冬の部2017

水大歳時記(平成二十九年度)

 冬 の 部

       

  寒くなり服を入れ替え冬支度

  歩けない冬の吉見は毎日台風

  寒い冬食べたくなるのは辛いもの

  寒い冬、コタツにみかん最高だ

 

       年の暮

  鐘の音に思いめぐらす年の暮れ

  年未何もせずこたつみかん       (編者)「年未」は「年末」の間違いと取りました。

 

    大寒(だいかん)

  大寒は吹く北風が強くなり

 

       冬の朝

  強風に体をさらす冬の朝

 

       冬の夜

  冬の夜に星空見上げる雪だるま

 

       寒し

  春でもない微かなさむさを感じてく

  最近は寒い上に朝辛い

  寒すぎてふとんにくるまり猫の様

  寒い朝1限行くのきつくなる

(編者)「につぽんは葉つぱがないと寒いんだ」(藤後左右)に 倣って   吉見は、建物がないと寒いんだ。

  下関風が強くて寒いんだ

 

     冬晴、冬日和

  冬晴や暖を感じる人肌に

 

   北風(きた、きたかぜ)

  北風がびゅうびゅうと鳴き染み渡る

 

   初時雨(はつしぐれ)

  温もりを散らし近づく初時雨

 

       

  霜降りて甘み増す増す野菜たち

 

       

  つもらずにただふる雪が残念だ

  雪化粧おとぎの国に迷い込む

 

       冬の川

  冬の川手がかじかんだ鰍狩り

 

       冬休み

  冬休み終わってさらに休みぼけ

  休みあけ試験を前にし武者ぶるい

 

     蒲団(ふとん)

  寒い日に大切なのはふとんかな

  寒すぎてふとん恋しきこの季節

 

     炬燵(こたつ)

  友人と囲むコタツはホカホカ             方言とかけてます!!

 

      風邪、流感

  寒くなり、インフルエンザ、流行中

 

       息白し

  白い息ホッとココアをすする冬

  息はけば言葉が白く目に見える

 

     悴(かじか)む

  かじかむ手ホットココアと小銭かな

 

      クリスマス

  クリスマス集中講義だクルスマス…

 

      鰤(ぶり)

  鮮魚店鰤が並びて冬実感

 

       金目鯛

  金目鯛潤う瞳に出る唾き

 

     鮃(ひらめ)

  鮃顔どっちがとっちか鰈顏 (星野麥丘人)

 

    河豚(ふぐ)、ふく

  下関住んでいるけどふぐ食えず       (編者)左上、右下に円などの図形をあしらった図案         化されたフグのイラスト略。

 

    柳葉魚(ししやも)

  柳葉魚食い子持ちの如く腹ふくる      そんな夢見た今日この頃 [正]       (編者)竹で編んだ皿にのった4尾のシシャモと添え         られた葉のイラスト略。

 

     牡蠣(かき)

  カキフライいその香りが溢れ出る

 

     蜜柑(みかん)

  幸せだコタツに入ってみかんむく

  冬蜜柑皮むきて見ゆ雪げしょう

 

      学生生活

  玄関を開けたら冷たい風がふく

(俳句をつくってみよう…)   曇天の間に見える朝暉かな

  帰りたいあたたかいごはん待つ実家

  8号車ご乗車しました青春行き       (編者)句末の自動車か新幹線か?の絵文字。

 

       物語

山川空    濱田弓 部長     新入生  カチッ カチッ カチッ カチッ  時計の針の音がむなしく響く中、山川空は目の前 のドアをじーっと見つめていた。  今日は仮入部期間最後の日。新入部員を手に入れ る最後のチャンス。 「うちの学校、部活強制だから一人くらいくると思 ったのに…」  仮入部期間は一週間。すでに六日過ぎているわけ だが、このドアは一回も開いていない。 「伝統ある我が部活も俺の代で終わりかぁ…」  今この部活の部員は山川一人。学校からは最低で も一人、新入部員が入らない限り、廃部といわれて いる。 「まぁ、しかたないか。」  もう、午後四時五八分。下校時間は午後五時。事 実上のゲームオーバー。さっさと帰… − ガラガラガラ − 扉が開く音がする。 先生が来たのだろうか。気の早いことだ。 「だから先生、一応俺は部員なんですから、せめて 卒業するまで廃部 … は?」  一応の弁明を試みようと振り返り、そこで動きが とまる。 「え … 廃部?」 「え … 新入生?」  扉の前には一人の女子生徒、リボンの色を見る限 り、一年生が立っている。 「あの … 私は、ここの部活に入部しようと … 」 「やあやあ、ようこそようこそ。そんなに固くなら ないで。あ、お茶飲む?」 「え … あの … その」 「きにしな〜い きにしな〜い。」  半分強引に部室に連れ込む。部活存続につながる 唯一の希望を手放すわけにはいかない。 「あ、私は濱田弓っていいます。この部活に入ろう と思ってたんですけど…」仮入部期間終わっちゃう から、正式に … になるけど?」 まぁ、手離す気はさらさらないが。 「それは大丈夫です。私、もともとこの部活に入る つもりでしたから。」  そういうと、濱田はかばんから入部届けを出す。 たしかに、そこには我が部活の名が書かれていた。 「そんな事なら … もっと早くこればいいのに。 「いえ、私も初日からそうするつもりでしたけど … 場所がわからなくて。」 「あ〜そういえば地図かきわすれていたな。でも すぐわかっただろ。」 「たしかに、わかりやすいかもしれませんが … 普通部室が守衛室と思いますか?」 「 … デスヨネー。」

弓「そういえば、なんで部室が守衛室なんですか。」 空「うーん、話せば長くなるんだけど … うちの部っ  てなに部だっけ。」 弓「文化芸術部…ですよね。」 空「そうそう。略して文芸部って言われていたんだ  けど…」 弓「あれ?でもうちの学校に『文芸部』ってありま  せんでしたっけ。」 空「あるよ。まああちらさんは言語文学だけなんだ  けどね。で、我々はどんな活動していると思う。」 弓「えっと … なんか色々やってるって聞いたので  すが … 」 空「まぁ、そんな感じ。我が部の創部時期にはここ  の学校に文化系クラブがほとんどなかったらしく  てね。作った人が実力あり欲ありのすごい人で、  文学・イラスト・マンガ・作曲等自分が好きなも  の全てを文化芸術だと言い、この文活をつくった  らしい。 弓「つまり、文芸部兼イラスト部兼、漫研兼音楽部  的な感じですか。」 空「そそ。」 弓「え、でも、文芸部ありますよね。」 空「あるよ。」 弓「イラスト部ありますよね。」 空「あるよ。」 弓「漫研ありますよね。」 空「あるよ。」 弓「じゃあこの部活って … 」 空「我々は、平和主義 −。ていうか事なかれ主義  である。他の部活には関与せずという方針だった  んだよ。」 弓「いゃ … フランス革命時のどこかの合衆国じゃ  ないんですから。 空「でも、昨年文芸部の奴らが『私達こそ本当の文  芸部だー』とかいいだして。」 弓「たしかにこっちは略弥ですね。」 空「イラスト部と俳句部と連合を組んで廃部をせまっ  てきたから」 弓「漫研と音楽部は連合に入ってないんですか … 」 空「先輩達がこの部活を守るために文化芸術部廃部  連合の人達と … 」 弓「話し合ったんですね。」 空「うにゃ、剣道で勝負した。」 弓「いゃ、どっから出てきたんですか剣道。」 空「敵は排除すべきだって … 」 弓「平和主義はどこに行ったんですか。」 空「ほう … 遺憾の意?」 弓「専守防衛!?」 空「で、その勝負の結果 … 」 弓「あ〜 … 負けてこうな… 」 空「フルボッコにしたら奴らが上に泣きついてこう  なった。」 弓「えぇ … 」       (編者)「文活」は「部活」、「略弥」は「略称」で         しょうか?

弓「で、その剣道の試合で負けた結果こうなったの  ですか。」 空「いや、試合自体は勝ったよ。ただ …」 弓「あ…。相手が約束を守らなかったからですか。」 空「いや、相手が全員全治三ヶ月以上の軽傷を負っ  たため問題になった。 弓「それ軽傷じゃなくて重症ですよね。ます、なん  でそんな事に…」 空「だって部長示現流の達人らしいし。」 弓「剣道部入りましょ。…。ていうか平和主義はど  こに…」 空「遺憾の意。」 弓「自○隊!!」 空「でも、相手木刀に対しこっちは竹刀だったから、  ね」 弓「あれ、それなら竹刀が折れませんか。」 空「一の太刀を重視する示現流だぞ。運動系ならま  だしも文科系の奴らに反応できるわけないじゃん。」 弓「、 … この部活も文科系ですよね。」 空「文化芸術部だからね。」 弓「 ……。その乱闘 − ではなくて決闘?が問題に  なってこんな僻地においだされた、と。」 空「いや、喧嘩の発端は相手側にあるんだし、剣道  と言い出したのも相手。しかもこっちは竹刀、相  手は木刀という事もあり、我々有利の状態だった。 弓「あ、それなら…」 空「でも、部長及び三年の先輩方が、自分の非を認  めず、先生の言う事すべてに反論し、反対意見を  完封した結果、キレた先生方によって廃部になっ  た」 弓「なんでそうなるのですか。」 空「いや … 三つの部活相手の喧嘩買う人達だぞ、  あたりまえでしょ」 弓「デスヨネー。」

前回までのお話  地球滅亡まで残り46億年という予言を残し世紀 の大賢者アルマル=ハテラが失踪。その真意を探る ICPOは、ある障害にぶつかり、捜査は難航。国家 に縛られない世界の名探偵スサは独自の調査でこの 事件にとある大国の重要機密が関わっていることに 気付く。対抗手段として世界から拒絶された異能の 者を集めるスサ。あくまでも平和的に解決しようと するICPOとの衝突がいま始まる・・・ 弓「・・・ってなんですかこれ?」 海「ネタが思いつかなかった。」

  大陸戦争 第四話、逆転  遠い昔遥か彼方の大平原で…  千年続いた大帝国にも綻びが見えてきた。数々の 圧政に対する怒りがついに爆発。各地で暴動が行こ り、帝国は風前の灯かと思われた。この期を逃すま いと革命軍はついに全軍を動かす。各地の反乱軍を 味方につけ、怒濤の快進撃を続ける革命軍。しかし これは帝国のしかけた恐ろしき罠であった。東の異 民族と密約を結び新兵器を用意して万全の備えの帝 国軍に反乱軍は何も知らずに立ち向かおうとしてい た… 弓「…だから何ですかこれ」 空「コンティネントウォーズ」 弓「スターウォーズのパクリですよね … でまたネ  タがなかったんですか」 空「うにゃ… 考えるのがめんどくさかった。」 弓「そのくせ※※※※しょーもないことは考えてい  るんですね…」       (編者)※は判読できませんでした。「暴動が行こ         り」は「起こり」です。

 

      エッセイ

 人類が今後も長く発展していくにはエコロジーが 大切なんだなと思った  だんだんと寒くなってきた.

(感想)  人間中心主義(ヒューマニズム)はエゴが強い考 え方だと思いました。

  日本海冬の厳しさ知らしめる 感想  バイトに行くときに、バイパスから見る海はいつ も荒れていて、冬の日本海の厳しさを感じられる。

「海ばかり見ていて冬と思いけり」(堀部克己)    海というのは一日として同じ見た目はないと   思う。    作者がどんな海を見たのか想像することは難   しいが、冬という季語が想像するヒントをくれ   る。

  海ばかり見ていて冬と思いけり (堀部克己)  海にも表情があって、特に冬は惹かれることが多 いので、冬を実感するのが共感できた。冬は海面が 平にならない。

海ばかり見ていて冬と思いけり (堀部克己)  海を見るだけで季節を知ることができるんだなと   思いました。

海ばかり見ていて冬と思いけり (堀部克己)  海だけを見ても、冬を感じることが出来る様子を   よんでいる。

  海ばかり見ていて冬と思いけり (堀部克己)  冬の吉見の海は他の時期と差が大きい。海風が強 く、大きな波が岩にあたって波しぶきが白く立って いるのを見ると本格的に冬であると感じる。

「海ばかり見ていて冬と思いけり」(堀部克己)  学校から家に帰る際に、正門を出た所で海が見え ます。私はこの景色を毎日見ていますが、飽きる事 がありません。それは海が季節によって姿を変えて いるからだと思います。

海ばかり見ていて冬と思いけり (堀部克己)  海に近いと気温が低くなっているので秋でも冬だ   と間違えるくらいの寒さになっていることを表   している。

  海ばかり見ていて冬と思いけり (堀部克己)  一年の中でも冬の時期が最も海が荒れるから白波 や高波が立っている様子を見てこの詩を書いたのだ と思う.

  海ばかり見ていて冬と思いけり (堀部克己)  目だけではなく海風の冷たさからも冬の海を感じ ているのだと感じた。

・心に残った俳句 「海ばかり見ていて冬と思いけり」(堀部克己) ・感想  海を見る季節と言えば夏の暑い頃というイメージ ですが、この俳句では、海を見ることで、冬を感じ ておりおもしろいなと思いました。くもっており少 し暗く、海もあれているようなそんな様子が思いう かびました.

  海ばかり見ていて冬と思いけり (堀部克己)     夏の日は海で良く遊んでいたけど      もう冬が来るんだと感じました。

  海ばかり見ていて冬と思いけり (堀部克己)  毎日海ばかり見ていると、波や気候で冬を感じら れ、とても水大らしい句であると思いました。

「海ばかり見ていて冬と思いけり」(堀部克己)  家から大学の行き帰りが、家の窓から海が見える ので季節によって海が違うという表現は心に響くも のがありました。

海ばかり見ていて冬と思いけり (堀部克己)   … 早く夏なって海に入りたい人なんでしょうね。       (編者)「夏になって」ですね?

  海ばかり見ていて冬と思いけり (堀部克己)  最近はとくに寒くなってきて、海を見るたびに夏 はあれほど泳いで、楽しい思い出があった海にはも う入れないと思うと少しさびしくなることがありま す。この排句は今の僕の心の中で思っていることに 似ているような気がしたので選びました。作者も海 が好きなことがこの排句をとおしてわかる気がしま した。       (編者)「俳句」です。

  海ばかり見ていて冬と思いけり (堀部克己)  ここ吉見も海が大変近くにあります。海を見てい て風の冷たさを感じると冬が来たのかーと実感しま す。

海ばかり見ていて冬と思いけり (堀部克己) ・ 作者は夢中になる程海が好きなことがわかる     (冬になるのが気づかないほど)

  海ばかり見ていて冬と思いけり (堀部克己)  海を海辺で見ていたら冬の風の匂いを感じたのだ と思いました。私も海へ冬の風を感じに行きたくな りました。

海ばかり見ていて冬と思いけり (堀部克己)   毎日、学校に通う時に、海を見るが、雰囲気が  夏と冬とではちがう気がする.

  寒ければ歯ざわりの良き柳葉魚焼く(菊田琴秋)  情景がうかんできてすごくおいしそうでした。  寒い朝に柳葉魚とみそしるとごはん。こんなかん じかなと思いました。

  寒ければ歯ざわりの良き柳葉魚焼く(菊田琴秋)  柳葉魚の旬は11〜12のため冬であることを示し ている。最近、ししゃもを食べていないので旬の今 の内に食べたいと思いました。

  寒ければ歯ざわりの良き柳葉魚焼く(菊田琴秋)  この句を聞くだけで柳葉魚の心地良い歯ごたえが 浮かぶ様です。  そして、冬が近づいてくる中で、これからどんど ん美味しくなる他の魚も浮かんできます。  食欲のそそられる句でした

  寒ければ歯ざわりの良き柳葉魚焼く(菊田琴秋)  寒いこの時期には焼いた柳葉魚を食べて体を温た めようとする場面が思い浮かべられてししゃもを食 べたくなった。  私はししゃもが好きなのでよだれが止まらなかっ た。

  寒ければ歯ざわりの良き柳葉魚焼く(菊田琴秋)  寒くなるにつれ、食欲も増し、秋から冬への移り 変わりを感じれる。また、焼くという言葉から温か さも感じられ、寒さがやわらげられる感じがする。

・寒ければ歯ざわりの良き柳葉魚焼く(菊田琴秋) ・ししゃもの歯ざわりはあまり良い方とは思えない  のですが…。

  寒ければ歯ざわりの良き柳葉魚焼く(菊田琴秋)  朝起きて肌さむいなか、ししゃもやいて朝ごはん にたべるのかなとそうぞうできて面白くかんじた。

 菊田琴秋さんの「寒ければ歯ざわりの良き柳葉魚 焼く」の句を読んで寒い時に柳葉魚を焼いて食べる のは、とてもおいしいので、とても実感できる句だ と思いました。

寒ければ歯ざわりの良き柳葉魚焼く(菊田琴秋)   この俳句を詠んで柳葉魚を食べたくなりました。

  寒ければ歯ざわりの良き柳葉魚焼く(菊田琴秋)  最近あまり焼き魚とかを食べれていないので食べ たくなりました。ししゃもは、好きなので食べたい です。

  寒ければ歯ざわりの良き柳葉魚焼く(菊田琴秋) ・食べることが好きなので寒くなってきておいしい  柳葉魚を食べることができると冬になって厳しく  なるなかたのしみもあるところが好きです。

  寒ければ歯ざわりの良き柳葉魚焼く(菊田琴秋)  寒い冬に自分でも柳葉魚を焼いて食べたくなるよ うな俳句だと思いました。  歯ざわりの良きというところでししゃもの食感が よくつたわってきます.

「寒ければ歯ざわりの良き柳葉魚焼く」(菊田琴秋)  この句を詠むと七輪で柳葉魚を焼きながらうちわ をパタパタしている状況がありありと思い浮かぶ。 とてもいい匂いがするようだ、おなかがすいた。

  寒ければ歯ざわりの良き柳葉魚焼く(菊田琴秋)  最近、柳葉魚を食べていなかったので、今晩の主 菜を柳葉魚にしようと思った。

  謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸)  リズム感がよく、どういうものが謙虚であるか気 になった。また、今が11月であるというところから 少し考えさせられる俳句だと思った。

・謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸)  ・十二月(クリスマス)・一月(正月)などイベ ントがあるのにくらべて十一月は何も祝い事がない ことを表しているのかなと思います。

  謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸)  十二月や一月ほどの寒さや行事があるわけでもな く、十月の秋らしさもなくなる十一月だけど冬の訪 れも感じる十一月を唄う句。

  謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸) (感想)    冬にも秋にもつかず、慎ましい態度の十一月   に対する慈愛に溢れた句でよかった。

「謙虚なる十一月を愛すなり」(遠藤梧逸)  まだ寒さも控えめな十一月。まだ冬になりきれて いない十一月。私も十一月の肌寒さが好きで、毎日、 「寒いかな〜」と考えながら服を選ぶのが楽しいで す。12月になってほしくないです。

・謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸) … とてもシンプルでひかれました。   少し控えめな感じの十一月というのもわかるし、   それを「愛す」という言葉で表現しているとこ   ろがすごくいいと思いました。

  謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸) 〜感想〜  11月は10月のハロウィンや、12月のクリスマス、 また11月から12月にかけての大晦日、元旦などの 目立ったイベントが存在せず、いわば裏方のような 月であり、そんな飾りのない11月を愛しているとい う句に心惹かれた。

  謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸)  僕も十一月が好きだから、この作品の内容がとて も気に入った。

  謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸)  十一月をなぜ謙虚という表現をしたのかが疑問に 思った。作者は謙虚な人が好きなんだなぁと思った。

  謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸)  謙虚な十一月というのは、年末年始の忙しさに向 けて、貯金したり、静かに休むことのような背景が あるのではなかと思った。また「愛すなり」という のは、十一月の生活の素朴さも楽しむことを言って いるのではないか。

「謙虚なる十一月を愛すなり」(遠藤梧逸)  この言葉はどの月にも言えることだが、なで筆者 は謙虚の月を十一月を選んだのだろうか.  十一月はいろいろ準備をするための月だと考えた. 十月も終わり十一月。十二月にはクリスマスや、お 正月などの様々なイベントがあります。  そのために、準備をする。それに従い、その途中 の過程で、どこか良くない点を念には念をという気 持ちでチェックし、改善をしながら、より良いもの を追求するこの気持ち、行動こそ謙虚なのだと私は 思います.  よって、良い準備ができたということで、その句 を詠んだのではないかと思いました。       (編者)「なで」ではなく「なぜ」です。

  謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸) 「感想」    十一月がなぜ謙虚であるのかは分からないが、   秋終わりの肌寒く冬のにおいがする十一月が好   ましいのではないかと思った。

謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸)    誕生日が十一月なので、十一月をほめてくれ   る詩に愛着がわきました。

  謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸)  十二月や一月や二月は、クリスマスや正月や節分 などありますが十一月はとくにこれといってないの で謙虚なのかと思いました。

  謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸)   十一月を謙虚だと思うのを面白く思った

謙虚なる十一月を愛すなり (遠藤梧逸)   何が謙虚なのか具体的に分からない点におくゆ  かしさを感じる。希語はその希節を表す旬のモノ  とかそういったものではなくストレートに十一月  を言い切っている点が良いと感じました。何か続  きがありそうで、この方の他の作品も見てみたい  と思う。       (編者)「希語」、「希節」ではなく「季語」、「季         節」です。

  冬が持つ白きあかるさの中をゆく(加藤かけい)  冬の空気が綺麗で、雪が積もった早朝に外を白い 息を吐きながら散歩しているというような光景が思 い浮かびました。

冬が持つ白きあかるさの中をゆく(加藤かけい)  感想    冬には「あかるい」というイメージがあまり   ないけれど、よくよく冬を観察してみると多く   の「あかるさ」があるのかなと思った。さむさ   ゆえに家の中にいがちな冬だが、もっと外に出   て冬の「あかるさ」を探すよう私たちに伝えて   いるのかと思った。

感想 「冬が持つ白きあかるさの中をゆく」(加藤かけい)  景気が一面白くなるのは冬だけである。また雪に 光が反射して明るく、また表情も明るく照される。 「あかるさ」には気持ち、景気の明るさの意味がこ められていると思う       (編者)「景気」は「景色」?

  冬が持つ白きあかるさの中をゆく(加藤かけい)  白き明るさは雪にてりかえした太陽の光だと思い ました 東北育ちなので、雪がない冬を向かえるの は初めてなので、かなり新鮮である       (編者)「迎える」です。

・季節や風景についての描写が書きやすい俳句です が、私の地元では雪が降らないので雪などの例が印 象に残りました。 ・水産大学校であることもかけて、鮗という魚を使っ た句を考えてみます。   冬が持つ白きあかるさの中をゆく(加藤かけい)

  冬が持つ白きあかるさの中をゆく(加藤かけい) [感想]  私の故郷は先々週、雪が降った.初雪である。初 雪にしては、例年の倍以上雪が積もった。  山口県は11月は、まだ暖かい気候だとばかり思っ ていたが決してそうではなく、11月初めから寒さを 感じた。  この俳句は、そんな冬の寒さを感じさせ、降り積 もる雪の白さをより強く感じさせられる俳句であっ た。

冬が持つ白きあかるさの中をゆく(加藤かけい)   雪は反射するとすごく明るいのでそのことを言っ  ているのかなと思った。   自分も雪国出身なので身近で想像しやすかった。

  冬が持つ白きあかるさの中をゆく(加藤かけい)  雪が、夜のまちに、ふってきて、電とうにてらさ れる風景を予想した。

[冬が持つ白きあかるさの中をゆく](加藤かけい)   白き明るさ=雪が降って積もり、太陽に反射し  て眩しいほどの雪が一面に広がる様子が思いうか  ぶ。冬にしかない情景のため「冬が持つ」と表現  しており、「中をゆく」という表現からは作者が  子供が雪の中を歩き遊んでいる姿がみえる。

  冬が持つ白きあかるさの中をゆく(加藤かけい)  冬に雪が積もった次の日の朝、太陽の光で普段よ りいっそう明るく感じる情景を思い出しました。山 口はあまり雪が降らないそうなので、少しさびしく 感じました。

  冬が持つ白きあかるさの中をゆく(加藤かけい)  冬が持つ白きあかるさの部分が良いなと思います。 冬の空気が白いわけではないが吐く息が白くなるか らか白っぽいイメージがあるのが良く分かりました。 私もこのような表現ができるようになりたいです。

  赤ん坊を見に来てホットウィスキー               (山崎ひさを)  ウィスキーを飲みたくなりました。

 ホットドリンクスという句は誰か親戚の赤ん坊を 見に来たのかそれとも自分の赤ん坊なのだろうか。  最後にホットウィスキーとあるが切れ目としては ホット/ウィスキーなので見に来てホット(して)と いうような意味が含まれているのかもしれない

赤ん坊を見に来てホットウィスキー(山崎ひさを)  自分の数年後の姿を思いうかべました。   友人にもいつか子供ができて、それを温かく祝    いたいです。

  赤ん坊を見に来てホットウィスキー               (山崎ひさを)  寒い日に自分の赤ん坊を見るとホットウィスキー を飲んだようなぽかぽかした気持ちに酔いしれると いうのを書いた作品だと感じた。  子供がいなくても、他の人の赤ん坊を見るとぽか ぽかした気持ちになる。自分に子供ができれば、自 分も酔いしれると思う。

赤ん坊を見に来てホットウィスキー(山崎ひさを)    −−−−−−−  私はこの排句を読んで冬の夜に赤ん坊がちゃんと 寝ているかを確認する父親を思い浮かべました。ま た安心するという意味での「ほっと」と熱いという 「ホット」がかけられているような感じでおもしろ いと思った。        (編者)「俳句」です。

「赤ん坊を見に来てホットウィスキー」               (山崎ひさを)    −−−−−−− 感想 → この句を読んだ時、とても心温かく感じた。  「ホットウィスキー」とあるが、この「ホット」 は「ほっと」つまり赤ん坊をみに来てほっとした様 子とかけてあると思った。さらに、ウィスキーは体 が温まる飲み物なので、2つの意味をもちいて赤ん 坊をみれた嬉しさ(温かさ)を表していると感じた。

  赤ん坊を見に来てホットウィスキー               (山崎ひさを)  俳句にホットウィスキーという単語が入っている ことがとても面白いと思った。

  赤ん坊を見に来てホットウィスキー               (山崎ひさを)  心が落ちついたときに使う「ほっとする」のほっ とと"hot"のホットがかけられていると思った。少し 緊張がほどけたのかウィスキーのような酒を飲んで いるといったストーリーを強く感じることができた。

・赤ん坊を見に来てホットウィスキー(山崎ひさを)  すごくほっこりとした気持ちになれる俳句で聞い たときに心が落ち着くような感じだった。

翼あるものを休ませ冬干潟 (佐藤鬼房)  ・雲一つない空の下、海辺の砂の上で堂々とした   立ち姿の渡り鳥が思い浮かぶ.   冬の寒さの中に、生命の力強さを感じられる

翼あるものを休ませ冬干潟 (佐藤鬼房)   渡り鳥もしくはサギなどの鳥類が冬場の休憩場  所兼食料調達場所として用い生活している情景が  思い浮かんだ.

  翼あるものを休ませ冬干潟 (佐藤鬼房)  今の時期、休日に水大横の川に沿って歩いている とさぎやうなどいろんな種類の鳥が見られます。こ の俳句のように本当は干潟などではないけどこのよ うにいろんな種類の鳥が翼を休ませているところを 見るとまるで冬限定の干潟のようです。

  翼あるものを休ませ冬干潟 (佐藤鬼房)  渡り鳥たちが広い干潟に集まって長い旅の途中の 休けいをしている姿が浮かびました。冬の訪れをし みじみと感じる一句だと思いました。冬の静かな干 潟に鳥たちが立ち、その浅い水面は鏡となって休む 鳥たちを映すのでしょう。

  翼あるものを休ませ冬干潟 (佐藤鬼房)  鳥が冬に干潟を歩くのを見て、干潟が鳥を休ませ ていると主語を変えた見方をしたところが良いと思 いました。

  翼あるものを休ませ冬干潟 (佐藤鬼房) (感想)この詩を見て、干潟と白サギが想像でき、    白サギが1匹で干潟の上で休んでいるイメー    ジが浮かんだ。そしてこれからの長い旅に備    える、ちょっと淋しい風景が思い浮かんだ。

  翼あるものを休ませ冬干潟 (佐藤鬼房)  渡り鳥が飛んできて一度池や沼、干潟で羽を休め る光景が浮かぶ

「魚店(うおだな)の甘鯛どれも泣面(なきつら) に」(上村占魚)を読んで、相当な悲しみをもった 顔をしているので心配になりました。また、なぜ泣き 面なのか疑問に思いました。  授業中、黒板がひかっていて見えませんでした。       (編者)そうでしたか、すみません。今度から前の方         のカーテンを閉めてみます。

俳句   魚店の甘鯛どれも泣面に (上村占魚) 俳句の感想   とても特徴的な容姿をしている甘鯛を、「泣き  面」という人間に用いるような言葉で表現してい  るところが見事だと感じた.

  魚店の甘鯛どれも泣面に (上村占魚)  甘鯛に「泣面」という表現を使うところが面白く 印象に残りました。私はこの甘鯛の情けない顔がか わいいと思うのでこの魚が好きです。まだ食べたこ とはないので食べて見たいです。       (編者)斜め上方向に重なった3尾の甘鯛と、その3         つの顔の先の点線が結ばれて輝く十字の光の集まりと         なっているイラスト略。

「魚店の甘鯛どれも泣面に」(上村占魚)  魚店に並んでいる甘鯛たちはいたんできてるのも あるのもか泣いているようにみえるようすが思いう かぶ。新しい表現でおもしろい。       (編者)「いたんできてるのもあるのもか」は「いた         んできているものもあるのか」?

「魚店の甘鯛どれも泣面に」(上村占魚)  冬になり旬である甘鯛が魚店に並び、これから売 られていく甘鯛の気持ちと甘鯛のおいしさが描かれ ている思った。

  魚店の甘鯛どれも泣面に (上村占魚)  魚店の鯛の目を泣いているように表現しているの が新鮮でした。

  鰭酒や逢へば昔の物語 (高浜年尾)  ひれ酒は美味しいものもあれば、まずいものもあ る。それは過去の思い出にもあてはまり、良い物語 も悪い物語もあったということを書いている詩だと 感じた。

  鰭酒や逢へば昔の物語 (高浜年尾)  この冬の寒い時に、昔の何か楽しかったことを思 い出して、一人でお酒を飲んで昔昏ているところが、 哀愁を感じられました。       (編者)「昔昏て」は「黄昏(たそがれ)て」?

鰭酒や逢へば昔の物語 (高浜年尾)   歳を重ねて、昔の友と鰭酒でも飲みながら思い  出を語り合いたい。

  鰭酒や逢へば昔の物語 (高浜年尾)  昔の友と、お酒をかわしながら思い出にひたって いるところが頭の中で想像できた。

  鰭酒や逢へば昔の物語 (高浜年尾)  この作品を見て地元の友人たちと久しぶりに会い たくなりました。

小春日や笑いの渦のなかに母 (石嶌岳)    あたたかい春の中に母のあたたかみを感じる。    母に会いたくなった。

手をつなぎくる湖の小春波 (能村登四郎)   冬の湖の水面が小さな波を一面に広げている静  かな情景が浮かんでくる。日の差している静かな  湖のかすかな波音を想像できる。

「海ばかり見ていて冬と思いけり」(堀部克己)   海を見ると北風が強くなって白波やしぶきが上  がっているような海の様子を思い浮かべました。 「鰭酒や逢へば昔の物語」(高浜年尾)   温かい鰭酒で、昔の冬の思い出をふり返るが、  その人に逢いたくなっているのだろうかと感じま  した。

  寒ければ歯ざわりの良き柳葉魚焼く(菊田琴秋)  とても今、子持ちししゃもが食べたくなった。寒 いと確かに歯ざわりが良く感じると自分も感じた。   鰭酒や逢へば昔の物語 (高浜年尾)  自分は鰭酒をとても飲みたいと思った。  昔の物語というところが雰囲気がとても好きです。

選んだ俳句 『寒ければ歯ざわりの良き柳葉魚焼く』(菊田琴秋) 『柳葉魚焼く気力も出ない一人暮らし』  この俳句をよんでししゃもを焼いて食べるという 趣のあることもしてみたいと思ったが、結局アパー トニに帰ったらめんどくさくなっていつものように魚 の缶詰と白米で済ませるだろうなという自分を想像 して新しい俳句をつくった。       (編者)ご飯と魚の缶詰とリモコンのある卓袱台を前         にして座った人の頭の上の雲の中に七輪で焼く柳葉魚         が思い浮かべられているイラスト略。

 

マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)   冬にはみんながマスクをしだします。女性の方  は少し可愛く見えます。風邪も予防できます。一  石二鳥です。

 マスクが季語になり得ていることに非常に驚き、 おもしろく感じた。

「マスクして少し美人となりしかな」(前川美智子)   マスクをしたい気持ちが分かる.

マスク … 今時の女の子を思い浮かべ、フフッと微 笑んでしまう俳句だなと思った。

・マスク  マスクをすると美人に見えるというあるあるネタ で共感することができた。また、少しでも美しくい たいと思う女心も表現されていると思い、好感をも てた。

 マスクの句が自分目線なのか他人がマスクしてい るのを見てなのか、または、風邪をひいていいない のにマスクをつける若者が多いことを言ってよんだ 句なのか、いろいろな状況が考えることができ面白 い句だと思いました。       (編者)「ひいていいない」は「ひいていない」?

  マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)  インフルエンザなどが蔓延し始める冬になり予防 のためにマスクをして、鏡を見ると、マスクがない 状態の自分よりも美人になってみえる。

(編者)「マスクして少し美人となりしかな」(前川美智子)を写  し間違えて マスクして少し美人となりにけり   町中を歩いているときマスクをつけると美人に  なる人は確かにいるなあと思いました。

  マスクして少し美人となりしかな(前川美智子) 感想 口元にコンプレックスを抱えていて、マスク   というコンプレックスを隠せる最適な道具を見   つけ、とても喜ばしい表情をしている前川美智   子さんの気持ちが前面に出ていて僕も喜ばしい   気持ちになった。

マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)   あるあるだなぁと思いました。マスク美人には  要注意です

マスクして少し美人となりしかな(前川美智子) 「感想」マスクをつけることにより、顔の骨格など    大部分を隠すことが可能で見えていない部分    が大きいことによって美人なのではないかと    思わせられる、日常的な心情を表している。

  マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)  この詞は何か最近の詞のように感じました。マス クというのを取り上げているところもおもしろいと 思うし人の容姿を書いているところにとてもおもし ろいと思いました。

  マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)  おそらく女性だと思われる人がマスクをして顔の 下半分を穏すことによって美しくなったと感じると ころに人生の無情さと儚さを感じるよい俳句だと思 います。

  マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)  マスクで素顔を半分かくすことで美人に見せよう とする考え方がすごいと思いました。

マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)   この季節はマスクをよくするのでいろいろ手を  抜くことができる

  マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)  この句を読んで2つの解釈ができた。1つ目は、 見目が「美人」になったということだ。  顔のほとんどが隠れて目もとだけがみえる。あま り気にしない目がキレイで美人になったと思った。  2つ目は、本当の自分をマスクで隠して「美人」 になったということだ。  自分の思いや考えなども隠して、人とうまく付き 合いをするという「八方美人」という美人になった と思った。

  マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)  最近の自分イケてると思っているダサイ奴の必当 ですよねこれ。大した理由も無くマスクをつけて顔 の下半分かくしてる奴、て自分のことを美人または イケメンだと思ってる奴が大半ですよね。       (編者)一応「必当」と読み取りましたが…?

  マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)  マスクをしていない状態では他人が自分のことを 見る場所は、その人が見たいと思う部分になり耳だっ たり、鼻だったりと、様々だが、マスクをすること で目に視線が行くようになり、人は目が合うと、そ らしたりしてしまうため、その瞬間は美人に見えて という良い句であった。

  マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)  周りの人たちに多い。顔の一部を隠していつもよ りかは可愛く見えるという体験を何度もしたことが あります。

マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)   この作品を見た時に歯医者にいる女性の方を思  いだしとても共感することができた。

マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)   なぜかマスクをしてる時だけカワイイ人がいる。  不思議ですね。

「マスクして少し美人となりしかな」(前川美智子)  女子中高生がよくやっているマスクによる効果を ストレートに表現しているのが良いと思った。普段 思っている事や考えている事をストレートに表現す る事は簡単に思えて難しいと思う。

  マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)  現代の女の子の気持ちを詠んでいる気がしました。 マスクをすると目元だけになり、顔の口元を隠すこ とで可愛く見えるようになるそうです。  私がマスクを使うのは可愛くみえるためでなく、 咳が出るときか、すっぴんの顔を隠すためですが。

  マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)  私はこの排句を読んで、1人の女性が街へ出かけ る際にマスクをすることによって周りが見た時に 「この女性はどんな人なのか」という疑問をいだか せる魅力を持った光景を考えました。       (編者)「俳句」です。

  ことごとく紅葉散り終へ里に冬 (高木晴子)  冬に近かづき、色鮮やかだった紅葉もどんどん散 っていってしまっている風景が想い描けました。  しみじみと季節の変わり目を寂しくも嬉しくも思 います。

  ことごとく紅葉散り終へ里に冬 (高木晴子)  紅葉が木から無くなり、冬に向かうさみしさや冬 の静かさを表しているように思う  葉同士がこすれ合う音もなくなり、静かに季節が 冬に移り変わっていく情景が、思い浮かぶ  これからの季節を写しているかのようで胸にスッ と入ってくる。

  ことごとく紅葉散り終へ里に冬 (高木晴子) ・毎年秋、冬になると見ることのできる哀愁のある  風景を思い出させる 色鮮やかで綺麗だったもの  が、全て散り落ちて枝だけになってしまった木を  見て冬が来たことを感じでいるのが伝わってくる。       (編者)「感じで」は「感じて」?

  ことごとく紅葉散り終へ里に冬 (高木晴子)  秋の紅葉の季節が終わり、葉がなくなった木がめ だっている中で冬の雪がふってきてつもっている感 じがします。

『紅葉散る』の「ことごとく紅葉散り終へ里に冬」 (高木晴子)の書き方が僕には目新しくて気に入っ た。「紅葉散り終へ里に冬」というところから紅葉 が散って冬となって里へ落ちるようなイメージがも たれる。

ことごとく紅葉散り終へ里に冬 (高木晴子)  紅葉が散ったら冬という   当たり前さがしみじみとよまれている    と思った

ことごとく紅葉散り終へ里に冬 (高木晴子)  感想    紅葉が散りこれから本格的な冬が始まる様子   が分かる。「ことごとく」という言葉から紅葉   は全て無くなってしまったんだろうなと思った。   これからくる厳しい冬を里全体でたえぬくのだ   ろうかと思った。

  ことごとく紅葉散り終へ里に冬 (高木晴子)      ↑    こういう日本語の簡略表記が面白いと思った       (編者)横書きのため「ことごとく」の繰り返し部        分(「ごと」)の簡略記号が使えません。オリジナルは        長く引き伸ばした「く」の上半分に「”」です。

「ことごとく紅葉散り終へ里に冬」(高木晴子)  紅葉は冬の季語ですが、紅葉は秋にします。私も 紅葉が落ちて、木に葉がなくなり枝だけになると、 冬が来たように思います。枝を見ているだけでも寒 くなってきます。今年は12月が来てもまだ山には葉 が残っているようで、雪が降りだしたら落ちるかも しれません。       (編者)「紅葉」は秋の季語です。「冬紅葉」、「紅        葉散る」が冬の季語です。

  ことごとく紅葉散り終へ里に冬 (高木晴子)  秋から冬に季節が移り変わる様子を詠んだ句だと 思いました。情景が思い浮かべやすいと感じました。 「紅葉」は秋、「散り終へ」たということは秋が終 わり「里に冬」が訪れた、という情景が今の時期と 重なっていると思います。今年の冬はまだ紅葉を見 に行っていないので、散ってしまう前に行こうと思 いました。       (編者)大きい紅葉1枚と小さい紅葉2枚のイラスト         略

  ことごとく紅葉散り終へ里に冬 (高木晴子)  紅葉が散って秋が終わり、少し雪の積もった風景 が自然と思い浮かび、すごいと思った。  この短い文で、ここまで景色が想像できるのはは ればれする。

・俳句の感想  ことごとく紅葉散り終へ里に冬 (高木晴子) 感想 秋の風特詩である紅葉が色鮮やかに散り、そ   の後寒い冬が訪れるという句の内容から、生命   (今回の句では木の葉)の盛衰が感じられた。   また、季節の変化を紅葉で巧みに表現している   と思った。       (編者)「風特誌」ではなく「風物詩」です。

「ことごとく紅葉散り終へ里に冬」(高木晴子)  秋の美しさから冬の美しさへ変わっていく時間の 流れが早いもののように感じられると共に、色とり どりだった世界が、色をなくした世界に変わるとい う悲しさ、心細さを感じられた。

「ことごとく紅葉散り終へ里に冬」(高木晴子) 感想  → 里にある紅葉の葉が秋を終えて全て散ってしま   い、雪が積もって冬の訪れがきている風景を想   像できた.どこか悲しい印象を抱いた.

  子供の手いつもあたたか紅葉狩 (岡田日郎)  子供の手は温かく紅葉のように紅いので紅葉狩に たとえるほど真っ赤なのがよくわかる

子供の手いつもあたたか紅葉狩 (岡田日郎)   文から状況や情景が想像できて、とてもおもむ  き深いと思った。子供をもつ親目線ということが  分かり親のあたたかさもかんじる。

「子供の手いつもあたたか紅葉狩」(岡田日郎)  紅葉の赤さがあたたかさを感じさせてくれると思っ た。また、子供が無邪気にいっぱいの紅葉を抱えて いる様子が見えて、その紅葉からあたたかさを感じ ている。

  子供の手いつもあたたか紅葉狩 (岡田日郎)  この句は、秋になり少し寒くなってきて、家族で 紅葉狩りに行き、子供と手をつなぐとぬくもりを感 じたというほっこりする句でいいなと思いました。

  子供の手いつもあたたか紅葉狩 (岡田日郎)  この俳句は実際に紅葉を見ているのではなく、子 どもたちの手を見て詠んだものと推測した。たくさ んの子どもたちの手が紅葉のように見え、触ってみ るといつもあたたかい秋だからこそ人のぬくもりが 恋しくなるから、あたたかさが心にしみてこの句を 詠んだのだと思う.

  子供の手いつもあたたか紅葉狩 (岡田日郎) 感想 子供と紅葉狩りに出かけ手をつないでいる親   子の風景が目に浮かびます。    寒くても子供はいつも元気で手があたたかい   なという親 ほんわかする気持ちがかかれてい   てとても好きな詩です。

  子供の手いつもあたたか紅葉狩 (岡田日郎)  年のはなれた弟と去年紅葉を見に行った時を思い 出しました。最近、学校の周辺の山々の紅葉を見る のが好きです。

  子供の手いつもあたたか紅葉狩 (岡田日郎) 「子供の手」とあるので筆者はこの子供の親か祖父 母であると考えられる。「いつもあたたか」とある のでいっしょに手をつなぎながら紅葉狩りをしてい る情景が思い浮かばれてとてもほほましい。

・印象に残った俳句   子供の手いつもあたたか紅葉狩 (岡田日郎) ・感想  小さな手が紅葉を拾っている様子がおもいうかび ました。「小供の手」というのは小さな紅葉の葉を さしており「あたたか」というのはきれいに赤く色 づいている様子を表わしているように思いました。 赤やオレンジ色の色あざやかな紅葉と子供の笑顔が 思いうかぶほっこりする俳句だなと思いました。

  子供の手いつもあたたか紅葉狩 (岡田日郎) ・感想   秋から冬にかけて、気温はどんどん下がって寒  くなっていくけれど、子供の手の中には拾った赤  や黄に色が変わった紅葉があり、気温とは反対に  暖色をしている紅葉を拾う子供を思い浮かべると  自分まで心温まるような思いになった。

  子供の手いつもあたたか紅葉狩 (岡田日郎)  子供の手はもみじのように小さく赤くそしてあた たかいことを表現している

  重ね着のいちばん下にある故郷 (鈴木郁子)  パッといろいろな俳句を見て目にとまった作品. 理由は何といってないのですが、心に響きました

  重ね着のいちばん下にある故郷 (鈴木郁子)  一番上に着る服は、今いる土地の気候を反映して いるが、薄い服は、どの地でも着られるので、重ね 着の一番下が”故郷”なのではないか。

重ね着のいちばん下にある故郷 (鈴木郁子)   意味はよく分からないけど、語感がとても良い  と感じた。

  重ね着のいちばん下にある故郷 (鈴木郁子)  服と同じで自分の故郷は何枚重ねても変わらない と思う。

重ね着のいちばん下にある故郷 (鈴木郁子)   故郷への愛情が感じられて   とても温かい気持ちになった。

重ね着のいちばん下にある故郷 (鈴木郁子) (感想)   冬の寒い時に、重ね着をするが、その一番下に  あるのは、昔から使っている温かい下着であると  いうのが、故郷と表されているのに、おもしろい  と感じた。

  重ね着のいちばん下にある故郷 (鈴木郁子)  重ね着の一番下というところから故郷がとてもあ たたかく感じ、とてもハートフルな句だなぁと思い この中では一番気になりました。

  重ね着のいちばん下にある故郷 (鈴木郁子)  たくさん重ね着していても、下に着ている腹巻き はお母さんの手作りというような内容をよく本やド ラマなどで見るのでそれを表しているのだろうなと 思いました。私自身は、そのようなものはないので すが、少しあこがれます。  また、少し違った意味で、いくら自分自身を取り 繕っても、根本にある昔の故郷にいたころの自分は 常に自分の中に残っているのだというようにも感じ とることができました。  個人的に二通りの解釈をすることができるこの俳 句はとてもおもしろいと感じました。

重ね着のいちばん下にある故郷 (鈴木郁子)  重ね着は暖かいもので、その一番下にあるものは 最も暖かくなる。故郷の暖かさを示す詩であると感 じる。

「重ね着のいちばん下にある故郷」(鈴木郁子)  この詞では地元から持ってきた温かい服を一番下 に着て、この詞を詠んだ人の故郷愛がかいま見られ る詞だなぁと思った。重ね着の一番上はオシャレな 服を着るが人から見られない中身は故郷愛が詰って いて、心があったかくなる作品である。

  重ね着のいちばん下にある故郷 (鈴木郁子)  実家を出て多くのことを学び、身につけていくが、 もとは故郷で過ごした日々があり、今はそれをうら やみ、さみしく思う気持ちを唱ったのだと思う。私 も実家から離れて暮らしていて毎日充実した生活を 送っているが、ときどき実家で暮らしていた日々が うらやましく思うときがある。

冬紅葉しづかに人を歩ましむ (富安風生)    秋の全盛期の紅葉ではなく、冬の紅葉こそが   本来の努かのように感じられる。最後の句の   「む」は古文でいう「適当」に当たり、まさに   この俳句がよいということが強調され、作者か   ら感じる何かがある。       (編者)「努」は「姿」?

「冬紅葉しづかに人を歩ましむ」(富安風生)   紅葉はとてもきれいで人々のこころをあたため  る。紅葉でできた道があれば自然と人々をその道  に引きよせてしまう。   外に出て見にいきたいです。

  冬紅葉しづかに人を歩ましむ (富安風生)  今の季節にぴったりな排句だと思いました。  12月に入り、寒くなっていく中でも散らない紅葉 を見ていると気が落ち着き、紅葉を深く感じとるこ とができ、自然と足が動いていることが自分にもあ りました。  機会があれば秋の京都に行って見たいです。       (編者)「俳句」です。私は秋の京都に行ってきまし         たよ。でも風邪をひきましたが…。

「冬紅葉しづかに人を歩ましむ」(富安風生) [感想]  故郷ではひと月ほど前には山々に紅葉が現れ始め、 秋の暖かさとともに冬の到来を予感させた。吉見も 今となっては山に紅葉が現れ始め、緑や黄、赤など 色鮮やかな姿に目を奪われる。この詩はそんな紅葉 の美しさを彷彿とさせ、厳しい冬の到来を想起させ る詩である。

  冬紅葉しづかに人を歩ましむ (富安風生)      冬を感じる

  冬紅葉しづかに人を歩ましむ (富安風生)  散った紅葉の葉の上に雪が積もり、静かな林の中 を歩いて秋か冬への季節の移り変わりを感じました。

  冬紅葉しづかに人を歩ましむ (富安風生) <感想>  枝についている紅葉ではなく枯れて地面に落ちた 紅葉に注目しているのが珍しいと感じた。

  冬紅葉しづかに人を歩ましむ (富安風生)  寒くなり外に出て行くのも気が進まない中、秋か ら冬への移り変わりを感じる自然の紅葉に、自然と 心が気の安らぎを求める本能のようなもので、体を 動かしているように感じる。

淡々と冬日は波を渡りけり (稲畑汀子)   冬は風が強く波が強いというイメージがあるし  鳥も海を渡り遠くまで飛んでいくという2つの意  味が波を渡りけりにはあると思いました。

  淡々と冬日は波を渡りけり (稲畑汀子)  自分はヨット部なので、冬の波のすごさをすでに 体験しているので、波と聞くと冬を考えてしまう。 この俳句は主語が自分と考え波は海のものと考える のか、主語を冬日ととらえ波は何かを比喩するもの と考えることもでき、二面性があって面白い。

  淡々と冬日は波を渡りけり (稲畑汀子)  一番冬が伝わってきた。とぎれることなく、何度 も波が動いている様子が伝わった。

淡々と冬日は波を渡りけり (稲畑汀子)   日没近くになり、夕日が水平線に沈みゆく光景  が頭に浮かんだ.   冬は風が強く、波も高い。   ふと夕日に目を向けるとそこからいくつもの波  が向かってくる   それはまるで夕日が海面を進んで行くような光  景である そのような冬の力強さがありつつも静  かなひとときを「淡々と」の言葉に表したのでは  ないだろうか。

「淡々と冬日は波を渡りけり」(稲畑汀子)  晴れていて気持ちが良いが、日本海の波は荒く、 風も強い。今日からまた冷えてきた … 息が白い。

骨に骨かさねる音す紅葉焚(たき)(加藤かけい)      自分には骨という例えは考えつかなくて     びっくりしました。

  骨に骨かさねる音す紅葉焚 (加藤かけい)  この詩を見て焚火をするとパチパチ音がして骨と 骨をこすったような音に似ているような気がして焚 火にこんな見方があるんだと思いおもしろいなと 思った

骨に骨かさねる音す紅葉焚 (加藤かけい) ・寒くなって紅葉が見られる季節になると、焚火の  近くで手をすり合わせ、あたためようとする音を、  「骨に骨かさねる音す」と表現したのだと考えま  した。

  冬日あをし峡(かい)のかたちに汽車曲がり                    (西村蓬頭)         吉見にも汽車が通ったらけっこう         いい雰囲気がでると思いました。

「冬日あをし峡のかたちに汽車曲がり」(西村蓬頭)   この俳句はとても山陰線を想起させる。    とりわけ、七曲がりを電車が走るときの     情景が浮かんでくる.

冬日あをし峡のかたちに汽車曲がり (西村蓬頭)   最近電車で七曲を通り過ぎるとき、海の波の様  子や色が冬らしい景色になったと感じていたが、  この俳句がそれを連想させる内容だったから。

「ぬっと鰍目と目が合うて光(かげ)揺(ゆ)るる」                 (佐怒賀直美)   ぬっという表現や、光をかげと読んでいるのが  変わっているなと思った。どのような状態なのか  が理解できるようになりたい.

ぬっと鰍目と目が合うて光揺るる (佐怒賀直美)   動きがあるすてきな作品であると思った。

  マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)   重ね着のいちばん下にある故郷 (鈴木郁子)  難しい内容の歌や俳句が多いですが、これらのよ うなシンプルでわかりやすく、共感もできる作品は とても良いと思います。 ・「マスク」は現代的で女性は一度は同感したこと  があると思います。 ・「重ね着」は大学や就職によって故郷を離れた若  者が故郷の落ちつくあたたかさを思い出している  ことが想像でき、今の私にも共感できます。

「子供の手いつもあたたか紅葉狩」(岡田日郎)   紅葉狩をする子供の手をさわってみると … 冷  たい。だが、子供の笑顔を見ると、その手まで温  もりを感じるようだ.と作者は言っているように  感じ、共感を得た。 「ことごとく紅葉散り終へ里に冬」(高木晴子)   秋の後には冬という当たり前のことをただ詠ん  だだけというこの句の裏には、何が起こっている  のか.   紅葉が散り終えて、冬が来て、お正月がくる。   冬は師走というだけもあり、とても忙しい。   一年をしめくくる冬が来た、と準備に忙しくな  る心がまえを詠んだと感じ考えた。   私は、この作者は、とても、季節の移り変わり  にびんかんなのだと思った。 「マスクして少し美人となりしかな」(前川美智子)   この句は、最近詠まれたんではないかと推測で  きる.昨年からマスク女子というのが流行し、ざ  わちんという方をひっとうにし、女子の間で流行  した。   この句の作者は流行に乗った句が書けるため、  若者にもなじみやすい句だと思った。       (編者)傍点部分は太字にしました。

  マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)  冬になると風邪などの病気にかかりやすくなるた め予防や拡散を防ぐためにマスクをしている人が多 くなる。そしてマスクをすると目元程度しか見えな くなりいつもより美人に見える。  マスクは季語ですが冬じゃなくてもしている人は 少なくないため季語ではなくなりそうだと思いまし た。   子供の手いつもあたたか紅葉狩 (岡田日郎)  この排句を読むと親子が手をつないで紅葉狩りに 出かけている情景が思い浮かびました。       (編者)「俳句」です。

子供の手いつもあたたか紅葉狩 (岡田日郎)   子供と紅葉狩りに行って、子供から紅葉を手わ  たされた際子供の手の温もりを感じたことを読ん  だものなのかなと考えた。 マスクして少し美人となりしかな(前川美智子)   マスクをすると、いつもより美しく見える人が  たしかにいるなと思った。

  子供の手いつもあたたか紅葉狩 (岡田日郎)   いつからか給わなくなった冬紅葉   自分も小さい頃は、地元のライトアップされた紅 葉を見にいって紅葉の葉を給って喜んでいたなとし みじみ思いだした。  高校生になった頃からか、中学生の頃だったか、 通学路に落ちている紅葉の葉を給わなくなったのは。 少しさびしいと感じた。  冬休み実家に帰ったときにはじっくり紅葉でもた のしんでみようかなと思った。       (編者)「ひろう」は「拾う」です。

 どの句も文字を見ただけで秋や冬の景色が思い浮 かびます。

 

立冬 小雪 大雪 冬至 小寒 大寒(節分)立春       (編者)黒板に書いた二十四節気の説明をそのまま写        しましたね!

  大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟)  大雪のふった日に出かけてしまっていないお母さ んにあいたいという息子というイメージがみえまし た。       (編者)最初に言ったように「大雪」は「おおゆき」        ではなく「たいせつ」で、12月7日ごろの時候を        さします。

  大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟)  大雪で寒い日に、人肌恋しくなった独身の息子が 結婚したくなった、という情景が読み取れた。

  大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟)  大雪がふり、家から出たくないときに、嫁をもっ て、家事の手伝いや世話をしてもらおうという下心 を感じました。

  大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟)  大雪で外にも出れず家の中にいると、人肌恋しく なった息子が「嫁が欲しいなー」と嘆いたのだと感 じた。

  大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟)  冬になり身も心も寒い中、お嫁さんがいたら心が 温かいのに、と思ったのだと思いました。ユーモア があって面白いです。

「大雪といふ日息子は嫁欲しと」(只野柯舟)  この文には大変共感するものがある。  一人さみしいなか、大雪が降ることによって、孤 独感がおしよせてくる。  私はこの息子には、ぜひ嫁をもらい、幸せになっ てほしいと願うばかりである。

  大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟)  大雪ということは、寒い日であることが予想でき、 息子が、「こんなに寒い日であるのに、自分には、 嫁がいない。嫁がいないから、寒い日をもっと寒く 感じる」といった気持ちを前面に表した句であると 考えられる。

大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟)   大雪のように寒い季節になると、昔の人も恋が  したくなるのだなと思いました。寒い日は、愛す  る人と一日中家にこもりたいものだなと思いまし  た。

「大雪といふ日息子は嫁欲しと」(只野柯舟) 感想→ 大雪が降ったり、とても寒い日は人肌が恋し    くなるものであり、それを感じた息子の心境    がとても理解できた.

  大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟)  雪が降り、寒くなる中で、家庭を持てば気持ちの 面で少しでも心が温かくなるんだろうなと思う息子 の気持ちが伝わってくる一句だなと感じた。

  大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟)  現代だとクリスマスに向けて彼女が欲しいと言っ ている息子の様子を詠んだ句だと解釈してしまいま す.寒さで人恋しいとか、大雪だけに大切な人が欲 しいとか、とにかく人恋しく思っている感じがしま す.

 大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟) (感想)    冬の寒さと、雪のふる情景のさみしさから、   人恋しくなっている息子の様子が表されていて、   人はさみしくなると、人恋しくなるのはみなそ   うなのだなと思って安心した。

大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟) 感想   やはり寒くなってくると、人肌が恋しくなるの  だなと共感しました。僕も嫁が欲しいです。

大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟)   いつの日か自分がこうならないようにしたい。

  大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟)  大雪が降って身も心も寒くなり結婚してあたたか い生活がしたいという息子の気持ちがひしひしと伝 わってくる作品。

  大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟)  一人身なので、愛する人が欲しいです。

 大雪をたいせつと読むことで、クリスマスとかあ るなかで嫁が欲しいけどいないことをなげいている というような景色かなと思いました。

大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟)   一見したときにこの息子は何を思っているんだ  ろうと感じた。大雪と嫁、相反するものであるは  ずだが、何かおにあいのような感じがする。この  句では息子について述べているが、このような思  想を持った息子を育てあげた親からみた句をぜひ  ともみてみたいものである。

大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟)   息子が嫁がいなくてさむいのと大雪でさむいと  いうのがわかりやすくておもしろかった。

  改札に人なくひらく冬の海 (能村登四郎)  寒い冬は皆外にでたがらない。そんなとき、電車 に乗って改札に出た時、人こそいないが、綺麗で真っ 青な海が目の前に広がっている。  そんな情景が浮かんできた。

  改札に人なくひらく冬の海 (能村登四郎)  寒い冬は皆外に出たがらない。作者が電車に乗っ て改札に出た時、やはり人はいない。  でも綺麗で真っ青な冬の海が目の前に広がってい る。そんな情景が浮かんできた。

  改札に人なくひらく冬の海 (能村登四郎)  冬に人がいなくて寒い様子がよくつたわってきま した。  人に風景をおもいださせるような俳句はすごいなぁ と思います

  改札に人なくひらく冬の海 (能村登四郎)  まず自分の中に浮かんだ光景は江ノ電のような単 線の海沿いを走る鉄道の1つの無人駅の改札内から 見た白波がたくさんたつ海です。おそらく、その光 景であっていると思います。仮に違う光景を考える としたら、東京で雪が降り、主要駅(例えば田町駅) の改札のほぼ一方向に流れる人の群れは多すぎて逆 に「そこにいるのは人ではなく波だ」という考えが 生まれ頭に乗った雪が白波に見えたという光景だ。 仮に雪が降らなくとも冬の海と人のたくさんいる改 札は共通点が多いと両方を人並み以上に体験してい る自分は感じた。

  改札に人なくひらく冬の海 (能村登四郎)  冬はみんな寒くて外出していない様子がよく伝わっ てきました。改札の先には海があり、人の居ない海 のさびれた様子がよく感じられました。改札には駅 員もいなくて無人駅なのかなと思いました。

「改札に人なくひらく冬の海」(能村登四郎)  冬になるまでは、大勢の人々があふれかえってい たのに、この冬という季節になると、人影もまった くない、ただ、改札がある、駅があるさびしい風景 が感じられた。

改札に人なくひらく冬の海 (能村登四郎)   電車を降りても誰もいない、閑散とした改札の  様子と冬の海の静けさやもの悲しさがとても合っ  ていると思いました。「ひらく」という一語があ  るだけで明るい雰囲気になると感じました。

「改札に人なくひらく冬の海」(能村登四郎) 〜感想〜   私はこの俳句から雪国の田舎の駅の風景が思い  浮びました。誰もいない改机に、踏まれた跡のな  い雪が海のように広がっており、とても綺麗で静  かで虚しく感じました。       (編者)「改札」です。

  改札に人なくひらく冬の海 (能村登四郎) 〜感想〜 ・夏は海水浴等で海に遊びに行くため、電車に乗っ  て遠い場所からはるばるとやってくる人々が大勢  いたが、冬になり、海水浴等で訪れる人々がいな  くなると駅を遠る人も少なくなり、なんとなくさ  びしく感じられる。       (編者)「遠る」は「通る」?

  改札に人なくひらく冬の海 (能村登四郎)  思い浮かぶのは電車から落りて通る改札を想像し ました。改札をぬけた向こう側に誰ひとり人がいな くて静かな空間が広がっていて、”冬の海”とは、一 面に広がる雪のことでしょうか。それともその空間 のことでしょうか。冬の静かさを詠んだ俳句だと思 いました。       (編者)「降りて」です。

改札に人なくひらく冬の海 (能村登四郎)   寒くて人のいない様を冬の海と表現していてと  ても好ましい

「改札に人なくひらく冬の海」(能村登四郎)  海岸線に沿って走る線路、日中の静かな駅、汽車 はしばらくこない.そんなとき、ホームに渡ってふ と、小さな駅舎を見る.すると、出入口の先に海が 広がっている.山陰線にもそんな光景がありそうだ.

  改札に人なくひらく冬の海 (能村登四郎) 句の感想 … 田舎の寒い冬の駅には人がいるはずも  なく、改札口を通ると視界いっぱいに冬の海が見  えるという、どこかさびしさを感じる叙情的な句  のように感じた。

「改札に人なくひらく冬の海」(能村登四郎)  駅に人がいたら人のせいで雪はとけてしまうし、 人のいる駅なら電車は雪がつもる前にどんどん駅に くるが冬の海がひろがるということは、人の出入り もあまりなく、電車もこない田舎の駅で作者だけが ポツンと一人だけ立っている景色が目に浮かぶ

  改札に人なくひらく冬の海 (能村登四郎)  この句を読んで、2つの解釈ができた。  1つ目は、冬の海からの風で改札の扉が勝手に開 くという風景が思い浮かんだ。  2つ目は、冬の海の目の前にある駅の改札で、誰 一人としてその改札を通らない。それを悲しく思っ た「改札」が扉を開いた。という擬人法を使ってい るとも感じとれた。

改札に人なくひらく冬の海 (能村登四郎) ・吉見に近い   場面が思い浮かんだから。

「改札に人なくひらく冬の海」(能村登四郎)  夏の海は人が多くいるが、季節が変われば人はい なくなってしまうことが寂しいと感じた。砂浜を改 札と表しているのではないかと思った。

街から村へきらきらと十二月 (廣瀬直人)   故郷にでも帰るのかな?と思わせてくれた.

街から村へきらきらと十二月 (廣瀬直人)   年末にやっとの思いで実家に帰るれる気持ちを  表したように感じとれた。いまの自分とまったく  同じであった。       (編者)「帰るれる」は「帰れる」or「帰られる」?

  街から村へきらきらと十二月 (廣瀬直人)  十二月になるとクリスマスに向けて街だけでなく 村にもいたる所でイルミネーションがつけられて 「きらきら」と光り輝いている.

街から村へきらきらと十二月 (廣瀬直人)  「街から村へ」というのは帰省という解釈ができ  ると思った。また、”きらきら”というのは現代な  らば、イルミネーションのようにも感じとること  ができる。

街から村へきらきらと十二月 (廣瀬直人)     この詩と昨日の雪を見て     改ためて十二月の輝きを実感しました。

  街から村へきらきらと十二月 (廣瀬直人) → 都市でも、そうでないところでも関係なく白い  雪がきらきらと降る風景が思い浮かんだ。

  街から村へきらきらと十二月 (廣瀬直人)  高校かある程度街中にあって、そこから帰るとき のことを思い出す.街灯に照らされてキレイだった.

「街から村へきらきらと十二月」(廣瀬直人) について  街は人の動きが多かったり、今では自動車等、雪 が自然と人によって融かされるが、村は人が少なく 村に入れば入る程雪がキラキラと輝いてくる。  雪は夜でも朝でも昼でも私はキラキラしているよ うに感じる

  街から村へきらきらと十二月 (廣瀬直人)     12月のはなやかな        様子が         描かれている。

街から村へきらきらと十二月 (廣瀬直人)  十二月には雪やサンタさんなど   街から村へきらきらと輝いて    やってくるイメージができた。

  街から村へきらきらと十二月 (廣瀬直人)  町や村にキレイな雪が降り、家の屋根などに少し 積もっている雪がキラキラしている景色が思い浮か びすごいと思った。 「きらきらと」という表現があるので、たまに雪の 結晶が混ざっている感じもして楽しいと思った。

  街から村へきらきらと十二月 (廣瀬直人)  十二月は、クリスマスということでイルミネーショ ンなど街がなんとなくきらきらする季節だと思いま す。そのきらきらとした楽しい感じが街だけでなく 村にも伝染していっているのかなと思いました。ま た、村にはイルミネーションは少なくとも、雪とい う自然のきらきらがあるので、それを表現している のかなととも思いました。

  街から村へきらきらと十二月 (廣瀬直人)  クリスマスを感じさせており季節感が良いなと思っ た。

  街から村へきらきらと十二月 (廣瀬直人)  クリスマスなどのイベントでは街がきらきらとか がやいているがそれがどんどんと村にまでいってい るのかもしれません。

街から村へきらきらと十二月 (廣瀬直人)   12月といえばクリスマスなのでそのイルミネー  ションが街から村へだんだんと広がっていくのを  あらわしているんだと思った。

  蜜柑むくはてこんなことしてゐては               (星野麥丘人)  [感想]  「冬」といえば、コタツに、ミカンであり、コタ ツに入ると、何気なくミカンに手を伸ばし皮をむい てしまう.他にやることがあっても無意識にミカン に心が向いてしまう人間の心理を表現した面白い詩 であると思った.

  蜜柑むくはてこんなことしてゐては               (星野麥丘人)  こたつの中に入っていて蜜柑食べようとしてむい ている途中に「はっ」と気づいて毎日こんなことの 繰り返しでだらしないと気づいてしまったときの祖 母の家にいるときの自分を見ているようですごいこ の詩を書いた人の気持ちがわかります。

  蜜柑むくはてこんなことしてゐては               (星野麥丘人)  冬はみかんがおいしく、こたつに入ってゆっくり みかんを食べてしまうが、年末は忙しくそんなこと をしているひまがないという情景がわかる.

「蜜柑むくはてこんなことしてゐては」              (星野麥丘人)  なかなかコタツから抜け出せず、だらだら年末ま で過ごしている様子を感じられる。

  蜜柑むくはてこんなことしてゐては               (星野麥丘人)  コタツに入りながら蜜柑をむいて食べていたこと を思い出した。何もする気にならずにこんなことを していてはだめなのにと思っていても動くことがで きなかったのでこの気持ちはわかる。

蜜柑むくはてこんなことしてゐては(星野麥丘人)   やらなければならないことを後回しにして楽を  している感じがしました。これは自分もよくある  ことでやるべきことを後回しにして後悔するのが  ほとんどです。だから、今やるべきことをしっか  りと確認して、後回しにしないようにしたいと思  いました。

「蜜柑むくはてこんなことしてゐては」               (星野麥丘人)   リズムが軽快で読みやすい俳句でした。

  蜜柑むくはてこんなことしてゐては               (星野麥丘人)  冬の寒い日にこたつの中に入って、蜜柑を食べて いていつまでもこんなことをしていたいという思い が感じられた。

  蜜柑むくはてこんなことしてゐては               (星野麥丘人)  とても身近で感じやすい詩だと思った。

  冬海にみひらきし眼をまたつぶる(西嶋麦南)  最近、とても寒いが、それが伝わってきた。

  冬海にみひらきし眼をまたつぶる(西嶋麦南)  この句は冬の寒い海を見ていて、何か悲しいこと を思い出し目をつぶり、涙を流している情景が浮か んできます。壮大な海を眺めていると自分の悩んで いることが小さなことなんだと感じるが、やはり悲 しさにたえられなかったのだろうと思いました。

  冬海にみひらきし眼をまたつぶる(西嶋麦南)  最近寒くなり、   海風が激しい日が続いています.  ふと海を見ると、風が強く、目が開けられません。 そのような句と思いました。

  冬海にみひらきし眼をまたつぶる(西嶋麦南)  海が目の前にある吉見では風がとても強く吹きつ けてつきささるように寒さが身にしみて、目もつぶ りたくなるほどである。

冬海にみひらきし眼をまたつぶる (西嶋麦南)   冬の海と目をつぶって今年の一年を振り返って  いる作者を想像しました。   冬は年の終わりと年の始まりをむかえる季節で  すので、この詞は直感的に一番好きな詞だと思い  ました.

冬海にみひらきし眼をまたつぶる (西嶋麦南)   冬の海に反射した日の光がまぶしすぎて眼をつ  ぶる様子が読み取れる。  「またつぶる」と書いていることから何回も見て  しまうほどきれいな景色ということが読み取れる。

「冬海にみひらきし眼をまたつぶる」(西嶋麦南)  七曲がりを通るとき、いつも夕日を見ては冷たい 冬の風に思わず眼を細めてしまいます。共感できる 句でした。

根の国のこの魴(ほう)ぼうのつらがまへ                (有馬朗人)   みかんやツル、雪など様々な季語がありました が魚を季語とするのはその魚が冬に旬であるのかそ れ以外の利用か気になった。       (編者)「ホウボウ」の「ボウ」のフォントがないた         め平仮名にしたことをご了承ください。魚の季語につ         いては、それぞれの魚で事情が違いますが旬というの         が多いと思います。

 魴ぼうの根の国とはどこのことか。

  根の国のこの魴ぼうのつらがまへ(有馬朗人)  この詩の根の国が何を指しているのかよく分から ない。       (編者)(説明したように)地下にあるとされた、死        者のいくあの世、黄泉の国のことです。

  根の国のこの魴ぼうのつらがまへ(有馬朗人)  地獄にいても魴ぼうはあいかわらずおもしろい顔 をしているというのはとてもおもしろかった。

  根の国のこの魴ぼうのつらがまへ(有馬朗人)  あの世にいる魴ぼうがその独特な姿を見せている 様子が想像できる。

  根の国のこの魴ぼうのつらがまへ(有馬朗人)          ↓    暗い一句から冬の寂しさが伝わってきた

魴ぼう       (編者)体の斑点や目の周りを丁寧に描いた、胸ビレ        を広げたホウボウのイラスト略。

人込みに白き月見し十二月 (白田亜浪)   この俳句はなんとなくだけれどふっと情景がう  かんだ。

  人込みに白き月見し十二月 (白田亜浪)  クリスマスや正月など、人が普段よりも多くなり 人混みができるのに対し、冬の空は空気が澄んでい るのでより月がきれいに見えることを詩にしている.

  人込みに白き月見し十二月 (白田亜浪)  月というと、やはり秋のイメージがある。しかし、 冬のそらは空気がすんでいるため、天体観測には向 いていて、また、白きというものが、月の白さとと もに、周りの白さも連想させる句となっている。       (編者)一応「周りの白さ」と読み取りました。

  凍鶴の啼(な)きては天をさびしうす             (伊藤敬子)  冬の日に鶴が一羽で鳴いている情景を想像しまし た。”さびしうす”という表現が冬の静けさを強調す る鶴の声を表現してしていると思いました。       (編者)二本脚で立っている鶴のイラスト略。

  凍鶴の啼きては天をさびしうす (伊藤敬子)     かっこいい

  凍鶴の啼きては天をさびしうす (伊藤敬子)  澄んだ空気の冬の空に向かって、鶴が啼くと、た だ鶴の鳴き声が響きわたるだけで、さびしさを感じ る、といった情景を思い浮かべました。冬になると、 空気や水が澄んで、他の季節と比べてさびしくなる ことがよくあります。

  凍鶴の一歩を賭けて立ちつくす (山口青邨)  真冬の寒さの中、海岸・湖岸に堂々とした立ち姿 でいるのが想像できる.  いつ動くかも分からない冬の野生の動物に意識を 向けられる穏やかな気持ちが感じ取れる。

  凍鶴の一歩を賭けて立ちつくす (山口青邨)  凍てついた湖に一羽立っている鶴が思い浮かぶ  寒い景色が思いうかぶと同時に、何ともいえない 美しい姿が分かる。  立ちつくすという言葉から、さあ次はどこに一歩 を出そうかという気持ちと、寒くて動けないという 鶴の姿をさびしくも、面白く書いているように思え る

大雪といふ日息子は嫁欲しと (只野柯舟)  大雪の日になにもしない息子が嫁が欲しいと嘆い   ていると私は思いました。 街から村へきらきらと十二月 (廣瀬直人)  十二月になり年末を迎えるため実家へ帰ることな   のかと思いました。

 とてもおもむきがあると思う

 どの詩もとても個性的だと思いました.

 

  天上に宴ありとや雪やまず (上村占魚)   天上に祭りありとや風やまず  この時期の下関吉見は風が強すぎる。

  師走の夜つめたい寝床が一つあるきり               (尾崎放哉)  自分の一人暮らしのさびしい夜と重なる.  気温ももちろん冷たいが、心の冷たさも伝わって くる.

  師走の夜つめたい寝床が一つあるきり               (尾崎放哉)  師走の非常にいそがしい一日をおえて家に帰って みると誰もいない寝床がありいそがしかった一日が うそのように感じるほど静かだと感じている。

・師走の夜つめたい寝床が一つあるきり(尾崎放哉)  今、自分もこの状態をとても身に感じているので  この詩にすごく共感を持ちました.

師走の夜つめたい寝床が一つあるきり(尾崎放哉)   冬の夜は、本当に寒くて私も本当にきらいです。

「師走の夜つめたい寝床が一つあるきり」               (尾崎放哉)  12月の寒くて冷たい夜に一人で眠るという寂しさ も伝わってきて心細さを感じる。

「師走の夜つめたい寝床が一つあるきり」               (尾崎放哉)  12月になり、夜も冷えこんでいるため寝床も冷 たくなってしまっているのだと思いました。なん となく寂しさのようなものも感じ取る事ができま した。

  師走の夜つめたい寝床が一つあるきり               (尾崎放哉) (句の感想)…師走の夜にも関わらず、部屋の中に       は華やかさもない雰囲気で、冷たい寝       床のみが視界に入る、という寂しげで       哀愁のある句だと感じた。       (編者)「関わらず」はここでは平仮名(「かかわら         ず」)です。

  師走の夜つめたい寝床が一つあるきり               (尾崎放哉)  師走なので12月の寒い夜、つめたい寝床が一つあ るだけという少しさみしい情景が思い浮かばれる。

  師走の夜つめたい寝床が一つあるきり               (尾崎放哉)  日本の師走は場所によってはとても寒く、夜であ るためなおさら寒くて、寝床すら寒いということが つたわってきました。一つあるきりというところか らはさびしさや孤虫ということも感じられました。 この俳句全体からもさびしさというものが感じられ ました。       (編者)「孤独」です。

  師走の夜つめたい寝床が一つあるきり               (尾崎放哉)  私は寮生活をしており、部屋はとてもせまく、寝 床が一つある状態で、この排句に似ていると感じま した。また、窓から入る隙間風で夜はつめたく、バ イト帰りで一人で真っ暗な部屋に帰ってくるときは 悲しさとさびしさが増し、作者と同じ気持ちになっ ている気がしました。       (編者)「俳句」です。

師走の夜つめたい寝床が一つあるきり(尾崎放哉)    一人暮らしの夜がさみしい

師走の夜つめたい寝床が一つあるきり(尾崎放哉)   寒い状態を書いているが、そこから、悲しい感  じがうまく表されているなと思った

  師走の夜つめたい寝床が一つあるきり               (尾崎放哉)  夜がひえる12月の季節になってきた。筆者の時代 は暖房器具もあまりなく、寝床一つととても寒い様 子が伝わる。

  師走の夜つめたい寝床が一つあるきり               (尾崎放哉)  12月の夜、寝るときのふとんは最初とてもつめた くていやだが、段々とあったかくないっていくのが、 とても好きだった  なつかしく思う.

  師走の夜つめたい寝床が一つあるきり               (尾崎放哉)  今日の朝、避難訓練がありました。とても風が強 い中、訓練があったため、すごく外に出たくなかっ たです。これによって、十二月のものすごく寒い寝 床というものを実感できた気がします。寒い日は外 に出る気もなくなり、すごくだらだらした日が続き ます。

  師走の夜つめたい寝床が一つあるきり               (尾崎放哉)  冬の夜は寝床すらもつめたく感じるのだと思いま した。「寝床が一つ」という部分から、作者が一人 孤独に暮らしているんだなと思いました。冬の夜の つめたさと作者の孤独が組み合わさってとても悲し い歌になっていると思いました。

師走の夜つめたい寝床が一つあるきり(尾崎放哉)   夜寝るとき冷たいふとんだったら悲しいだろう  と思った。寒い情景が思い浮かんできて印象に残っ  た。

  師走の夜つめたい寝床が一つあるきり               (尾崎放哉)  今年の年末年始は一人で過ごすので、家族といら れない寂しさをこの詩と共感できました。 −・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・

  師走の夜つめたい寝床が一つあるきり               (尾崎放哉)  12月の寒い夜、年の瀬も近づいてきたのにもか かわらず、自分の周りにはあたたかい家庭がないと いう悲しさを言っている句であると思われる。

  師走の夜つめたい寝床が一つあるきり               (尾崎放哉)  12月の寒い夜に、誰かいればいいが、誰もおら ず一人で寝床を見ているような寂しさがある。  寒さとさびしさを表した句だと思う

「師走の夜つめたい寝床が一つあるきり」               (尾崎放哉)  寂しいことでより冷たさも感じると思う。

「師走の夜つめたい寝床が一つあるきり」               (尾崎放哉) 感想→尾崎放哉らしい自由律俳句だと思った.状況    を想像でき、どこか寂しげな印象を感じた.

「師走の夜つめたい寝床が一つあるきり」               (尾崎放哉)  極寒の様子が感じられ、本来暖かい場所である寝 床も寒さで暖かくないし、寂しさ、孤独感を感じて しまう。

「師走の夜つめたい寝床が一つあるきり」               (尾崎放哉)  12月の冷え込む夜に、家族も恋人もいない1人暮 らしの悲しい風景が思い浮んだ。

  師走の夜つめたい寝床が一つあるきり               (尾崎放哉) (感想)  師走の夜の気温が低い様子と、師走で忙しく、ゆっ くり休むことができない様子が伝わってきました。 状況のみで読まれた俳句ですが、寂しさや忙しさな どが伝わってきており、情景の持つ力はすごいなと 思いました

師走の夜つめたい寝床が一つあるきり(尾崎放哉)   寝床は温かく、1日の疲れを癒すところである  が、気持ちよく寝る前の冷たさやつらさや悲しさ  が伝わってくる詩だと感じる.

  てんたうむしだましが死んで冬至かな                (斎藤夏風) 〜感想〜  てんとうむしが寒くて生きてはいられない頃には もう冬至がやってきていて、ここからは、日がだん だんと伸び、やがて春になり、温かくなっていくの だなと思った。

  てんたうむしだましが死んで冬至かな                (斎藤夏風)  てんとうむしだましという虫がいることを初めて 知った。この虫が死んでてんとうむしが育つ4月に つながるという意味なのだろうか

  てんたうむしだましが死んで冬至かな                (斎藤夏風)  てんとうむしだましが、冬の寒さによって命を落 とすのと、冬の食料がなくて命を落とすことを表し ているのだと思いました。てんとうむしだましの死 によって冬至の訪れを感じることを表現しているの だと思いました。

てんたうむしだましが死んで冬至かな(斎藤夏風)   冬が来て葉が枯れ落ちてゆき、食べるものがな  くなったてんとう虫は死んでゆく。このことが冬  至が来たことを強く感じさせられた、ということ  を読んだのだと思う。

  てんたうむしだましが死んで冬至かな                (斎藤夏風)  農家の人々が害虫であるてんとうむしを模した虫 がいなくなったのを見てもう冬至になったことを感 じている所が思い浮かびました。

「てんたうむしだましが死んで冬至かな」                (斎藤夏風) ・農民が季節の変化を実感するものとして害虫であ る虫がいなくなるというものがあるのがわかった。

てんたうむしだましが死んで冬至かな(斎藤夏風)   テントウムシダマシが死んだことが冬至の前ぶ  れを予告しているので害虫が冬の難しいさむさで  その害虫が死に暖かな春のおとづれをまっている  ように思えた。

・てんたうむしだましが死んで冬至かな(斎藤夏風)  冬が来たと知覚するきっかけは、さむくなってき たという事以外に、虫が見られなくなった等があり ます。斉藤夏風さんは、そういった変化を通して冬 を見ていたのだと思います。

てんたうむしだましが死んで冬至かな(斎藤夏風)    てんとう虫などの虫が寒さにたえきらず     死んでゆくので冬が来たととらえるこ      とができる。

  てんたうむしだましが死んで冬至かな                (斎藤夏風)  てんとうむしだましという単語が面白いと思った。

  てんたうむしだましが死んで冬至かな                (斎藤夏風)  寒くなり、葉を食べていたてんとうむしだましが 死んでいるのを見つけて冬の深まりと季節の移り変 わりを感じました。

てんたうむしだましが死んで冬至かな(斎藤夏風)   死とあり悲しい感じがしたが、冬至の訪れを感  じた.

  てんたうむしだましが死んで冬至かな                (斎藤夏風)  てんとうむしだましが死んで冬を実感する作者。 私は虫が嫌いなので、そういう意味では冬は好きで す。ほどよい寒さであれば文句無しなのに、今年の 冬は寒すぎます.

てんたうむしだましが死んで冬至かな(斎藤夏風)     てんとうむしだましの死によって     冬至が来ることを表現している     のが小賢しいと思った。

  てんたうむしだましが死んで冬至かな                (斎藤夏風)  夏から秋にかけて活動するてんとうむしが死んで しまい、冬だと実感している。

「酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠(わな)か」               (岡村夕虹)  カキはとってもやわらかくて新鮮ないそのかおり がします。酢につけることにより、やわらかさが増 すようです。

酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か (岡村夕虹)   牡蠣を食べさせて腹をこわさせるという意味で の罠ともとれるし、たくさん食べさせて料理代を多 くとろうという意味での罠ともとれておもしろかっ たです。

酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か (岡村夕虹)  たぶん、ノロウィルスがやばいことが分かってい る人だと思う。でも、とてもおいしそう。

酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か (岡村夕虹)  おいしそうなカキの様子が伝わってきます。罠と   いうのは、食べすぎて、食中毒などでお腹をこ   わすことを言っているのでしょうか。

 酢牡蠣のおいしくて、食べ続けていたい気持ちを 酢牡蠣のせいにしているところがおもしろいなと思 いました。

「酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か」(岡村夕虹)  カキはとてもやらかいのでしんせんないその香り がする。酢によってやわらかさがます       (編者)「やらかい」は「やわらかい」?

「酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か」(岡村夕虹)  とても酢牡蠣が食べたい気分になりました。

  酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か (岡村夕虹)    牡蠣が食べたくなる詩だった.

酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か (岡村夕虹)   久しぶりに牡蠣を食べたいなぁと感じる作品で  した。

  酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か (岡村夕虹)  牡蠣は軟らかくておいしいが、たまに当たること があるので罠ではないのかと疑いながら食べる情景 がうかぶ

  酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か (岡村夕虹)  酢牡蠣のあまりのおいしさに、なにか悪いものが 入っているのではないかと軽い心配をしている。

  酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か (岡村夕虹) [感想]  冬になると私の家庭でも牡蠣が食卓に並ぶことが ある.生で食したことはあまりないが、鍋の具材と して出されることが多い。牡蠣の食べ方は多々ある が、私はポン酢で食べるのが好きである。この詩は、 そんな牡蠣の美味しさを表現した詩であり、冬の暖 かさを表現した、冬を感じる詩である.

酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か (岡村夕虹)   真牡蠣は冬が旬で食感がとても軟らかく食べる  のが止まらなくなってしまうから罠のようだと思  いました。

「酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か」(岡村夕虹)  カキについて書かれてある詩.  しんせんなイメージ。

  いさゝかの金欲しがりぬ年の暮 (村上鬼城)  年末は忘年会などでたくさんの金を使うので、金 が欲しくなる気持ちにとても同感しました。

  いさゝかの金欲しがりぬ年の暮 (村上鬼城)    私はお金が無くて困っています。

  いさゝかの金欲しがりぬ年の暮 (村上鬼城)    自分はお金が欲しいと思います。

  いさゝかの金欲しがりぬ年の暮 (村上鬼城)  年末年始には用事が増え、いつもよりも出費が増 えることが想像できた。

  いさゝかの金欲しがりぬ年の暮 (村上鬼城)  この句を読んで、作者の気持ちを理解することが できた。  私自身の解釈としては、年の始めにお年玉をもら うため、今、がまんすればその分だけ多くもらえる と思った。ということを伝えていると考えた。

いさゝかの金欲しがりぬ年の暮 (村上鬼城)   年末に出費が多くて金欠になっている今の私に とって、とても共感できる俳句だから。

いさゝかの金欲しがりぬ年の暮 (村上鬼城)  :すごく共感できる内容で、読んだとき笑いそう   にもなりました。

「いさゝかの金欲しがりぬ年の暮」(村上鬼城)  年の暮れは何かと金がいる。また年明けになると お年玉等もありそれ用のお金も用意しないといけな い。私も年下の親せきにお年玉をあげる年齢になっ てしまった。

いさゝかの金欲しがりぬ年の暮 (村上鬼城)   年の暮はお金がほしくなるのは   自分も思った。

  いさゝかの金欲しがりぬ年の暮 (村上鬼城)  金欲しがりぬ年の暮とはお年玉を表しているのだ ろう。この時期になるとわずかでもお金がほしくな る。来年はもらえるのだろうか。

「みそ味の少し甘めのまながつお」(福井貞子)   まながつおの独特の形が好きです.マンボウみ たいです.       (編者)「まながつお」の漢字(魚+昌)フォントが         ないので、平仮名にしました。

  みそ味の少し甘めのまながつお (福井貞子)  かつおのたたきなどが出回る季節になってきてあ まいみそにつけて食べた時の詞.

  みそ味の少し甘めのまながつお (福井貞子)  この句をよんで思ったことは、冬はまながつおが 美味しい時期なのだろうという事でした。私はまな がつおを食べた経験が無いのでいつか機会があれば 食べてみたいです。  この句は五・七五の中でとてもわかりやすく情景 が描かれていて良いと感じました。

「みそ味の少し甘めのまながつお」(福井貞子)  とてもお腹が空く俳句だと思った。

「みそ味の少し甘めのまながつお」(福井貞子)  冬になると魚が食べたくなります。あぶらをいっ ぱいたくわえた魚はとってもおいしく、みそなど少 し甘めの味つけをしたら、さらにおいしさがまして 最高です。  寒い日たべたいです。

  みそ味の少し甘めのまながつお (福井貞子)  これからの寒い時期、みそ味が恋しくなり、とて も美味しく感じることだと思います。口の中でも頭 の中でも想像できます。

  みそ味の少し甘めのまながつお (福井貞子)     まながつお

みそ味の少し甘めのまながつお (福井貞子)   おいしそうで温かいみそ味が口に広がる

 みそ味の少し甘めのまながつお (福井貞子)  さばの味噌煮のようなものかなと思った。      美味そう

  みそ味の     少し甘めの        まながつお (福井貞子)   マナガツオがどの状態かは     いまいちわからないが        おいしそう.

・湾底に海星(ひとで)のほろぶ雪月夜               (きくちつねこ)    読むだけですごく美しい情景が   目に浮かび、感動しました。

湾底に海星のほろぶ雪月夜 (きくちつねこ)   冬は星が美しい季節であるが、その星が海星と     いう所が面白いと思った.

  湾底に海星のほろぶ雪月夜 (きくちつねこ)  10個のうたの中で、一番、情景が浮かびやすかっ た。  冬は、空気が澄んでいて、夏よりも、月がきれい に見える気がする。

  湾底に海星のほろぶ雪月夜 (きくちつねこ)  冬の寒い夜の海の情影がよくわかる       (編者)「情影」は「情景」?

湾底に海星のほろぶ雪月夜 (きくちつねこ)   海の底の暗いところにいるヒトデがまるで夜空  のようにきれいということをよんだのかなと思い  ました。

  湾底に海星のほろぶ雪月夜 (きくちつねこ)  雪だったり、ヒトデだったりがある海はまるで満 天の星空を想像させてとても美しく感じた。

湾底に海星のほろぶ雪月夜 (きくちつねこ)   夜に湾底などみえるはずもない海星をみている  点に違和感を感じる。雪が降る夜に月の明かりに  照らされ湾底がみえるのだろうか。幻想的で一度  みてみたいものである。

「湾底に海星のほろぶ雪月夜」(きくちつねこ)  海の底にある海星が海面に映る月によって海の表 面にあるように見えているのではないかと思った。

天上に宴(うたげ)ありとや雪やまず(上村占魚)       にぎやかな感じがつたわってくる.

  天上に宴ありとや雪やまず (上村占魚)  天の者たち宴で騒ぐことによって天の雲が振れ、 それによって雪が降るといったような感受性に優れ た作品だと感じた。

天上に宴ありとや雪やまず (上村占魚)   なんか好きです。雪を天上の宴と表現してるの  がすごく好きです。

「天上に宴ありとや雪やまず」(上村占魚)  雪が降っているということは天上に宴をしている との表し方をしている。  こういう、ポジティフというか、雪一つでこんな に想像できるとは思わなかった。  今年の雪が楽しみだ。

 僕は冬がとても好きです.  今の詩は、雪という項目の 「天上に宴ありとや雪やまず」(上村占魚)にひか れ、雪とたわむれたいと思った

極月の怒涛(どとう)肴に鬼ころし (中田藤車)   冬になると酒のみたくなるなと共感した

極月の怒涛   ・いいなと思ったから

  のらくらもあればあるぞよとしの暮 (一茶)  お年寄りでも何か人生で得てきたことがあって、 年の功、ではなく暮、と表し人生をふりかえって ると感じました。

海の日のありありしづむ冬至かな(久保田万太郎)   海の日が沈んでいき、1日があっという間に終  わる様子がわかる

・てんたうむしだましが死んで冬至かな(斎藤夏風)  てんとうむしが死んで冬を感じるさびしさが伝わっ てきます。虫は冬には死んでいるが、土に埋まって いるので冬を感じます。 ・極月の怒涛肴に鬼ころし (中田藤車)  寒い中、決して暖かくない飲み物、ましてやお酒 を飲むが、酔いによって体がどんどん暖かくなる、 その体の内と外の温度の差が感じられる ・酢牡蠣食ふこの軟らかさは罠か (岡村夕虹)  この句は酢牡蠣が本当に好きで好きで、冬に食べ る牡蠣の美味さが伝わってくる。  まるでだまされているかのような喜びも伝わる.

 

  スカスカのレタスが語る寒さかな  バイト先でレタス1つ380円すると聞いて高くて 驚いた。最近100円安くなったらしいが、そのレタ スは冬の厳しい寒さからか、中身はスカスカであっ た。

ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)   冬らしさが出ておりおもしろいと思った。

  ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)  私も昨日、乗船から帰ってきたばかりなので、非 常に共感した。

  ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪) 排句の感想: 大寒は非常に寒く、布団に入ると心 地よくて寝てしまう。という冬の日常生活の中で誰 もが共感できるような事を、五七五で巧みに表現さ れており、素晴らしい句だと感じた。       (編者)「俳句」です。

  ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)  冬の寒い日に外に出ずにあたたかいふとんの中で ゆっくり過ごしている様子を想像しました。わたし も冬休みはほとんどふとんの中で過ごしていました。

  ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)  「蒲団」という言葉が寒さを感じさせました。 「ぽっくり」という表現はとても気持ちよさそうに ふとんにくるまっている様子が想像できました。

  ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)    寒くて丸まって寝てる

  ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)  フトンに入って寝るときに、ぽっくりという擬音 を使って気持ちが良さそうだ。

ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)  蒲団に入るのは楽だがでるのは容易ではない

  ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)  蒲団に入って寝るときに、ぽっくりという擬音を 使って気もちが良さそうだ。

「ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり」(臼田亜浪)  自分も蒲団からなかなか出れないことがあり、よ く寝過ごしてしまう。

  蒲団(ふとん)  蒲団へ入る表現が「ぽっくり」を用いていたので、 まるで死んだかのように寝てる情景が思い浮かび自 分にもあるあるな句ですごく共感できます。

ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)   冬は、死んだように寝てふとんでぬくぬくして     いたい

「ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり」(臼田亜浪)  状況が想像できて、とても共感できる句だと感じ た。

ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)   この歌はすごく共感できる.    この頃ふとんから出るのがつらすぎる。     頑張って一限の授業に出席できる     ようにしたい。

ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)   冬になるとふとんからなかなか出られないけれ  ど、この句の中の人は学校や仕事のことを気にし  ないで寝ているのだろうかとうらやましく思った。

  ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)  ぽっくりとという表現がとてもそのイメージを考 えやすい言葉だと思った。

ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)   いつもそうですが 寒い日は特に こうしたくな  ります.

ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)     蒲団に入ってねる、このことは冬であるな     らば誰もが共感することだと思った。

  ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)  この気持ちは誰もがわかると思う。自分自身、今 日3度寝をしてしまい、今日の授業、5秒前くらい に入室してしまった。  寒い時期ではごく普通のことを句にしていてユー モアだと思った。

  一月の日々は失ひ易きかな (後藤春翠) 〜感想〜  一月は日が短いため夏に比べて一日が終わるのが 早くあっという間ではかないと思った。

一月の日々は失ひ易きかな (後藤春翠)   わたしも一月は年の初めだけど一瞬で過ぎてし  まう月だと思う

一月の日々は失ひ易きかな (後藤春翠)  一月の日々は早く過ぎるという意味だと思った  今一月の日々を送ってる私はとても早いと思っ   ているから何か同調した。

  一月の日々は失ひ易きかな (後藤春翠)  一月の日々はすぐに過ぎてしまうのだと私も思い ました。

1月の日々は失ひ易きかな (後藤春翠)   1月になると日も短くなり、一日一日が過ぎて  いくのが早く感じることから、季節の移り変わり  を感じるという詩だと思います。

  一月の日々は失ひ易きかな (後藤春翠) ・年が明け、正月休みからの惰性で過ごしているう  ちに、いつの間にか月の半分以上が終わってしまっ  た. ・多くの人が感じるであろう思いを分かりやすく表  した句だった.

  一月の日々は失ひ易きかな (後藤春翠)  わかる。正月が抜けきらず、寝てたら、いつの間 にか、一日が終わっていた。

一月の日々は失ひ易きかな (後藤春翠)    一月の日々を大切にしていきたいと思います    いまこのときを大事に、後悔しないようにで    きたらいいなと思います

  一月の日々は失ひ易きかな (後藤春翠)  日照時間が短く、矢のように過ぎて行く冬の一日 を表しており、良い句だと思った。

  一月の日々は失ひ易きかな (後藤春翠)  一月は年始で忙しいですし、お正月でワイワイ親 戚の方々としているとあっという間に時がたってし まい、また寝正月であるともっと早く一月は過ぎて 行くという苦悩をよく詩に込めていると思いました。

  大寒と敵(かたき)のごとく対(むか)ひたり                 (富安風生)  ほんとうに寒いのは私もきらいでいやです。

  大寒と敵のごとく対ひたり (富安風生)  寒さはやっぱり対うものなのだなと共感ができた。 確かに寒さは自分の敵のように思える。しかし、自 分は暑いのがもっと嫌いだ。

  大寒と敵のごとく対ひたり (富安風生)  私は岩手出身ですが、山口と違い、雪の量もぜん ぜん比にならなく、激しい風と共に降る雪に、立ち 向かうように歩く自分や人々を思い出させられた

  大寒と敵のごとく対ひたり (富安風生)  最近も気温が低く、この冬の寒気を恨んでいます。

  大寒と敵のごとく対ひたり (富安風生)  寒い中、寒さと戦う様子が表現されてて、とても 共感できると思った。

  大寒と敵のごとく対ひたり (富安風生)  暑さにはある程度までいったらそれ以上すずしく することができないが、寒さには自分の工夫次第で 温かくすることができる。大寒と戦うように、工夫 しているのを感じました。

  大寒と敵のごとく対ひたり (富安風生)    毎朝やってることです。

  大寒と敵のごとく対ひたり (富安風生)  寒さとの戦いは最近多くなりました。朝、ふとん から出るのが嫌だったり、駅まで自転車で行くとき に冷風と戦ったりと、この詞を作った人と同じ気持 ちがわかる気がしました。  寒さに負けないようにしたいです。

  大寒と敵のごとく対ひたり (富安風生)  冬はとても寒くて私もにがてなのですが逃げるこ とはできないので毎年毎年たたかっているのでとて も共感できました

大寒と敵のごとく対ひたり (富安風生)   1月の寒さに、まるで親の敵を取るかのように  むきあっていく様子が見える

「はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな」(草間時彦)   書いてあることは本当に単純なことなのに、 「おでん」が思いうかんでおもしろいなと思いまし た。おでんが大好物なので、食べたくなりました。

 おでんの俳句は浮くものと沈むものが対比してあっ ておもしろいと思った。

  はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな(草間時彦)  冬のとても寒い日に家の中でこたつを囲んでおで んを食べる家族が思い浮かんだ。とりあいながら、 わいわいと食べているようだった。

  はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな(草間時彦)  この時期のだしがしみているはんぺんと玉子を想 像しておでんが食べたくなりました。

  はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな(草間時彦)     おでんが食べたくなった。

はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな(草間時彦)   今年はおでんを食べていないのでセブンで     買って食べたい.

  はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな(草間時彦)  寒い冬の日に熱々のおでんを楽しむ風景が思いう かぶ。はんぺんと玉子は自分は大好きなので食べた くなった。

  はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな(草間時彦)  おでんを作る料理中の光景が思い浮かびました。  地元ではしょうが醤油でおでんを食べます。  実家に帰って家族とおでんを囲みたくなりました。

  はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな(草間時彦) 「感想」おでんが食べたくなりました.

「はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな」(草間時彦)  個人的に冬はおでんがより美味しく感じて、冬の おでんは好物である。このことから、この排句が目 に止まった。       (編者)「俳句」です。

  金目鯛大き虹彩の目を持てる (山本貞)  金目鯛は新鮮で生きのいい目を持っている。  おいしそうだと思う。

  金目鯛大き虹彩の目を持てる (山本貞) 「感想」金目鯛にこんなに大きくて美しい目があっ たのを知って感激しました。

  金目鯛大き虹彩の目を持てる (山本貞)  金目鯛は深海魚であるため、光をたくさんあつめ ようとして目が大きく発達し、その目は虹彩できれ いに見えるという意味を表している。

  金目鯛大き虹彩の目を持てる (山本貞)  私は釣りが好きですが、金目鯛をまだ釣ったこと がありません。釣り人としては金目鯛はすごくおい しい魚なので名が通っています。そのため、釣るの は釣り人の夢でもあります。  いつかつります。

金目鯛大き虹彩の目を持てる (山本貞)     旬な金目鯛の雄々とした姿がそうぞうでき     かっこいいと思った.

金目鯛大き虹彩の目を持てる (山本貞)   金目鯛は大きな目を持っており、見る時々によ  り反射の仕方がかわってくる.

  金目鯛大き虹彩の目を持てる (山本貞) ・大きな目をもつキンメの目は別に金色でも虹色で もないですが、水々しいさまを表現していると思い ました。

・大寒の吹けばふくほど帆が白し(長谷川双魚)  冬の風は勢いがあり、白い帆を風でなびかせてい る情景が見えました。

  大寒の吹けばふくほど帆が白し(長谷川双魚)  雪がふきあれてあたり一面が白い世界につつまれ ている様子が想像できました。

大寒の吹けばふくほど帆が白し(長谷川双魚)    大寒となると寒さがきびしくなる.それによっ   て降った雪が風によって運ばれ、雪が帆にあた   り、帆を白く染めあげている様子がうかがえる。

「大寒の吹けばふくほど帆が白し」(長谷川双魚)  大寒の寒く冷たい風が吹く日、雪が混じり帆がよ りいっそう白くなる風景が想像できた。

  大寒の吹けばふくほど帆が白し(長谷川双魚)          ヨットを思い出した.       そして、冬の寒さが直ぐ伝わってきた.

陽も沖も一月朝のパン匂ふ (神尾久美子)     一日の始まりで、パンのにおいがしている。

  陽も沖も一月朝のパン匂ふ (神尾久美子) 「感想」情景が浮かび上がってきた.

  陽も沖も一月朝のパン匂ふ (神尾久美子)  まだ寒い朝にこうばしいパンの匂りが体に染みわ たっていくきがした。

  大寒の津々浦々に星の数 (石川万利子)  大寒から真冬が想像され、空気が乾燥し、空がはっ きり綺麗に見えていることで夜空の星がいつもより 綺麗に見えていることに対する感動を詠んでいる。

大寒の津々浦々に星の数 (石川万利子)   寒い冬の星は、夏よりもきれいに見え、吉見は とくに真っ暗なので、星がはえてきれいだと思いま した。

  大寒の津々浦々に星の数 (石川万利子) 感想  冬の澄みわたった夜空に無数の星がある様子を感 じられる。

  大寒の津々浦々に星の数 (石川万利子) [感想]  凍えるほど寒い夜、ふと空を見上げてみると、無 数の星々が照り輝いている美しい情景が思い浮かべ られる詞である。また、この詞は、星々の輝きが海 に反射して、海面の輝く姿を現しているように感じ た。

  大寒の津々浦々に星の数 (石川万利子)  寒いけど空を見上げると津々浦々にきれいな星が ある風景がよくかかれていると思った.

「ぐちぐちと愚痴をこぼしておでん煮え」                (清崎敏郎)  「ぐちぐち」という煮える音と愚痴を「ぐちぐち」 言っているという2つの「ぐちぐち」を意味してい るのかなーと思いました。

ぐちぐちと愚痴をこぼしておでん煮え(清崎敏郎)      もんくをたれながらおいしくあつあつの     おでんを二人でたべている。

  ぐちぐちと愚痴をこぼしておでん煮え                (清崎敏郎)  自分はよく友人にいじられたりするのですが、実 はあまりそれは気分の良いものではありません.友 人にあわなくてもいい正月にセブンイレブンでおで んを買って煮えたアツイおでんを食べたのを思い出 します.

  ぐちぐちと愚痴をこぼしておでん煮え                (清崎敏郎)  鍋を囲みながら愚痴をこぼしておでんを楽しんで いるのが伝わってくる。

  寒鯉はしづかなるかな鰭(ひれ)を垂れ                (星野立子)  私の地元でも、冬になると鯉の煮付けをよく食べ ます。冬の鯉は、脂がのっていて、とても美味しい です.

はんぺん浮き玉子沈めるおでんかな(草間時彦)   自分ははんぺんも玉子も好きです 金目鯛大き虹彩の目を持てる (山本貞)   金目鯛の煮つけはとてもおいしかった。目の部  分のゼラチンは金目鯛特有のものでとてもおいし  かった。

陽も沖も一月朝のパン匂ふ (神尾久美子)   朝に匂うパンの香りはとてもおいしそうだと思  う。 ぽつくりと蒲団に入りて寝たりけり(臼田亜浪)   自分もとてもこの気持ちについては同じだ。し  かし、違うところがあるとするなら、自分は年中  通してこの気持ちです。 ぐちぐちと愚痴をこぼしておでん煮え(清崎敏郎)   いんを踏んでいてとても好きだ。

 感動した

 

  晴れた空粉雪の散る風情かな  晴れた青空に粉雪が舞う様子がとても美しかった。

  起きたくない   起こすは母の電話   強きかな  寒いのでずっと温かい布団の中にいたいと思う最 近の私だが、それでも実家からの母の電話が来ると 起きてしまう。母からの電話は強い。

  につぽんは葉つぱがないと寒いんだ(藤後左右)  葉が枯れてしまって雪が積もっている景色が思い 浮かんだ。冬をシンプルかつ深く表していると思う。

  につぽんは葉つぱがないと寒いんだ(藤後左右)  緑の多い日本に緑(葉っぱ)がないことは寒いだ けだなくさみしい.

  につぽんは葉つぱがないと寒いんだ(藤後左右)  葉が枯れてしまう冬の寒さと葉がついてくる春の 暖かさを感じさせる.

につぽんは葉つぱがないと寒いんだ(藤後左右)   日本は、冬になると木から葉っぱがなくなって  いるから葉っぱがないと寒いのかなと思った。

につぽんは葉つぱがないと寒いんだ(藤後左右)   日本は寒い季節になると葉っぱが落ちることを  何か違うニュアンスで言っているのがおもしろい  と感じました。

  につぽんは葉つぱがないと寒いんだ(藤後左右)  日本といえば緑が多いことである。その緑(葉っ ぱ)がない日本は寒くてさみしい。

「につぽんは葉つぱがないと寒いんだ」(藤後左右)  冬は、葉っぱが枯れて落ちてしまっていることが 良く見られることから、理解しやすい俳句だった。

  につぽんは葉つぱがないと寒いんだ(藤後左右)  この句がおもしろいと思った理由は、日本を「につ ぽん」と書いていたことだ。 あえて平仮名で書く ことで句のリズムが良くなっていると感じられた。

  につぽんは葉つぱがないと寒いんだ(藤後左右)  日本には四季があり、その季節ごとに姿・形・色 が変わる。そんな風景を思い描かせるものだと思っ た。  また、日本くらいしかこういう詩はうまれないだ ろうなと思った。

  につぽんは葉つぱがないと寒いんだ(藤後左右) → 一面の冬景色。一面の白。白一色に染まったこ  の世界にあたたかみを探す。白の他に一色でもあ  ればと願う。  そして見つけた、一枚の葉っぱ。

  につぽんは葉つぱがないと寒いんだ(藤後左右)  例えば写真をとった時に、その写真からは寒さや 暑さは伝わってこない。しかし日本では四季があり、 それに合わせて木たちも姿を変えていく。そのこと をよんだ句である。

につぽんは葉つぱがないと寒いんだ(藤後左右)  日本が山を切り開き、海を埋め立て近代化がすす む際に、自然を大切にしたいという気持ちをよんだ のではないかと思いました。

 寒しの藤後さんの句で、話し言葉で句を読み、ま るで子供がよんだ句のように感じてしまうが、その 分、子供の冬でも元気な姿を思い浮かばせる。

  につぽんは葉つぱがないと寒いんだ(藤後左右)  単純に冬は草木が枯れて厳しくなるという風景が 思いうかべられる排句ですが、どこか子供のような 可愛らしい言葉づかいに魅力を感じました。       (編者)「俳句」です。

「につぽんは葉つぱがないと寒いんだ」(藤後左右)  この句は、確かに季節的な寒さもあるが、心の寒 さも表れている  秋の紅葉から、一気に冬へと移りゆく季節が、な んとなくさみしさを感じさせてしまう

「につぽんは葉つぱがないと寒いんだ」(藤後左右)  冬に葉っぱが全て落ちている様子をおもしろい言 葉で表現しているなと感じました。冬は寒いかつ葉 が全て落ちると別々に考える二つのことを関連づけ ており、おもしろかったです.

「につぽんは葉つぱがないと寒いんだ」(藤後左右)  当たり前のことだけどとても心に来ました。葉っ ぱのない冬は寒いですが、冬にしかないイルミネー ションなどがそんな寒さを心地良いものにしてくれ ているなあと思います。

  につぽんは葉つぱがないと寒いんだ(藤後左右) 〜感想〜  寒さが厳しくなるにつれて、木々が葉を落とし、 その様子が木々が寒そうにしていると思われた。

につぽんは葉つぱがないと寒いんだ(藤後左右)   小さい「っ」を大きい「つ」で書かれており、    面白いと思った。

淋しさをかき集めたる寒さかな (佐々木とほる)   寒いと人肌恋しくなると言われるくらい寒くな  ると淋しくなってしまう。寒いというだけで人間  はストレスを感じてしまうから、冬は相当心身と  もにしんどい時期だと思う。

  淋しさをかき集めたる寒さかな(佐々木とほる)  寒さの厳しさと木の葉も枯れ落ち、何もない風景 が思い浮かぶ句だなと思った。

 「淋しさをかき集めたる寒さかな」を読んで 冬は、寒いこともあいまって淋しいという気持ちが あふれるような気がします。人の温もり、温かいお 鍋が欲しくなる理由はここにあるのではないでしょ うか。

 淋しさをかき集めたる寒さかな(佐々木とほる) 句の感想:冬の寒さは、淋しさをかき集めたものと   いう作者の感性の豊かさを感じさせる一句であ   ると感じた。また、冬の独特の叙情的な雰囲気   を巧みに一句にまとめていて素晴らしい句であ   ると感じた。

  淋しさをかき集めたる寒さかな(佐々木とほる)  淋しいので一人ぼっちの感じがした。一人ぼっち だからよけいに寒さを感じてしまうのだと思った。

  淋しさをかき集めたる寒さかな(佐々木とほる)  一人で孤独な様子が強く感じられた。淋しくて寒 いと孤独死してしまいそうだと思った。

  淋しさをかき集めたる寒さかな(佐々木とほる)  冬の寒さは別かられるイメージしからく淋しさを 思いうかべる.       (編者)一応こう読み取りました。

淋しさをかき集めたる寒さかな(佐々木とほる)   淋しさと寒さはなんとなくリンクしているよう  なイメージがあるが、その漠然としたイメージを  はっきりさせてくれるような句だと思う。

淋しさをかき集めたる寒さかな(佐々木とほる) [感想]   冬の凍てつく寒さを感じさせる詩だ。また、そ  の寒さによって込み上げてくる、淋しさ、孤独感  も伝わってくる詩だ。

  淋しさをかき集めたる寒さかな(佐々木とほる)  冬の季節のなんとなく元気の出ない感じが、しん みりと表現されていて良いと思った。

・淋しさをかき集めたる寒さかな(佐々木とほる) … ものすごく寒いときは確かにとても淋しい気持  ちになるから淋しさをたくさん集めると寒いって  いうのはとてもわかる。

  淋しさをかき集めたる寒さかな(佐々木とほる)  冬の寒さを淋しさと表現していておもしろいと思っ た。

  淋しさをかき集めたる寒さかな(佐々木とほる)  淋しさを寒さのせいにして淋しさを紛らわせてい るように感じた

  淋しさをかき集めたる寒さかな(佐々木とほる)  冬の厳しい寒さと、淋しさが同じくらいにつらく 感じている作者の気持ちが読みとれた.

  淋しさをかき集めたる寒さかな(佐々木とほる)  冬休みも実家に帰省しましたが、別れる時は夏休 みのときの別れよりも淋しさを感じました。寒さと 淋しさには繋がりがあるのだなと思いました。

  オリオンの高さ 被災地のこの広さ(岡崎淳子)  被災地は地震や津波のあとだと思いました。災害 のあとの建物が何も残されていないところでは空も 地面も広く感じられるのだと想像しました。

  オリオンの高さ 被災地のこの広さ(岡崎淳子)  その広景が目に浮かびます。

オリオンの高さ 被災地のこの広さ(岡崎淳子)   広い被災地(建物がなくなって、明かりがなく  なった)によって、オリオンがしっかり見えるよ  うになってしまったことも表現しているのではな  いか

  オリオンの高さ 被災地のこの広さ(岡崎淳子)  地上から星座のオリオンまでの高さが 地震などの 天災による被災地が同じくらいの幅で広がっている ように感じるよう 被害が大きいことを歌っている。

  オリオンの高さ 被災地のこの広さ(岡崎淳子) (時代背景とかそういったものはわからないが、現 在にも通用するものがある。はてしなく広いものの たとえとしてはロマンがありとても良いものだと思 う。)

  オリオンの高さ 被災地のこの広さ(岡崎淳子)  冬 を感じた。

  寒き顔ピエロの顔になるまで塗る(橋本美代子)  最近寒くてなんとなく意味が分かる。

  寒き顔ピエロの顔になるまで塗る(橋本美代子)  寒い日に空にいることで顔がしもやけている.

  寒き顔ピエロの顔になるまで塗る(橋本美代子)  寒さで鼻が赤くなることをピエロで例えていて面 白いと思った。

  寒き顔ピエロの顔になるまで塗る(橋本美代子)  冬の厳しい寒さが人々の顔を赤くしている状況が 想像できる

寒き顔ピエロの顔になるまで塗る(橋本美代子)   寒さで耳や鼻が冷え真っ赤になるのを、さも塗っ ているかのような描写でより一層寒さが伝わる句で した

  寒き顔ピエロの顔になるまで塗る(橋本美代子)  寒い時は鼻が赤くなるからピエロかと思った。

 寒氏の橋本美代子さんが読んだ句 寒くて鼻が赤くなるのをピエロに例えているのがい いと思った。

「寒き顔ピエロの顔になるまで塗る」(橋本美代子)  乾燥した寒い冬に女性が化粧を厚く塗っており、 それをピエロと比喩している。

  寒き顔ピエロの顔になるまで塗る(橋本美代子)  厚化粧をして顔が寒くならないようにしている所 が面白いと思いました。あまり、寒さは変わらない と思いますがその発想に驚きました。

  寒き顔ピエロの顔になるまで塗る(橋本美代子)  寒さで顔が青白くなっている上に、化粧で色を重 ねに重ね、ピエロのように見えるまでになってしま うという、女性ならではの考えがとても面白かった です。

今年また山河凍るを誰も防がず (細谷源二)   山河が凍るのは当たり前のことで誰が何をしよ うとその事実がかわりようのないことをたんたんと 述べていて、自然へのいふが感じられる。

  今年また山河凍るを誰も防がず (細谷源二)  山河を凍らせて誰も通さない自然のせつりがよく わかる。凍った道を通る時は車がすべりそうでこわ い思い出があるので凍った道は通りたくない。

  今年また山河凍るを誰も防がず (細谷源二)  人間の力では何も抗うことのできない大自然の力 が感じられる。

今年また山河凍るを誰も防がず (細谷源二)     防げず ではなく、防がず と書く所に      面白さがある.

  今年また山河凍るを誰も防がず (細谷源二)  山や川が凍る姿はとても幻想的で、凍ることは人 間には止められないという自然の力の壮大さが想像 できます。

  虎河豚のまなこはなれてつぶらなる(林徹)  あの独特の顔は、いかにも間抜けという感じで愛 らしさがあります。

  虎河豚のまなこはなれてつぶらなる(林徹)  陸に上げられてふくらんだフグがフグ自身は怒っ ているのにかわいく見えてしまうのが面白い。

  虎河豚のまなこはなれてつぶらなる(林徹)  フグは一見気持ち悪いように見えるが、よく見る と可愛目をしているなと思いました。

  鮃食ふうらがへしても鮃かな (星野麥丘人)   鮃を魚べているのに裏がえしてもまた鮃が表れ  るのはよくわからない。     (編者)「魚べて」と読み取りました。

  鮃食ふうらがへしても鮃かな (星野麥丘人)     なんかうれしさを感じた.

  鮃食ふうらがへしても鮃かな (星野麥丘人)  鮃を裏返しても白い部分が出てくるだけでカレイ にはならないという句

  冬ざれのくちびるを吸ふ別れかな(日野草城)   キスがしたいです。

  冬ざれや生きて騒げる魚籠(びく)の中                 (鷹羽狩行)  地上に活気の無くなる冬であっても冬眠しない魚 達の生きている力強さが感じられる。

  冬ざれや生きて騒げる魚籠の中 (鷹羽狩行)  冬はイメージとして生物の気配があまりなく静か なものとしてあるその中で魚籠の中では魚が騒いで いるというのが、静かな冬というイメージと正反対 で面白く感じた。

悪女たらむ氷ことごとく割り歩む(山田みづえ)   人より先に氷を割って歩くのが楽しい

  悪女たらむ氷ことごとく割り歩む(山田みづえ)  いばっている女性の印象を氷という季語を用いて 表現しており上手だなと思った。