水大歳時記(平成二十三年度)

  春 の 部

     春、陽春、芳春

  ポカポカと春の陽気きもちいな

  春になり桜が咲いて新学期

  春が来てこたつでごろごろする猫も      気持ち切り替え部屋を飛び出す

  春の時期大物釣りたいアオリイカ

 

       立春

  雪とけて花さきいずる春きたる

  春来たる桜舞い散り財布散る

 

       清明

  清明の冷たき朝の空気かな

 

       暖か

  春ですね暖かいのが嬉しいよ

 

     麗(うらら)か

  うららかな陽気に誘われ夢の中   うららかや眠気を運ぶ春の風   うららかや講義尻目に舟をこぎ

 

       行く春

  行く春や窓の外だけ移りゆく

  行く春や花の香りは地平線

  行く春や試験迫りて腹下す   行く春や朝の目覚めはラッパの音(ね)

  行く春はふった女は数知れず

 

   夏近し、夏隣(どなり)

  もうすぐだたのしいなつがやってくる

  日中は熱気がすごいぞもう夏か。       (編者)カード下に浜辺で寝そべっているサングラスの人        とその横の2匹のカニ、カード上に1匹のヤドカリ、太陽        とカモメのイラスト略。

 

       春の風

  春風の中を自転車こぎまくる

 

   蜃気楼(しんきろう)

  海の上見えた故郷は蜃気楼

  我が人生 夢ことごとく蜃気楼

 

     春の水、春水

  春の水新たな命が生まれてる

 

     春の海、春の浜

  波うなる春の海辺はまだ寒く (Flying Dutchman)

  春の海なかなか釣れないアオリイカ

  あの海に未来広がる我が希望(笑)

  水着見てまだ春なのにと海の風

  外に出て肌で感じる海の風 (タラちゃん)

 

       春の波

  船乗りの 初の敵(かたき)は春の波

 

    逃水(にげみづ)

  逃げ水を見て追いかける小学生

 

    入学、入学式

  入学式スーツ姿で即、釣りへ〜

  新入生あいさつの品またタオル

 

   鶯餅(うぐいすもち)

  さくらもち うぐいすもちの方がうまい

 

       桜餅

  春の朝眠りの浅い桜餅

  桜より僕は食べたい桜餅 (幕ノ内弁当)

  桜もち大好きなので食べたいです〜

  桜餅 食べすぎ危うく喉詰まり

 

     潮干(しほひ)

  汐干狩、掘れど採れるは石ばかり

  汐干狩その後食べる塩とがり

 

    花見、観桜、桜狩

  BBQ桜の下でやりたいな

 

       春眠

  朝ねぼう時計をみつつ顔青空

 

   海胆(うに)、雲丹

  腹一杯 雲丹丼食べる夢見たい

 

     蛙(かえる)

  ざーざーざーかえるもさわぐげろげろげろ

 

       

  気がつけば桜の花がさきほこる

  学び舎の道を彩る花桜

  桜咲き水産大に笑顔咲く

  ライダーの数が増えると桜咲く

  冬越えてそよ風吹けば桜舞う

  桜舞う日本の景色美しい

  夜桜がなんとも言えぬ風情出す

  桜咲き散るも私も花つぼみ

 

       山桜

  山桜手には取れぬ遠き花

 

     落花、散る桜

  花ふぶきひらりひらりと海へ散る

  風吹けば桜散りゆく季節かな

  晩春にすべて散りゆく桜かな

  夏の気を匂わすように散る桜

  さくら散る出会いと別れの季節です

 

    蒲公英(たんぽぽ)

  ふわふわの小さなタンポポみつけたよ

  どこへゆくたんぽぽふわふわ風任せ

  たんぽぽの落下傘を吹きとばせ!

 

       授業

  先生の声の声量あげてくれ       (おねがいします)        (編者)今後気をつけます。

 

      学生生活

(作って見た)   海にきてきれいな人に胸躍る (松山恵也)

 

  柔道をやってる姿はかっこいい

  寝技では横十字より縦十字 (てん)       (柔道部です)

  暗き夜頭の上に月一つ      人の人生あらわすように

  ナス、トマト、菜園はじめて自給自足

  日本晴れバイクまたがり角島へ

 

  冬眠を明けた熊さんシャケを喰う。

  入り交る澄む空の青 海の青

  お米パンもちもちうんまっ また食べよ

  三日間バイト三昧くったくた

  立ち技で一番得意は払い腰         by てん(柔道部です)

  ノリ悪い今日も一人のバイク乗り   博多にも48(フォーティーエイト)やっと来た。   えくぼ見て大島優子(おおしまゆうこ)      思ひだす

  あっちゃん(AKB48の前田敦子)      何度見ても昭和顔

  そらたかく うたごえひびく こぶくろの

  台風のとおったあとは青空に      君の人生あらわすように

 

       

   思うこと
 吉見に住み始めた。  店がない。  あっても値段が高い。  売ってすらいないものもある。  仕方がないので両親に  送ってもらう。  地元の食材で作る料理は  母の味にはとうていおよばないけれど、  少しなつかしい味がした。  両親に感謝。          (まほろ)       詩っぽいものです…?

 

       物語

葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎)   男の子が学校帰りに道を歩いていると、大きな   葉桜の木から泣き声が聞こえたので引き寄せら   れ、行ってみると年頃の女の子が泣いている状   況が映りました。   その女の子のほっぺは桜餅のようにピンクに染   まっていました。どうやらその少女は失恋をし   た様子。男の子はその子に一目忽れしてしまい   毎日葉桜の木の下に来て女の子と話をするため   (相談)会うようになっていました。しだいに   女の子も心を許し、新しい恋が初まる様子だと   思います。そう、あんこのように甘い恋。     ― ― ― ― ― ―   いつも、先生が配布する俳句を読んで、感想よ   りも物語ができてしまいます。   感想を書くのって難しいですね。       (編者)「一目惚れ」、「始まる」です。漢字の間違い        結構!これからも物語を書いて下さい。

 

      エッセイ

 がんばります。       (編者)こちらこそよろしく!

○獲れぬ子に親も加わる汐干狩 (小野寺信一郎) 頑張って探している子どもに対して、その姿を見た 親が優しい心を持ち、愛する子どもを助けようとし ていることを表わすこの歌に心が惹かれた。様々な 解釈の仕方がある。

〔獲れぬ子に親も加わる汐干狩〕の感想  休みの日に家族で潮干狩に行っている様子が読み とれた。

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎)  なつかしく、ほほえましい光景だと思った。

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎) 感想:とてもいい親子関係ですね。

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎)  この句からは親が子を愛する気持が読みとれてい いと思いました。

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎) (感想)この家族の今日の食事はしじみのみそしる だと思う。

潮干の中の排句の 獲れぬ子に〜という排句で、親も加わるという所が、 とても楽しげな汐干狩の様子が伝わってきていいと 思った。       (編者)「排句」ではなく「俳句」です。

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎) 感想:我が子があまりにも採れないのでたまらず親    が手伝う姿が思い浮かぶ

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎) <感想>まだ幼い子供が濡れながらも一生懸命穴を 掘っているが、なかなか獲れない様子を見た母親が 思わず手伝ってしまっている情景が浮かんでくる。

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎)  経験も知識もないために全く獲ることのできない 子のために、親が子のために獲ってあげようという 気持ちや見本を見せようという親心が汲み取れる。

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎) (感想)  この俳句通りに干狩に行くと、子供が獲れなくて なえているところに親が手本を見せて、どんどん獲 れるようになり、楽しくなってくる様子が頭に浮か んできた。

「獲れぬ子に親も加わる汐干狩」(小野寺信一郎)  汐干獲を通して、親と子の信頼関係を高めている。 夕食も仲よくつくってほしい。       (編者)「汐干獲」は「汐干狩」の間違い?

 獲れぬ子に親も加わる汐干狩 (小野寺信一郎) 感想   子供は貝が全く獲れなくて、飽きて別の遊びを   している中、親はその日の夕食などを考えると   必死に貝を探すという姿を想像すると、子供と   親の汐干狩に対しての観点が全く違うと思い、   そこが面白かった。

・獲れぬ子に親も加わる汐干狩 (小野寺信一郎) [感想] 潮干狩を題材とした句の背景には、”親子”を   連想させるものが多く、過去の自分と照らし合   わすことができる。

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎) ・この句を詠むと頭の中に情景がうかんでくる。な かなか獲れず頬をふくらます子。そのすぐ横で子供 に笑いかける親。ほほえましい光景である私にもきっ とそのような思い出があったのだろう。  心がほんのりと温かくなる句である。

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎)  まだ、自分が小さい時に家族と潮干狩に行った時 に、父親に手伝ってもらった思い出が思い浮かびま した。

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎)  プリントにあった10作品の中で一番その状況が イメージできました.自分も幼いころ汐干狩に行き これと同じ状況になったことがあるので、なつかし く思えました。

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎)  僕も幼い頃に汐干狩に行ったことがありますが、 父と母がたくさんの貝を獲っていたことを覚えてい て、この俳句に書かれていることが何となく分かる 気がしました。   汐干狩海の風景変化する

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎) 感想  僕も同じような経験があるのですごく分かりやす  いし、読みやすかったと思いました。そのような  意味で、作者は読む側の視点に立って表現するの  がうまいと思いました。また、子供を気づかう親  の気持がよく表れている俳句だと思いました。

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎)  以前小さい時分に、母に連れられ汐干狩に出かけ たことを思い出しました。  当時も例に漏れず、アナウンスで迷子や落とし物 の放送が常に響いていました。  そんな懐かしさを思い出させる句だと思いました。

 獲れぬ子に親も加わる汐干狩について私の経験か ら感銘をうけました。  私も小さいころ(小二ぐらい)のときに汐干狩で 貝がとれなくて泣いていたら親がとり方を教えてく れました。  だれしも似たような経験をするのだなあととても なつかしく思いました。

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎)  この俳句を読むと、なんだか幼いころの時分を思 いだすようで、なんだか不思議に思いました。人の 思い出を思いださせるこの句を詠んだ小野寺さんは すごいと思いました。

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎)  幼い頃に家族で潮干狩りに行ったことを思いだし た。潮干狩りは、とれるときは大量なのに、時機を のがすと、ほとんどとれなかったりする。私たちが 潮干狩りいったのは取れない時期で母が私の熊手を 取って貝を探してくれたのをこの作品を読んでおも いだした。

  獲れぬ子に親も加わる汐干狩(小野寺信一郎) [感想] この俳句から親の注意の視線を取り払って夢 中でただ汐干狩だけに没頭している元気な子供たち の姿が思い描かれます。子供たちの好奇心、探究心 などがこの俳句から想像できます。

・汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子)    ・イメージがすぐにわきました。

◎汐干狩迷子放送切れ目なく 感想:夏休み最後の思い出として多数の家族や恋人    達が潮干狩をしに、干潟に集まっている情景    が見えました。

  汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子)  小さな子を連れた家族でにぎわう浜辺が目に浮か びました。

 汐干狩迷子放送切れ目なくという俳句から、迷子 になるほど汐干狩は楽しいものだということが感じ られた

  汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子) ・海が家族連れの潮干狩り客で賑わっていることが  わかる。

感想 潮干:迷子放送切れ目なくというのが夕がたの親子  が一緒に参加している事を指している?

◎汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子)  迷子放送が流れている様子が目にうかんだと同時  に、放送がある海岸があることを知った。

  汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子) <感想>   海辺で流れる迷子放送が絶えず流れる情景が潮  干狩りをしている人で混んでいるように思われる。

  汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子)      迷う子供は切れ目なく という言葉を後ろに付け足して短文にしてみました。

  汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子)  汐干狩に夢中になり過ぎて迷子になる子供が目に 浮かびました。

  汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子) 感想  子供が時間も忘れて汐干狩に夢中になっている子  供の無邪気さが出ていて良かった。

  汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子)  久しぶりの汐干狩に夢中になった子供が親から離 れて走り回る姿が想像できて、ほほえましい。日常 的なことを詠んでいるので、他人の共感を得やすい と思う。

  汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子)  汐干狩の際にはしゃいで周りが見えなくなく子供 の純粋さと単純さをよくあらわしている.

「汐干狩迷子放送切れ目なく」(八幡より子)  確かに、としか言いようがありません。汐干狩は、 楽しく子供心を揺さぶって目の前の遊び場にしか、 目がいきません。なので、気がつけば、迷子になっ ています。私も、楽しいときが一転、迷子になって 急に恐くなるという海の恐さがわかります。

  汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子)  まだ幼いころ海水浴をしてきたとき、放送で呼ば れたことを思いだしました。

  汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子)  大人も子供も汐干狩に熱中している様子がよくわ かる。

  汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子)  潮干狩りをしている人達でにぎわっている状景が 見えてきて、大人が潮干狩りに夢中になっているん だと感じる俳句である。

  汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子)  汐干狩りに来ている人がたくさんいるなと思った。 しかも、子供連れできている。しかし、親たちがあ まりしっかりしてなくて迷子になる子が多い。  もう少し、しっかりしろよ大人、と思った。

  汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子) 感想 ・汐干狩にきても、子供に手を焼く親の姿が思われ  る。

  汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子) 感想 よくありそうな場面なのですぐに頭に浮かび    さらに泣いている子やそれを探す親の困り顔    まで浮かんできた。

 ・汐干狩迷子放送切れ目なく (八幡より子) <感想>   汐干狩が、家族で楽しめるレジャーであること   が読みとれる。また、誰しも経験があるであろ   う迷子の記憶が回想され、懐かしい気持にさせ   られる。家族の温かい1頁を迷子放送というユ   ニークな観点から表わした俳句だと思う。

  ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋)  散った桜の花びらが水面に浮いている景色が想像 でき、とてもきれいで良いと思いました。

  ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋)  海に浮かぶ桜の花びらはきれいだろうなと思った。 それを見ながら花見をするのも良いと思う.

  ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋)  海が青いとなぜ桜の花びらが海へ散るのかよく分 からない。

「ちるさくら海あをければ海へちる」について。   感想文  この俳句の本来伝えたいことは、わからないけれ ど、私がこの句で感じたのは、広大な海の輝きに魅 せられた桜の花が、散ってしまう命でもステキな場 所で最後をむかえたいという気持ちが浮かびました。

  ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋)  淡い桃色の桜の花が青い海の方へひらひらと舞う のが思い浮かぶ。  桜の色と海の色の対比が良いと思った。

  ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋)  海の青色と桜の桃色が互いの色彩を強調し合う情 景が頭に浮かびました。

  ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋)  桜のピンク色と、海の青色が対象になっていて、 桜の散りゆく様子と、それが海面に入っていくのが 想像でき、分かりやすい歌でした。       (編者)「対象」ではなく「対照」か「対称」です。

  ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋)  桜が海に散った様子を想像してみたら、とてもき れいだった。青い海が薄桃色に染り、時間がたつに つれて、青と桃色の海へ変化していくのだろうなと 思いました。

  ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋)  青い海に浮かぶ桜の花びらが想像できました。  今だけしか見ることのできないとても美しい景色 だと思いました。

「ちるさくら海あをければ海へちる」(高屋窓秋)  最近は暖かくなってきて日の出ているときはぽか ぽかとしてとても気持いいです。そして桜もきれい に咲き、いい感じになってきていますが、この桜が ちるとまた次の委節の初まりを感じます。       (編者)「季節」と「始まり」です。

  ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋) ・海岸近くに桜の木がはえているものだろうか?  ここに出てくる「海」は海でない?

  ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋) 感想  非常にはかない感じだけど清々しく感じたのでこ れを選びました。

 さくらちるのは少し悲しくなってしまいます。

  ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋) (感想)ちったさくらを見て海を見ると海にさくら    がちっていてなんとも言えない。切なさやま    た美しさを感じる。

  ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋)  桃色の桜が青い海にひらりと飛びゆく様子が思い 浮かぶ。他にも、私は、さくらを純粋な少女と解釈 した。純粋な少女が、広く、奥に行くとますます深 い紺色になってゆくまだ見ぬ世界に一歩踏み出す様 子が脳裏をよぎった。この少女の一歩は、とても勇 気いるものだと私は考える。

  ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋)  自分はこれを読んだ時旧海軍の特攻隊の人が読ん だ句かと思いました。       (編者)「読んだ」は「詠んだ」?

ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋) (感想)   春の終わりを告げるように、散っていく桜の花   が次の委節にバトンタッチするかのように青い   海の上に散っていく様子が頭に浮かんだ。       (編者)「季節」です。

  ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋)  感想  この俳句を詠んで、まず最初に青い海に桜の花び らが舞っている情景が浮かんだ。このように俳句を 詠んですぐ頭に情景が浮かぶような俳句は趣がある とも思う。また、この俳句は、桜の花びらのはかな さと、青い海の生き生きとした感じが対比している 俳句だと思った。       (編者)「詠んで」ではなく「読んで」です。

  ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋) ○桜のピンク色と海の青さの対比や桜が海へ散って いく様子から春が終わり、夏の訪れを感じられるよ うな気がします。

  灯台の影が日時計汐干狩 (藤井亘) (感想)  汐干狩りしたい。

  灯台の影が日時計汐干狩 (藤井亘)  小学生の時、学校がおわってからおじいちゃんと いっしょに貝ほりに行ったことを思い出した。

「灯台の影が日時計汐干狩」という句は最初読んだ とき全く意味が分からなかったがなんども読んでい くうちになんとなく分かってくるが全体を充分に理 解できるわけではないが、すばらしいと思う。

  灯台の影が日時計汐干狩 (藤井亘)  影が日時計というのがおもしろいと思う。

  灯台の影が日時計汐干狩 (藤井亘)  灯台の影が時計の針のように見えるのがわかる。

  灯台の影が日時計汐干狩 (藤井亘)  太陽の光が灯台の影を映し出して、その影によっ て時間がわかるということにとても私は共感できま す。

  灯台の影が日時計汐干狩 (藤井亘)  灯台の影になっているところが、その時刻を表し、 そこで潮干狩りをする。

  灯台の影が日時計汐干狩 (藤井亘) 感想:灯台を背景にして、汐干狩りをする時間の推   移が表われて、情緒があって良いと思いました。

・灯台の影が日時計汐干狩 (藤井亘)  ・自分が海にいて、「灯台の影」を時計にして、   汐干狩りをしている場面を想像させる句である。

「灯台の影が日時計汐干狩」(藤井亘)   汐干狩りをしているときに灯台の影がどんどん    うごいて、夕方になると、夕日がきれいそう

  灯台の影が日時計汐干狩 (藤井亘) 感想:灯台の近くで汐干狩りをしている姿が目に浮 かんでくる。太陽の光が灯台の姿を干潟に影として 映し出し、それのかたむきによってどれくらいした のかがわかる。夕方にこの句を詠んだら最高だと思 う。

  灯台の影が日時計汐干狩 (藤井亘)  潮干狩りを夢中にしていて、いつの間にか灯台の 影がうごいてしまっていたと思う

○灯台の影が日時計汐干狩 (藤井亘)  ・汐干狩りに夢中になり、時を忘れていたが灯台   の影の向きがかわっていた。時間の流れがよく   わかる、とても良い作品ですね!!

  灯台の影が日時計汐干狩 (藤井亘)  干潟に高くそびえる灯台の影が伸びていて、それ 以外の影は存在しない、という景色が頭に浮かんで くる句だと思った。

  灯台の影が日時計汐干狩 (藤井亘) 感想:強い日ざしの内、家族で時計を見に行く間も    なく皆が楽しんで汐干狩りをしている様子が    想像できて好き。

  灯台の影が日時計汐干狩 (藤井亘)  この灯台のあるビーチに来慣れているように感じ られる.ずっと汐干狩に熱中しているような印象を 持った 非常に感慨深く感じられ、面白いと思う.

  灯台の影が日時計汐干狩 (藤井亘)  今日の食材を確保するために潮がひいたころを見 計らい必死に熊手であさりを掘りあてているが中々 見つからず、そして灯台の影が自分にかかり、気づ けばもう夕方になっていたというような風景が頭に 浮かんできました。

  灯台の影が日時計汐干狩 (藤井亘)  灯台の影という語が、夏の暑さを伝えていると思っ た。

 汐干狩負いし子も手に熊手持つ(菱田トクエ)が いいです。

  汐干狩負いし子も手に熊手持つ(菱田トクエ)  この句の流れが良いと思いました。

  汐干狩負いし子も手に熊手持つ(菱田トクエ)  汐干狩に行ったら背負われている子も熊手を持っ ているという意味だと思います。

  汐干狩負いし子も手に熊手持つ(菱田トクエ)  親の優しさが感じられます。これからこの子が成 長し、自分で歩けるようになっても、海につれていっ てもらえるでしょう  家族連れの楽しそうな風景が浮かびます。

  汐干狩負いし子も手に熊手持つ(菱田トクエ)  子供はいつも親のマネをしたいものである。背負 わされた子どもに汐干狩ができるはずがないがそれ でも持たせる親の愛が感じられる。

  汐干狩負いし子も手に熊手持つ(菱田トクエ)  親が仕事にいそしんでいる中、子もそれを見てま ねをする姿に愛くるしさを思う.

  汐干狩負いし子も手に熊手持つ(菱田トクエ)  まだ背中に負われて貝を掘れない小さな子も、熊 手を持って手伝おうとしているようでほほえましい と思います。

  汐干狩負いし子も手に熊手持つ(菱田トクエ)  親子できていてのほほんとしてるカンジ。  背負っているのは3〜5歳かもしれない。  持たせてあげていることに親の愛を感じる。       はまぐり食べたい       (編者)「いつかの日」と書かれたイラストによる足し        算略:イカ(のイラスト)+炉(のイラスト)=イカ焼        き(のイラスト)

  汐干狩負いし子も手に熊手持つ(菱田トクエ)  汐干狩りに来た親と、その子が二人とも熊手を持っ て貝を探している姿が浮かんでくるようでとても面 白い句だと思います。実際に海に行ったらいそうで、 自然に微笑みました。

  汐干狩負いし子も手に熊手持つ(菱田トクエ)  これを読んだ時、母親が汐干狩をしていて、その 母親が背負っているくらい小さな子も一緒に熊手を 持っている楽しそうな情景が浮かんできました。

「汐干狩負いし子も手に熊手持つ」(菱田トクエ)   小さい子供がお母さんにおんぶされて親子で汐 干狩をしている姿が浮かぶ。なんか昭和っぽい気が する。

  春はどこから水平線に島浮かび (舘岡沙緻)  いいと思う

  春はどこから水平線に島浮かび (舘岡沙緻) 感想『春ってこんな感じなんだ』って思った。

  春はどこから水平線に島浮かび (舘岡沙緻)     <感想>  私は、この排句を詠み、感じたことは、春が、ど のようにして姿を表すのか具体化できないものなの だと作者が、表現していると思いました。       (編者)「この俳句を読み」です。

  春はどこから水平線に島浮かび (舘岡沙緻)  しんきろうによって、遠くの島が水平線上に浮か んで見えている。  のんびりした春の光景が見えるようだ。

  春はどこから水平線に島浮かび (舘岡沙緻)      感想  この作品をよんで、とてもきれいな情景が頭に浮 かびました。夕日をバックに島が照らされているよ うに感じました。

  春はどこから水平線に島浮かび (舘岡沙緻)  春じゃなくても水平線に島は見えると思うので、 春じゃなくても良いかなと思った.

  春はどこから水平線に島浮かび (舘岡沙緻)  昔と今では、季節やその変わり目が全く違う考え だと言う事にとても驚きを感じた       (編者)旧暦と新暦の違いを説明した甲斐がありました。

  春はどこから水平線に島浮かび (舘岡沙緻)  春の良さが表現されていました.暖かい島を感じ させる。       (編者)「昨日の一日」と題された、タコから(多分)        たこ焼きに→が向かうイラストと、このたこ焼きに向        かって下からも「ときどき(あずき)(とうもろこし)        の説明が→で向かうイラスト略。

春はどこから〜 ・春の始まりを感じさせ、清々しい気持にさせた。

  春はどこから水平線に島浮かび (舘岡沙緻) ○感想  ・自分の春はまだきていません。   頑張って春を見つけたいと思いました。

  花烏賊やおのれ吐きたる墨まとひ(加藤三七子)  とても独創的ですがらしい句だと思いました。

  花烏賊やおのれ吐きたる墨まとひ(加藤三七子)  まさにイカという感じの俳句で単純に良いと思っ た。

  花烏賊やおのれ吐きたる墨まとひ(加藤三七子) 感想  この風景が見にうかんだ。       (編者)「見に」は「目に」?

 花烏賊が自分の吐いた墨をまとっている状況がと てもわかりやすく書かれていて目に浮かぶようだっ た。

  花烏賊やおのれ吐きたる墨まとひ(加藤三七子)  墨をまとったことでどうなったのか等、少し続き が気になる俳句だった.

  花烏賊やおのれ吐きたる墨まとひ(加藤三七子)  春らしい色彩を上手く表現していると思いました。

「花烏賊やおのれ吐きたる墨まとひ」(加藤三七子)  烏賊をつかまえたら、すぐに自分の赤い体を黒く 染めてしまうなにげないことを言葉にまとめ趣深く 表わしている。

  花烏賊やおのれ吐きたる墨まとひ(加藤三七子)  先週甲烏賊たくさん釣れました。

  花烏賊やおのれ吐きたる墨まとひ(加藤三七子) <感想>  イカが海中で自分の墨まみれになっている姿はあ まり想像できない。だが、昨日釣りに行った時にエ ギングをしている人を何人か見かけた。クーラーの 中で墨まみれになっただろう、花烏賊。

  春の砂丘観光らくだゆうゆうと (寿田博子)  らくだがゆうゆうと歩いている姿がすぐにイメー ジできた.

  春の砂丘観光らくだゆうゆうと (寿田博子)  春の日和の鳥取砂丘で、らくだもそれに乗ってい る人も、日光に包まれてのんびりしている様が感じ られて、非常に良いと思った。

  春の砂丘観光らくだゆうゆうと (寿田博子) 感想  砂丘の中を観光客がらくだに乗って楽しそうに観 光しているのがおもい浮んだ。

  春の砂丘観光らくだゆうゆうと (寿田博子) (感想)  春の砂丘を観らくだに乗ってのんびり楽しんでい るのが目にうかぶ。       (編者)「観光らくだ」です。

春(寿田博子)   春の砂丘観光らくだゆうゆうと (寿田博子)  自分も、らくだに乗ってゆっくりと観光してみた いと思った。

 寿田博子の作品を読んで春の気持になりました。

 砂丘の春は他の季節と変わりがあるのかと思った.

○春の砂丘観光らくだゆうゆうと (寿田博子)  らくだが砂丘でのんびりと歩く姿が春となんとな くマッチしてていい感じの歌だと思った。自分も砂 丘観光に行きたくなりました。

  花烏賊の水の色して泳ぎけり (広田恵美子)  花烏賊がスイスイと水と同じようにすき通って泳 いでいる様子がうかがえます.

  花烏賊の水の色して泳ぎけり (広田恵美子) 「花イカは、水の色ということなのでアオリイカの ことかと思う。泳いでいるところを見ると、本当に 水の色になって、エサを補食する姿は自分も大好き です。」

  花烏賊の水の色して泳ぎけり (広田恵美子)  ハナイカというイカの仲間が実在するはずです。 僕はダイビング部なのですが、潜った場所にキレイ なイカがいたなあと思っていたら、先輩に「あれは ハナイカだよ。」と教えてもらいました。カラフル で奇抜な形をしたホントにキレイなイカです。もう 一度見たいなぁ。       (編者)確かに。俳句では花烏賊は桜の咲く頃とれる烏        賊をいいますが、それとは別に「コウイカ科の小型の烏        賊にハナイカがある」そうです。

  花烏賊の水の色して泳ぎけり (広田恵美子)  これを読んだとき、とてもきれいな海に花烏賊の 墨の黒がくっきりと浮かび上がる様が見えた。  海中の敵から逃げるために吐いた墨が、かえって 海上の人間に、自らの場所を知らせるようになった 烏賊が滑稽で面白いと感じた。

花烏賊の水の色して泳ぎけり (広田恵美子)   繁殖期の時期に他のオスにばれないようにメス に近づいてナンパしているところが人間と同じ感じ がしておもしろい。

  花烏賊の水の色して泳ぎけり (広田恵美子)  イカの大好きな僕は体の透きとおったイカを想像 してイカの刺身が食べたくなりました。

  春愁やくらりと海月(くらげ)くつがえる                 (加藤楸邨)  とても様子が分かりやすい歌だった。

  春愁やくらりと海月くつがえる (加藤楸邨)  くらげがくつがえるとかよく分からない。でもな んか奥深そう。

  春愁、春愁ひ   加藤楸邨 感想  何となく気がふさぎ物憂い気持の中、波にゆられ くつがえる海月を想像したときなんともいえない哀 愁を感じました。

 作品を自分で考えて作るのは難しいと思いました。  季語をうまく入れて作るのは難しいと思いました。

感想  視覚的、感覚的な事を素直に詩に表わされている  日常を歌っているものが多い。  体験は、あまり読み込まれていないと思った。  客観的。

「舘岡沙緻」の「春」は冬が明けておだやかな海に なり、また空気が透き通ることにより水平線上の島 がよく見える様が表現されていると思った。 「寿田博子」の「春」は取鳥砂丘でラクダが暖かい 気温のなか過ごしやすそうにゆっくりと歩いている 様子が分かる。

 潮干狩の排句が多かったので昔の人は潮干狩をし ながら詠んだりしていたのかなと思った。       (編者)「俳句」です。昔の人も潮干狩に夢中で、俳句        を読む暇はなかったのではないでしょうか?

 今日はとても楽しかった

 

 今日はとてもたのしくできた。  ポーをやれてうれしいです。『黄金虫』が大好き です。

 アルバトロスの話がおもしろかった。

 「老水夫行」の話を聞いて、アホウドリが船乗り にとって神聖な鳥だということを初めて聞きました。   花ふぶきひらりひらりと海へ散る

  裏海でやっと潜れる季節かな  温かくなってきて、ようやく潜れるようになりま した。でもやっぱりまだ寒い。  ダイビング部が寒さに負けてられねえ!!ってコ トで昨日潜ってきました。  やはりこの前潜ったときよりは少し温かった。魚 はほとんどいませんが(笑)

  海胆怒る漆黒の棘(とげ)ざうと立ち(橋本鷄二)  うにのとげを「漆黒の棘」と表現するところがと てもいいと思いました。またとてもウニらしさを表 現していると思う。

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二) 感想)海胆の姿が怒っていると例えているのが面白   く、自分には無い考えだった。

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二)  うにのとげとげしさが俳句に表われていい感じ。

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二)  「ざうというところに海胆の棘が立つ様子が上手 に表現されていると思ったから。       (編者)カッコトジがありません。

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二) 理由:海胆の棘を海胆が怒っているよう例えている   のがすごい。

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二)  海胆が持つ刺々しい針が、海胆が怒っているよう に思わせるということを表わしているように思われ た。

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二)  手で触ろうとすると、棘がざっと立つ様子が目に 浮かんできて、イメージが直接伝わってくる感じが すごいと思った。

海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち という俳句から海胆はいつも棘が立っているので、 いつも怒っているのかなと思った.

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二)  海胆の形状、      棘が全方位に出ているという事が      文字だけでも分かります。

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二)  うにも怒るのか。

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二) 感想  海が怒っているという様子を漆黒の棘という波に  よって表現している。やはり一つの物を他の言葉  に変えて表現することはなかなか簡単にはできな  いと思うのですごいと思う。

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二)  単に黒と表現するのではなく、『漆黒』と表現さ れたことで強さが増し、『怒る』が強調されている ような気がした。うにを食材という面ではなく一つ の海の生命として見ている感じがして、新しいなと 思った。

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二)  海胆のとげがとがっている様子を  捕えられるのが嫌な海胆が怒っているという擬人  法を使って分かりやすく表現していると思いまし  た。

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二)  海胆は怒っているようには自分には見えない。  全力の拒否だと考える。

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二)  棘が立つ様を怒ると表現し、他にも何かがいるよ うな物言いである

(俳句)海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (感想)天敵を前にして威嚇している海胆の様子が                 浮かびました。

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二) ・海胆は何に憤りを感じているのだろうか。 目を輝かせて近よる人間に対してか、自身の海底に 転がっているしかない境遇に対してか。その答えは 海胆のみぞ知る。この排句なんとなくかわいらしい 印象を受ける。       (編者)「俳句」です。

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二)  濃く鋭い海胆の無数の棘が思い出される。  海胆の棘は、なぜあるのだろう?と考えてしまう。

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二)  なぜ怒っているのかが伝わってこないです。ウニ はなぜ、あんな姿をしているのだろうと思いました。

    海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二)  人間も怒りで毛が逆立つと海胆になるのかなぁと 思った。

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二)  うには怒ると体の棘を立てるが人は怒ると心の棘 を立てる。そんなにうにも人間もかわらないんだな ぁ.

  海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二)  ウニが多く海の中に生息しており、その棘による、 作者の緊張感がよく表わされているとても面白い作 品だと思った

海胆怒る漆黒の棘ざうと立ち (橋本鷄二)   感想:海胆を取りに行きたいです。

  葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎)  桜餅が好きなのでこれを選びました。

  葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎)  桜餅食べたいです。

 今年は桜餅をまだ食べてないから食べたい。

  葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎)  春も近づきそろそろ桜の季節になってきました。 桜餅食べたいです。

  葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎)  急に桜餅が食べたくなりました。帰りに食べよう と思います。

  葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎)  葉とピンク色のもちがきれいにマッチして、とて もおいしそう。

  葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎)  塩漬けの桜の葉がつやつやしているおいしそうな 桜餅を想像しておなかが鳴りました。

  葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎)  淡桃色の餅米に深い緑の塩漬けにされた葉が巻か れているのを思いうかべた。

  葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎)  葉がぬれて、よりいとしさを桜餅に感じている様 子が心に浮かんだ

  葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎) 感想:桜餅のみずみずしさや新鮮な感じが伝わって   きた

  葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎)  桜の花を見ながら桜餅を食べるときにつやのある 餅の表面に映り込む桜の葉や花が本物よりもつやや かになっている様子が思われる。

  葉のぬれてゐるいとしさや桜餅(久保田万太郎)  小学生の時、給食ででてきた桜餅を食べておいし かったのを思い出した。

  巨き船出てゆき蜃気楼と(しんきろう)なる                (山口誓子)  地平線に消えてゆく巨大な船が想像できた。

  巨き船出てゆき蜃気楼となる (山口誓子)  大きい船が海へでていき、じょじょに消えていく 様を蜃気楼に例えているのは素晴しいと思いました。

  巨き船出てゆき蜃気楼となる (山口誓子)  ボーっと船をながめているカンジ。時間がゆっく りと流れている。意識がぼんやりとしてくる。

・巨き船出てゆき蜃気楼となる (山口誓子)  熱い日、海辺で船が沖へ出ていく所をボーっとな がめている感じが伝わってくる。

  巨き船出てゆき蜃気楼となる (山口誓子)  時間の経過がよくわかる。自分もそういう光景を 見たことがあるから思い出した

  巨き船出てゆき蜃気楼となる (山口誓子)  大きな船が出てゆき遠くの方に船が見え、時間の 経過がよく分かる。

  巨き船出てゆき蜃気楼となる (山口誓子)  巨大な船が出港してから蜃気楼となるまでの時間 の経過がわかる

  巨き船出てゆき蜃気楼となる (山口誓子)  とても大きな船が港から離れていく様子をうたっ たものなのかなと思った。  遠くなるにつれて大きかった船もだんだん小さく なっていき、いるかいないか分からないくらいになっ ていくように思った。

  巨き船出てゆき蜃気楼となる (山口誓子) (感想)  おおきい船が出ていってそのすがたがだんだん見  えなくなり蜃気楼のようになる  見えていた物が見えなくなるさびしさと別れを表  現しているのがいいと思いました。   一人暮らし帰っても俺一人さびしいな                 (松山恵也)

  巨き船出てゆき蜃気楼となる (山口誓子) 感想  大きな船が出航してそれを見守る人が船がもう見  えなくなって蜃気楼となって見えて、見守る人.  感情が感じとれる.船が出ていって、とても寂し  そうに感じる.

  巨き船出てゆき蜃気楼となる (山口誓子)  巨き船が港を出た後とうとう人の前に出てくるこ とがなかったおそらく沈んだのだろうと思った  自分にとって春に沈んだ船といえば旧海軍の大和 です。

  巨き船出てゆき蜃気楼となる (山口誓子)  早朝の霧の中漁のため船が出港し、その様子を港 から妻が見守っているのかなと思いました。

「巨き船出てゆき蜃気楼となる」(山口誓子) 感想 ・港で送り出す、又は帰りを待つ、母や女性の不安 な蜃気楼のようなモヤモヤな感じが詞からわかる。

  生誕も死も花冷えの寝間ひとつ(福田甲子雄) <感想> さむくなって、花もひっこんでしまう頃にざしきで 人は生まれる.しかし同様に花がひっこんでしまう くらいさむいころには、人もざしきで人にみとられ ながら亡なる。生まれる時も死ぬ時も同じざしきで さむい時に死んでいくんだ。このときの感情は喜び と悲しみという対称的なものであるが同じざしきで 同じ花冷のときにおこっていることなのだなと思っ た.       (編者)「亡なる」ではなく「亡くなる」です。

・生誕も死も花冷えの寝間ひとつ(福田甲子雄)  全体的に冷たい感じがしました。  しかし暗いというわけではなく、淡々とした雰囲 気がしました。

  生誕も死も花冷えの寝間ひとつ(福田甲子雄) 人は同じ所で生まれ同じ場所に帰っていく。 人生のサイクルのようなもの。 人によって人生で経験することは違うけど、 結局は生まれて死ぬというサイクルでみんな生きて いる。 「花冷え」という言葉があることで「生まれ死ぬ」 という宿命が強調されている。       (編者)「〜のようなもの」の後のリサイクルマークの        ような一対の矢印略

  生誕も死も花冷えの寝間ひとつ(福田甲子雄)  生も死も花が冷えてしまう時季に起きる

  生誕も死も花冷えの寝間ひとつ(福田甲子雄)  今この瞬間にも生まれる命があれば死んでいく命 もある。

  生誕も死も花冷えの寝間ひとつ(福田甲子雄)  この世に生まれてくる時も、死ぬ時も、居場所は 常に一つしかないというはかなさが心を奮わせた。       (編者)「奮わせた」は「震わせた」の方がいいと思い        ます。

  生誕も死も花冷えの寝間ひとつ(福田甲子雄)  生と死について書かれているのでとても深いのだ ろうと思う。

  生誕も死も花冷えの寝間ひとつ(福田甲子雄)  生まれることも死ぬことも花にとっては寝間の一 つということで、何か深い意味を秘めている感じが しました。

  生誕も死も花冷えの寝間ひとつ(福田甲子雄) 感想  生まれる場所も死ぬ場所も同じということで少し さびしさを感じさせられた。

  生誕も死も花冷えの寝間ひとつ(福田甲子雄) …死を表現することはできない。

  花冷えの底まで落ちて眠るかな (古舘曹人)  様子が一番イメージしやすい句だと思った。

  花冷えの底まで落ちて眠るかな (古舘曹人)  グッときました。

  花冷えの底まで落ちて眠るかな (古舘曹人) 感想  僕も眠りたい!!

  花冷えの底まで落ちて眠るかな (古舘曹人)  この詩は、今の季節にとってもぴったりだと思っ た。春の暖かさの中にも少しさむさを感じると解釈 した。

  花冷えの底まで落ちて眠るかな (古舘曹人)  ”底に落ちる”という冷たさを強調する語.  春の到来を目前にして眠っている様子がよく出て いる.

 花冷えの底まで落ちて眠るかな (古舘曹人) の花が冷える時期(秋か冬)にぐっすりと熟睡して いることだろうかと思った。

  花冷えの底まで落ちて眠るかな (古舘曹人) [感想]   花見をしている時の深夜すぎの冷たい風をあびな がら眠ってしまった様子。

  花冷えの底まで落ちて眠るかな (古舘曹人)  花が落ちると命もおわるかと思った。

  花冷えの底まで落ちて眠るかな (古舘曹人) ・花びらが落ちてという文で花びらの死を表わして いるが眠るという表現で、また何かにうまれかわる ということが分かるとても良い作品

  花冷えの底まで落ちて眠るかな (古舘曹人)  たしかにこの時期に気温が下がると眠くなるので、 自分は眠らないように心がけたい.

  るいるいと磯巾着(いそぎんちゃく)の      咲く孤独      (土橋石楠花)  海の中に住みついている磯巾着は、それぞれ集団 でかたまって生息しているのではなく、個々で磯巾 着の花を咲かせている。  きれいな花は、ばらばらだ。

「るいるいと磯巾着の咲く孤独」(土橋石楠花)     孤独なんだなぁと思った。

  るいるいと磯巾着の咲く孤独 (土橋石楠花)  るいるいとゆう響きが良くて一番良かった。

  るいるいと磯巾着の咲く孤独 (土橋石楠花)  磯巾着が咲くという表現がいいと思う。

  るいるいと磯巾着の咲く孤独 (土橋石楠花)  るいるいと咲いているわりには孤独らしい。   孤独というより今日のNo.13教室のようだ。       (編者)僕の講義ではみんな磯巾着になってしまうので        しょうか?

  るいるいと磯巾着の咲く孤独 (土橋石楠花)  緩い波に身をまかせ毎日単調に生きているイソギ ンチャクの様子が浮かんでくる。

「るいるいと磯巾着の咲く孤独」(土橋石楠花)  磯巾着の生命が誕生することは良いけどその後に は他の魚などの生き物に食べられてしまうさびしさ があるのかなと思った。

  るいるいと磯巾着の咲く孤独 (土橋石楠花) 「磯巾着だって生きているんだぞ!」と頑張って咲 いているのに、人間はほとんど感心がないという現 実が思いうかんでくる。

  るいるいと磯巾着の咲く孤独 (土橋石楠花)  磯には磯巾着が大量に咲いているが、それを見て いる自分は、一人だということを表わしたものだと 思う。

  るいるいと磯巾着の咲く孤独 (土橋石楠花)  春の海に1人で行ってみたら潮が引いていた。試 しに岩場まで行ってみると磯巾着がたくさんついて いた。  リアクションしたって誰もいないのでうわぁと思 いながらながめている…  そんな光景が見えました。

「春の波力を抜けと裏返る」(宇咲冬男)     春らしいなと思います。

  春の波力を抜けと裏返る (宇咲冬男) ・春はいろいろなことがあって緊張もすると思う。 それを波は毎年見ているから、アドバイスしている 的な感じ。

「春の波力を抜けと裏返る」(宇咲冬男)  春は、いろいろと、いそがしくなったり、様々な 行事がありつかれることが多い。春の波には、つか れている人々に対してやすらかにしてくれるもので あることを伝えている。

  春の波力を抜けと裏返る (宇咲冬男)   ―――――――感想――――――――  春の波というのは、冬に比べて力強さが無く、隠 やかな感じがする。       (編者)「穏やか」です。

(感想)  春の波の俳句  裏返るという部分がとても印象が伝わりやすく、 力強い海の側面を感じさせます。

  春の波力を抜けと裏返る (宇咲冬男)  春の中頃のここちよい波風を想像させる詩である。

 春の波力にも負けない力でがんばります

  春の波力を抜けと裏返る (宇咲冬男)  ひっくり返らない程度に力を抜いていこう.

  太刀魚を下げて見てゐる蜃気楼(しんきろう)                (新田了葉)  太刀魚が好きだから。       (編者)葉のとがった細長い太刀魚のイラスト略。

(句)太刀魚を下げて見てゐる蜃気楼(新田了葉) (感)太刀魚が個人的に好きです.句の意味は正直   分からないのですが、太刀魚と蜃気楼が重なっ   たらなんかいいなと思います。見える風景は工   場とかより赤っぽくなった山がいいです。

  太刀魚を下げて見てゐる蜃気楼 (新田了葉)  この俳句からは船で沖に出て大物を獲るのを夢見 ている場面が想像できます。実際は全くあがってい ないで、不思議と蜃気楼が見えています。

  太刀魚を下げて見てゐる蜃気楼 (新田了葉)  太刀魚の季節は春ではないような気がします。夏 から冬にかけてであったと記憶しています。              (夏は太刀魚大漁)       (編者)ここは「蜃気楼」が全体の季節感を表す季語と        なっているようです。

  太刀魚を下げて見てゐる蜃気楼 (新田了葉)  太刀魚食べたことないんで食べてみたい

  喉元(のどもと)のつめたき      鶯餅(うぐいすもち)の餡(あん)              (川崎展宏)  鶯餅を食べたことがないので食べてみたいです。       (編者)太刀魚も鶯餅もそれぞれにうまいです。

  喉元のつめたき鶯餅の餡 (川崎展宏) 感想  鶯餅とは初めて聞いたが、ここでは、きっとみず みずしい餅かなぁと思った。

  喉元のつめたき鶯餅の餡 (川崎展宏)  よく冷えたうぐいすもちを食べると喉がつめたく なっていった様子でこれを詠むと自分も食べたくなっ てきた。

  喉元のつめたき鶯餅の餡 (川崎展宏) ・今年はまだ鶯餅を食べてないから晴れた日に花見 をしながらでも食べたいと思った。

  掘返す塊光る穀雨かな (西山泊雲)  非常に難しくて分からない。  しかし雨が重要な語句になっていると思います。  とても奥が深くて自分の理解が足りませんでした。

   穀雨  塊の光り方がすごそうだなあと思いました。

 詩の解釈はわからないが、「桜餅」「鶯餅」など の言葉の使われた詩を読むと暖かい気持になれる。

「清明」はちょっとむずかしいです。

「巨き船出てゆき蜃気楼となる」(山口誓子)は、 その場面が想像できるので好みの俳句だが、桜餅と 鶯餅の俳句は単純すぎておもしろみがないと思った。

感想文  俳句においても普段の生活の背景がうかがえる物 が多く、その時代の生活感が俳句を通じて知る事が 出来ることがわかった。

 感慨深い詩が多かった.

 春が感じられる俳句でした.

 素晴しい内容だった。

 昔の人の感情だとか昔の情景だとかが現代のわた したちに多少は伝わって理解できたのかなと思う.

「灯台の影が日時計汐干狩」(藤井亘) 感想:汐干狩りは潮の満ち引きが重要である。想像   ではあるが、時計を忘れてしまったのだろう。   だが、近くの灯台を見て、それを日時計として   いる。様々なパターンをつくることが出来るの   で、読んでいて楽しい。       (編者)これは先週の俳句です。出席カードの裏を見て        しまいましたね。

 

  行く春や初夏の訪れ風で知る。 質問: テストはどのような形式で問題をだすので しょうか?       (編者)さて、どうしましょうか。

  行く春は海をつかんで風を切る  授業の目的がはっきりしないので、資料をただ配 るだけでなく要点をまとめてほしい。少しもの足り なく感じます。       (編者)充実した授業にならなくてすみません。この授        業は海洋小説の紹介を目的とし、今のところはただあら        すじを説明するだけです。科目によってそれぞれの方法        論があります。共通教育科目なので、気に染まないとし        てもこういった学問もあるのだと知ってもらえれば結構        です。

 最近、探偵ナイトスクープを見ていたらこんな句 がでてきた。見ていて感動した。   駅頭で万歳叫ぶ君の声      胸に残らむ昨夜も今日も

  行く春や昨日の敵は今も敵 (南村健治)  いつになれば味方になれるのか

  行く春や昨日の敵は今も敵 (南村健治)  結局は敵は敵のままなんですね

  行く春や昨日の敵は今も敵 (南村健治)  確かにそうだと思う。

 行く春や昨日の敵は今も敵には何かすごい深い意 味があります

  行く春や昨日の敵は今も敵 (南村健治)  昨日も今も結局敵なんだなと思った。

  行く春や昨日の敵は今も敵 (南村健治)  いくら月日が流れても敵な人は敵だし、何も変わ らないなぁと思った。

「行く春や昨日の敵は今も敵」(南村健治)  そんな世の中うまい事行くもんじゃないと思った。

  行く春や昨日の敵は今も敵 (南村健治) ・昨日の敵は今は友だと思きや、やっぱり敵という  現実感あふれる良い作品 ○この授業では何を学べばいいのですか?  勉強はどのようにすればいいのですか?       (編者)文学の勉強は子供部屋で寝そべって童話を読ん        でいる時にすでに始まっています。楽しむことが勉強な        のです。でもそれでは採点できませんから、試験では漢        字や故事ことわざの暗記、プリント持ち込み可で授業内        容についての質問が主となります。

  行く春や昨日の敵は今も敵 (南村健治)  私も感じたことある気がします。和解できません。 早4年です。 (まほろ)

  行く春や昨日の敵は今も敵 (南村健治)  いつまでも仲間じゃない。いつか敵になるときが くる。逆に敵が仲間になることもある。そうやって 人間関係が広がる。

  行く春や昨日の敵は今も敵 (南村健治)  敵になった相手は決着がつくまで敵のままだと思 う。

  行く春や昨日の敵は今も敵 (南村健治)  昨敵の敵は今も敵というのが敵がなんなのか気に なる。       (編者)「昨敵」は「昨日」?

  行く春や昨日の敵は今も敵 (南村健治) (感想)春の中で、長い間戦っている青年二人の情           景が浮かんできました。

「行く春や昨日の敵は今も敵」(南村健治)   これは一人の男性を愛してしまった女性2人の 恋のうた。季節は、日々何もなかったのかのように 過ぎ去っていくけれど、女性の思いはそんな簡単に 消え去っていくものではないという感じ。

  行く春や昨日の敵は今も敵 (南村健治)  このうたは花粉症にもあてはまるなと思いました。

  行く春や昨日の敵は今も敵 (南村健治)  今まで読んだ俳句の中で一番しっくりきた。

「行く春や昨日の敵は今も敵」(南村健治)  春なのにそんな暗い話をするというギャップに惹 かれました。

  行く春や昨日の敵は今も敵 (南村健治)  私はこれを読んで春に戦った敵は昨日も今日も変 わらず敵だと言うのがとてもおもしろいな〜と思い ました。   行く夏や海をながめている絶世美女 (松山)

(句)行く春や昨日の敵は今も敵 (南村健治) (感)昨の敵は今日の友でない所がおもしろい。春   と敵〜のところがどうつながっているのかがよ   く分からない。でも春が青春ぽく感じられてい   いと思う。

  行く春や昨日の敵は今も敵 (南村健治) 「昨日の敵は今も敵」…なんかいい感じだなと思う。 オレ流   暑き夏走る歩く紙一重。   欲深き秋あえての禁欲。

[東日本大震災にて、下関に戻れず、4月25日(月) より授業復帰しました。なので(ご考慮)お願いし ます。この授業は始めてです。] 「うららかや海に入りたき川の魚」(鷹羽狩行)  これは、去年秋に川にのぼり、卵を産み、春になっ て海へいく、まさに春の詩ですね。

  うららかや海に入りたき川の魚 (鷹羽狩行)  感想:うららか=春ということなので、春になっ て川から海に魚たちが戻って行くという場面が想像 できます。  また今度海で大きくなった魚が、秋になるころに 川に戻って来るのだと想像できます。

  うららかや海に入りたき川の魚 (鷹羽狩行) ・きれいな海に川の魚が向かっている様子が読み取 れる。

  うららかや海に入りたき川の魚 (鷹羽狩行)  大海原に出ていきたいという川の魚の思いが伝わ る。

  うららかや海に入りたき川の魚 (鷹羽狩行)  あたたかい春にせまい川から広い海に入りたい川 の魚の気持ちが伝わってきた.

  うららかや海に入りたき川の魚 (鷹羽狩行)  川の魚が海に入れないのに入りたいという感じが わかる。

  うららかや海に入りたき川の魚 (鷹羽狩行) ・はやく海に出て成長したいかんじがする

  うららかや海に入りたき川の魚 (鷹羽狩行)  変態のすごさを物語っている

  うららかや海に入りたき川の魚 (鷹羽狩行)  ゆったりとした川に生きる魚が入りたいと思う程 海はこう大で全てを受け取めてくれる       (編者)「受け止めて」です。

  うららかや海に入りたき川の魚 (鷹羽狩行)  さかなが川でたのしそうにおよいでいる光景がそ うぞうできる。

  うららかや海に入りたき川の魚 (鷹羽狩行)  春になり海や川が暖かくなり、魚が元気よく泳い でいる様子が想像でき、よかったです。

  うららかや海に入りたき川の魚 (鷹羽狩行)  続んだときの感じが好きだ。  まるでガスタを見ているような感じだった。  自分は魚の気持はわからないけど、魚の気持が表 わされている感じが好きだ。  好きだ、好きだ大好きだ.       (編者)「続んだ」は「読んだ」? 海に流れ込む川        (それにしては上流に行くにつれて川が広くなっている?)        と水面から飛び上がった魚のイラスト略。

  うららかや海に入りたき川の魚 (鷹羽狩行)  海と川の対比を含めて、泳ぐ魚や背景が目の前に ありありと思い浮かび、良い俳句だと思いました。

  うららかや海に入りたき川の魚 (鷹羽狩行) ・この句を読むと透き通った水中で美しく泳ぐ魚が 頭に思い浮かぶ。川がガラスのごとく、海はエメラ ルドのごとく輝き魚を包む。また川と海では塩分濃 度が違う事から困難を乗り越えようと挑む魚が見え てくる。私たちもこの姿勢を学ぶべきだろう。頑張 れ、川魚。

  うららかや海に入りたき川の魚 (鷹羽狩行)  川の魚も春に新らしい冒険に出てみたいという好 奇心旺盛な魚の様子が目に浮かぶ。  川にも海にもいく魚のことをうらやましいと感じ ているのではないだろうか…  私も新しい冒険をし、新しい発見・出会いをした いと思った。       (編者)(多分)髪と黒目とおちょぼ口だけのイラスト        略。

  うららかや/海に入りたき/川の魚  春になったので、海に入ったり、川の魚に会いた い

  行く春やピアノに似たる霊柩車 (渡辺白泉) (感想)  霊柩車をピアノに例えている点が、すごいと思う。

  行く春やピアノに似たる霊柩車 (渡辺白泉)  ピアノと霊柩車が似てるというのは変わった感じ 方だと思った。

行く春やピアノに似たる霊柩車 (渡辺白泉)    ピアノと霊柩車は、どこが似ている?           黒だから?!

  行く春やピアノに似たる霊柩車 (渡辺白泉)  いや、似てないって。

  行く春やピアノに似たる霊柩車 (渡辺白泉)      まぁ以ているね色が。       (編者)「似ている」です。

  行く春やピアノに似たる霊柩車 (渡辺白泉)  私はピアノと霊柩車は似てないと思う

  行く春やピアノに似たる霊柩車 (渡辺白泉)  この感性は、あまりにも理解できない。

  行く春やピアノに似たる霊柩車 (渡辺白泉) ・高級感の漂うあの黒さはたしかに似ているが、そ  れと春はどう関係するのだろうか。春の死亡者数  が多いからだろうか。

  行く春の ・行く春やピアノに似たる霊柩車 (渡辺白泉) という句が、「春」という新しい事が始まる季節に 人が死んだ事を表わすような「霊柩車」という言葉 でよけいに不吉に感じた。

  行く春やピアノに似たる霊柩車 (渡辺白泉)  ピアノと霊柩車を比較する発想がすごいと思った。

「行く春やピアノに似たる霊柩車」の感想  霊柩車はマイナスのイメージが強いですが、それ をピアノに変えてプラスのイメージを出していると 思います。

  行く春やピアノに似たる霊柩車 (渡辺白泉)  明るい感じのする春と言う言葉と暗い感じのする 霊柩車と言う言葉を組み合わせることで、今までと かわりなく過ぎていく日常が感じられた。

  行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女)  港から離れて行く船が春のかすんだ沖へ消えてい く様が浮かぶ。

  行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女) 感想  春の終わりに、だんだんと港から沖へ離れていく 船を思い浮かんだ

  行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女) ・春が去っていくのとともに、船も出航してしまっ て寂しい感じがする.

  行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女)  時代劇などでよくある場面だと感じました。

  行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女) ○感想  出航した船もまた帰港してくるように、春もまた 来年やってくる。しかし、春は一年後でないとやっ て来ない、待ち遠しさが感じられる。

  行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女)  別れの季節の春を上手く表わしていると思いまし た。

  ・行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女)  春の別れの季節に息子や娘を見送る家族の背中が 見える。

  行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女)  船が出港して別れが寂しい感じがよくわかる。

「行く春や別れし船のなほ沖に」(中村汀女)  春といえば別れなのでこの句にはとても共感でき  る部分がありました。

  行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女)  この俳句から春のそれぞれの旅たちという観念が 想像できます。春は別れ、そして出会いの季節であ りますが、この俳句からは別れというものが浮かん できます。「なお沖に」という部分から、どんどん 遠くに離れていく姿が思い描かれます。

  行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女)  中村汀女は熊本の人であるので地元の有明海の沖 の方に船がちいさく見えるのが頭に浮かんだ。

「徂(ゆ)く春や言い残すべき何もなし」               (松尾いはほ)  春が行ってしまうのを惜しむ作品が多い中、この 俳句は「言い残すべき何もなし」とあって春を満き つしたのか、それとも、無気力で春なんかどうでも いいと思っているのか、どちらかはわからないが、 めずらしいなと思った。いろいろ深読みしてしまう 俳句だと思う。

  徂く春や言い残すべき何もなし (松尾いはほ)  この詩を選んだのは、一番わかりやすくでも、趣 があったからだ。

  徂く春や言い残すべき何もなし (松尾いはほ)  過ぎゆく春に言い残すことは何もない?

  徂く春や言い残すべき何もなし (松尾いはほ)  春が過ぎていくことをうたったものだと思う。 「言い残すべき何もなし」と言っているので春を十 分楽しんでいたのかなと思った.

  徂く春や言い残すべき何もなし (松尾いはほ)  やりとげた感を強調している俳句だと思った.

  徂く春や言い残すべき何もなし (松尾いはほ)  春は、あたたかく、とてもすごしやすく、桜もき れいである。しかし、春が過ぎ去っても何も心残り がないことを趣深くいい表わしている。

○徂く春や言い残すべき何もなし (松尾いはほ) ・自分はこの俳句を読んで見て、春夏秋冬と四季の 移り変わりを何か感る作品だと思いました。       (編者)「感じる」?

  徂く春や言い残すべき何もなし (松尾いはほ)  ぽかぽかとあたたかく、ちょっぴりさむい春の面 影もないくらい暑くなる。春は十分春を作り出し、 夏という季節へバトンタッチしている詩であると思 う。春という季節は春を十分に表現しきった。とい う表現の詩だと思う。   ☆授業中プリントの何行目を読んでるのかわか    らないので、言ってほしい。       (編者)授業中はしゃべっていることに夢中で気がつか        ないかもしれませんが、できるだけそうします。

  徂く春や言い残すべき何もなし (松尾いはほ)  新しい生活がはじまる。という気持ちが込められ ているような気がして、新しい生活をはじめたばか りの自分も共感を持てるから。       (編者)右が人、左が木のイラスト略。

  徂く春や言い残すべき何もなし (松尾いはほ)  このような春を僕はまだ過ごしたことがないので 近いうちに達成できるようになりたい。

  うららかや鯨図鑑の小さな目 (矢島渚男)  わかりやすいようでよく意味がわからないところ がいい

  うららかや鯨図鑑の小さな目 (矢島渚男)  くじらの図鑑を眺めていると、いつの間にか、細 い目になっていた.

  うららかや鯨図鑑の小さな目 (矢島渚男)  鯨は巨大な体をしているが、それに対して目は大 変小さくそのアンバランスがまた可愛らしい

  うららかや鯨図鑑の小さな目 (矢島渚男) 「うららか」の意味を知りませんが、図鑑の鯨の絵 のせん細で美しい目が想像されます。

  うららかや鯨図鑑の小さな目 (矢島渚男)  実際に見たことがない鯨に鯨図鑑を見ながら晴れ 晴れとした気持で思いをはせている様子を感じとる ことができた。

  うららかや鯨図鑑の小さな目 (矢島渚男)  実家にも鯨図鑑があった.昔は毎日のように見て いたのを思い出した  鯨は一度でいいから見てみたい  レッツ ホエールウォッチングである。       (編者)顔(それとも体)が半分かくれた、多分ハンプ        ティ・ダンプティのイラスト略

”麗らかにろまんちすとでゐたらいい” (松澤昭) 感想  ”ロマンチスト”という単語を敢えて平仮名でかい ているというところに目を奪われた。

  麗らかにろまんちすとでゐたらいい (松澤昭) 「ろまんちすと」をひらがなにするところに和の麗 らかさが見えた。

  麗らかにろまんちすとでゐたらいい (松澤昭) 「ロマンチスト」が排句にひらがなで入ってるのが おもしろかったです。私もかなりのロマンチストな のでこの排句好きです。       (編者)「俳句」です。

  麗らかにろまんちすとでゐたらいい (松澤昭)  中に外来語が入っていて仮名になっていて面白い 格言だと思う。すごくゆるくのんびりな感じが感じ とれる。

  麗らかにろまんちすとでゐたらいい (松澤昭)  この歌を耳にして、すべての人に対して向けて歌っ たものだろうと思った。まさにロマンチックに生き る解釈が出来て感動しました。   げんげ田の紅を紡ぎて海の風 (檜紀代)  家の近所に咲いていた、一面の蓮華草を思い出し ました。

  げんげ田の紅を紡ぎて海の風 (檜紀代)  春が来て、風にあたるのが苦ではない。田んぼに はたくさんのレンゲの花が咲いている。どこまでも 広がるレンゲの花に風が吹きわたるのが見える.

  げんげ田の紅を紡ぎて海の風 (檜紀代) 感想   春の色から夏の青い色に移り変わって行く風景 が浮かんでくる作品でわかりやすかったです。

  蚕豆(そらまめ)の花の盛りの海女の畑                 (中村和子)  海女の畑が良かったです。

  蚕豆の花の盛りの海女の畑 (中村和子)  前には海、後ろには畑の広がる風景がよく想像で きる。自然に囲まれてる感じ。こうゆうところに住 みたい。

 これらの俳句を読んで、さらに春の気持になりま した。

 競馬の馬で、ハルウララという馬がいました。こ の俳句を詠んだときその名前が思いうかびました。