水大歳時記(平成二十五年度)

  春 の 部

      春、陽春

  四季のうち命はぐくむ季節春

  桜舞い辺りはまるで春爛漫

  舞い踊る風と桜に春薫る

  工学の板書がかすむ春の午後

 

       立春

  立春が過ぎた日から雪が降る

 

    春寒(はるさむ)

  春なれど海風強くてまだ寒し

  白波も春の寒さに鳴き震え

  下関かぜがひどくてまだ寒い

 

    春暁(しゆんげう)

  春の朝暑いか寒いか窓開けて

  あたたまる起きれなくなる春の朝

  春の朝匂う生ゴミ湿った服

 

       春の暮

  春の暮なんだかすこし寂しいな (としを)

  潮だまり魚捕まえ春の暮

 

       春の空

  春の空彼方に響く波の音

 

    朧月(おぼろづき)

  朧月眺め見ながら恋悩む

  朧月リア充眺め「破裂しろ!!」       ※なんて一回も思ったことないです(笑)

 

       春風

  自転車や何度倒れる春風に

  春の風吉母は遠い陸上部

  寂しさと春を感じる海の風

  春風に食後の授業寝むくなる       「眠くなる」です

 

       春一番

  日本海春一番が吹きたるを

 

   春疾風(はるはやて)

  下関桜散りゆく春嵐

  家震らし、春を知らせる夜の風

 

       春雨

  春雨に目覚める朝の冷め々めさ       (編者)「冷め々めさ」と読み取りましたが…?

 

     霞(かすみ)

  目が覚めて外をながめば薄霞

 

     水温(ぬる)む

  水温む潮の臭いは海からか

 

       春の川

  あたたかく雪とけ流れる春の川

 

       春の海

  春の海桜が浮いてさみしいな

  うさぎ跳ねのどかに見える春の海

  感情は引いては寄せる春の海

 

       春休み

  春休み家族に会えるあふれる喜

 

       朝寝

  多忙な日朝寝してすぐ朝起きる

 

       春眠

  春眠は夢なきねむり つれてくる

  ※※※氏よ三十日は春眠か       (編者)先生への呼びかけですか?

 

       春の夢

  咲き落ちる桜のように春の夢

 

     鶯(うぐひす)

  うぐいすののどかな鳴く声ああ無情

 

     燕(つばめ)

  飛び方で天気がわかる燕かな

  燕の巣世界の珍味高価格

 

    桜鯛(さくらだい)

  鯛の色心を躍らす鱗かな

  寿や鯛のお頭でんと置き

 

     鰆(さわら)

  鰆にはみそやしょうゆがよく合うな

 

    白魚(しらうを)

  白魚の目が怖すぎて食べれない

 

     公魚(わかさぎ)

  公魚も餌に釣らるる氷下かな (加藤祐也)       (編者)「わかさぎ」の漢字は魚偏に「若」となって        いました。しかしホームページで使えないので、        「わかさぎ」を表す別の漢字にしましたことをご了        承ください。

  公魚も餌に寄せらる氷下かな (加藤祐也) 

       桜貝

  桜貝海の桜の名を恥じぬ

 

     海胆(うに)

  友達は開くまでは海胆のよう

 

       

桜あそびによめる句   我もまた水面(みなも)に浮かぶ桜なり

  今月の花びら舞い散る桜の木

 

       

  雨あがり雨に濡れてる花模様

  春の花強風吹いてもまだ散らず。

 

     杉の花、花粉症

  マスク着け花粉を防ぐ春の日々

 

       レタス

  レタス裂く音だけ響くさみしいな

 

     蕨(わらび)

  西日背に急いでワラビを探す母

 

      学生生活

  水大の恋の倍率ハーバード (としを)      →季語  →ハード    (訳)水産大学校の恋の倍率はハーバード並の難し さである。       (編者)恋が季語とは猫みたいですね!

 

  海と山囲まれ学ぶ4年間

  二週間そろそろここに慣れてきた

  今月のバイト料金二割増

 

       

    世界の限界について
 世界の限界はあるのかどうか。  この世界にもし限界があるとしたら、  それはどのようなものだろうか。  私は思う。  人は、それぞれが主観という名の、自分だけの世   界をもっている  もし、世界に限界があるとしたら、  それは自分の限界だと思う。  人にとって自分で思考し、空想し、  感じることのできないものは  ないものと同じであって  それこそが世界の果て、  世界の限界であると   私は思う       (編者)哲学的な詩をありがとう。僕もそう思いま         す。

 

      エッセイ

[感想]  文学的な四季と科学的な四季の基準には大きな差 があると感じました。文学では動植物を中心にして 四季を見ているが、科学では、時計や地天、天文等 の地学を中心にしており、私は、文学と科学の間に 大きな文明の差を感じました。文学は原始的もしく は簡単な基準ですが、科学では高度な道具や知識を 必要とし、そのようなことから、先程のようなこと を書きました。       (編者)「地天」とは「地理」?

  立春やまだ肌寒い立春や ◎感想   春になってもまだ全然「寒いなぁ」と思ったか   ら。

  下関新しい今まだ寒い  春、四月になって新しい生活に胸をときめかせて 来てみたが、外はまだ寒く感じて、親や故郷の友達 とも離れて、新しい出会いも未だにないので寂しさ ばかりがきわだって、心も寒く感じている様子。

  ぬばたまのよるぞさびしきふくえなる      てつのみちをばきやうへまゐらむ  [大意]  夜、福江の駅は闇に包まれる。人の姿はいずこか へと消え失せ、辺りにはただ波の磯打つ音がするの みである。プラットホーム上に浮かび上がるのは信 号燈の赤き灯で、それは二本の光りたる鉄路を照ら し続ける。この二本の鉄の路は、京の都まで一本続 きである。だから私は闇夜に光るそれを認める度、 はるか京の都を想うのだ。  林盃癸       文末の3文字がよく読みとれませんでした。ペンネー         ム?

  ひきしおのはまべそしろきながたなる      みをうつしてははなとちるらむ

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)     感想  春の風をまっていたかのように杉花粉がまってい る

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  杉の元気よさを表しているのだろうが、花粉症の 自分にとってはうれしくない。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  自分は今までに花粉になったことがないので花粉 症の人の気持ちがわかりません。       (編者)「花粉」ではなく「花粉症」?

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生) 感想:毎年春になると、杉花粉に悩まされるのでよ くわかります。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  自分が花粉症だからこの気持ちがよくわかる

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  花粉のおかげで毎日、目がかゆいです。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  自分が花粉症なのでこの排句はとてもつらい情景 が浮かびました。  この時期は本当に辛いです。       (編者)「排句」ではなく「俳句」です。

満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)     花粉症はきつい

満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)     花粉症はつらい

満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)   「感想」   私は花粉症なので毎日困っています。とくに杉 花粉は天敵です。

満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  感想   杉花粉という季語が使われていたのでこの句を   選びました。自分も花粉症なのでこの句を読ん   でいてとても共感できました。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  春になって杉花粉が満をきして、飛びたっていく ようすが思いついた。自分も花粉で鼻水が出ると春 がきたなと感じます。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  花粉症はこわいです。山からおりてこなくていい です。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生) 感想…杉花粉は満を持しても降りてきてほしくない。    花粉症はつらい。  先生の滑舌が悪くて何を言っているのか分かりま せん。       (編者)すみません、舌が本当に短くて皆さんにご迷        惑をかけています。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生) 感想)私は花粉症に毎年苦しまされるので、杉花粉 さんには満を持さないでもらいたいと思いました。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  私は今杉花粉アレルギー、つまり花粉症に悩んで いるのでこの俳句を選んだ。作者は、何かいいこと があって満足したいのに杉花粉が飛んで困っている のだろうか。きっと私と同じ花粉症なのだろう。

「満を持しをりたるものに杉花粉」(茨木和生)  出鼻をくじかれることを、別の言葉で言い表した 際にできた俳句のように感じました。これを詠んだ 詩人は、ひどい花粉症なのでしょう(笑)。私もブ タクサという植物が咲き始める季節になると、いつ も花粉症になるので、この詩人の気持ちを理解でき る気がします。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  私は花粉しょうではないので全然へいきです.

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  どういう意味か分からない。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生) 感想:長い間、花粉が散るのを待っている事が想像  できる そして花粉が大量に一せいに飛んでいる  のも想像できる

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  花粉の飛ぶ季節となり、今か今かと待っていた杉 の木たちが杉の木の下を通る人達めがけて杉花粉を まき散らす様子を感じた。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生) 「満を持し」という表現からは、長く厳しい冬を耐 え抜いた杉の木がついに盛んに花粉を飛ばし、子孫 を残そうとしている様子が読み取れる。勿論、杉花 粉に限らず全ての生物は冬が終わり春が訪れること を願っていることは当然である。この俳句の作者は 杉花粉が飛び交う様子から春の訪れを感じ取ったと 考えられる。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生) ・私は花粉症です。特に杉はひのきよりもきついで す。作者は、花粉は杉にとって生命を繋ぐ大切なも のであり、花粉一つ一つが風に吹かれて役目を全う するために勇気をふりしぼって飛んでいるのに対し、 人間はそれを杉花粉と言い、嫌っているのを、哀れ に思っているのだと思います。  この時点で、なぜひのき花粉にしなかったのか、 という疑問が浮かびます。その答えの1つは字余り になるからではないかと考えます。もう一つは杉の 方が規模が大きいからだと思います。自分では作れ ない作品だと感じました。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  きつくて長い冬が終わることを本当はきらいな杉 花粉がくることで知り、残念だけれども喜びの方が まさっているところが皮肉でおもしろい。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  作者は杉花粉を待ちに待っていたようだが、自分 は通年何かしらの花粉症にかかっているみたいなの で共感できない。作者は杉花粉だけにかかっている のかは分からないが、それだけだったら作者がこの 俳句を書いた時の感情とは裏腹に自分はうらやまし く感じる。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生) 感想 この詩は、寒い冬が終わり、もうすぐ暖かい 春が来ることを楽しみにしているが、春のおとずれ る前には、花粉が飛ぶ季節になってしまうという悩 みがあることだと思いました。私は花粉症ではあり ませんが、よくその気持ちが分かりました。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生) 感想  自分も花粉症だから筆者の気持ちがよくわかる。  これからの季節花粉に注意したい。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  張り切っている人が出花をくじかれる姿が浮かん だ。       (編者)「出花」ではなく「出端」です。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  これをよむ限り、今私たちにもある花粉は昔から あるのだと分かった。  花粉は、今も昔も変わらないもの。

  満を持しをりたるものに杉花粉 (茨木和生)  春を感じることができました。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎)  日帰り旅行がしたくなった。

(編者)「日帰りの旅にも春の寒さかな」(大場白水郎)を写し間違えて   日帰りの旅にも春の寒さから 「旅したい気分になった。」

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎)  これは春になると族をしたくなるという気持ちを うたったものであると思われ、自分も族をしたく なった。       (編者)「旅」という字がどうしても「族」に見える         のですが…

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎) 感想 日帰りの旅に寒さがあってこまっている様子

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎) (感想)日帰りで忙しく、春であり暖かく感じると    思い、上着を着ていないと、少し春の寒さを    感じるのではないかと思う。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎) (感想)  朝のあたたかい時間に出発しても、帰ってくる夕  方はまだ寒いという感じがした。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎) (感想)  日帰りで旅をするためには、朝早くに出発する。 帰りは深夜になる。春の早朝、深夜はまだ冬の寒さ が残っている、ということかと思った。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎)  日帰りなのであまり遠くには行っていないと思い ますが、それでも春の寒さを感じ、ちょっと残念だ ろうと思いました。やはり春は暖かいほうがいいだ ろうと思いました。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎) (感)旅のあとのさみしさとかも寒さを表している のかなぁ、深いなぁと感じました。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎)  春はまだ寒く、自分も実家からもどってくるとき はとても寒かった。春はまだ寒い はやくあたたか くなってほしい

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎)  私が日帰りで水大に来たことを思い出したので、 この俳句が気になりました。旅を楽しんでいるとき は春の陽気でポカポカと暖かく、帰るときは旅が終 わってしまうさみしさやどこかはだ寒さを感じるよ うな気がしました。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎) 感想  春になって、暖かくなったとはいっても、日帰り  旅行という短期間の旅から帰った、夕方あるいは  夜は、昼間の暖かさとはうってかわって、まだ冬  の寒さを残しているものだということが感じとれ  た。四月に入って十日か過ぎたが、それでもまだ  寒さを感じている。早く暖かくなってほしい。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎) かんそう  昼は、日ざしがつよいのに、よるはさむくなる。 よく、わかります。 (漫画・アニメ)作品紹介1 彼女の目つきの悪さには困惑です。正義の味方。 出典:『あの娘は都市伝説。』R-18 作者:御免なさい       (編者)周りにシャボン玉の飛んでいる少女のイラス         ト略。目のアップがあり、目つきの悪さが示されて         いる。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎)  日帰りの旅というさびしい気持ちにさらに春の寒 さがしみて、しみじみとした気持ちになった。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎) <感想文>  春になって日が差しているのにまだ寒いのは嫌で す。

日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎)  感想   日帰りでの旅をするにもまだ寒い季節であるこ とが分かる。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎) 感想   友達の家に行って日帰りする時に春らしい寒さ   を感じることがあるということを表現している   と考えられる

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎)  すぐおわるたびであってもわかるくらいさむいん だろうとおもった       (編者)森の中の小屋のイラスト略。雪かリンゴのふ         りしきるなか一人の人物が小屋のドアに向かって         いる。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎) <感想>  日帰りで一人で旅に出る寂しさが春の寒さに表さ れていると思った。  筆者が一人で寂しがっている感想を持った。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎) 感想文 ・日帰りの旅でも春の季節のようなうきうきとした  気分になるが、帰るときには春のときの寒さのよ  うに寂しい気分になるのかなあと思いました。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎)    感想 ・春の日帰りの旅で温泉に入った後の肌寒さをその  まま詠んでいてその気持ちが伝わりやすかった。

 去年度一年間の仕事が終わりゆっくり温泉旅行で も、と思っていたが来年度の仕事や新入社員への対 応、人事異動の緊張などいろいろあり日帰りになっ てしまった。その帰り道、春の寒く冷たく強い向い 風が吹き、気分が悪くなっている。           主人公 独身の男性 40歳代

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎)  季節で言えば春なのに、いつまでも寒い吉見に住 んでいると、季節はずれの洋服を着て、おしゃれを するのを忘れそうです。       (編者)是非おしゃれをして下さい。露のしたたる、         多分バラのイラスト略。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎) ・感想  現代の人々が共感できる句の一つだと思います。 冬の日に旅へ出る際、日帰りという短い期間の中で も、生命の始まりが次々と出てくることがしっかり 感じることができることが感じられました。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎) 感想: ・自分は大型バイクに乗って日帰りツーリングによ  く行っているが,春になったとはいえ、朝夕の気  温の寒さや、路面が凍っているなど、春の寒さを  実感するところが、この排句にとても同感した。  早く暖かくなってほしいという願いがこめられて  いるのではないかと考えた。大場白水郎さんも日  帰りでどこかに行っていたのかな。       (編者)「俳句」です。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎) 〜感想〜  自分を見つめ直すためや、修行するために旅に出  たものの、日帰りのようなすぐ帰ってくる旅では、  全く何も変わっていなかったという解釈をしまし  た。

  日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎) (感想)  日帰りで一日中動いているがまだ寒いってことか な。早く夏になってほしい。

  春の海まつすぐ行けば見える筈(はず)                (大牧広)  春の海がどういうものなのか考えてしまった

  春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広)  海の向こう側から春が近づいていることが分かる。 春が海から来るということは、太平洋に面したどこ かなのかと思った。

  春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広)  始まりの季節である春をうまく表していると思う。 ”春の海”でなくて他の季節でも成り立つが、”春の海』 であることが特に良い印象をあたえている。

「春の海まつすぐ行けば見える筈」(大牧広)  私はこの俳句を読んで、この俳句を書いた人は、 私のように家族と別れて一人で暮らしている人なの かなぁと思いました。家族は海の向こうにいるんだ、 自分は決して一人じゃないんだという自身を勇気づ けながら詠まれているように感じました。

  春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広)  見える筈の筈ということはまだ行ったことない海 へ行く時のドキドキやワクワク、不安が感じられる。 さらに春の海ということは春の海を見る為、春を感 じるために海に行っていると思いました。私が想像 するに、春になるとイカが卵を持って近くまでやっ てきます。大きいイカが釣れたと聞いて、まだ見た ことも、行ったこともない海へ釣りに行く道中だと 考えられます。この詩を見て、私も釣りに行きたく なってきました。

  春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広) ・おそらく作者は海を見たことがなく、海の話を他  人から聞き向かっていると、今までかいだことの  ない香りをかぎ、きっとこれが海の香でまっすぐ  行けば見える筈だと気分が高揚しているように感  じた。

  春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広)  言葉通りに受け取ると、この人が方向音痴に思え てくる。海にたどりつけたのだろうか。

  春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広) ●感想  新しい季節、年度の始まりの春で、まだ右も左も 分からないので、とりあえず、自分の信じる道をまっ すぐ行けば、何かしらの答が見えてくるだろうとい う句。

  春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広)  悩み事や心配事があるときにこの句をよんで自分 がやっていることを信じようと自分自身を勇気づけ ているのだと思う。

  春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広)  春のおだやかな波の海をまっすぐすすめば、何か 新しい世界に行き、目標やゴールが見えるはず。

  春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広)  この句のように何事も前に歩きつづければいつか  は目標・ゴールが見えてくるものだと思った。

  春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広) [感想]寒い冬の中でも前を向いていけばいずれは春   が来るという前向きな詩だと思う。でも最後に   「筈」がついていて例え前向きでも冬を乗りき   れない場合があるようにも感じられた。

  春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広)  春の海は大荒れするものである。大きな波に流さ れず、まっすぐ進めば必ず結果が見えるであろうと 言うことを詠んだ句だと思う。  これは人生にも当てはまることである。

春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広) (感想)春の海すなわち新しい学校や職場、海であ   るからには荒れることもあるだろうが目標に向   かって頑張れ。そういう俳句であると私は思い   ました。

  春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広)  つらいことがあってもとまらず前を向いて進むこ とができればかならず終わりが見え新しい春がおと ずれるということ。だと思いました。

  春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広) [感想]   幼い時に海を目指して散歩していた時のことを   思い出しました。実家から海岸までは1kmも   無いのに幼い頃の私にはとても遠いように感じ   ていました。その時の気持ちとそっくりでなつ   かしく思いました。

父母遙か我もはるかや春の海 (中村苑子)   春の海をみて、作者は遠くに住む両親を想い、   慈しむ様子がうかがえる。   この時の作者の目に入ったのは、晴天で視界が   良かった日なのか、あるいは逆に、雲天で遠く   まで見えなかったからこそかけたのか、私には   読み取る力が汲ばない。しかし,どこか心にグッ   とくるような力を感じる。       (編者)「雲天」は「曇天」? 「及ばない」です。

  父母遙か我もはるかや春の海 (中村苑子)  今一人暮らしている自分と同じような状況であり 共感した。

父母遙か我もはるかや春の海 (中村苑子) →(感想)  ちょっぴりホームシックになった。

父母遙か我もはるかや春の海 (中村苑子) −感想−  この春初めて家を出て一人暮らしを始めたとき、  吉見に広がる広大な海を見て、父や母を恋しく思っ  たときの気持ちと同じような印象の詩でした。さ  みしいだとか恋しいだとかそういう直接的な表現  を使っていませんが「春の海」という単語にそう  いう気持ちがこめられているように感じました。

  父母遙か我もはるかや春の海 (中村苑子)  父も母も遙か遠くに行ってしまって一人であり、 春の海のようにおちつきのない様子であるが、新し く出発していこうという前向きな排句と意味をとっ た。  まさに今、自分も家族の所を離れ生活が始まった ので共感した。       (編者)「俳句」です。

★父母遙か我もはるかや春の海 (中村苑子)  ・この俳句は、「父母遙か」と書いてあるので、   子供である「我」が親元をはなれ、一人立ちし   たところをえがいていると思います。まさに、   今の自分のように思えました。さびしい気持ち   もあるが「春の海」を見て、希望をふくらませ   ている気持ちが読みとれるように思えます。自   分も今、不安だらけですが少しずつ頑張ってい   きたいなと思えました。

父母遙か我もはるかや春の海 (中村苑子)  感想 自分の立場で考えると両親も佐賀でノリ養    殖を頑張っているので僕もこの水大で頑張ろ    うと思った。

  父母遙か我もはるかや春の海 (中村苑子) 感想:水産大学校に入学して、父母と離れ一人暮ら  しを始めるようになり、前は瀬戸内海のそばに住  んでいたが、今は日本海のそばに住むようになり、  春の風で荒れる日本海の姿が思い浮かぶ。

作品「父母遙か我もはるかや春の海」(中村苑子) 感想 私はこの作品を読んで、春という季節は本当   に出会いと別れがあったり、特別な季節なんだ   なと感じました。この山口県下関に来て一週間   過ちましたが、水産大学校は海に面しているの   でよく海をながめたりします。不思議なもので   海をみていると、だんだん切ない気持ちという   か、故郷の事が恋しく感じます。太陽が水平線   に沈む風景をぼーっとながめているだけで、心   が落ち着き、今日という日が終るんだなと、し   みじみと感慨にふけってしまいます。海は、本   当に不思議です。私は九州の熊本から山口にき   ました。距離はそんなに離れているわけではな   いですが、やはり地元にいる親の事を考えます。   海を見て、日が沈むのを見ると、「親も頑張っ   ているんだ、私もまた明日も頑張ろう」と思っ   て頑張れます。海洋文学は難しそうですが、興   味を持って取り組みたいと思います。       (編者)「感想」の4行目冒頭は「経ちまし         た」です。

作品:父母遙か我もはるかや春の海 (中村苑子) 感想 ・この俳句を見て「父母遙か我もはるかや」という ところから、実家から遠くはなれた土地にやって来 た作者の状態を表し、「春の海」というところから 気持ちをあらたにして、新しい環境で海のように広 く羽ばたこうという気持ちが読み取れる。私もこの 水産大学校に来て、目の前に広がる広大な海を見て、 父母と別れて責任をもった自立した大人になり、こ の広い世界で活躍してやると決心しました。その気 持ちがこの俳句に似かよったところがあり、自分だ けではなく新入生全員が今このような気持ちである ものと思うので、この俳句を選びました。

「父母遙か我もはるかや春の海」(中村苑子) 感想  今の自分の状況を表しているな、と思いました。 父母は遠くはなれた大阪にいて、自分は今下関にい ます。私の実家は海の近くにあるわけではないので すが、下関は海の町です。新しい生活を海の近くで 始める人にとっては誰でも共感できると思います。

  父母遙か我もはるかや春の海 (中村苑子)  第一印象は悲しさを感じました。一人息子が父母 に先立たれ一人で暮らしていたが、春になり,自分 もいってしまうの察し、父母に会える期待が感じら れました。

  父母遙か我もはるかや春の海 (中村苑子)  目の前海が自分の故郷にもつながっている一つの 水のかたまりだと思うと妙な気分になる.

  父母遙か我もはるかや春の海 (中村苑子)  『はる』という言葉が3つも入ってて、すごいと 思った。

  父母遙か我もはるかや春の海 (中村苑子) 感想:「遙か」と「はるか」と「春」が掛詞になっ  ていてすばらしいと思った。自分でもこのような 作品を考えてみたい。

  父母遙か我もはるかや春の海 (中村苑子)  家族とは離れ、別の地方で暮らすこととなった 「別れ」を象徴していて、「春は別れの季節」であ ることをしみじみと感じました。  また、俳句の中に「はる」を三度も使っているの が、技術も感じました。

(編者)「父母遙か我もはるかや春の海」(中村苑子)を写し間違えて   父母遙か我もはるやか春の海 (感想)  両親から遠く離れた地へ作者はいると思われ、 「我もはるやか」というところから遙か離れた所、 春の両方の言葉を詩の中でかけているのではと思わ れ、今の自分のこの春からの生活と相通じるところ に共感を得た。

ふらここのきこりきこりときんぽうげ (鈴木詮子)        きんぽうげになりたくなった。

ふらここのきこりきこりときんぽうげ (鈴木詮子)   感想     いみが分からななくておもしろかった.

  ふらここのきこりきこりときんぽうげ                (鈴木詮子)     いいね!

  ふらここのきこりきこりときんぽうげ                (鈴木詮子) ・きんぽうげに興味をもちました。

ふらここのきこりきこりときんぽうげ(鈴木詮子)   ぶらんこが春の言葉なのは不思議に思った。     リズムがいい!!

  ふらここのきこりきこりときんぽうげ                (鈴木詮子) 「きこりきこり」とか、「きんぽうげ」は意味はわ からないけど、何かすごく温かい言葉で、全体的に 穏やかで良いなと思った。

ふらここのきこりきこりときんぽうげ (鈴木詮子)      ひらがながよい

  ふらここのきこりきこりときんぽうげ                (鈴木詮子) (感想)  すべて平仮名で詠みにくいが、一度通して読むと リズムができ楽しげな場面が想像でき、良いと思い ます。

作品:ぶらんこ 感想:平仮名だけで、最初どこで区切ればいいのか    分からなかった。ところで、「きんぽうげ」    とは何なのだろうか。後で調べようと思う。       (編者)きんぽうげは晩春から初夏にかけて黄色い花         を咲かせる植物です。

  ふらここのきこりきこりときんぽうげ                (鈴木詮子)  全て平仮名なので読みにくい。  ぶらんこが風で音だしながら揺れている場面うか んだ。

  ふらここのきこりきこりときんぽうげ                (鈴木詮子)  ぶらんこがどういう理由で春の季語なのかも分か らないし、題名を見ずに俳句だけを見たら何をうたっ ているのかもわからなかった。

◎ふらここのきこりきこりときんぽうげ(鈴木詮子) ・感想…きっときんぽうげという少年がブランコで    一人さびしくキーコキーコと目に涙を浮かべ    ながらこいでいるのだろうと私は思いました。    とってもさびしい感じの詩だなと思い、自分    の小中学時代を思い出してくれる作品でした。    読んでて悲しくなりました。

  半眼に見すかす春のまだ寒き (中川宋淵)  寝起きでまだ目が半分しか開いてなくて朝の寒さ を感じていると読みとり、まさに今もそんな季節な のですごく共感できました。

  半眼に見すかす春のまだ寒き (中川宋淵)  春になった今でも朝になると寒いってなる。

  半眼に見すかす春のまだ寒き (中川宋淵)  まさに今のような季節の歌だと思いました。

  半眼に見すかす春のまだ寒き (中川宋淵)  春になってもまだ寒さは残っているという様子が 表されている。

半眼に見すかす春のまだ寒き (中川宋淵)  感想 そろそろ訪れるであろう春への期待と現在    の寒い現実が上手く表現されていると思いま    した。

  半眼に見すかす春のまだ寒き (中川宋淵)  春なのに半目で見てもまだ白い雪がみえている。

  半眼に見すかす春のまだ寒き (中川宋淵)  この作品は、春、朝日によっておきつつある作者 が寝ぼけつつも半目を開けてみると日はあたってい るのにまだ寒いのでまだ冬だなと感じている俳句だ と思います。

  半眼に見すかす春のまだ寒き (中川宋淵) <感想>春のまだ少し冷える朝に布団から出られず、   半眼でねむそうにしている情景が浮かんでくる   俳句だと思いました。

  半眼に見すかす春のまだ寒き (中川宋淵)  新しいことの始まりである春に早起きをして何か しようとするも、朝はまだ寒くふとんからなかなか 出れずにいて、明日からにしようと二度寝をしてし まうことを詠んだものだと思いました。

  半眼に見すかす春のまだ寒き (中川宋淵) −感想文−  下関に来る時に、もうあたたかくなっているだろ うと思い、薄手の洋服しか持ってきませんでした。 しかし、まだ下関はとても寒いのでこの排句の「ま だ寒き」だと思いました。

  半眼に見すかす春のまだ寒き (中川宋淵)  作者は目の前のまだ完全に春にはなっていない光 景を目にして寒さを感じている。自分は寒さは肌で 感じるものだと思っていたが、こういう見方もある と知ることができた。

  半眼に見すかす春のまだ寒き (中川宋淵) −感想−  まだ冬眠から起きたばかりの動物たちは、起きた ばかりの半眼なんでまだ寒さを少しかんじている.

  半眼に見すかす春のまだ寒き (中川宋淵) <感想>  春という季節は、全ての生き物が死に絶えた瞬間 に始まる季節だから、悲しく、とても寒い季節だと 思った。その悲しく、寒い季節はもうだいぶ終わり に近づいたけれども、まだ完全には終っていない。 だけど、もう少しで終るんだという希望を持った俳 句だと思った。 質問   イギリスの命令で海賊たちが船を襲撃していたな  ら、なぜイギリスは海賊を処刑したのか。       (編者)旧暦の考え方についての説明をよく聞いてく          れてありがとう。ドレークについては処刑どころ          か、後に貴族に列せられています。処刑されたの          はドイツの海賊で、終戦後、海賊行為が禁止され          たにもかかわらずやめなかったために罰せられま          した。

  右かれひ左ひらめの余寒かな (草間時彦)  右と左、かれいとひらめそれぞれ対称されていて よかった。

右かれひ左ひらめの余寒かな (草間時彦)    感想  左ひらめの右かれいという言葉があるように、そ  れが詩にも使われていて理解しやすい俳句である  と思った。魚の旬によって季節の変わり目を表現  してるようにも見える。

  右かれひ左ひらめの余寒かな (草間時彦) <感想>  カレイとヒラメの見分け方がわかるいい句だった。

 草間時彦の俳句によって、今までよくわからなか ったカレイとヒラメの見分け方がわかるようになっ た。

選んだ俳句「右かれひ左ひらめの余寒かな」                 (草間時彦)  俳句の紙が配布されたとき、この俳句は何をよみ たいのかが全く分からなかったが、先生の解説でか れいとひらめの見分け方を初めて知り勉強になりま した。

  右かれひ左ひらめの余寒かな (草間時彦) (感想)  生活の中で思ったことがそのまま句になっている  と思った。かざることもなく、日常で感じたこと  を書いているところがとても気に入った。

  右かれひ左ひらめの余寒かな (草間時彦)  僕は、余寒と予感をかけているのかなと思った。

  右かれひ左ひらめの余寒かな (草間時彦) (感)「余寒」と「予感」をうまくかけられている  と思われた。寒い中、ひらめか、かいれかを求め  てつりをしている様子がうかんだ。

  右かれひ左ひらめの余寒かな (草間時彦) (感想)  寒くなるとひらめの旬が近くなる。ひらめとかれ  いの見分けについての予感と寒さの残り余寒がか  けてあると思う。  毎年この句を読む時が来る感じがする。

  右かれひ左ひらめの余寒かな (草間時彦)  自分はよく魚釣りをするのでこれがすぐ目に入っ た。寒い中じっと魚信を待つ姿が見える。

  右かれひ左ひらめの余寒かな (草間時彦) すごくテンポが好きな俳句だと思いました。立春後 もなお感じられる寒さが「右かれい」と「左ひらめ」 を使って、よく表されていると思いました。

  右かれひ左ひらめの余寒かな (草間時彦)  かれいとひらめを比べるところにユーモアを感じ ます.

右かれひ左ひらめの余寒かな (草間時彦)  なぜかひらめの白身を思い出し、食べたくなった。

  春宵や卵抱きし十姉妹(じゆうしまつ)                (水谷砕壺) 感想:春がきて、鳥が卵を生み、あたためて雛にか  えそうと卵を温めている感じが良く思い浮かぶよ  うな作品でした。

・春のまだうすら寒い感じや、鳥が卵を温めるとい う春の暖かい表現を感じとることができる作品だと 思います。   (春宵や卵抱きし十姉妹)

  春宵や卵抱きし十姉妹 (水谷砕壺)  春の夕方に大切そうに卵を抱える十姉妹のつがい 達の様子がとてもかわいらしくイメージできる。う まれてくるわが子はどんな子なのだろうか、という 仲が良い夫婦の様子。

  鞦韆(しゆうせん)の少女さらはれそうにこぐ                (鍵和田ゆう子) ・子どもがぶらんこで遊んでいる日常の光景をぶら んこに少女が遊ばれているように表現し、ぶらんこ を鞦韆と言い換えることで非日常的な危険な感じが する。

  鞦韆の少女さらはれそうにこぐ(鍵和田ゆう子) 感想 鞦韆さんの娘さんを助けたいと思った。

 余寒 右かれひ左ひらめの余寒かな (感)かれひと冬が寒いというつながりをもってい   ると思う。ひらめとのつながりはよくわからな   い。 春寒 (感)これはまだ冬がきていることを示すと思う 春の海 冬にがんばったものだけが春をむかえるこ   とができること 花粉飛ぶ(感)やっと春がきたのに花粉もきたとい   うこと ぶらんこ    キンポウゲとは何なのか?

感想(茨木和生)  この人物の人の作品は花粉という季語を使ってい て春の季節をおもいうかばせてくれる 中川宋淵  この人はまだ春がさむいといっていて冬があけて まもない春を表している。

・日帰りの旅にも春の寒さかな (大場白水郎) …自分はこの俳句を読んで、旅のさびしさと春の寒 さがうまく掛けてあると思いました。心情の寒さ (きびしさ)と、気候的な寒さが、とてもうまいと 思いました ・春の海まつすぐ行けば見える筈(はず) …自分はこの俳句を読んで、海は、まっすぐに見え るのに、この句では疑問の形をしているのは、春は 将来を表して、海をあえて春の海として、将来何が あるか分からないというのを、この句は表している のだと思います。 ・ふらここのきこりきこりときんぽうげ …この句の「ふら」は「ぶらんこ」だと思うけど、 きんぽうげというのはわからなかったのですが、 「海洋文学」なので「きんぽうげ」というのは、海 洋的な感じかなと思いました。これから勉強して、 句の解釈を勉強したいです。 ・父母遙か我もはるかや春の海 (中村苑子) …父母の遥かさと、自分も春の海のようにはるかに なりたいというのがこの句から伝わりました。春の 海がはるかというのが、何となく伝わってきました。       (編者)「きんぽうげ」は植物で、残念ながら水産と         は関係ありません.。

(草間時彦)どこへ行っても寒さを感じている (大場白水)春になって暖かくなっても帰るころに   はまだ寒さが残っている (中川宋淵)春の朝はまだ寒いということだと思い   ます. (水谷砕壺)春になり鳥が卵を暖めている様子を感   じた (中村苑子)両親と自分が海を越えて離れるという   ことだと思います (大牧広)海をまっすぐ行けば、どこかに必ずたど   り着くということだと思います。 (茨木和生)十分に準備したのに花粉にやられてし   まったこと (鍵和田ゆう子)少女がさらわれそうになって助け   を求めている。 (鈴木詮子)ぶらんこをこいでいる様子 (宮崎一三)鞦韆から一瞬、海を感じたということ   だと思いました。

  春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広) 感想:春夏秋冬の中で春にたいする待ち遠しさを感 じました。 そして作者が春の海が好きなのだと思いました。   ふらここのきこりきこりときんぽうげ                (鈴木詮子) 感想:酒を飲んでいたんだと思います。

感想 ・『春寒』    旅がはかないものだと思われる、なんか切な    さを感じる。 ・『春の海まっすぐ〜筈』    春の寒い時期の海をただひたすら進むのはつ    らいけれど、ずっと進めばなにかみえるのか    と思う.

ふらここのきこりきこりときんぽうげ (鈴木詮子) 他の俳句は少し意味が理解できたのですが、この俳 句だけ全く理解できませんでした。  自分がお気に入りの俳句は、   春の海まつすぐ行けば見える筈 (大牧広) です。

 

  しまかぜの うちふくはまの こづくなる      ななつまがりも やすくなりきぬ  早鞆の教習所に通い始め、路上教習に出たとき、 七曲りをものの数秒で超えてしまう様子に一種の拍 子抜けさえ感じる。

 首にささってしまったのに無事であることが不思 義と疑問に思いました。  海上であるため雑菌が浸入して膿んでしまったり、 熱が出たりして傷が悪化する可能性が高いので、私 は上記のようなことを考えました。私としては、 「あまりに現実的であると、小説の世界観をだいな しにしてしまう」ため書かなかったのかと考えまし た。       (編者)「不思議」です。ポーの『ピムの物語』につ         いての感想ありがとう。

・先々週の土曜日に感じたこと   雨降れば列車が運休山陰線

  花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子) (感想)花びらのごとくという部分に春らしさを感   じた。

  花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)  春というよりは夏に近づいているように感じる

花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)  (感想)    春衣はとてもきれいそうだ。

花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子) <感想>   花びらがきれいに散る場面を想像させられる俳  句だった。

  花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)  春の暖かさがよくでてる

花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)   暖かく美しい例えだと感じた。   人も植物も春を待つものは多いと思った。

  花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)  春の終わりを花びらで例えている? と考えると例えが美しいと思った。

  花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)  春衣がそんなにもきれいに脱げたのかと思った。

春衣  桜などは春に花をさかせ、すぐにちる。つまり、   木のまとうものが日々かわっていくことをよん    でいると思う。

  花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)  春になり次第に暖かくなり、薄着になってゆく様 を花びらが散ってゆく景色にたとえている。

花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)   だんだん暖かくなるにつれて冬の寒さに耐える  ため着ていた衣服を脱いでいくことを春になり花  のつぼみが開き花が咲くことにたとえて詠まれた  歌だと思う

選んだ詩 ・花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子) 感想  今年の春は、とても短く、春物の服を出してみた はいいが、すぐに片付けなくてはならない事を、き れいに咲いてもすぐに散ってしまう桜の花びらにた とえているのだと感じた。

・花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)  桜の花は散っても寒いときは厚着するな、と思っ たが、もう少し長い目でみれば確かに詩のとおりだ なと、思った。        −・−・−・−・−・−・−・−・  先生、滑舌悪くて聞きとりづらいです       (編者)せっかく聴いているのに聞きとりづらくてす         みません。生まれつき舌が短くてどうしようもない部         分もあるのですが、できるだけ聞きとりやすくなるよ         うがんばります。

  花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)  春になって、あたたかくなって花びらが散るよう に、人も服を一枚ぬいで、適した服装になる

花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)  花びらはいずれ散ってしまうのではかないと思い   ました。  それと字余りで読みづらかったです(笑)

花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)   冬がすぎて暖かくなってきて冬服から春衣へと  脱いで変わっていく様子が桜の花びらが散ってい  くように見えたと思う。

  花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子) (感想)山口は桜の花が咲くのも早いし散るのも早   いなと思った

  花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子) ・感想    桜など、春のおとずれとともに咲いた花が、   時がたち、季節が夏に近づくにつれちっていっ   て、除々に、「花びら」と言う名の衣を脱いで   緑に染まっていく感じがした。       (編者)「徐々に」です。

  花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)  花びらが散るように、季節が変わるごとに衣替え をする様子がよくわかる。

  花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子) (感想)   最近やっと少し暖かくなり始めて    少しうすぎを着れるようになったと思います。

  花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)  季節とともに着ている服がかわっていくのはまさ に花にそっくりだと思った

花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)  ・春から夏への季節の変わり目を感じる

  花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)  花びらが散っていくように花が終わると衣替えを する様子がうかぶ。

  花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)  春の陽気となり様々な草花が開花し始めた。  気温も上昇し花びらのごとく上着を脱ぐ様子だと 思われる。  また春衣は花びらのように薄く軽いということも 想像させる。

  春衣    感想  脱がれしという擬人法を使っている。  春の終わりを感じさせる詞だと思った。

「花びらのごとく脱がれし春衣」(谷口ふみ子) ・この俳句からは、冬という厚着の季節が終わっ 春になった、という季節の移り変わりを衣に置き 換えていることが表現の素晴らしさだと思った。

  花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)  春から夏へと変わるときの、衣変えをうまいこと えがいているなと思った。       (編者)「衣替え」か「衣更え」です。

  花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子)  春も終わりを向かえ、花が花びらを脱ぐように、 人々の服もうす着になっていくことに重ねた、季節 の変化を身近に感じさせるおもしろい詩だと思った。

  手を拍(う)つて小鮒(ぶな)追ひ込む春の暮                 (大串章)  春になり小鮒も出てきて川に入るのも寒くなくて 楽しげなようすだと思った

(句)手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章) (感想)昔の漁を想像できるようだったので、               気に入りました。

手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章)   自分はこのようなことはしたことはありません  が、昔はよくあったのかと思いました。

  手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章)    ◎美しい自然が頭の中にうかんでくる

手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章)   手をたたいて、鮒をおい込むようすが思いうか  び、春のようきを思い出した       (編者)一応「ようき」と読み取りました…

  手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章)  春の出来事がうまく表現されていて、よかった。 共感できることがいくつかあってよかった.

手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章)   春の暮れの川辺の景色は好きだ.

  手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章)       とても趣深いと思った。

  手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章)  幼いころに川に入って小鮒を追いかけていたのを 思い出しました。  水大生ならではという感じがしたので選びました。

  手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章)     よく意味が分からない.

手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章)    川で子どもたちが手で水をたたいて魚を追い   込んでいる様子がうかんでくる。

手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章)  日くれくらいの時に用水路でフナをおっているの   がおもいうかんだ       (編者)「日」後の2文字が読み取れません。「日く         れ」としときました。広い田んぼの真ん中を貫く用水         路の中を手を叩きながらこちらに向かってくる人と、         用水路の背後の大きな半円(夕日?)のイラスト略。

  手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章) 「手を拍つて」がとてもリズムよく忙しそう。

  手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章)  この俳句は情景がすぐに浮かびます。田舎の田園 風景が浮かんできます。たぶんこれは小鮒の漁をし ているのでしょう。手で音をたて驚かしてから1点 に集めて網でつかまえるのだと考察します。  春は小川でも鮒をよく見かけます。 「春の暮」というところがリアルな感じを引き立た せていると思います。「春の朝」や「春の昼」では あまり情景が浮かんできません。  この句は景色が浮かぶいい句であると思います。

手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章)   先日、近くの川に魚をとりに行ったときのこと  を思い出した。春らしい感じがする。

「手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮」(大串章) (感想)  手を拍って小鮒を追い込むという、春の躍動感に あふれている。温かくなり、人や動植物が活気に満 ちている様子が想像できる。

  手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章)  この句は非常に分かり易く、イメージし易かった です。小鮒という春の季語が入っていてより流れが あって良かったと思います。

選んだ句   手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章) 感想 暖かくなって小鮒をつかまえる風景が想像で    きた。

  手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章)  今の時期を的確に表していると思いました。「小 鮒」という語が春に産まれたばかりというイメージ がしました。  暮の時間帯というのも寒い冬や秋にはできないの だろうと思いました。

  手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章) (感想)  魚の名前が入っていたので選びました。  この詞は、なんだか子供の頃を思い出させるよう な子供心の込もっている詞だと感じました。

  手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章) (感想)  この詩を選んだ理由は、全ての詩が読んで一番早 く詩の情景が浮かんだからです。夕方にお母さんが 川で手をたたいて子どもの方へ小鮒を泳がせ捕えさ せるという情景が浮かびました。

(選んだ作品)   手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮 (大串章) (感想)  小鮒といえば、「ふるさと」という曲に出てくる 魚です。昔、よく川で遊んでいましたが、魚が泳い でいるのですが、魚は音とかに本当に敏感で、捕ま えるのが大変でした。わなを作って、そこに小鮒を 追い込む人々の様子がこの俳句を読んで、想像する ことができました。「手を拍って」の部分に、生命 のいぶきというか、力強さを感じます。春という季 節を感じます。

  春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉)  山の薄霞が春のおとずれを書いている。

  春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉)  薄く霞んでいる山というのが私の中ではとても季 節感のある風景に感じられた。  名もなき山としたのが、どこでも見れる景色だが、 見方によれば風流にも見えるというように思う。

春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉)  感想   春に名前も分からない山に薄霞がかかっている  様子が分かる。

  春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉)  名もなき山ってとこが良いと思った.

  春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉)  春の山には    きりでかすんでいる様子がわかる.

春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉)   春になって名もついていないような山に    うっすらと霞がかかってきているのが     想像できる

  春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉)  春になって周囲を見るとあちこちの名前を知らな いような山にも薄霞がかかっていて春の訪れを感じ させる

  春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉) 「春」、「山」、「霞」という言葉を用い、薄霞が さくらだと暗示しているように思えた。

  春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉)  私がこの詩を選んだのは、この詩のような出来事 があったからです。私の出身地は福岡県の北九州市 なのですが、春になると、自宅から見える山に薄い 霞がかかります。それを見ると、「ああ春になった なぁ。」と思っていました。

春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉)   感想  ・山に名前がない(名前も知らないような山)が   題材として使われている所がなかなか趣があっ   ていいなと思いました。

春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉)   名もしられていない山に霞がかかるというあた  りまえだが春らしい.

  春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉) 〜感想〜  春がくれば、名もない山にも薄い霞がかかり、春 を知らせている感じを思い浮かばせる作品だと思っ た。

春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉)   早く春らしい暖かさになってほしい。   花見がしたいです。

  春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉)  山にはまだ桜など春の色が薄く、すごく春が待ち 遠しい、という芭蕉の気持ちが伝わってきました。 私は毎年気付いたら桜がもう葉桜になっていること 多く、春の山を満喫できていないので、春が待ち遠 しいという気持ちをうらやましく思いました。

  春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉)  名は知られていない山ということは小さな山で、 霞が山は小さいながらも美しく見えていることに、 山が自己を主張し、懸命に生きている様子がすがす がしい。

  くちづけの動かぬ男女おぼろ月 (友次郎)  作者の想いに共感できる部分があります。良い句 だと考えます。

  くちづけの動かぬ男女おぼろ月 (友次郎)  だきあってキスしたまま動かない男女の姿が思い 浮かぶ。

くちづけの動かぬ男女おぼろ月 (友次郎)   春になり、カップルがキスして動かないシーン  が思いうかんで、少しうつになった

くちづけの動かぬ男女おぼろ月 (友次郎)  ・いいなぁと思った。春だなあと思った。

  くちづけの動かぬ男女おぼろ月 (友次郎)     情熱的だなと思った。

  くちづけの動かぬ男女おぼろ月 (友次郎)  お互いに思いやっている様子であると思う。

  くちづけの動かぬ男女おぼろ月 (友次郎) 「くちづけ」という男女の愛情表現について「おぼ ろ月」と表現することによってあいまいなニュアン スが生まれ、かなわぬ恋を表現しているように読み 取ることができる。

  くちづけの動かぬ男女おぼろ月 (友次郎) 〜自分の解釈〜  「一度つき合い、周りがこの男女は別れることは  ないであろうと思っているが、この先のことはだ  れも予想できず、ぼんやりとしているという解釈  をしました。

  くちづけの動かぬ男女おぼろ月 (友次郎)  若い男女がくちづけをしようとするがはずかしがっ ているようす。

  くちづけの動かぬ男女おぼろ月 (友次郎)  くちづけをかわしたいと思いつつもはずかしがっ てできない男女の空気間をおぼろ月とうまくかけあ わせてあってすばらしい。

  くちづけの動かぬ男女おぼろ月 (友次郎) 感想  この詩は朧月を使うことによってとてもロマンチッ クになっている。よくできているなと思った。  また、朧月をあえて、おぼろ月と書くなどとても 工夫されているなと思った。

 今回の俳句の中では圧倒的に友次郎の俳句が印象 に残った。友次郎の俳句だけ明らかに男女のことに ついて歌っていることがわかる。

  くちづけの動かぬ男女おぼろ月 (友次郎)  くちづけの動かぬ男女まではわかりますが、おぼ  ろ月とはどういう関係があるのですか?

  くちづけの動かぬ男女おぼろ月 (友次郎)  男女二人がおぼろ月の夜抱擁しながらくちづけを している姿が想像でき少し官能的な句になっている と思った。

遊び子のこゑの漣(さざなみ)はるのくれ(林翔)    昔海でよく遊んだのを思い出した。

  遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔) 「ゑ」を使ってるとこがいい.

 遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔) 感想   にぎやかな声がきこえてきそうです. 作品紹介   東方project    みこさん 弾幕シューティングゲームです。 画風が、ゲームごとに違うのが特徴。 出典:上海アリス幻樂団      東方project 製作者:   ZUN       (編者)刺繍を施した大きなリボンを頭の後ろにつ         け、左右をおさげにして刺繍のあるバンドで留め、襟         の大きなコートかマントのようなものを着た目の大き         な少女のイラスト略。

 遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔)   こゑの漣という表現が良いと思った。

遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔)   夕方、子供の遊んでいる声が聞こえては消えを  くり返している。   気付けば夕方が長くなっている。    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−  今では、子供の声ではなく自動車やバイクのエン ジン音が漣のように聞こえるようになってしまった。

  遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔) 感想:公園で遊んでいる小さい子供たち声がまるで   漣のように聞こえている。    太陽は暮れかかっており綺麗な夕日を背景に   春の暮れが訪れている。というような想像がで   きた。       (編者)「子供たち声」は「子どもたちの声」?

  遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔)  春になって気温が上がってきて外で遊ぶ子供たち がどんどん増えている。その子たちの声がさざなみ のようになっていると表現していて、楽しそうに遊 んでいる子供たちが頭にうかんでくる。

  遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔) 小ちゃいときブランコでよく   遊んだということを     思い出して       温かい気持ちになりました。       (編者)「ブランコ」と題された、急速度で前後に人         の揺れているブランコのイラスト略。

  遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔)  複数の子どもが春の海辺で夕方になるまで遊んで いる風景が浮かびました。

  遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔)  無数の波がおしよせてきたらあたたかくおだやか な春が終わりあつく大変な夏がくるということ。

  遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔)  春になる日が長くなるから日がくれるまで子供が 遊んでいるのだろうと思いました。       (編者)「春になる」は「春になると」?

  遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔) 自分が遊んでいた頃は、なんとも思っていませんで したが夕暮時に子どもの遊ぶ声を聞くとなんだか懐 かしいような、やがて夜が来てしまうさみしさのよ うなものから趣?を感じました。

遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔)  春の暮である時間帯に遊んでいる子供たちの遊び 声や笑い声などが波のさざなみのように近づいては 遠ざかるような様子を感じました。

「遊び子のこゑの漣はるのくれ」(林翔)   春が終わるというのに、外で遊んでいる子供達  は未だ元気に遊んでいる様子。子供にとって季節  は遊ぶ時には関係がないのだなあ。

  猫の恋やむ時閨(ねや)の朧月 (芭蕉)       「いいね!!」

  猫の恋やむ時閨の朧月 (芭蕉)     猫が好きです。

「猫の恋やむ時閨(ねや)の朧月」(芭蕉)を書き間違えて   猫の変やむ時閨の朧月     ねこが好きだから.

  猫の恋やむ時閨の朧月 (芭蕉)  人をだいざいにしないで猫をつかっているところ がいいと思った。  最初はねやにいる人のことを語ってると思ったけ ど悪魔で猫を主役としていた       (編者)「あくまで」を漢字で書くのにはびっくりで         す。

  猫の恋やむ時閨の朧月 (芭蕉)  寝室で猫が寄りそっていたのに雌猫が朧月に魅了 されて雄猫のもとを離れて朧月に向かって行くくら いに朧月が美しいんだなと思った。

  猫の恋やむ時閨の朧月 (芭蕉)  猫が交際している後、終わった時間帯に寝室に月 の光がさしこんで、月が見える光景がうすうすしく も美しいのだと思う

  猫の恋やむ時閨の朧月 (芭蕉)  私は猫好きなのでこの俳句を選んだ。  朧月は秋のイメージがある。たぶん猫は春のとき が恋愛が多くて、秋には恋愛が少ないだろう。

  猫の恋やむ時閨の朧月 (芭蕉) 感想・松尾芭蕉が猫好きであることがよくわかるよ   うな気がした.猫が好む寝所にいる猫を見てい   る芭蕉が想像できるイメージしやすいものだと   感じた

  猫の恋やむ時閨の朧月 (芭蕉) 感想 ・実家で猫を3匹飼っていたが、春の夜になると寝  ずに夜遅くまで鳴いていたり、走りまわっていた  のがとても懐かしいと感じた。       (編者)下線部はイタリック体で代用しました。

  東風寒く皮はぎ皮をはがれけり (真砂女)  東風と皮はぎの関係がよく分からないんですが、 皮はぎという美味しい魚の皮をムキムキとはがすと ころが大好きなので気に入りました。

東風寒く皮はぎ皮をはがれけり (真砂女)  昨日は暖かったけど、   今日は雨で寒かったです。

  東風寒く皮はぎ皮をはがれけり (真砂女) 感想:真砂女がなんて読むのかわかりません。       (編者)「まさじょ」です。これからも紹介すると思         います。

東風寒く皮はぎ皮をはがれけり (真砂女) 感想   東風で、人間だけではなくカワハギも寒さを感  じていることを表現していると思った。

  東風寒く皮はぎ皮をはがれけり (真砂女)  皮はぎは2回だけ釣ったことがある。ただ、皮は ぎ狙いで釣りをしたことはないのでしてみたい。

東風寒く皮はぎ皮をはがれけり (真砂女)    皮はぎはおいしいらしい    一度食べてみたい

東風寒く皮はぎ皮をはがれけり (真砂女)   カワハギはうまいよね。刺身は絶品。腹へって  きた。

  東風寒く皮はぎ皮をはがれけり (真砂女)  東風とは限らないが、ここ水産大学校に来て、ほ ぼ毎日冷たい強風に当たっているので、自分は、皮 (服)を通り抜けてくる風を防ごうといつも厚着を している。作者は、簿着で東風が止んでくれること を願っているのだと自分は思う。  また、冷たい東風によって自分の感情がむき出し にされたようにも思えた。       (編者)「簿着」ではなく「薄着」です。

東風寒く皮はぎ皮をはがれけり (真砂女)  東風が寒く感じられる中   釣ってきな皮はぎの皮をはがし    料理して食べようとしている.       (編者)「釣ってきな」は「釣ってきた」?

(本)東風寒く皮はぎ皮をはがれけり (真砂女) (感)風が寒いのになぜ皮をはぐのだろうと思った    普通なら寒いのだから皮を着るのではないだ    ろうかと思った

  東風の船汽笛真白くふきやめず (誓子)  東風がふき汽笛の音が鳴り続いている様子

  東風の船汽笛真白くふきやめず (誓子)  冬の海の寒さが伝わってきます

  東風の船汽笛真白くふきやめず (誓子) (感想)   白い汽笛が東風に乗ってふいている様子が、こ  れから始まる希望に満ちた航海を暗示しているよ  うに感じました。

★ 東風の船汽笛真白くふきやめず (誓子)  これは別れの歌だと感じた。「汽笛真白くふきや めず」という所で、船に乗って旅立つ人が離れていっ ており、東風によって煙が見送りの人の方に吹き、 いつまでもその人のことを忘れられないと感じてい るのだと思う。いつまでも悲しく、むなしく汽笛の 音が響いているのであろうなという情景が浮かんで きた。

東風の船汽笛真白くふきやめず (誓子)   <感想>東風が吹いたことで春の訪れを感じそ     れを知らせるためのサインとして汽笛を鳴     らし白い煙をいつまでもふきやめなかった     のだと思います。

  東風の船汽笛真白くふきやめず (誓子)  船が一度出港すれば、数ヶ月間は帰ってこないの で、その寂しさを表現していると思う。  東風という言葉で、日本海よりずっと大きい太平 洋へ出港するということを示唆していると思う。  ふきやめずということは、一回ではなく何回も鳴 らしているということだから、いかなければならな いんだけど本当は行きたくないという気持ちが表れ ていると思った。

  夕東風や海の船ゐる隅田川 (秋櫻子)  隅田川を見たことはないが、夕方の景色が想像で きた。

  夕東風や海の船ゐる隅田川 (秋櫻子)         なんかいい!

  夕東風や海の船ゐる隅田川 (秋櫻子)   (感想)     風をあびたい。

  夕東風や海の船ゐる隅田川 (秋櫻子)  意味はわからないけれど、隅田川という言葉が入っ ているだけで、良いと思います。

夕東風や海の船ゐる隅田川 (秋櫻子)   山口に来る前に隅田川の岸を散歩してきたのを    思い出した.

  川下に網うつ吾(われ)や朧月 (太祇) 「朧月っていうのがいい!!」

  川下に網うつ吾や朧月 (太祇)  川の水面の波が網のように映り、自分と月を照ら している情景が思い浮かんだ。

  川下に網うつ吾や朧月 (太祇)  柔らかな月明かりの中川面に映った月を捕えるよ うに魚へ網を投げる光景を想像した

  川下に網うつ吾や朧月 (太祇)  春の寒い中、川下で網を投げて魚を捕っている漁 師を思った句だと思う。  漁師が少し疲れて上を見たら朧月があったという ことだと思う。なんでもない風景だけど、心がなご みます。

  ・川下に網うつ吾や朧月 (太祇) ・感想 … ある曇った夜に、おじいさん(吾)が川 下で一人さびしく漁をしている風景がうかんだ。きっ と独身の50代前半のおじいさんでだれにも見られず、 こっそりとしているんだろうなと思った。

大串章 ブナを捕っている光景を思いました。 秋櫻子 夕べに風がふくころ、海から船が帰ってく    る様子を書いた物だと思います。 谷口ふみ子 さくらの花が散るように暖かくなって きたので着ている服も薄くなったということだと思っ てけっこう共感しました。

手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮  感想    春の暮に、池または川にいるフナを手を叩い   て呼び寄せている、といった情景でしょうか。   私も子供の頃は、手を叩いて川のコイを呼び寄   せ、食パンを餌としてあげていました。 春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉)  感想    春のある日、名前もない山に薄く霞がかかっ   ている、といった情景でしょうか。一年前のこ   の時期に、この歌と同じ景色を偶然見かけたの   ですが、その時は何となく「風流だな。」と感   じていました。

(春の暮) 子どものころ春には小鮒をとってあそ   んでいた。 (霞) この文章は朧月をうまく溶け込ませてかけ   ている。 (東風)皮はぎも寒くなると隅田川からいなくなり、   冬のおとずれを表している。 (春衣)花びらのようにちるのをやめると春がすぎ   ていくということ。

 春の暮は楽しくあそぶ子どもたちがぞろぞろでき  る  霞はまだ薄霞があって春がまちどおしい作者の思  いがつづられている

遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔)   遊んでいる子どもの子の声がなくなるのが早い  時間になることではるのくれを感じさせる歌だと  思った。 川下に網うつ吾や朧月 (太祇)   川下にある網をひこうとしたとき水面にうつっ  た自分をみて初めて朧月の美しさに気付いたとい  う歌だと思う。 春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉)   春が来るのがあまりに待ち遠しくて名を知らな   い山の薄霞の奥から春がくることを期待してし   まっているというわびしい歌だと感じた。

・手を拍つて小鮒追ひ込む春の暮… (大串章)  小鮒を追ひ込むというのは、小鮒は少数ではなく 多数だと思うので、そういう所が春らしいと思いま した。 ・東風の船汽笛真白くふきやめず… (誓子)  船汽が真白くふきやめないというのが、この船の 力強さを感じました。 ・春なれや名もなき山の薄霞 (芭蕉)  薄霞というのが、春らしい。  名もなき山というのが、この句の身近さを感じま した。 ・花びらのごとく脱がれし春衣 (谷口ふみ子) ・この句で感じたのは、春から夏にかけての句だと 思いました。多分、春が過ぎて暑い様子をこの句が いいたいのかなと思いました。       (編者)「船汽」は「汽船」?

『春なれや名もなき山の薄霞』(芭蕉)   春になれば無名の山も霞がかかってとてもすば  らしいものに見えてしまうのかと思った。 『花びらのごとく脱がれし春衣』(谷口ふみ子)   衣替えを花びらにたとえるのはとてもユーモアー  があると思う。

春の暮 春の終わりのことがよく表現されていると思った

 よくこんな作品を思いつくなと思いました。

 

 滑舌が悪くてききとれません。  授業がかなりわかりにくいです。       (編者)すみません…

感想  生き残るために共食いをしたが現代の社会では起 きているのかどうか気になりました。東南アジアの 発展途場国や紛争地区の国々では食料もなく、多く の人が飢餓で苦しんでいます。今回の内容も似たよ うな状況であり、起こりゆるかもしれません。  この問題は現代ではなく、未来でも起こると私は 考えます。  なぜなら世界の人口は増加しつづけ食料が足りな い所が多くあります。そして、飢餓を抑えるため、 身近な生き物である人に手を出すかもしれません。 そしてこれは未来、人が人を奪い合う世界になるの かもしれないと私は考えました。       (編者)ポーの『ピムの冒険』で描かれる人肉食につ         いての感想をありがとう。なお「発展途上国」です。         「起こりゆる」は「起こりうる」?

(感想)  朝の授業でも寝ないようにします。       (編者)ということは午後の授業ではもちろん寝るっ         てこと?

  かすみたつ りうそおはする やまかけは     くろん(九龍)のおかへ われそつれしむ  龍王山が白く霞みたる様は、同じく山に囲まれて 白く霞掛かることの多い香港の九龍地区を思い起こ させるのである。

  朝寝してさらに眠たい午前9時  今までの週間から午前6時前には必ず目が覚めてし まい、もう一度寝るのですが、逆に眠たくなって講義 が始まる午前9時ごろ、眠たく感じる時があります。  自分には二度寝はよくないようです。朝の時間をもっ と何か使えないかなと最近考えています。       (編者)「週間」は「習慣」?

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)  暗い海に蛍烏賊の青い光がひかっている。まるで 夜空に点散する星・宇宙に広がる星のように。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二) <感想>  蛍烏賊を見たことがないからいつか見てみたい。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)  暗闇の中、かすかにひかっている蛍烏賊が美しい ので、その美しさを感じるために、ほとんど見えな い夜に見に行った。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)  蛍烏賊は昆虫の蛍と同様に発光でき、夜での光景 はとても美しい。真っ暗な海に蛍烏賊が発光してい る光景を楽しみにしている著者の心情を感じます。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)  ホタルイカはとても美しく光ります。実際に夜の 海で見たことがあるので、この詩を選びました。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)  海の暗さと蛍烏賊の明るさという、対称的になっ ているのが趣深い。ホタルイカは実際に見たことが ないのでどのくらいの明るさなのか知りたい。       (編者)僕も!

まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)  感想    夜の真っ暗な海を見に行くと、大量の蛍烏賊   が淡い光を放っている、といった様子だろうか。   蛍や蛍烏賊など、夜に光を放つ生物は見ていて   すごくロマンチックな気分になる。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)  まっくらな海へホタルイカを見に行くことがわかっ た。まっくらな海で光る神秘的なホタルイカが目に うかんだ。まっくらの〔っ」を「つ」に変えている 所に工夫が見られた。

まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)   私はこの歌の美しさに興味をもった

「まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊」(深見けん二) <感想>  真暗な海の中で輝く蛍烏賊の神秘的な情景が目に 浮かぶようです。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)  蛍烏賊を見に海へ行く姿を想像した。

まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)  ほたるいかの美しさが暗い海の中で    輝いている様子がうかがえる。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)      魚つりが好き

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)  暗闇の中に明るく光るほたるいかが幻想的だ。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)  この間、ヨットで海にでている時海水面にイカを 見ました。そこから想像でき、この俳句を選びまし た。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)        ホタルイカって食べれるのだろうか        食べれるのなら食べてみたい。       (編者)食べられます。生か釜揚げされたものを生姜         醤油で食べると美味いそうです。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)  暗い日にホタルイカを見に行くと余計にきれいに 見えるんだろうな そういうロマンティックなこと したい。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二) 感、さまざまな光を放つ蛍烏賊の幻想的な様子を現 していると思いました。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)  まっ暗な海がほたるいかの光で照らされている事 が容易に想像できるわかりやすい句だった。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)  感想 ・暗い海の中で蛍烏賊だけが光る光景は夜の星空に  似ているような感じがする俳句だと思った。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)         蛍烏賊が好きだから

「まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊」(深見けん二)   綺麗な景色なんだろうなぁと思った。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二) 感想:真っ黒な海に烏賊漁に出て行く漁船。網を引  き上げるとピカピカ光るホタルイカが無数に入っ  ており、漁師さん達の心にも光が灯ったような情  景が読みとれる。

まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)    蛍烏賊はきれいらしいので一度みてみたい

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)  暗い海に蛍烏賊が光っている姿がとても神秘的で あるというのが伝わってくる。

  まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)  光のない悪い夜へ蛍烏賊のかすかな光を見るため に海へ出ていくのは風情がある。期待もさみしさも 感じとられる。       (編者)一応「悪い海」と読み取りました。

まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二) −−感想−−  真っ暗な海の中で光っている蛍烏賊の様子がわかっ て光だと感じる。

  こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝)  僕は、最近とても朝が眠いです。この句の様にこ ころゆくまで朝寝したいです。

  こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝)  友達の家にとまっているとき帰るのが嫌になって ずっと朝までねること。

こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝)  朝寝という意味がよくわからなかった。  あと、朝寝をして帰るとあるがこの人はどこにい てどこに帰るのであろうか。

  こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝) <感想>  ゆっくりと朝寝たいと思いました。  最近忙しくこころゆくまま寝てないので朝が辛い です。

★ こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝)  この俳句を詠んでみると、この人は夜勤かなにか 夜の間に忙しく働いて疲れていてゆっくり朝寝して 家へ帰ろうとしているのではないかと思う。

「こころゆくまま朝寝して帰るべし」(阿波野青畝)  毎日、こんな事してたら、太りそうだと思った。 この人は、もっと動くべきだと思う。

  こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝)  自分もこころゆくまま朝寝たいと思いました。で も、学校があるので頑張らないとと思います。

  こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝)  今の自分の思いがそのまま書かれていて共感でき る。

  こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝)  普段の授業もそうだったらいいなと考える。  朝寝をたっぷりとして昼遊び、夜バイトそういう ローテーションだったらきっと毎日が楽しいだろう。

  こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝)  この俳句はなんとなく好きです。  朝が苦手は私たちにとっては、どこかひかれると ころがあると思いました。  私も朝は苦手なので朝寝しまくりたいです

「こころゆくまま朝寝して帰るべし」(阿波野青畝) 感想  こころゆくまま朝寝をしてみたいものです。しか し、講義中には寝ないように注意したいです。土・ 日は、ゆっくりと朝寝をしようと思います。

  こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝)  朝の二度寝したい気持ちがよく伝       (編者)描き終わるまでの時間がなかった?

  こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝) ・もっと寝てたかったなあと思った。

こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝)     一限目からある学校はとてもつらい.

『こころゆくまま朝寝して帰るべし』(阿波野青畝)  ・ゴールデンウィークの日はしっかり朝寝して長 崎に帰ろうと思った。

  こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝)  春の暖かい日差しの中で気持ちよく寝ている姿が 感じられる俳句だと思った。

  こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝)  最近は、けっこう早起きなので、長期休み、ここ ろゆくまで寝たいです。

  こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝) <感想>  私もゆっくり朝寝したいと思いました。

  こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝) → 学校にまだ慣れていないことからか、朝は学校  に来てもねむたいことがある。授業が早く終って  家に帰ってねたいということが同感できる。

こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝)   この詩を読んだら、眠くなってきた。

  こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝)  どこで寝ていたのか分からないが、朝寝れる場所 ということは、晴れた日の草むらなどかなと思った.

  こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝) <感想>  毎日毎日朝寝をこころゆくまましてみたいと思っ た。

  朝寝して白波の夢ひとり旅 (金子兜太) 感想   浅い夢の中で波にゆられて一人で旅をしている  ということ。

 金子兜太さんの朝寝は夢にきもちよさそうねてい るすがたがおもいうかぶ       (編者)一応「きもちよさそう」と読み取りました。

  朝寝して白波の夢ひとり旅 (金子兜太) 感想    朝寝してすごく幸せそうな様子

朝寝して白波の夢ひとり旅 (金子兜太)  ここちよい夢を見ている感じでいいと思った。

  朝寝して白波の夢ひとり旅 (金子兜太)  朝寝して白波の夢の中にいる。幸せそう。

 ・朝寝して白波の夢ひとり旅 (金子兜太) ・感想 … 温たかい日のあたる所でゆっくりと二度    寝をしていて、夢の中で一人旅をしていると    いう意味の詩なのかなと思った。

朝寝して白波の夢ひとり旅 (金子兜太)   作者は海にあこがれをもっているのであろう。  白波の夢でひとり旅をするとはとてもロマンチッ  クである。しかし、私はここ水産大学校に来て海  の近くに住み、今までに見たこともないような荒  波を見たことがあるので、作者みたいに白波を見  て一人旅を考えることはもう私にはできないかも  しれない。

  朝寝して白波の夢ひとり旅 (金子兜太)  朝、起きて、また二度寝して、きもちよく夢をみ ている様子。

「朝寝して白波の夢ひとり旅」(金子兜太)  私はこれを読んで、朝寝ていて夢を見てひとり旅 をしているような光景を思い浮かべました。白波の 夢というのはすごく気持ち良さそうで、うらやまし く思いました。

朝寝して白波の夢ひとり旅 (金子兜太)  <感想>    とても気持ちのいい睡眠だと思いました。

  朝寝して白波の夢ひとり旅 (金子兜太) 感想   寝ていたら夢を見てひとりだけ違う世界に行っ  ているのを表現していると思った。

  朝寝して白波の夢ひとり旅 (金子兜太) ・この句は金子兜太さんという、有名な俳人のもの  ですが、春の眠りについて良く書けていると思い  ます。情景が浮かびやすく、今日の自分の眠りも  そのようであったと考えます。とても気持ちいい  眠りであると思います。

朝寝して白波の夢ひとり旅 (金子兜太)   朝にゆっくりねて心地よい夢を見ているのが                  想像できる。

  朝寝して白波の夢ひとり旅 (金子兜太)  休日には自分も、二度寝などしてゆっくりしたい です。

 花の雨強くなりつつ明るさよ (高浜虚子)   感想  花びらが舞うことでまわりの視界が明るく見える 様子が思い浮かぶようであると思った。

花: 今日は雨がふっていたので共感できた。

  花の雨強くなりつつ明るさよ (高浜虚子)  桜が散っていく様子を雨にたとえ桜が散れば散る ほど桜の美しさが際立つことを詠んだ歌だと思う。

花の雨強くなりつつ明るさよ (高浜虚子)   感想   花の雨が何を表しているのかよく分からない。  また明るさは何の明るさなのか何を表しているの  か。

花の雨強くなりつつ明るさよ (高浜虚子) <感想>花が満開になり雨のように散っていく花び   らが道やその周りに落ち、その花びらの明るい   色によって、風景も明るいという情景だと思い   ました。

花の雨強くなりつつ明るさよ (高浜虚子)   雨が降るとテンション下がります。

「花の雨強くなりつつ明るさよ」(高浜虚子)  花びらが強く舞い散る春の終わりは暗い冬が完全 に終了し明るさに満ちる季節になりつつある

花の雨強くなりつつ明るさよ (高浜虚子)   さくらの花がちっていき、そのすきまから光が  はいってくるのがおもいうかんだ       (編者)何本かの桜の樹とそこから落ちてくるいくつ         もの花びらのイラスト略。

花の雨強くなりつつ明るさよ (高浜虚子)  花が散っていくのを雨に例えてその雨がやんだ後   の空の明るさを表している。   春の表写がよく浮かんでくると思った。       (編者)一応「表写」と読み取りましたが…。

花の雨強くなりつつ明るさよ (高浜虚子)   桜の花がちり夏に近づくさまを表していると思う。

・追ひかけて振り向かぬひと春の夢 (田辺レイ)   季語を表すのは春。    ふと気になったのは、「振り向かぬひと春」    の部分。「ひと春」という意味も、「振り向    かない人」という2つの意味合いが共存して    いるように感じた。もしかすると、眠ってい     る間に見た夢に出てきた人なのか、乙女心     は私には理解できないが、ときめいていた     時のように女性の一途な恋心を感じとれる。     勝手な自分の解釈と思い入れに浸りながら、     温かい気持ちになりました。

追ひかけて振り向かぬひと春の夢 (田辺レイ)   好きな子がいて気持ちを伝えようとアピールす  るが、その子は振り向いてくれない様子を春の桜  が散っていく様子に例えている。

・追ひかけて振り向かぬひと春の夢 (田辺レイ)   季語を表すのは春。    ふと気になったのは、「振り向かぬひと春」    の部分。「ひと春」という意味も、「振り向    かない人」という2つの意味合いが共存して    いるように感じた。もしかすると、眠ってい     る間に見た夢に出てきた人なのか、乙女心     は私には理解できないが、ときめいていた     時のように女性の一途な恋心を感じとれる。     勝手な自分の解釈と思い入れに浸りながら、     温かい気持ちになりました。

追ひかけて振り向かぬひと春の夢 (田辺レイ)   なぜ春の夢?

  追ひかけて振り向かぬひと春の夢(田辺レイ) ・ 好きな人を追いかけても追いかけても振り向い  てくれないわびしさと春の夢のわびしさをかけあ  わせていてうまいと思った。

  追ひかけて振り向かぬひと春の夢(田辺レイ)     むなしいと思った。

  追ひかけて振り向かぬひと春の夢(田辺レイ)  昔の恋の回想を夢で見たことがわかる。特に「追 かけて」として歴史的仮名づかいを使用している ところに、過去の思い出やらがあらわれているので はないか。       (編者)傍点部はイタリックで示しました。

  追ひかけて振り向かぬひと春の夢(田辺レイ) 感想   春の夢という季語がうまく表現されている感じ  がした。よくわからないけれど、なんかいい。

  春眠のつゞきの如き一日(ひとひ)かな               (高木晴子)   感想  春の温かな気候によって、一日中ずっと寝ていた いゆっくりしていたいという気持ちが良く伝わって くる俳句だと思った。また、春眠暁を覚えずという 言葉のように、本当に朝も寝てしまうような温かさ を感じた。

  春眠のつゞきの如き一日かな (高木晴子)  春の心地よい陽気で、眠りから目覚えきれず、眠っ ているように一日を過ごしている.       (編者)「目覚えきれず」は「目覚めきれず」?

選んだ詩 春眠のつゞきの如き一日かな (高木晴子) 感想   春の眠りは、大変、心地が良いものである。そ の眠りと同じ位のうれしい日であるということだと 思った。自分も毎日がそんな日であってほしい。

  春眠のつゞきの如き一日かな (高木晴子) ・感想   今まで、寝ていて、その時、春の気候のせいも  あって、気持ちが、ホワホワしていて、ほのホワ  ホワした気持ちのまま一日を、何もせずに過ごし  てしまうという句だと思った。

  春眠のつゞきの如き一日かな (高木晴子)  春眠あかつきを覚えずとあるように春はついつい 寝すごしてしまいがちです。僕は、うとうとしたま ま目がなかなかさめません。この句はそういう状態 だから夢とうつつの違いが分かりにくいという意味 なのでしょうか。  今日の句はどれも難しくただの疑問になってしま いましたが感想とさせて頂きたいです。

春眠のつゞきの如き一日かな (高木晴子)  春の夜の快い眠りのようにとても気持ちの良い   一日であることがとても伝わってきました。

  春眠のつゞきの如き一日かな (高木晴子)  春の眠りはここちよく、すやすやと寝ていて、起  きても、春の陽気は眠っている時と同じくらいこ  こちよいものだ。 だと思います。

  春眠のつゞきの如き一日かな (高木晴子)  春は暖かいので、目を覚ましても、しゃきっとせ ずにふわふわしていて過ごす日があるような気がし ます。

  春の夢みてゐて瞼(まぶた)ぬれにけり               (三橋鷹女) (感想)  春から連想されるのは、新しい環境での出会いで あったりこれまでの環境からの旅立ち。  これからの生活の不安や過去に思いをはせている とふと涙が溢れてくる心情を詠った詩だと思いまし た。

  春の夢みてゐて瞼ぬれにけり (三橋鷹女)  最近よく変な夢を見ます。さすがに瞼はぬれてま せんが。

  春の夢みてゐて瞼ぬれにけり (三橋鷹女)  寝ていて夢の中で、春に上京するので別ればなれ になってしまう家族が友達の夢を見て起きてみると 泣いていたという俳句.

旬 春の夢みてゐて瞼ぬれにけり (三橋鷹女) 感想春になって今までの友人や家族たちと離れさみ しくなっていることを表していてとてもおもしろい。       (編者)「旬」は「句」の間違い?

  春の夢みてゐて瞼ぬれにけり (三橋鷹女) (感想)  昔の春の淡い思い出が夢に出てきて悲しくなって 泣いている姿が想像できる俳句だと思いました。

「春の夢みてゐて瞼ぬれにけり」(三橋鷹女) 〜自分の解釈〜  彼女や彼氏とわかれたばかりの人物が夢の中で思 いでを振り返り、後悔し涙を流しているという風に 解釈しました。

春の夢みてゐて瞼ぬれにけり (三橋鷹女)    夢が悲しくて瞼から涙が出ているのかなぁと     感じた。

  さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉)    感想  さざなみに感情移入して物事をとらえていて本当 にぬるいのかと感じさせる俳句であると思った。

水温む   さざなみのおだやかな感じが表現されている。

  さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉)  水温が高くなるにつれて釣れる魚種が増えていく。 ああ、釣りに行く暇が欲しい…

  さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉) (感想)こないだ海入ったらまだ水、冷たかった。   早く温んでほしい

  さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉)  とても暖かい印象を受けた。

  さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉)  さざなみが、神様がおだやかに笑っているような 気持ち良さを感じた。

  春眠の子のやはらかに指ひらき(深見けん二)  春の暖かい中で気持ち良さそうに眠る様子が頭に 浮かんだ。  昼夜問わず寝ていられる子供は幸せだと思う。

  春眠の子のやはらかに指ひらき(深見けん二) 〜感想〜  春の暖かさで眠りから目がさめた動物達がゆっく りと活動し始めようとしているのが思い浮かぶ.

 深見けんじの俳句は眠っている赤ちゃんの様子が わかりやすく表現されている。  赤ちゃんのさわったらこわれそうなやわらかさも よく表現されていると思う。

春の夢魚からもらふ首飾り (井上たま子)   新たなスタートの初まりである春に、夢を見た。  魚からプレゼントをもらう不思議な夢であったが、  これから新たなスタートをきる私にとって、わく  わくするような夢であったなあ       (編者)「始まり」です。

花の雨強くなりつつ明るさよ (高浜虚子)   花びらが咲きはじめて美しい色がつきはじめて  厳しい寒さに終わりをつげられるのではないかと  いう希望にみちた歌だと思った。 まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)   昔は今のように外灯などはなかったので蛍烏賊  の光を見て楽しんでいたのだろうと思わせるふぜ  いのある歌だと感じた。 こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝)   仕事場において夜おそくまで働いて終えた後に  つかれがどっときてしまってそのままねたが次の  日は休みなので気がねなく寝ることができたとい  う達成感のある歌という印象をもった。

こころゆくまま朝寝して帰るべし(阿波野青畝)   夜にしっかりと寝ても、朝起きた時はまだ眠い  から、朝寝(二度寝)できることは幸せなことな  のでいいと思う。 追ひかけて振り向かぬひと春の夢(田辺レイ)   この詩は、片想いをうまく表現していると思う。  どれだけ相手のことを想っても、相手は全く自分  のことを気にしてくれないことを、春の夢という  言葉で表しているのが、うまいと思った。 まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊 (深見けん二)   一見希望が無いように思われるけど、希望はあ  るんだということを表していると思う。   希望が無い絶望的な状況をまっくらな海に例え、  希望をまっくらな海の中で光る、蛍烏賊で例えて  表現していると感じた。

『花の雨強くなりつつ明るさよ』(高浜虚子)   桜が乱れる光景が頭に浮かぶ。 『まつくらな海へ見にゆく蛍烏賊』(深見けん二)   ほたるイカが夜にきれいにひかるのを見にいく  わくわくする気持ちが伝わってくる。

水温む … 波は神の笑いで水は温なることはとても   よくが深いと思う. 朝寝 … この俳句は夢の中からでたくないという意   味 春眠 … 春の眠りは一瞬であることを読んでいる 花 ほたるいかは海の花とよばれているほど美しい   ということ。       (編者)一応「温なる」と読み取りました。

    朝寝・春眠  春は暖かく、住ごしやすいので睡眠に関しての題 材が多いと思った。自分も家に帰ればすぐに寝てし まったり、休日は長く寝てしまうことが多いです。 本当の意味は分かりませんが、なんとなく共感する ところがありました。       (編者)「過ごしやすい」です

(感想)春は眠たくなるのでその気持ちがよくわか   る

 季節感を感じる詩だと思った。

 

 今日は洗石層という縦状の層があり、いったいど のように出来たのか気になりました。層は積み重なっ て生成されるため、横状になると思いますが、なぜ か縦状でした。隆起を起こしたとしても斜めになる と私は考えましたが実際は、どのようになるのか気 になりました。       (編者)「洗石層」は「石鹸石」の聞き間違いのよう         です。

  現実と妄想の境界  現実と妄想の境目はどこなのであろうか。「ルー ル」を考えてみれば、例えやすいだろう。「ルール」 はそこに実体をもっているわけではない。多勢がそ うあれかしと思考することで初めて意味をもつ。  妄想とは一個体にとっての現実なのだろうが、客 観的なものとしては、現実として成り立たない。  妄想と現実の境界とはつまり、多勢が認識するか どうかである。だから、もし、世界滅亡の妄想を世 界中に伝播し認識させることができれば、いったい、 世界はどうなるのだろうか。

引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)   すなはまの波うちぎわを波によってただよう貝  はきれいだと思う.

引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)   波が引いた後に残る貝は様々な模様があって共  感できる気がした。

引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)  ・波が引いて桜貝が美しく見えているのだなぁ                 と思った。

  引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)  小さい頃自分の知っている貝を言ったらあさりと しじみと桜貝ぐらいでした。桜貝集めもしたことが あります。たしかに波が引いたあとにきらりと光る 桜貝はとてもきれいでした。そんな事もあって容易 に情景を想像することができました。

  引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)  浜で波が引いていった後に砂の上にチラホラ見え ていると思われる桜貝の様子がこの季節にあってい ていいと思った.

  引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)  著者の名前と自分の名前が一緒だったので、気に なった。       (編者)確かに! ひょっとして…

引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし) (感想)   桜貝が砂浜にあり、そこに波が来て波が引いた  後に残っている桜貝が水に濡れ光に照らされ光っ  ている様子が想像できました。

「引く波の跡美しや桜貝」(松本たかし)  波が引いたときの砂浜に桜貝があり、その光景が 美しいんだと思いました。波打ち際の砂浜にピンク の貝が一点あるのが思い浮かびました。

  引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)  先のとがった桜貝が波に跡を引く様にふぜいを感 じられて良いなと思いました。

  引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)  すなはまのなみうちぎわにきれいな桜貝がいくつ かあるイメージ       (編者)岩場に入り込んだ海か、または高いところか         ら見える緑の山の間に挟まれた湾のイラスト略。多分         太陽と思われる球体がある。

  引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)  貝と海の景色をうまいこと表現していてよかった。 また、海に行きたい気になった.

  引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし) − 感想 −  波がひいたあとの砂浜に美しい桜貝がある情景が 頭にうかびます。

  引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)  引いていく波で貝が砂浜に後を残していくあとが 美しくうつっているのだろう。

引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)   桜貝の美しさが表されている

  引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)    サーヒンがしたくなった。

  ”引く波の跡美しや桜貝”(松本たかし)  波が引いた時にきれいな桜貝が顔を出す感じがす る。

引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)   波が引いたときに砂の下から桜貝が見えて桜貝  についている水滴と共に美しく見えているように  思う、

引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)   波が引いたあとに、きれいな貝がのこっている  様子。

引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)   海の水が引いた時に海の水の中にいたはずの桜  貝が所々に見えて美しいなぁと感じている

  引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)  波が引いたあとに残っている貝はキラキラしてい て美しい

  引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)  私は幼い頃よく海に行っていて、そのときによく 桜貝の貝がらを見つけていました。この詩に共感で きることが多いので、この詩を選びました。

★ 引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし) → これを詠むと引き潮によって、出てくる砂浜の  上にきれいな桜色した桜貝がきれいにちらばって  いる状況を思い浮かべることができます。ここの  海は透き通っていてきれいですが、あまり砂浜を  見ることがないので、引き潮の際は、意識して砂  浜を見てみたいと思いました。日の光を浴びて水  滴のついた貝は本当にきれいなんだろうなと思い  ました。

  引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし)      花見したい!

惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子)   レタスがおもしろかかれていて、好きな歌でし  た。

  惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子)  見るところ作者は「レタス」を「惑星」に例えて いると思いますが、手放すように裂くという表現は おもしろく書いていると思いました。

  惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子)  これだけは本当に意味がわからなかった。レタス と惑星を丸いもの同志でかけているとしても手放す ように裂くというのが全く分からなかった。

  惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子)  惑星をレタスにたとえているのがおもしろく個性 的。レタス裂くというのが、外側の惑星からぼろぽ ろとはがれてくゆくイメージ。

  惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子)  ほぼ毎日、レタスを食べているので、レタスを毎 日裂いています。「惑星を手放すように」は想像で きないです。

(感想)   惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子)  最近レタス食べてないなと思った。

  惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子) −感想−   私はカッター部のマネージャーとなり、部員の ために料理をするようになりました。男子部員約10 人分のため量が多く、野菜を切るだけでも筋肉痛に なるくらいでした。もっと上手くなって喜んでもら いたいと思いました。

惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子)   レタスに例えるなんておもしろいと思った。

  惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子) (自分の解釈)   自分の嫌いなレタスを克服するために嫌々なが  らも自分でレタスを調理している。(レタスを食  べることは、惑星を手放すよりいやだ)

  惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子)  レタスを裂くという日常の事を惑星を手放すこと に例えているのがとてもそうだいな例えで良かった。 そういう風な気持ちで調理できると、楽しいだろう なと思った。

惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子)   私はこの歌のレタスを裂くことを大きくいって  いるのに興味をもった

 惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子)  勢いよくレタスを裂くんだと思いました。

  星を手放すようにレタス裂く (小西雅子)  惑星と身近なレタスをかけているところが、作者 の技術が素晴らしいと思いました。

惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子) ・表現の仕方が特殊でおもしろいと思った。

惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子)  ・意味が分からないと思った。

  惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子)  レタスを裂く行為を惑星を手放すと比喩表現する ことが趣があった。レタスを裂くときは一枚ずつひ きはがすのですが、その時の一枚を惑星の軌道に見 たてたのかなと思いました。

惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子)  ・なぜ「咲く」ではなく「裂く」なのか、

  惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子)        レタスは青ドレが一番です

つばめつばめ泥が好きなる燕かな (細見綾子)   最初のつばめと後の燕との意味の違いがよく分  からなかった。

  つばめつばめ泥が好きなる燕かな(細見綾子) 「つばめつばめ」という文章から、なぜか泥をイメー ジすることができました。

  つばめつばめ泥が好きなる燕かな(細見綾子)        つばめになりたい

つばめつばめ泥が好きなる燕かな (細見綾子)   巣作りの様子が浮かびそうです。       昔は、5頭身ばかり描いてましたが、最近はSDキャ         ラ2頭身を描いています。         (編者)左の5頭身のネクタイ、スカートの女の子と、         右の2頭身の小さなバッグを肩から斜めに下げた女の         子とを比較したイラスト略。

  つばめつばめ泥が好きなる燕かな(細見綾子) ・つばめが好きなのでいいなあと思った。

つばめつばめ泥が好きなる燕かな (細見綾子)   こんなに同じ単語を連続で使っているものを初  めて見たのでびっくりした。細見さんは燕が好き  なのだろうか…。

つばめつばめ泥が好きなる燕かな(細見綾子)   つばめを3回繰り返すことにより、リズム感が  ある気がする。また、「泥が好きな燕かな」はつ  ばめが巣を作る時泥をどこからか持ってきて形を  整えることに対して使っていると思われる。作者  は泥をよく運ぶ燕がどこかしら泥が好きで持って  来て集めていると考えたのだろう。情景が浮かぶ  良い曲だと思う。

  つばめつばめ泥が好きなる燕かな(細見綾子)  なんで俺の家に巣を作りに来ないのかとふと思っ た。

   燕  実家の壁につばめの巣があるのを思い出した。ちょ うど今くらいの季節から、どこからか泥を集めて巣 を作る光景を今年のように見てきたのでそれをなつ かしく思った。

  つばめつばめ泥が好きなる燕かな(細見綾子)  実家の近所でつばめが泥で巣をつくっていたのが とてもなつかしい。毎年、つばめが巣を作りだした ら、春がやってきたなぁとよく実感していました。  下関に来てからも、よく行くバイク屋の近所でつ ばめが巣を作っていました。

・つばめつばめ泥が好きなる燕かな (細見綾子) ・感想    つばめが泥あびをして虫を体からおとしてい   るのをつばめが遊んでいるように作者は見えた   のかなと思った。

  つばめつばめ泥が好きなる燕かな(細見綾子)  つばめが泥浴びをして毛づくろいをしている様子 が思い浮かんだ。また、つばめを2回続けているの が、ざんしんだと思った。

つばめつばめ泥が好きなる燕かな (細見綾子)  感・燕が空を低く飛んでいる時は、雨が降ると言   われていますのでその様子を排句に表したので   はないかと思いました。       (編者)「俳句」です。

  つばめつばめ泥が好きなる燕かな(細見綾子)  つばめが地をはっている感じが、見えるような詩 でした。

つばめつばめ泥が好きなる燕かな (細見綾子)    つばめが夫婦仲良く泥をつばみながら巣を作っ   ている様子。そうしていると、まるで泥遊びを   しているようで、泥が好きなのかと勘違いして   しまいそうである。

水温む鯨が海を選んだ日 (土肥あき子)   水が温かいのでクジラが海を選ぶ理由が分かり  共感できる

  水温む鯨が海を選んだ日 (土肥あき子)     (感想)       鯨を見てみたい。

  水温む鯨が海を選んだ日 (土肥あき子) (感想)温かい海に鯨が泳いでいる様子

水温む鯨が海を選んだ日 (土肥あき子) (感想)暖かくなって鯨も元気になるのでしょうか?

  水温む鯨が海を選んだ日 (土肥あき子)  鯨が海を選んだ日は春ぐらいだろう。

  水温む鯨が海を選んだ日 (土肥あき子)  くじらが浮かんで・泳いでいるのがよくわかった

  水温む鯨が海を選んだ日 (土肥あき子) ・[感想]   鯨が進化の過程で、陸の寒さに耐えられず、ま  だ温かい海を選んだ結果、肺呼吸なのに海で暮ら  すことになったんだということが分かる。

  水温む鯨が海を選んだ日 (土肥あき子)  クジラの躍動感がすごい.

  水温む鯨が海を選んだ日 (土肥あき子)  気温があたたかい日に鯨が海から顔を出している 様子

  水温む鯨が海を選んだ日 (土肥あき子) 感想   鯨は冷たい海より温かい海のほうが好きなんだ  なと思った

水温む鯨が海を選んだ日 (土肥あき子)  <感想>     鯨は哺乳類だからより水が温かい日を選ん    だのだと思いました。

水温む鯨が海を選んだ日 (土肥あき子) <感想>  冬に水が冷たくなっているのでなるべく温かい所 へ鯨がいこうとしている所が頭に浮かびました。

  生海胆(なまうに)の身のとろとろと月夜かな              (飯田龍太)     さしみがたべたい。

生海胆の身のとろとろと月夜かな (飯田龍太) <感想>   高級なウニが食べたくなった。

海胆   うにが月に見えることもあるなと思った。

生海胆の身のとろとろと月夜かな (飯田龍太)    海胆はたべたことがないのでたべてみたい

生海胆の身のとろとろと月夜かな (飯田龍太) (感想)  海胆の殻を割って出てきた身の黄色さと月の明る さ、および海胆の外側の黒色と夜の暗さを対比した 歌だと思う。

生海胆の身のとろとろと月夜かな (飯田龍太)   生海胆が満月のようにたくさんの身でつまって  いて、口の中でとろけそうでおいしそうだと思っ  た。

  生海胆の身のとろとろと月夜かな(飯田龍太) 「生の海胆(うに)は身がとろとろしていて、(そ の色や状態がまるで)月夜みたいだなぁ。(綺麗だ なぁ)。」  生の「うに」を食べたことはありませんが、テレ ビで見た事があり、非常に身がとろっとしていまし た。色も橙黄色で、きれいでした。とろとろという 響きが夜に合っていて、とても好きです。  月夜に生の「うに」を食べている詩なのかなと思 いました。月夜という、素敵な夜に、「うに」とい う高級品を食べるという、とてもぜいたくでいいな と感じる詩でした。身がとろとろしているというこ とで、新鮮なうになんだろうなと思いました。

生海胆の身のとろとろと月夜かな (飯田龍太)  生海胆が月に見える  〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・  先生の滑舌が悪くて聞き取れません.  はっきりしゃべってもらってもよろしいでしょう か。  聞きとれないので授業が理解できません。       (編者)すみません、せっかく一生懸命聞き取ろうと         しているのに、滑舌が悪くて。良くなるよう頑張り         ます。

  生海胆の身のとろとろと月夜かな(飯田龍太)  月が出ているのき下で、酒なんかを飲みながらう にを食べる様子が浮かんでくる。風情のある詩だと 思った。

  生海胆の身のとろとろと月夜かな(飯田龍太)  生海胆の身は黄色く、まるで、夜、池の水面に写っ た月の様に見えるためにこの俳句を詠んだ.

  生海胆の身のとろとろと月夜かな(飯田龍太) 「海胆」と書いて「うに」と読むのは初耳だった。  海胆のトゲトゲが夜空のように黒いから、黄色の 身は月みたいに見えるのだろう。でも私は海胆が少 し苦手である。臭くてとろとろしているからである。 リアルにドロドロ感が伝わってきて気持ち悪い。

  生海胆の身のとろとろと月夜かな(飯田龍太)  海胆の黄色を月にまわりの黒を夜にたとえたもの だと思う.

生海胆の身のとろとろと月夜かな (飯田龍太)    なぜ海胆がとろとろしてるのと、月夜が関係   しているのが疑問です。

選んだ句 生海胆の身のとろとろと月夜かな              (飯田龍太) (感想)黄色できれいなウニと月がかかっていてお もしろいと思った。

よこたへて金ほのめくや桜鯛(さくらだい)                 (阿波野青畝) よこたえて↓   桜鯛のサイズの大きさが表われる。    今の季節が該当するしグルメ番組でもとりざ     たされる。      今年はどうなのか。高値なら手がでない。

  よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝)         金がほしい!

  よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝)      鯛はおいしいので大好きです。

よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝)   天然の鯛は色が鮮やかなので、見ることができ  れば、幸福な気持ちになれるだろうと思いました。

  よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝)  鯛のうろこが光の具合で金色に輝くのだろうか。 桜色金色の組み合わせは美しい.

  よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝)  釣り人に釣られてしまい、船の甲板に上げられて しまった桜鯛。その桜鯛は死んで横たわった後でも 威厳があり、金がほのめいて見えるようである。

  よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝)  よこになった鯛の事なので金に光っていたのかな?  春に釣れた鯛は美味しそうですね.  この鯛は、多分、立派な大きな鯛だったと思われ、 自分も釣りたくなってきた

  よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝)  横たわっている桜鯛がウロコのせいなのか、それ ともウロコについている水滴のせいなのか、日光が 反射して輝いているように見えるという描写が思い 浮かぶ。

  よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝) (感想)   これを読んだ人は釣り人なのだろう。

よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝)   最近鯛を食べてないので食べたいです。

  よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝) <感想>   鯛は金と同じくらい価値があるので、金という  字が使われているのだと思いました。   桜鯛は美味しいです。

  ゆらゆらと釣り上げられし烏貝(からすがひ)                (内山堯修)     つりがしたい。

  ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修)    感想  釣りをしていて貝を釣り上げたことがあるので共 感できた.

ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修)  この前、烏貝が船を止めるための縄にくっついて いているのを見た。その烏貝を採ると中からケビが 出てきた。その時の印象が強く、今後食べるのをちゅ うちょするかもしれない。作者が、ゆらゆらと表現 しているのは、烏貝が何個も連なって釣れたのかな と想像できて、面白いと感じた。

ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) 〜感想〜  ゆらゆらとしている烏貝が釣り上げられている時 もゆらゆらしている様子が頭にうかぶ。

  ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修)     天気がよさそう。

ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修)   釣りをしていて「大物か!!」と思って試行錯  誤して釣り上げたのが烏貝。今までのことがバカ  バカしくなる瞬間。

(編者)「ゆらゆらと釣り上げられし烏貝を写し間違えて   ゆらゆらと釣り上げられし鳥貝 「鳥貝」が読めなかったので勉強になった。

白魚やまじりたる藻の透きとほり (中村汀女)   川がきれいなんだと思った。

 白魚  白魚の透明な感じがとても伝わった。

白魚やまじりたる藻の透きとほり (中村汀女)   ・いいとも!wwwww

  渦潮(うずしお)の鰆(さわら)とる舟      かしぎ舞ふ (山口草堂) 「渦潮」という言葉が、「鰆」の新鮮さを強調して いるように思えます。  春に取れる鰆にはぴったりの組合せだと思いまし た。

  渦潮の鰆とる舟かしぎ舞ふ (山口草堂) 「渦潮」というコトバが春らしくて気に入った。

渦潮の鰆とる舟かしぎ舞ふ (山口草堂) (感想)  渦潮がある中で舟に乗り、足場が不安定な場所で 一生懸命さわらを取っている漁士の姿が浮かびまし た。

渦潮の鰆とる舟かしぎ舞ふ (山口草堂)   渦潮の周りで鰆を取っていた船が渦潮にまきこ  まれたのが想像できる

かたまつて薄き光の菫(すみれ)かな(渡辺水巴)  菫にのって小さく光っているカタツムリを想像し た。

かたまつて薄き光の菫かな (渡辺水巴)  感想    菫が春の光に照らされて薄い光を放っている   様子が分かる。

「かたまつて薄き光の菫かな」(渡辺水巴)  樹木生い茂る山の中に群れて花を開いているすみ   れが木漏れびに輝いている様子

かたまつて薄き光の菫かな (渡辺水巴) (感想)趣深いと思った。

(水)温(ぬる)む 鯨は温かい海が好き (燕) 泥で巣をつくる (白魚) 藻の中をすみかとする (鰆) 海流の速い海を好む (鯛) 桜鯛は金色にかがやいている (桜貝) とても美しい (海胆)月夜のように黄色い (烏貝) タナゴの家 (レタス) わくせい? (菫) 美しい花

白魚やまじりたる藻の透きとほり(中村汀女)  白魚は体が透き通っているので、白魚の周りにあ る藻が白魚の体を通して見えることを表していると 思う。生きたまま食べる、踊り食いをしてみたい。 渦潮の鰆とる舟かしぎ舞ふ (山口草堂)  渦潮が発生させる強い潮流で鰆を取る舟が踊るよ うに動きまわっている様子を表していると思う。 生海胆の身のとろとろと月夜かな (飯田龍太)  生海胆の美しくとろとろとした身が、月夜のよう に美しいことを表していると思う。

惑星を手放すようにレタス裂く (小西雅子)   自分の持っている星としてレタスをえがいてお  り自分が王としてこのような小さな星には用はな  いと言って切り裂いているというSFの様な詩だと  思った。 水温む鯨が海を選んだ日 (土肥あき子)   鯨が「あ、今日はぬるくていいな」と海に対し  て感謝をした。動物にも感情があるということを  伝えたかったのだと思う。

よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝)   つれて食べようとした桜鯛が金色にほのかに光っ  ているように見えた。   やはり、めでたい時に食べる魚だと再認識した  歌だと思った。

水温む鯨が海を選んだ日 (土肥あき子)  考察    はるか昔、陸上に生息していたクジラの祖先   が、何故進化の過程で生息地に海を選んだのか。    もしかすると、クジラは陸上よりも温かい海   の方が暮らしやすいと思ったのかもしれない。 生海胆の身のとろとろと月夜かな (飯田龍太)  考察    ウニのとろとろの身の部分を月(おそらく満   月)と重ねているのだろう。どちらかというと   ウニよりクラゲの方が満月に近いと思う。(ク   ラゲは漢字で「海月」)

燕   僕は小学生のころ燕について調べる機会が    ありました。泥などで巣を作っていたので、    そういうことだと思います。 海胆  ウニはまだあまり食べたことはありません    が、それでもなんとなく言いたいことが分か    る気がします。

『水温む鯨が海を選んだ日』(土肥あき子)    天気の良い日にくじらが海から出てくる感じ   がする 『引く波の跡美しや桜貝』(松本たかし)    波が引いた後貝があった場所だけ跡が残るの   が頭に浮かぶ。

 土肥あき子の水温むは鯨の気持ちをえがいている.  小西雅子のレタスは、惑星をつかってレタスが裂 けるのを表現するというざんしんな表現をつかって いる

よこたへて金ほのめくや桜鯛 (阿波野青畝) … 桜鯛の色の様子がこの句を通して伝わってくる。 引く波の跡美しや桜貝 (松本たかし) … 「桜貝」というのが、桜の色をしたという意味か、 桜が散ったような様子なのかが、今後知らべたいと 思った.       (編者)「調べたい」です。