水大歳時記(平成二十三年度)夏 の 部
夏、炎帝、朱夏
雨降ってムシムシするね夏になれ
風吹いて静かに夏を気づかせる (フライング・ダッチマン)
夏までは勉強がんばる水大で
太陽と仲よしこよし夏野菜
夏が来たコーラに依存性ありますか? (編者)ビールにはあります!
夏が来た私はあなたをあいすのみ
夏が来た夏希の希節がやってきた (編者)「季節」の「季」はわざと「希」に変えてる のですね!なかなか!
夏が来た浜辺の海の青の色
太陽がギラギラ照らす暑い夏
初夏(しよか、はつなつ)
桜散り青葉が茂る初夏がくる
太陽がサンサンと照る初夏の昼
光る風輝く海を初夏に見る
キラキラと太陽輝く初夏の海 初夏の中 水面(みなも)に帆(ほ)を立て君思ふ。 初夏の夜 蒸風呂気分で床につき 初夏の海 風強い割に涼はなし
初夏の道一歩二歩進み暑さ増す。
立夏、夏立つ
夏が来て肌の露出が増えてくる。
夏に入り海へ駆けてく子供たち(タラちゃん)
夏が来て僕の心は薔薇色だ
夏めく
潮の香が満ちて夏めく水林
夏浅し
長袖のシャツが暑い夏浅し
薄暑(はくしよ)
薄暑のほろ酔ひ冷めて抜けるかぜ 詩の表現の限界を感じました。
小満(せうまん)
小満や大地を染める青緑
麦の秋
空見上げ郷里を想う麦の秋
麦の秋もう夏なのかまだ春か
麦の秋豪の夕日を照らし映ゆ
六月
6月や水面(みなも)に響く梅雨の音 (モビー・ディック)
6月は泣き顔ばかりの空模様
(編者)「六月の太平洋と早起きす」(矢島渚男)に倣って 六月の大西洋と早寝する.
六月は部屋のなかにこもります
入梅(にふばい)
梅雨入りを示すカエルの大合唱
梅雨いりで私の心もじめじめだ
梅雨入りにケロと喜ぶあまがえる
梅雨入りで髪がちゅるちゅるテンパの敵
梅雨寒(つゆさむ)
梅雨寒や部屋干し乾かず除湿増え
梅雨寒や長袖羽織り部屋を出る
油断して梅雨寒にやられ風邪を引く
夏至(げし)
夏至の日の日長に歩きたそがれる
夏至過ぎてまだなお高き日の光
夏至の日は、冬を想いて早寝する 夏至の夜も、煌く鋼の戦艦(いくさぶね)
梅雨明(つゆあけ)
梅雨が明けいよいよ夏がやってくる
梅雨明けが早くきたら夏本番
梅雨明けてセミ鳴き始め夏本番
梅雨明けて太陽サンサン青い空
梅雨があけそろそろ海へ行きたいな
夏の暁(あかつき)
夏の朝せみの鳴き声目が覚める
夏の夜
キラキラと夏の夜空の天の川
溽暑(じよくしよ)
蒸し暑いああ蒸し暑い蒸し暑い
暑し
床につき額に汗ふく熱帯夜
今日も暑い 明日も暑い 明後日も
毎日の登下校が暑すぎる
涼し、涼風
海を背に涼風感じてツーリング 風良き日船に帆を張り海原へ
夏の果、夏終る
夏終わり別れさみしく抱き枕
夏の日、夏日影
夏の日の太陽暑くさんさんと
照り返す光にもある紫外線
ハゲ頭夏の日差しはあつすぎる (編者)これこれ、年寄りをからかってはいけませ ん!
夏の日が作る日影に風が吹く
夏日影茣蓙敷き一人夢浸る
夏の日に皆で行くのは角島だ
夏の日にりょうせい行くのは裏海か
雲の峰
夏山の頭から出た入道雲
夏の空高くそびえる入道雲
夕日受け大火と映る雲の峰
夏の月
海見つつ、湯飲みに映る夏の月
夏の月男と女の心はまんまる
夏の月泳ぎ追いても捕まらず
夏の風
夏の風吹く度寂しさ吹き抜ける
薫風(くんぷう)
薫風に心が泳ぐ夏祭り
梅雨
こんこんと降り落つ梅雨こんこんと
梅雨の中私の心は雨模よう
ごめんなさい謝る思い梅雨の雨
海うねり前髪うねる梅雨のせい
梅雨前の肌に張りつく梅雨の風
梅雨の雨部屋から出れず引きこもり
雨やまずいつもじめじめ つゆの今
梅雨になり洗濯物が溜まってく。
梅雨時は洗濯物がたまります
つゆのとき洗たくものがかわかない
ラグビー後梅雨のシャワーで泥落とす
梅雨の雪私の心に火をともす (編者)「雪」は「雷」の間違いだと思いますが、ど う見ても「雪」としか読めません!
五月雨(さつきあめ、さみだれ)
五月雨に景色がかすむ吉見港
虹(にじ)
雨あがり七色の虹きれいだな
(編者)「手をひろげ虹の長さを測るかな」(草間時彦)に倣って 足広げ虹の大きさ測ろうか
天気雨あがると空に見える虹
雨後の虹見上げ茶を飲む飯の後
海原に架ける虹の橋渡れずに
雨あがり七色の虹きれいだな
雨上がり空に架かるは虹の橋
雨上がり君の心に虹かかる
雷
梅雨空の遠に聞こえる雷(らい)の音
さきほどの大きな雷落ちただろう
雷(かみなり)が落ちぬようにとマスト倒し
波砕け海辺に響く雷鳴が
遠雷の煌き肴に茶を啜る 遠雷の轟きはよき子守唄 (編者)お手本の季語に合わせて短い時間で、この2 句を含めて12の俳句を作るとはすごいですね!
雷におびえつつも外歩く
梅雨雷(つゆかみなり)
朝起きて梅雨雷聴き眠気飛び
梅雨の雷(らい)傘無き我に突き刺さる 梅雨の朝、滝ごとき雷地を照らし
梅雨の雷大きな音で鳴り響く
雷の蕾が灯る梅雨の海
梅雨の雷よい子のみんなへそ隠す
梅雨晴、五月晴
「梅雨晴や海に伸びゆく高速道」(伊藤とく)にならって 梅雨晴や山に伸びゆく山陽道
梅雨晴や空は澄みて蒼深く (フライイングダッチマン)
梅雨時に晴れれば心も晴々だ
夕焼(ゆふやけ)
夕焼が空を赤く染めておる
海に映りよりまぶしき夕焼や
夕焼や闇を照らす灯か (モビィーディック)
夕焼の沈む朱海をただ望む
「海の男」 夕焼けが沈む姿に心燃ゆ
(編者)「水を飲む馬は耳より夕焼けて」(ながさく清江)に倣って 水を飲む牛は耳より夕焼けて
(編者)「夕焼のどこに立ちても荒き海」(福田甲子雄)に倣って 夕焼のどこに立ちてもらりるれろ
夕焼けを見ながら歩く帰宅道
日盛(ひざかり)
日盛りに、眠気を誘う海の風
(編者)「日盛りに蝶のふれ合う音すなり」(松瀬青々)に倣って 日盛りに虫のふれ合う音すなり
炎天
炎天下サンダルはいてまだら模様
夏の山
無心にて木陰で涼む夏の山
夏の海、夏の浜
白波にさざ波響く夏の海
海の青夏の日を浴びさらに青 (フライング・ダッチマン)
潮風の香り漂う吉母の砂兵 (編者)「兵」は「浜」?
太陽の光が照らす夏の海
日を受けてあまりに眩しき夏の海
夏の浜水着目指して沖を出る。
夏の海遊び日に焼け小麦色
(編者)「夏日にけぶる海は無数の働く船」(滝春一)に倣って 夏日にけぶる海は一隻の船
振り返る足あとひとつ夏の浜
夏の潮
夏の潮香るにおいがすずしいな
夏の潮私の肌は小麦色
夏休み
もうすぐだ早く来ないか夏休み
遊びたい早く夏休み来ないかな
実習と予定がいっぱい夏休み
汗流し課題に励む夏期休暇
夏休み試験勉強で休みなし
夏休み地元に帰って遊びたい
更衣(ころもがへ)
白に青夏色いっぱいころもがえ
衣替(ころもが)えするの忘れてうでまくり
浴衣(ゆかた)
浴衣着て大学歩き夏気分
浴衣からはだけた肌は小麦色
海水着
海の家海パン・ビキニパラダイス
青い海白い砂浜ビキニギャル
サングラス
サングラスの似合う男になりたいです。
夏帽子(なつぼうし)
泣き顔を隠して見せない夏帽子
冷索麺(ひやさうめん)
つゆかけて氷を入れて冷素麺
夏の夜冷素麺が食べたいな。
つゆ打ちの流れるそうめんすずしげや
冷し中華
腹へった冷やし中華が食べたいな。
麦酒(ビール)
ビール飲む私の肌は小麦色
初麦酒、嫌悪催す深苦味
週末は冷えた麦酒で乾杯だ。
アイステイ
(編者)「潮騒やカフェテラスのアイステイ」(平井カヅコ)に倣って 潮騒やスターバックスのアイステイ
日に焼けて私の肌はアイステイ
氷水(こほりみづ)
買ってきた君と食べたいかきごおり
かき氷自分と一緒にとけそうだ
氷菓
腹減ったアイス食べたい暑い夏
アイス食べ幸せ感じる暑い夏
風死んであいすくりいむ川流れ
夏座敷(ざしき)
灯を消して月の光差す夏座敷
涼感じ惰眠を貪る夏座敷
冷房
夏にむけクーラーかうか迷う日々
クーラーがついてくれたらやる気でる
扇風機
あついよるせんぷうきつかいはらこわす
扇風機次の夏までいざさらば
風鈴
縁側で風鈴の音鳴り響く
夏来けり踊る風鈴軽やかに (水鏡利斗)
風鈴が響く心は美しい
勉強中、ふと耳くすぐる貝風鈴 茶をすすり、風鈴聴きつつ海望む 風鈴の涼音は耳よき子守歌 (編者)他にも3句制作。即興の才、見事!!
風鈴の鳴る頃すでに小麦色
泳ぎ
泳ぐ人背中が少し日にやける
西瓜割(すいかわり)
すいか割りちゃんと切ったが絶対うまい
花火
夏空に輝く花火キレイだな
暗闇で線香花火に火をつけて (モビィー・ディック)
日焼
初夏なのに焼けてる肌は小麦色
日焼け止め塗らずに泳いで小麦色
夏の海日焼け対策女優帽 (Komaso)
夏の風邪
かぜをひき柔道できず寝込んでた (てん) (柔道部です)
夏かぜで柔道できずああつらい (てん) (柔道部です) (編者)まずしっかり風邪を治して!
日射病
風の子も暑さに勝てず日射病
鯉幟(こひのぼり)
三匹の空を泳ぐこいのぼり
祭
懐かしき田舎の夜の夏祭り
祭に行きたいっすくし (編者)すみません、こうとしか読み取れません!
初恋の甘く切ない夏祭り
夏祭り休みは終盤恋は序盤!! (編者)感嘆符の後のハートマーク略。
八月のはかなき恋の夏祭り
雨蛙(あまがへる)
げろげろりみんなで合唱あまがえる
熱帯魚
南海の珊瑚を飾る熱帯魚 熱帯魚色の織り成す夢の海 熱帯魚海という絵に彩(いろ)を付け
飛魚
吉見にてすくってみなよ飛魚を
飛魚がヨットに入って生臭い。
海の日に飛び急ぎたる飛魚や
今日の海は飛魚が全く飛びださない
飛魚を一人見損ねる残念感 ヨット部にて (編者)菱形のキラリマークとノコギリみたいな翼を広げて飛んで いる魚のイラスト略。
烏賊(いか)、烏賊釣
題名「夏休み」 海の上いさりびたいてイカねらう
スルメイカ先生ひとつイカがすか? 自信作!
なぜなんだ俺には釣れぬアオリイカ
海月(くらげ)、水母
海月(くらげ)見て触ってみたいが触れない。
海の中クラゲがユラユラういている
水面にただよう風鈴ミズクラゲ (モビー・ディック)
夏の海クラゲに刺されトラウマに
海潜りクラゲに刺され溺れ死す
蛍(ほたる)
闇の中水辺で光る蛍達
川岸でほのかに光る蛍たち
夜の川蛍がきれいに光ってる
山麓の蛍で着飾る里の川
川辺の夜光り輝く蛍のダンス
ささくれた我が魂(たま)癒やした蛍の灯
兜(かぶと)虫
夏の夜昆虫採取カブト虫
蝉(せみ)
蝉の声聞こえてきたよ夏開幕
日が出るといっせいに鳴くせみの声
遠夏をおもいだすよなセミの声
蝿(はえ)
黴(かび)の香に集(たか)る小蝿に気を乱し
ごきぶり
ぼくの顔ゴキブリ色と友が言う
ごきぶりは知らぬ所で増えていく
薔薇(ばら)
雨が降り海暗けれど薔薇赤し
男なら咲かせてみせます情熱の薔薇
乗船中夕日はまるで薔薇のよう 閉鎖され人間関係バラバラに
紫陽花(あぢさゐ)
梅雨色の大きなあじさい見つけたよ.
紫陽花と共に変わる日々の顔
突然の雨におどるアジサイの花
青葉
山登り青葉の上に海を見る
新緑、緑
ピンクから緑に変わる山景色
色彩は桜に代わる緑の葉 (フライング・ダッチマン)
茂り
日をあびて育つ植物おいしげる
仙人掌(さぼてん)
月光に踊るサボテン岩が美しい
サボテンの花を歌うと湯がしらけ
仙人掌を育てて思う無力かな
黴(かび)
黴の香が気付いた時にどこからか
黴香る一日前のヨーグルト
黴の群れ厨(くりや)風呂場に居を構え
授業
乗船中食う寝るくりかえし3kg増し
きこえずらかったです。 (編者)すみません、滑舌に気をつけます。
学生生活
青空にかもめのつがいは飛んでいる
もしかしてあそこにいるのは人魚姫? 吉見には人魚姫はいなかった。 帰りたくなったよ君が待つ町に
腕まくりしながら悪がるオレッてどう?
まず受け身次に受け身でまた受け身 (てん) 柔道部です。
柔道はスポーツの中で一番だ (編者)柔道部顧問の私もそう思います。
休日にひとりさびしく部屋の中
波がしら白一色が青にはえ
この前の豪雨で止まる山陰線
火花ちり消えゆく森は焼け野原
洗濯物太陽のにおいきもちいい (編者)句末の渦巻きと放射線で書かれた太陽の絵文字 略。
大学のレポートするの今日の朝
大学のデビュー戦まであと5日 (てん) 柔道部です。
柔道と剣道とるなら柔道部 (柔道の友人)
十五分人が行きかう阪急電車
あたたかい陽気はすでに変化した.
体重の差が60で動けない (てん) (柔道部です)
個人よりチームの一勝のぞむきみ
新歓で酒を飲んでも呑まれるな
壇ノ浦九州ばかりが悪者ばかり
乗船でイルカが見れたうれしいな
超絶かわいい!!あっちゃん 結局さ最後はやっぱり****さん ドヤ顔で指を鳴らしたバイク乗り
どしゃぶりと昨日の風でかさ折れた
肌寒い今日の朝は雨あがり
海から風きたらウレシイナ!
先週もダイブで疲れ今週も
全日本スポンサーはホームメイト byてん(柔道部です)
ポツポツと雨がうたう季節かな
運命の昇段試験6日前 (てん)(柔道部です) (編者)がんばって、落ちついて!!
赤信号みんなでわたればこわくない
いかり上げヨーホー叫ぶパイレーツ
吉見駅ホームの端までなんもない
海までの道短かし吉見村
浜辺にてバーベキューして海へ跳ぶ
海のさちとてもおいしいおさかなさん
海風だ浜辺でギャルのにおいする
雨風を受けつ漕ぎゆく海男
車校での構義の進行送れてる (編者)「講義」、「遅れてる」です。
カラオケで男女の比率1対2 (タモリ)
金欠で生活するため身売りする。
夕闇が満ちて輝く港星
男なら正義をもって生きるべき
未熟でもチームのために貢献す
昇段試験筆記ができず見送りに (てん) (柔道部です) (編者)残念でしたね!でもこれからがあるじゃん!
コンタクトつける余裕がなかったよ
朝起きて時計を見たら10時半 (タモリ)
雨ふりの季節憂鬱しんどいよ
雨が降り傘の花が満開だ
関東の気温はすでにお風呂なみ
明日こそは晴れになればと願う夜
全国の壁はやっぱり高かった(てん)(柔道部です)
疲れたよ100km歩行疲れたよ (編者)なかなか!がんばりましたね!
ついにきた車検を通す金もなし。
長ですね 雨が多いこの季節 ちょっと羽でものばしたい
びちゃびちゃに雨でぬれむれ臭いよう(-o-)w (編者)笑い顔の絵文字は似た形で代用。
滝雨の窓打つ音に聴き浸り
雨止んで。私のやる気を返してよ(T_T)笑
晴天に艇揺々と死屍累々 船酔いがひどかった…
自衛隊早く練習来てほしい (てん)(柔道部です) (編者)自衛隊員に指導してもらってしっかり練習 してください。
今日よりも明日の方がもっと良い
青空が私の心をきれいにし 友の心もきれいに洗う 快晴の日はきもちがいいですね〜!!
荒き海白鯨望む捕鯨船
1500 3分台になりたいな。 (編者)練習しっかり頑張ってください。
雲ひとつなくてキレイな青空だ
晴れている今日は洗濯びよりだな
快晴だこんな日だから海へ行こう! (編者)浮き輪で泳いでいる男の子、ヨットで釣りを している女性とその釣針の餌を海中から見ている 2匹の魚、空に太陽とカモメのイラスト略。
意味もなく浦海へ行き飛び込んだ (編者)確かに水大の裏の海は「裏海」でもあるし、 「浦海」でもありますね!
楽しみで毎日眺めるカレンダー (編者)もうすぐ夏休み!
日をあびて体を真紅にそめられて
ヤリ手より初めての方がぼくは好き 腹がへりました。
先生が髪の毛切ってイケメンに (編者)そうですか?!くっくっく!
部活にはかぜ直るまで出られない byてん(柔道部です)
海へ行き見つけた魚をモリでさす
詩
見知らぬ土地
帰り道 乗る電車を 間違えた 帰れたのは 二十二時半
エッセイ
夏浅し頼に仇波の藍水母 海洋文学の作品を読みたいのですが、英語で書か れた原書を頑張って読むべきでしょうか。教えてく ださい。 (編者)最終目的が海洋文学にあるのなら、できるだけ 多く読むために翻訳で読むのがいいと思います。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 帰省や旅立ち、夏は休暇が長い故、出会いや別れ を思うことが多いなっと思う。
海を背に〜 夏の別れを想像しました。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 夏を海で過ごし、その中で出会った人たちとのわ かれ。どこかなつかしい、いなかの香りがする。
中村苑子の「夏」は一夏の出会いから別れまでが 想像できる。海へ遊びに来た少年が少女と出会い、 そして別れ…甘く切ない夏休みを送った海を離れる 少年が想像できた。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) セミが五月蠅く鳴く中で、ほとんど無人の駅で別 れる二人の情景が浮かびました。 さわがしいのにそこだけ不自然にしんと静かで、 時折吹く風が切なさを助長するように思えました。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 海沿の駅で恋人が行ってしまうような悲しい気持 ちになる
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 夏の海って出会いと別れがやっぱりあるよなーっ て感じです。 俺も出会いがほしい… まず読んで思ったのは、やっぱせつない!! でも、思い出になる、心にひびく句だなあと思いました。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 夏に海を背景にして、駅で逢って、また帰りに駅 で見送られて、帰る風景が感じられる.逢う時は楽 しく感じられるが、別れる時は切なくかんじる.
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) ・夏休みに帰省して休みが終わる頃にまだセミも鳴 いている海が近い駅で見送られている姿を想像でき る
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 自分の故郷の海の前にある電車の駅に帰ってきて またその駅から旅立っていく人の姿が頭の中に思い 浮かんだ。
(詩)海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) (感想)夏休みに海が近くにある地元へ帰ってきた 青年が家族に会い、数日たって帰る青年を見送る家 族のさびしさがうかびました。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 夏休みに地方へ帰ったとき、旧友と楽しく遊んだ りして、帰りの駅の時海近くの駅で別れをする。な んとなく切ない感じがする。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) まるでカームと出逢ったときのように喜びもある が寂しさもある。しかし夏のいう言葉で苑二つの感 情さえも青く清々しくしてしまう美しい句であると 思う。 (編者)一応、「カーム」と読み取りましたが…
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 別々の道を進み、逢うことが困難になった友人と の再会の様子。 海を背景に座り話しているうちに時が過ぎ、とう とう別れの時が来た瞬間の切なさ。 真夏の駅に友人を見送りに行くが、寂しさのあま り涙が…。 次の再会を約束して、また自分の道を進んでいく 二人が見える。 この二人の友情は、ずっと絶えないであろうと私 は思う。 Q質問Q 立夏の俳句の中に、「夏に入る太平洋上プリン揺 れ」とありましたが、この俳句は、地震についての ことなのでしょうか。気になったので質問させて頂 きました。 (編者)解釈はいろいろあっていいし、またそれがおも しろいと思います。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 感想:海が目の前に広がる駅。久しぶりに田舎に帰っ てきた人が、その駅で迎えられ、その駅で別れてま た帰って行く。夏休みによくある光景だけれども、 なぜか切ないような気になる。映画RAILWAYSに、 一畑電車で似たような光景があったような。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) これはその状況が目に浮かぶようだった.こんな 映画を見たことがある気がする.自分の地元には電 車が走ってなかったのでこんなことはならなかった が…。 さわやかでキレイな句だと感じた。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) まるで何かのドラマの一シーンのような情景が浮 かびました。ここまでハッキリと想像できるのはす ごいと思います。イメージ的には良見駅がぴったり だと思います。 (編者)「良見駅」は「吉見駅」?
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 真っ先に山陰線のような景色が想像できて親近感 がわきました。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 福江駅がフッと頭の中に出てくる詩。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 海の近くにある駅の風景が目に浮かびました。
海を背に逢ひて別れし夏の駅は、きれいな風景の 駅にて、会うのも、別れるのも、この駅でで行われ る様子だと思います。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 海に別れをつげてさびしく帰宅していく様子が想 像でき、なんだかせつない気持ちになる
中村苑子さんの句は僕も同じことを経験したので とても共感できた。
「夏」を読んでとても意味が深くてとてもいいと思 いました。 とくに「夏の駅」というのがいいと思いました。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) この俳句は「夏」というテーマにおいてもっとも ベタなものだと思う.
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 夏を感じられる俳句だと思う
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 夏が来て、春が去っていく様子を「逢ひて別れし」 と言ったのかなと思った。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 暑い夏の日に海水浴に行く人と帰る人が電車で交 わることを表現したのだと思いました。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) よくある夏の思い出だなぁと…。
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) もう夏の終わりも感じさせるような詩です
海を背に逢ひて別れし夏の駅 (中村苑子) 青春という感じがする。彼女を作りたくなる良い 作品
夏に入る太平洋上プリン揺れ (竹下流彩) プリンの意味があまり分かりません もうちょっとはっきり話して下さい 聞きとれません (編者)今風邪を引いて声が出ませんが、今後気をつ けますので、ご勘弁を。
夏に入る太平洋上プリン揺れ (竹下流彩) ここでプリンを出してくるとはなかなかセンスの ある人だと思った。
竹下のを見て、俺はプリンが好きだからこの句を 選んだ。
夏に入る太平洋上プリン揺れ (竹下流彩) 僕ら生物生産は夏に天鷹丸の航海があり、日本海 へ行くそうです。太平洋上ではないので、ゼリーを 持って行きます。
夏に入る大西洋上ゼリー揺れ
夏に入る太平洋上プリン揺れ (竹下流彩) 感想 乗船実習があるので 船が揺れてよわないかしんぱい。
夏に入る太平洋上プリン揺れ (竹下流彩) 客船の上なのか?
夏に入る太平洋上プリン揺れ (竹下流彩) 波がプリンのようにゆれて清涼感あふれる歌だと 感じられる。太平洋上を走る船からの歌。実際に船 に乗らないとわからない歌だと思う。
夏に入る太平洋上プリン揺れ (竹下流彩) 感想:夏の海での波がプリンのように揺れている情 景が浮かんだ。
夏に入る太平洋上プリン揺れ (竹下流彩) 太平洋の波をプリンにたとえているのがいい。
夏に入る太平洋上プリン揺れ (竹下流彩) (感想) ギラギラした太陽が太平洋の海へさしかかり、海 の海水が太陽にてらされて、キラキラと輝き、なみ をうっている姿がキラキラ光る。プリンのようになっ ている的な様子
夏に入る太平洋… 太平洋に沈んで行く太陽が海に反射してプリンの 様に見えたんじゃないかと思いました
夏に入る太平洋上プリン揺れ (竹下流彩) 太平洋上で揺らぐかげろうがプリンとして比喩的 に表現されていて、とてもおもしろい。
「夏に入る太平洋上プリン揺れ」(竹下流彩) 海に浮かぶ島がしんきろうで、揺れているように 見えるのをプリンにたとえているのかなぁと思った。 プリンにたとえているのがおもしろかったです。
夏に入る太平洋上プリン揺れ (竹下流彩) 陽炎で遠くの島がゆらゆらと揺れ動く様をプリン とたとえたのは私にはない表現だった。
夏に入る太平洋上プリン揺れ (竹下流彩) クラゲが連想されました。
夏に入る太平洋上プリン揺れ (竹下流彩) ・この「プリン」は言葉通りプリンなのだろうか。 それとも海に浮かぶクラゲか。どれも波でプルプル と揺れる。これが人の心にも通じるかもと感じるの は私だけだろうか。夏には多い、揺れる気持。
青大将ばさりと落ちし島の昼 (堀古蝶) 青大将がでてきて夏が始まったことが感じられる 青大将が落ちる所を使っているのがおもしろいと 思う。
「蛇、ながむし」 意味が分からなかったが為、考えさせられた。
・青大将ばさりと落ちし島の昼 (堀古蝶) あたたかくなり蛇も活発に動きだし人も活発に蛇 と出会うような山へ山菜を採りにかでかけている様 が見えてくる。
青大将ばさりと落ちし島の昼 (堀古蝶) 感想 夏に、木の上にいった青大将が、何かの事情で枝 から落ちてしまったのが思い浮かぶ。
青大将は見た事ないですけど情景はありありと浮 かびます。ばさりという表現、質量を持った物質が 茂みに落ちたという事をぼくの情景に刻み込ませま す。
青大将ばさりと落ちし島の昼 (堀古蝶) 青大将って青キジですかね、ルフィにたおしてほ しいです. 太陽よ居座りすぎだよ夏の日々 (オレ) (編者)ルフィってなんだか知りませんが、蛇はたお せますかねぇ?
青大将ばさりと落ちし島の昼 (堀古蝶) 真夏の情景が頭の中に浮かんだ。久しぶりに実家 に帰って田舎の空気感をまた感じる瞬間のような少 しあったくなる作品だと思う。 (編者)「あったく」は「あったかく」?
青大将ばさりと落ちし島の昼 (堀古蝶) 夏休み、おじいちゃんの家の前の川によく大きな 青大将が現れたことを想い出しました。青大将は私 の大好きなヘビです。
青大将ばさりと落ちし島の昼 (堀古蝶) あついあつい夏の島でのんびりしているとばさり と音を立てて青大将が落ちてくるのが見えた。そん な風景。
『青大将ばさりと落ちし島の昼』(堀古蝶) 青大将の重量感がよく表われている。また、島の 自然のスケールの大きさを思い起こさせ、身を焦が すような太陽の日差しと目に馴染みない動植物が頭 に浮かぶ。
蛇、ながむしの 「青大将ばさりと落ちし島の昼」という句は、昔、 似たような体験をしただけに想像しやすかった。
青大将ばさりと落ちし島の昼 (堀古蝶) 恐いです。ロビンソン・クルーソーも体験したは ずです 金がない仕方ないから禁煙す (編者)ロビンソン・クルーソーの話、寝ずに聞いて くれましたか!
昔、青大将にかまれたことを思い出して怖かった。
青大将ばさりと落ちし島の昼 (堀古蝶) 青大将が夏バテか (編者)一応こう読み取りました。
初夏の海見えそめてより旅ごころ(榎本栄子) 初夏の海という言葉からさわやかさを感じた。
初夏の海見えそめてより旅ごころ(榎本栄子) 私も海を見てふと旅にでたいと思いました。
・初夏の海見えそめてより旅ごころ(榎本栄子) ○夏休みに旅行に行きたい
初夏の海見えそめてより旅ごころ(榎本栄子) 夏の海を見たら旅にいきたくなるという意味に俳 句だが自分は夏の山を見たらいきたくなります. (編者)「意味に」は「意味の」?
『初夏の海見えそめてより旅ごころ』(榎本栄子) ・これから本格的に夏に入って海のレジャーや旅行 が増えて行くと思うので、この作品は、夏を表現 していいと思いました。
「初夏の海見えそめてより旅ごころ」(榎本栄子) 夏のあついときになって、どこかへとびだしてい きたいという心がまえが伝わってくるそんなはつら つとした句である。
初夏の海見えそめてより旅ごころ(榎本栄子) もうすぐダイビング部の新入生のスーツが届きま す!! 届いた次の日から練習開始です。早く潜りたい なぁ、初夏の海。
初夏の海見えそめてより旅ごころ(榎本栄子) 旅をついついしたくなりそうな気分にさせる句だ な、と思った.
初夏の海見えそめてより旅ごころ(榎本栄子) 初夏で気温が高くなってきたときに海を恋しく 思う気持がさわやかに表現されているなぁと思った。 ガンガン日ざしが照る前の初夏のさわやかなときに、 私も旅まではいかなくてもおでかけしたいなと思っ た。
初夏の海見えそめてより旅ごころ(榎本栄子) ちょうど今に近い句だったので気に入りました。
初夏の海見えそめてより旅ごころ(榎本栄子) 夏に海を見る時のわくわくする感じがとても良い と思った。
初夏の海見えそめてより旅ごころ(榎本栄子) 初夏の海を見ると、冒険心がかきたてられて、遠 くへ旅行に行きたくなるので、共感できました。
初夏の海見えそめてより旅ごころ(榎本栄子) [感想] 初夏の青々しい海が見えて心躍っている風景が描 かれていると思います。夏のきれいな海を見て海岸 沿いをドライブしながらどこかへ旅行しようと考え ているだろとと感じます。 (編者)「だろとと」は「だろうと」?
「初夏の海見えそめてより旅ごころ」(榎本栄子) という詩について 内陸出身で海を見ることがめずらしい場所で育っ た私も、初夏の海を見てつい先日同じように旅に出 たいという気持になった事を思い出し、親近感がわ いた。
初夏の海見えそめてより旅ごころ(榎本栄子) 夏のおとずれを上手に書いていていい歌だと思っ た。
海神の城へと子亀帰りゆく (有馬ひろこ) 生まれたばかりの子亀が必死になって外洋を目指 す様 それを、楽園である竜宮城へ行きたい一心と たとえたのかなと思いました。その隣りにある「ふ るさとの海恋ふ子亀売られけり」(荒川邪鬼)がな んとも物悲しいです。 海神の城へと子亀帰りゆく (有馬ひろこ) 海岸の砂浜の中で卵からかえった小亀たちが海に 帰って行く様子が描かれているのではないかと思う。
海神の城へと子亀帰りゆく (有馬ひろこ) 有名な童話を上手く表現できている。
海神の城へと子亀帰りゆく (有馬ひろこ) ただうらしま太郎の物語を詩にしただけだと思っ た。
海神の城へと子亀帰りゆく (有馬ひろこ) 海神の使い等と言われている亀が生まれて海に 帰っていく様子がよくわかります。
海神の城へと子亀帰りゆく (有馬ひろこ) 竜宮城へ,亀が帰っていくのかな?
海神の城へと子亀帰りゆく (有馬ひろこ) 子亀が海神の城へ帰ってゆくのだろう。
海神の城へと子亀帰りゆく (有馬ひろこ) 子亀が夏の季語というのは面白いと思う。夏の亀 は、日光をあびてのんびりしている光景が思いうか ぶが、海亀は夏どのようにしているかわからないた め,非常にイマジネーションを刺激させられた。
海神の城へと子亀帰りゆく (有馬ひろこ) どんなに広い場所でどんなに自由に遠くに行って も子は在るべき親の元へ帰っていく、感じ?
海神の城へと子亀帰りゆく (有馬ひろこ) 細い糸でもつけてやれば城が発見できてしまいそ うだ。海神の城へと子亀帰りゆく (有馬ひろこ) 私はこれを読んで昔、絵本で読んだ。うらいま太 郎に出てくる竜ぐう城をを連想してしまいました。
海神の城へと子亀帰りゆく (有馬ひろこ) これを浦島太郎の話の一節のことだと仮定すると 海神の城=竜宮城、帰りゆく子亀=浦島太郎に助け られた亀だと考えられる。
海神の城へと子亀帰りゆく (有馬ひろこ) 海亀の卵がかえって,海に向かっていく子亀の姿 が頭に浮かんだのと共に,「浦島太郎の物語のよう だな」とも思えた。
生前も死後も泉へ水飲みに (中村苑子) 行きても死んでも水を飲むとはちょっと理解に苦 しむ。きっと深い意味があるんだと思う
生前も死後も泉へ水飲みに (中村苑子) 奥が深いと思った
生前も死後も泉へ水飲みに (中村苑子) 美味しい水だったんでしょうね
生前も死後も泉へ水飲みに (中村苑子) 生きているときはあたりまえだが死んでものどが かわいたため泉へ水を飲みに行ったのがわかる。
生前も死後も泉へ水飲みに (中村苑子) 夏だと暑いから水が飲みたくなったんですね わかります.
生前も死後も泉へ水飲みに (中村苑子) 人は水がなくては生きて行けないし、水と共に生 きていると思う。生まれてから死ぬまで人にはかか せないものだ。
生前も死後も泉へ水飲みに (中村苑子) 人は死んでも水に関わっている、という感じが好 きだった.
「生前も死後も泉へ水飲みに」(中村苑子) 生きていた時に、あつくてのどがかわいている中 で飲んだ水の味が忘れられず死んでからも飲みに来 るというロマンチストな詞である。
生前も死後も泉へ水飲みに (中村苑子) 私がこの「泉」から思い浮かんだ景色は、枯木が ポツポツ生えている平地の中心に、サファイヤブルー の泉がある。ここは人間を産み出す(水をたっぷり 含んでる)泉であるが死んだ後は水を与えられる事 なく実はまわりの枯れ木は人だった的な人生のはか なさ的な感じの俳句。
泉 はかない感じがした。
生前も死後も泉へ水飲みに (中村苑子) 死後も泉を水を飲みに行くという考えがおもしろ いと思った。
生前も死後も泉へ水飲みに (中村苑子) 生前、死後は自分はどこに存在するのだろうか。 泉が在る場所…。
しまうまがシャツ着て跳ねて夏来たる (富安風生) ちょっと意味が分からない内容です。
しまうまがシャツ着て跳ねて夏来たる (富安風生) とてもうまい俳句だと思います。
しまうまがシャツ着て跳ねて夏来たる (富安風生) 意味が分からん
しまうまがシャツ着て跳ねて夏来たる (富安風生) この「しまうま」とは子どものことだろうか。
しまうまがシャツ着て跳ねて夏来たる (富安風生) しまうまとは、マリンのシャツの事だろうか。 日焼けの事だろうか。
しまうまがシャツ着て跳ねて夏来たる (富安風生) 夏のファッションといえばゼブラのストライプ、 ボーだのシャツ。ひと昔のファッションにおもえる が、やはり、このファッションは夏を感じる。
しまうまがシャツをきているという表現が面白か った。
しまうまがシャツ着て跳ねて夏来たる (富安風生) ユーモラスがあって 楽しい夏を思い出させます
しまうまがシャツ着て跳ねて夏来たる (富安風生) 何とも楽しげで良いです。サバンナに行きたい。 (俳句) 牡蛎食えば腹が鳴るなりレオパレス
(句)しまうまがシャツ着て跳ねて夏来たる (富安風生) (感)動物に服を着せるのはかわいそうだと思う。 そしてしまうまが跳ねても夏が来たかどうかわ からない。
サーファーのスーツ原色夏に入る(松本サキ子) ハワイのビーチで波乗りしているサーファーを想 像した。
サーファーのスーツ原色夏に入る(松本サキ子) 感想 夏と言ったらサーフィンという感じでその様子が 目の前に浮かんでくるように描かれていると思った。 サーフィンは夏にするものだという一般的な考えを 上手く利用していると思った。
サーファーのスーツ原色夏に入る(松本サキ子) 海で今でもサーファーを見かけるので、その広景 が思い浮かびとてもかっこいいので、これを選びま した。 (編者)一般には「光景」です。
サーファのスーツの短歌は、海で遊ぶことの楽し さを僕に思わせる○ (編者)「短歌」ではなく「俳句」です。
サーファーのスーツ原色夏に入る(松本サキ子) (感想)サーフィンやりたい。
サーファーのスーツ原色夏に入る(松本サキ子) 今年の夏はサーフィンに挑んでみたいと思いまし た。
夏といった、やっぱり海にはサーフィンはかかせ ないですね。
夏といえば海水浴ですね。今日はとても暑いので、 海で泳げるのではと思うぐらいです。この短歌を詠 むと海で泳ぎたくなってきます。
ふところに川風あふれ夏浅し (村山古郷) 感想:川風という言葉が夏よりもまだ春なのかとい う雰囲気を漂わせる。
ふところに川風あふれ夏浅し (村山古郷) [感想] 夏が近づき、川から来る風がぬるくなっている情 景が浮かんだ.夏が近いことを夏浅しとしたとこ ろに情緒を感じた
ふところに川風あふれ夏浅し (村山古郷) まだ春の名残が残っているように思え、夏が始まっ たばかりということが感じとられる
「ふところに川風あふれ夏浅し」(村山古郷) これはまだ夏本番ではないというように思います。 今ごろの時期だと思いました。
ふところに川風あふれ夏浅し (村山古郷) 川風がシャツの内に入ってくる心地良さがよく伝 わってくる。
ふるさとの海恋ふ子亀売られけり(荒川邪鬼) この詩は直接的に子亀が夏祭等で売られている事 を詩っている
ふるさとの海恋ふ子亀売られけり(荒川邪鬼) お店で売られている小亀のふるさとをなつかしく 思うせつない気持ちが伝わってくる.
ふるさとの海恋ふ子亀売られけり(荒川邪鬼) 子亀を海に帰してあげたいなあと思いました。
ふるさとの海恋ふ子亀売られけり(荒川邪鬼) こうして詩で見ると、売られている子亀は、とて もかわいそうなものに思われる。亀はしゃべること はないが、ふるさとの海を思っているのだろうなと 思った。
ふるさとの海恋ふ子亀売られけり(荒川邪鬼) ・小亀の悲しい人生が想像できる 平気で命を売り買いするこの世の中 生きるためにはしかたない
昔の物語はなかなか面白いです。 (編者)ありがとう。自分にとって「面白い」とは最高 の褒め言葉です。
結局最後に紹介された水ってどんな物ですか。 (編者)ポーの空想の産物で現実にあり得ない物なので 説明が難しいのですが、要するに心太(ところてん)み たいな水だと思って下さい。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) ストレートな表現がいいと思います。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 手を広げると、虹が測れそうな気がする。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 手を大きくひろげて虹の長さをはかってることで 大きな虹をイメージできる.
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) きれいな虹がかかっていたので思わず手を広げて その大きさを確かめたくなっている様子。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 虹は端がわからないくらい大きくて測れないけど その大きさを体いっぱいに表現したくなる気持がわ かった。
”手をひろげ虹の長さを測るかな” (草間時彦) 感想 手をいっぱいに広げても虹の長さはそれよりも 大きくて、測りようがないのに、敢えて、手を 広げて虹の長さを測ろうとする人の情景が浮か んでいいと思いました。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 虹の長さを手をひろげて測ることはできないのに そうしている様子におもむきを感じる。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 大空に向かって手を広げているのがほのぼのとし たイメージに思える。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 空に架かる虹を手で測る情景が想像しやすく、の んびりした感じを思いました。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) [感想]・平和な感じがする。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 手をひろげて実際長さを測るのは無理だが、測れ そうだという希望がこの排句からはうかがえる (編者)「俳句」です。
・手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) ―自然が作り出した美しい虹を測る事は出きないと わかっていても自分の尺で測りたい、もっと感じ たいという気持ちが伝わってきた。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 大きな虹ができ感情が高ぶる様子がわかる
・手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 小さい子供が虹を見て手を大きくひろげて虹の 大きさを測っている姿を想像できた、
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 子どもがとてもしそうですね
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 子供っぽい情景が浮かぶ
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 虹がかかっていてそれを手で長さを測るという何 となく子どもらしいように思うけど自分も虹を見た らついついそうしてしまいそうだと思った。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 今まで生きてきて誰もが一度はやるなぁと思った。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 昔、僕も手を拡げて虹の長さを測ったものでとても 共感できる。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 小さい頃にやりました。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 子どもの頃にやったなぁとなつかしく思いました。 ウェルズは1866〜1946ですか。1816に見え ました。 虹というと、自宅に↑こんな写真 があります。 (編者)すみません、1866です。虹の端が前景の人物 の手の平に降りている風景のイラスト略。
◎手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 虹はよく雨上がりの時に出てきますが、子供の頃 自分は作者と同じく手で測って遊んでいたことを思 い出しました。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) ・この俳句は、こども心のようなものがはいってお りおもしろいと思った。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 両手をうんと広げて、自分の手の間に虹をおさめ ようとする子供の無邪気な様子が目にうかぶ
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 空に現れた虹を無邪気に手で測る様子が感じられ る。虹を手で測る様子がとても印象に残る
●手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) ・小学校の夏休みの暑い夏を感じる。初めて虹をみ て、その大きさに思わず自分の体を使って測って いるという、むじゃきな頃の少年の心が表れた良 い作品 ●どこを話しているのか分からない時があります。 どのページを読んでいるのかしっかりと言ってほ しいです (編者)すみません、自分でも脱線してどことも知れず テーマからさまよい出ることがよくあるのですが、そう いう時も今脱線していると出来るだけ言うようにします。
(詩)手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) (感想)自分の体をおもいっきり広げて虹の大きさ を知ろうとする子供の純粋さが見えました。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) [感想] この俳句からは好奇心おうせいで、無邪気 な子供が手を拡げて虹の素直なきれいな色に喜 びをいだいている感じがします。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 幼い感じがしていい。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) ・道の途中で虹に目を輝かせてはしゃぐ子供が思い 浮かべられる。その子は紅葉(もみじ)のような手 を広げて「いつかあの上を渡りたい」と希望を膨ら ませている。その気持ちを大切にすれば虹の上に行 けずとも、何か夢を叶えられるだろう。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 子供たちが雨上がりに遊んでいると大きくて素晴 しい虹が現れた。 子供たちが両手を広げて、正確に長さを広げて正 確に競いあっている様子。 競っている間にだんだん虹の近くに行っていて、 つかもうとしたら消えてしまった。 とどのつまり、大きな虹の長さを正確に測るとい う競争の結果はでなかったのだと考えた。
「手をひろげ虹の長さを測るかな」(草間時彦) 夏の暑い日に白のワンピースを着た麦わら帽子を かぶった女の子(高校生くらい)と、青色のシャツ にGパンをはいた背が170くらいの男の子(高校生) が河原に自転車でいくと、何とすごいきれいな虹が 出ていて、女の子の方がスカートをひらひらさせな がら、手を広げて「虹の長さはかれるかなぁ」とか いいながら、手をのばす所がイメージできた。
手をひろげ虹の長さを測るかな (草間時彦) 実習で海を見ている時大きな虹がかかったのを思 いだしました。
潮騒やカフェテラスのアイステイ(平井カヅコ) 少し暑い季節にカフェでアイスティを飲んでいる 状況が目に浮かぶようで、聞くだけで涼しくなるよ うな詩だったから。
潮騒やカフェテラスのアイステイ(平井カヅコ) という詩を読んでとても涼しくさわやかな気持ち になれた。
潮騒やカフェテラスのアイステイ(平井カヅコ) 涼しさを目一杯表した歌だと思った。カフェテラ ス、カフェアイスなどの言葉で、イメージをさせよ うとしている。
潮騒やカフェテラスのアイステイ(平井カヅコ) <感想> 夏のじりじりとしたあつくだるい時期に対しカフェ テラスのアイスティというさわやかなものを感じさ せ、全体を気物ちのいいものにしていると思いまし た。 (編者)「気物ち」ではなく「気持ち」です。
潮騒やカフェテラスのアイステイ(平井カヅコ) とてもオシャレな句である。排句にしては横文字 が多い。 (編者)「俳句」です。
潮騒やカフェテラスのアイステイ(平井カヅコ) 潮騒とカフェテラスのアイスティというのが海に おける動と静を表わしている。
潮騒やカフェテラスのアイステイ(平井カヅコ) アイスコーヒーよりアイスティの方が響きがいい! ナイス!
潮騒やカフェテラスのアイステイ(平井カヅコ) ふんいきが出ていて良かった。
アイスティ 潮騒とアイスティから暑い真夏の海岸を思いまし た。
潮騒やカフェテラスのアイステイ(平井カヅコ) (感)なんか夏の砂浜を思い浮かべることができて、 とてもすがすがしい気持になりました。
最近はとても暑くなってきたのでアイスティがお いしく感じる.
潮騒やカフェテラスのアイステイ(平井カヅコ) 暑くて、騒しい砂浜に、涼しげなアイスティが飲 みたくなる衝動にかられる。
潮騒やカフェテラスのアイステイ(平井カヅコ) (感想) アイスティー飲みたい。
潮騒やカフェテラスのアイステイ(平井カヅコ) 海の見えるカフェテラスでアイスティーが飲みた くなる.
潮騒やカフェテラスのアイステイ(平井カヅコ) アイステイからそのような音がするか疑問に思っ た。
夏めくや海風抜けるマーケット (成田郁子) 夏を感じた
夏めくや海風抜けるマーケット (成田郁子) この句を読んで、夏が待ち遠しくなった。
「夏めく」を読んで「海抜けるマーケット」という 部分がとてもすがすがしく思えてとてもよかった。 (編者)「海抜ける」ではなく「海風抜ける」ですが、 「海抜ける」もぼくには詩的に思えます。
夏めくや海風抜けるマーケット (成田郁子) なつかしい感じになった
夏めくや海風抜けるマーケット (成田郁子) マーケットの情況がよくわからない
夏めくや海風抜けるマーケット (成田郁子) 感想 海風が吹くという所から夏を連想し、そこにマー ケットという単語を入れることで、人々の日常生活 の中にこの句を折りまぜて上手く表現していると思っ た。
夏めくや海風抜けるマーケット (成田郁子) 海が近い港町にあるとある古いマーケットでおじ さんの声がいたるところで聞こえてさらに暑さが増 しているが時折吹く海風が通り抜けることで不思議 となぜかさわやかさが夏っぽさを演出している、す なわち夏めいているのではないかと思われた。
夏めくや海風抜けるマーケット (成田郁子) 感想 夏に海の近くにある市場の真ん中を海風を通り抜 ける感じが思い浮かぶ。
夏めくや海風抜けるマーケット (成田郁子) 涼しそうな風だと思う。
『夏めくや海風抜けるマーケット』(成田郁子) 海風が気持ちよさそう。
夏めくや海風抜けるマーケット (成田郁子) 感想 海の幸がマーケットの中にあるとあたかも海にい るように錯覚する。
「夏めくや海風抜けるマーケット」を詠んで、小学 校のころ家族旅行で和歌山に行ったときの、スーパー マーケットのことを思いだしました。
夏めくや海風抜けるマーケット (成田郁子) 夏のムシムシした店内に扉がひらいた時だけ吹く あの涼しい風のことを言っているのだろうか。
虹の足とは不確(ふたしか)に美しき (後藤比奈夫) 虹は夏によく見るが、どこまで続いているのかわ からない。だからこそ美しいと思うし人々を魅りょ うすると思った。
虹の足とは不確に美しき (後藤比奈夫) 虹を足とたとえた作品に出会ったのは2回目だが、 これは「不確か」というところに未完成で美しいか んじがする。 消えかかりそうな儚いかんじが日本の美ってかん じがする。
日本人の水や自然のように実体のない不確かなも のを愛でる心が始まりの分からない虹も対象となり 美しいと感じる。
虹の足とは不確に美しき (後藤比奈夫) 虹はせんめいなものよりも不確かなほうが美しい という所が納得できる
虹の足とは不確に美しき (後藤比奈夫) はっきりしていないのがいい、あいまいさの美し さがわかる。 確かに虹の足が地面までハッキリついていたら全 然きれいではないなと思った。
(句)虹の足とは不確に美しき (後藤比奈夫) (感)虹の足を見てみたいと思います。ぼやけた感 じでもみれたらきれいだと思う。
虹の足にはどうやって行けるのか考えたことがあ るのを思いだした.
虹の足とは不確に美しき (後藤比奈夫) たしかに虹の端が気になる 漢詩とか「海洋」文学としてふさわしいのですか? (編者)ぎょ、確かに。ただ海洋文学といっても川や湖 を描いた作品も入ってくるので、漢詩でも水に関するも のが出てくればいいかなと考えています。厳密には「水 産文学」ですが、一般的でないのでとりあえず「海洋文 学」と言っています。
虹の足とは不確に美しき (後藤比奈夫) 難しい俳句だが理解できたらすばらしい
虹の足とは不確に美しき (後藤比奈夫) 虹の足とはどういうものかわからないが虹はいつ みてもきれいである.
虹の足とは不確に美しき (後藤比奈夫) 虹の足という表現が斬新で気に入った。
虹の足とは不確に美しき (後藤比奈夫) 虹ってプラスのイメージしかないですね。
虹の足とは不確に美しき (後藤比奈夫) 作者の虹に対する思いがよくつたわります.
灯台の白一色に夏きざす (内野睦子) 夏の風に包まれている中に、たたずむ灯台の白が、 夏のおとずれを感じる事が出来る.
灯台の白一色に夏きざす (内野睦子) 初夏のカラッとした暑さの中海沿いを歩いている と、白壁に強い日差しを反射させている灯台. そこに吹いてくる潮風 そんな心地良い情景が浮かんできました.
「灯台の白一色に夏きざす」(内野睦子) 夏の風景が浮かぶなと思いました。
灯台の白一色に夏きざす (内野睦子) 夏の青々しい海に白い灯台が合っている。
灯台の白一色に夏きざす (内野睦子) 夏の青い空と白い灯台とが頭に浮かんだ。 コントラストがすごくキレイ。
灯台の白一色に夏きざす (内野睦子) 感想 白色の灯台が夏の陽差しをあび、光を反射して輝 いている 情景を感じさせる句であると思った.
☆灯台の白一色に夏きざす 夏のギラギラした太陽が真白の灯台をてらして、 反射している様子
・灯台の白一色に夏きざす (内野睦子) 灯台といえば白一色というイメージがあるのです が、その白に夏の日差しが当たり、強く反射してい る、そんな情景が思い浮かびました.
灯台の白一色に夏きざす (内野睦子) 灯台の明りが夏が来た事を表わしているのかと思っ た.
灯台の白一色に夏きざす (内野睦子) ※ 地元の灯台を思いだした。
灯台の白一色に夏きざす (内野睦子) 気温が上がって暑くなってくると、黒や紫などの 色は暑苦しく見えてしまう。いつも、何も変わらず 立っている灯台でさえも、海の近くで白色に佇んで いるその姿は、作者には涼しく、見立った存在だっ たのだろう。 (編者)「見立った」は「目立った」?
匂ひ来るいかの丸焼き島薄暑 (斉藤葉子) 島を歩いているといかを焼いている美味しそうな 匂いがしそう。
匂ひ来るいかの丸焼き島薄暑 (斉藤葉子) いかの丸焼き食べたいです.
匂ひ来るいかの丸焼き島薄暑 (斉藤葉子) これからくる暑い夏、海辺の砂浜でてぬぐいまい た兄ちゃんがいせい良くイカ焼きを売っているよう な活気が伝わり、早く夏になれば良いなと思われた。
匂ひ来るいかの丸焼き島薄暑 (斉藤葉子) いかの丸焼きで夏の情景が浮かぶいい詩だと思う.
「匂ひ来るいかの丸焼き島薄暑」(斉藤葉子) いかの丸焼きの匂いが夏というイメージを連想さ せる。いかの丸焼き食べたくなった。
匂ひ来るいかの丸焼き島薄暑 (斉藤葉子) ・私の地元の北海道でも「薄暑」、初夏の時期にな るとイカが水揚げされる。 町のいたる所でイカが干されて、夕方には七輪な どで焼かれたイカの匂いが街中を吹き抜ける。その 感じが想像できた。
刻一刻虹はおのれを溶かしをり(きくちつねこ) 「溶かしけり」とは自分の心が洗われて行く様をいっ たものなのだろうかと思った.
刻一刻虹はおのれを溶かしをり(きくちつねこ) 虹がだんだん消えてゆく様子が描かれている.
刻一刻/虹はおのれを/溶かしをり/ 時間が徐々に経つにつれ、虹は己をまきこんで溶 かしている.
刻一刻虹はおのれを溶かしをり(きくちつねこ) 消えゆく虹の様を、虹が自分で自分を溶かしてい るようだと表現した一句。
刻一刻虹はおのれを溶かしをり(きくちつねこ) パッと現れてパッと消えてしまう 自分の虹のイメージと一緒だ 自分で自分を溶かしているという表現がなんとも 美しい。久しぶりに虹が見たくなった。
刻一刻虹はおのれを溶かしをり(きくちつねこ) 感想:雨の降った後、見上げると空には虹がかかっ ています。 しかし少しずつ時間がたつにつれて虹の色は 少しずつなくなっていき、最後には消えてしま います。 華やかに現れたものが、あとかたもなく自ら を消していくことに、少し切なさを感じました。
群青のニライカナイへ虹の橋 (西銘順二郎) 群青色の空を背景にきらきらと虹がかかっている。 伝説のニライカナイはあの虹の先の群青の中にある に違いない。
群青のニライカナイへ虹の橋 (西銘順二郎) ニライカナイ、それは聖地。 ニライカナイ、それは希望。 ニライカナイ、それは優しさ。 私はニライカナイに行きたい。 非常にきれいな句でした。
群青のニライカナイへ虹の橋 (西銘順二郎) 虹を渡ってニライカナイに行けたらいいなと思い ました。
群青のニライカナイへ虹の橋 (西銘順二郎) 沖縄の理想郷であるニライカナイに行きたい.
―群青のニライカナイへ虹の橋―(西銘順二郎) 今生きている世界に魅力を感じなくなって、別の 世界に逃げている感じがする。
波がしら一直線に夏めけり (粕谷文代) 砂浜の波打ち際に白波が打ち寄せているところを イメージした。 夏らしくなってきたなぁ…と思った。
波がしら一直線に夏めけり (粕谷文代) 海に行きたくなるなぁ…。
波がしら一直線に夏めけり (粕谷文代) これを呼んで私は、波にめがけて一直線に走りた いと思いました。
波がしら一直線に夏めけりには何か深い意味がこ められているんだなと思う。
潮の香をまとひ薄暑の島めぐり(村松多代子) バイクに乗る時、潮の香をよくかぐのでその香り の良さがわかるのでこの人のを選びました。
潮の香をまとひ薄暑の島めぐり(村松多代子) 島をめぐる間に、潮の香をまとう姿が鮮明に浮か び、印象的だった。
潮の香をまとひ薄暑の島めぐり(村松多代子) 涼しい海の景色が浮かんだ。夏が近いなぁと感じ た。
昔から虹は人々の注目の的で美しいもののシンボ ルとしてまたあこがれとして、描かれる事が多いと 思った。
すてきな俳句でした。
ぴむの物語 たんたんと様子が書かれているのが面白いと思っ た。次々と事件が起こる様子がよく分かる。
えんえんと梅雨の雨降るグラウンド いよいよ梅雨ですかね。 グラウンドがぬれて野球部の練習ができません。
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) 感想:雨の後の海は黒く濁っている中浮かんでいる 薔薇がとても赤く目立っている情景が浮かんだ。
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) 雨が降っていて、いつも明るい海は暗いけれど、 バラは雨が降っていても真っ赤な色を保っていて、 美しい様子。 どこの話をしているかよくわからない (編者)物語全体の中での位置づけがわかりにくいとい うことですが、何しろ物語りが長いので、これまでに 話したあらすじ全体が関わってきます。注意深く聞い てもらえればありがたいです。
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) 感想 ・どんより曇り暗くなっているところに赤々とした 薔薇の花が目に入るような情景を思い浮かべた
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) 雨が降り、暗い中で薔薇がひときわ明るく、きれ いに見えているという情景が浮かびました。
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) 対比がうまく表現できていると思う。
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) 海の黒とバラの赤の対比がきれい
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) 雨の伊豆の海の黒とバラの赤の色の対比がいい。
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) 海の青とばらの赤をひかくしていてよい。
・雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) ・海の濃い青色とバラの赤色を比較することで、バ ラの鮮やかな赤色を際立たせている。
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) うす暗い雰囲気の中、薔薇の赤が一際明るく、ア クセントになっているのが目に受かぶようで、キレ イな俳句だと思う.
雨の伊豆海は暗いけどその中でも薔薇は赤く目立っ て見える。
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) 暗い海とは対称的に真っ赤なバラが輝いている。
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) <感想> 雨で雲った海というもので、水々しさをだしてお いてそのジメジメとした暗い感じとは反対に、薔薇 の赤色が、印象的に残りました。 (編者)「雲って」は「曇って」です。「水々しさ」で はなく「瑞々しさ」です。
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) ばらの赤さが美しくていい。
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) 薔薇の赤さが目立つのがわかりやすい
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) 雨の降る中赤いバラがきわ立っている様子が描か れている。
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) バラの華やかさが伝わる
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) なんとなく気に入った。
暗い海の中で薔薇が見えるという不思議さを感じ る。
「薔薇」 雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) 雨の日に伊豆の別荘に出かけた20歳くらいの男女。 午前2時くらいに海へ散歩に出かけていく。辺り は真っ暗、どよーんとした空気 そんな中この2人 の心の中の薔薇だけが光り輝いているよ。
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) どんよりとした曇天が空を覆ったとしても、紅一 点と思われる一輪の薔薇の花がその場を明るく照ら してくれるだろう。 そう、あの伊豆海のように。
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) 海は荒れ、風が吹き荒れているがバラは強つよく 咲いている様子がわかる。 (編者)「強つよく」は「力強く」では?
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) 雨が降っている伊豆で、夜で海は暗いけれど、ば らが真っ赤で、めだっている.
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) 雨により色々な物が色あせていく中で、赤いバラ だけが色褪せることなく赤く咲いている様が感じら れた。
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) 感想:次の季節にと周囲の様子が変わろうとしてい る。二つを対照的に詠んでんでいる。
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し (阿波野青畝) よく考えさせせられる俳句だと思った。 (編者)「考えさせられる」?
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) ・麦という語が季節感を大きく表していると思う。 そこに教科書という語を使うことで、学生の日常的 風景を端的に表した一句だと思った。
「教科書を窓ぎわに置き麦の秋」(桂信子) 感想 初夏の時期にほどよく暖かい気温で乾燥した空気 に、勉強もわすれて夏を待望む人の様子が感じられ る。この時ばかしは、これから来る梅雨の期間のこ とも、わすれていることだろう。
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) ・入学から少したって、勉強が本格的にはじまり、 麦の秋という実りの時期に将来への期待、不安が読 みとれる良い作品
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) [感想] この俳句から新学期、新学年の始まりが感じられ ます。
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) 教室の窓から秋空をながめ、たそがれるような俳 句 (編者)「麦の秋」とは麦の実る初夏の季節のことで す。授業で説明したのにぃ!
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) 感想 秋に教室で授業をやっているときに、ふと窓の外を 見ると麦畑が広がっているのが目に浮かぶ。
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) 秋の情景が浮かび、風情を感じました。
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) 秋の学校の夕暮れの風景が思いうかびました。
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) 麦というものが秋という言葉をよりしみじみと思 わせる.
桂信子の詩は、自分が小学生の頃に窓際に置いて あった教科書を思い出し、とてもなつかしい感じが しました。
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) 中学生の時国語の授業で図書室で本を読んだこと を思い出した。
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) 高校時代を思い出させてくれるとてもいい詩だと 思う。
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) 感想 麦といえば黄金色に風になびいているイメージが ある。風になびいた麦はとてもきれいに光を反射し てじゅうたんのように見える。私はよく小学校の窓 側の席からその景色をながめていた。なんだかいっ しょだなと思ってそのころがなつかしくなった。
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) 田舎の学校を思い出す。
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) ・この句からは教科書を窓辺に置き、外を眺める人 が思い浮かぶ。その人はどんな景色を見ているだろ うか。山なのか、海なのか。どちらでもロマンがあ るが、私には両方とも夕日があるように感じた。思 わず一年前に放課後の教室から眺めた夕日が思い出 される。
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) 遊びも勉強も一種なんだと思う。
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) 句の意味が全く分からない.窓際に置いた教科書が 何かの例えだと思う
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) 風景がやわらかいような感じであることが想像で きた。すばらしい作品だなと思った。
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) 一番わかりづらいように思えた。
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) 教科書を窓ぎわに置いて「麦」って「えっ なん で!?」と思いました。よくこんなの考えたな…。
(句)教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) (感)きっと授業がものすごくたいくつで教科書を わきに置いてかくれてビールを飲む光景だと思う。
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) ビールが飲みたい
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) 自分も教科書を窓ぎわに放置しているからこれを 選んだ。
教科書を窓ぎわに置き麦の秋 (桂信子) 新緑の深まりゆく夏の日に授業を抜け出して外へ 出たいという、力のみなぎる様子が思い浮かべる事 が出来る。
新しき道のさびしき麦の秋 (上田五千石) よく意味がわからない。
新しき道のさびしき麦の秋 (上田五千石) よくわからないが、おもむきを感じる
新しき道のさびしき麦の秋 (上田五千石) 上田五千石の詩の情景が浮かび、すごく感動した。
新しき道になにか深い意味が含まれているのでは ないでしょうか
「新しき道のさびしき麦の秋」(上田五千石) 新しい道ができたが、その道は、実りの秋であり、 その麦は、どことなくさびしさをかもしだしている ところが印深さを表している。 (編者)「印深さ」は「印象深さ」?
新しき道のさびしき麦の秋 (上田五千石) 麦の秋は夏ということらしい。新しい道なのに誰 も通らずただ麦があるだけという意味だろうか。
新しき道のさびしき麦の秋 (上田五千石) 夜の田舎道に麦が広がる風景が想像できる 風情があるが、少し寂しくも感じられる
新しき道のさびしき麦の秋 (上田五千石) 新しい道にポツンと残された麦畑に麦が一面生え ている、そんな情景が浮かびました。
新しき道のさびしき麦の秋 (上田五千石) 自然が多くひろびろにした感じがつたわります。 (編者)「ひろびろとした」?
新しい道ができた事でそこに昔からあった麦畑が 無くなった事にさびしさを感じる気持ちがありあり と浮かぶ.
新しき道のさびしき麦の秋 (上田五千石) 道も人がいっぱいいると楽しくなる
新しき道のさびしき麦の秋 (上田五千石) 夏が明け、冬に向かっての新たな一歩という意味 に加えて、秋は別れの季節であることも意味してい るのではないかと思いました。
新しき道のさびしき麦の秋 (上田五千石) 新しい道はさびしく、麦の香りがして、秋を感じ させてくれる。
新しき道のさびしき麦の秋 (上田五千石) 秋の始まりのようなそんな感じの風景がイメージ できた。 自分は暑いのが苦手なので早く秋になってほしい. (編者)さっきも言ったように「麦の秋」とは初夏の頃を指 します。
新しい道の秋は咲いている花なども少ないのでさ びしい
新しき道のさびしき麦の秋 (上田五千石) 秋って木の葉も落ちたりしてさびしい気持ちにな りますね。
新しき道のさびしき麦の秋 (上田五千石) いつも華やかな道が周りの木々が枯れることなど により華やかさが欠けた寂しい道に感じる風景。そ れに加え麦の茶色がさらにさみしさをかもしだして いる風景 どこの話をしているかわかんない (編者)添え書き末の困った顔の絵文字略。今日の話は『ピ ムの物語』結末の部分で、南極大陸が発見されていなかっ た時代の南極の幻想の話なので、全体のあらすじがつかめ てないと、確かに荒唐無稽な話でしかないでしょう。
夏潮の今退く平家亡ぶ時も (高浜虚子) ドンマイ!!
夏潮が退く様子と平家が亡ぶ様子を重ねていて、 とても奥が深かった。
夏潮の今退く平家亡ぶ時も (高浜虚子) 感想 夏の海の潮がひいていく姿と平家が源氏から退い て亡んで行く姿を合わせているのが良いと思った。
夏潮の今退く平家亡ぶ時も (高浜虚子) 二つの意味をかけ合わせてるところがすごいと思っ た。
夏潮の今退く平家亡ぶ時も (高浜虚子) 下関は平家とゆかりのある場所なのでこれにした。 平家の悲しみを表しているものだと思った。
夏潮の今退く平家亡ぶ時も (高浜虚子) 盛んなものは、時期がくれば亡ぶものだという事 だと思いました。そして平家の亡び方を夏の潮の退 き方に似せて示唆したように感じました。
夏潮の今退く平家亡ぶ時も (高浜虚子) 感想:平家が源氏と最後に戦った壇ノ浦の戦いのこ とを書いているのだと思う。この句を詠むと、平家 のせつない気持ちがひしひしと伝わって来る。余談 になるが、下関市に壇ノ浦があり、なかなか歴史上の 土地として趣き深いと思う。
夏潮の今退く平家亡ぶ時も (高浜虚子) そういえば近場やったな
夏潮の今退く平家亡ぶ時も (高浜虚子) 源平合戦の様子が鮮明に浮かんできた。
高浜虚子の詩で平家が夏潮の流れのせいで負けた なんてはじめて知り驚きました。
夏潮の今退く平家亡ぶ時も (高浜虚子) 昔の、潮流に、影響されるほどの、小さな船とは いえ、それを、戦略にくみこむことができるのか疑 問
夏潮の今退く平家亡ぶ時も (高浜虚子) 隆盛を極めた平家の滅亡を海の潮の満ち引きにた とえていうことで、人というものの存在、人生の無 常さといったことが伝わってきた。
「夏の潮」という作品は歴史的な表現がとてもいい と思う。「平家亡ぶ時も」というはかなさがいい。
「夏潮の今退く平家亡ぶ時も」(高浜虚子) 夏潮が今も昔も変わることなく、同じことを繰り 返していることが読み取れる。
珊瑚礁卯浪ちりぢりばらばらに(阿波野青畝) 卯浪って何? (編者)(授業で説明したように)陰暦卯月(4月)、つま り今の暦で5月頃海に立つ波のことです。
珊瑚礁卯浪ちりぢりばらばらに(阿波野青畝) その情景が頭にうかぶようなめずらしく具体的な 排句だと思いました。 (編者)「俳句」です。
珊瑚礁卯浪ちりぢりばらばらに(阿波野青畝) 南のほうの海のイメージ そんなに深くはなく 海面近くまで 珊瑚が生えている。 (編者)卯浪立つ珊瑚海のイラスト略。
阿波野青畝の「卯浪」は海の荒れる様子が想像できた。
珊瑚礁卯浪ちりぢりばらばらに(阿波野青畝) (感想)きれいな海でも波が強く打つとことは、自 然の大きさを感じました。
「珊瑚礁卯浪ちりぢりばらばらに」の感想 海の中の珊瑚礁が波でばらばらになっていく様子 が感じられました。
「珊瑚礁卯浪ちりぢりばらばらに」(阿波野青畝) 海中にある珊瑚礁までもが壊れてしまう程の激 しく荒れた海が思い浮び、少し恐怖を感じまし た。
珊瑚礁卯浪ちりぢりばらばらに(阿波野青畝) 夏が終わり秋になるもの寂しさが伝わってくるか ら
―珊瑚礁卯浪ちりぢりばらばらに(阿波野青畝)― とてもせつない…。
珊瑚礁卯浪ちりぢりばらばらに(阿波野青畝) 感想 一度きれいな海で珊瑚礁を見たい.
珊瑚礁卯浪ちりぢりばらばらに(阿波野青畝) 珊瑚礁といったら、さんごで一つのものととらわ れがちだが、サンゴの一つ一つがしっかり生きてい るという様子がうかかえる。
そこはかと薔薇(ばら)の 溜息(ためいき)らしきもの(後藤夜半) <感想> 薔薇の溜息という表現が趣があり、きれいで気に 入った。薔薇の溜息という言葉からは美しさとかつ わびしさ、切なさが私には感じられた。
そこはかと薔薇の溜息らしきもの (後藤夜半) 薔薇の溜息という表現が印象的だった
そこはかと薔薇の溜息らしきもの (後藤夜半) バラのため息とか聞いてみたいものだ。
そこはかと薔薇の溜息らしきもの (後藤夜半) 私もたまには植物の息が聞こえるので情景が浮か びました。
「そこはかと薔薇の溜息らしきもの」という句の、 「溜息」という所が、薔薇の花が強く香っているこ との表現だろうかと思った。
・そこはかと薔薇の溜息らしきもの (後藤夜半) 秋になりさみしげな季節になった感じが伝わる。
そこはかと薔薇の溜息らしきもの (後藤夜半) バラのため息…。 何となくイメージしやすい。秋なんだなぁ…。
そこはかと薔薇の溜息らしきもの (後藤夜半) 薔薇はきれいです.
―そこはかと薔薇の溜息らしきもの(後藤夜半)― 皆に「美しい」「素敵」と言われるバラは「い つも美しくいなければ」というプレッシャーが かけられているように感じる。 期待されているバラも一息つきたいと思う。 リラックスする事により、より美しくなれると 思う。
薔薇に読む船に始まる物語 (橋本風車) バラっていいですね、美しい.
薔薇に読む船に始まる物語 (橋本風車) どういう意味かわからん
薔薇に読む船に始まる物語 (橋本風車) 船に始まる物語という言葉が気に入って選びまし た。
薔薇に読む船に始まる物語 (橋本風車) この句の流れが良かったのでこれを選びました。 でも、なぜ薔薇なのかが分かりません…。普通なら 魚などにしそうですが。でもそこが良いのかもしれ ません。
麦秋の狂ほしきいろ湖(うみ)の北(石田勝彦) とてもイメージしやすい歌だった。
秋の湖は人を狂すほど美しい色をしている
麦秋の狂ほしきいろ湖(うみ)の北(石田勝彦) 麦の色が湖に写って黄金になっている様子が想像 できる。
麦秋の狂ほしきいろ湖(うみ)の北(石田勝彦) 狂ほしきという表現がいいと思う。
麦秋の驟雨はしれり海の中 (石原舟月) 暗い空の下、 降り続く雨が風に流されて海にすじを描く.
麦秋の驟雨はしれり海の中 (石原舟月) 風が吹くと麦畑はザーっと雨の音を奏でている様 に感じることがある。その音は海まで鳴り響くこと も実際にはありえることではないであろうか。
小満や箭竹篠竹(やだけしのだけ)生えしめて (星野麥丘人) 写真にとりたい風影が思い浮かびました。 (編者)「風景」です。
小満や箭竹篠竹生えしめて (星野麥丘人) 小満で若い竹がだんだん生えて来る様子がよくわ かる。
薔薇を詠んで 薔薇って漢字は難しいですね。
薔薇は僕が熱い思いを伝えるときに女の子へプレ ゼントされる作者が女性へ詞をプレゼントしてるよ うでした。
すばらしい俳句でした。
たのしかったです。
なぜ今でも鯨は禁止されているのでしょうか?
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 海水浴場でみんなが楽しそうに泳いでいる姿が頭 に浮かんだ。
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 感想:人がたくさん泳いでいて、海がにぎやかでま るで海が笑っているように見える情景が浮かんだ。
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 夏なので、人が海でたくさん泳いでいる。色とり どりの水着が動きまわり、まるで海が笑っているか のようだ。
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 海水浴に来ている人々が波によってぷかぷかして いるのを海が笑っているという表現をしていると思 われる。
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 夏の海に人がごったがえしていて、海という大き な存在がその大勢の人々と共に夏を楽しんでいるよ うなほほえましい情景がうかびあがった。
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 夏といったら海ということで真夏の最中な雰囲気 がとても伝わってきて楽しい気分になれる句だなと 思った。
「人あまた泳がせて海笑いけり」(鈴木真砂女) 海水浴で大人も子供もわいわい楽しそうに遊んで いて、水しぶきや波が起きて海も喜んで笑っている みたいなのかなと思った。楽しそうな俳句でよかっ た。
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 感想 海水浴場に多くの人々がいてさわいでいるのを 海が笑うと表現しているのではないかと 思った。
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 人がたくさん泳いで、その人達の声が海が笑って いると表現した所はおもしろいかった。
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 擬人法の採用により海もうれしそうな感じが伝わ り、その情景全体が一つの絵のような暖かい一句で す。
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 海が笑うとは人が多く泳ぐことで波が増えること の例えだと思う
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 感想 [たくさんの人が泳いでいても、海にとってはとて もちっぽけな存在であることが感じとれる詩.]
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 沢山の人を泳がせることを目的としている海。冬 場は誰も遊びに来ないため、夏こそは人と一緒に楽 しもうとおおらかに笑っているのであろうと感じた。
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 人を多く泳がせている海の偉大さ
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 人がたくさん泳ぐとうみはうれしいのかな? それとも汚れて悲しいのかな?
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) ビーチで人がたくさん泳いでいたら当然汚れるが、 それを笑っているとは中々表現できないと思う.
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 人が多いので、泳ぎすぎて、とても困る.
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) おもしろい
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) とてもおもしろい表現だと思った。
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 中学生の時友だちと海水浴場に泳ぎに行った時の 楽しかった思い出がよみがえった。
泳ぎの句の 「人あまた泳がせて海笑いけり」という句が夏の海 の活発な雰囲気が伝わってとてもよかった。 ※要望 先生の声がくぐもっていて、話している内容がまっ たく聞きとれない事があるので、もっと大きな声で しゃべってほしい。 (編者)すみません、気をつけてはいるのですが…。 もっと気をつけます。
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) おれも泳ぎたい
人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) 夏の到来を感じさせる俳句だと思う。早く海水浴 に行きたい。
(詩)泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな (長谷川零余子) (感想)海で泳いだときによくあるような表現が 気に入りました。
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) 海水浴の描写がはっきり想像できる。早く海で泳 ぎたいと思った。
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) とてもキレイな詩だと思った その場の風景などがせんめいにイメージできた。 すばらしい。
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) 海で泳いでいる状景が表現できていてよい.
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) 顔に波がかかって、泳ぎずらそうにしている様子 がわかる。 (編者)「泳ぎづらそう」です。
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) 泳いでいて、息つぎの時に、波が顔に当たるとか なりつらいなぁと思った。
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) 感想 波が高いなか、ひっしに泳いでいる人の姿が思い 浮かぶ.
「泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな」(長谷川零余子) 顔にぶつかるという点から、この泳いでいる人が 一生懸命なさまを見てとれる。夏を感じされる作品 である。 (編者)「感じされる」は「感じさせる」?
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) 泳いでいて、息つぎの時に、波が顔に当たるとか なりつらいなあと思った。
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) 夏に海で泳いでいる様子がよくわかる。
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) よくわかります。少し風が強かったのでしょう。
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) 海に入る度に顔に波が当たってきて軽く息が止まっ て溺れそうになる。
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) この詩は、海を泳いでいるときのたぶん息つぎを するところに波が顔にぶつかるということなのだと 思うので、息つぎができないどころか、塩辛い海水 をのむことになりそうなので、しんどそうだなと思 いました。
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) よく泳ぎに行った時のことを思い出す句だなあと 思いました。
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) 水産高校時代に海で2kmを泳ぐ実習があったので すが、その時は波が高く波が顔にぶつかることがあ りました。この詞はそんな思い出をよみがえらせる ような詞でした。
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) 海は波があるので顔に波がぶつかり泳ぎにくい.
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) 静かな海を感じさせる
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) この前の海はあれていたなー
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) 泳いだことがないので感覚がわかりませんが、い かにも夏!という感じがしました。
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) 海での波の荒ら荒らしさが伝わってきて、風情を 感じた。
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) 雨が降っている時に海水浴って寒そうですね
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな?(長谷川) 感想 波が高い日は大変ですががんばってほしい。
海へ向く恋のベンチや夏の月 (佐藤弘子) なんか、すごくおもむきを感じます。
海へ向く恋のベンチや夏の月 (佐藤弘子) とても素敵な歌だと思った。
海へ向く恋のベンチや夏の月 (佐藤弘子) 夜の海が月に照らされている感じがとてもロマン チックに思える.
海へ向く恋のベンチや夏の月 (佐藤弘子) 表現がおもしろかった。
海へ向く恋のベンチや夏の月 (佐藤弘子) 恋人と一緒に海をながめるようすがわかる。
海へ向く恋のベンチや夏の月 (佐藤弘子) 恋人同士がベンチにすわって月が反射している海 を見ている
「海へ向く恋のベンチや夏の月」(佐藤弘子) 真夏の夜、満月である。月は何とも言えない光を 放っている。この月を見ながら2人の心は、相手の 心に座わる。
海へ向く恋のベンチや夏の月 (佐藤弘子) ・読んだ時に私の頭の中にある風景が浮かんだ。空 には半分の月、それに静かに照らされる海の見える 岡のベンチ。その場所は夫婦や恋人たちには絶好の 所だろう。切ないような美しいような風景である。
海へ向く恋のベンチや夏の月 (佐藤弘子) 夏の月に照らし出された海がさざ波を立てながら、 それに向き会う2人がいる。淡くつつまれ温もりを 持ったその空間は、2人の青春をよりいっそう鮮明 な思い出として心に残してくれるだろう。思い出を ただの記憶に終わらせないように、2人の愛がより 深まるように、月の映えた水面を見つめながらお互 いを確かめ合った。 (編者)「向き会う」は「向き合う」です。
海へ向く恋のベンチや夏の月 (佐藤弘子) 海にあるベンチは何となく恋人と座りたい。私も 今、恋をしているので、このようなシチュエーショ ンを体験してみたい。 座るなら、2人で夜の月や星を見たいなあと思う。 今の自分に共感できる俳句である。
海へ向く恋のベンチや夏の月 (佐藤弘子) 感想:夏の夜、海辺にいるカップルが月明かりに照 らされている。月明かりがベンチのように映り、夏 の海に向ってのびているように思える。とても良い 雰囲気のような気がする。
海へ向く恋のベンチや夏の月 (佐藤弘子) (感想)夜の月光によって恋のぶたいになっていた ベンチが海に影を入れている.
海へ向く恋のベンチや夏の月 (佐藤弘子) いかにも夏っぽい感じが出てる
海へ向く恋のベンチにとてひかれた (編者)「とて」と読み取りましたが「とても」?
恋のベンチか。少し覚い出を覚い出しました。 (編者)「思い出」です。
梅雨の海静かに岩を濡らしおり(上田千万石) 梅雨の頃の海が、おだやかに岩にうちつける イメージなのかと思った。
梅雨の海静かに岩を濡らしおり(上田千万石) 雨が降っている情景が浮かぶいい排句だと思いま す。 (編者)「俳句」です。
「梅雨の海静かに岩を濡らしおり」(上田千万石) 恵みの雨が、静かに岩を濡らし色どり人の心を洗 い流すようなしみじみとさせる句である。
梅雨の海静かに岩を濡らしおり(上田千万石) 梅雨が静かに岩をぬらすとてもほのぼのできるな と思いました。
梅雨の海静かに岩を濡らしおり(上田千万石) いつもは波のしぶきで濡れる岩が今は梅雨の雨水 でしとしとと濡れているそういう趣のある風景
●梅雨の海静かに岩を濡らしおり(上田千万石) ・しとしとと誰も知らない岩を濡らしている想像す るだけで梅雨の弱い雨のしとしと感が分かる良い 作品
梅雨の海静かに岩を濡らしおり(上田千万石) 梅雨時で降水量がいつもより増して、じわじわと 岩の付近まで水位が上がっている様子を感じます。
『梅雨の海静かに岩を濡らしおり』(上田千万石) 暗く重い空と、鉛のように黒い海が脳裏に浮かぶ。
梅雨の海静かに岩を濡らしおり(上田千万石) ・これを読んでいるだけであのじめじめした梅雨を 思いおこさせる。
(句)梅雨の海静かに岩を濡らしおり(上田千万石) (感)昨日自転車で梅雨を小2時間体験したが、と ても静かではなく顔がいたくなる雨だった。
梅雨の海静かに岩を濡らしおり(上田千万石) 雨が降れば海は荒れるから 静かに岩を濡らすのは 間違っていると思います。
梅雨の海静かに岩を濡らしおり(上田千万石) ・雨が続くと憂鬱になるから梅雨は嫌い
梅雨の海静かに岩を濡らしおり(上田千万石) ポッポッと雨が長時間、なんか嫌やなぁ〜
梅雨の海静かに岩を濡らしおり(上田千万石) 梅雨の降る中、波が岩を濡らしている夏の前の柔 らかい時間の流れを感じる.
・梅雨の海静かに岩を濡らしおり(上田千万石) [感想] 作者が雨の中、海という自然を客観的に見 ていると思う。と同時に早く梅雨明けが訪れ てほしいと思った。
海からの風山からの風薫る (鷹羽狩行) 自然の豊かさが表現されている。
「海からの風山からの風薫る」(鷹羽狩行) 海の潮の香りと、山の水々しい香りを体で感じ、 大自然の中にいる、どこかなつかしい感じを続者に 伝えている。 (編者)「読者」です。
海からの風山からの風薫る (鷹羽狩行) 潮の香り、草木の香りが薫るこれからの季節が目 に浮かぶ.
海からの風山からの風薫る (鷹羽狩行) 潮風の匂いや山風の匂いが今にも伝わってきそう だ。
・海からの風山からの風薫る (鷹羽狩行) 季節が夏に変わり海からは潮の薫りが山からは草 や花の生物の薫りがただよってくる様子が伝わって くる
海からの風山からの風薫る (鷹羽狩行) 海も山もどちらもいいかおりがしますね
海からの風山からの風薫る (鷹羽狩行) 海の潮のかおり、山の木々のかおりが感じられる。 自然に囲まれている。リズムが面白いと思った。 (編者)線の複雑に絡み合ったイラスト略。
海からの風山からの風薫る (鷹羽狩行) ☆夏、海であそぶ人々が海のにおいを感じている。
海からの風山からの風薫る (鷹羽狩行) この俳句からは、まるで海のにおいがするようで 非常に興味深かった。
海からの風山からの風薫る (鷹羽狩行) 風をすごく強調している詩だと思った
『海からの風山からの風薫る』(鷹羽狩行) 感想 『海からの風山からの風』という部分がまさに水 大と同じような情景だなと思った。
海からの風山からの風薫る (鷹羽狩行) 感想 〜からの風と2回つづけて、「薫る」とシンプルにつ なげている所がひねりもなく簡潔でいいなと思った。 言いたいことがまっすぐ伝わるかんじがする。
繋がれし漁船軋(きし)みて梅雨兆(きざ)す (松沢満里子) 感 想 雨と波で船がゆれて漁船が軋む姿が目に浮かぶ。
繋がれし漁船軋みて梅雨兆す (松沢満里子) 感想 軋むという言葉は、たぶん降ってきた雨が船に あたっているときの音を表した言葉だと思う。 この句では、雨のあたる音を変えることで、船 がとまっている情景を描き出し、うまく表現し ていると思った。
繋がれし漁船軋みて梅雨兆す (松沢満里子) 先日の台風による雨のような激しい雨が降り、海 が荒れて波が高くなり、漁船がギシギシと軋んでい るのが想像される。
繋がれし漁船軋みて梅雨兆す (松沢満里子) 梅雨前線の影響で波が高くなっている。 高波の影響で港に繋がれている船が軋んでいる音 が、梅雨をしらせてくれる。
繋がれし漁船軋みて梅雨兆す (松沢満里子) 梅雨で川から海に水が流れているんだと思った
繋がれし漁船軋みて梅雨兆す (松沢満里子) 梅雨の時期を上手く表していると思いました
繋がれし漁船軋みて梅雨兆す (松沢満里子) もうすぐ梅雨が来るんだなあと思わせてくれる。
繋がれし漁船軋みて梅雨兆す (松沢満里子) 流されないように繋がれている漁船の軋みが梅雨 の時期に入るという短歌だと感じる.風情があり、 これから大変な時期だと物語っているように感じら れる. (編者)短歌ではなく、俳句です。
繋がれし漁船軋みて梅雨兆す (松沢満里子) 漁師町をよくしっているなぁと思った
出漁の後の静けさ梅雨晴間 (高田洋子) 漁に出た後の静けさで梅雨の雨降りの中にも晴れ 間が射している様子
出漁の後の静けさ梅雨晴間 (高田洋子) 漁船が出発した後の静けさが、梅雨の間の晴の日 と重ねて感じました。
出漁の後の静けさ梅雨晴間 (高田洋子) 港とには船も何もなく梅雨の間の晴間というよう に雲の間から日の光が射し込んできているのを感じ る (編者)「港と」の「と」はいらないと思います。
出漁の後の静けさ梅雨晴間 (高田洋子) 漁に出る前は雨が降っていて、エンジンの音が大 きくてやかましいが出て後は雨も止んでしずかになっ た状況である.
◎出漁の後の静けさ梅雨晴間 (高田洋子) 梅雨に入って、雨ばかりでも漁師達は日頃と変わ らず漁をしている地元の風景を思い出しました.
蛸壺やはかなき夢を夏の月 (芭蕉) 夏の夜に海面に映る月の風景が思い浮かびました。
蛸壺やはかなき夢を夏の月 (芭蕉) 芭蕉と言えどもこれは意味がわかりませんでした。 長く生きていればわかるんでしょうか。気になりま す。とても。 (編者)長く生きていると、「わからない」ことが気 になるのではなく、むしろ面白いと感じるようになる かもしれません。
「蛸壺やはかなき夢を夏の月」(芭蕉)を詠むと蛸 がせっかく家だと思って入ったら実はわなだったな んて、なかなか悲さんだと思いました。
蛸壺やはかなき夢を夏の月 (芭蕉) すでに蛸壺に入ってしまっている蛸が夏の月を見 てはかない夢を見ている
蛸壺やはかなき夢を夏の月 (芭蕉) 蛸を食べたくなった。 夏の夜に、海の底で蛸壺の中にいるタコは、自分 が人間につかまっているとも知らずにはかない夢を 見ているというのがおもしろい。
梅雨晴や海に伸びゆく高速道 (伊藤とく) ジメジメした梅雨が明け、カラット晴れた空の下 これからどこへ行こうか、 どこでへでも行ける そんな気にさせる、まっすぐに延びた高速道 そんな情景が頭に浮かびました (編者)「カラット」は「カラッと」では?
「梅雨晴や海に伸びゆく高速道」(伊藤とく)を写し間違えて
梅雨や海に伸びゆく高速道 梅雨の中を走っている車があり、その中に子供と その家族がのっていて、早く雨がやまないかな〜っ と思っているような風景が目に浮かぶ。梅雨晴や海に伸びゆく高速道 (伊藤とく) 梅雨で雲っている空が晴れはじめて、雲のすきま から光がもれて海に光の道を作ったような情景を思 い浮かべました。 (編者)「曇って」です。
梅雨晴や海に伸びゆく高速道 (伊藤とく) はやく梅雨が終わってほしい、
盲導犬薫風に目をかがやかす (堀口星眠) 風の香りだけを楽しむことができない主人のかわ りに盲導犬が目で見て楽しんでいると思った。
盲導犬薫風に目をかがやかす (堀口星眠) 5月の風、私も大好きです。この詞で犬が喜んで はしゃいでる様子が目に浮かびました。
泳ぐ顔にぶつかる波の高さかな(長谷川零余子) 自分は水泳部なので、この気持ちは本当に分か ります.本当にキツイんですよね…これ。 梅雨の海静かに岩を濡らしおり(上田千万石) 下関にいると、実際にこの風景が見られます. 夜に見るとすごい良い雰囲気なんですよね.
海へ向く恋のベンチや夏の月 (佐藤弘子) 何が言いたいのか全くわからないのが良いです。 佐藤さんに興味を持ちました。 人あまた泳がせて海笑いけり (鈴木真砂女) くすぐったいんでしょうね。海も
泳ぎに行きたくなりました。
すばらしい俳句でした。
とてもよい句であった。すごくきれいで耳あたり がよかった。
海にひびく風りんはすずしそうだ。
捕鯨の歴史がよく分かった。
「夏の山」は一足踏むごとに広大な海が眼前に広 がってゆく様子がうかがえる.
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 恐らく頂上に近づいていくにつれて少しずつ頂上 からの景色つまり海が見えてきて一足進むごとにそ れがさらに大きく見えてきたのだろう。 このあたりは山があるので自分も山に登って同じ ような体験をしてみたいと思う。
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 夏の晴れた日にハイキング山の頂上に近づくにつ れて、海の景色が広がっていく感じ。
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 山から見た海はとてもきれいですね.
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 夏に山の頂上から一歩ずつ海の見える方向へ歩い ていくと、きれいな海が目の前に広がっていく感じ がよく伝わってきた。
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 山を登るにつれて見えてくる海。 この句が書かれたのは吉見みたいな町なのだろう。 (編者)確かに!竜王山登山中の景色そのものですね。
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 夏の山を登りながら、一足ひとあし歩く度に海が 山から見える風景が浮かんでくるようで、海からの 太陽の光の反射がきれいそうだと思った.
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 夏山を登って行って少しずつ海が見えてきた時の 喜びを表しているのだと思います。
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 小林一茶は有明なのでこれにした。夏の山と海の 対比がとてもいいと思ったし、読むと情景がすぐに 浮かんでくる。 (編者)「有明」は「有名」?
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 長い旅の途中で夏の山を切り抜けたところにき れいな海の景色が少しずつ見えることに喜びを感 じることができるような作品だなと思った。
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 夏の山を下りていってじょじょに眼下に海が見え るようすがわかる
「夏山や一足づつに海見ゆる」(一茶) 夏山を一歩一歩登って頂上付近で向こう側に海 が見えた時の喜びはとても大きなものです。
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) いいと思う!!
「夏の山」を読んで海見ゆるという表現を読んで経 験があるので、その感動がひしひしと伝わる。
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 山を登りながらだんだん海が見えてくる情景が思 い描かれてくる
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) オモロ
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 夏山に登ると、一歩ずつに海が見えてきた。
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 水大の周りは海なので視界に勝手に入ってくる.
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 登山をしている人が頂上付近に近づくにつれ見え てくる真っ青な海に心躍らせているような情景が浮 かびまた共感できた。その時の景色といったら格別 であったろうに。
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) とても素直に表現されていて情景が浮かんでくる.
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 一茶の時代でも、夏の山の緑と海の青色の美しさ というものはかわらないのだなあと感じた。
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 夏の山を見ようと一足づつあるくと海が見えた.
「夏山や一足づつに海見ゆる」(一茶)はとても夏 を表していいと思います。
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 夏の海が広がっているの 想像できた。
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 山と海が両方ある吉見みたいな自然を想像しまし た。
夏の山から海が見えているという今の季節にピッ タリの句だった。
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 夏山と海の情景が思い浮かぶ良い句だと思いまし た。
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) 山から海を見ている気分になった。
夏山や一足づつに海見ゆる (一茶) ・よくよく考えると見える所では当たり前の事だ。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 風鈴という語を使って夏だということも認識させ、 そこに海という語を加える事でより具体的な情景を 表現していると思った。これを読むだけで、海風に あおられながらいい響きのする風鈴というものを想 像できる。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) さっきまであんなにさわがしかったのに、今は皆 海へ行ってしまって静まり返り風鈴の音がよく聞こ える。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 家族が海へ遊びに行くと、静かになって、普段聞 こえない風鈴の音がよく聞こえるという感じでしょ うか…? (編者)「ふうりん」と、木製のたらいで「すいかを 冷やしてる図」のイラスト略。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 夏におばぁちゃん家に行き縁側に座っていると、 風鈴が甲高く響いているよ。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) みんなが海に行って、静かになった家での風鈴の 音がよく聞こえてくるようである。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 海の前にある海の家から風鈴の音が響くという情 景が浮かぶ.夏らしさが出ていて面白いと思う
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 皆が海へ行き、室内に吊してある風鈴の音がきれ いによく響いている情景が浮かんだ.
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 家の中にいた人が全員海へ行って静かになり風鈴 の音だけが響いている様子が想像できる。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 感想 ・海へと勢いよく家を駆け出て行く子供達の通った 風が、玄関にある風鈴を鳴らしている様子が感じら れる。
みな海〜 〜 夏の情景がうかんできた。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 情景の想像しやすい歌だった
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 子どもたちが皆海にいって町が静かになったのだ ろう。風鈴の音だけがひびくさまが想像できる
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 家に自分一人残り、静かな部屋に風鈴の涼しげな 音が静かに響いている様子。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 夏や、海のイメージがすごく湧いた。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 小さな子どもたちがはしゃいで海の家みたいなと ころから出て行くようなかんじがうかがえる。みん なが走って海岸へでていくため、入り口につけてい た風鈴がいきおいよくなっている。とてもたのしそ うなかんじだと思った。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) この吉見でもありそうなことだと思いました。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 風鈴という言葉が入るだけで、とても涼しげな気 持ちになれる素晴らしい俳句だと思いました。
・みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) ある晴れた夏の日、そよ風が吹いている様子が 想像できる。と同時に、改めて早く梅雨が明けて ほしいと思った!
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) そろそろ夏に近づいてきたので海で泳ぎたくなっ た。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) <感想> 海へ行ってると、風鈴が聞こえてきているという ところがさわやかでいい感じがしました。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 海風にゆられる風鈴の音が伝わってくる。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 海水浴場のかき氷を売っているお店を思いうかべ た。かき氷を食べたいと思った。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 海の家でひなたぼっこをしたくなるような句だと 思った。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 子供たちが皆海へ行き、静かになった家の中に風 鈴の音がよく響く様子がわかる。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 家の人はみんな海へ行き、風にゆられる風鈴の音 だけが鳴り響いている風景が思い浮かびました。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) 海と風鈴はベストマッチだと思った.
(編者)「みな海へ行き風鈴のよく響く」(町山直由)を写し間違えて みな海へ行き風鈴の目覚めけり 風鈴の音が聞こえてそうな俳句だった。とても きれいだった。
みな海へ行き風鈴のよく響く (町山直由) (感想)夏休みに家族全員で海に行き、誰もいなく なった家で、普段は小さな音を出す風鈴も、家 の奥まで響いてくるような情景がうかびました。
海の駅ホームの端まで風鈴吊(つ)る (松本サキ子) あまり有名な観光地ではないけれど目の前にきれ いな海が広がっていて風鈴の音だけがすずしげに鳴 りひびいている。波の打ち寄せる音も少々聞こえる。 (編者)乗り換え用の連絡通路と階段、プラットホー ム、駅名表示板、その向こうの家並みとさらにその 向こうの海?のイラスト略。
海の駅ホームの端まで風鈴吊る(松本サキ子) ・想像してみた。ホームに数十個風鈴が並んでいる のを。あの涼しげで軽やかな音がなるのを。そろそ ろ部屋に風鈴を飾ろうと決意した。
海の駅ホームの端まで風鈴吊る(松本サキ子) シュールでおもしろい
海の駅ホームの端まで風鈴吊る(松本サキ子) 電車がきたら風鈴の音がするならおもしろそう
海の駅ホームの端まで風鈴吊る(松本サキ子) 平和な田舎町をイメージできる。
海の駅ホームの端まで風鈴吊る(松本サキ子) 感想:夏のある日に海が見える駅に行くと、ホーム にはびっしりと風鈴がつけられている。夏を思わせ るこの詩は、どことなく田舎の駅を思い浮かべてし まう。涼しげな風がホームを通りぬけているだろう。
海の駅ホームの端まで風鈴吊る(松本サキ子) 平和な感じがする。
海の駅ホームの端まで風鈴吊る(松本サキ子) 夏の海辺の駅で風で風鈴が美しくなっている風景 が思いうかびました。(笑)
海の駅ホームの端まで風鈴吊る(松本サキ子) ずらっと並んだ風鈴の列は見ていてなかなかに綺 麗だろうなと思いました
「海の駅ホームの端まで風鈴吊る」(松本サキ子) こういう風景を一度見てみたいです。
海の駅ホームの端まで風鈴吊る(松本サキ子) 夏の人が混み合う中の暑々しい中を、涼しい音色 が僕らの気分を心地良くさせる。
海よりの風吹き抜ける夏座敷 (種市清子) 海が近くに見える昼の座敷でおだやかな風が吹い てくる様を想像できた。
海よりの風吹き抜ける夏座敷 (種市清子) 涼しげな感じがしてよい。
「海よりの風吹き抜ける夏座敷」(種市清子) 海の家にある座敷に彼女と2人で座っている。 そうしたら、夏の暑い日なのに風が吹き抜けて気 持ちがいい感じが思い浮かぶ。
海よりの風吹き抜ける夏座敷 (種市清子) 風に乗って海の潮の香りがするような俳句で、 夏を感じられるような気がするから。
海よりの風吹き抜ける夏座敷 (種市清子) 涼しそうな夏の風景が見える。 そんな和室が欲しいです。
海よりの風吹き抜ける夏座敷 (種市清子) (雲1つない空 太陽の光りが強く、暑いのだけど たたみの上にいて風が吹き抜けることによって一 瞬すずしくなる。)
海よりの風吹き抜ける夏座敷 (種市清子) 家が海に近く、海風が夏の座敷に吹き抜けるのは、 とても気持ちよさそうだと思いました。
「海よりの風吹き抜ける夏座敷」(種市清子) 夏の海風は気持ちいいですよね。
海よりの風吹き抜ける夏座敷 (種市清子) まるで海辺にある漁師の家の座敷に、海風が吹き こんでくる光景が思い浮びました。真夏の暑い日差 しの下、風鈴の音を聞きながら、小麦色に焼けた少 年がアイスを食べているような光景にも思えました。
海よりの風吹き抜ける夏座敷 (種市清子) 夏に座敷に居ると海風が吹きぬけてくる。
海よりの風吹き抜ける夏座敷 (種市清子) 海風が吹き渡る様子がありありと想像できてよかっ た
灯を消して海音近し夏座敷 (保持幸子) 昼間はいろいろな音がしているのであまり海の音 が聞こえないけど、夜になって、静かになり明かり も消すと海の音が聞こえてきて、その音がとても近 くに聞こえているのかなと思った。
・灯を消して海音近し夏座敷 (保持幸子) 夏場の夜の涼しさが伝わる良い句だと思う
・灯を消して海音近し夏座敷 (保持幸子) ・灯を消して視覚が消えることにより、聴覚がと ぎすまされている様子が分かる良い作品 軽音にも顔出して下さい(僕はベースです) (編者)ごめんなさい。顧問なのに、このところ忙しくてなかなか 顔を出すことができません。
灯を消して海音近し夏座敷 (保持幸子) 夜真っ暗な中波音だけが聞こえる様子がえがかれ ている
灯を消して海音近し夏座敷 (保持幸子) まるで吉見の民家のような風景なのだろうと思い ました。エアコンをつけなくても海風が涼しそうだ と思いました。
灯を消して海音近し夏座敷 (保持幸子) 海が目の前の日本家屋のイメージがしました。
灯を消して海音近し夏座敷 (保持幸子) 夏の夜の蒸し暑さや星々を見るために灯を消す雰 囲気が感じられた。
灯を消して海音近し夏座敷 (保持幸子) 夏の夜に明かりを消して耳をすましていると、海 の音が聞こえてくる夏座敷
灯を消して海音近し夏座敷 (保持幸子) 僕の部屋も波の音が聞こえます。
灯を消して海音近し夏座敷 (保持幸子) 少し怖い感じがする
海までの街の短し鰺を干す (神蔵器) 感想 鯵を食べたくなった。
海までの街の短し鰺を干す (神蔵器) 感想: 漁業が行われている街で鯵が干して乾燥さ せている姿がよく見られるが、その風景が思い 浮かんだ。また、この俳句の”短し”という単語 から道は短くて、小さい街なのかなとも想像で きて面白い。
海までの街の短し鰺を干す (神蔵器) 感想:海までの短い街の商店街の店の軒先に、鯵を 干している風景が思い浮かんでくる。
海までの街の短し鰺を干す (神蔵器) 鯵を干している状景が浮かび鯵を食べたくなった。
海までの街の短し鰺を干す (神蔵器) 「鯵は夏の季語」って言われても、一年中釣れる魚 ですからねぇ。まぁ、なんにしても美味しい魚です よね。 (編者)確かに!
海風に貝風鈴の目覚めけり (川下かつえ) 僕は寝続ける
海風に貝風鈴の目覚めけり (川下かつえ) 海風によって貝が風鈴のようになっているのが想 像できて美しい句だと思う
「海風に貝風鈴の目覚めけり」(川下かつえ) 海風とさらに貝を入れることでさらに夏らしさを 感じました。風鈴が風に吹かれてここちよい住ごし やすそうだなと思いました。 (編者)「過ごしやすそう」です。
「海風に貝風鈴の目覚めけり」(川下かつえ) ・風鈴の音は、暑い夏にとって、少し気分が良くなっ て涼しくなるような感じがあるので、風鈴はいいもの だと思います。
海風に貝風鈴の目覚めけり (川下かつえ) 海の風にゆれる風鈴の涼しさがつたわってくる。
サボテンの花爛々と古港 (柴田白葉女) きれいなサボテンの花と、サボテンには似合わな い港が想像できる。
サボテンの花爛々と古港 (柴田白葉女) 人気のない古ぼけた港にいくつものサボテンが植 わっていて小さくて鮮やかな色の花が咲いているの を想像した。
サボテンの花爛々と古港 (柴田白葉女) サボテンは夏の季語なんですかね? (編者)そうです。だから出しました。
サボテンの花爛々と古港 (柴田白葉女) サボテンささるといたいですよね
サボテンの花爛々と古港 (柴田白葉女) サボテンの小さな花が、古い港に大変よく咲いて いることがなじみやすさを感じる。
仙人掌(さぼてん)の 花のねむたさ海うごく (甲田鐘一路) サボテンと海という関係なさそうなものが一つの 排句出てきているのがおもしろい (編者)「俳句」です。
仙人掌の句の「仙人掌の花のねむたさ海うごく」 という句は、仙人掌の花が枯れる頃に海が荒れる様 を表しているのだろうかと思った。
仙人掌の花のねむたさ海うごく (甲田鐘一路) 仙人掌の花が出る遅さは海さえ動くという例え
仙人掌の花のねむたさに海が動くという隠喩が上 手かった。
おもしろかったです。
おもしろかったです。
最近雨が多くてこまります.
ごきぶりを昨日倒しました。
六月は黴がきになる時期ですね。自分は今、風邪 気味なので気をつけようと思います。 「白鯨」の本を図書館で読もうと思います。 (編者)難しいかもわかりませんが是非読んでみてく ださい。
クジラを殺した後に潮を吹くのが血も混ざってで ることに驚きました。 (編者)『白鯨』の描写では、正確には血の混じった 潮吹きをした後、死ぬのです。
昔の航海士にも階級があることに驚かされた。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) アパートでごきぶりが出ました (編者)「動てん」の「てん」は「真+頁」ですが、 活字がないので「転」で代用します。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) たぶんごきぶりは何回見てもびっくりするのだ と思う。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) ごきぶりを見たらはじめてでなくても動転すると思う
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 僕も飛んだごきぶりには動転した。
「一家族初ごきぶりに動転す」(加藤三七子) 感想 私は北海道出身でゴキブリというものは、画像な どでしか見たことがありませんでした。こっちへ移っ て来て、こちらの人達からゴキブリの話はよく耳に していました。そしてこの前、我が家にもゴキブリ が出ました。想像していたより恐ろしく速く、対処 に困った私は、同じアパートの友人の部屋に駆け込 み、退治してもらいました。この詩の家族も、私の ように慌てて、たかが虫一匹に大騒ぎしている様子 が感じられます。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 初めてのごきぶりに対し、家族みんながおどろい ている様子がわかる。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 気持ちがよくわかる
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 初めてゴキブリを見た人々の気が動転した様子が よく分かる。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 今年初めて現れたゴキブリにあわててさわぐ様子 がわかる。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 夏が近くなり、初めてゴキブリがでて、家族があ わてている様子がわかる
「一家族初ごきぶりに動転す」(加藤三七子) 梅雨時期に入り、じめじめした日が続く中でシー ズン初のごきぶりが登場したことに驚くある家族の ワンシーンを詠った一句。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) ぼくもこの前初ごきぶりが部屋に出て動転しまし た。
「一家族初ごきぶりに動転す」(加藤三七子) たぶんマイホームを建てて、平凡に暮らしていた らゴキブリがでて、エーって感じ。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 僕の家にもよくゴキブリが出るのでこの句情景が 目に浮かびました。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) <感想> ごきぶりおいしい。 ごきぶり食べたい。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 自分もまだ見たことがないので、パニックにな りそうだ。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) ごきぶりに家族全員が騒いでいる様子が浮かぶ。 よくある情景に、面白さを感じる。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 感想 ごきぶりは怖い
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) この詩から自分がごきぶりに遭遇したときのこと を思い出し、共感したから。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) すごく気持ちがわかる
一家族〜 この人たちはごきぶりを見たのが初めてらしいの で、北海道からの移住者なのかもしれない。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 表現が非常におもしろかったです。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) ・感想 私の家はまだゴキブリが出ていないので卒業 まで出ないでほしと思う。 ちなみにゴキブリは大キライです。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 初めてのごきぶりに驚く様子がよく分かりました。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 六月の温かくなってきたころに見られるゴキブリ。 そんなゴキブリがリビングに顔を出して、一家全員 が驚く、そんな光景がこの詞を読んだ瞬間思い浮か びました。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) (感想) もう夏になり気候も温かくなり生物も活発 に動くようになった
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) ごきぶりがでてくるなんてびっくりした ゴキブリも季語のひとつなんて、なんだか、きも ちわるいなと正直思った。でもにぎやかで、楽しい 作品だなと思った。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 今年は ご き ぶ り を見たくない
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 誰もが一回経験したことがあることをおもしろく かかれている。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) この句は、僕も経験した事があるのでよく分かる 句だと思った。日常に起こりうる出来事を書いてい るので、より身近に感じられ読みやすい句だと思っ た。
加藤三七子さんの作品はとても共感できた。確か に初ごきぶりが出たら動転すると思う。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 温かくなってきて久々にゴキブリを見たらやけに 家族でさわぎだす光影がとても現実的だと思いまし た。 (編者)「光景」です。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) ゴキブリに家族みんなが驚いている様子が想像で き、思わず笑ってしまった。おもしろかったのでこ の句を選びました。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 我が家もそろそろ 覚悟を決めて 対策にあたらねば
「一家族初ごきぶりに動転す」(加藤三七子) 気持ちがよくわかりました
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 家にゴキブリがでると家族みんなで、大あわてす る風景が浮かんできた。
加藤三七子の詩で、自分の家にもゴキブリがでて、 動転したので、同じ気持ちになりました。
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 今年に入って初めて見たごきぶりにびびっている
一家族初ごきぶりに動転す (加藤三七子) 今年初めてのごきぶりに、一家が驚き右往左往す る様子が目に浮かぶ。
梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す (山岡敬典) 初夏というのに、続く雨のせいで気温もあがらず、 差し込んでくる光も薄暗し。 何をするにも気の乗らない気だるい空気が漂う部 屋の中を仕方なしに動き出す。 早く梅雨明けになって欲しいという気が感じとら れます
梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す (山岡敬典) 梅雨はいやなものだと感じた。
(編者)「梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す」(山岡敬典)を写し間違 えて 梅雨寒の部部を憂鬱歩き出す 梅雨によって冬のような寒さになっているので歩 く際にやる気もなくなり暗い気分になる
梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す (山岡敬典) じめじめしており、少しさむさにゆううつを感じ ている.
梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す (山岡敬典) 梅雨時の湿った感じや、暗い感じがよく表れてい る.
梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す (山岡敬典) 梅雨のジメジメしている感覚を肌に感じながら歩 くのは、本当に憂うつに思える。この憂うつを体験 したことがあるので共感できる。しかし、最近は、 梅雨を憂うつと考えるのは控え、梅雨の美しさを発 見しようと努力している。
梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す (山岡敬典) 梅雨の日は洗濯物が乾かないので嫌いです。
梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す (山岡敬典) 梅雨のじめじめした空気と少し肌寒い気温が部屋 を憂うつにしていて、どこか心地よい場所を探しに 歩いているのかなと思った。
梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す (山岡敬典) 雨のために屋内で退屈に過ごす様子がありありと 浮かび、よいと思った
「梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す」(山岡敬典) 梅雨寒で外に出たくてもでるきもしないし、部屋 にこもってうろうろする気持ちがわかる気がした。
梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す (山岡敬典) 雨の降る中、部屋で何もしたくなく、外に出たく ない様がうかがえる。
梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す (山岡敬典) ・最近の自分がまさにこんな気分である 早く梅雨が空けてほしい
・梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す (山岡敬典) [感想]・とても共感できる句である。私も、梅雨で あるこの時期は外出を控えたくなる。雨が降 るだけで憂鬱なので、本当に早く梅雨が明け てほしいと思った。
梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す (山岡敬典) とても上手く表現できていると思う。情景が目に 浮かびます。
梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す (山岡敬典) 梅雨は湿気が多くジメジメしてて、気分が落ちま す。憂鬱な気持ちになるので、早く明けてほしいで す(笑)
梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す (山岡敬典) 感想:梅雨は自分もやることがなくていやになりま す。外出も出来ないし、洗濯物もかわきません。 部屋の中をやることがなくて、ぐるぐる回ってい るのだと思います。
梅雨寒の部屋を憂鬱歩き出す (山岡敬典) 確かに。
「油虫いま仰向けの必殺どき」(倉橋羊村) ユニークだなと思いました。
油虫いま仰向けの必殺どき (倉橋羊村) 僕の家ではまだ出てない(と思いたい)ですけど 出ないように注意します。
油虫いま仰向けの必殺どき (倉橋羊村) ごきぶりが仰向けになってバタバタしているとき にスリッパのうらでたたいてつぶそうとしている様 子が想像できた。
油虫いま仰向けの必殺どき (倉橋羊村) 油虫にいま、仰向けの油虫にとどめをさす.
油虫いま仰向けの必殺どき (倉橋羊村) それでもいきなり動きだすのが彼ら
油虫いま仰向けの必殺どき (倉橋羊村) 私は殺す勇気がないので、まず出ないように注意 しています。
油虫いま仰向けの必殺どき (倉橋羊村) 最近、ゴギブリがよく出るので 親近感が湧きました。
油虫いま仰向けの必殺どき (倉橋羊村) この句からこの時期から虫も活発に運動する時期 なんだと実感します。
油虫いま仰向けの必殺どき (倉橋羊村) 意味がわかりづらい
油虫いま仰向けの必殺どき (倉橋羊村) 自分の部屋にも何匹か現われ始めた。なかなか仰 向けにはならないが、上からしばいている。
油虫いま仰向けの必殺どき (倉橋羊村) <感想> ゴキブリが、ひっくり返るところを狙っている様 がおもしろいと感じました。 (編者)皆さんゴキブリで大変なようですが、うちな んかムカデやクモも出ますよ。蛇が出たことも!
黴(かび)のアルバム母の若さの恐ろしや (中尾壽美子) 「黴」と「若さ」というキーワードを使い、恐ろ しさを表現するのが面白い
(編者)「黴のアルバム母の若さの恐ろしや」(中尾壽美子)を写 し間違えて かびのアルバム母の若さ恐ろしや 昔のアルバムを見たら母で無くても驚くと思いま す。
黴のアルバム母の若さの恐ろしや(中尾壽美子) 自分も母の写真を見たことがあるが今の顔と全然 違うと思った。
「黴のアルバム母の若さの恐ろしや」(中尾壽美子) 若かりし頃の母の美しさも、アルバムに付いた黴 のように、強烈な印象を残す的な感じ。
黴のアルバム母の若さの恐ろしや(中尾壽美子) アルバムの中の母を見たら若い時の母が乗ってい てオォッーておどろいた。 (編者)「載っていて」では?
黴のアルバム母の若さの恐ろしや(中尾壽美子) アルバムを開いたら、母の若さに驚く、というの は自分も経験がある. 時の残酷さは皆平等にあるんだな、と思った.
(詩)黴のアルバム母の若さの恐ろしや (中尾壽美子) (感想)時の流れは恐ろしいということを 面白く読んでいる所が気に入りました。 (編者)「詠んでいる」だと思います。
黴のアルバム母の若さの恐ろしや(中尾壽美子) 黴が生えてることでよりいっそう年季の入った様 に見えるアルバムの中で見る母の美しさに仰天して いる場面が描かれる。 古いアルバムの中のまだ、新しいピチピチの母が 映えているのだと思った。 古さと新しさを対比していて、素晴らしいと思っ た。
黴のアルバム母の若さの恐ろしや(中尾壽美子) 若さで恐れるのはおかしいことだと思う.驚きの ほうが私はいいと思った
黴のアルバム母の若さの恐ろしや(中尾壽美子) 感想 作者の母親の若い頃の写真を見つけて、母親 のあまりの若さに驚くのと同時に、黴がその 写真に多くたまっていることから年希が入っ ていることがわかって、年齢の差を恐ろしく 感じる作者の姿が読みとれて、面白いと思い ました。 (編者)「年季」です。
六月の太平洋と早起きす (矢島渚男) 僕も早起きしたなあと思いました。 (編者)いつのことですか?
六月の太平洋と早起きす (矢島渚男) 夏の前の海の様子が想像できた。
『六月の太平洋と早起きす』(矢島渚男) 早朝の海の清々しさを思い浮かぶ。 早起きしたい!!
(句)六月の太平洋と早起きす (矢島渚男) (感)私は朝が遅いのですが日の出を人生で一回ぐら いみてみたいと思います。
六月の太平洋と早起きす (矢島渚男) 4月〜8月の間太平洋と言うと日本を家族を、恋人 をそして郷土を守るためと言って南の空に海に消え て言った特攻隊の人々を思いだす。 (編者)「消えていった」?
・六月の太平洋と早起きす (矢島渚男) ・今の時期は寒くも暑くもない、すがすがしい朝 に早起きすることを書いた、しかし太平洋の意味が わからない、よくわからない作品
六月の太平洋と早起きす (矢島渚男) 雨が降る中ではねれない…?!のか
六月の太平洋と早起きす (矢島渚男) ネムい
六月の太平洋と早起きす (矢島渚男) よく意味はわからないが、ほのぼのとした感じを とらえることができる.
(編者)「黴の香のそこはかとなくある日かな」(吉岡禅寺洞)を 書き間違えてしまいました。 黴の香のそこはなとなくある日かな ・黴は、今の時期、湿気でできやすいので洗いも のをするときは、なるべく溜めないようにしてお きたいと思います。
黴の香のそこはかとなくある日かな (吉岡禅寺洞) 私の部屋もカビの匂いがしだしたので共感できる. (編者)僕の写し間違いを直してくれてありがとう!
黴の香のそこはなとなくある日かな 梅雨はカビが増えじめじめとし、嫌なかんじがす るが、この歌は逆にプラスにとらえた視点なのが良 かった。
黴の香のそこはかとなくある日かな (吉岡禅寺洞) 六月はかびのにおいがよくします (編者)僕の写し間違いを直してくれてありがとう!
黴の香のそこはなとなくある日かな (か?) (吉岡禅寺洞) 「そこはなとなく」は「そこはかとなく」ではな いのか? 香りもしない黴を臭っている気分になるようなうっ くつした気分である。 (編者)その通りです。すみません。
黴の香のそこはなとなくある日かな 黴の香が梅雨のじめじめした時期に発生した様子 が受けれる。 (編者)一応こう読み取りました。
黴の香のそこはなとなくある日かな 梅雨明けでじめっとした空間に、カビのにおいが なに気なく充満し、鼻の穴をくすぶらせるのがイメー ジできて、初心者にも分かりやすい歌だ。
六月の夢の怖しや白づくし (岸風三楼) 怖い夢は嫌だなと思った.
六月の夢の怖しや白づくし (岸風三楼) 最近、変な夢や怖い夢をよくみる。
六月の夢の怖しや白づくし (岸風三楼) おもしろかった
「六月の夢の怖しや白づくし」(岸風三楼)という 句は、六月の悔雨の時期でしょっちゅう雨が降って いて、空が白くある様が恐ろしいということなのだ ろうかと思った。 (編者)「梅雨」です。
六月の夢の怖しや白づくし (岸風三楼) 夢のきびしさを語っているかなと感じとれる。
六月の夢の怖しや白づくし (岸風三楼) 六月の天気とその時の夜の情景、夢のことが上手 く表現できている。
六月や峯に雲置(おく)あらし山 (芭蕉) どんよりとしている天気だけどどこか神秘的で美 しい景色。 雨は降っていないが少しだけ霧が出ている。 (編者)薄く斜線で書かれた(あるいは描いたものを 消した跡?)どんよりとした風景のイラスト略。
六月や峯に雲置あらし山 (芭蕉) あらし山の上の方に雲が乗っている様子が美しい と感じました。
六月や峯に雲置あらし山 (芭蕉) 六月独特の天候というようなものが目の前に展開 されることに風情を感じる。梅雨空と思われる雲が 山の上に存在することでいつもより一層空気が重く、 全体的に暗いイメージが広がる。
六月や峯に雲置あらし山 (芭蕉) 峰に雲置くの表現 あたかも置いてあるかのような堂々とした雲は本 当に六月頃表れる.入道雲の大きなようすがありあ りと描写される。 (編者)「現れる」です。
六月や峯に雲置あらし山 (芭蕉) あらし山が雲をかぶっている。もうすぐ雨かもし れない
梅雨さむし山霧軒にささと降り (長谷川素逝) 今日はちょうど肌寒く、山に濃い霧がかかってい たので、ぴったりだと思いました。
梅雨さむし山霧軒にささと降り (長谷川素逝) ・まさしく今の状況である。晴れの日はとても温度 が高いのに梅雨になるとぐんと温度が下がるので 着る服に困まる。
梅雨さむし山霧軒にささと降り (長谷川素逝) この俳句からは夏が近付いているのに寒い梅雨の 様子が感じることができ、その様子が好きだから。
梅雨さむし山霧軒にささと降り (長谷川素逝) 梅雨に霧雨が軒に降り注ぐ様子。 先生へ 授業始まってすぐの私語が多い時に漢詩やことわ ざの訳を言われても聞き取れないので困っています。 (編者)そうでしたか。私語でざわつく教室を静かに するためにあえて授業最初に漢詩やことわざの意味 を書き取らせるのですが、裏目に出たようですね。 いずれなんとかします。
梅雨さむし山霧軒にささと降り (長谷川素逝) 梅雨で山霧軒という場所に静かに雨が降っている という頭の中にしっかりと情景が映し出された。
六月の万年筆のにほひかな (千葉皓史) 六月の万年筆のにおいは何か特別なのか、それと も何かあって特別なにおいに感じたのか気になると ころです。
六月の万年筆のにほひかな (千葉皓史) 感想 六月の万年筆のにおいとはどのようなものかと 思った
六月の万年筆のにほひかな (千葉皓史) どんな「にほひ」だよ
ごきぶり ゴキジェットを昨日買いました。
ごきぶりを詠んで… この前テレビ番組で1万匹のゴキブリの中で歌を 歌うという話をききました。 それを思い出して、ゾッとしました。
「ごきぶり」を読んで、とても分かる詩だと思う。 このようなことは誰もが思い、経験したことがある と思った。
おもしろかったです。何か深い意味がありそうで…
意味が深い。
意味が深いなと思いました.
鱚の絵の浴衣見て想う釣り上げたし 白鯨について 船長の役所が分からなかった。居る意味はあっ たのか.
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 夏至は暑いと思います。夜は、寒いのかと思いま した。
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 夏至のときはその日が出ている時間がながいので 少し勉強や読書する時間が長くなるので以外と好き だと思いました。 (編者)「意外」です。
「夏至という日の暑からず寒からず」(瀧春一) 夏至のあの何とも言えない気温に共感した。
「夏至という日の暑からず寒からず」(瀧春一)と いう句が、夏至という日の雰囲気がとてもよく出て いた。
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) (感想) 僕は寒いと思います
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 私は暑いとしか思えないです。
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 夏至とかびみょうな時期にあるから暑いのか寒い のがびみょうですね….
「夏至という日の暑からず寒からず」(瀧春一) 良い句だなと思った。
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 作者は夏至は暑くもなく寒くもなく、過ごしやす かったと思う。
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) ・作者にとって、その年の夏至はいい気温だったの だろう。
夏至という日の〜 :夏の暑さを思い出した。
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 今の時代はエアコンがあるので、部屋の中では快 的に過ごすことができる (編者)「快適」です。
『夏至という日の暑からず寒からず』(瀧春一) 中途半端な気候を表現している。暑いと思うが。
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 寒いはありえない
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 夏至の日はまったく暑くなかった
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 夏至は暑いと思います。それとも、住む場所によっ ては、暑くなく寒くない場所があるのか、気になり ます。
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) この句では何事も言葉にまどわされてはいけない ということを言いたいのではないかと思う。また、 同じような表現を反復して使うことでどちらでもな く中途半端だということを端的に表せていると思う。
「夏至という日の暑からず寒からず」(瀧春一) 夏至が来る時期というのは暑くも、寒くもない時 期だと詠った一句。
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 感想 分かりやすい俳句で良いと思う。
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 私は夏至は暑いと感じることが多いから
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 夏は暑くて嫌いだ
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 夏至は日が最も長いですが、まだ6月なので暑く もなく寒くもないと考える作者に共感しました
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) (感想) 基本的にはこの季節はじめじめとしていて、む し暑いイメージがあるのですが、たまに雨の後にや や寒く感じることがあると思います。夏至という日 はなんともはっきりと言い表せない気候であると感 じます。
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 夏至のときの気温をうまく表現しているなーと思っ た。
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 夏至の日も十分暑い
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) でも沖縄はめちゃくちゃ暑い!!
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 感想: 夏至は春と夏のちょうど境目。春のすがす がしさが残りつつも、夏の暑さを予感するような日 だと思う。これから本格的な夏に向かっていくのを どこか予感させる一句だと思う。
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) 最近の蒸し暑く、と思えば雨が降り夜寒く なるのを連想させる詞だと感じた。
「夏至という日の暑からず寒からず」(瀧春一) 北海道に住んでいた時は夏至というと日が長く気 温も暖かくなって「夏が至った」という感じだった。 しかし、こちらの山口県に来てからは、梅雨という 時期の途中であまり太陽や日の長さを見ることがで きないので「夏が至る」という感じがする。
夏至という日の暑からず寒からず (瀧春一) つい先日の夏至を迎えて、その季節感がとてもう まく表現できていると思う。
引き強き鱚(きす)の力をよく知れり (高浜年尾) キスは夏に良く釣った事があり、自分が思ってい る以上に引きがあったので、それを思い出しました。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 小学生の時、暑い夏に友だちとギザミやキスを釣っ たのを思い出した。また友だちと海に行きたいと思っ た。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 感想 僕は知っています。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 釣りが好きなので共感できました。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 高浜年尾の「鱚」は、僕もキスをつったことがあ るので力が強いことが分かります。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 魚は以外に力強いです (編者)「意外」です。
「引き強き鱚の力をよく知れり」(高浜年尾) 鱚は網張り意志がつよくその意味をよく表した句 である (編者)「網張り」は「縄張り」?
・「引き強き鱚の力をよく知れり」の感想 ・昔、鱚釣をしたときの風景が思い出されました。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 鱚釣の様子を簡単に表現した詩。 俳人でなくても理解できる分かりやすい詩。
引き強き〜 一度釣ってみたいと思いました。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 小さく、流線型の魚である鱚。それなのに引きは 強くおもしろい.そんなことを歌ったような詠だと 思いました。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) キスの引きはとても楽しいし食べても美味しい
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 実際に私も鱚を釣ったことがあるのだが、あんな 小さな体でよく引くな〜と思った。 うまくこの私が思った感情が表現されている。
(詩)引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) (感想)たとえ魚といっても、命がけになったら、 とてつもない力を発揮するという自然のすご さが気に入りました。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) よく知ってる(笑)
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 感想 鱚が思ったよりも力強く綱を引っぱるのに驚いて、 鱚に「負けたなぁ」とか「まいたなぁ」という気持 ちで書いたのかなぁと思った。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 鱚釣りに行ったとき引きが強かったから大きい のがきたと思ったらフグが釣れてがっかりした
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 釣りの時鱚を釣った時のことを思い出した。夏ら しいさわやかな詩だと思った。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 昔おじいちゃんと鱚釣に行ったのを思い出しまし た。エサのゴカイが気持ち悪かったのを覚えていま す。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) キスは小型の魚ではあるが意外に引く力が強 く楽しめる様子がわかる。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 夏にキス釣りをしている様子がわかる。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 感想:鱚を釣るために釣りに出かけて、どうしても 鱚を釣りたい自分と、逆にどうしても釣られた くない鱚の姿がよく出ていて面白いと思いまし た。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 自分のイメージでは全く引かない魚だと思ってい たのだが…。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 鱚はあまり大きくないが小さな体に似合わない強 い引きを感じていることが分かる。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 魚釣りしたくなります。
引き強き鱚の力をよく知れり (高浜年尾) 釣りをしていて、キスがかかり生きの良いキスが 反抗してる様。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 最近毎日のように雨で、月を見ていないので、た まに雲間からのぞくようなら見てみたいと思いまし た。
金箔に魅力を感じる
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 美しい月の様子が思い浮かぶ句だと思いました。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 趣のある詩だと思った。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 梅雨の空は雨が多いので曇り空が多いがそこに輝 く金箔のような月の様子です。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 梅雨の月というのは曇りの中から出てくることで よりいっそう光がましてきれいに見える。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 「月」といえば秋を思い出すけど、「金箔を打ち のばした。」と、梅雨の月を表現してあって、梅雨 の月もきれいなのかな。と思った。今日、みてみよ うと思う。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) どんよりとしている雲で はっきりは見えないけれど にぶく光っている月のイメージ。 (編者)鉛筆でうっすら引いた、はっきりとは見えな いどんよりとした空のイラスト略。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 早く梅雨がおわってほしい。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 暗闇の中、ぽっかりと浮かぶ、金に輝く月が、 まるで金箔を打ちのばしたように見えるのが とてもキレイな俳句だと思った。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 梅雨の日の夜、急に雨が止んだ後に見える月はと てもきれいです。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 梅雨時期で雨がたくさん降ったおかげで空や空気 がきれいに澄んで、月が金箔を打ちのばしたように きれいに見える。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 色のきれいな月を想像してとてもきれいだと思っ た。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 金箔をはりつけたように 色のきれいな月を想像して、とてもきれいだ と思った。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 金箔を打ちのばしたように美しい月を見て感動し ている様子。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 金色に輝く月が雨粒に映り、いたる所に降り、 金色のじゅうたんみたいに地面一面が輝いてい る様子が浮かぶ。梅雨の時の月も見てみたいも のだ。
・金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 金箔のようにキレイな月が見れるのが梅雨なの だろうか?今年の5月頃にキレイな月を見た ような気がする。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 梅は雨が続くから月があまり見れない (編者)「梅」は「梅雨」?
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 梅雨の月はきれいに見えるということを表してい る。本当にそうなのかと思った。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) 梅雨の時期の夜の雲り空を見上げると月が輝いて おりそれが金箔のように見えたのだろう。 (編者)「曇り」です。
金箔を打ちのばしたる梅雨の月 (有馬朗人) きらびやかな金色の月が梅雨でどんよりした曇天 を一層輝いて照らしている光景が恒間見える。 (編者)「垣間見える」です。
夏至ゆうべ地軸の軋(きし)む音すこし (和田悟郎) 蝉の鳴き声だと思います。
夏至ゆうべ地軸の軋む音すこし (和田悟郎) 天体的な話題が入ってくることに感動しました。
「夏至ゆうべ地軸の軋む音すこし」(和田悟郎) 夏至という、季節の節目の一つの時期に、どこと なく変化を感じる。体全体で地軸の軋む音を感じる ということ。
夏至ゆうべ地軸の軋む音すこし (和田悟郎) 夏至の夕方、季節が変わり始めているという意味 を感じとれる。著者の寂しい感情が感じとれる。
夏至ゆうべ地軸の軋む音すこし (和田悟郎) 地軸が軋むという表現はなかなか 思いつかないと感じた。
夏至ゆうべ地軸の軋む音すこし (和田悟郎) 地球がつくる夏至という現象を、直観的,感覚的 にとらえていると思う。
夏至ゆうべ地軸の軋む音すこし (和田悟郎) 面白い発想だなと思った。
夏至ゆうべ地軸の軋む音すこし (和田悟郎) 地震の後の日だと思った (編者)一応こう読み取りました。
夏至ゆうべ地軸の軋む音すこし (和田悟郎) 夏至の夜がとても暑い。 そういえば前日地軸が動く音がしたような気が する − という句。
「夏至ゆうべ地軸の軋む音すこし」(和田悟郎) 地球は常に南極と北極を結ぶ点から23.4度傾いて、 太陽を回っているというが、とても面白い視点だと 思う。
連れてくる子がなし浴衣海に吹かす (松崎鉄之介) 祭か何かを連想させる
連れてくる子がなし浴衣海に吹かす (松崎鉄之介) 「海に吹かす」という表現がよくわからないが浴衣 があっても着てくれる子供がいないのは悲しい。
連れてくる子がなし浴衣海に吹かす (松崎鉄之介) 感想:浴衣が海でなびいている情景が浮かんだ。
連れてくる子がなし浴衣海に吹かす (松崎鉄之介) 難しい俳句だと思った。
連れてくる子がなし浴衣海に吹かす (松崎鉄之介) とても上手く表現ができていて、夏の情景が浮か んで来ます。
「浴衣」を読んで、やはり夏というものを感じる。 おそらくあの涼しい感じが夏という暑い季節を涼し くしてくれるからであると思う。
連れてくる子がなし浴衣海に吹かす(松崎鉄之介) 一人でさみしく海でいる様子がわかる。
夏至の夜の港に白き船数ふ (岡田日朗) 場所によって港にある意味もかわるのだろう。 白い船なのでどうせ商業用だろうか…
夏至の夜の港に白き船数ふ (岡田日朗) 僕はかなり良いふんいきなのだなと感じました。 漁船を思い浮かべます。
夏至の夜の港に白き船数ふ (岡田日朗) 夏至で昼が長い 国はどこか気になった。
夏至の夜の港に白き船数ふ (岡田日朗) 夏至は一年で最も日が長い日であり、白い船と対 比していてよくあっていると思った。
夏至の夜の港に白き船数ふ (岡田日朗) <感想> 気温のいいすずしい夜に月にてらされて白い船が 小さく点々と海に浮かんでいる風景が、なんだか神 秘点だと思いました。 (編者)「神秘点」は「神秘的」?
夏至祭や白夜の湖(うみ)に漕ぎ出でて (石川幸子) 夏至祭の時は湖に漕いでいくことに特別な意味が あったのかもしれない.
夏至祭や白夜の湖に漕ぎ出でて (石川幸子) 涼しげな感じで良いと感じました。
梅雨の月金(き)ンのべて海華やぎぬ(原裕) 梅雨の晴れ間の夜にきれいな月が浮かんでいるの を想像した。
梅雨の月金ンのべて海華やぎぬ (原裕) この間見た雲の間から見える金の月を思い出した。
鱚釣や青垣なせる陸の山 (山口誓子) 夏を楽しむ方法はいろいろあるが大自然と触れ合 うことがやっぱり一番なのではないかと思った。
梅雨の月というのはちょうど今なので、じめじめ とした嫌な季節です。早くからっと晴れた日になっ てほしいです. ぼくは釣りに最近ハマっているんですが、こうい う釣り仲間には共感できる部分が多いです。
早く梅雨があけてほしいと思った。
とてもおもしろい詩だと思います。
何か深い意味がありそう。
最近はよく雷が起こりますが、昔から雷というも のはにがてで、雷がなっている時に外を歩くと心臓 がドキドキします.
セントエルモの火は自然現象なんだということを 初めて知りました。 雷が落ち光で包まれ音が鳴る
・梅雨の雷(らい)いま脳天を渡りくる (石川桂郎) ・梅雨の時期は、雨が降って、気分がおちてますが、 それに加えて雨が激しくなると雷もなって、さらに 気分がおちるので、自分はあまり好きではないです。
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) 今日、学校に来るとき雨がとても激しく 雷もとても近かったです。 まさに詩の通りです。
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) 今日の雨は本当にすごかったですね。
梅雨雷の 「梅雨の雷いま脳天を渡りくる」(石川桂郎)とい う句が、たった今まさに雷が落ちた様子がいきいき と伝わってきてとても雰囲気があると思った。
今日は梅雨雷(つゆかみなり)がぴったりの天気 だった。
・梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) ・まさに今日の天気だと思いました。
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) 今日もまさに梅雨雷だと思う。
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) ・今日のような急な雷には驚かされるなぁ
・梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) ・さっきの雷にはけっこう驚いた
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) 今まさに起こっていた状況と同じような句だと思っ た。脳天を渡りくるという表現が好きだった。
・梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) ・まるで今日の天気のようである。雷も雨も快い ものではないので、この季節は苦手である。
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) まさに今だと思いました。
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) 今日じゃね?
「梅雨雷」 梅雨の雷いま脳天を渡りくる。の感想 今の季節の雷は激しくて、頭の中を真っ白にする ような雷鳴をうまく表現しています。
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) 梅雨そろそろおわってほしいです。
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) 今も昔も梅雨の雷はかわらないらしい。
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) 近くに雷が落ちると脳天を走るような 衝撃が来るなあと思った。
(詩)梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) (感想)雷があたかも体に当たったような音が 脳にかけめぐる情景が浮かびました。
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) 梅雨の時期に激しい雷で驚く情景が目に浮かぶ。 作者が雷嫌いというように感じられる。
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) 梅雨の時期の激しい雷の音の大きさが表現され ている。
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) 梅雨にはげしい雷が降っている様子がよくわかる
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) 梅雨の激しい雷がよく表現されている.
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) (感) 梅雨の時期のカミナリの強さがよく表されてい る誌だと思った。 (編者)「誌」は「詩」か、むしろ「句」です。
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) 非常に力強い句であった。
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) いいと思う.
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) とても、おもしろい表現だと思います
梅雨の雷いま脳天を渡りくる (石川桂郎) ・今の時期にとても合っている歌だと興味がひかれ た。梅雨・雷ということに夏の初まりを思う。
死のうかとささやかれしが蛍の夜(鈴木真砂女) 夏の夜に蛍が現れ光で様々に飛ぶさまはまるで自 分を死にいざなう様だということ
死のうかとささやかれしが蛍の夜(鈴木真砂女) 感想 蛍の寿命が短いのとかけていると思うと面白い なと思いました。 そして作者が死のうと思う日が蛍が飛ぶ夜だっ たのかと考えると、ロマンティックだなと思い ました。
死のうかとささやかれしが蛍の夜(鈴木真砂女) 蛍の美しい光を見て「ここでもう死んでもいい」 という気持ちはよくわかります。でも生きます。
死のうかとささやかれしが蛍の夜(鈴木真砂女) 2週間前に家の近くの川にホタルを見に行ったこ とを思い出した。
「蛍」を読んで、人の感受性というもののすごさ と個性というものをこの詩で感じた。
死のうかとささやかれしが蛍の夜(鈴木真砂女) 死のうと思うと蛍がまう夜なぜかあふれでてくる 切なさを感じさせる文章。
死のうかとささやかれしが蛍の夜(鈴木真砂女) せつなくなる。
死のうかとささやかれしが蛍の夜 (鈴木真砂女) 蛍の光にはうつくしさとはかなさが混在している 感じがする
「死のうかとささやかれしが蛍の夜」(鈴木真砂女) 蛍の命が残りわずかになってだんだん蛍の光が段 々弱くなり、光る蛍の数も減ってきてなにかさびし い気持ちになりました。
死のうかとささやかれしが蛍の夜(鈴木真砂女) 蛍の光が今にも消えそうなほど弱々しい様子が文 章から伝わってきて良かった。
「死のうかとささやかれしが蛍の夜」(鈴木真砂女) とても静かな夜が考えられる. 人のこどくをあらわしているように思えた。
死のうかとささやかれしが蛍の夜(鈴木真砂女) 僕は蛍が好きです。
死のうかとささやかれしが蛍の夜 (鈴木真砂女) 吉見の蛍の量に驚いた 数が多くきれいだった
死のうかとささやかれしが蛍の夜(鈴木真砂女) 夜の蛍の光というのは命が光っているようにも見 える。蛍というのも実際命を燃やして光をはなって いる.
「死のうかとささやかれしが蛍の夜」(鈴木真砂女) 蛍の命は短い.キレイ光ったかと思うと、次の日 には死んでいる。その光が死ぬ合図。 「明日まで光っていたい生きてたい」
死のうかとささやかれしが蛍の夜(鈴木真砂女) 成虫になって数日で死ぬ蛍が飛び交う夜のことを、 「死の夜」と例えているところがグッとしました。
★死のうかとささやかれしが蛍の夜(鈴木真砂女) ピカピカしていてキレイだけども、蛍は生きれる 時間が短く、死の光でもあるということ
死のうかとささやかれしが蛍の夜(鈴木真砂女) この近辺にも蛍がたくさんいるがきれいではある けどもはかなさを感じる。
死のうかとささやかれしが蛍の夜(鈴木真砂女) この文はすぐに死んでしまう蛍を見て作者が考え た事だろう。
死のうかとささやかれしが蛍の夜(鈴木真砂女) これはとても切ないです。 蛍は一週間?しか生きられないと思うと悲しくな ります。
蛍 はかない感じがした。
死のうかとささやかれしが蛍の夜(鈴木真砂女) しずかな夜の中で、ひっそりと死んでいく蛍は生 きている間はとても美しい。蛍はなかないが、美し さにみとれていると今にも、蛍たちの声が聞こえそ うである。
死のうかとささやかれしが蛍の夜(鈴木真砂女) 短い命なのに虫は一生懸命生きている
遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子) この授業の雷はいとかすかではないと思った。
遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子) ・今日は遠雷どころではない。
遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子) それにしても今日の雨と雷はすごいですね。
遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子) 感想 今日、遠くで雷がなっており、それとうまく合って いる。
遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子) 小学生の時、雨がふっていて友だちと家の中で遊 んだことを思い浮かべた。
遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子) どこで鳴っているかわからないが、確しかに雷が 鳴っている様を短い文でよく表していると思う.
遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子) 伝えたいことが分かる排句です。 (編者)「俳句」です。
遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子) 遠くから微かに聞こえる雷の音が存在感を放って いるのがよくわかる俳句だと思った。
遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子) まさに今日雷が鳴っていた 季節の変わり目のイメージが浮かんだ。
遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子) 何となく読んだときピンと決たので選びました。 今日が雷雨だからかと思います。 (編者)「決た」は「来た」か平仮名でいいと思いま す。
遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子) 雷が遠くで鳴る様子が目に浮かぶから
遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子) 遠い所から聞こえる雷の音がかすかに聞こえ雷が 鳴っていることが本当かどうか分からない情景が浮 かんだ。
遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子) この季節にぴったりの梅雨とともに訪れる雷の様 子を表しているので共感できた。とても遠い位置で 鳴っていてもその存在を知らしめる独特の音が特徴 的だなと思った。
遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子) 今日は近くに雷がおちましたね。 すごい音でした。
遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子) 雷の光・音などは正確に雷が落ちた位置がわかる 材料に値しないと人として思う。
遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子) 感想:雷は遠くで鳴っていても、必ず、音や光は聞 こえたり見えたりするものだ。 この季節、雷の怖さはとてもある。
「滝落ちて群青世界とどろけり」(水原秋桜子) 水が落ちて、きれいな青の水の世界をつくりあげ ることが趣深さを感じる.
滝落ちて群青世界とどろけり (水原秋桜子) とどろけり、というところに滝の大きさを感じた。
滝落ちて〜 滝つぼの青い風景が思いうかびました。
『滝落ちて群青世界とどろけり』(水原秋桜子) 大きく束になった水が垂直に地面と衝突し、露状 の水しぶきを上げている情景で心が満たされる。非 常に涼々しい、透き通るような感覚に陥る。 詩を読むということはその文体の待つ世界に侵り、 同化することでまるで目前にその情景があるような 実際に我が身で経験したかのような気分を味わうこ とであろう。知らない世界を見せてくれる詩が私は 好きだ。 (編者)「浸り」です。いつも詩的な素敵な解釈をあ りがとう!
滝落ちて群青世界とどろけり (水原秋桜子) 世界の中心が滝。 (編者)崖の真ん中を落ちる真っ白い滝のイラスト略。
滝落ちて群青世界とどろけり (水原秋桜子) とどろくという表現から、滝が威厳にみちたもの だということをうまく表現していると思った。また、 読むだけで景色が想像できた。
「滝落ちて群青世界とどろけり」(水原秋桜子) 連続して落ちる滝の壮大な様子を群青世界がとど ろいているようだ、と表現している。 (編者)「壮大」の「壮」のところは何度も消した跡 があって判読しにくいですが、一応こうしときます。
滝落ちて群青世界とどろけり (水原秋桜子) 滝が落ちる様子は空や海の世界全体に響きわたる ような存在感を持っている。
滝落ちて群青世界とどろけり (水原秋桜子) いい俳句だと思った。
滝落ちて群青世界とどろけり (水原秋桜子) 最近ひどい雨が多く、そんなふんいきを思い出し た。
滝落ちて群青世界とどろけり (水原秋桜子) ・とても大きい滝が想像できる。
滝落ちて群青世界とどろけり (水原秋桜子) 暗い昼間、 その世界の中にごうごうと 滝が音を立てている。
滝落ちて群青世界とどろけり (水原秋桜子) かなり前に父親に連れられて滝で潜ったのを思い 出した。海とは違って完全に透き通っている水、美 しい魚、滝の落ちる時の大音量の低音、とても印象 的だった。
滝落ちて群青世界とどろけり (水原秋桜子) 激しい滝の様子が頭に思い浮かんでくる。
ビアガーデン灯る病室の真向かいに(横山房子) 天国と地獄なのか、のみすぎで病室なのかわかり ません。
「ビアガーデン灯る病室の真向かいに」(横山房子) みんなでワイワイ楽しいビアガーデンと対称的に 室内の明かりが小さく暗いのと、ふんいきが暗いの がかけられている所が上手い。 (編者)「対照的」です。
ビアガーデン灯る病室の真向かいに(横山房子) 病室で一杯のみたくなるね!
「ビアガーデン灯る病室の真向かいに」(横山房子) ビール飲みたい。
ビアガーデン灯る病室の真向かいに(横山房子) ゆうわくに負けるな!!
ビアガーデン灯る病室の真向かいに(横山房子) 麦酒は夏のビールが美味しい時なのに病室で入院 している青年が想像できた。
ビアガーデン灯る病室の真向かいに(横山房子) 私には、退院まじかの作者が退院したらすぐに皆 でビールを飲んでお祝いしようと考えてるように見 えます。
ビアガーデン灯る病室の真向かいに(横山房子) 早くビールが飲みたいな
ビアガーデン灯る病室の真向かいに(横山房子) 病気の人はベットの上から楽しそうなビアガーデ ンを眺めてる。あぁあのなつかしい元気だった頃を。
ビアガーデン灯る病室の真向かいに(横山房子) どういう状況なのかわからない
ビアガーデン灯る病室の真向かいに(横山房子) ビールないじゃん
ビアガーデン灯る病室の真向かいに(横山房子) ビールをビアというのは斬新だと思ったがアメリ カ人からの発音を聞くとビアもありだと思う。
ビアガーデン灯る病室の真向かいに(横山房子) ・限られた食生活を強いられて、もちろん禁酒もし ている患者さんが、病室の窓からうらやましそうに ビアガーデンをしている人達を見ているのが想像で きる。 この時ばかりは、病気のこともわすれて、あの冷 たくて、苦いビールの味を思い出していることだろ うと思う。
ビアガーデン灯る病室の真向かいに(横山房子) 自分は病気でビアガーデンにいけないと言う悲し さがよく表れている.
雲の中滝かゞやきて音もなし (山口青邨) 青空のことを言っているのだと思う。雲の中に滝 のよに青い空がひろがっていている状景が浮かんだ。 「音のない」と表現するのがおもしろいと思う。
雲の中滝かゞやきて音もなし (山口青邨) この詩をよむと静かな情景が浮かんできていいと 思った。また滝を雷と見立てていると感じた。
雲の中滝かゞやきて音もなし (山口青邨) 滝のそう大さと規模が伝わってきた.
雲の中滝かゞやきて音もなし (山口青邨) 滝のすばらしい光景が頭に浮かびました.
熱帯魚青きひかりを藻に点ず (水原秋桜子) ライトで灯らすと、魚と水草のレイアウトが実に すばらしい.
熱帯魚青きひかりを藻に点ず (水原秋桜子) きれいに整えられた水槽の中を優雅に熱帯魚が泳 ぐ姿が見えるような詩。
熱帯魚青きひかりを藻に点ず (水原秋桜子) 熱帯魚の美しい発色が水槽の水草と上手くマッチ してきれいに映えている姿が想像できます。
熱帯魚青きひかりを藻に点ず (水原秋桜子) 熱帯魚の青いウロコで光が反射して藻に青い光を あてたのだろうと思った。
「しづかにもひれふる恋や熱帯魚」(富安風生) 熱帯魚のその泳ぎに心も引かれる様子だと思いま す。いいですね〜.
しづかにもひれふる恋や熱帯魚 (富安風生) この前から自分、魚かいはじめました。
「しづかにもひれふる恋や熱帯魚」(富安風生) しづかに、優雅に泳いでいる熱帯魚のように恋し ている感じ。しづかで、何もしていない起っていな いようだが、実は素敵な恋がはじまっている。
(句) 昇降機しづかに雷(らい)の夜をのぼる (西東三鬼) (感) 昇降機を出してきた所がおもしろい。雷は降り てくるものだと思う。
昇降機しづかに雷の夜をのぼる (西東三鬼) 静かなエレベーターの中なら雷の音がいつもより もよく聞こえそうだ
昇降機しづかに雷の夜をのぼる (西東三鬼) 嵐の夜に一人でエレベーターに乗っている 光景が浮かんだ
雷と雨がひどい日なのでこれが合っていると思い 選びました。
梅雨の雷が頭の上で鳴り響いているのが思いうか ぶようだった。
熱帯魚の見た目は踊っているように見えるのはぼ くにも解る
どれも、とても良い俳句だった
「白鯨」は思っていたより迫力があって驚いた。 やはり鯨は当時はとても恐れられていたようですね。
船上での生活の様子がなんとなく分かった。載せ た食料で3年ももつのか疑問に思った。緊張感がすご い。
野馬いくら馳けても夕焼(ゆやけ)の 裏へ行けず (加倉井秋を) 野原を走る馬が夕焼けに向かって走り続けるよう なイメージだと思った。
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず (加倉井秋を) 野馬が夕焼に向かってひたすら走っている様を、 「夕焼けの裏へ行く」という表現で表しているのが おもしろいと思った。
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず (加倉井秋を) 夕日のスピードには馬をもってしてもかてないと いうことがわかる。
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず (加倉井秋を) 感想 野原を馬が馳けているが夕焼けの裏へ行けない。 野原の広大な地が目に浮かぶ。
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず (加倉井秋を) 夕焼けの裏に行こうとして夕焼に向かって走る馬 が想像にうかんだ。 なんだかそのようすが美しいなと思っていいと思っ た。 裏へはどうしてもいけないかんじが、せつなくて いい。
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず (加倉井秋を) 夕焼けの中、草原を走っている馬が目をとじれば 見えそうで、やく動感のある俳句だと思った。
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず (加倉井秋を) 何故かテレビで見るアフリカの風景が出てきます。
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず (加倉井秋を) 彼らの力強さと広大な草原を思いうかべました
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず (加倉井秋を) 走っても走っても近づくことができない.しかし 夕日に向かってダッシュや、星をつかもうとするこ とはロマンがあっていいと思う 美しい。
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず (加倉井秋を) 馬が夕刻に速く走っていても夕日の向こう側へ行 けない情景が浮かぶ。とても面白いと思う。
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず (加倉井秋を) 自然のすばらしさ宇宙の広さを感じられてとても 良かった。
「野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず」 (加倉井秋を) 馬が野原を元気に夕焼けに向かって走っている様 子が生き生きとしていて良かったです。
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず (加倉井秋を) ユーモアと子供心がありいいと思う.
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず (加倉井秋を) いいと思う。
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず (加倉井秋を) 夕焼けいいですよね
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず (加倉井秋を) 「裏へ行けず」 → 「裏行けず」こうしても意味は 伝わると思う。さらに字数もあうのでいいと思う。
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず(加倉井秋を) とどきそうで届かない夕焼けを追う馬はとても かわいいです。私もいつか星をつかまえてみたい です。
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず (加倉井秋を) 馬でどんなに速く馳けても太陽に近づくこともそ の裏へ行くこともできない様子が思い浮かんだ。
野馬いくら馳けても夕焼の裏へ行けず (加倉井秋を) 馬が夕焼けにむかって走っているけれどいつまで たっても夕焼けの裏へ行けない様子がうまく表現で きている。
夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄) 海上で、地平線のどこを見ても海しかない様子が 見れる、と思った。
夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄) 友だちと海にキスかギザミを釣りに行って夕方ま でつりをしていて、山に夕日が沈んでいるのを思い 出した。はやく夏休みになってほしい。そして海に つりをしに行きたい。
夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄) 最近雨続きで夕焼けを見ていないので、恋しくな りました。
夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄) 海にうつる夕日はきれいで大好きです。
夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄) どこに立っても荒い海はいやだなあと思いました。
〜夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄)〜 夕日がきれいな感じがします。
夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄) だいだい色に染まった夕焼け空でおだやかそうで はあるが、海の波はゴォーゴォーと音をたてて荒れ ている.この2つをうまく対比してる。
夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄) この歌は、あれくるう海の中ときれいな夕焼けの 対比がいいと思った。
夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄) 最近 雨や曇りのせいで夕焼けを見ていない.
(編者)「夕焼のどこに立ちても荒き海」(福田甲子雄)を写し間 違えて (句) 夕燃きのどこにたちても荒き海 (感) 「いざ!日本海」見たいな感じかな なんかかっこいい。
夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄) いいと思う
夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄) 夕方、海の海岸沿いのどの場所に立っていても荒 しい海しか見当たらない情景が浮かんだ。 (編者)「荒しい」は「荒々しい」?
夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄) この句からきれいに夕焼けと共に映えている海の 風景が想像できます。
夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄) 夕暮れ時 海がとても荒れているということがとても よくわかる。
夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄) なにかむしょうに夕焼を見たくなった
夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄) 感想 夕焼けで海が赤く染まっていて、どこに立って も海が荒くなっているように見えたのかなと思う と、面白い考え方だなと思いました。
夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄) 最近の夕方の海は本当にロマンチックです。と言っ てる自分が気持ち悪い。
夕焼のどこに立ちても荒き海 (福田甲子雄) 最近、夕焼け見てないなぁ。荒い海は見てるけど。
棲む魚の砂走りせる清水かな (中村汀女) きれいな川でヤマメやイワナのような魚が泳いで いる光景が想像できました。
棲む魚の砂走りせる清水かな (中村汀女) ・上流に住んでいる魚がいる場所の床となっている キレイな砂が、流れてくる清水によって、走るよ うに流されている、そんな光景が思い浮かびまし た。
『棲む魚の砂走りせる清水かな』(中村汀女) 透き通る山川が浮かぶ。 暑いが涼しい、夏の川の情景をよく表していると 思う。
棲む魚の砂走りせる清水かな (中村汀女) きれいな川で遊んでいたころを思い出します。
棲む魚の砂走りせる清水かな (中村汀女) 感想 砂走りせるという表現から、魚が勢いよく泳い でいるということが読みとれ、目の前にその景色が 想像できるいい句だと思った。
棲む魚の砂走りせる清水かな (中村汀女) きれいな水
棲む魚の砂走りせる清水かな (中村汀女) きれいな川の水が頭に浮かんできた。
棲む魚の砂走りせる清水かな (中村汀女) アウトドアな雰囲気が漂っているので夏らしい自 然にあふれた様子が伺える。涼しささえ感じられる。
棲む魚の砂走りせる清水かな (中村汀女) とても澄んだ水に魚が泳いでいるのを想像した。 とても涼しげな短歌と思った。 中村汀女は私の出身と同じく熊本なので身近に感 じた。 (編者)短歌ではなく俳句です。ついでに、僕の女房 も熊本出身です。熊本はいい!!
棲む魚の砂走りせる清水かな (中村汀女) 魚が砂の上を走っているように見えるほど 水がきれいな様子が浮かんだ。
・棲む魚の砂走りせる清水かな (中村汀女) キラキラと光る川の中を魚のむれがスッと通っ ていくのが想像できすずしげて好き (編者)「すずしげて」は「涼し気で」?
棲む魚の砂走りせる清水かな (中村汀女) ものの動きがわかりやすいし、涼しさを感じる
・棲む魚の砂走りせる清水かな (中村汀女) ・きれいな川の中を魚が泳いでいる感じが伝わって くる。
棲む魚の砂走りせる清水かな (中村汀女) 清水をのぞくと、水の中の魚が川底の砂をけちら して逃げていくのを見た。
棲む魚の砂走りせる清水かな (中村汀女) 感想:水の中に住んでいる魚が砂を上げ、走り去る 姿さえ見えるほどすきとおっているということ
顔ふって水のうまさの山清水 (河野南蛙) 山の中を流れている川の水を手ですくって飲んだ あとに顔に思いっきり水を浴びている。
顔ふって水のうまさの山清水 (河野南蛙) 今、あつくてノドが乾いているのでほんとうに水 がおいしそうに感じる。
顔ふって水のうまさの山清水 (河野南蛙) 山に流れている清水が夏らしくていいと思った。
顔ふって水のうまさの山清水 (河野南蛙) よほどうまかったんですね.
顔ふって水のうまさの山清水 (河野南蛙) 感想:山から湧き出ている清水を、うまそうに飲ん でいるんだなということがわかる。 夏に冷たい大自然の清水を飲むと、たしかに 顔をふるほどそうかいになると思う。
顔ふって水のうまさの山清水 (河野南蛙) 清水は飲んだことがないので飲んでみたい.
顔ふって水のうまさの山清水 (河野南蛙) ・地元には、川が流れてきれいな水が山から流れて きてその水はおいしく飲むことができ、この詞を 読んで見ると、地元を思い浮かべる詞だと思いま した。
(詩) 顔ふって水のうまさの山清水 (河野南蛙) (感想) 顔をふって飲むほど美味しい水の 清らかな透明さが見えました。
顔ふって水のうまさの山清水 (河野南蛙) 顔をふるほど、山の水がきれいで、冷たくておい しかったのだろうと思い、この句が良いと思いまし た。
顔ふって水のうまさの山清水 (河野南蛙) 幼い頃、地元の山で飲んだ水の味と冷たさを思い 出した。
顔ふって水のうまさの山清水 (河野南蛙) 山水はおいしいよ
顔ふって水のうまさの山清水 (河野南蛙) 部活後に山水飲んだら最高でしょうね
顔ふって水のうまさの山清水 (河野南蛙) 清水は本当に美味しいと思う。夏に飲むのは、ま た格別だと思った。
日盛や息をしてをる蜥蜴(とかげ)の尾 (辻桃子) 暖かい日に トカゲが活動し 切れた尾が生きているように 動いている様子 が想像できる
日盛りの 「日盛や息をしてをる蜥蜴の尾」(辻桃子)という 句は、夏の暑い日に、あまりにも暑いので日陰で蜥 蜴がじっとしながら息をしている所を表しているの だろうかと思った。
とかげのしっ尾が息をしているという表現がとて も良かった。
日盛や息をしてをる蜥蜴の尾 (辻桃子) ・トカゲの生命感がよく伝わってくる句だと思う
日盛や息をしてをる蜥蜴の尾 (辻桃子) トカゲの強い生命力が表現されている。
日盛や息をしてをる蜥蜴の尾 (辻桃子) 暑い夏に子供にイタズラをされて、切れてしまっ た尾が 切れた後も 動いている様子がわかる。
水を飲む馬は耳より夕焼けて(ながさく清江) 仕事を終え、耳が赤くなるまで走った馬が水を飲 む姿を描いた句だと思った。
水を飲む馬は耳より夕焼けて (ながさく清江) 野生馬か農耕馬かは分からないが、水を飲む馬の 耳に夕日が射している様子が分かる。
水を飲む馬は耳より夕焼けて (ながさく清江) 馬の耳が夕焼けの色の染まっていく様子が感じら れます。
水を飲む馬は耳より夕焼けて (ながさく清江) (感想) 私は馬が好きです。
水を飲む馬は耳より夕焼けて (ながさく清江) いいと思う
水を飲む馬は耳より夕焼けて (ながさく清江) 水をがぶ飲みしている馬の耳はとても赤く染まっ ている感じ。
水を飲む馬は耳より夕焼けて (ながさく清江) 夏になると水が飲みたくなる。僕も馬のようにガ ブガブ水を飲んでみたいものだ。
日盛りに蝶のふれ合う音すなり (松瀬青々) 蝶がふれ合っても音はしないのだが、日盛りによっ て、音がしていて、それほど、あつく、夏らしい状 況であることが、伝わってくる。
日盛りに蝶のふれ合う音すなり (松瀬青々) 日がガンガンてっていて、蝶がガンガン鳴いてい る様
日盛りに蝶のふれ合う音すなり (松瀬青々) 生き物たちが活発に行動していることが見てわか る。暑い中、元気に飛んでいる姿に尊敬の意さえ思 われる。
日盛りに蝶のふれ合う音すなり (松瀬青々) 蝶と聞くと春のイメージなので、夏の俳句の中に 出てくることに驚きました。 (編者)「蝶」は春の季語で、モンシロチョウなどを 指しますが、「夏の蝶」という夏の季語もあり、 こちらをアゲハチョウの仲間を指します。
日盛りに蝶のふれ合う音すなり (松瀬青々) 蝶は昔からどうもニガテだ。
山清水魂冷ゆるまで掬(むす)びけり (臼田亜浪) 山からの清水を身体が癒されるまで飲み続けるよ うな感じがする.
山清水魂冷ゆるまで掬びけり (臼田亜浪) ・夏の暑い時に飲む水がとても冷たく、おいしく感 じられる。
山清水魂冷ゆるまで掬びけり (臼田亜浪) 心のしんから冷えたくなる夏。ずっと山清水につ かっていたいという考えだと思う。
「海に入る日盛りの川こともなげ」(佐藤鬼房) 涼しげに、清らかに流れていた川が、荒々しい海 の中へと何事もなかったかのように流れ入るのが感 とれる。 (編者)「感とれる」は「感じとれる」?
海に入る日盛りの川こともなげ (佐藤鬼房) 海に入っても川に入っても同じというのがとても おもしろいと思いました。
草いきれして一草も動かざる (藤崎久を) 草がないのできれいになって、よかったと思う。
「清水」はダイビングの活動を私はしているので 共感できる句でした。砂の上を走る魚がうまく表現 されていると思いました。
清水の感じがよく出ていて夏に合う句だった。
「日盛り」はもう夏になる今の時期にぴったりの 句だと思います。
「夕焼」を読んで夏の感じとともに儚さをもって いるように感じた
風景が目に浮かぶようだった。
今日は風が気持ちいい 教室が暑くなかった。
天気がいいので海に入りたくなりました。
改めて、白鯨に対しての船長の情熱に驚かされた。
ブッシュ批判と白鯨を重ねる文章が面白いと思っ た。現代の小説のようにはっきりしたものより白鯨 のように実験的な小説のほうが面白いと思った。
夏休み煌めく海と雲の峯 周りがうるさいので、もう少し威厳のある授業を してください。 (編者)心がけてみます…でもできるかな―いやい や、威厳をもって!
カレンダーめくれば夏の海の音 (関口美子) 七月初め、夏を前にそわそわする気持ちが読みと れる。
「カレンダーめくれば夏の海の音」(関口美子) 夏が近づいてくる感じがしてよかった。
カレンダーめくれば夏の海の音 (関口美子) カレンダーをめくって7月になったとたんに夏を 実感するってところがとても共感できました。
カレンダーめくれば夏の海の音 (関口美子) カレンダーをめくれば8月であり、夏になったの だと共感できて良かったです。
カレンダーをめくって7月や8月なら夏の海を思い うかべ波の音が聞こえてくる気がする
カレンダーめくれば夏の海の音 (関口美子) 自分がめくっても、ゲームの発売日しか近づかな いのは、夏の海に期待していないからだろうか。 (編者)多分…。
カレンダーめくれば夏の海の音 (関口美子) 夏の海の音とカレンダーのめくれる音とが、全く 関係のないものが、うまくあわさった句である
カレンダーめくれば夏の海の音 (関口美子) 夏休みにめくるカレンダーを思い出した。 残りが少なくなるたびに悲しくなる。 (編者)教員も同じです!!
関口美子の詩は最近自分のカレンダーをめくった 時にふと海を思い出し、関口美子と同じような気分 になった。
カレンダーめくれば夏の海の音 (関口美子) ・8月が近くなればみんなうれしくなるものだ.
・カレンダーめくれば夏の海の音の感想 6月のカレンダーを見てめくれば7月のカレンダー があり夏休みもせまってきている感じが読みとれる。
カレンダー〜 7月から8月にうつる時の風景が思いうかびました。
カレンダーめくれば夏の海の音 (関口美子) もう少しで夏休みですね。
カレンダーめくれば夏の海の音 (関口美子) ・カレンダーで手を切ったのを思い出した。
カレンダーめくれば夏の海の音 (関口美子) 新しい月を迎えて、海への期待が出てくるのが感 じられます。
カレンダーめくれば夏の海の音 (関口美子) たぶん今7月である。一枚めくると”8”月つまり夏 休みである!!ヤッターって思ってウキウキすると、 海の音が聞こえてくるようだ。
カレンダーめくれば夏の海の音 (関口美子) このカレンダーは日めくりカレンダーなのかと、 想像できて面白かった。 最近はすっかり夏に近くなったと思う。
カレンダーめくれば夏の海の音 (関口美子) この句ではカレンダーをめくるごとに季節がどん どん変わっていくという様子がよく表現されている 句だと思う。そして、夏といえば海というようなイ メージは普通の人にもあると思うので、それを利用 して親近感を出していると思った。
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) 夏の強い日光が、水しぶきをあげて飛び上がる魚 に反射して、きらめき、海面から夏の力を感じる.
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) ・飛魚は海面を飛ぶ特徴がありますが、自分はこの 飛魚が優雅に飛ぶ姿が結構好きです。
飛魚の翼の光〜 飛魚がいきおいよく泳いでいるのが思いうかぶ。
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) 飛魚うまいですよね。 釣れませんかねぇ。 (編者)うまいです!
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) 感想 飛魚の翼が光っていたんだなあと思いました。
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) 水面にきらりと飛魚の体が光ったと思うと、その 水面に線が残っている、そういった様子 (編者)一応「線」と読み取りましたが 「緑」にも見えます。
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) 飛魚の新鮮さが伝わってきておいしそうです。
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) 飛魚は海面から飛びだすとき、とても気持ちよさ そうで、僕も飛んでみたいと思った
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) 飛魚が翼を広け大海原を波・風を切って飛んで行 くゆうがな姿が想像できる (編者)「広け」は「広げ」?
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) 飛魚が、きれいに飛んでいる様子がうかがえる
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) [感想](飛魚のとても優雅でかっこいい様子が思い うかぶ排句になっていると思います。) (編者)「俳句」です。
(詩) 飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) (感想) 飛魚が勢いよく海から飛び出している情景が うびました。
「飛魚の翼の光り波を切る」(高浜年尾) 海上の飛魚の速さ、元気よさが伝わってきた。
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) こんな光景を見てみたい
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) スピード感があっていいと思う 講義中、先生が何て言っているのかわかりませ ん. (編者)多分滑舌のことを言っているのだと思います が、滑舌が悪くてすみません。
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) 飛魚が海から飛び出した。翼がキラキラと鋭く輝 いてまるで波を切るようだ。
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) 家の近くの川でよく飛魚が飛んていて、おもしろ いです。
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) この前見た。
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) 夏が来て海にも飛魚が飛んでいる様子がよくわか る
飛魚の翼の光り波を切る (高浜年尾) よく、テレビで見るような情景がとてもシンプル だけど、よく表現できていると思いました。
砂まみれの死魚の歯を剥(む)く夏の浜 (松沢佐多子) 淡々と打ちつける波の音が聞こえてくるような詩 だ。同時に自然の厳しさ、生命のはかなさなども感 じられた。
砂まみれの死魚の歯を剥く夏の浜 (松沢佐多子) 死んで打ち上げられた魚が波にゆられている様 子がイメージできた
夏の海、夏の浜の <砂まみれの死魚の歯を剥く夏の浜>という句は、 砂浜に魚の死体が打ち上げられている様が想像され て不気味に感じた。
砂まみれの死魚の歯を剥く夏の浜(松沢佐多子) ・魚の歯を剥いているのは風化と虫、どちらなのだ ろうか.
砂まみれの死魚の歯を剥く夏の浜(松沢佐多子) なんだか異臭がする感じがします
砂まみれの死魚の歯を剥く夏の浜(松沢佐多子) とても悲しい句でした。 夏の暑さで死んだ魚が思いうかべれます。
砂まみれの死魚の歯を剥く夏の浜(松沢佐多子) ・この句のような砂浜では遊びたいとはあまり思え ない気がする
砂まみれの死魚の歯を剥く夏の浜(松沢佐多子) 釣ったキスの口から針を取っている時の事だろう か。
砂まみれの死魚の歯を剥く夏の浜(松沢佐多子) 砂浜に打ち上げられた魚が埋もれ、歯だけが姿を 見せている、何とも儚げな様相である。
航海やよるひるとなき雲の峰 (高浜虚子) 夜でも昼でも雲をみておかないといつ雨が降って もおかしくないのが航海。
雲の峰 昨日、七曲りのあたりで、夕日に照らされた、 入道雲がきれいでした.
航海やよるひるとなき雲の峰 (高浜虚子) 水平線のすぐ上にもくもくとしたたくさんの入道 雲が一面に広がる景色。 (編者)船の手すりから、水平線から昇る入道雲を眺 めている人の大きな頭の後ろ姿のイラスト略。
(句) 航海やよるひるとなき雲の峰 (高浜虚子) (感) 雨や嵐の対策をして欲しいです。ようとすごく つらくなるので航海は快晴の日に。
航海やよるひるとなき雲の峰 (高浜虚子) 夏は雲がきれいに見えるのでこの排句に共感でき ます。 (編者)「俳句」です。
航海やよるひるとなき雲の峰 (高浜虚子) 深いなあと思った.
雲の峰 とてもおもしろいと思った
航海やよるひるとなき雲の峰 (高浜虚子) 船で海に出て空を見上げると常に雲の峰つまり入 道雲が見えるという様子が思い浮かんだ。
航海やよるひるとなき雲の峰 (高浜虚子) 航海で夜、昼ない雲の姿が想像できる。 にゅうどう雲
夏日にけぶる海は無数の働く船 (滝春一) 夏の日に照らされて航海しているたくさん船が想 像できた。
滝春一の詩より、自分の地元の魚港を思い出させ るような詩で、古郷がなつかしくなりました。 (編者)「漁港」です。
夏の日、夏日影 夏の海はキラキラしてキレイですよね!!
夏の日、夏日影 とても感動的だった。
夏日にけぶる海は無数の働く船 (滝春一) 1945年夏沖縄の海のこと
夏日にけぶる海は無数の働く船 (滝春一) 夏の晴れた日には漁師がみな沖へ出て漁をする。 その影が海に移り、絶妙な影を生んでいる。
掌(て)に掬(すく)へば色なき水や夏の海 (原石鼎) 海で遊びまわって、その後帰るときの海を想像し た。
掌に掬へば色なき水や夏の海 (原石鼎) 両手にすくった海水が強い日差しに輝く光景が目 に浮かびました。
掌に掬へば色なき水や夏の海 (原石鼎) 海で手に海水をすくって取ると、きれいにすき通っ た水が夏の太陽で光っている情景が鮮明に伝わって きた
手にすくった夏の海の水の色はとうめいだった
掌に掬へば色なき水や夏の海 (原石鼎) 遠くから見れば海は青いのに、手に掬ってみると 透明になる海水をよく表現した詩だと思いました。
掌に掬へば色なき水や夏の海 (原石鼎) 海として見る海水は、エメラルドグリーンできれ いなのに手ですくうときに色がついているわけはな い。 手の中の海水は無色である。そんなことを表現し ているのだと思う。 なんだか虚しいけど色があるせいできれいな作品 だと思った。
掌に掬へば色なき水や夏の海 (原石鼎) 海きれいですね.
「飛魚に日本海が驚きぬ」(小笠原和男) 飛魚に日本海が驚いた。
飛魚に日本海が驚きぬ (小笠原和男) トビ魚が日本海を跳ねてる様子
飛魚に日本海が驚きぬ (小笠原和男) ヨットのってたらたまにトビウオが見えて驚きま した (編者)「飛」と「驚」と「ぬ」の線の一部が延長さ れて、釣竿から飛ぶ釣糸みたいに溌剌としてなめら かな感じがします。
「飛魚に日本海が驚きぬ」(小笠原和男) 「飛魚に日本海が驚いた」と、ひゆ表現を用いた ことにより、シンプルで、幼さを感じられる作品と している
飛魚に日本海が驚きぬ (小笠原和男) 飛魚に私も驚きます。
飛魚に日本海が驚きぬ (小笠原和男) とてもとても飛魚がはねてるなと思いました.
飛魚を全く吐かず今日の海 (森田峠) 海を見ていると、いつもは飛魚を吐くように海か らピョンピョン出ている様子がわかる。しかし、今 日はまったく見れないので残念に思う気持ちが伝わっ てくる。
飛魚を全く吐かず今日の海 (森田峠) <感想> 海の中から飛び出してくる、飛魚は、まさに海が 飛魚を吐き出しているように見える.
飛魚を全く吐かず今日の海 (森田峠) 水面から飛び上がる飛魚の様子を海が吐き出す、 と言いあらわしたのはおもしろい。
飛魚を全く吐かず今日の海 (森田峠) 飛魚が飛ぶことを海が吐き出していることと書か れている.
飛魚を全く吐かず今日の海 (森田峠) 静かな海のことかなぁ.。.
飛魚を全く吐かず今日の海 (森田峠) 飛魚の季節で夏なのに海からまったく飛び出てこ ない寂しい様子
天草の島山高し夏の海 (高浜虚子) (感想) 天草がどこか忘れた。
天草の島山高し夏の海 (高浜虚子) 熊本の海を思い出した。
「飛魚」を読んで 飛魚の魚体の輝きがすごくよく表現されていると 思った。
飛魚がヒレを光らせながら波をきっている様子が 目にうかぶようだった。
よくわからなかった
鯨と船長がたたかっているシーンが迫力があって 面白かった
文でみるのとまた映像でみるとでは、内容がとて も頭に入った。また続み返したくなった. (編者)「続み」は「読み」?
はくげい おもしろい
映画の内容が奥深いと思いました。
ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙(さじ) (滝春一) 透明で光の反射によって美しく輝いているゼリー を食べるのはいいと思った。
ゼリー ゼリーが食べたくなった。
ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙(滝春一) ゼリーが食べたくなった。
ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙(滝春一) ゼリーが食べたくなる。
ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙(滝春一) ゼリーが食べたくなってしまいました。
ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙(滝春一) プリンやフルーチェも食べたい。
ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙(滝春一) ゼリーがゆれる感じが涼しげで良いと思いました。 ゼリーが食べたくなりました。
ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙(滝春一) 感想 ゼリーのおいしさがよく伝わってくる句だと思い ました。
ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙(滝春一) 幼少の頃に自作のゼリーを作ったんですがあまり おいしくなかったという思い出があります。:
ゼリーは夏にぴったりの句だと思います。僕は先 日サークルの流しそうめんでゼリーを流して食べた のですがとてもおいしかったです。先生も流しそう めんの際にはぜひゼリーを流してみてください。 (編者)いいことを聞きました。やってみます!
ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙(滝春一) お腹がへりました。 鯨食べたいです。
ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙(滝春一) 皿の上にあるゼリーをスプーンで食べる様子
「ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙」(滝春一) 夏の暑い日である。高校生2人が放課後女の子の 家に行って手作りのゼリーを食べる。初めて女の子 にゼリーを作ってもらう男の子は、うれしくて、ド キドキしながら匙を入れる。
ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙(滝春一) ゆれるゼリーのことを「ふるふる」と表現してい るのが上手いなぁと思いました。
ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙(滝春一) ゼリーにスプーンを入れるとゆれる
ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙(滝春一) スプーンを入れるだけでぷるぷると波うつように ゆれるゼリーが思い浮かぶ。とても涼しげだ。
ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙(滝春一) よく冷やした半透明のゼリーに銀のスプーンをす るりと入れるようすを思いうかべた。 涼しげな縁がわを思い出させる。
・ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙(滝春一) ・おいしそうですね
(編者)「ふるふるとゆれるゼリーに入れる匙」(滝春一)を写し間違えて ぷるぷるとゆれるゼリーに入れる匙 ゼリーたべた〜い.
掬(すく)ふたび冷さうめんの氷鳴る (岡本眸) この排句を読むだけで すずしくなりそうな排句である。 (編者)「俳句」です。
掬ふたび冷さうめんの氷鳴る (岡本眸) 夏の暑い日に冷そうめんを食べそのたびにカラカ ラと音を立てる様子が思い浮かんだ。
掬ふたび冷さうめんの氷鳴る (岡本眸) 氷水にいれたそうめんを掬おうとするたびにカラ カラと氷同士が打ち合う音をよく表現できていると 思いました。
掬ふたび冷さうめんの氷鳴る (岡本眸) [感想] 冷そうめんというワード一つで暑い夏が想像 できる。
掬ふたび冷さうめんの氷鳴る (岡本眸) ・そうめんが食べたい
掬ふたび冷さうめんの氷鳴る (岡本眸) 子供の頃、おばあちゃんちでHNKののどじまんを 見ながら冷そうめんを食べたのを思い出した。 (編者)「NHK」だと思います。こういうちょっとし たことが記憶に残ってて、懐かしさでいっぱいにな ることがありますね!
掬ふたび冷さうめんの氷鳴る (岡本眸) いつの間にかそんな時期になったんだなあと感じ ました。
掬ふたび冷さうめんの氷鳴る (岡本眸) 夏にふさわしい、とても涼しい気分になれる詩だ と思った。
掬ふたび冷さうめんの氷鳴る (岡本眸) この排句を想像するとそうめんがとてもたべたく なった。おなかもすいてきた。 (編者)「俳句」です。
(詩)掬ふたび冷さうめんの氷鳴る (岡本眸) (感想)暑い夏にそうめんを食べている中、氷の涼 しげな音が夏の生活を涼ましている情景が 浮かびました。
掬ふたび冷さうめんの氷鳴る (岡本眸) 今日は暑いので、冷たい、ひんやりとした雰囲気 のものを選びました。今日の夕食をそうめんにしよ うと思います。
掬ふたび冷さうめんの氷鳴る (岡本眸) 夏の風物詩であるそうめんを取り上げて、見事に 表現している句だと思った。氷が鳴るという表現か ら冷たさを連想させる句だと思う。
掬ふたび冷さうめんの氷鳴る (岡本眸) 冷そうめんの掬う時に鳴る氷の様子が浮かぶ。涼 しそうな感じが伝わる。
掬ふたび冷さうめんの氷鳴る (岡本眸) そうめんをとると氷の音がしてすずしそうな様子 をうたったのかと思った。
掬ふたび冷さうめんの氷鳴る (岡本眸) 想像しただけで涼しくなりました。
掬ふたび冷さうめんの氷鳴る (岡本眸) ・そうめんは音でも涼めるので良いと思う
サングラス妻にもありし別の顔 (富岡寿子) 浮気…
サングラス妻にもありし別の顔 (富岡寿子) 別の顔は夫だけでなく、妻にもある。
サングラス妻にもありし別の顔 (富岡寿子) 誰でももってる
サングラス妻にもありし別の顔 (富岡寿子) 感想 サングラスをかけて雰囲気が実際に変わる奥 さんと同じように内心でもいくつもの気持ちを かかえ込んで、時折変わった雰囲気を漂わせる 奥さんを夫が見てこの俳句ができたのかなと思 うと、面白いと思いました。
〜サングラス妻にもありし別の顔〜(富岡寿子) とてもユニークでおもしろい詩だと思いました。
「サングラス妻にもありし別の顔」(富岡寿子) いつも見ている妻の顔でもサングラスをかけただ けで、面白いようにかわってしまう複雑さがあるこ とを伝えている、句である。
サングラス妻にもありし別の顔 (富岡寿子) これは、めったにサングラスをかけない妻が夏の 日ざしに負け、サングラスをかけると、別人のよう になる様子だと思う。夏ならではの句で良いと思い ます。
サングラス妻にもありし別の顔 (富岡寿子) あまりイメージが浮かばないが気に入った。
サングラス妻にもありし別の顔 (富岡寿子) 実際にありそうでいやな印象の句になりそうです。
サングラス妻にもありし別の顔 (富岡寿子) 日常的に起こりうることだと思うので、おもしろ く読めた.読者の視点にたって書かれている句だと 思った。
サングラス妻にもありし別の顔 (富岡寿子) 私の妻には、こんなことさせません。
七彩の冷し中華やひとりの夜 (加瀬美代子) ・暑く食欲がないときは簡単なもので終わらせてし まいがちなので、きちんと栄養管理をしたいと思 います。
「冷し中華」を読んで ひとりの夜というさびしさと七彩の冷し中華の対 比がとてもいいと思う。
冷し中華の句は1人さびしく食べているのが想像で きた。僕と同じだと思いました。
七彩の冷し中華やひとりの夜 (加瀬美代子) 冷し中華が今すぐに食べたくなりました。
七彩の冷し中華やひとりの夜 (加瀬美代子) めっちゃ暑い日が続いてるので、はやく冷たいも のが食べたい
七彩の冷し中華やひとりの夜 (加瀬美代子) 最近は暑い日が続いているので、夜の涼しい日に、 冷し中華が食べたいです.
七彩の冷し中華やひとりの夜 (加瀬美代子) 最近はすっかり暑くなってきたので、冷い物が食 べたくなります。
七彩の冷し中華やひとりの夜 (加瀬美代子) 冷し中華の華やかさとは違って1人で食べる切な さのほうが強くかんじられる詩である。
七彩の冷し中華やひとりの夜 (加瀬美代子) 色彩やかな冷し中華を食べているため、1人の夜 も寂しく感じない様子。 私は冷し中華がいくら彩やかであっても、寂しい ものは寂しい。 (編者)二度使われている「彩」は「鮮」です。
七彩の冷し中華やひとりの夜 (加瀬美代子) 色とりどりできれいな冷し中華が食べたくなるよ うな句だと思いました。
船旅やかけて色濃きサングラス(山崎ひさを) 船の上で船乗りがサングラスをかけてる姿はとて もカッコイイと思う。
船旅やかけて色濃きサングラス(山崎ひさを) サングラスがほしい
船旅やかけて色濃きサングラス(山崎ひさを) 感想 サングラスが似合う男ベスト3 ボンジョヴィ、ジャンレノ、中村知真
船旅やかけて色濃きサングラス(山崎ひさを) 船旅の時、デッキにてサングラスをかけると、と てもイイ感じになります。
船旅やかけて色濃きサングラス(山崎ひさを) ・サングラスは明るければ明るいほど色がこくなる。 船の上ならなお濃いだろう。
船旅やかけて色濃きサングラス(山崎ひさを) 船乗りが船のお供としてサングラスをかけている 風景が思い浮かびました。
船旅やかけて色濃きサングラス(山崎ひさを) 気に入った。家で毎日となえたい。
(句) 船旅やかけて色濃きサングラス(山崎ひさを) (感) サングラスがとてもかっこいいです。
船旅やかけて色濃きサングラス(山崎ひさを) いろあせてねんきが入るサングラスがかっこいい と思いました。
冷し中華時刻表なき旅に出て (新海あぐり) 感想:作者は、ふと思い立ったときに時刻表も持た ずにぶらり旅に出かけたのではないか。夏の暑 い日などは、自分も涼しいところを求めてぶら り旅に出たりする。冷し中華なのはよく分から ない。
・冷し中華時刻表なき旅に出て (新海あぐり) ぶらり旅なら旅先で冷し中華を食べるのは夏の 定番で良いと思う。
冷し中華時刻表なき旅に出て (新海あぐり) 時間を決めないで足の動くままに歩いてゆく気ま まな旅。 その途中で見つけた田舎にぽつんとあるお店で食 べている。 風鈴の音。 風で草がなびいている。 (編者)店の中でテーブルの上の冷し中華の麺を口に 入れている客のイラスト略。
冷し中華時刻表なき旅に出て (新海あぐり) 旅に出たくなった。
冷し中華時刻表なき旅に出て (新海あぐり) よく意味がわかりません。
冷麦やさらりとかはす妻の愚痴 (磯村光生) あーあー夏休み あーあー暑すぎる. カブト虫
冷麦やさらりとかはす妻の愚痴 (磯村光生) おそらく食事の用意が面倒なのだと思う。
冷麦やさらりとかはす妻の愚痴 (磯村光生) 私に妻はいないので、風景は目にうかばないが、 読み上げる際先生がふっふっと笑っていたのが印象 的だった. (編者)なかなか…。
冷麦やさらりとかはす妻の愚痴 (磯村光生) 冷麦が食べやすく後味がすっきりしてるのが感じ ました。
「冷麦やさらりとかはす妻の愚痴」(磯村光生) 夫が妻の愚痴を「うんうん」と聞き流している様 子が思い浮かんでおもしろかった。
この冷麦という作品は 冷麦をさらりと食べるのと、妻の愚痴をかわす音の さらりがいい具合にかみあってとてもいいと思った。
索麺(さうめん)のつひにいつぽんただよへる (松澤昭) 索麺を食べ終わって、薄まったつけ汁の中に麺が 一本だけ残っている様子が分かる。
索麺のつひにいつぽんただよへる (松澤昭) 索麺のオイシサが全面的にでている詩だった。
索麺のつひにいつぽんただよへる (松澤昭) 今日の夕飯は索麺にしようと思うような詩だった。
索麺のつひにいつぽんただよへる (松澤昭) 索麺て、ついついたくさん食べてしまってなくな るの早いです。
白玉や愛す人にも嘘(うそ)ついて (鈴木真砂女) 白玉の白と嘘のイメージの黒を対比させている。
冷し中華食べたくなりました