気怠さを、夜 も盛んに活動しているカエルに目を借りられ ているという発想は、妖怪文化のある日本な らではだなと思いました。 ここで一句! 目を瞑り皆船漕ぐ目借時 (編者)筋肉質の腕と胸の上にカエルの首がついてい て「ケロッ」と鳴くカエル人間のイラスト略。
俳句感想「顔拭いて顔細りけり目借どき」(岸田稚 魚)の俳句が気に入りました。 なぜなら、人が眠くなってしまうのは、蛙が人 の目を盗んでいるからといった現代では教るこ とができないところが面白かったからです。
蛙の目借時は人間が眠くなることは初めて知った。 他の季節も眠いのは何故だろう。
顔拭いて顔細りけり目借どきという俳句が面白い と感じました。顔を拭いて、顔が細いからカエルが 目を借りているから細いんだと思う発想は僕には無 かったです。春はカエルが頑張っているんだと印象 に残りました。
海沿ひの各駅停車春の旅 (近藤ゆき) 私がこの俳句を読んで、思ったことは、吉見の風 影と似ているということだ。吉見の電車は各駅停車 で乗客も少なく旅気分を味わえるからだ。 (編者)「風景」です。
感想−海沿ひの各駅停車春の旅 (近藤ゆき) まさに福江からの山陰線のことだと感じた。春 一番がふいたり桜がみえたり、海沿いの海も春の日 によって姿が違うし、春の思い出によって、その人 の中で見える海の姿は違うだろうな、と感じた。 水や海って人間が生きていくにはなくてはならな いものだけど、水の中に入ると息はできないし、荒 波ではしけるし、船は沈みやすいし、水、海と人間 との関係は利益と害が共存する不思議な関係だと感 じた。
「海沿ひの各駅停車春の旅」(近藤ゆき) 今回の俳句の中で一番想像しやすかった。春の海 風はとても良いと思う。
海沿ひの各駅停車春の旅 (近藤ゆき) 四国にある海が見える、実際にある駅が、先日テ レビで放映されていて、そのときを思い出した。写 真をいっぱい撮ってみたい。
海沿ひの各駅停車春の旅 (近藤ゆき) この作品を詠んで真っ先に頭に浮かんだのは四月 一日、吉見へ越すために乗った山陰本線の車窓の景 色だった。岩場・砂浜から水色そして濃紺へと変化 する日本海の姿に心がきらめいた。また、時折現れ る満開の桜や、一駅、一駅ゆっくりと吉見へ向かう 電車の動きに、新生活への期待がまた膨らんでいく。 初心を想い返すときに是非また詠んできたい。
海沿ひの各駅停車春の旅 (近藤ゆき) 感想・初めて水大に行く途中の電車を思い出したの でこれを選びました。
海沿ひの各駅停車春の旅 (近藤ゆき) 感想 僕自身この春まではJRで地元の高校にかよって いました。各駅に止まるたびに美しい桜の景色が 広がり春のおとずれを感じていました。海沿いの 道に駅は無かったですが。海沿いの道で片方の窓 を見れば、美しい海、もう片方を見れば桜の木が 並んでいたのを思い出せる俳句だと思いました。
海沿ひの各駅停車春の旅 (近藤ゆき) この詩で水産大のある吉見駅までの電車の外が思 いうかぶ 新しい場所での将来への強い決心をしたことを思 い出す.
「海沿ひの各駅停車春の旅」(近藤ゆき) この作品は、春休みに時間のできた学生が、お金 もあまり持っていいないので、思春18きっぷで各駅 停車の旅を行なっていて、山の中のトンネルを抜け、 海が見えた時、春の陽に照らされキラキラと光る海 が見えたという場面が思い浮かびます。
海沿ひの各駅停車春の旅 (近藤ゆき) 感想 この作品を読んで、私が真っ先に思い浮かべ たのは、この春に水大の寮へ入寮手続きを済ま せるために乗った電車の場面である。下関駅か ら吉見駅まで乗っていた電車からは海の景色が 見えた。水大へ行くことは、私にとって第二の 人生の旅であり、その旅とともに、電車の窓か ら見える春の海は美しかった。 この俳句はまさしくその時の場面を連想させ るすばらしい作品だと思う。
ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋) 散った桜の花弁が青い海面にただよう様子が思 い浮かびました。
ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋) 桜は桃色で海の青と反対色で、海水面に浮かぶ花 「ちるさくら海あをければ海へちる」(高屋窓秋) 春が終わって海が青く感じる夏へ近づくと桜が散 るということなのかなと思いました。何で海へ散る のかは不思議に思いました。
〈春の飢餓 難民いつぱい未来 からくる〉 (若林いさお) → 長い夏をのりこえ、寝床から這い出してきた冬 眠者たちは腹をすかしている.春の始まりととも に食事の始まりでもあるのだ。
「春の飢餓 難民いつぱい未来 からくる」 (若林いさお) 春は新しく始まったり、生まれたりするイメージ がありますが、この句では飢餓や難民といった単語 を用いており、人によっては春が必ずしも明るいイ メージにつながる訳ではないことを考えさせられま した。
「はる」といふことばの春がきておりぬ (平井照敏) 春という語を平仮名で書くことにより春のやわら かさを深くだしている
私の気に入った俳句は平井照敏さんの 「はる」といふことばの春がきておりぬ という句です。「はる」というそのままの単語から それだけで春という季節をイメージできるというの が自分にも共感できたからです。また、「春」を 「はる」とひらがなで表している点から春らしいや わらかさ?のようなものを感じられました。
蛸壺(たこつぼ)はふかねむりする春岬(尼崎澪) ・春がきて暖かくなり、蛸をとるための蛸壺が沈め られるようになることをねむっているようだとた とえたところが面白いと思いました。 ・蛸壺はふかねむりする春岬 (尼崎澪) ・どこか始まりを感じさせる「春」と「岬」が使わ れている。 ・「ふかねむり」が長い冬を越えてきたような雰囲 気を感じさせる. ・タコツボが長い時を感じさせる。
フラスコのかたちに在りぬ春の水(内田美沙) 表現が好きです。 寂しきかな。 春の夜に股も冷えきる夜這いかな (編者)あんまりエッチなことは書かないように!
ひとの恋わが春愁となりにけり (鞍悦子) 感想・他人の恋をみてむなし悲しい所に共感できる。
・平井照敏さんの”「はる」といふことばの春がき おりぬ”という俳句から、暦の上では2月4日の 立春の日から春になるが、まだまだ寒くて春が待 ち遠しい思いが読み取れる。 ・松野加寿女さんの”散りやまぬ花のいのちを手の ひらに”という俳句から、たくさんの花びらが落 ちてきていると情景が分かる。
落花 散りやまぬ花のいのちを手のひらに (松野加寿女) ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋) (感想) 二つの文は共に花びら(桜)が落ちていくところ を表している。そこからは、少なくとも「楽しい」 というような明るい印象は受けとれない。誰か大切 な人を失ってその風景と照らし合わせているのかも しれないと感じました。 また一文目の「いのちを手のひらに」や二文目の 「あをければ〜散る」とあるので、救えたかもしれ ない命を失ってしまったのを嘆いている、という考 えも浮かびました。
春水の魚紋ほどけて鯉となる (橋本鶏二) 川に魚がいるときの興味惹かれる心と、春特有 の生命が溢れ出てくる「ほどける」感じが表現さ れていてとても良いと思う。
フラスコのかたちに在りぬ春の水 (内田美沙) 春になって暖かくなった水に形を持たせ、透明 感のある俳句であると思う。
散りやまぬ花のいのちを手のひらに(松野加寿女) とてもいい内容だと思った。 ちるさくら海あをければ海へちる (高屋窓秋) これもいい内容だと思った。
春をふんわりとしたものとしてとらえる人もいれ ば、少しさみしさをふくんだものとしてとらえてる 人がいることが分かった。自分も春に対して色んな ものが混じりあった気持ちをいだくようになった。
感想 どれも春らしくておしゃれな俳句だなと思いまし た。
この四年間、図書館でたくさんの本と出会いたい と思いました。
四海兄弟と似たようなことを宮沢賢人も言ってい ました。「春と修羅」より 「みんな昔の兄弟なのだから 決して一人を祈ってはいけない。」 (編者)「宮沢賢治」です。『春と修羅』第1集中の 「青森挽歌」の中の1節ですね。正しくは「みんな むかしからのきょうだいなのだから〜」です。
セントエルモの火 (編者)月の出ている夜の海の中、帆船の帆柱のてっ ぺんから炎が出ているイラスト略。
エドガー・アラン・ポーのピムの物語が、とても こわくてびっくりした。
話の内容が自分の常識から外れすぎていて話の中 の状況や、話の内容が全く理解できなかった。 (編者)そんな作家もいると思って下さい。後、そう でない作家も紹介しますので、それまで我慢して下さ い。
・とても不思議な話しだったけど本当の話ときいて びっくりした。 ・今日の話をきき、すこしづつ小説まではいかない が、本を読みたいと思った。 ・主人公が生きていくため、自分が好きなことをす るため、いろいろな経験をしていて凄かった。 ・生きることの大切さ、命の尊さをしることができ た
E・A・ポーは海洋小説の中で首に釘が刺さった のに死ななかったという非現実的な話に交ぜて人肉 食という普段あまり触れることのない話題を描いて いたり、なんだか不思議な小説だと思いました。乗 船実習をするときはこの話をぼんやりと思いだしつ つ安全に行いたいと思いました。
当時の船旅のきびしさがわかった。
「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピム の物語」について知ることができた。特に”船倉の恐 怖”の場面では、昔の船の船倉のことを知ることがで きて、おもしろかった。 ぜひ読んでみたいと思った。
感想 ピムの物語は、苦難が多いと感んじた。 第4章〜第8章の船上の反乱の場面で、ピムや オーガスタスは、生き残ったけどもし、自分が同 じ場面に遭遇したら、どうやって生き残るかまた、 生き残ったとしてもそのあとどうすればいいのか 考えたが、いい考えがうかばなかった。
「ピムの物語」の第2章途中〜第3章でテーマの 船倉の恐怖について、とても興味を持ちました。確 かに自分が今まで見た船がでてくる映画などでは船 倉は暗く水がしたたる、イメージだったので今回の 授業をうけ 昔から船倉は恐怖の象徴だったという ことがわかり納得しました。
「ピムの物語」とかグロいけど面白い話は好きな のでこれからも海や船の関係するこういう話をして くれたら嬉しいです。
感想 本当にあった海難を知ることができた 無事に帰宅できてよかった。
海難から幽霊船に出会うとき、とても臨場感のあ る話だった。次から次へと奇妙な話がでてきて、想 像を絶するものだった.そしてパーカーの死を予感 させるのも言葉でつくれていた。
不思議な話でどんどんひきこまれていった。
(本文なし) (編者)ヤリイカのリアルなイラスト略。
私は東日本位に住んでいたので、桜餅はクレープ っぽいのが好きです。 葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(さくらもち) (久保田万太郎)
「葉のぬれてゐるいとしさや桜餅」(久保田万太郎) 桜餅のかわいらしい様子が伝わる排句でとてもい いなと思いました。 (編者)「俳句」です。
葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎) とても美味しそうであり、万太郎は非常に桜餅が 好きであることがうかがえる。 私も桜餅という食べ物を非常に食べたくなりまし た。
気になった詩は、葉のぬれてゐるいとしさや桜餅 です.春が本格的になり、もう後ろには梅雨がある、 この時期に葉が濡れている状態を安易に想像するこ とができ、桜餅の並んでいる様子も浮かんできまし た。 また、関西や関東で違うという話を講議で聞いた ことで興味が湧きました。 (編者)「講義」です。
・桜餅が西日本と東日本では違うということを初め て知った。 ・「ナンタケット島のアーサー・ゴードン・ピムの 物語」という話はふじきなことが次々と起こって いて初めの方は理解することが難しく感じたが後 々読んでいくうちに残酷で人間特にパーカーが鳥 に体をつつかれて死んでいるのは衝激的であった。 (編者)「ふじき」は「ふしぎ」?「衝撃的」です。 死んでいたのはパーカーではなく幽霊船の船員です。
桜もちに2つの種類があることを初めて知った。 私は西日本のものしか食べたことがないので東日本 のものも食べて見たい。
葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎) (感想) この詩には桜餅を前にした時の人の感情が書いて あるように感じました。私は桜もちが大好きなので、 この詩にはとても共感しました。
桜餅はあんこを全体で包んだものしか知らなかっ た。 航海はしたいけど海難はしたくないと思った。
葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎) 昼食を食べ終えた後なのに、この詩を見てお腹 が空いたので選びました。
葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎) 私は桜餅が好きなのでこれが気に入りました。
葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎) とてもおもむき深くおもしろくせつないと思った
桜餅 桜餅についている葉がぬれていて、まるで食べて る背景桜と、これからの梅雨の時期を暗示している かのようなぬれた葉がマッチしている。そして「い としさや」ということばで、桜さく春も梅雨もまた 好みというのが伝わってくる。
葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎) [感想] 葉の香りと桜色の餅の色合いが桜の開花を感じさ せ、春の訪れを感じる詩である。
葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎) 作者の人は、桜餅がとても好きなんだなと思った。
葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎) 少し葉の混じっている夜桜が雨でぬれている。 満開の昼の桜とは違った桜の良さが感じることが 出来る。
葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎) この句には桜餅の葉のようすしかかいていないの に、桜餅の丸くて淡いピンク色の可愛らしい様子ま でイメージできるから。
感想 葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎) 私は、和菓子の中でも一番好きなのが桜餅で、春に なるとすごく食べたくなるものでもあり、桜餅が売 られているのを見るともう春だな…と感じます。 今年の春もたくさん食べました! 先生の話をきいて、はじめて桜餅には2種類あるの を知りました…
葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎) 桜餅が2種類あることを初めて知った. 春は美味しいものが多いと感じた。
桜餅が2種類あるのは初めて知りました。 ”ゐるいとしさや”の意味が全くわかりませんので、 今度調べてみようと思います。 (編者)確かに切れ方が不自然なのですが、「ぬれて ゐる/いとしさや」となります。
かちやかちやとかなしかりけり 蜆汁(しじみじる) (山口青邨) どんどん蜆を食べるごとになくなる身、残るから がさびしくなるのがあいしゅうだたよう。
かちやかちやとかなしかりけり蜆汁(山口青邨) 私はひとりで蜆汁をはしでつっついている画が 想像できました。 かちゃかちゃと蜆同子があたってでる音が想像 できておもしろいと思いました。 (編者)「同士」です。
蜆のあたる音をかちやかちやと表している所がお もしろいと思った。
かちやかちやとかなしかりけり蜆汁(山口青邨) この俳句から、春から一人暮らしをする人が家を 出る前蜆汁を朝作ってもらっていたが、明日から一 人暮らしをするため食べれなくなる悲しさを「かち やかちや」という音を用いることで表し、春の始ま りを告げているように思いました。
かちやかちやとかなしかりけり蜆汁(山口青邨) 仲間と集まって酒を飲みながら語り合う。翌朝、 その時とはうって変わって静かで、二日酔いに効 く蜆汁を飲んでいても、かちゃかちゃと蜆の殻が こすれ合う音のみが響き、悲しくなる。
かちやかちやとかなしかりけり蜆汁(山口青邨) 蜆の貝殻の音だけがかちゃかちゃと鳴っている 音が部屋に響き渡っている情景を思い浮かべた。 この部屋には一人しかいないのかと想像し、今 一人暮らしをしている自分にかさなって何も居な い部屋の物悲しい雰囲気を感じ共感した。
かちやかちやとかなしかりけり蜆汁(山口青邨) 蜆汁の貝がかちゃかちゃと当たり合う音が一人寂 しい部屋に鳴り響く音がかなしそうに響いている。 おそらく離婚した夫婦のうち夫が家に残り妻が子 供を連れて他の家に行ったのだろう。蜆汁がいつも 作っていた朝ごはんであり、それを一人で夫が初め て一人で食べる状況になっているのだ。
かちやかちやとかなしかりけり蜆汁(山口青邨) を読んで しじみの気持ちになり、しみじみとした。
かちやかちやとかなしかりけり蜆汁(山口青邨) 蜆汁を全て飲み干してしまい、容器にむなしく響 くかちゃかちゃとした蜆の乾いた音がかなしいと歌っ ているように思えた。
かちやかちやとかなしかりけり蜆汁(山口青邨) 蜆が春の季語であることを始めて知った。
かちやかちやとかなしかりけり蜆汁(山口青邨) しじみを食べおえて、その貝を皿に入れている時 に音がなり、食事の時にその音しかなくかなしい様 子だと思った.家族の会話がないのか、一人で食事 しているのが思いうかぶ。
蜆汁の俳句で「かちやかちや」という凝音がおも しろいと思った。汁を飲むときに蜆の貝殻どうしが 当たっている様子が簡単にイメージできた。 (編者)「擬音」です。
山口青邨さんの かちやかちやとかなしかりけり蜆汁 という俳句から、 蜆汁の中には多くの食べられない部分が入っていて 損をした気分になるが、実際は大きな役割をはたし ているので、反対に良い気持ちも含まれており、1 つの俳句の中に、嬉しい気持ちと、悔しい気持ちの 両方の気持ちが含まれている。
おぼろ夜のうどんにきつねたぬきかな (木田千女) 私自身、この句を読んで思ったことは、おぼろ夜 にうどんをゆでたが、きつねうどんにするべきかた ぬきうどんにするかまよっている風景が思い浮かん だ。 また、赤いきつねと緑のたぬきのカップうどんの CMも思い浮かび、笑顔になった。
おぼろ夜のうどんにきつねたぬきかな (木田千女) 夜にきつねうどんを食べようか、たぬきうどんを 食べようか迷っているようすがつたわってきた。ど ちらもおいしいので迷ってしまってしかたがないと 思う.
おぼろ夜のうどんは月見うどんが良と思いました。
月がかすんで美しい夜にはうどんがうまい(大嘘) おぼろ夜のうどんにきつねたぬきかな (木田千女) (編者)盆の上の湯気の立っている丼の中に「うど ん」と書かれたイラスト略。
おぼろ夜のうどんにきつねたぬきかな(木田千女) きつねもたぬきもうどんの種類でとてもユニー クだと思いました。
おぼろ夜のうどんにきつねたぬきかな (木田千女) 日清大好きです 緑のタヌキが一番好きです。 とても腹がへるような俳句が気に入りました。
おぼろ夜のうどんにきつねたぬきかな(木田千女) この詩が一番自分がよく思い浮かべることがで きる詩で、よく理解できた。
「おぼろ夜のうどんにきつねたぬきかな」 (木田千女) 自分はうどんはきつねうどん派である。きつねう どんの揚げが美味しいと思う。ですから、この俳句 が気に入った。
私が最も印象に残った俳句は「おぼろ夜のうどん にきつねたぬきかな」(木田千女)です。
おぼろ夜のうどんにきつねたぬきかな(木田千女) の「たぬきうどん」がよくわかりません。 ピムの物語については全然わかりませんでした。 こわい話でした。 パーカーが死ぬシーンが好きです
おぼろ夜のうどんにきつねたぬきかな(木田千女) (感想) 僕はうどんが大好きです。個人的にはきつね うどんの方が好きです。またうどんを月とみた てると月にうつる影がたぬきやきつねのように 見えるということを表現しているのかなっと思 いました。
木田千女さんの作品の「おぼろ夜」という少しか たい始まりだしからのきつねうどんたぬきうどんと 言うやわらかい言葉にかわっていくギャップがいい と思います。
おぼろ夜のうどんにきつねたぬきかな(木田千女) 感想 この詩を読むと「秋」らしさを感じた。おぼろ 月が出ている夜に作者はうどんを食べていたのだ ろう。山奥できつねとたぬきがさわいでいてとて もにぎやかな夜だったことがわかる。
よこたへて金ほのめくや桜鯛(さくらだい) (阿波野青畝) 華やかなピンク色の鯛と春の桜の色が重なり、視 覚いっぱいに桜色が広がる様子が思い浮かぶ。その 中で鯛のひとみやうろこのかすかな金色がより際立っ てあざやかに浮かび出ている。人だけでなく、動物 や植物の春の到来の喜びも感じられる句だった。
(本文なし) (編者)十字のピカピカマークに囲まれた鯛のイラス ト略。
よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝) 自分で桜鯛釣って料理してみたい。
よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝) ・桜鯛がおいしそうだ。
よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝) 桜鯛が海面近い所で、泳いでいて、その鯛の鱗に 日光があたって、きらめいている様子がうかぶ。
まな板の上で金色に輝いている桜鯛が目にうかぶ ようです。
詩 よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝) 春の鯛はとても美しく、お祝いごとなどでもでて くるほど金ほのめいて美しい。
よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝) 魚の王様とも言われるタイについて詠んだ俳句で 「金ほのめくや」の節が、鯛が魚の中でも特別な存 在であることを強調しているのだと思います。 この俳句を読むと鯛のにぎりを食べたくなります。
桜鯛の句がいいと思いました。
よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝) 新鮮な桜鯛を思いうかばせる。 同時に、人々にとって桜鯛が貴重な存在であり、 金がほのめいているように感じられるのだと思う。
よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝) 「よこたえて」という語から釣られて売られている 桜鯛を連想させ、繁殖時期で模様が美しく浮かびあ がっている桜鯛に思わず足を止めているイメージを 「金ほのめくや桜鯛」のところから読み取った。5・ 7・5の詩ここまで表現できるのは素晴らしいことで あると思う。 (編者)「5・7・5の詩」は「5・7・5の詩が」?
昨日、アジを釣ってさばいてたべた時に、アジの 皮の部分が光っていたので、桜鯛だったらもっと光っ て金にほんとうに見えるのじゃないかなと思った。
めばる煮てこころをわかつ皿二つ(古館曹人) 分け合う心がなぜか心に染みた。
めばる煮てこころをわかつ皿二つ(古館曹人) 私は先日めばるを釣りに行った。その時足の裏に サザエが二センチほどささった。
めばるの詩 恋人なのか友達なのか分からないが一緒に食事を とっているのが分かる。こころをわかつというとこ ろで互いに信頼し合っていることも読み取れる。別 れた心を皿に例えていてそれが平等であるようにも 見える。
めばる煮てこころをわかつ皿二つ(古館曹人) めばるを煮たものは私は食べたことがないがおそ らく美味なのだと思う 一人暮らしを始めたので共 に魚を食べることに懐かしさを覚える.「分かつ」 「二つ」の押韻がとてもリズムが良く気に入った.
今回私の気に入った俳句は「めばる煮てこころを わかつ皿二つ」(古館曹人)です。「めばる」は初 夏を告げる魚ということで、まさにこの時期にぴっ たりの魚であり、食卓にいる人の心をわかちあうと いうことでとても気に入りました。 ところで「雪」はなぜ白いのだろうか? (編者)えっ、突然の質問ですね、えーわかりませ ん。雪とは白いものだからではないですか…
めばる煮てこころをわかつ皿二つ(古館曹人) 感想 目を見ていれば相手をこころがわかって 自然と皿を2つ用意しているということかな と思った。 海の生き物を使った歌は 面白いと思った。 例えばめばると眼張る、 めざし 目指しなど …。
めばる煮てこころをわかつ皿二つ(古館曹人) 最近釣りに行ったときめばるが釣れて煮付けにし てみました。サイズは小さかったもののとてもおい しかったです.
めばる煮てこころをわかつ皿二つ(古館曹人) めばるを煮て、恋人や家族のために丹精込めて料 理を作っている様子が思い浮かぶ。相手の分も自分 の分と同じように思いを込めているのだと感じた。
めばる煮てこころをわかつ皿二つ(古館曹人) めばるの煮物を2人で話しながら、わかち合いな がら食べているという仲の良い情景が想像できた。
ほろほろと山吹(やまぶき)ちるか滝の音 (芭蕉) 花のちる季節であることで、少し切ない気持ちに なる詩だと思いました。
ほろほろと山吹ちるか滝の音 (芭蕉) 山吹の花は鮮やかな黄色をしており、イメージと しては暖かい色なのですが、滝の音と聞くと、それ だけですずしくなるような、どちらかと言えば冷た いイメージ。この二つを同時に猫くことで、自然の 楽しみ方を改めて教えてくれるような気がします。 (編者)「描く」です。
ほろほろと山吹ちるか滝の音 (芭蕉) 山吹が静かに散ってゆく光景と滝が激しい音を立 てながら流れる光景が対比されて表現されているよ うに思った。
ほろほろと山吹ちるか滝の音が印象に残りました。 イメージがし易く美しい自然の情景が表されている のかなと思いました。
おぼろ夜の水音に添ひ坂下る (柴田白葉女) 暗く雨が降っている夜の中、水の音を聞きながら 坂を下っている情景が浮かんでくる
おぼろ夜の水音に添ひ坂下る (柴田白葉女) おぼろ夜というのがとても良いと思いました。
感想 おぼろ夜の水音に添ひ坂下る(柴田白葉女) 冬が明けて春になり夜も寒さがやわらいでくる 季節に、夜、ふと散歩をしているような情景が浮 かんで来た。夜ということもあり、坂を下ってい ることから、何か恐ろしいようなさみしいような 感じもしました。
洗いたる花烏賊(はないか)墨(すみ)を すこし吐き (高浜虚子) 桜鯛もそうですが、春の季節だけの特別な言い方 が素敵だと思いました。もうイカも釣れだして、気 温も高くなりすっかり春も感じる今にぴったりな句 だと感じました。
洗いたる花烏賊墨をすこし吐き(高浜虚子)の感想 私はイカの調理動画を見た事がある。この情景は 容易に想像がつく。 死にそうなイカの最後のあがきか断末魔か、墨を 吐いても何も変わらないのにあわれである。イカは 海の上にこんな物があってそいつらに調理されて殺 されるとは思っていなかっただろう。それを考える とやはり食べ物は感謝して食べねばなるまい。
洗っているいかが墨を少し吐いているというとこ ろがリアルにみえた。
掘り返す塊(かたまり)光る 穀雨(こくう)かな (西山泊雲) ついに農作物(米)の田植えの時期がやってきた なと思った.
自分にとって印象に残った俳句は「掘り返す塊光 る穀雨かな」(西山泊雲)です。まだ肌寒く感じる 日々が続いていますが、雨が降るにつれて穀物が育 つ時期に近づいていくように感じる俳句でとても印 象に残りました。
掘り返す塊光る穀雨かな (西山泊雲) <感想> この詩を詠んで、雨が降ることで大地が潤い、作 物が育つことを詠ったものだと考えました。ただ文 中の「塊」とは何を指しているのか、とても気になっ た。「掘り返す」という行為は耕すという意味だと 思うので「塊」は土を表しており、雨は大地を潤す だけでなく耕やしてくれる事も同時に示しているの だと考察しました。 自然を題材にした詩は色々な促え方ができるので 非常に興味深いです。 (編者)「捉え方」です。
感 ほろほろと山吹ちるか滝の音 (芭蕉) 想 山吹が散ると、もう春も終わり初夏が訪れて、 気温が上昇していくので、滝の音が前よりも気 持ち良く聞こえるようになった。 感 めばる煮てこころをわかつ皿二つ(古館曹人) 想 めばる煮つけを二人でつつきながら食べて過ご し、その二人がもっと親密になる。
ほろほろと山吹ちるか滝の音 (芭蕉) 感想 読んだだけで自然の中を滝が流れ落ちる光景が すぐに思い浮かぶ. よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝) 感想 金色に輝く鯛が思い浮かびとても食欲が湧いてき た。
「おぼろ夜のうどんにきつねたぬきかな」(木田 千女)という俳句は、うどんを食べているときにた ぬきが通ったのかなぁと思ったのですが、どういう 状況でなんでこの俳句を詠んだのか聞いてみたいと 思いました。 「葉のぬれてゐるいとしさや桜餅」(久保田万太 郎)という俳句では、見たこともないようなおいし い桜餅に出会ってしまい、つい詠んだ歌のように感 じ、輝かしい桜餅が目に浮かびます。 エドガー・アランポーの小説の授業を聞いて、船 のバランスの取り方や船のつくりがどうなっている かを知ることができました。 不思議な小説だと感じ、衝撃を受けました。
かちやかちやとかなしかりけり蜆汁(山口青邨) これを読んで蜆汁が飲みたくなった。 よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝) 桜鯛を食べたいと思った。
・「洗いたる花烏賊墨をすこし吐き」(高浜虚子) からは、イカの食べられることへの低抗心や生へ の執着心が感じられる。 ・「よこたへて金ほのめくや桜鯛」(阿波野青畝) からは、鯛のうろこの輝かしさを表現していると 感じた。 ・『ピムの物語』 仲間を殺して人肉をすることは相当な覚悟が必 要だと読んでいて感じた。 (編者)「抵抗」です。
感想 「おぼろ夜の水音に添ひ坂下る」(柴田白葉女) は、情景がパッと思い浮かんできて、夜の静けさ の中にかすかに聞こえる水の流れる音を想像する だけでも心が安らぐ素晴らしい俳句だなと思いま した。 「ほろほろと山吹散るか滝の音」の2回目の 「ほろ」が公式ではどのような表記になっている のか気になったので帰って調べてみようと思いま す。 (編者)学生に示した縦書きの俳句では、2回目の 「ほろ」は繰り返し記号になっているのですが、横 書きで示せないので、ここでは「ほろほろ」としま した。
眼張とかいて「めばる」とよむのを初めて知りま した。 今日が穀雨なので、これから雨がふえるのかと思 うといやになりますね。
身近なことの中にも春を感じられる詩が多い。と くに食事と春を結びつける発想は私になく、すごい と思った。
季語に使われる水産物がとてもおいしそうだと感 じました。詩人たちは、言葉で読者の食欲をくすぐ るのが上手だと思いました。味の感想ではなく、た だの視覚だけなので、僕の食い意地が張ってるだけ かもしれませんが…。
今日4月20日って穀雨って前回のプリントに書い てあったような… 朧月夜ってよく聞くフレーズなんですが、あまり イメージとして具体的に浮かんで来ませんが木田千 女の句が少し可愛らしいと思いました。俳句って私 が思うよりも自由なんですかね。幼児の呟きのよう な句でとても好きです。あと、俳句というより漢字 についてのコメントになりますが、しじみってどう して蜆って書くんですかね。由来が気になるので調 べてみようと思います。
最近は気温くらいしか春を感じられない。 (編者)目が小さくて可愛いザトウクジラのイラスト 略。
”うたうチューリップ” (編者)チューリップというよりはヒマワリのような 花の真ん中に少し怖い顔のあるイラスト略。出席 カードの裏には可愛いペンギンのイラスト略。
授業内容が少しわからない。何を目標にすべきな のかを明確にしてほしい (編者)目標は海洋文化についての知識を高めること です。聴いて面白いなと思えば知識も高まっています。 そのうち面白い話題も出てくると思います。
今日の授業中に話していた小説の内容が面白かっ た。 (編者)よかった!
この授業のおかげで海に関する知識が増えていく のでいいと思います。
船についた、貝やかにまでも食べていて驚いた。、 (編者)『ピムの物語』、細かいところまで聴いてい てくれてありがとう。
春の海向こうの島は見えないか 小説の中で船がひっくり返り船のうらのフジツボ や海藻を食べて行きぬいたのは一生懸命生きようと しているのが伝わってきておもしろかった。 妙な形をした陸上植物のしょうたいがすごく気に なった。 (編者)「生きぬく」です。「陸上植物」は「陸上動 物」?この後また登場しますのでお楽しみに。
春の海はるかかなたに我の夢 海の向こうに大きな船が見えます。そこで私は 「将来、大型船舶に乗って働きたい」と思いながら 海を見ている今日この頃の様子を書きました。
行き過ぎし短かき駅や海のどか (正岡子規) 正岡子規が書いたということで目に止まった。田 舎の風景が目に浮かんだ。
行き過ぎし短かき駅や海のどか (正岡子規) よく分からないが、海と駅、電車が浮かんでここ ちよい詩だ。
行き過ぎし短かき駅や海のどか (正岡子規) … まさにこのあたりの風景を思いうかべます。ほ ぼ1時間に1回しか降りない踏切の遮断機、朝 遠くの山を見てわかる春がすみなど、春ののど かさを色濃く感じられます。
行き過ぎし短かき駅や海のどか (正岡子規) この歌はちょうどこの学校に来るまでの山陰線の 風景にマッチしていて、とても身近感が湧きました。 (編者)「親近感」?
行き過ぎし短かき駅や海のどかの正岡子規の作っ た作品はいなかなふいんきがする。 「海のどか」のところで、雨の日ではなく晴れの日 の感じ。 少し晴れの時の吉見の感じに似ているのかなと思っ た。 (編者)「ふんいき」(雰囲気)です。
行き過ぎし短かき駅や海のどか (正岡子規) 春ののどかな雰囲気で眠たくなり駅を寝過ごして しまったのかなと思った。のどかな雰囲気が伝わっ てきて印象に残った。
行き過ぎし短かき駅や海のどか (正岡子規) <感想> 「行き過ぎ」「短かき駅」という部分からは、駅の ホームが短くて、すぐに通り過ぎてしまうほどだと、 つまりそれくらい小さい駅であると表現している。 また「海」の文字があるので駅の横は海であると、 そして海は穏やかで晴れた日の描写が思いうかびま す。 ここ水大が良い例で、吉見駅から下関方面への2 つ目の駅がこの描写にピッタリだと思いました。
行き過ぎし短かき駅や海のどか (正岡子規) 情影がハッキリと浮かんでくる。都会とは違い、 1両や4両までの駅の大きさと海の近くということ が読みとれてなんだか穏やかな気持ちになった。 (編者)「情景」です。
行き過ぎし短かき駅や海のどか (正岡子規) まさに水大周辺のことだと思う. 短い吉見駅にのどかな海。
行き過ぎし短かき駅や海のどか (正岡子規) 短い駅や海がのどかなのは、吉見に似ているので とても想像しやすいです。長閑の漢字があまりなじ みがなくて意外でした。
行き過ぎし短かき駅や海のどか (正岡子規) 都会を出て田舎に出てきた作者が久しぶりに見る 海や東京駅のような大きな駅でなく短い駅を見て田 舎のよさを感じており、そののどかさに心打たれて いる様子が描かれている。
「行き過ぎし短かき駅や海のどか」(正岡子規) この句を見て地元愛媛の下灘駅から見える春のの どかな海を思い出しました。
行き過ぎし短かき駅や海のどか (正岡子規) 汽車に乗っていると時間はあっという間に過ぎて いくが、海はいつ何時でも平常心で時間を過ごして いることが読みとれる。私たち人間は何かに集中し ている時は時間があっという間に過ぎていくと思う が、いつ何時でも海のように平常心で時間を過ごし ていこうと思いました。
長閑(のどか) 短い駅は人があまりいなくて駅が栄えていないの で、その分海がのどかであるのが伝わってきます。 まるで吉見のような感じがしてとても親近感が湧き ました。行き過ぎたと言っているので、通りすがり に見た駅が田舎でその分のどかな雰囲気だったのか もしれません。
正岡子規の「行き過ぎし短かき駅や海のどか」と いう句がとても印象的でした。なぜかというと、句 で描かれている情景をイメージしやすいからです。
行き過ぎし短かき駅や海のどか (正岡子規) 自分の地元も海がのどかでよく短か駅をついの りすごしてしまうのでとても共感できる。 (編者)「短か駅」は「短い駅」?
長閑 電車でその駅には降りたり海を楽しまないが、駅 々と海の情景が目に浮かぶ
チューリップ声をあげればソプラノか (松田和枝) 春に花を咲かせたチューリップのかわいらしい様 子が伝わってきました。
俳句 チューリップ声をあげればソプラノか (松田和枝) もしチューリップが喋ることが出来たらなら、ソ プラノの歌声のような美しく女性らしい高い声で喋 るのではないだろうか、ということを表現している のではないかと考えた。
チューリップ声をあげればソプラノか (松田和枝) チューリップを女性にたとえているのがわかる また、花が声をだすことはないが、だとしたらと いうのを想像しており、たしかに、高くてきれい な声を出すだろうな…と思った。
チューリップ声をあげればソプラノか(松田和枝) チューリップの明るい色や、小さくてかわいら しい見た目が、女声のソプラノに例えられている 作品に初めて出会ったが、自分のチューリップの イメージとピッタリ合っていたから。
チューリップ声をあげればソプラノか (松田和枝) チューリップそのものの声を想像すると高いく細 い声であると予想する。 (編者)「高いく」は「高い」か「高く」?
チューリップ声をあげればソプラノか (松田和枝) チューリップはたしかにソプラノのような高い声 をしていそうだと思った。このソプラノの声のチュー リップは、赤い色をしていそうです.
チューリップ声をあげればソプラノか(松田和枝) だれでも想像しやすい句になっていると思う。
「チューリップ声をあげればソプラノか」 (松田和枝) この詩を呼んだ時にすぐに、 幼稚園の頃に歌っていたチューリップの歌 を思い出して、懐かしいなと思いました。 (編者)「呼んだ」は「読んだ」?
「チューリップ声をあげればソプラノか」という俳 句が印象に残りました.春の陽気に美しいソプラノ の声が聞こえてくるような情景が浮かびました. (編者)音符の浮かんだ2本のチューリップと、それ ぞれから上に伸びた点線の先を飛ぶ2匹の蝶のイラスト 略。
・チューリップ声をあげればソプラノか(松田和枝) ソプラノは主に主旋律を歌うパートで春の 陽気な雰囲気を鮮やかな色の花が歌いそうと いう明るい感じで良いと思った。
チューリップが声を上げるという表現がもちいて あるけどその表現が何を表しているのか気になった。 また、その音がソプラノということも気になった。
チューリップ声をあげればソプラノか (松田和枝) チューリップはもちろん話す訳もなく、これは作 者がチューリップを人として考えたときのイメージ がソプラノの高音の声を出す人と想像したと感じた。
チューリップ声をあげればソプラノか (松田和枝) という俳句で、チューリップの色は、赤や黄色や白 など明るい色のものが多いので、チューリップが喋 れるとするなら高い声だろうという作者の考えはわ かりやすいと思った。
チューリップ声をあげればソプラノか(松田和枝) この句から、チューリップが元気よく華やかに咲 く姿が想像されました。とても感じのよい句だと思 いました。
うららかにきのふはとほきむかしかな (久保田万太郎) おもむき深くて良いですね。
うららかにきのふはとほきむかしかな (久保田万太郎) 昨日という近い過去を遠い昔のように感じるほど、 気温や日の強さ、景色が変わったということかなと 思いました。 春の訪れは一日、一日でとても変わるので、わく わくして私は好きです。
うららかにきのふはとほきむかしかな (久保田万太郎) この句を読んで私が思ったことは、作者は日記を 書いていて、昨日のことを書こうと思ったが思い出 すことができない。昨日は遠い昔のことの様に思い 出せないと考えていると思った。
うららかにきのふはとほきむかしかな (久保田万太郎) おだやかで時間がゆっくり流れているように感じ る春を昨日が遠くの昔であるという表現で示してい る点がとても心地良い。
感想 「うららかにきのふはとほきむかしかな」は、 非常に共感できるうただなと思いました。春は卒業 式など別れの季節でありながらも新生活に心踊らす 出会いの季節でもあります。そのためやることが多 く一日一日が濃いので時が過ぎるのがとても早く感 じます。そんな春の日々を一つに余すことなくまと めてあってすごく綺麗だなと思いました。また、新 生活を始める際の不安や仲間に会えない寂しさなど 過去の心情を思い出させてくれる素晴らしい俳句だ と思いました。
今日の俳句で私が気に入った俳句は「うららかに きのふはとほきむかしかな」です。「うららかに」 という春をイメージさせる季語から冬であった「き のふ」が終わり、今日という「春」がきたことで 「きのう」が遠い昔のように感じるという作者の久 保田万太郎の人生を少し感じたような気がしました。
うららかにきのふはとほきむかしかな (久保田万太郎) 私はこの俳句は高校の卒業式の翌日に書かれたよ うな気がしました。昨日までは高校で仲間と一緒に 過ごしたくさんの思い出ができていたが、卒業式が 終わり、一夜寝るともう高校には行かなくて良いこ とに気づき、昨日までの日々が急に遠い昔のように 感じてきて、書かれた句と考えます。
「うららかにきのふはとほきむかしかな」 (久保田万太郎) のんびりとした日を過ごしている内に、時間がゆっ くりと感じ、まるで昨日のことも遠い昔のように思っ ていると読み取れた。春ののんびりした感じがすご く伝わってくるような雰囲気を持つ作品だと思う。
春の海まつすぐ行けば見える筈(はず)(大牧広) [感想] 春の暖かな風とともに、静かな波音が響く情景 が浮かぶ.春の海を感じられる暖かな詩である.
春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広) 春の海は自分の目指す物の事を表しているように 感じる。 まっすぐ今やってることを続ければいつか目標を 達成できる、というような意味に感じて僕もがんば ろうと思った。
春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広) 「春の海」というのが野山や公園に散り積もった桜 の花を想像して美しかったです。 「まっすぐ行けば」という言い方は、距離というよ りも時間を意識しているのだと思いました。
春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広) 春から夏へふきぬける季節の流れを感じられる.
春の海 作者の興奮やワクワクがこの句から伝わってくる
春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広) 夏の海、冬の海はよく題材とされるが、入ると 冷たいが少し暖かさもある春の海が好きだ
春の海(大牧広)が書いた句を見て、自分も最近 海を見るのが好きなので、作者が何を見たいかは分 からないけど何となく分かるなと思いました。
春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広) 春の海はまだ冬に近いほうだから水が冷たいから 泳ぐのに向いていない。
春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広) 水大の前の海でも、春の晴れた海だと、すきとおっ てまっすぐ遠くまで見わたせるような気がして、身 近に感じられる 春の情景が感じられる良いはいくだと感じた。
まばたきては跳ねては恋の睦五郎(宮川杵名男) むつごろうが恋の季節を迎えて子孫を残すため に必死になって跳ねている様子がうかがえる
まばたきては跳ねては恋の睦五郎(宮川杵名男) 自分も、彼女が欲しくなった
まばたきては跳ねては恋の睦五郎(宮川杵名男) (感想) 私がこの俳句を選んだわけは、恋の睦五郎という ところがとてもユニークで楽しかったからです。
まばたきては跳ねては恋の睦五郎(宮川杵名男) 「恋の睦五郎」という響きがとてもよかったので.
むつごろうといえばむつかけです。一度でいいか らやって見たい所です。 やつらは跳ねたり、人を見つけたりすると逃げた りするので、恋みたいだなとかけているのだと思い ます。
睦五郎ってブサイクでピョンピョン跳ねていて泥 臭くあまり恋とか愛とかの歌のイメージは全くなかっ たし、まばたきては跳ねては恋の睦五郎って句もやっ ぱり意味が分からないです。 容姿の悪い人間がちょっとした恋に勘違いしてぴょ んぴょん跳ねているイメージしか浮かびませんでした. 一番心に突き刺さります.
まばたきては跳ねては恋の睦五郎(宮川杵名男) たくさんの睦五郎が跳ねて恋がをしたうれしさか、 春が来たうれしさを物語っている。 (編者)「恋がを」は「恋を」?
チューリップ喜びだけを持つてゐる(細見綾子) チューリップの咲く春は喜ぶ事が多く、チューリッ プの花が咲いている写真や同じ風景の中には喜ぶ事 や嬉しい事が多いような気がする。
チューリップ喜びだけを持つてゐる(細見綾子) チューリップは私の中でも明るいイメージしかな くてこれを読んだだけでチューリップ畑でたくさん のチューリップが元気よく咲いているのが想像でき るから。また、私もチューリップみたいに喜びだけ を持って生きていけたら嬉しいから。
チューリップ喜びだけを持つてゐる(細見綾子) この詩について、チューリップは春に咲くことか ら、厳しい冬を乗り越え暖かい春への希望がこの詩 から伝わってくる。
チューリップ喜びだけを持つてゐる(細見綾子) チューリップが咲くことで、道行く人々は喜びを 感じ明るい気持ちになることができる.また、チュー リップは、これから咲くという期待、希望を持って 生きていることから喜びに満ち満ちているといえる.
チューリップ喜びだけを持つてゐる(細見綾子) 私はこの俳句が解せない。確かに一見チューリッ プは明るい色できれいで喜びなどのあかるい言葉を 連想させる。しかしそのきれいな花もいつか枯れて しまう。それはチューリップの死だがこの時には最 早きれいな色もない。死は喜びというよりは哀しみ と思うからチューリップは喜びと哀しみの二面を持っ ていると私は考える。だから私はこの俳句が好きで はない。
あいなめは息吐く焼いてしまうべし(新谷ひろし) あいなめはやはり焼きが一番なのでおいしくおな かにしまいたいです.
「あいなめは息吐く焼いてしまうべし」(新谷ひろ し)という詩は、あいなめを釣ったらすぐに焼いて 食べてしまおう、というどこか忙しい感じがしまし た。とてもおいしい魚なのだろうな、と思いました。
あいなめ⇔鮎魚女 昔の人の考えを知ることができた。
あいなめは息吐く焼いてしまうべし(新谷ひろし) あいなめを釣って食べたいと思う.
あいなめは息吐く焼いてしまうべし (新谷ひろし) あいなめの味の良さを例えている詩だと思う。一 回もつったことがないため、一度はつって食べてみ たい。
麗かにろまんちすとでゐたらいい (松澤昭) 「ろまんちすと」が平仮名なのが、かわいいなと思 いました。 なおかつ麗かであって、すごく可愛らしい女の子 (?)なのかなと想像できました。
麗かにろまんちすとでゐたらいいという句の「ろ まんちすと」の部分をあえてひらがなにしたのはな ぜなのか疑問に思いました。
「ろまんちすと」とカタカナ語をひらがなにして用 いているのがおもしろいと思いました。 [麗かにろまんちすとでゐたらいい(松澤昭)]
麗かにろまんちすとでゐたらいい (松澤昭) 自分は風景や絵画などをみて感動できないので、 少しでもロマンチストになりたいです。
麗かにろまんちすとでゐたらいい (松澤昭) 何も考えないで脳みそを空っぽにしたかにような 歌だが何か過去に深い傷を負ったかのような心の闇 を思わせる。
うららかや鯨図鑑の小さな目 (矢島渚男) 大きな鯨のつぶらな目にいやされている句だと思 いました。
鯨などの大きな生き物の小さな目は、私も好きだ。 わたしは特にカブトガニの小さな目が、”うららか” だと思う。これからは他の、動物の目についても注 意してみて行きたい。 (編者)ネズミのようにも見えるカブトガニの可愛い イラスト略。
うららかや鯨図鑑の小さな目 (矢島渚男) 少年が図鑑をみて、親に「鯨の目って本当にこん なに小さいの!?」と問いかけている背景が浮かん だ。
うららかや鯨図鑑の小さな目 (矢島渚男) うららかな春の陽気で心がおだやかになり、今ま で何となく見ていた鯨図鑑の鯨を細かな目まで注目 して見れるようになっている様子がうかがえる。
ぽかりと真ッ黄ぽかりと真ッ赤チューリップ (松本たかし) 四月上旬の温かな日差しから、四月下旬の照りつ ける日差しへと少しずつ変わり、カラリと乾いた空 気に、控えめに咲いていたチューリップもすっかり 口を開いてボー…ッと咲いている様子が思い浮かぶ。 五・七・五にしばられない音からも、少しだらけ たチューリップの自然体が表現されている。
・うららかにきのふはとほきむかしかな (久保田万太郎) 春はいろいろといそがしく1日がすぐに過ぎ去っ ていき、昨日が遠い昔のように感じる今日を書い ている ・春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広) 何事も考えずに進めば、何か見える景色がある
「行き過ぎし短かき駅や海のどか」(正岡子規) 自分の行くべき駅は通りすぎてしまったけれど、 短い駅々を通りすぎきれいな海を見つめて心がすっ きりする体育後には涼しげのあるいい歌だと思いま した。 「まばたきては跳ねては恋の睦五郎」(宮川杵名男) まばたきしているうちに睦五郎が跳ねてしまい、 見れなかった恋人同士に会話をもたらした睦五郎の ように感じた。
うららかにきのふはとほきむかしかな (久保田万太郎) これを読み、とてもおもむき深いのをかんじた。 チューリップ喜びだけを持つてゐる (細見綾子) これを読んで、チューリップの印象が明るく、生 き生きとしているととらえられる。とてもポジ ティブな文で、おもしろいと感じた
「まばたきては跳ねては恋の睦五郎」(宮川杵名男) からは、オスの睦五郎がメスに向かって一生懸命に 求愛している様子が思い浮かぶ。 「チューリップ喜びだけを持つてゐる」(細見綾子) からは、チューリップが次々と咲き、暖かい気候へ と変化する様子を”喜び”と表現していると感じた。 「春の海まつすぐ行けば見える筈」(大牧広) からは、一面に広がる海の地平線以外にも何か見え るかもしれないと期待する作者の思いが伝わってく る。
「チューリップ喜びだけを持つてゐる」(細見綾子) という俳句から、 チューリップは幸せな花である。 「行き過ぎし短かき駅や海のどか」という 正岡子規の俳句から どんなに進んでも同じ風景が続いてすごく田舎にい る感じがする。
「麗か」という言葉が個人的に好きです: とても美しく、かわいらしくもあって、とてもい いです!
うららかやのどかと言った単語が、季語になって いて温かくなっていくことは昔から喜ばれていると いうのがよくわかりました。