水大歳時記(平成二十二年度)

  秋 の 部

     秋、素秋,金秋

  昼暑し夜には涼し秋の香

  秋休みどうしてないのかわからない

  朝晩が寒くなったよもう秋だ

  秋風が身にも心にも染みる秋

  秋だから飽きずに色々あきらめない

 

  初秋(はつあき、しよしう)

  まだ暑い日射し強い初秋かな

 

       立秋

  秋入り、まだまだ続くこの暑さ

  秋きたよお金は飛ぶが脂肪つく

 

     残暑、秋暑し

  日が照りて暑さがひかぬ残暑かな

  どっぷりと疲れとともに残暑くる

  真夏過ぎ残る暑さの多きこと

  夏が過ぎ残こる暑さイライラと       (編者)送り仮名は正しく。

  夏が過ぎ残暑厳しく家こもる

  学生の宿題のこる残しょかな

  残暑より朝方の気温風邪の元

  秋暑しまだまだ泳げるあつさかな

  夜風にも暑さ残りし秋暑し

 

     秋めく、秋づく

  秋らしく本日の服長そでだ

       九月

  もう九月しかし青空まだ真夏

  九月でも猛暑が続き残暑来ず

  9月でも暑さはまだまだ続きそう

 

       寒露

  小みぞゴケ霜降りたちて寒露かな

 

       秋の朝

  秋の朝意外に寒く目が覚める (助べえ)

  秋風が吹き込む朝の布団の中

 

       秋の暮

  夕暮れに散りゆく木の葉もまた悲し

 

  秋の夜、夜半(よは)の秋

  秋の夜釜を開けると栗ごはん

  秋の夜の清みたる空気で吸うタバコ     また一段と美味い煙かな

  秋の夜に息白くして星を見る

 

       秋の空

  秋の空ふと見上げるともう暗い

 

       秋の雲

  空見上げ一筋たなびく飛行機雲 (ムカエル)

 

  秋風(あきかぜ、しうふう)

  だんだんと涼しくなる秋の風

  秋風で服のそでがのびていく

  秋の風少し冷たく心地良い

  秋風が吹いてうるせえ水産大

  秋風のなごりうけて一人旅

 

      月,月影

  月みたらうさぎが二ひきいましたよ。

  夕月で願いとどかずふてくされ

 

    十六夜(いざよい)

  潮干きて水面(みなも)に映る      十六夜(いざよ)月

 

星月夜(ほしづきよ、ほしづくよ)

  みずうみに星月夜映り夜二つ

 

       天の川

  夕闇に光り輝く天の川

  夏の夜夜空にうつる天の川

  夏の夜空いっぱいの天の川

  天の川闇夜を色どる光星       (編者)普通「彩る」です。

  天の川全然見えないつまらない

  天の川空に流れて恋かなう

  1年の逢瀬の契り天の川

  横浜と山口の間天の川       遠距離恋愛の歌

  遠距離恋人が出会う天の川

  白鳥が揃いて飛びし天の川

  天の川の匂い探して夢の中

 

       流星

  澄みきった空に輝く流れ星

  流れ星私の願いが流れるよ

  流れ星叶うといいな願い事

 

      颱風、台風

  このごろ台風が近づいてますね。

  台風だ突風喜こぶ子供たち       (編者)「喜ぶ」です。

  台風が来るといわれて期待した      結局来ずの去年の夏

  数々の被害を生みだす台風さん   安心だ数時間だけの台風の目

 

  秋の山、秋嶺(しうれい)

  紅葉が山を彩る秋の山

  山模様青から赤に衣更え

 

       運動会

  小学校楽しかった運動会

   七夕(たなばた)、星祭

  7月7日は七夕です.風流ですね.

  1年に1度の再会大事な日

  出会いたい彦星織姫日々思う

  たなばたに願いを込めても叶わない

 

        鹿

  山の奥 もみじかきわけ鹿ぞ鳴く (Robin Hood)

 

      鰡(ぼら)

  前海や鯔が跳ねてる水の音

 

    秋刀魚(さんま)

  秋刀魚たち漁師にとられ人のなか

  最近はさんまがとれなくなっている

  帰り道煙が薫る秋刀魚かな

  今が旬油がのったさんまかな

  さんまさんだいこんおろしでたべたいな

 

     蜻蛉(とんぼ)

  とんで行き情景に消えゆく蜻蛉

  赤とんぼ先祖を乗せて帰ってくる.

 

  紅葉(もみぢ、こうえふ)

  人生で見たことない紅葉を

 

      コスモス

  コスモスがゆらゆらゆらゆらゆれている

  コスモスが風にそよいで波になる

  秋風にゆれるコスモスきれいだな

 

    西瓜(すいくわ)

  真っ赤だな切った西瓜は種なしだ

 

    松茸(まつたけ)

  松たけを人生一度は食べたいな,

  松茸を食べる日をただ待つだけだ.

 

    舞茸(まいたけ)

  舞茸をつみとるごとに日も落ちて

 

     茸(きのこ)

(編者)草間時彦先生の「茸番がハーレーダビットソンで来し」に 倣って   茸番がスパースポーツで来し

  茸マンハーレーダビットソンでこけ

 

       授業

  久しぶり学校キツイ頑張ろう       (編者)乗船実習お疲れ様でした。

 

      学生生活

  テスト最高!!

  初めてのテストがついに始まるぞ

  テスト期間苦痛が続く地獄絵図

  今日からさ てすとが始まる憂うつだな      どこかに単位おちてないかな

  私ごとおサイフ・体位も火の車       (編者)「体位」は「単位」?

  テスト期間僕の生活鬱ぎみです   最近の僕の生活ひどいです.

  今日の朝起きたら友達ベット下

  友達にベットの下に振り落とされ

  久々の自炊の出来に驚愕す   朝起きる時計を見てみる青める       (編者)「青める」は「青ざめる」?

  テストでよい点とるよう      頑張りたいと思っています。

  風が吹く洗濯物がよく消える

  土日で勉強できずバイトづけ

  吉見には田舎独自の良さもなし

  顔上げて高みの壁を乗り越える

  いつまでも平和一番いつまでも

 

  海の中すいすい泳ぐよ魚たち       (編者)一筆書きの魚のイラスト略。

  さむいなあ人肌恋しい季節だね

 

  沈む日の海ながめれば日がふたつ

  塩こしょう鼻に入ればくしゃみ出る

  かみきって気持きりかえがんばろう

  君がいるだからボクはガンバレル。

  「がんばって」うらはらに想う「さみしいな」

      エッセイ

風が強いです。

 残暑がきびしいです.さっさと涼しくなってほし いです。

 昨日の夕方、空を見て秋が近づいてきたと思いま した。空の色が薄い感じ(はかなげとも言う?)に なって、秋のすずしい風がふいているようでした。 とはいえ、この時期どこも冷ぼうを弱にしたり、切っ たりする建物が多いので、まだまだ暑さに油断はで きません。  また、今年はサンマの漁獲量が低く値段が高いそ うですね。秋の味覚食べたいな…  地元、東京の目黒ではサンマ祭りが毎年行われて います。今年も無事行われたそうです。よかった。

 夏休み実家に帰ったのだが、下関に比べ朝から夜 まで気温や湿度が比べものにならないくらいに高く、 そしてなおかつ風も全く吹かなかったので非常にす ごしづらかった。 (立花京四郎)

残暑:いちにちの残暑を消してくれし雨(浅野石橘)  なんとなく分かる気がした。

  いちにちの残暑を消してくれし雨(浅野石橘)  雨が降って気温が下がりすごしやすくなったとい う詩だ

 浅野さんの残暑で、いちにちの暑さをけしてくれ る雨はいいなと思った。

「いちにちの残暑を消してくれし雨」(浅野石橘)   とても暑い日で残暑が続いているから一日でい   いから雨が降ってすずしくなってくれと、願う   気持ちが伝わってくる。

“いちにちの残暑を消してくれし雨”(浅野石橘)  今年は特に非常に異常な暑さだったので、はやく 残暑を消して秋になってほしいと思うことが詩によ くあっていました。  本当に雨が降って涼しい秋になってほしいもので す  残暑を消す雨がきてほしいです。       (編者)下線部分は太字にしました。下から2行目の文        末に水滴2滴のイラスト略。

  いちにちの残暑を消してくれし雨(浅野石橘)  一日のあつさを消してくれる素敵な雨だと思った。 雨が降ったあとの涼しさが感じられた。

  いちにちの残暑を消してくれし雨(浅野石橘)  最近は夕立が多くて、ザーと降った後、風がつめ たくなるのが気持ちいい。そんなことを思い出しま した。

  いちにちの残暑を消してくれし雨(浅野石橘)  最近雨が降らず少し涼しい日が増えてきました。 台風と共に一気に秋になればいいのにと思います。

〜いちにちの残暑を消してくれし雨〜(浅野石橘) 『暑い日には、雨が降ってくれると大分涼しくなる。 九月になり、残暑が残っているときに雨が降ると快 適な気温になって気持ちが和んでいる。』  作者はそういう気持ちをうたったのだと思う。

  いちにちの残暑を消してくれし雨(浅野石橘)  こういうときの雨は好きです。雨にぬれたくなり ます。

  いちにちの残暑を消してくれし雨(浅野石橘)  最近暑いので雨が降ってすずしくなってほしいと 思い印象に残った.

  いちにちの残暑を消してくれし雨(浅野石橘)  雨がふると下からの暑さで最初はじめじめする。

  いちにちの残暑を消してくれし雨(浅野石橘)  9月やのに、ものすごく暑いです。雨が降るとき 湿気がもわ〜っと来るのでできれば雨は降ってほし くないです。

  いちにちの残暑を消してくれし雨(浅野石橘)  9月になってもまだまだ暑いがもうすぐ涼しくなっ てくる。ぼくは暑いほうがいいな。

  いちにちの残暑を消してくれし雨(浅野石橘)  いよいよ夏が終わり、雨によってそれを自覚させ られるような感じがした。そして秋が来るのだと感 じた

  いちにちの残暑を消してくれし雨(浅野石橘)  この詞は、まさに今日のことを言っているような 中容だと思った.       (編者)「中容」は「内容」?

いちにちの〜の句  今年はゲリラ豪雨や猛暑で、おしめりというよう なやさしいものではなくなったと改めて思う.

(浅野石橘)  秋を上手く表現している句だった

残暑 いちにちの〜  まさに今、体調に気をつけたい

  夕風に暑さ残りし石畳 (小川濤美子) ・少し風がふいてすずしいけれど、休けいしようと 思って座った石畳がかなりあついと言ったこうけい がよういに想像できて良かった。

  夕風に暑さ残りし石畳 (小川濤美子)  日も暮れようかというのに暑さがまだ抜けない。  今年のような夏〜秋口に似た感じのもどかしさが ある。  いつになったらこの暑さが抜けるのか。  既にお盆は過ぎたのに30℃を平然と超える今年は どうかしていると思う。

  夕風に暑さ残りし石畳 (小川濤美子)  打ち水したいと思いました。

 小川濤美子の俳句を読んで思ったのは9月に入っ ても夕方になっても全然涼しくないので共感できま した。

  夕風に暑さ残りし石畳 (小川濤美子)  今年は、すごく暑かったので、この詩が印象的で した。早く涼しくなってほしいです。

  夕風に暑さ残りし石畳 (小川濤美子)  石畳ではないけれど、コンクリートに熱が残って いることはよくあるのでわかります。  夕暮れはむっとする暑さ。

  夕風に暑さ残りし石畳 (小川濤美子)  →まさに今年の夏の残暑を象徴している様子。

  夕風に暑さ残りし石畳 (小川濤美子) 今年はこの時期になっても夕方でもとても暑い。は やく   冬になれ! って思います。

  夕風に暑さ残りし石畳 (小川濤美子)  暑いのはもうこりごりです.

  夕風に暑さ残りし石畳 (小川濤美子)  今年は暑い日が続きますね.  いつになったら秋になるんですかね?  石の上で目玉焼きが作れそうですね.

  夕風に暑さ残りし石畳 (小川濤美子)  石畳も熱くなるような暑い夕風は気持ちの良いも のがある.

  夕風に暑さ残りし石畳 (小川濤美子)  まだ風がなまあたたかい感じが伝わってきます。 しかしもうすぐすずしくなるという気持ちあり嫌い ではないです。

  夕風に暑さ残りし石畳 (小川濤美子)  秋になる前は夏の残暑が厳しいが少しずつ涼しく なっている。  今年は、都市部では記録的な猛暑になっているよ うなので、秋になったという実感はまだわいてこな い.

  朝夕がどかとよろしき残暑かな(阿波野青畝)  9月なのに暑いですね

  朝夕がどかとよろしき残暑かな(阿波野青畝)  九月はまだ暑い

  朝夕がどかとよろしき残暑かな(阿波野青畝)  残暑の暑さが伝わってきた.

  朝夕がどかとよろしき残暑かな(阿波野青畝)  朝も夕方もまだまだ残暑がのこっていてあついと いうのをこの歌は唄っている。

  朝夕がどかとよろしき残暑かな(阿波野青畝) (感想)  9月にもなっても涼しくならないなと最近思いま す。

  朝夕がどかとよろしき残暑かな(阿波野青畝)  残暑があつく朝と夕がこいしくなってくる感じが どうかんできた

  朝夕がどかとよろしき残暑かな(阿波野青畝) →昼間の残暑が厳しいので朝と夕方が一番すずしく て良い‥

  朝夕がどかとよろしき残暑かな(阿波野青畝)  残暑で暑いが、その中でも朝と夕は少しばかりま しだという感じが伝わってきた。

  朝夕がどかとよろしき残暑かな(阿波野青畝)  昼ぐらいが一番暑いからクーラーをつけっぱなし にしてしまう.電気代がすごい.

  朝夕がどかとよろしき残暑かな(阿波野青畝)  最近暑さが厳しいです。暑すぎて勉強がはかどら ないこの頃 テスト近いのにどうしましょ。明日英 語の小テストあるんですねぇ〜 どうしよ。まだ覚 えてないです。泣きたい気分です。時間よ止まれ!!       (編者)まぁ、自己責任でがんばってください!

  朝夕がどかとよろしき残暑かな(阿波野青畝)  私の一句   そうざんしょ残暑の名残りまだ消えず              (私の息子は軟太郎)

  黒揚羽(あげは)九月の樹間すきとほり                 (飯田龍太)  なんか黒揚羽ってとこが想像しやすい

  黒揚羽九月の樹間すきとほり (飯田龍太)  まるでその景色が浮かぶくらい、きれいな詩だと 思いました。

  黒揚羽九月の樹間すきとほり (飯田龍太)  下関ではあまり見ないが,地元では、夏が終わる 時期の山には黒揚羽がとびまわる。なんか黒揚羽は 特別な意味をもつちょうなので,見てなにか心に深 く感じるものがある。       (編者)古代ギリシアでは蝶は魂の化身と考えられてま        した。

  黒揚羽九月の樹間すきとほり (飯田龍太)  つい最近私は黒いアゲハ蝶を見つけました。この 俳句の文章の通りにひらひらと飛び回っていました。

  黒揚羽九月の樹幹すきとほり (飯田龍太)       ※イメージ       (編者)2本の木の間を飛ぶ黒い蝶のイラスト略。

  黒揚羽九月の樹間すきとほり (飯田龍太)  私は、1週間前に車道(バイクの通るとこ)に黒 揚羽が止まっていて、ひかれそうになっていたので、 日陰の安全なところに移動させました。  まさかあの時に会ったあげはちょうが、9月の季 語になっているのはびっくりしました。

  黒揚羽九月の樹間すきとほり (飯田龍太)  この間(八月終わりですが)このような光影をお ばあちゃんの家でみれました。すぐに情影が思い出 されたので、またこれを学校で書いているので「あ あ、夏休み終わった…」と感じます。       (編者)「光景」と「情景」です。

  さびいろの残暑鉄路は海添ひに (遠山泰子)  赤茶けた鉄道のレールが海に沿ってまっすぐ延び ている光景が思い浮かんだ。

  さびいろの残暑鉄路は海添ひに (遠山泰子)  さびている線路が暑さを物語っており秋の到来が よくわかる詩。

  顔あげて亀の泳げる秋暑し (藤原宏観)  まだ亀も秋なのに暑くて泳いでるようすがわかる。

  顔あげて亀の泳げる秋暑し (藤原宏観)  亀が暑そうに川から顔を出している様子が思い浮 かんだ。  早く涼しくなって欲しい。

  顔あげて亀の泳げる秋暑し (藤原宏観) →今年の秋(?)はかなり暑いので水中の生態系が 変化しているようですが水温が高くなると、亀の生 息地も変化していくのでしょうか?       (編者)文頭の矢印はくるっと一回巻き。水面に顔を出        す小さな亀のイラスト略。

  初秋や古き枕のあぶら垢(あか) (之道)  秋を向えたが、夏がとても暑くあせをたくさんか いてしまったので枕にあぶら垢がついてしまった。       (編者)「迎えた」です。

  初秋や古き枕のあぶら垢 (之道)  そろそろ枕カバーを洗わなければいけないと思っ た.

  初秋や古き枕のあぶら垢 (之道)  秋が来て肌寒くなってきた時、夏に寝苦しい思い をしたことを思い出す風景が思い浮かぶ。枕にはそ のときしみついたあせがあぶらとなっているのがな んとも趣のある

初秋…秋の初旬は古い枕のあかのようである 残暑…朝や夕方がどこかといい残暑があるかな 九月…黒揚羽は九月の樹木の間を通っていく。

 初めてみる詩ばかりでした。

 どれもすばらしい詩だと思う。

秋の残暑がよく表現されていた。 秋の訪れを感じさせる詞をみて,しみじみと感じた。

 残暑という詩があるが、今年は残暑が厳しすぎる という感じがする。  暑さも盆までと全然違う。

 どの詩も温度の事ばかりかいていて、それの事し か昔の人は書く事なかったのかもと思った。       (編者)すみません、そんな印象を与えて。ただ自分が        そんな詩ばかり選んだだけのことです。

 ところどころに秋の暑さが表現されていて、今の 異常気象を物語っているようだった。

 こよみの上ではもう秋だが、まだまだ暑い日が続 いている。残暑についての歌が多い.ただ、真夏の 暑さのゆるみも少し感じられる.

 

 高校時代ずっと理系できた私にとって文学を学ぶ のはとても久しぶりで新鮮な感じがした。  十二支の消息の卦を見ると、午は五月となってい る。私は午年だが、どういう関係があるのだろう。 また、十二支象意を見て、十二支一つ一つに意味が あることを初めて知った。もっと詳しく知りたいと 思った。

 エコロジーとは人間のためのものというのは勝手 だと思った。

 秋になって、虫がよく鳴くようになった。先日、 私の部屋の網戸に緑の虫がくっついていた。キリギ リスか何かだっと思う。光に引かれてきたようだっ た。写真をとり母に「お客さん」という題でメール した所、母から、「お友達? えずけしているの? のどかでよいね」と返信が来た。気がついたらいた と返した所、「冬の食料に」と返された。  言葉のボールを母にぶつけられた気がした。

  晩夏の後,秋イカ始まる畜界難  10月になり、下関も秋イカのシーズンが始まりま す。       (編者)「畜界難」とは「玄界灘」のこと?

  秋晴の雲も流るること忘れ (井沢正江)  最近、風も吹いて気温も下がり、秋を感じさせる 事がありました。特に、秋の晴れ空はうろこ雲でも のすごい高いところにあって、雲の変化が少ないで す。でも雲の流れは遅くても、一日の時間の流れが 早いと感じました。その分秋空を見ていると、秋空 がのんびりとしていて、うらやましく思います。

  秋晴の雲も流るること忘れ (井沢正江)  詭そうに見えるのに崩れずに空一面に広がってい るうろこ雲が目に浮かんだ。  不安定な形が固定されているという停滞感、夏が 過ぎ去ってしまった寂しさ、秋のさわやかさ、そし て温いものを食べたい!という気持ちが混ざり合う 今頃の季節を、多分今読まなくても想い出させてく れそうな、表現力ある句だと思った。       (編者)「詭そうに」は「「脆(もろ)そうに」?

  秋晴の雲も流るること忘れ (井沢正江)  秋の晴の日をわかりやすく表現していると思った。

  秋晴の雲も流るること忘れ (井沢正江)  秋晴れのときの穏やかな空の景色がよくわかると 思います。

  秋晴の雲も流るること忘れ (井沢正江)  秋晴の季語が入っている俳句が今の季節にちょう ど合っていて、秋はいいなと感じました。

(秋晴)  シンプルな文だけど秋のゆったりとしたイメージ がよく伝わってきた。

  秋晴の雲も流るること忘れ (井沢正江)  秋の空っとした空気が思い浮かぶ。  今の季節にぴったしの句だと思った。

  秋晴の雲も流るること忘れ (井沢正江)  季節は変わって秋を向かえたが、そよ風や太陽の 温もりに気分がよくなっている状況だと思います。       (編者)「迎えた」です。

   秋晴  風がつめたくなってきて、空が晴れわたってるの に熱く感じない秋が来たような印象をうけました.

  秋晴の雲も流るること忘れ (井沢正江)  秋の昼と秋晴れの歌は、今秋なので歌の情景がよ く浮かんだ.秋雲を見ると秋が来たと実感し、肌寒 さを感じる

  秋晴の雲も流るること忘れ (井沢正江)  秋の晴れ空は きれいで昆虫も飛んでいるのを見るといつの間にか 時間が過ぎてしまいます。

 私は俳句とかを考えるのは苦手です。しかし読む のは好きです。   秋晴の雲も流るること忘れ (井沢正江) というはい句を読んでそれくらい秋の晴はきもちい いのだと思いました。

「秋晴の雲も流るること忘れ」(井沢正江)  この句には、秋の空の時流れによる風情を感じさ せることが、大変興味深いです。夏が過ぎて秋にな ると夜がすぐ来てしまいますが、秋空をふと見上げ ると雲が流れる様子がなぜか止まって見えてその様 子が趣深く感じる作者が心豊かに思えてくる

秋晴:井沢正江  実際は雲は流れていると思うけれど秋のゆったり   とした時間が雲が止まっているように思えたのだ    と思う。

 井沢正江の秋晴は雲の流れが遅い空を簡単に想像 でき、雲が流れることを忘れるくらい時間の流れが ゆったりとしているのではないかと思った。

  秋晴の雲も流るること忘れ (井沢正江)  秋の風が気持ちよすぎて、雲が寝てしまっている.

  秋晴の雲も流るること忘れ (井沢正江)  夏と違って秋は涼しいので外に出ると気持がいい. そして、のんびり景色をながめていると雲が流れて いることも忘れるくらいぼーっとしてしまう.僕に あっている排句だと思う.       (編者)「俳句」です。

  秋晴の雲も流るること忘れ (井沢正江)  作者は僕のように、ボーッとするのが大好きな人 なのでしょう。

  秋晴の雲も流るること忘れ (井沢正江) *感想文*  暑い夏が終わると、涼しい風とともに秋が来る。 この俳人はとても過ごしやすい時期である秋をのん びり過ごしていると思われる。あまりにも秋晴が気 持ちいいので、雲の流れを忘れているのかなと思っ た。  また、この俳人は秋晴れしている空を見上げてい るので、何か感傷的になっているのかなと思えた。 夏から秋に変わると、周りが大きく変わる。周りが 大きく変わっていくので、雲の流れに気付かない、 忘れてしまうのかなとも思った。私は2つのとらえ 方があるこの詩にひかれ、この詩について感想文を 書いた。

  秋晴の雲も流るること忘れ (井沢正江)  秋というのは様々な自分の興味を引くものがあり、 天気の良い秋晴の事を忘れそれに熱中してしまう。 また秋の日ざしはキラキラとしていて寒い中にある 日のあたたかさで日を隠す雲の存在を忘れてしまう。

  秋晴の雲も流るること忘れ (井沢正江)  秋晴には黄金色に光るどこかはかない空をイメー ジさせて、そこを雲が流れるのを見て、嫌な事を忘 れることが出来るぐらいきれいだと思っている。

「秋晴」の感想  秋の晴れた空が、はっきり想像できるが、そんな すばらしい空の雲も忘れてしまうほど、この作者の 頭がいっぱいいっぱいなのかなと思った。この俳句 を一見した時には気持ちの良い雰囲気を感じるのに、 作者の心情を考えると切なさを感じる不思議な俳句。 また、雲が流れることも忘れる…だから何?と言い たくなる俳句だった。

  沢蟹(がに)の大小しづむ秋の水 (中田剛)  夏場に水面近くにいたであろう沢蟹が水温の下が りとともに深みに降りていく様子が秋の深まりを感 じさせます。沢蟹の赤色が紅葉とかささっていっそ う秋を感じさせます。清流の音が聞こえてきそうな 素晴しい作品だと思います。(名無しの熱帯魚オタ)       (編者)「かさなって」?

  沢蟹(がに)の大小しづむ秋の水 (中田剛)  秋の水の俳句で秋の川の様子をイメージできまし た。

「沢蟹(がに)の大小しづむ秋の水」(中田剛)  秋の水の中にサワガニがいるという光景を想像す ることができた。

「沢蟹(がに)の大小しづむ秋の水」(中田剛) 感想 情景がしみじみと浮かぶ俳句だと思う.

 中田剛の俳句は、沢蟹がしずむくらい秋の水はつ めたくなってきたことを表わしているのだと思い良 い詩だと感じます。

  沢蟹(がに)の大小しづむ秋の水 (中田剛)  この光景を実際に見てみたいと感じた。

  沢蟹(がに)の大小しづむ秋の水 (中田剛)  沢蟹がしずかですきとおった川の底に入る様子が 想像でき、さわやかな感じがした。

  沢蟹(がに)の大小しづむ秋の水 (中田剛)  きれいな水に住む大小さまざまな大きさの沢蟹が 目に浮かんできた。

  沢蟹(がに)の大小しづむ秋の水 (中田剛)  この俳句を見ただけで、沢蟹のたくさんいる川を 想像できた。それほど温かくない水で蟹が涼んでい ると思う。

「沢蟹(がに)の大小しづむ秋の水」(中田剛)と いう句は、初め読んだ時は水の中に沢蟹がうじょう じょいる感じがしました。でも、秋になって生き物 も活発になったのかなとも思いました。

  沢蟹(がに)の大小しづむ秋の水 (中田剛)  沢蟹のかわいらしさが出ててとても興味深いと思っ た。

  沢蟹(がに)の大小しづむ秋の水 (中田剛)  蟹が多く生息しているところで生まれていればよ かった。実家の近くの海ではウニがよく捕れるが近 所のアマさんがウニのカラを外に山づみにしていて コバエがたかって大変だった。

  水底を水の流るる寒露かな (草間時彦)  寒露という意味がよく知っているわけではないが なぜか想像できそうなところが良かった.

 草間時彦の「寒露」を読んでいると、シャワーで 突然、冷水が出てびっくりするような、まさに「寝 耳に水」のような自然の水の冷たさが思い浮かんで きた。

  水底を水の流るる寒露かな (草間時彦)  水の流れに自分が興味があるし、寒さがつたわっ てきました。水の水面側と水底は温度が違い、これ から寒くなってくるというのがわかりました。

  水底を水の流るる寒露かな (草間時彦)  この句は、寒露のときを表わしていると思う.水 底や水を使うことによって.そこはかとなく、寒い イメージができてくる.

  水底を水の流るる寒露かな (草間時彦)  秋の終わりの寒い感じがわかった。

   寒露  晩秋に落葉でうめつくされた小川を葉の下で静か に流れる水という景色を詠んだのだと思いました。

   寒露  すごく寒そうだなあと思った。

  水底を水の流るる寒露かな (草間時彦)  本来は水底の方が表面より暖かいが、それでも寒 露と表現しているのは、寒いことがよく分かる.秋 ではなく冬の句のようである.

―寒露―  今の時期にあっていて共感できる。  今、やっと暑い夏が終わって、すごく過ごしやす くて、秋風を楽しんでいる自分がいて、そのいい感 覚が、あの水底の冷たくて、気持ちいい感覚とが重 なってくる。   『水底を水の流るる寒露かな』(草間時彦)

  水底を水の流るる寒露かな (草間時彦)  水が流れるのは当然だが、「水底」という表現が 水底のみに水が流れているのがわかる。どこの水の 流れかはしらないが、表面の水は氷りつき、水底で は水が流れている中途半端さを、冬でも夏でもない 秋としている。

  水底を水の流るる寒露かな (草間時彦) ・冬の川の水底の水は流れて溶けてなく。表面だけ が凍っているような風景が思い浮かぶ俳句だと思い ました。

  水底を水の流るる寒露かな (草間時彦)  春が近づくにつれて雪や凍っている川がとけてい るように思えた。

  秋晩(おそ)く雲に紅さす巽(たつみ)空                 (飯田蛇笏)  秋の季節が終わるころには秋に似合うように紅色 の空が想像できすばらしい句と思いました。

  晩秋く…  秋の夕方に南東に沈む太陽を俳句にしているんだ と思う       (編者)確かに巽は南東の方向。でも太陽は西に沈むの        で、むしろこれは日の出を表わしていると思います。

  秋晩く雲に紅さす巽空 (飯田蛇笏)  これからの時期の夕焼けのオレンジ色に染まる雲 の様子が浮かんできて、とてもきれいな光景だと思っ た。

  秋晩く雲に紅さす巽空 (飯田蛇笏)  夕方の秋の空は紅色でとてもきれいだから。

  秋晩く雲に紅さす巽空 (飯田蛇笏) ・冬が近づてきていている夕方の空をながめて、た そがれている様子       (編者)「近づいて」、「い」が抜けてます。

  秋晩く雲に紅さす巽空 (飯田蛇笏)  日暮れも早まった晩秋に、雲が夕日に染まる短い 時間をとらえた美しい句だと思う。

  秋晩く雲に紅さす巽空 (飯田蛇笏)  夕暮れ時に雲がオレンジ色に染まっている風景が 想像できた。白い雲に紅さすという表現は色白の柔 肌にチークを塗るような感じでかわいらしいと思う。

  秋晩く雲に紅さす巽空 (飯田蛇笏)  昔ながらの巽空という表現方法がおもしろいと思っ た。

 飯田蛇笏さんの俳句が一番情景とかを想像しやす いなぁと思いました。  あとわかりやすいと思いました。

  秋晩く雲に紅さす巽空 (飯田蛇笏) 感想  小学生の時公園でかんけりをしたのを想い出した。

  かの窓のかの夜長星ひかりいづ (芝不器男) (ある夜ふと窓から外をながめていると夜空の星が 光っていた。)―自分なりの解釈

  かの窓のかの夜長星ひかりいづ (芝不器男)  夜中にふと窓を見たら、暗闇に星が1つだけ光っ ており、美しいと思った.

  かの窓のかの夜長星ひかりいづ (芝不器男)  あの窓から見える夜は、長く星は、ひかっている というような感じの詞だと思います。  この詞は、夜の静けさやを表現している詞で夜に なったら窓から見える夜空や星をながめているのも いいという作者の思いが伝わってくる

「かの窓のかの夜長星ひかりいづ」(芝不器男)  著者は、寝ようとするのだが、窓から差しこむ星 の光で寝れずにいる。しかし、星がとてもきれいな のでカーテンを閉めてこの光景を見えなくするには おしいと思っている。

  かの窓のかの夜長星ひかりいづ (芝不器男)  この詩で星というのは、あこがれの人、もしくわ 好きな人でないかと思う。あの窓から見た、あの長 い夜でも、輝いていたあの人はどこへ行ってしまっ たのだろうという恋の歌ではないかと思う。  そして、あの窓ってのはどこかはわからないが、 その窓を毎日通っていたあの人がある日(夜長の季 節)を境にこなくなったというシチュエーションだ と私は思います。

 芝不器男の夜長星ひかりいづがロマンチックと思っ た。

  かの窓のかの夜長星ひかりいづ (芝不器男)  いまいち、この和歌が分からないが「芝不器男」 の名前にひかれた。不器男って悪いイメージな気が する。       (編者)和歌ではなく、俳句です。

  かの窓のかの夜長星ひかりいづ (芝不器男)  季語や排句に使われている言葉がむずかしいので、 しっかりべんきょうしたいと思います.そして、排 句にある深い意味を感じたいと思います.       (編者)「俳句」です。

  長き夜や座礁の船の灯は航(ゆ)かず                (五十嵐播水)  浅瀬に乗りあげた船はなかなか時間が過ぎず、夜 が長い様子。浅瀬に乗りあげているので船は動かな い。

  長き夜や座礁の船の灯は航かず(五十嵐播水)  船は絶えず移動しているものであるが、座礁して しまった船は動くことがなく、その船から漏れる光 も動く事はなく、本来、動いているべき光を見てい ると、いつもとは違い長い夜を感じている。   のように思った、。

  長き夜や座礁の船の灯は航かず(五十嵐播水)  座礁した船は動かないので灯が移動することはな く、その船に乗っていると、夜が明けるにはかなり 時間がかかると思うだろう.

  夜長 五十嵐播水  夜の中に座礁してしまった船のむざんさがつたわっ てくる

  長き夜や座礁の船の灯は航かず(五十嵐播水)  秋の夜長を、座礁して動けない船の中で過ごす船 員は不安だろうと思う.

「長き夜や座礁の船の灯は航かず」、私は、下関港 へよく釣りに行くが、最近水大の船が港にとまって いる。夜でも明りがついているので、非常に釣りや すい。この詩には、共感する部分がある。

「長き夜や座礁の船の灯は航かずを見て、」 この句では、座礁してしまった船を見て、もう灯が つかない事から、暗い時間が長くなったのと、灯が つかなくて寒いという事をかけて長き夜と言ってる のだと思いました。

感想「五十嵐播水」  夜がながく、太陽の光がなかなかでてこない事と、 座礁した船の灯が進まない事をかけているのかなと 思った。

  秋の昼ぼろんぼろんと艀(はしけ)ども                (神生彩史)  ぼろんぼろんという聞きなれない言葉に目がいっ た。

「秋の昼ぼろんぼろんと艀ども」という句の『ぼろ んぼろん』という表現が独特でおもしろいなと思い ました。

・晩秋の日本海暗夜は碧(へき) (金子兜太)  冷たく感じる日本海から吹く風に、世の中が冬に  向かっている。  厳しい時期を乗りこえると、暖かい夏がやってく る。

  晩秋の日本海暗夜は碧 (金子兜太)  秋の日本海の波が荒れ狂って波が壁のようになっ ている。

  晩秋の日本海暗夜は碧 (金子兜太)  日本海のきれいに染まっている状況が思い浮かぶ。 海の近くに住んでいるのでより、リアルにだ。

『大鯉のぎいと廻りぬ秋の昼』(岡井省二)  秋の寒い朝、朝日を求めて浅場へとやって来た大 鯉が、まだ夏の面影が残る昼に暑さで深場へと戻っ て行くという様子から秋の特徴を表わしている。                (顔面不定形)

  大鯉のぎいと廻りぬ秋の昼 (岡井省二)  大きな鯉が赤い落葉の浮いた池の中を泳ぎまわる 様子がイメージできた。ぎいという擬音がおもしろ い。

「大鯉のぎいと廻りぬ秋の昼」(岡井省二) 「ぎい」という重そうな擬音から、秋になって水が 冷たくなってきて寒そうに泳ぐ鯉の姿が浮かんでき ました。  そこで一句!!   気合い入れ、布団けりあげる秋の朝 →夏から秋になってだんだん寒くなるのを、朝,布 団から抜け出せなくなる状況で表現しました。

・五十嵐播水の作品の感想  海岸を散歩しているときに詠まれたものだと思い  ます。暗い中,座礁した船を見たとき、感じるもの  があったのでしょう。 ・中田剛の作品の感想  清流を沢ガニが埋めつくす様を容易に想像できます。  一句詠みたくなるほど沢山いたのでしょうか。

・晩秋  あたたかく美しい表現だと思った。

・夜長  感想  夜のさびしさがよく伝わる句や、夜の美しさが感  じられる句など、夜長らしい表現だと思いました。

 よくわからないものもあるけれども、いくつかは 秋の風景が思い浮ぶもので、自分でも見たことのあ るものや想像できるものがあった。

 秋の夕方は雲が紅くもうすぐ冬がくるのかと実感 させられる。

 大鯉のぎいと廻りぬ、や、秋の昼のぼろんぼろん など、特徴のある表現がおもしろいと思ったが、秋 の昼のぼろんぼろんは、自分では何の意味なのか全 くわからなかった。

秋の昼 大鯉の〜の、大鯉が、池で泳いでいる時の、廻った 様子を、『ぎい』と表現しているのがおもしろいと 思った。 秋の水 沢蟹が大きいのも小さいのも川底に沈んでいること に秋を感じるということだろうか?

 とても風情があってよい俳句だと思った。

感想  排句が深かった。       (編者)「俳句」です。

 季語は奥が深くておもしろい。

 季節感があって良いですね。

 今の日本語とは少しちがった感じの俳句なので、 意味はよくわからないけど、なんとなく深い感じが した。  季語とかを考えないといけないから俳句をつくる のは難しそうだと思った。

 それぞれの俳句が何を言ってるのかさっぱりわか らない。  それでも、これから文学を学んでいくなかで、少 しでも理解できるように努力したい.

10/5 季語、季題について学んだ。俳句を作ったり     することは、今の世の中ではあまりない機会    なので、次からの授業も楽しみである。また、     文学についても水に関連するところを注目し     ていくというは、とても水大らしいと思った。

 

 金魚を飼うことにした。水槽の置きばがなく、テ レビの隣に置くことになった。まだ水槽をのぞいた りすると底の方へ逃げてしまう。エサをやっても見 ていない間に食べてしまった。それでもたまに近よっ てきてくれることがある。そんな時はすごくうれし い。

『「古道人の行くこと少(まれ)に」というフレー ズがとてもせつない気持ちになった。』       (編者)漢詩を紹介した甲斐がありました。

 絶句がとてもきれいでした。

  さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人) ・さんまよりカツレツの方が栄養分が多いはずであ  るからカツレツ食っている方が大きく育つと自分  も思った。

さんまよりカツレツが好き子は育つ、僕も同感であ る

  さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人) (感想)  とてもユニークな句だと思う。自分はカツレツが 好きなので良かった。

「さんまよりカツレツ」子供はお魚よりもお肉の方 を好んで食べると僕も思うので、おもしろい詩だと 思います。

  さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人)  カツレツを食べる子は、お肉は血などをつくった りするので、体をつくり、子は育つという意味。

  さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人) (理由)  私もさんまよりカツが好きだったからその気持ち は理解できる。実際に現在の子供は戦前より体が二 回りも大きくなっているのでカツレツに関係ないか もしれないがおいしいものを食べると大きくなるの かもしれない。

・さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人)  子供のときはさんまの腹が苦くてとてもではない が食べられなかった。

  さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人)  肉食の方がライオンのように強くたくましく育つ と思った。

  さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人)  この句を見て素直であることが大切であることを 感じました。自分は今はカツレツの方が好きなので、 これからもまだまだ育っていけたらいいなと思いま した。

秋刀魚     (尾村馬人)    自分もカツレツの方が好きですが育ちません、    何故だろうと思いました。

  さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人)  一番現代的な感じがしたから! さんまよりカツ レツが好きだけど、いまいち育ってる気がしない… けど。

 私はカツレツが好きなので正しく育ちました。

  さんまよりカツレツ…  僕はカツレツよりもステーキがいいです。

「さんまよりカツレツが好き子は育つ」 という俳句がおもしろかったです。何を食べても子 どもはいずれ大人になるのだと思いました。つまり、 ただ単に大きくなるには食べ物は関係ないのだと感 じました。私は、さんまの方が好きです。

  さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人)  さんまの方が栄養があるので、カツレツよりも好 きです。

  さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人)  僕はカツレツとさんま、どちらもすきですがカツ レツよりサンマのほうがヘルシーなので成人病の気 になるこれからはサンマが食べたいです。これから は横にしか育ちません。

  さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人) →さんまはヘルシーでカツレツはカロリーが高いか ら、脂脂がどんどん増えるということ。       (編者)「脂脂」は「脂肪」?

 私はカツレツよりさんまの方が好きなので良く育 たないかもしれません。

 俳句にカツレツという単語を使っているのは変わっ ていると思った。まだ意味などは分からないけど風 情があると思った。自分はカツレツよりもさんまが 好きだ。

  さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人)  昨日さんま食べましたけど、めっちゃうまかった です。  カツレツの方が好きなら良く育つと言うのは間違 いだと思いますが。

「さんまよりカツレツが好き子は育つ」(尾村馬人)  現代な感じの俳句で、読みやすかった。なんでも ないような内容だけど、やっぱり深い意味があるの だろうなと思った。

  さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人)  秋といえばさんまといったものを思い浮かぶが、 今年の洋食の多様化により、カツレツといったもの が、子供に好まれていることが、時化の変化を感じ させる句である。また、和のさんまと洋のカツレツ といった対象的なものをつかうことで、読み上げる とひびきが良く感じられる。       (編者)「時化」は「時間」?「対照的」か「対称的」        です。

  さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人)  この句では、さんまの良さとかよりもカツレツと いう全く別の食べ物を出すことにより、読んでいる 人に想像させることができると思う。

秋刀魚…さんまよりカツレツが好き子は育つ  今の子ども達は魚を食べない子が多いけれど、ちゃ  んと育つという風刺が面白いと思いました。

  さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人)  作者がどのような気持ちでこの俳句をつくったの か気になったが、たぶん作者がサンマよりもカツレ ツが好きなだけだと思った。

 さんまよりカツレツが好き子は育つのはなぜなの かなあと思いましたが何となく分かるような気もす ると思いました。

 秋刀魚の さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人) という詩で 何気ない言葉のような気がしたが、食文化の変化の 意味合いがふくまれているような気がした。

  さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人)  さんまといえば秋の魚ではあるが、むかしから存 在するものである。対してカツレツは現代の食べ物 であり、むかしより、何もかもがたりている今の人 々の方が色々と育っているのではないのだろうか。

  さんまよりカツレツが好き子は育つ(尾村馬人)  現在の日本は草食系男子が多いが昔のような肉食 系男子をわかりやすく表現している。

 僕は、尾村馬人の排句がとても好きだ。なんだか とても、ユーモアなんだと思いました.       (編者)「俳句」です。

  コスモスの天まで届き乱れけり (佐藤文子)  大きく広がる秋桜畑が思い浮かんだ。  地平線が秋桜によって描かれその背後に雲がまば らに散る空といった風景が風に揺らぎながら天に触 れる様に見える。

「コスモスの天まで届き乱れけり」(佐藤文子)  桃色や白色のコスモスが一面に広がっていて、風 に揺れて花びらが舞っている様子

  コスモスの天まで届き乱れけり (佐藤文子)  コスモスが咲き乱れている風景を想像すると、と てもきれいで秋だと感じる事ができました。

  コスモスの天まで届き乱れけり (佐藤文子)  秋のコスモスが満開の日で秋風が強く舞っている と思う。

コスモス…コスモスが天にまで届きそうなくらいき      れいに乱れ咲いている風景が、しっかり      伝わってきた。

  コスモスの天まで届き乱れけり (佐藤文子)  コスモスが空高く咲き乱れている風景が目に浮か んでとてもきれにそうだと思った。  作者が実際にこの様子を見て感どうして作ったは いくなのだと思った。       (編者)「きれに」は「きれい」?

  コスモス  コスモスの美しく力強い姿が、想像できました。

 コスモスの句は、一番好きだと思いました。コス モスがどんどん大きく成長する様子が目に浮かんで くるようでした。

  コスモスの天まで届き乱れけり (佐藤文子) ・コスモスが全面に咲いて、それらが一気にまいあ がり空でひらひら舞う情景がうかぶ。

  コスモスの天まで届き乱れけり (佐藤文子)  コスモスのすばらしさが伝わってくる。コスモス の花びらが空まで飛んでいく様子がわかる。

  コスモスの天まで届き乱れけり (佐藤文子)  秋の高い空にたくさんのコスモスが咲いているの が見えてくる.花より下から空を見上げるとコスモ スと空だけが見えて、とても美しいと思う。

  コスモスの天まで届き乱れけり (佐藤文子)  秋の晴天の空の水色とコスモスのピンクのコント ラストがキレイだと思います。どちらかというと 「コスモス」より「秋桜」と書いたほうが私の好み です。    (とある水大の烏賊釣り師)

 森の生活を私もしてみたいと思った.  情景描写が美しい。  コスモスの歌が好きです。       (編者)ソローの『森の生活』、気に入ったようで何よ        りです。

  静かなるわれにとんぼもとまり澄み(星野立子)  静寂な空間の中でとんぼがぽつんと居て、私にと まるという行動はどこかさみしい感じが伝わってき ました。

  静かなるわれにとんぼもとまり澄み(星野立子)  静かに心が澄んでいる人にとんぼがとまり、その とんぼも心が澄んでいっている様子。  この人の心の静けさがよく表れていてよい。

  静かなるわれにとんぼもとまり澄み(星野立子)  作者自身も周囲の風景の中に溶け込むほどの静寂 の中で、とんぼも人を人と気づいていない澄みきっ た秋の静けさが目にうかぶ。

  静かなるわれにとんぼもとまり澄み(星野立子) 感想  体の一部に蜻蛉が止まり、秋を感じる風景を考え させる句だと思う.

  静かなるわれにとんぼもとまり澄み(星野立子)  小学生の時、友だちと溜め池で遊んでいたのを思 い出した。

『蜻蛉(とんぼ)』について  とんぼの形、羽の美しさに魅入られ追いかけ回し た少年時代。止まっているとんぼに私が近づいたこ とは何度もあったが、とんぼから私に近づくことは なかった。  作品では静かにしていたらとんぼがとまった様を 描いているが、どれほど静かならそのような事が起 こるのであろうか、

  静かなるわれにとんぼもとまり澄み(星野立子) (感想)「われ」が何を示しているのか気になる作 品だった。

  静かなるわれにとんぼもとまり澄み(星野立子)  自分が穏やかになれば、とんぼが自身にとまり、 心が澄んだように思えるという意味を感じた。しかし、 今、とんぼは昔に比べてあまりなく実感する事はで きないだろうが、その風情がとても気に入った。

  舞茸をきしきしきしと噛みにけり(増沢和子)  とうとう食の秋が来た。この時期は舞茸がおいし いシーズンである。作者はそんな舞茸の味をきしき しきしと音が出るくらいかみしめていると思われる。 舞茸はかめばかむほど味がでてくるので、作者はそ れがわかっていて、舞茸が好きなんだろう。また、 きしきしきしと音がでるくらい固そうなので、作者 は生で食べているのかなと思った。もしそうなら、 作者は食いしん坊だなと思う。この俳句は食の秋を 想い出させてくれたから、私はこの俳句の感想を書 いた。

 舞茸をかむきしきしきしという音が面白かった。

 舞茸の歯ざわりが,ちょっと不快にも聞こえる 微妙な音で表現されているのが面白かった。安くな いので最近避け気味だったけどたまには食べてみよ うかな?という気になった。

  舞茸をきしきしきしと噛みにけり(増沢和子)  著者は、松茸を食べたいのだが、舞茸でがまんし ている。食感は、なんとかごまかせたもののあの松 茸のにおいはしないというむなしさがある。

  舞茸をきしきしきしと噛みにけり(増沢和子)  この俳句から作者は何を伝えたかったか理解でき ない.舞茸の食感から秋を感じているのか.

  店々(たなだな)に海霧(ガス)より      揚(あ)げし青さんま (大野林火)  お店には、海上で霧があったなかで水揚げされた 青さんまが、陳列されている.

  店々に海霧より揚げし青さんま (大野林火) 『海霧』と『青さんま』でブルーが強調されてて Good!

 秋刀魚12日の詩 ・早朝に市場に揚がった秋刀魚がその輝く姿を店 さきで見せている様子が浮かんでくる。

 朝で、海水と空気の温度差により白く覆われた 海から青色にかがやくサンマが水揚あげされる様 が思い浮かびます。

  舞茸をかかへて転げ落ちたると (矢島渚男)  転げ落ち、危険な状態にあるにも関わらず舞茸 をもっている滑稽でバカバカしい様がおもしろい し、親しみやすい俳句である.  また、逆に言うと、転げ落ちるまで舞茸を持っ ていると言う、舞茸の大切さを感じる。       (編者)「関わらず」は平仮名のほうがいいです。ある        いは「拘らず」か。

「舞茸をかかへて転げ落ちたると」という詩は、山 に舞茸をとりに行き、両手にかかえて、早くたべた いと走り戻ろうとしたら、転んでしまったように感 じ取れました。秋を感じますね。

  舞茸をかかへて転げ落ちたると (矢島渚男)  舞茸をかかえられるほどしゅうかくできてうら やましい。少し分けてもらいたい.この人は舞茸 がたくさん採れて嬉しすぎて転げたのかと思った。

  舞茸をかかへて転げ落ちたると (矢島渚男)  必死に舞茸を拾い集めて夢中になりすぎて、周り の状況が全く見えないことが読みとれました  広い視野を持つことが大事があるという教訓だと 思います。       (編者)「大事である」?

  吾亦紅(われもこう)      高原に来て心澄み   (若木一朗)  吾亦紅が秋の静かな高原で風に吹かれて揺れ、高 原には草花が揺れる音しか聞こえない情景が浮かん だ。

  吾亦紅高原に来て心澄み (若木一朗)  一面吾亦紅の高原であまりの美しさに心が澄んで いった気持がわかる。

  吾亦紅高原に来て心澄み (若木一朗)  360°の野原を想像でき心が澄みきっている様子が わかる。

  吾亦紅高原に来て心澄み (若木一朗)  高原でのパノラマをイメージして、心が澄みわた る様子を言葉にしている.

  とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな(中村汀女)  ふと立ち止まってみると、いつのまにか蜻蛉がた くさんいることに気がついた。季節はいつのまにか 移り変わっている事を感じる

  とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな(中村汀女)  秋になるとたくさん飛んでいる蜻蛉との自然なや りとりがとてもよかったです。

  とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな(中村汀女)  秋の夕方の静かな時に、とんぼがあたり一面にふ わふわと飛んでいる様子が思い浮かぶ

  吾亦紅湖舟(こしゅう)は夜雨を      湛(たた)へけり    (新井悠二)  秋の夜の静かな湖で、初め背景の一部であった舟 が雨による水嵩が増すことで視界の中心に入ってき て主役になっていく力強さが伝わってきた。               (顔面不定形)

 面白い感じの俳句が多くて、こんなのも有りなの かと思った。

 難しくてあまり分からなかった

 

 朝夕と冷え込むようになった。すごしやすいのは 良いけれど寒暖差によってカゼを引きそうで恐い。  毎年この頃はブタクサかススキの花粉によって花 粉症になる。今年はいつもより軽いのでうれしい。 吉見駅は北側は、ブタクサが沢山はえていて、近よ るだけでくしゃみが出そうだったが、まだあまり花 粉が飛んでいないためか、鼻がかゆくなったりはし なかった。

 紅葉のはじまりは秋だけでなく、同時に少し心が 寂しくなります。

 水と海のことわざや慣用句は意外とたくさんある のだなあと思った。       (編者)今日から隔週で「水と海の故事ことわざ慣用        句」を3つずつやります。

 水のことわざで、こんな意味だったことに、とて も納得できるような物なので、いい勉強になりまし た。  ヒトラーが野生の動物を保護する法を作ったこと に、とても驚いた。

 たばこの怖さが身に染みました。でも歴史は深い なと思いました。       (編者)これからも『アフリカ人ルカンガ・ムカラのド        イツ奥地への調査旅行』(長い!)の文明批評を紹介し        ます。

 煙草のことについてくわしく知ることができまし た。日本で以外に歴史が深かったのでおどろきまし た。       (編者)「意外」です。

 タバコの話で、僕は非喫煙者なので良く理解でき ませんでした。

 タバコは畑からつくれるんだと思った

 タバコの話を聞いて、ためになる話だったと思い ます。

  茸番がハーレーダビットソンで来し(草間時彦)  俳句にハーレーダビットソンという言葉が入って いて初めて見るかんじの作品だった。

   茸  この俳句には「ハーレーダビットソン」というカ タカナを使った.おもしろいので、古くさいイメー ジを感じさせないものでした。 P.S. ハーレーダビットソンって何か知らないんです   けど。

  茸番がハーレーダビットソンで来し(草間時彦)  ハーレーダビットソンは日本でも有名な、アメリ カンバイクの会社であり、かなり高価である。私も 生きている内に一度は手に入れたいものだ。

  茸番がハーレーダビットソンで来し(草間時彦)  バイクが好きで、ハーレーダビットソンと言葉が 入っていたのでこれを気に入りました。

  茸番がハーレーダビットソンで来し(草間時彦)  言い回しが古いのにハーレーダビットソンがでて くるのがあまりあってないと思う。

  茸番がハーレーダビットソンで来し(草間時彦) ・ハーレーダビットソンという現代の言葉が入って いるのと、茸番という聞いた事のない職業の人が、 そんな高級なバイクに乗っているというのが面白かっ たです。

  茸番がハーレーダビットソンで来し(草間時彦)  茸番なような、地味なイメージとハーレーダビッ トソンのような派手で華やかなものとの対比がおも しろい。よく考えてみたら茸番はお金持ちなのかな と思う。

 茸番の給料は安そうに思われがちだが、意外に高 額でおどろいている様子だと思います。

 茸という割と質素な感じがするものがハーレーダ ビットソンという華やかな感じがするものへと変化 するギャップがおもしろいと感じた。

  茸番がハーレーダビットソンで来し(草間時彦)  松茸という高級食材をバイクの中では高級車の部 類に入るハーレーダビットソンで持って来るという のはなかなかおもしろいと思った。

  茸番がハーレーダビットソンで来し(草間時彦)  このハーレーダビットソンはあのバイクのハーレー なのか!?と気になった。  とってもかっこいい登場だけど、茸にとっては大 丈夫なのかと思った。

  茸番がハーレーダビットソンで来し(草間時彦)  私が考えるにはきのこができるのがハーレーダビッ トソンのように早く、それを例えにしている

茸 … 茸を売ってお金持ちになった、ヤンキーの番 長が、さっそうとハーレーダビットソンで、部下た ちの前に表れるような感じがして、面白かった。

  茸番がハーレーダビットソンで来し(草間時彦)  意味は良くわからなかったけど、排句の響きが良 かった。       (編者)「俳句」です。

茸番がハーレーダビットソンで来しのハーレーダビッ トソンの大きさがよくわかる詩だと思った

  松茸の椀のつつつと動きけり (鈴木鷹夫)  おいしそうだと思いました。

  松茸の椀のつつつと動きけり (鈴木鷹夫)  水大にきてから松茸を食べてないから食べたくなっ てきました。

  松茸の椀のつつつと動きけり (鈴木鷹夫)  松茸=秋とイメージが強く、今の季節にピッタリ。

  松茸の椀のつつつと動きけり (鈴木鷹夫) 「つつつ」の所が松茸の椀の動きをよく現わしてい て良いと思った。

「松茸」について  椀の下にある空気が熱で膨張し椀を持ち上げるの でおこるどこでも起こるたあい無い現象だが、その 椀の中身が松茸なら、驚きと印象をもっと強く感じ るかもしれない。

  松茸の椀のつつつと動きけり (鈴木鷹夫)  松茸の椀のつつつと動きけりを見て、僕は、この 句から松茸ごはんを取り合っているように思えまし た。ちょっと目をはなしたすきに、椀をとろうと、 ゆっくり動かしているように思えました。

「松茸の椀のつつつと動きけり」(鈴木鷹夫)  擬音表現のある句が好きです。

松茸の詩 「つつつ」という音がとても心地良いひびきを持っ ていると思いました。

「松茸の椀のつつつと動きけり」(鈴木鷹夫)  松茸が成長してゆく様子が「つつつ」という三文 字でうまく表現されていると思う。その成長の速さ が著しいものでまるで動いているように見えるのだ と感じた。        (顔面不定形)

松茸の〜  松茸が成長して大きく成長していく様を表してい る。  秋らしい部分。

  椋鳥の黄色の足が芝歩く (坊城としあつ)  秋の初まりを示すような詩だと思う.       (編者)「始まり」です。

 椋鳥の〜の椋鳥が芝の上を歩くというのが簡単に 想像できていい詩だと思った。

  椋鳥の黄色の足が芝歩く (坊城としあつ)  とてもかわいらしい!

  椋鳥の黄色の足が芝歩く (坊城としあつ)  調度今の季節芝生の上をトコトコと早足で歩く、 椋鳥が想像できた。芝生の緑に黄色がよく映えて美 しい。       (編者)文頭「丁度」です。

  椋鳥の黄色の足が芝歩く (坊城としあつ)  芝の緑とむくどりの黄色の足というあざやかな色 が思い浮かぶ.

「椋鳥の黄色の足が芝歩く」(坊城としあつ)  エサをとるために芝の上を細い黄色の足が歩く様 子は色がキレイだと思った。

  椋鳥の黄色の足が芝歩く (坊城としあつ)  椋鳥の特徴である黄色の足を見たことで、作者は 「椋鳥の時期が来たんだなー.」と思っているよう だ。芝は緑から黄色に変わっているが、それでも椋 鳥の足は目立つんだなと思った。おそらく「ギシ、 ギシ」と音をたてて歩いているのかな。この俳句を 読んで、動物の何気ない動作で作者は季節感に浸っ ているのに感銘を受けて、感想を書いた。

  椋鳥の黄色の足が芝歩く (坊城としあつ)  椋鳥が芝の上を歩くことで芝の音が少し聞こえて きそうな情景が見えてくる.

  椋鳥の黄色の足が芝歩く (坊城としあつ) 感想  高校生のとき、朝早く学校に行くとき公園に椋鳥 がいたのを思い出した。

「椋鳥」は何かよくわからないけどおもしろいと思っ た。

  椋鳥の黄色の足が芝歩く (坊城としあつ) 感想  椋鳥はかわいらしく鳥の中でも好きな部類です。

  きらめきて萍(うきくさ)紅葉はじまりし              (深見けん二)  秋になり、葉が色づき始めているという、季節感 を感じさせる句であり、地味で素朴であるが、非常 に趣深さを考えさせてくれる文章である。

きらめきて萍紅葉はじまりし (深見けん二)    萍が紅葉するとは知らなかった.    一度見てみたいと思った (野部野彦麻呂)

「きらめきて萍紅葉はじまりし」(深見けん二) 散歩していると、ついつい紅葉している山にばかり  注目してしまうのだが、川の中を見てみると、水   草も紅葉していることに気づき、秋のおとずれ    を、しみじみと感じている。

「きらめきて萍紅葉はじまりし」(深見けん二) うき草は水に浮いていて、それにその葉に色がつき、 水に反射してきらめいているのだと感じます。秋まっ さかりの中の季節にぴったりの詩だと思います。

 水草紅葉を見て、水草も紅葉するのだと思った。  もし山の中の湖のような所にこれが入っていたら、 山も湖も紅葉が初まり美しそうだと思う。       (編者)「始まり」です。

「きらめきて萍紅葉はじまりし」(深見けん二)  海が夕日に照らされて、海に浮いている海草も一 緒に夕日に照らされて、まるで紅葉しているかのよ うに夕日色に染まり、きれいだと思っている様子。

  きらめきて萍紅葉はじまりし (深見けん二)  うきくさからも秋のはじまりが感じられる。

  きらめきて萍紅葉はじまりし (深見けん二)  萍が紅葉のはじまりになる秋だということがよく わかる。

水草紅葉  この下関の吉見も紅葉はきれいそうだと思った.

  沈む日のたまゆら青し落穂狩 (芝不器男) 解釈 沈む太陽が青くなっても地に落ちた穂を採っ ているさま.

  沈む日のたまゆら青し落穂狩 (芝不器男)  日中をほとんど収穫に費し、豊作による喜びと、 来たる冬の寒さを憂いている

  沈む日のたまゆら青し落穂狩 (芝不器男)  日が沈んでいる景色が、たまゆら青し落穂狩とい うので、美しい感じになっている.

(落穂)(芝不器男)  沈む日、青し、落穂狩、さみしいかんじがする な〜。

「沈む日のたまゆら青し落穂狩」(芝不器男)  落穂狩ときいてミレーの落穂拾いの絵を想像しま した。

  沈む日のたまゆら青し落穂狩 (芝不器男)  また出た!!「芝不器男」!!  この人の名前はやっぱり自分の中では注目すべき 名前。  自分も、小さい時、田んぼに落ちていた米をひろっ て、自分の爪でだっこくしたことがあって、その変 な思い出がよみがえった。

  海(うな)ぞこの秋銹(さ)びにけり      沖鱸(すずき)  (高橋睦郎)  晩秋の静かで寂しい夕暮れを、暗く冷たい海底の ようだと表現している.

  海ぞこの秋銹びにけり沖鱸 (高橋睦郎)  群れずに一匹で厳しい自然界を生き抜く鱸のたく ましさと孤独さを感じた.

  海ぞこの秋銹びにけり沖鱸 (高橋睦郎)  秋が深まって、産卵のために沖に出ていくスズキ のことを詠んでいる

海(うな)ぞこの〜 やはり魚を第材にしたのはすばらしい       (編者)「題材」です。

  海の色濃き日の中稲(なかて)刈るばかり              (近藤明人)  海の色が濃い日は晩夏から秋にかけての日のこと であると思い、村が忙しく、せわしない状態である と思う.どこかなつかしさを感じる.

    中稲(なかて)   海の色/濃き日の中/稲刈るばかり  海の色が濃い日は天気がいい日が多く、その時に 稲をずっと刈っている。

  海の色濃き日の中稲刈るばかり (近藤明人)  海の色が濃 → とても晴れている.快晴.そのよう な日は畑仕事をするのみ。            or 夕暮れ時の海の色が朱色のときや、夜の海が黒くな る時まで、仕事をしている。

  海の色濃き日の中稲刈るばかり (近藤明人)  この詩では、海の色とは秋の雲一つないまっ青な 空のことであると思う。なので、これは、雲一つな いまっ青な空の日は、どこを見ても稲を刈りとって いるばかりだと、秋の倒来をしみじみと詩った詩で あるとわたしは考えます。       (編者)「到来」です。

  はまゆふの実を輝かせ漁家ならぶ (森田峠)  浜木綿の実は球体で、種子は大きく、種皮が海綿 質で海水に浮いて広がっていることから魚家が沢山 並ぶことを想像しやすくわかりやすい詩だと思いま した。

  はまゆふの実を輝かせ漁家ならぶ (森田峠)  はまゆうの実がなっているときに、漁家がならん でいるという季節の情景が浮かんできているのかも しれないと思われる句でした.

  はまゆふの実を輝かせ漁家ならぶ (森田峠) ・はまゆうという海岸でしか見られない花をつかっ て漁村の風景がつたわってくると思います。

  光るときひかりは波に花芒(すすき)                (稲畑汀子) ―感想ー  そんな風景が目に浮かんでくるようで、秋だと感 じました。すすきが夕日に照らされ光っている様子 が波のように見えているのだと思い、素敵だと感じ ました。

薄.  満月に薄が照らされるきれいな景色が頭に浮かび ました.

  海鳴りのはるけき芒折にけり (木下夕爾)  波の音が聞こえる丘ですすきが揺れている情景が 浮かんだ.

 素晴しい句ばっかりだった。すすきが秋をかんじ させた。