水大歳時記(平成二十四年度)春 の 部
春、陽春、芳春
日ノ本の政(まつり)に春はいつきたる
時はやく春もまたたく過ぎるかな
立春、春立つ
下関天変安し春来たるらし
春の暮、春の夕
校庭の雑草きらめく春の暮
麗(うらら)か
春うらら桜満開腹減った
長閑(のどか)
のどかなる学びやから見る海と空
春暑し
春なのに夜も寝れない蒸し暑さ
行く春
春が過ぎ新生活が通り行く
夏近し、夏隣(どなり)
虫の声そろそろ夏がやってくる (編者)「虫の声」はひょっとして「カエルの声」?
春光、春の光
雨が止み春の光もくもり空
春風
春風に吹かれただよう花の香よ
髪なびく突如の突風春の風
春一番
気がつくと春一番が電車止め.
霞(かすみ)
霞立つ龍の山の背光見てけふぞ駆け発(た)つ 天の海鷹(あまのうみたか) (大意)霞立ち光輝いている竜王山に新たな希望を抱 いて、今日我々は文学を終え、旅立つのである。
黄金週間、ゴールデンウィーク
輝きを感じられなかった9連休
GW明けで毎日憂鬱五月病
鶯(うぐいす)
ホーホケキョ春のおとずれつげる声
鰆(さわら)
海からの美しき光鰆かな
いかなご
いかなごが春のおとずれつげにけり
むつごろう
食べたいなイヌ・ネコ・パンダ ムツゴロウ
ぎんぽ
釣りをしてぎんぽが釣れた気持ちいい
花
ますらおの浜の白波日差して 黒き浜辺に花ぞ散るらん
蒲公英(たんぽぽ)
たんぽぽは根強く清く美しい
若布
裏海にうちあげられる わかめ (編者)烏貝のぬいぐるみ(のようなもの)を着た 「からすguy」のイラスト略。なかなかNice Guyじゃ ないですか!
学生生活
異常気象天気予報も当たらない
いざ行かむ海藻とりに裏海へ
帰りたい早く実家へ帰りたい
友が言う故郷目指して旅に出ろ 鈍行で十七時間だるすぎる 5時間の新幹線は二万円
腹減った今日も朝めしカップ麺
あらしのよる かぜをひいても ははおらず
どんよりと気分も沈む暗い朝
足跡の続く砂浜青の下
さざなみに消えずに残る君の足跡
キラキラと輝く宝浜のキス
家かえる ついてきたのが じじとばば
パチンコで勝っちゃった
男はロックンロールに限る
毎日のいと心憂し生活よ
日々過ぎる平凡な日々が幸福だ
詩
ただ隣で君の手を握るから
もう 無理しなくていいんだよ 必死になって 頑張らなくていいんだよ つらかったら 泣いていいんだよ 君は一人じゃないんだから
みんなが君から離れていっても みんなが君を非難しても みんなが君を忘れていっても
僕だけは… ただ ずっと 君の隣にいるから ただ 君の隣で笑っているから ただ隣で 君の涙をぬぐってあげるから ただ隣で 君の手を握るから本日ハ晴天ナリ
傘をさして歩く僕らの前を ツバメが一羽横切った つられて空を見上げれば 雲が途切れて太陽が顔を出す 「雨、上がったね」 傘を閉じて歩き出せば 陽がじりじりと肌を焼く 「あ、ヒコーキ雲」 君は空を指さす 僕は再び空を見上げた(目標)
今日は身体測定だ。 やせてるといいなぁ 目標 89kg (編者)題名は編者が付けました。
エッセイ
もうすぐゴールデンウィークです。人生発の九連 休。実家に帰らず遊びます。映画にイベント釣り等 々。とても楽しみです。 (編者)「人生発」は「人生初」?
山口の味付けは薄味なのでしょっぱいおかずが恋 しいです。おかずが全部甘いです。 おみそ汁も甘いです。 しょっぱいおみそ汁が飲みたいです. 白いご飯に塩からいお肉をのせて食べたいです.ギ ブミー塩分….
「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピ ムの物語」で、今回の話はグロテスクな場面が多か ったですが、本当に現実にあったような表現がとて もおもしろいです。
今回の俳句の題名は、あまり聞かないようなもの が多いと思いました。ぎんぽとか、何の意味がある のか、調べてみたいとも思いました。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) ノリが食べたくなりました。
俳句は言いまわしがむずかしかったりややこしい 物が多いが青海苔の俳句はわかりやすく、その時の 様子が目にうかびやすかった。
青海苔 青海苔が風によりよく乾いている風景が思い浮かべ られる.
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) ノリがいい俳句ですね
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) お好み焼きに青のりはかかせません!!
私は「青海苔の乾き上々風上々」という俳句をよ んで、春風によって青海苔が乾いていく様子がよく わかる俳句だと思いました。また、個人的に「乾き 上々風上々」という部分の音がよく気に入りました。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 上々という言葉をくり返している点がおもしろい 句だと思った。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 軽い感じの語感で韻をふんでいて風が吹いている のが伝わってきた。
私は青海苔の乾き上々風上々というのがすきです 季節がうまく表せていると思った.
○青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) さわやかに吹きぬける風を感じた青海苔の、パ リパリとした見た目が思い浮かんだ。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 青海苔が食べたいです。 あと風がよく吹いているからヨットに乗りたくな りました。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 青海苔が乾かされている場所、青い海と青い空が 浮かぶ詩であった.
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) ・すがすがしい歌だと思う。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) とても涼しげな句ですがすがしい。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 心地の良い春の風のイメージができた
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 俳句のリズムが良かったので選びました。それか ら、これを詠んだ人の名前が「占魚」となっていて おもしろいなと思いました。 ※ 今日はマイクのおかげで先生の声がよくきこえま した。これからも今日みたいな感じでよろしくお 願いします。(^^)/
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) (感想) 天気がよく晴々とした情景が浮かんできて、とて も気持ちのよい排句である。 (編者)「俳句」です。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) (感想) 春の気持ちのよい風にふかれて青海苔が良くか わくのが想像できる。春のおとずれを感じる。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) [[感想]] 青海苔は、お好み焼きや、焼きそばなど、 様々な料理に対して使える。また、乾燥させた 状態なら長く保存できる。 この俳句からは、青海苔を乾燥させる様子が イメージできる。良い風が吹いていて、青海苔 の乾きも良いという、春の景色が思い浮かぶ。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 春の青空の下で青海苔が風に吹かれてパリパリと 乾いていく様子が思い浮かぶ。 青海苔の香りの潮風は実に春らしく明るい感じが 出ている。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) これから夏に向かっていく 季節であることを感じる。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 風がとてもふいていて、青海苔が良く乾く様子が 目にうかびました。吉見周辺も風が強いと思ったの で、この句を選びました。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) この俳句を詠んだ時、澄んだ青空の元、 うすく伸ばされた海苔が、太陽の下で 天日干しされているような すがすがしいイメージが思い浮か びました。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 青海苔をよく乾かすには、良い風が必要だという ことがわかり、きもちのよさそうな風だなぁと思う。
「青海苔の乾き上々風上々」(上村占魚) 青海苔の乾燥を待ちに待っていた作者が青海苔が 乾いているのを見て嬉しく思い、その上良い風も吹 いている、ということでたいそううきうきしている 様子が思い浮かばれます。「上々」という言葉を少 ない字数の中に二回も入れるということからも作者 の心が舞い躍っているのだろうと思わせられます。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 青海苔の乾きがよいような心地のよい穏やかな天 候を感じることができ落ち着いた気分になれた。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 青海苔のおいしそうな感じがでていてよい。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 青海苔と自分の大学生活を重ねて、自分の大学生 活も今のところ上々だと思った. (編者)水大での学生生活大いに楽しんでください!
海苔をまいたおにぎりが食べたいです。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 青海苔が辺り一面広げられて乾燥させている様を 思い浮かべることができる.
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 青海苔がよく乾いたから、風が良いと思ったのか なと思った。
「青海苔の乾き上々風上々」(上村占魚) 干している青海苔の様子が鮮明に浮んできた。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 青海苔が晴天の中風に吹かれて乾いているさま がイメージとして頭の中に浮かび、とてもさわや かで清々しい感じがする。
青海苔 空気が乾燥していて涼しそうな風も吹いているの で昼寝をしたくなりそうな晴天な感じがしました。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 風にのって青海苔の良い香りが舞っている所がイ メージできる俳句だと思います。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 冬が終わったこの辺の時期についてうたっている のだと思うけど、ここ山口は、そんなさわやかに風 がふく日は少ない気がするので、ここでも、暴風じゃ なく、さわやかな風がふいて欲しいなと思いました。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 乾き上々風上々が最近の曲のラップ調と同じで昔っ ぽくないです。乾きが上々ということで気持ちのよ い風と晴れ間が想像でき、夏っぽい印象を受けます。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 天気の良い心地良い風のふく日であることを思わ されます。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) おいしい海苔ができたように思えます。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) 太陽の下でたんぽぽが日を浴びている様子がうか ぶ
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) 暖かい日に太陽に向かってまっすぐ伸びているた んぽぽのいたいけな姿が見に浮かびます。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) たんぽぽはにおいがキライです…
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) あたたかい春のふうけいを見ることができます。
あたたかくたんぽぽの花茎の上 (長谷川素逝) 感想 毎年、たんぽぽを見ると春だなという気分になる
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) 4月の上旬くらいからたんぽぽを吉見で見かけま した。4・5日前からは何かわかりませんが夜に虫の 鳴き声をきいて春だなぁと感じました。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) 季語が使われていて春らしい感じだった。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) 幼い頃は、よく田んぼや川辺で遊んでいたのでた んぽぽはあるものだと思っていた.だが今は歩く場 所はコンクリートの上。タンポポを見ることはない。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) 待ちに待った春がやってきた!! 夏の方が好きだけど
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) 感想 春になって暖かくなってきてたんぽぽの花が 茎の上でたくましく咲いている。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) わたげを飛ばしたくなりました (編者)文末に簡単な花のイラスト略。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) (感)暖かい外で茎に支えられたたんぽぽの花が咲 いているのを詠んだ歌だと思った。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) たんぽぽという季語を使い春らしい詩になってい ると思う.
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) あたたかい所にたんぽぽが咲いていてもうすぐ夏 を思わせるところがよかった
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) (感想) 春らしい俳句だと思った。 たんぽぽと暖かい日差しが連想される。
一番頭の中でイメージしやすい。 あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝)
ポーの作品は「モルグ街〜」しか読んだことがあ りませんでした。他の怪奇小説も読んでみたいと思 いました。 俳句は「たんぽぽ」が今の時期にあっていておも しろいと思いました。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) たんぽぽが、早く見たくなるような暖い俳句だっ た。これから、散歩してたんぽぽをたくさん見つけ て春を発見したい。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) 春の情景が目に浮かんできたから。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) たんぽぽの黄色い花がさいていてきれい。だな と思った。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) たんぽぽの黄色や白い花が咲きはじめると春がき たなとと僕は思います。春になると色とりどりの花 や、草などが咲きはじめ、たんぽぽもその一つで、 そのカラフルな色はとても心を和ませます。
「あたたかくたんぽぽの花茎の上」(長谷川素逝) 地元のたんぽぽばかりある広場みたいなとこによ く遊びにいっていたことを思い出した。とてもあた たかく気持ちがよかったことを思いだした。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) たんぽぽが咲く季節になり、たんぽぽが起き上がっ て元気にさいている感じが伝わってきました。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) きれいなたんぽぽの花が人の心を癒してくれそう です。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) きれいなたんぽぽの花が咲いていて、人の心を癒 やしてくれそう。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) この俳句を読んだ瞬間僕にはたんぽぽの上で遊ん でいるてんとう虫が頭に浮かんできてとても優しい 気持ちになる俳句だなと思いました。
”あたたかくたんぽぽの花茎の上”(長谷川素逝) ようやく春が訪れたうれしさや、あたたかさが感 じられ心もあたたかくなりそうな詩だと思います.
「あたたかくたんぽぽの花茎の上」(長谷川素逝) この詩は「春」を感じやすくするために「たんぽ ぽ」を使うことで、より春らしい詩だと思いました。 また、「あたたかく」や「花茎」という句でもより 春らしいイメージが湧いてきました。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) 感想 暖かくて、春みたいな感じがしていいと思った。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) 春らしい良い歌だなと思いました。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) たんぽぽを出すことで、はじめの文の、「あたた かく」が浮かんでくるかんじがした。
あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) 丘の上やその他地形の上にあるのでなく花のみを 強徴して茎の上という表現をするのはなかなかない ことだと思います。 (編者)「強調」です。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 情景イメージできて良いと思った.
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 海岸に波があがってはひく中で、砂浜にあるピン ク色の桜貝が、波がひくたびに見えるという美しい 情景が思いうかべられる.
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) もうすっかり暖かくなり、桜の花ではなく海にお いての桜と同じ桜貝で春を表しているのかと思った。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 実際に見てみたいです
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 実際に桜貝とはどのような貝なのか見てみたいと 思いました。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 波がひいて、その波の跡を見てみると とても美しい桜貝がある様子
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) シンプルで、桜貝の美しさがきわだっていると思 いました。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 砂浜にある貝はとてもきれいだと思う
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 浜辺に波の跡があるところに桜貝が落ちているの かと思った。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 桜貝はきれいだな。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 波がひいた跡も桜貝もキレイだと思いました。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 情景が一瞬で浮かんできた。きれいな俳句だ。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 波打ち際のがかいがらの美しさがわかる。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 想像するととても美しい景色が浮かびました. 一度はこんな景色を実際に見て見たいですね.
「ひく波の跡美しや桜貝」というのが、昔桜貝を ひろったことがあり、桜貝を知っているからか、と てもきれいな俳句だと思った。波がひいた跡の様子 と桜貝の美しさを連想させる一句だと思う。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 〜感想〜 広々として海岸の砂浜で波で動く桜貝の貝殻が頭 に浮かぶ。海水浴に行きたくなった。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 穏やかな波の来る海辺に桜貝がちりばめられたよ うに美しく、光を反射しているような情景が思い浮 かび平和でかつきれいな自然環境を楽しむことがで きた気がします.
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 波がひいたときにそれまで浜辺に埋まっていた桜 貝が姿を表したときの風景は本当に美しいと思いま した。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 季節外れに海辺に来るような特別な心身の状態で あり、来たときはネガティブであると考える。 しかし、波が引くときの惜別な気持ちの中で、桜 貝というシーズンなものを見つけ気分の安定を助け られた筆者のポジティブな感情を詠んだと考えた。
桜貝の歌がしみじみかんじた。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) これはなんか想像できますね。 きれいな感じがします。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 私はこの俳句から、春のうみべの美しい情景が思 い浮かびました。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) (感想) 表だけではわからないかくれた部分の美し さが表れるおどろきがえがかれているように 思えた。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 潮がひいた時、浜辺を歩いているときれいな桜貝 が落ちていると、浜がとてもきれいに見えるという 事だと思いました。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 波がひいた跡、砂浜一面に桜貝がきれいにちらばっ ており、ほのぼのとした様子が伝わって来る。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 動きや音・色や景色が容易に想像することができ るきれいな詩だと思う.
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 春の感じが出ていて気持ちがいい。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) ・背景を思い浮かべやすく、桜貝をたまたま見つけ たというイメージがあって趣深いと思った。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 想象してみてキレイでいいなと思いました。 (編者)「想像」です。
天婦羅の銀宝(ぎんぽ)のひかり主婦光る (内沼春雪) 天ぷらはエビが好きです (編者)簡単なエビの天ぷらのイラスト略。
天婦羅の銀宝のひかり主婦光る (内沼春雪) ↑の漢字が超カッコイイ!!
・天婦羅の銀宝のひかり主婦光る (内沼春雪) 銀宝の光るのをみていると、調理している主婦 の姿が、なんだかたくましくみえてくるよう すをかかれたのではないでしょうか。
天婦羅の銀宝のひかり主婦光る (内沼春雪) 江戸前のぎんぽのてんぷらはおいしいです。 ぎんぽが季語とは知らなかった。
天婦羅の銀宝のひかり主婦光る (内沼春雪) 天婦羅も主婦もよく油きっていて、とてもよいと 思った。
「天婦羅の銀宝のひかり主婦光る」(内沼春雪) 魚釣りをするのでぎんぽはしっていましたが、銀 宝と書くとはまったく知りませんでした。ですが、 銀宝は、天ぷら屋さんなどでよく高く買われるとき いていたので、銀の宝と書くのもなるほどなあと思 いました。
「天婦羅の銀宝のひかり主婦光る」は日常の中の1 コマも俳句になるのかと感心しました。
天婦羅の銀宝のひかり主婦光る (内沼春雪) ギンポ釣って食ってみたい。
天婦羅の銀宝のひかり主婦光る (内沼春雪) 僕は銀宝は見た目が気持ちが悪いので好きではあ りません。
天婦羅の銀宝のひかり主婦光る (内沼春雪) 昨日、夜釣りでぎんぽ釣る 昨日、ぎんぽつりました。
天婦羅の銀宝のひかり主婦光る (内沼春雪) 春先の銀宝は大きくおいしいです.関東地方では てんぷらが喜ばれるそうです。銀宝のひかりと主婦 が天婦羅作りに光るを掛けあわせているのが分かり ました。
渦潮の鰆(さわら)とる舟かしぎ舞ふ(山口草堂) ※ 鰆の漁法を見たことがないので地元に帰ったら 一度見て見たいと思いました。 あと、鰆がすごく食べたいです!!
渦潮の鰆とる舟かしぎ舞ふ (山口草堂) 鰆を釣りに行きたいなあと思った。
渦潮の鰆とる舟かしぎ舞ふ (山口草堂) さわら大好き!!
渦潮の鰆とる舟かしぎ舞ふ (山口草堂) 鰆食べたい。
渦潮の鰆とる舟かしぎ舞ふ (山口草堂) とてもキレイな感じがとてもよい。
渦潮の鰆とる舟かしぎ舞ふ (山口草堂) ・流れの早い場所で獲れた鰆は身がひきしまってい て、食べてみると他の鰆よりもおいしいというイ メージをしてしまった。
渦潮の鰆とる舟かしぎ舞ふ (山口草堂) 句のさわらをとりに渦まく春の海で漁をする船が ダイナミックに揺れる様子が伝わってきました 荒れた海の様子に反して天気は快晴のイメージが 想像できました。
渦潮の鰆とる舟かしぎ舞ふ (山口草堂) (感想) 鰆の力強さがすごく伝わってきた。 また鰆をとる漁師のすごさが伝わってきてよかっ た。一回読むだけで心にずしっとくるごうかいな排 句だなと思った。 (編者)「俳句」です。
渦潮の鰆とる舟かしぎ舞ふ (山口草堂) 水の流れの上で鰆を捕っている舟が、人が舞いを 踊っているような風景であり、とても美しいと思っ ているのではないかと、私は感じました。
風花とおもひて栄螺(さざえ)蓋ひらく(和知喜八) とてもきれいな句だと思った。 この発想は我々にはできないなと思った。
風花とおもひて栄螺蓋ひらく (和知喜八) さざえのつぼ焼きを食べたくなりました。
「風花とおもひて栄螺蓋ひらく」(和知喜八) 岩のようにごつごつした栄螺の蓋がひらく様子を 花に例えたのは、観点の鋭さを感じます。 栄螺の蓋がひらくところは、その美味しい匂いす ら感じることが出来ます。
風花とおもひて栄螺蓋ひらく (和知喜八) とても趣がある歌だと思いました.
「春蘭(しゅんらん)や雨をふくみてうすみどり」 (杉田久女) この句が一番印象に残りました。 まさにこの句のような情景が浮かんできそうであ る。今日の授業の内容は初めて聞く内容であったが 興味を持って聞くことができた。 (編者)興味を持って聞いてくれてありがとう。寝る 人が多いと悲しいです!
春蘭や雨をふくみてうすみどり (杉田久女) 春に咲いた春蘭が雨にぬれてあざやかにうすみど りになる感じが春がおとずれる青葉と重なって春だ なと感じとれた。
杉田久女のが好きです。
杉田久女の詩が好きです。
掘返す塊(かたまり)光る穀雨かな(西山泊雲) 塊とは何なのかと思った。
掘返す塊光る穀雨かな(西山泊雲) 季節を感じる.
掘返す塊光る穀雨かな(西山泊雲) 雨が降っているなと思った。
摘んで煮て少しばかりや春の蕗(ふき) (草間時彦) 何気ない食卓で使われている蕗を表現している。 蕗をあまり食べたことはないが、煮て食べるものだ とわかった。
摘んで煮て少しばかりや春の蕗 (草間時彦) →おいしそうな感じがする
逆潮(さかしお)が風巻き返す 石蓴(あおさ)採り (遠藤信子) あまり意味がわからなかった。
逆潮が風巻き返す石蓴採り (遠藤信子) 磯での力強い波の風景が目にうかんだ。
青海苔の乾き上々風上々 (上村占魚) 青海苔の乾きの良さを「上々」という言葉で表 現し、さらに「風上々」を持ってくることで青海 苔とは思えないようなさわやかの俳句になってい る。 あたたかくたんぽぽの花茎の上(長谷川素逝) 「あたたかく」が最初に来ていることで、たんぽ ぽが咲くような春が来たということがすぐにわか る。
・「あたたかくたんぽぽの花茎の上」(長谷川素逝) (感)春になって花が咲いたたんぽぽのじょうけい が目にうかび、すごくおちつけます。 ・「渦潮の鰆とる舟かしぎ舞ふ」(山口草堂) (感)春になり、しゅんな魚である鰆が目にうかび すごく食べたくなりようなじょうけいが浮かび ました。
摘んで煮て少しばかりや春の蕗 (草間時彦) 食の面から春を感じられる俳句だと思いました。 ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) 波の美しさと貝の美しさが想像できるなあと思い ました。
ひく波の跡美しや桜貝 (松本たかし) ・春っぽいなと思いました。 春蘭や雨をふくみてうすみどり (杉田久女) ・これも春っぽかったです
季節がうまく表せている
(編者)出席カード裏面の前年度の俳句についての感想 大漁旗はためく島の船起こし (柴山つぐ子) 漁業が盛んな島で漁師がシーズンになって漁を始 める豪快な感じがしました。僕の父もマグロ延縄漁 船をもっていて、父の手伝いで大漁旗をつけたりし ました。漁師にとって大漁旗はその船の顔になるの で大事なものです。僕が水産大学校にきたのも、幼 い頃から父を見て育って海が好きになったからです。 そんな父を連想させる詩だと思い、一番に目がいき ました。
今年こそ行っておきたい海びらき 昨年は忙しくて海で泳ぐことができなかったので 今年こそは海で泳ぎたいです。 ※一回目の授業は研究室の集まりがあったため途中 で退室しました。 二回目は海技士試験のため欠席しました。 三回目は行く途中で車が故障してしまい欠席しま した。 連絡が遅れてすいませんでした。
加茂島やああ加茂島や加茂島や 先生髪切ったんですね。私にはわかりますよ。 テケリ・リー (編者)ぎょっ、わかりましたか!
ゴールデンウィークは初めて平日が休みだった. 人生発の九連休で映画をみたり釣りをしたりしまし た。小倉にも行ったのですが、吉見とちがって大都 会でとても驚きました。 (編者)「人生初」です。
連休中に自分で浅漬けをこしらえて食べました。 白いご飯が欲しくなりました。炊飯器が欲しいです。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 私はこの句を読んで、その景色がすぐにうかんで きました。春は一年に一回しかないので、春を惜し む気持ちは私もすごくわかりました。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 春が好きなので、気持ちがわかるなと思いました。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) (感想)全体的に春が感じられる俳句だと思った。 春という言葉が分かりやすかった。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 梅雨が嫌いなので今の気候のままがいいです
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 春になり、少し暖かくなってきて、海に遊びに行っ ているんだなあと思いました。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) (感)砂浜を歩るいて残った足跡が波でながされた 時、同じように終っていく春にさみしくなって しまうような気持ちになりました。
「春惜しむ」が好きです。 待ち遠しかった春もいざくると短いものだと思い ます。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 春が終わり夏へと徐々に向かって季節が変わって 行くが、春は新な始まりなど色々な決意がこまられ ているので、作者のさびしさを感じます。 (編者)「こめられている」?
「砂浜に残る足跡春惜しむ」(松村多代子) 入学して一ヶ月、一歩ずつ少しずつ大学生活にな れて来た自分たちをあらわしているみたいだ
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 「青春」という雰囲気が漂っていて、さわやかな感 じもするが今の時間がすぎていくのがなごりおしい という気持ちもつたわってくる.
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) → 七つの俳句の中で最も意味不明だと思った。なぜ 「砂浜に残る足跡」が春とどう関係あるのか
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 何で春に砂浜の足跡が関係するのだろう.
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) なぜ足跡を見て春を惜しむのか気になった。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 夏がくれば足跡が残る間もなく他の足跡に消され ていくので足跡がきちんと残っているうちは春なん だと思った。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 砂浜に残っている足跡を見てもうすぐ夏だと感じ て春を惜しんでいる。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 子供たちの遊んだ砂浜に淋しく残っている足跡が これから来る夏に向かっていることから春を惜しん でいる様子が伺える。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 夏が間近になり、砂浜へいってみると、足跡があ り、それを見ていると、今過ぎようとしている春に 思いを向けているこの詩が、 私には考えようもないことなので、不思議に思う。
○砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 春の間に残された足跡が、夏をむかえることによっ て、春を惜しみながら、砂浜に打ち寄せる波に消 されている感じがした。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 春を惜しむのにどこか夏らしい砂浜を使ってるの が不思議だと思った。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 砂浜に足跡が残ることで、夏が実感できる喜びと ともに、春が過ぎさっていく寂しさが残っている。 こういった季節の移り変わりを季節を代表するも ので例えているのが良かった。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) (感想) 砂浜に残る足跡が素朴に感じてなんだかさみしい。 春がすぎていくさみしさをえがいている。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 季節が変わっていく情景が想像できた。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 季節の変化を表したいい句だと思った。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 春が終わり、夏がくることが思いあがります。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 春があっという間に過ぎて夏の到来を感じさせる 句でした。夏になると海に行く様になり人々の足跡 が砂浜につきます。その砂浜の足跡が波に消される 様が春を惜しむ感じがしました。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 春がもうすぐ終ってしまう悲しさと夏が来る楽し みな感じが感じられる。 春も夏も私は好きです。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 感想 砂浜に行く季節が来て、春も終って夏に入っ ていくのを感じる一句だった。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) (感想)あたたかくなり夏に向かっている。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 夏キターー!!
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 〜感想〜 吉母の海水浴場に行きたくなった.人が少なく、 足跡が残ることから、春の感じがする。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) なんとなく恋人情緒を感じさせる、ほっこりと した一句ですね.
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) いずれ波によって消される足跡の様子が時間の経 過と消えていく物のむなしさみたいなのがいいなぁ と思いました。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) きれいな詩だと思う.
私 砂浜に残る足跡春惜しむという歌が好きだ いい感がでている
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 場所や風景が思い描けるうただと思いました。
松村多代子の俳句は春が終わり夏が近づいてきてい るので春を惜しんでいるのがよくわかる俳句だった。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 大学生活最後の春ももう過ぎてしまうと思うと寂 しいものがあるなぁと思わされます。
砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) 感想 毎年GWが終わると、夏が近づいて来たなと感 じる
烏貝の詩の意味がわからない.説明してほしい.
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) 私は、この俳句から、烏貝を海から約り上げる情 景が浮かびました。 (編者)「釣り」です。
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝(からすがい) (内山堯修) 烏貝は船やテトラポットなどにくっついている。 この場合はおそらく、ごみに烏貝がついており、そ のごみを釣り上げたことを表していると思いました。 ゆらゆらとというのがとてもおもしろい。
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) ゆらゆらと釣り上げられしと言っているところか ら、ロープで烏貝を養殖しているのかなぁと思った。 そして、収穫するときに、海から引き上げて、それ がゆらゆらしているんだと思った。
「ゆらゆらと釣り上げられし烏貝」(内山堯修) 僕はよくつりにいくのですが、カラス貝をよく見 かけます。カラス貝の殻も何回かハリに引っかかっ て釣れました。この詩はとても親近間を覚えました。 (編者)「親近感」です。
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) 偶然、烏貝に釣りバリがひっかかり、ゆらゆらと 引き上げられている様子
「ゆらゆらと釣り上げられし烏貝」という俳句を見 て、私は簡単につかまえられる烏貝の様子を想像し て、烏貝が少しかわいそうに思いました。
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) 烏貝にはどうする事もできない様子を表している 詩だと思う
烏貝ってどんな貝なんですか? 食べれますか? (編者)もちろん!
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) 貝が釣り上げられているなと思った。
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) 趣があっていいと思った。
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) 釣り上げられることは むずかしいけどゆらゆらは たくさん釣れているイメージ
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) 烏貝のさまが思い浮び、あわれな姿がとても面白 いと思う。また烏貝のあわれな失敗に貝に心がある ように思えた.
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) ゆったりとして、ほのぼのとした感じがしてよい.
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) 風流を感じる
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) シンプルでもよく意味がわかり好きになった。
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) 気持ちよかった.
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) 情景が想像しやすい詩だと思った
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) 感想 季語が烏貝というのが面白い。景色が想像できて 良いと思った。
烏貝という俳句の季語は、烏貝という事になるので しょうか?不思議と考えさせられる俳句でした。
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) ゆらゆらというぎたい語が私の心を引いた
烏貝の俳句は春という言葉を使っていないけど、 春をとても感じられた。
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) 感想 潮干狩りに行きたい.
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) 釣りがしてみたいと思いました
「ゆらゆらと釣り上げられし烏貝」(内山堯修) この俳句が一番印象に残った。 読んでいると背景にあるじょうけいが見えてくる ようである。 今日の授業は、初めて聞くことばかりであったが 興味を持って受ける事ができた。 (編者)ありがとう!がんばりまっせ!
さざなみは神の微笑か水温(ぬる)む (楠本憲吉) 夏が近づき気温が上がったことにより、水温も上 がって温くなったのだと思った.
さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉) 春を越えて、水温が温くなってうれしいんだと思 う。
さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉) (感想)暖かい季節が来て、さざなみも来て海水温 も上がっていったのがわかった。
さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉) だんだんと温かくなっている様子が伝わってきて いいと思います。
さざなみは〜 春の情景が浮かんでくるような作品.
さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉) さざなみの季節になってきたな.
さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉) そろそろ海で泳げる季節だと感じた
さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉) きれいな海水があたたかく気持ちいいです。
さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉) そろそろクラゲが出るので海は危ないです
「さざなみは神の微笑か水温む」という俳句を見て、 さざなみの温かい様子を思いうかべて、この俳句の 表現はおもしろいと思いました。
神の微笑かという表現がとても気に入った。
さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉) 春の到来を水温む、水が温かくなるという表現で 表し、さざなみが神の微笑であるかのように例えて いるところがおもしろい表現である。
水温(ぬる)む 作.楠本憲吉 さざなみは小さな波e、それを、神の微笑とする ことで、嵐の終わり、春の始まりをイメージさせ、 さらに、水温むで、プラスのイメージへもってい こうという思いを感じた。 (編者)「e」のところ、読み取れなくて見えたままにしておきま す。
さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉) 海を拝める気持ちが伝わってくる。
さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉) →(感想)冬の間海は荒れる。とくに下関から見え る日本海は冬、海は荒れている。しかし春に なり、夏に近づくにつれ海は穏やかになって いく。そのさざ波を神の微笑みにたとえ、冬 の冷たい海水が温くなる様子が、この俳句か らは読みとれる。
さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉) 本栖湖に映る富士山を想像した。
さざなみは神の微笑か水温む (楠本憲吉) なごみました。
山笑ふみづうみ笑ひ返しけり (大串章) 波の音がザワザワと笑っているように聞こえてく るだけでなく、波がくり返しうごいている所を笑い を返していると思った。
山笑ふみづうみ笑ひ返しけり (大串章) 「山笑ふ」と「みづうみ笑ふ」の映像が頭にうかん だ。ちょうど青々とした山が湖面に映っている写真 のように。
山笑ふみづうみ笑ひ返しけり (大串章) 山が笑うと、その近くにある湖の水面がその笑い を映して笑い返している風景が思い浮かぶ。
山笑ふみづうみ笑ひ返しけり (大串章) この1文で、山の音と、湖などの自然の風景が浮 かんでくる。
山笑ふみづうみ笑ひ返しけり (大串章) 山が花が咲き緑が生い茂る様子を山の近くにある 湖がその様子を反射し、いよいよ夏が訪れたという 様子が伝わってくる。
山笑ふみづうみ笑ひ返しけり (大串章) 山の風影が湖にうつっているのかなと思いました。 もう夏の俳句になったのかとおどろきました。 (編者)「風景」です。
山笑ふみづうみ笑ひ返しけり (大串章) (感想)山と湖という大自然に囲まれた情景が思い うかんだ。春のイメージだと思った。
山笑ふみづうみ笑ひ返しけり (大串章) 山がほほ笑んでいる様子が大きな湖にも映り、笑 い返している。そこがとても趣深いと思った。
「山笑ふみづうみ笑ひ返しけり」(大串章) 山笑ふという表現が実際にはないことだけれどす てきな表現だと思った。みづうみ笑ひ返しけりとい うのはきっと湖に山がきれいに写っているのかなあ と推測した。
山笑ふ深夜はひとり我わらふ (河原枇杷男) 深夜にひとりで笑っているのは気色悪いと思った。
山笑ふ深夜はひとり我わらふ (河原枇杷男) という俳句で、山笑ふという表現が面白いと思いま した。
山笑ふ深夜はひとり我わらふ (河原枇杷男) →作者が何を考えたのかよく分からないが、深夜に ひとり笑うのは少し変人じみている気がした。
山笑ふ深夜はひとり我わらふ (河原枇杷男) さみしそうな感じがする。
山笑ふ深夜はひとり我わらふ (河原枇杷男) 山笑ふというのは、山に木々が生い茂り、緑色に 輝き、活気にあふれた時季のおとずれを感じますが、 深夜はひとり我わらふの意味はあまり分かりません。 品のない俳句に見えて好ましくない感じがします。
山笑ふ深夜はひとり我わらふ (河原枇杷男) 何を山笑ふと例えたのかが気になった。
山笑ふ深夜はひとり我わらふ (河原枇杷男) 山の近くに住んでいて、深夜に一人でお酒を呑ん で笑った声が、山から反射して山も笑っているよう に思えたのではないかと思った。
山笑ふ深夜はひとり我わらふ (河原枇杷男) 不気味な句だ。山が笑うことはもちろんですが、 深夜にひとりで笑う声がきこえてきたら、そうとう 恐いです。
山笑ふ深夜はひとり我わらふ (河原枇杷男) なんかリズムがあって読みやすいので好きです。
深夜はひとり我わらふって何かこわいと思った。
手を拍(う)って 小鮒(こぶな)追ひ込む春の暮(大串章) 小学生の時によく鮒をつかまえたりしていたので とても目にとまりました。手をたたいたりすると鮒 はすぐに逃げてしまいつかまえるのに追込むような 姿を想わせる詞なのだと思いました。
手を拍って小鮒追ひ込む春の暮 (大串章) 頭の中に夕方くらいの川がでてきて、そこに一人 の男性が手をたたきながら、船をホイホイと追って いく様子がうかぶように感じる。
手を拍って小鮒を追いこむことと春がどう関係が あるんですか。先生なんで髪切ったんですか? (編者)冬の間は鮒も人もじっとしてます。温か くなってはじめて、人も鮒も動き始めるのです。 髪を切ったのは、もてたいからです。
手を拍って小鮒追ひ込む春の暮 (大串章) (感想) 小鮒がむれている春の生命観が伝わってきた。春 の暮に手を拍って小鮒を追ひ込んで鮒を採っている 様子がおもむき深く感じてよかった。
手を拍って小鮒追ひ込む春の暮 (大串章) 「暮」とあるので、小鮒を追い込むときに黒の魚影 が手をうった方向と逆の方向へ逃げていく情景が感 じとれます。 まっくらになってしまう前に鮒をとりたいという 感情もいっしょに感じとれます。 夏の前の春という感じがして一番いい歌だと思い ました。
手を拍って小鮒追ひ込む春の暮 (大串章) おくびょうな鮒が音に驚いてあわてる様子が目に 浮かんだ.
手を拍って小鮒追ひ込む春の暮 (大串章) 小鮒を捕るのに追ひ込むというのと同時に春も終 わりを告げるように追ひ込まれているというのがか かっていていいなと思いました。 (編者)「春の暮」は春の夕方という意味で、春 の終わりを表す季語は「暮の春」です。でも、こ こでは「春の暮」=「暮の春」としときましょう。
手を拍って小鮒追ひ込む春の暮 (大串章) 春が終り、夏が始まろうとしているのがよく分か る句だと思う
遊び子のこゑの漣(さざなみ)はるのくれ (林翔) 感想 そろそろ夏が来るなと感じる
遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔) ・子供の声が聞こえてくる感じがする。 ・自分の幼少期が自然と思いだした。
遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔) 冬が終わり、だんだん暖かくなって、子どもたち が夕方まで外で遊んでいる様子が思いうかびました。
遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔) 遊び子の声のさざなみが趣深いと思った
遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔) 春になったからのびのびと遊んでいるんだろうなー と思いました。
遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔) <感想> 幼い子供達が 波うち際にて はしゃぎながら遊んでいて、 『はるのくれ』という事もあり、水温もそれほど冷 たくない事から、子供達が波の中へ足を入れている ような情景が思い浮かびました。
春光や海へなだるる海女の花圃(かほ) (高間礼子) 海女の花畑…かわいい感じがします。あさりの時 期ですね。私はあさり畑?のほうがうれしいです。
春光や海へなだるる海女の花圃 (高間礼子) 海に潜って貝や海藻とる仕事っぷりがきれいな花 のように見える感じがした。
「春光や海へなだるる海女の花圃」 (高間礼子) 最近よく海を見ると春だなあと思うような気がし ます.なのでこれが気に入りました。
春光や海へなだるる海女の花圃 (高間礼子) 今年も海が暖かくなって泳げるようになったので 早く泳ぎたい。
春光や海へなだるる海女の花圃 (高間礼子) 夏に近づいてくるのが想像できる.
・踏みはづす手乗り文鳥あたたかや(秋元不死男) 実家で手乗り文鳥を飼っていたので微笑ましい光 景が容易に想像できました。多分、文鳥が手に乗ろ うとして足を踏み外して体で着地してしまったので はないかと思います。
踏みはづす手乗り文鳥あたたかや(秋元不死男) 賢い文鳥でも、足を踏みはずすという情景が、実 に面白くて、かわいらしさを感じた。
踏みはづす手乗り文鳥あたたかや(秋元不死男) 手から離れようとする文鳥の「生きてる」感じが 伝わってきました。
・感想 踏みはづす手乗り文鳥あたたかや(秋元不死男) 「飼っている文鳥がとまり木を踏み外した、おかし さと季節の暖かさが表現されていて面白いと思う」
あたたかやでんがくあぶるとうふく寺 (徳元) もう、日陰げでないと暖かいといえない.
あたたかやでんがくあぶるとうふく寺 (徳元) 最近の季節にぴったりだと思いました
あたたかやでんがくあぶるとうふく寺 (徳元) 「でんがくあぶる」という表現が、とても食欲をそそ られていい。でんがくはたいしてすきでもないのだが、 少し食べたくなった。
◎砂浜に残る足跡春惜しむ (松村多代子) シーズンオフに砂浜に来たのは、夏の思い出が頭 の中にあり、ふと歩を進めていると、その季節の 足跡と同じようなそれが砂浜に描かれてデジャブ として頭によぎり、その足跡が残ったことが自分 の春への名残とダブったことを詠んだんだと考え た。 ◎山笑ふ深夜はひとり我わらふ (河原枇杷男) 昼間にそれなりの上機嫌で歩を進めていると山の 表状が見えて山も自分と同じような笑みを浮かべ ていると感じている。夜間になり昼間は山が笑っ ているのは見えたが山の表状が見えない中共笑い せずとも、ひとりでも笑みを浮かべれるポジティ ブな印象を与えてくれることを詠んだと思った。 (編者)「表情」です。
ゆらゆらと釣り上げられし烏貝 (内山堯修) 烏貝は偶然引っ掛からない限りつれないと思うが、 「ゆらゆらと」という言葉からのどかな春の様子が 感じられる。 遊び子のこゑの漣はるのくれ (林翔) 遊ぶ子どもたちの声を「さざなみ」と表現したと ころがおもしろく、様子を想像しやすい。
「山笑ふ」という擬たい語を使うのは、とてもおも むき深いと思った。
「ゆらゆらと釣り上げられし烏貝」と「手を拍って 小鮒追ひ込む春の暮」は、どちらも春の旬のものに ついて書いてあり、その現場を見てみたいと思いま した。
なぜ烏貝が釣り上げられているのかと思ってしま いました。というか、烏貝ってどのようなものかは 分かっていません。 2つめの意味がよく分からなかったんですが、分 かるようにしたいです。 (編者)2つめは「砂浜に残る足跡春惜しむ」(松村 多代子)です。
・春惜しむ 過ごしやすい春が終わっていよいよ暑い夏がく るのがうれしいような嫌なような複雑な気持ちが した。 ・暖か 寺の境内でのんびりと春と日差しを楽しんでい る様子が羨ましいと思った
よく春のおわりが表現できている。
これらの句はとてもしゅこうがこらされていたと 思う.
とても感銘をうけた.