水大歳時記(平成二十一年度)春 の 部
春、陽春、芳春
雪やぶり萌芽のみどりは春の目ざめ
春来れば新たな出会いが待っている
春が来て新生活の季節だな
春先に海の底からお引っ越し
二月
頑張ろう2月終われば春休み
立春、春立つ
昨日の強風のようなものにかけて書いてみました。 嵐来て荒る白波春到来
立春を感じる季節になりました
初春、春初(はるはじめ)
初春の朝の温(ぬる)さに頬ゆるむ
春浅し
春浅し、ぬくぬくふとんまだ恋しい。
春寒(はるさむ)
異郷の地故郷と違うこの寒さ
春暁(しゆんげう)、春の朝
春の朝何時間ねてもたりないよ
春の朝ちんたら起きて寝坊する
春の暮、春の夕
君がいる大切さ気付く春の夕暮れ
暖か、春暖(しゆんだん)
あたたかくなってきた日々気もちいい
近頃の暖かい風快い
あたたかいああ何ていいぬくもりだ
山岳の化粧落ちるあたたかさ
行く春
春が過ぎ恋に恋して恋気分♪ (編者)「恋に恋して」の後のハートマーク略。
春過ぎて僕のこころもほのぼの気分
夏近し、夏隣(どなり)
春終わり夏に近づき青葉映え
春過ぎて間もなく聞こえる夏の音
夏が来る梅雨とテストがやって来る
夏前に早く行きたいツーリング
春の日
早朝の春の陽射しが目にしみる
おだやかな日ざしでうとうと春の午後
いい天気春の陽を浴び僕元気
おじいちゃん春の日ざしでぽっくりと (編者)たしか去年も似たような句があった気がします が…。
朧月(おぼろづき)
春の夜霞んで浮かぶおぼろ月
うっすらと夜空に見えてるおぼろ月
春風
春なのに台風みたいな風が吹く
春風が僕のこころを冷ましてく
春風が吹きみだれるは七曲がり
春の風思い出すのは友の顔
東風(こち)
東風吹いてふるさと思いふける夜
春疾風(はるはやて)
道の花春の嵐も耐えしのぐ
春雷
春雷つらきをたえて咲く花や なんときれいな大輪だろう
陽炎(かげろふ)
かげろうを見ながら待ちつつ赤信号
春の海
不思議です春雨なのに海荒れる
春休み
春休みあけてもいまだに夜ふかしする
桜餅(もち)
さくらもち中はこしあん外はもち
花見
桜咲く花見が楽しい季節だよ
黄金週間
テルヨシのGWは引っ越しです。
蝌蚪(かと)、お玉杓子
雨ごとくオタマジャクシが降ってくる
鶯(うぐいす)
勉学にはげもうとする、うぐいすと共に
鯛(たい)
和ごぜんのたいをつつく也(や)べべのすそ
鱒(ます)
鱒遡る川に落ちる色葉滝
寄居虫(やどかり)
サザエだと思って獲ったらやどかりか
桜
桜舞い新たな緑の出会いあり
春が来て雪おもわせる桜舞う
桜の木木の根っこにはだんご虫
1春桜別れと共に咲き誇る 2春桜出会いと共に枯れ落ちる
窓の外見える桜は我人生
君を見て思ひ出すのは桜の花
恋桜 春にくる恋の桜がこのまちに
恋桜****の恋桜には爆笑
落葉の季節が終わり桜咲く
花
花の慶次キセル予告で激アツだ
落花
春風に散りゆく桜日本海
桜散り君の涙と別れゆく
桜散り心の中の恋散った
杉の花、花粉症
花粉症鼻水タラタラ目くそタラタラ
菜の花
見渡せば黄色一面菜の花よ
蒲公英(たんぽぽ)
蒲公英の種よ飛んでけどこまでも
土筆(つくし)
ウグイスの歌でつくしが目を覚ます
蕗の薹(ふきのたう)
冬超して日を浴び芽を出すふきのとう
若布、和布(わかめ)
サニー(スーパー)にてワカメひとつ二百円 十分歩けば手に入るのに
授業
授業中指示語が多いあれだねー
電子辞書役に立たない時がある。
席につき整理整頓勉強できず
エイハブとつりに行きたい白鯨
隣人寝ることなく私寝る 困ったものだ。
あ〜あ僕は今もうそう中
15回海洋文学ありがとう (編者)うれしい!!そう言ってもらえて!
学生生活
ペンよりも竿に目が行く受験生 去年釣り雑誌に載った自作です。
パチンコに負けても今度はスロットで
今日の日にありがとうと言える心の余裕
明日は晴れたらいいな。ぼくの心も。
潮風に勝ってみようと思います。
風強し台風きたかと思うほど
かさ壊われ雨にさされる帰り道
この土地で雨が降ったらすごくひま
学生はジャビーで勉強強いられて 学、遊、趣味全てままならぬなり
夢々と思いしことは多かれど 自ら起こす行動はなし
最近は、なにもないけど、金はへる
モロヘイヤ育つところはもろ平野
人生の岐路にたたされ悩んでる 踏みはずしこけてはずかし ゆでだこだ
文学の教師中島さんへ 気に入ったやつ丸してね 『春終幻』 あの頃の僕の青春幻か 『悲詩』 嗚呼吉見何もないトコ恐いトコ 『無敵』 今日の僕昨日の僕よりきっと強い。 『会機折』 始まりはとても残念女の子 『万華鏡』 女の子何でこんなにせつないの? (編者)気に入ったのは『春終幻』と『万華鏡』で す。
暴風で汽車が止まった帰れない (編者)「ガタンゴトン」と走る列車のイラスト略。 吉見ではよくあることです。
「水大生でも…」 水大生は海が好き でも本当は女好き。 「引っ越し」 キリン好き でもゾウさんがもっと好き。
さとがえり まいにちだらり ねてすごす
風が吹きギシギシ声あげ窓うなる (一風)
風は山から吹きおこる山坊主 タケシがねタクシー呼ぼうと電話する
海岸に打ちいでて見れば白浜の 先に広がる海光りけり
裏海で密猟すると捕ります (編者)「捕ります」は「捕まります」?
船上は波しかこないし出合いもない (編者)乗船実習お疲れ様でした!
ひるご飯早く食べたいトンカツを
風呂のお湯溜めるか溜めぬか迷う日々
子供好き早く子供を作りたい
毎日の生きてるここちたまらない 丸まるな体になった1ヶ月
夢追って、明日に見ゆるは夢物語
水大に来た意味今でもわからない
ようこそ日本へ 君が今ここにいること
早朝のラッパが愉快な自衛隊
いい天気僕の心は晴れもよう
テスト前冷たい朝日が身にしみる
テスト前時間があると思ったら 遊ぶ余裕はまったく無かった (編者)当然です。
試験前の追いこみで今 ふかねむりしそうです。
ゴールへのどんよくさだけ最強
ダイエット言うてやせるは財布だけ
恋心オレのハートに火をつける
ボルケーノ赤の魂大地割る
パチスロで本日のもうけとんでいく
あいうえおはじめにしったおかあさん
今はただ太陽光を探す犬
元気だす今は不調で明日は好調
詩
モノなら…
モノなら… 飽きたら捨てられるだけ モノに執着しすぎると見えなくなるものがある。 人には目より確かなものがある。喪失の痛み
失うことの恐怖 忘れることの恐怖 その全ての恐怖が この心を強張らせる
かたちあるものは かたちなきものへ 昔から決まっていたこと 誰も逆らえない
あなたの声が聞こえなくなって あなたの顔が見えなくなって 少しずつあなたが消えていく 記憶の欠片
失うことの痛み 忘れることの痛み その全ての痛みが この涙腺を刺激する
かたちあるものは かたちなきものへ 日常へと溶けていく 悲しみの涙
あなたの声が聞こえなくなって あなたの顔が見えなくなって 少しずつ涙が涸れていく 季節とともに
写真を撮るのが好きで 笑いながら見せてくれたね その笑顔は忘れたくない もう二度となくしたくない
かたちあるものは かたちなきものへ 生と死は回り回って 無の世界へ還る
あなたは今何処にいますか? 心の中で生きてますか? 私はいつでも元気です だからどうか安心して 「おやすみなさい」 (優歩)"STAR LEGEND
So what wish will YOU make up on the stars? And I'll find you no matter how dark the night Cause you like a star and shine thru the sky You know, so star legend” (編者)引用ならば出典を教えて下さい。
物語
(少女)
完全に、道に迷った。 俺は今、山の中にいる。外は真っ暗、右も左も分 からない。 友達とふざけて山の中に入りこんだ。その結果が これだ。 朝になれば、何とかなるだろう。というか、今は どうにもならない。何せ携帯電話も圏外だし… その時、ふっと灯りが見えた。 助かった。人だ。 かけよると、それは提灯を持った、古風な格好の 少女だった。おかっぱの黒い髪が、光でつやつやと 輝いている。 「何じゃ、お主。わしの山で何をしておる?」 いぶかしげな顔をしたが、少女はすぐに笑顔にな る。 「丁度いい、わしの遊び相手になるのじゃ!」 そういうと、少女はたっと走り出す。 「あっ、おい、待ってくれ!!」 「つかまえてみるがよいぞ!」 少女を追って、俺も走り出す。 どの位走っただろう。 気がつくと眠っていた。 そして、目を覚ました時には山のふもとの神社に いた。 石で造られた階段を下りていくと、左右に四角い 石が置いてあった。左の石の上には狐の石像、右の 石の上にはあの少女。 少女はにっと笑って、こん、と鳴く。 まばたきをすると、右の石の上にも、狐の石像。 あれは夢だったのだろうか。 (編者)題名は編者が仮につけました。(旅人)
ある日旅人が言いました。 「この先の海を渡ると、僕には何がえられるだろ う?」 旅人は、今までずっと山を越え海を渡りと一人で 旅してきました。一人は、旅人にとって淋しさも感 じることがない安らぎの時間となってきました。 旅していることは、旅人にとってただの暇つぶし でした。 しかし、最近の旅人は違っていました。旅をする ことに疑問を抱き始めました。 「僕は、旅をして何がしたいのだろう。この旅は、 僕に何を与えてくれるだろう?」 歩いていた旅人は立ち止まり悩んでしまった。 このような思いは、旅人にとって初めてだ。 今までこんな思いをした事がない旅人には、どう 対処すればよいのか分からなかった。 ・・・・・。 すると旅人の前に暖かい風が吹いた。 「心配ないよ。あなたの旅はまだ終わっていないか ら。旅をしている過去も今も全てが大切なんだよ。 得られるものは目に見えないかもしれない! 海を 見ると安らぐ思い。自然に触れるとあなたは優しく なれるから。だから、大丈夫。旅をすることに意味 があるから。」 風は、そう伝えるとまたどこかに吹いていった。 風の言葉に旅人は救われた。そして、また一歩ずつ 歩き始め、今日も旅をしている! (終) (編者)題名は編者が仮につけました。続き(彼ら)
世界が暗転した。緊張が頂点にたっしたのか、は たまた何か別の力がはたらいたのか、何の前触れも なく身体と意識がはなされた。私は暗い闇の中にい た。足が地につかず、どこかに浮いている感覚だ。 すると突然目の前を”自分”が横切った。おどろいた。 そう、私が”自分”が幼いころの姿でいるのだ。自分 を目で追っているとだんだんと周りの景色も暗闇か ら見覚えのある風景へと変わっていった。これは記 憶だ。 いつか…つづく (編者)前編は冬の部にあります。今日で授業は終わりま したが、続編を楽しみにしています。(土蜘蛛) 2-5 続き
あと少しで授業開始なので、ほとんどの生徒が自 分の席についているなか、彼女はあくびをしながら 少しけだるそうに窓側の自分の席へと向かう。席に ついた所で燈陽の前に座っているポニーテールで体 育会系な少女が後ろをふりむいて話しかけてくる。 彼女の名前は朝倉夏実。席が近いということもあっ て仲が良い。 「おっ、ヒナ、こんな時間までサボリとは不良になっ たねー」 「うるせーナツ、とゆーかサボりでも不良でもない し」 燈陽は少しめんどうくさそうに夏実の言葉に反論 しながらバッグの中から教科書を漁る。 「冗談、冗談、めずらしーねーヒナが遅刻なんて、 それよりアンタ今日が朝のミサの日だって忘れてた でしょ!? ヤバイよー、シスター鬼塚が血まなこ になってヒナのこと探してたし」 「げぇ!!! 今日、朝のミサの日だっけ!? し かもシスター鬼塚!? ヤバイ、マジで殺される…」 「罰は何かなあ? まあ、念のため職員室前を通ら ない方がいいよ、あっ、先生来たっ! じゃあ、ま た後でね」 教室に先生が入って来たと同時に前を向く夏実、 そしてため息をつきながら机につっぷす燈陽。一向 に治らない頭痛がまた一段と強くなった気がした。 ―放課後― 運よくまだシスター鬼塚と遭遇していない燈陽は、 さっさと寮に帰ろうと下駄箱にむかって廊下を歩い ていた。 「あ、しまった。今日、本の返却日だ、戻んなきゃ」 そう言って彼女が踵を返そうとした次の瞬間 「春ノ宮さん!!!!」背後からものすごい怒気を 含んだ声が聞こえた。 −続く− (編者)前編は冬の部にあります。今日で授業は終わりま したが、続編を楽しみにしています。
エッセイ
おじいちゃんがなくなって一週間くらいたった。 お葬式も済んで、休んでいた学校にも行けるように なった。授業でやったプリントなど見せてもらいつ つ、昼休みをすごし、午後の授業を受けて帰宅。 家の前にはほとんど車の通らない道がある。車が 何台か止まっているだけで、車が通る気配もない。 いつものように、横断歩道ではない所を渡ろうとす る。 突然、誰かに呼ばれた気がした。立ち止まってふ り返ると、目の前をすごいスピードでトラックが通 り過ぎた。止まっていた車のせいで、小さい私には 見えなかったのだ。 呼んだのはおじいちゃんだったのかもしれない。 だって、後ろには誰もいなかったから。 *実話。
ゆっくり伸ばされたその白いうでに、知らず涙が 頬を伝わっていた。ぎゅっと抱きしめられて、けれ ど『姉さん』という言葉は白い吐息に混ざって消え ていった。 「行かないで。置いて行かないで」 涙まじりの彼女の声に、ぼんやりと弱さを思う。 手持ちぶさたに宙をさまよっていた己の手をそっと その背に回し、出来る限り気を張って、彼は言った。 「行かないよ。…置いてなんか行かない。」 例えお互いにそれぞれ本当の家族が見つかった今 でも、彼に取っての一番大切な家族は血のつながっ ていない目の前の彼女だった。幼い頃の孤独を共に 分かちあった彼女は、きっといつまでも彼の一番で あり続けるだろう。 「…行かないで」 「行かないよ。傍にいる」 淋しさをいやしてくれた彼女が望む限り、ずっと ずっと傍にいようと、ただそっと誓った。
春光を砕きては波かがやかに (稲畑汀子) (感想) 春の日ざしが波に輝いている様子をよく表してい る。
春光を砕きては波かがやかに (稲畑汀子) この詩の風景を考えてみると、とてもきれいであ たたかな風景だと思った
春光を砕きては波かがやかに (稲畑汀子) (感想) 本当に今の時期のこの場所を表しているかのよう な詩だと思った。
春光 春の光を力強く、繊細にとらえた詩だと感じた。 前半では、砕くという表現を用いて、後半であざや かにという繊細な表現を用いているところにひかれ て十個の中から選んだ。 (編者)正確には「あざやかに」ではなく「かがやか に」です。
春暑し赤き椿に風吹いて (岸本尚毅) 椿の花がきれいに咲きほこり、風にゆれている風 景が浮かんでき、春の訪れをよろこんでいるように 感じられる。
春暑し赤き椿に風吹いて (岸本尚毅) のどかなふうけいが頭にうかんでくるいいはいく だなぁと思う。
春暑し赤き椿に風吹いて (岸本尚毅) 近頃布団では寝苦しくなってきました
春暑し 昨日は暑かった。この俳句通りの天気であったの であろうと思った。
手を拍(う)って小鮒追い込む春の暮 (大串章) その風景が思い出されるすばらしい詩だと思った。
手を拍って小鮒追い込む春の暮 (大串章) 感想 ・この俳句をよむと、幼い頃に自分も魚を追んで 網ですくっていたことを思い出して和やかな気持 ちになる。自分が子供の時はアブラハヤを獲って いて、春のまだ始まりくらいときだったので、水 がとても冷たかった。
春の日や庭に雀の砂あびて (鬼貫) 春の日になると、雪がとけ、雀に取りつく微生物 などが活発に動き出し、生がどんどん生まれている ようなことを感じさせた。
春の日や庭に雀の砂あびて (鬼貫) 日だまりでうつらうつらしながらこんな光景をな がめていたいです。
春の日や庭に雀の砂あびて (鬼貫) 感想 春の日常のなにげない風景びょうしゃがほのぼの としていていいなと思った。
春の日や庭に雀の砂あびて (鬼貫) 春のやわらかな日差しを浴びながら庭の雀を眺め ているようでしみじみとした気持ちになりました。
美しき春日こぼるる手をかざし (中村汀女) 冬から春になり暖かくなってきたということが全 体から感じた。
『春の日』が気に入りました。 雀の砂あそびは、想像しただけで、かわいいです。 「美しき春日こぼるる手をかざし」の所が好きです。 本当に春だなぁ〜と感じました。
春の日 春の日や庭に雀の砂あびて (鬼貫) 春の日や鴎(かもめ)ねぶれる波の上 (能村登四郎) <感想> この前、雀の砂あびを見て温かい気持ちになった のでとてもこの作品に共感しました。
春の日 春の日や庭に雀の砂あびて (鬼貫) 春の日や鴎ねぶれる波の上 (能村登四郎) 美しき春日こぼるる手をかざし (中村汀女) とてもきれいな詩だなと思う
・春のあたたかさが感じられる。雀や鴎の鳥が出て きて「春」を感じられる。
春の日 春の朝っぽいかんじがした。
「春の日」 同じリズムをくりかえしていて、耳に心地良い詩 だと思いました。おだやかで透明感にあふれる文章 で、とてもキレイな詩だと思いました。
ボラの留吉 ボラの特徴を小説風にまとめた作品だった。この 中で「就職に母が工面のボラ料理」という歌が印象 に残っています。出世魚ということをおかしさにし ているのだが、ついにやりとしてしまった。
ボラの留吉 ボラの魚生がおもしろくリアルに書かれていてお もしろかった。いろいろな生き物が出てくるのもお もしろかった。
私は昔ボラを食べたことがあります。場所は和歌 山県の白浜。 その頃、私の家では、毎年の五月のゴールデン ウィークにそこへ行くのが毎年の恒例行事でした。 私はそこで何時間も泳ぎ、ヤスを片手に貝や魚を獲 るのが好きでした。 ある時、ホンダワラの林を泳いでいたら、大きな 魚の影をたくさん見かけました。あっと思った頃に は、全てが目の前から消えていました。が、内の一 匹が、目の前のホンダワラを食べることにうつつを ぬかし、逃げ遅れていました。 バカだなぁとと思いつつ持っていたヤスでブスリッ と一刺し。その魚が60cm程のボラでした。 地元の人のすすめで、「あらい」にして食べてみ たところ少し独特の臭みはあるものの、タンパクで ありつつも、ほのかに脂がのっており、とても美味 しかったです。その頃は、「ボラのへそ」なんて物 を知らなかったので、捨ててしまいましたが、 今度獲れた時には、是非食べてみたいと思います。
ずっと前、熊本でボラ刺をたべました。
先生はチョイワルと思った。 (編者)意味がよく分かりませんがそんな言葉があるの ですね。
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) (感)日本の花の桜を題材にし、満開の桜を見なが らこの俳句を書いているのだなぁと思いました。
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) 桜が満開な風景がうかぶいい歌だなと思った。
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) 桜の花が散る様子をよく現している (編者)「表している」です。
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) この歌は今の時期にぴったりだと思いました。こ の歌の意味はよく分からないけど僕のイメージで桜 の満開も良いが散る桜も良いと言っているような感 じで僕はとてもいい歌だと思いました。しっかり勉 強してこの歌の意味をきちんと理解できるようにな りたいと思いました。
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) 桜が満開になったと思えば、すぐちりはじめるか なしみを歌った歌だと思う。春があっという間に過 ぎていく悲しさを歌っていると思います。
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) 感想、 新しいスタートを感じられる排句だと思います。 とてもいい排句だと思います。新入生や新入社員の 希望あふれる気持ちと初々しい感じがする。 (編者)「俳句」です。
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) とても希望に満ちあふれている句と思った。 句の響きもとってもいいと思いました。
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) こぼるゝの言葉の音が気に入りました。 桜は満開になるとすぐ散ってしまい、見る機会が 無かったので、見られたらなぁと思いました。
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) 感想文 この歌は、厳しい冬でほとんどの花が散ってしまっ た後で、ようやく桜が咲く季節になり、散る花がな く、ようやく花が咲き始める様子だと思い、温かな 気持ちになりました。
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) 春がきて新しい生活が始まって嬉しくも思うけど 高校の時の友人と別れて少し寂しく感じたことを思 いだしました。
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) ・私はこの排句を見て感じたことは、あまり排句に はくわしくはないのですが、せつない感じがしまし た。また、桜の花がじょじょに満っていく感じが私 にとって、心をいやしてくれる場所がまた一つ減っ て、悲しくもなりました。 (編者)「俳句」です。「満って」は「散って」?
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) 桜並み木がずっと遠くまで続いていて、春風が吹 いてきても花びらが落ちることもなく、桃色のきれ いな花がゆらゆら揺れている景色を想像させられる 俳句であると思った。
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) 地元で満開となった桜が毎年、美しく雪のように 散っていっていたのをふと思い出すことになる作品 でした。
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) この俳句は桜の木が満開で、落ちている葉が一つ もないとという句で、これを読むと、もう桜は散っ てしまったけれども、花見をしたくなりました。
花 今の季節にぴったりだ。 今見どころの桜を見ると、なぜか毎年、中学一年の 入学式へ向かう自分の姿が思い出される。
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) この句を読んで ちょうど来年の今頃大分の祖母が亡くなったこと を思い出した。桜が満ちてとてもきれいな時期に、 僕の目からは大雨のように涙がこぼれていた。桜は、 満ちているときとてもきれいであるけれど、散る時 の桜吹雪もなお、趣があると思う。 (編者)「来年」は「去年」?
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) コレを読んで私は水大の入学式のときに見た満開 の桜を覚い出しました。 あの頃は不安と期待でドキドキしていました。今 もそうですが… 皆が桜の満開するのを期待するように、自分も親 や、自分自身の期待にこたえたいです。 (編者)「思い出す」です。
桜満ちてこぼるゝ花もなかりけり(高浜虚子) ついこのまえまで桜の花が満開であったことを思 い出し、新鮮な気持ちになりました。「こぼるゝ花 もなかりけり」のように、気持ちをしっかり持って いこうと思いました。水大生として、水大を積極的 に利用、活用し、しっかりと自分の今やるべきこと をやっていこうと決意しました。
行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女) 春は別れと、出会いの季節です。それの別れをお しむ部分だけを書いているのはよくないことです。 次へのステップを大事にしましょう。
行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女) 春は出会いと別れの季節だと思う。旅立ちの時、 離れたくなくても、船はいっそう遠く沖へと進んで いる。少し切ない思いもするが、これからの未来へ の期待も感じられた!
行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女) 春という季節は入学や入社などで人と人とが出会 ったりする季節でもあって 行く春を惜しむ気持ち のような句だと感じました。はやく別れてしまいた い気持ちと まだ別れたくないというような気持ち が いっしょになっているような句だと思いました。
行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女) (感想)春が遠くに行ってしまうように別れた船も 遠くに行ってしまったのかということがつたわって きて悲しい気持ちになった。
行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女) 私は、この詩から春に別れて船に乗って旅だって 行く人を、沖にでてもまだ気づかう主人公の心の切 なさが感じられていい作品だと思いました。
行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女) 感想 春が来て漁船が港を出ていく様子を想像しました。 また、別れしという語に誰かと別れるようなさびし さを感じました。
[行く春]の感想文 ・今までの居場所を去って、新しい出発点に向かう 為に、知人と別れて、船の中でもその別れをおしみ 続けるような切ない心を感じ取れました。 ・別れた後に、広がる海(沖)の船の中にいる孤独 感を感じとれる。
行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女) 春は別れがあり、友人と別れたあとの沖は、静か なんだろうなぁと思った。
行く春 とても広い海に出て行く風景が想像できてなにか 良いことがおこりそうな感じがする
感想 俳句はあまりわからないけど 行く春と別れし船をかけてるのはすごいと思った。
感想(1番目:行く春) 春が、すぎさって、夏に行くことを、船をつかっ て、別れを表しつつも、次にまたすすもうとするこ の何とも言えないところがよい。
行く春 この俳句は春が終わり、船がどんどん沖の方へ漁 へ行ってる様子を表しており、夏になっていくこと を表しているいい句だと私は思う。
「行く春や別れし船のなほ沖に」を読んだ時に私は 恋人同士がおのおの次のステージにいくために別れ て港から出港した船が見えなくなるまで見おくる風 景が思い浮かぶ。
*感想 行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女) 今まで一緒に過ごしてきた友達と、春からは別々 の学校で生活していくという時の別れの場面を思い 出した。
行く春や別れし船のなほ沖に (中村汀女) この人は「まだ船が沖にいる」と思うぐらい長い こと見送っていたのかと思いました。春はなんとな く時間の進み方が遅いので、もしかしたらそんなに 時間は経っていないかもしれないですが。
僕は「行く春」―中村汀女さんの俳句を読んで、 色いろなことを思い浮かべることができました。高 校を卒業し、桜満開の季節に入学したけれど、時間 が流れるのは早く、春もいつの間にか終わり、やが て夏が来る。だから、時間を大切に使わなければい けないなぁと思いました。
アネモネや旅の夢なる地中海 (沢木欣一) アネモネが好きだ。
俳句の感想 アネモネの意味がわからなかった。
アネモネについて まずアネモネが何なのか気になったので電子辞書で 調べたらキンポウゲ科の秋植球根類とかいていた。 どのような植物なのか図鑑などで調べようと思った。
「アネモネや旅の夢なる地中海」(沢木欣一)を写し間違えて アネモヤや旅の夢なる地中海 「沢木欣一」 アネモネ 出版社? 感想 アネモヤの不思義な感覚によって別の世界に行って しまうゆうた。著者のふわふわとしたふんいきがと ても好きです。地中海とのMIXもGood!! (編者)「不思議」です。一応「ゆうた」と読み取りま した。
アネモネや旅の夢なる地中海 (沢木欣一) アネモネが咲く地中海の景色をイメージすること ができました。作者の地中海を旅したいという気持 ちが、アネモネという花があることでとてもあざや かに表現されていると思いました。
『アネモネ』がはいくなのに、ヨーロッパの地中 海のことを書いているのがおもしろかった。
アネモネの排句について こうした’五ー七ー五’調の排句=日本的なイメージ が強く,アネモネや地中海といった語句に独特の響 きが感じる。 陸上にわずかに咲いている”アネモネ”と海という 広大なスケールの”地中海”という言葉が対比的なイ メージを創り出している。 (編者)「俳句」です。
アネモネや旅の夢なる地中海 (沢木欣一) (アネモネは元々、地中海(ヨーロッパ)付近で生 息していた植物であったのに、人間の欲により他国 にもっていかれてしまった。) この「アネモネ」を読んで、人間は本当に身勝手 だと感じた。植物も心が有るということをわすれて はいけないと思った。
感想:アネモネ(沢木欣一) アネモネの花を見て,行ってみたいと思ってい る地中海に想いをはせる姿が思い浮かび,とて も印象的でした。 また、「白いアネモネ」を見ていたとするなら、 その花言葉である『期待』(確かそうだった気がしま す…。)に地中海を旅することへの期待感を暗示 しているのかなどいろいろな想像(妄想?)し てしまいました。
アネモネや旅の夢なる地中海 (沢木欣一) ・僕は「アネモネ」の花が大好きで,一回読んだだ けでこの歌が気に入りました。 アネモネとはギリシャ語で「風」という意味で旅 の夢や地中海という言葉と組み合わせることでいっ そう想像しやすくなっていると思いました。
アネモネや旅の夢なる地中海 (沢木欣一) 地中海を遠くはなれて咲いたアネモネが、見たこ ともない地中海を、まるでそこに行ったことがある かのように夢に見るところは,アネモネの源点に戻っ た気がします。物事を源点に戻って考えることは大 事だと思います。 (編者)普通は「原点」ですが、これもいい!
春落葉小鳥とともに降りにけり (村山古郷) 秋の落葉とは異なる美を持ったものなんだろうと 思いました。小鳥が軽やかに着地するように,春に 落ちる葉は見事に降ってくるんだろうなと想像しま した。 (編者)俳句の「降り」は「ふり」と僕は読みました が、「おり」とも読めますね!
・春落葉小鳥とともに降りにけり (村山古郷) 春になり木からは落葉がひらひらと落ちていくの と同時に小鳥がその落葉と一緒に木の枝から地面に 降りている様子が思い浮かぶ。 ・ボラの留吉 (有薗眞琴) ボラの話なのだが、人間と同じように、出世した り受験勉強中などリアルな話しになっている。
春落葉 小鳥が降りてきた感じが春落葉も同時に落ちて きた感じが映画のせつなくもあり、始まりでもある ようなワンシーンが頭の中で映ってきて とてもよ かった。
春落葉小鳥とともに降りにけり (村山古郷) 私は、シイやクヌギのような春に散っている葉と、 小鳥が飛んでいくさまに、悲しいような、旅立ちに 心を踊らせているような不思議な気持ちになりまし た。
春落葉(村山古郷) あらゆる生命が輝きだす春という季節に落葉に目 を向けていたのが印象的だった。春という言葉のイ メージとは逆に、作品からさみしいイメージを受け た。
春落葉小鳥とともに降りにけり (村山古郷) 春は桜が満開に咲いている中で、まだみどりの葉っ ぱが、木の枝にとまっている小鳥と同じように、小 鳥は枝から飛びたち、葉っぱは枝をはなれ落ちてい く、というようなイメージがうかびました。春とい うと桜というイメージがあるけれど、それとちがっ た点から読んだ句で、他とちがっているところがい いなと思いました。
春落葉 私は、春落葉小鳥とともに降りにけりという俳句 をよんで、春という時期というのは巣立ちの時期で あるという意味だと思いました。そして、私たち人 間も春というのは入学や就職などで親から一人立ち する時期だと思います。
春落葉…春の落葉と小鳥の巣立ちをうまくかけ合わ せている作品だと思う。春は落葉をし、寂しく させるような一面をもっている一方、小鳥の巣 立ちがあり、力強く前に進み出ようとする面も ある。いずれも新しいスタートの場であり、そ の季節が春であるという思いが伝わった。
踏みて直ぐデージーの花起き上る (高浜虚子) 踏んでも直ぐ起き上るデージーの花に、元気さと、 力強さを感じ、良かったと思いました。
感想 踏みて直ぐデージーの花起き上る (高浜虚子) 「踏んでも直ぐ起き上がる」という意味が好き。こ の排句を読むと、とても勇気づけられる気がする。 (編者)「俳句」です。
踏みて直ぐデージーの花起き上る (高浜虚子) 踏まれてもすぐに起き上がるたくましいデージー がよまれているのがいいと思いました。 きっとこれをよんだ人はこのデージーを見て自分 もこんな風に強く生きていきたいと思ってよんだの ではないかと思います。
踏みて直ぐデージーの花起き上る (高浜虚子) 雑草でもないデージー(雛菊)が踏まれても起き 上がり力強く咲き続ける様子は是非見習いたいと思 いました。
踏みて直ぐデージーの花起き上る (高浜虚子) デージーの花ってどんな花だろうと思った。
踏みて直ぐデージーの花起き上る (高浜虚子) この句を詠んで、何度も何度も踏まれても起き上 がるデージーの花の強さが弱りきっているであろう 作者の心情がはっきりと伝わってきました。
踏みて直ぐデージーの花起き上る (高浜虚子) この句を詠むと七転び八起きを思い出しました。 何度踏まれても直ぐ力強く起き上がるデージーの花 の強さみたいなものを感じました。
踏みて直ぐデージーの花起き上るというのを読んで、 花が踏まれても起き上がるという光景が、人間社会 においてのリストラなどをされたからといって、生 きていくために、立ち直らないといけないというと ころが同じだと感じた。
猫のゐてペンペン草を食みにけり (村上鬼城) 寒さをあまり好まず、家で丸くなっているのが多 い猫がわざわざ外に出てぺんぺん草を食べに行くと いう行動から春の日ざしと温さと緑を感じました。
猫のゐてペンペン草を食みにけり (村上鬼城) 春の暖かな陽射しのさす午後。 ふらりとやって来た猫が野原に生えていたペンペ ン草をのんだり食べている風景が頭に浮かんだ。そ の猫はきっと満腹になったら、寝ごこちのいい場所 を見つけに、またふらりとどこかへ消えるのだろう。
猫のゐてペンペン草を食みにけり (村上鬼城) 小学生の頃よく遊んでいたペンペン草が作われて いてすごく気になった。猫も好きなので情景を思い 浮かべるとすごく和んだ。
感 想 薺の花の排句を読んでみて、少し疑問に思ったの は猫もペンペン草を食べるのかなぁと思ったことで 確か猫は肉食性のような気がするのですが… でも猫がペンペン草を食べるくらい、のどかな風 景が思い浮かびました。 (編者)「俳句」です。
猫のゐてペンペン草を食みにけり (村上鬼城) 実際には猫はペンペン草を食べないと思うが、天 気が良く、猫が日なたぼっこをしている様子が目に 浮かぶ。きっと猫は日なたぼっこをしていて、風に ゆれるペンペン草が美味しそうに見え手をかけたの だろう。春を感じさせる暖かな俳句だと感じた。
猫のゐてペンペン草を食みにけり (村上鬼城) (感想)猫とペンペン草で遊ぶのは楽しい。思わず 飲み込んでしまったのではないかと…。
薺の花 ・猫のゐてペンペン草を食みにけり (村上鬼城) 猫がペンペン草を食べているところを想像すると、 食べようと一生懸命で愛らしい姿が思い浮かぶ。 ペンペン草は、葉のような部分を取れないように 少しはぐとユラユラ揺れて音が出るので、食べると いうよりも、じゃれて遊んでいるのではないかと思っ た。
・「なずなの花」という題やペンペン草など春を思 わせる花の名を使っていて春を思うことができる。 また、猫が出てくることで春のほのぼのとのんび りした様子が感じられる。
なずなの花 なずなの花をペンペン草と読み変えたところがおも しろかった。ペンペン草と表現した理由がわからな かった。 (編者)「読み替えた」です。
菜の花に少年海を好みけり (五所平之助) 春の暖かくなり初めた頃海岸の近くに咲いている 菜の花畑で友達と遊ぶ少年たちの姿を見ることがで きる。 潮の匂いとともに菜の花の匂いがしてきそうだ。
菜の花 吉見での新生活が始まる時僕が思ったこととぴっ たりだと思いました。まじかで海を見て、少年のよ うにわくわくしたのを思い出しました。 ボラの留吉 僕はボラについてあまりしらなかったので興味深 かったです。さまざまな角度からボラを見れてよかっ たと思います。
菜の花に少年海を好みけり (五所平之助) この俳句はまるでこの町(吉見)の心いやす大自 然を映し出しているようだ。少年たちがいつまでも この恵まれた場所で遊んで暮らしていけるように大 事に大事に守っていかないと。
菜の花に少年海を好みけり (五所平之助) 菜の花に関係して少年が海を好む意味が分からな い。つまり、この詩の意味が分からない。
菜の花に少年海を好みけり (五所平之助) 海辺の砂浜に菜の花が咲きほこっている風景が感 じられ、少年が海と調和した菜の花のけしきに心う たれているように思われ、春らしい良い俳句だと思 いました。
感想 菜の花に少年海を好みけり (五所平之助) 少年にとって初夏はあつく海に入りたいんだと思っ た。
菜の花に少年海を好みけり (五所平之助) この俳句は見ただけで情景がうかんできた。菜の 花や海が季語となっていて、夏を感じることができ る俳句だと思う。 また、菜の花の黄色や海の青色、それから連想さ れる太陽など彩やかで明るい感じの俳句だからすご く印象的である。
感想:湯川京子の「雛菊や揺れて咲く花数あれど」 を聞いて、風にゆれている雛菊の様子が思いおこし、 1つの花がポツンと咲いているだけだと淋しいが、 多数咲いているとその風景はとてもキレイで華やか な様子が目をつぶると浮かぶような作品だと感じま した。
雛菊や揺れて咲く花数あれど (湯川京子) ↓ 揺れて咲く花は多数あるのだがその中でもひなぎ くはきれいで目立つようにそれぞれが別の個性をもっ ているということを示唆しているように思います。
雛菊(高浜虚子) 分かりやすく、かつ心に響きよいと思った。
雛菊や揺れて咲く花数あれど (湯川京子) ・雛菊の揺れなびいている情景が見えてきて良い歌 だと思う。 〜オリジナル短歌五・七・五・七・五 静岡を離れて住まう下関 初めて知った親の苦労を ボラの留吉 ボラの目線で魚の行動を見ていて、おもしろいと思っ た。 (編者)「五・七・五・七・七」です。
白壁の浅き夢みし蝶の昼 (秋元不死男) 白い壁に黒い蝶がひらひらと舞う和やかな風景が 浮かびました。
白壁の浅き夢みし蝶の昼 (秋元不死男) 春の陽気を表すような暖かみのある詞だった。
秋元不死男の白壁は、刑務所かなんかなのか ま たは病院なのか、だから、不死男という名前をつかっ ているのか、蝶のように自由にとびまわりたい気持 ちなのか? でもかなわない夢なのか? ちょっと淋しい感じ。
菜の花や岩を曲れば怒濤見ゆ(阿部みどり女) かわいらしい菜の花に怒濤という言葉を使ったと ころに趣を感じた。 軽音部です。 (編者)了解。
高浜虚子の俳句は高校でみたことあったのでこう いう俳句もあったんだと思った。
俳句を見てもよくわからないけどこれからわかる ようになりたい
南見て 北を見る 「それは世界の4分の3を見たことである。」 *物事は、ある程度までのレベルまではすぐ に到達するが、極めるのには、少し時間が かかる。しかし、努力すれば到達できる。 *天才は2回で世界を見る。 *全正解を見る方法は1つではないが、あき らめなければ、見ることができる。 ネバーギブアップ (編者)最初の3行のメッセージを説明したイラスト 略。
自分の作品 ・吉見駅着けば聞こえる海の声 歌意 自宅から約一時間をかけて、通っているぼくは、車 の音や電車の音などしか聞こえないが、吉見駅に着く と聞こえてくる海の音が良いということ。
春の風ややあたたかし夏近し 4月でまだ春だと思っている。しかし、日中に吹く 風はあたたかく、すぐにでも夏が来そうだと感じた。 日々を大切に生きていきたい。
岩つかむ鳶(とび)もよろめき 東風(こち)強し (富安風生) いかにも鳶でさえ岩につかむ事でさえやっとと言 うような自然のすごさ、たくましさを感じた。
岩つかむ鳶もよろめき東風強し (富安風生) 大型で飛行能力の高い鳶でさえもよろめくほど強 いということで、東風の強さから春の季節を感じま した。
岩つかむ鳶もよろめき東風強し (富安風生) 岩にとまっている鳶が風にあおられてよろける様 子を想像出来ておもしろい。
岩つかむ鳶もよろめき東風強し (富安風生) 読んだ瞬間に風の強い情景が頭に思い浮かびまし た。と同時に昨日の風の強さを思い出しました。 「岩つかむ」という力強いはじまりだが「よろめき」 という所で少しはずしている感じがし おもしろみ を感じました。
岩つかむ鳶もよろめき東風強し (富安風生) この俳句は、昨日のような強い風がふいて、必死 に岩をつかもうとする鳶もよろめいているという意 味だ 春が来たんだなという楽しい句だ。
岩つかむ鳶もよろめき東風強し (富安風生) 感想 大きな鳥である鳶までがよろけるということはそ うとう強い風なんだろう。快晴の日に岸壁にエサで も取りにきたのだろうか。
岩つかむ鳶もよろめき東風強し (富安風生) 岩にとまっている鳶をよろめかす程の風の強さが 春一番を感じさせる。
「岩つかむ鳶もよろめき東風強し」(富安風生) 岩をつかめるほど強力な足の鉤爪をもつ鳶がよろ めくほどのとても強い春の東風の出現、つまり春の 到来がすごく伝わった気がします。
岩つかむ鳶もよろめき東風強し (富安風生) 私は岩をしっかりつかむ鳶でも東風がつよすぎよ ろめく姿が今の時期にピッタリな気がします。しか し僕のイメージでは鳶は大きくしっかりしてそうな ので他の鳥をつかって欲しかった。
岩つかむ鳶もよろめき東風強し (富安風生) とびのような力強そうな鳥でもよろめく東風の強 さが表れています。作者が生活の上で何か大きな困 難にぶつかってしまい、それを東風にたとえてこれ をよんだのではと思いました。
岩つかむ鳶もよろめき東風強し (富安風生) この俳句を読んで、昨日の強風を思い出しました。 小さな鳥がホバリング状態だったり、カラスが真っ すぐ飛べなかったり…。 がっしりした爪を持つ鳶すらよろめくのだと思う とやはり自然は強いなと思います。
岩つかむ鳶もよろめき東風強し (富安風生) 吉見上空を旋回している大きな鳥もよく風に煽ら れてよろめいています。
岩つかむ鳶もよろめき東風強し (富安風生) 昨日は風が強かったが、鳥が飛んでいるのはみな かった。
岩つかむ鳶もよろめき東風強し (富安風生) こちつよし たちひろしって似てますね。
わかれたる人をつつみて春の闇(長谷川素逝) 春というものは別れ、旅立つ人の背中をおすよう な優さを見せながらも、別れ、旅立ちなどの闇もあ ると言っているように感じました。長谷川先生の優 しくも皮肉めいた表現に春の闇を感じました。
”わかれたる人をつつみて春の闇”について 春というと桜や新緑といった華やかなイメージが 強いが、この句は、”夜” ”別れ”など悲しいイメー ジを受けるのがユニーク。
春の闇 春なのに闇 わかれたる人への思いがかなり強く 感じられる。
春の闇、春の季節ならではの別れのつらさを感じる。
春の闇 この句は陽気な春にも人は死に、明るいだけでは なく暗い一面も持っているものだと私は思った。
わかれたる人をつつみて春の闇(長谷川素逝) 春は前の授業で生命の終わりの季節といっていた からこの排句は人が死んだ悲しい排句なんだなぁー と思った。 (編者)全てのものが死に絶えた瞬間に春が始まると いった気はするのですが…。「俳句」です。
感想文: 春の闇(長谷川素逝)の俳句が印象に残りました。 春というと自分の中では新年の始まりであり、希望 に満ちた時期なのですが、この句はわかれるたる人 を…とあるようにとても悲しい感じを受けるのです がそれをつつみ込むような春の闇のやさしさが逆に 際立ち、情感があり、いい歌だと思いました。
わかれたる人をつつみて春の闇(長谷川素逝) 春といえば、おだやかで暖かいものだけれど、心 の中で別れた人のことを思い、悲しみに暮れる。春 はその悲しみをかくしてくれているのだと思う。
「春の闇」では、わかれた人たちを春の闇がつつん で、別れた後の人々も一緒にさせているような優し さを感じた。
わかれたる人をつつみて春の闇(長谷川素逝) 人と分かれて一人になっているところをつつみこ むような春の闇のあたたかさを感じる。
わかれたる人をつつみて春の闇(長谷川素逝) 卒業等で別れた人たちの暮らしは、自分(作者) の目で見ることが出来ないので、その行き先を「闇」 としたのだと思う。 「闇」だけだったら冷たい感じがするが、「春」が つくことで少し暖さがあるように感じる。
わかれたる人をつつみて春の闇(長谷川素逝) 春は生命の息吹を感じ新しい出会いがあるととも に別れの季節でもある。この俳句は別れゆく人の悲 しみを春の闇と表現しいっそう悲しさを強調してい ると思う。
わかれたる人をつつみて春の闇(長谷川素逝) 春というのは、新しい出会いもあれば卒業などの 別れの季節でもある.作者も、だれかと別れをつげ たのであろう.闇の中に心をもっていかれそうになっ ているようなイメージができる.
わかれたる人をつつみて春の闇(長谷川素逝) 春は、新しい生活のスタートと同時に別かれの季 節でもありその暗闇から、またいちから新たな、人 間関係を求めていくような詩だと思った。
わかれたる人をつつみて春の闇(長谷川素逝) 春は出会いの季節でもあるが別れの季節でもある。 春がくることのうれしさもあり別れる人との悲し みの方が大きいこともある。別れる人々をつつみこ んで春が闇に見えるこの人は少し哀れな気がします。 これからの人とも大切にしてわかれたる人ばかりで なくさまざまな人を大切にしていくことがその人の 幸せになるのではないかと思いました。 この俳句に共感もできました。
(春の闇 長谷川素逝 わかれたる人をつつみて春の闇) 別れたら闇?というかくらくなるが理解しあっ ていれば明り?の春になったと思う。
わかれたる人をつつみて春の闇(長谷川素逝) 地元の友達と分かれて結構今寂しいです… ゴールデンウィークになったら地元に帰ろうと思っ ているのですごく楽しみです.
春風の海を吹き来る海を見る (平尾一秀) この句をよんでぼくは、ちょうど今日の吉見にぴっ たりな句だとおもいました。
春風の海を吹き来る海を見る (平尾一秀) ここちよい海風が吹いている感じがした。
春風の海を吹き来る海を見る (平尾一秀) 平尾一秀さんの歌はココみたいに強い風を感じる。
春風の海を吹き来る海を見る (平尾一秀) この俳句を読んで、すぐに今の水大の周りの海の ことを思い浮かべました。急に暖かくなってきて、 風が強い今は、季節をとても感じます。 入試の時とてもきつい冬の寒さを感じながら頑張っ て、今はこうして春を迎えれることがすばらしいと 思います。
春風 海から春風が吹いてきて、その風を受けることに よって、今年の春のはじまりを感じているように私 は感じました
春風の海を吹き来る海を見る (平尾一秀) 春の風がやってきていると感じながら、遠い海の 彼方を見ることで遠くから春が来ているということ を感じとっている。
春風(平尾一秀) 冬が終わりに近づき、ほのかに暖かい海からの風 が体をつつんでやっとこの寒かった時期からめけだ せて、とてもよろこんでいる。 (編者)「ぬけだせて」?
春風は、新しい季節をむかえて新しいことを始め ようとする気持ちがかかれているような気がする。
春風の海を吹き来る海を見る (平尾一秀) 暖かい春風が吹くことによって、ゆるやかな波が 浜辺に打ちつけられ、海が夏の元気よい雰囲気や冬 の寂しい雰囲気とは違う優しい感じが表れていると 思う。
春風の海を吹き来る海を見る (平尾一秀) 新生活の始まる新しい地の海で、春の強い風に吹 かれながら、何か決心するような感じがしました。 堂々としている感じがしてかっこいいと思いました。
春風の感想文 ・拡大に広が海からの海をうけているイメージをう けた。 ・そうかいかんをかんじた。 (編者)一応こう読み取りました。
春風の 海を吹き来る 海を見る (平尾一秀) 感想…最近風もつよくなりすっかり春も終わろうと しています。春風はとても気持ちよく、作者が 海をみているのが想像できる。
春風「春風の海を吹き来る海を見る」平尾一秀 春風が吹いてくる海を見ている姿がすぐに想 像できる。また”海”を2回使っている点では、 強調されていて、すごく良いと思う!!
感想 春風 最後の「海を見る」がせつない感じが個人 的に好きです。誰かを見送ったあとで書いたもので しょうか?
春風 どういった意味が込められているのか分からないけ ど、確かによくやる行動だなあと納得した。
行き過ぎし短き駅や海のどか (正岡子規) 短い駅を通りすぎたあとには、一面に海がのどか にひろがっているという景色は素敵だと思う。
長閑(のどか) 一瞬で過ぎてしまった短い駅や海を後から思いだ している情景が伝わってくる。 また短い小さな駅と壮大な海を対称的に表してい ることが感じられた。
行き過ぎし短き駅や海のどか (正岡子規) 私はこの歌を詠んで、春っぽいなぁと思いました。 日暖も空気も気持ちがよい春の季節ならではの歌で 電車ではウトウトしてしまってつい降りそこねてし まう姿が想像できて、上手く言えませんが、幸せな 気持ちになりました。
行き過ぎし短き駅や海のどか (正岡子規) この俳句を見て、一人旅でいなかの鉄道にのって 海の方に行っている情景がうかびました。 のんびりしたいい俳句だと思います。
行き過ぎし短き駅や海のどか (正岡子規) 僕は詩というのは、正直よくわからないけれど、 この詩は読んだら、電車に乗ってのどかな風景、例 えば海沿いとか、もうさびれてしまった無人駅だと かそういったものが、過ぎて行くなんかのんびりし たものを想像された。なんかとても心が落ち着くよ うな気分になりました。
長閑 田舎の電車に乗っていて、小さな駅を通りすぎる と、その先には、大きな海が広がっているといった 景色が想像でき長閑な気持ちになった。
行き過ぎし短き駅や海のどか (正岡子規) 海がのどかで、ぼ〜と見ている内に駅を降りすご してしまった正岡先生のおだやかな気持ちがよく分 かる。正岡先生ならではの優しくも孤独な情感が私 の心にもすっとはいってきました。
行き過ぎし短き駅や海のどか (正岡子規) 恋人や友人と過ごした時間は短い駅と駅の間のよ うに思い浮かぶがその内容は海のように広大で暖か さがあった。 俳句 行く先や目的なしに駆け回る 車窓から眺める景色美術館
行き過ぎし短き駅や海のどか (正岡子規) 私は、この排句を見て思ったことは、なつかしい 感じがしたからです。私の故郷は田舎で自然に囲ま れゆたかな土地や海があって、どことなく親近感の ある良い排句だと思います。 (編者)「俳句」です。
長閑は吉見駅のことを言っているみたいで、親近 感があった。「海のどか」というところが水大の前 の海を思い出させる俳句でよかった◇◆ (編者)文末の白黒の菱形は文字化けしているかも。
行き過ぎし短き駅や海のどか (正岡子規) この俳句はまさに水大の環境であると思った。海 もすぐ近くにあり、晴れの日はもの凄くのどかであ る。
踏みはづす手乗り文鳥あたたかや(秋元不死男) 感想 文鳥が春の暖かさにウトウトとしている風景が浮 かび、とてもかわいらしいと思いました。
踏みはづす手乗り文鳥あたたかや(秋元不死男) 文鳥が踏みはずすという所に春のほんわかした空 気の流れや暖かさを感じることができる。
・踏みはづす手乗り文鳥あたたかや(秋元不死男) 文鳥が手の平の上をちょこちょこ動いているの を家族や友達が見ている光景が思い浮かぶ。 そして、文鳥が指のすきまなどで踏みはずして よろつくとみんな笑顔になる。 そんな、あたたかい雰囲気
暖か 詩とはあまり関係ないですが、秋元不死男って名 前のインパクトが強いですよね
黒猫の道を譲らぬ日永かな (東浦津也子) 猫の堂々とした感じがして良いと思った。
黒猫の道を譲らぬ日永かな (東浦津也子) 黒猫があたたかく、居心地のよい日があたってい る道に寝ていて動こうとしない黒猫の頑固さと、来 るものを警戒しない平和さを感じました。
日永(東浦津也子) 猫が道で気持ち良さそうに寝ている感じで作品全 体からのどかな印象を受けた。 しかし単に「猫」でなく「黒猫」だったので作品 から不吉な感じも受けた。
黒猫の道を譲らぬ日永かな (東浦津也子) 黒猫がかわいそうと思った。
黒猫の道を譲らぬ日永かな (東浦津也子) あまりにも太陽の日があたたかく心地良いから、 黒猫も動きたくなくなったのかなぁと思う。 最近は時々夏かと思うような日があって、春の陽 気が少しなつかしい気がします。 吉見にいると、「まだ4月だよっ!?」と叫びた くなります(笑)
春雷といふやさしさを海の上 (江見渉) 雷という落ちたときに音が大きく、当たると死ぬ かもしれないものをやさしいというところがおもし ろいと思った。
春雷といふやさしさを海の上 (江見渉) 私の中では、雷というものはさわがしくてマイナ スイメージしかもてなかったが、このはいくを読ん で、春雷を聞いてみたいと思います。
春雷といふやさしさを海の上 (江見渉) 春雷というのはだれにとってもいいものではない のに、あえて海の上において「やさしさ」と表現す るのに春の善びを表している。 (編者)「善び」は「喜び」?
春雷 春雷を風とイメージして海の上にこころよい風が 吹いているなと思った。
暮春なり二階の少女港見て (深谷岳彦) 春の季節が終わろうとしているのを少女の目線か ら俳句を書いているのでとても心に残った。
暮春なり二階の少女港見て (深谷岳彦) この少女は何を考えているのか。 暮春ってなんだか淋しい気がする。 この少女もきっと新しい生活が始まり慣れない環 境の中で、必死でがんばろうとしていて、少し疲れ たのかな。
暮春なり二階の少女港見て (深谷岳彦) 春の印象にぴったりの期待感にあふれた詩だと思 いました。
暮春なり二階の少女港見て (深谷岳彦) 春の暮に1人で海に沈む夕日を寂しそうに見てい るのかなと、読んで思いました。 それか、夕日があまりにもきれいで見いっている のかなと思いました。
「東風」… 水大に来て、風の強さにおどろいた. だから、この句に納得した。 「日永」… 春独特の雰囲気が出ている. 「春の闇」…春は出会いと別れの季節である。 私にも切ない思い出が…
・今回はわかりやすい排句がなかったので感想はな い (編者)「俳句」です。
タバコにこんなにたくさん種類があるなんてすご いなぁっと思いました。 (編者)今日のタバコの文化史の紹介、気に入ってもら えてうれしいです。
私も文豪にあこがれを持っていてタバコにカッコ よさを感じている。松本清張、藤沢周平など
俳句 ・連休 目の前にして届かず 歌意 四月も下旬でGWが近づいているがまだ、GWでは ない。早く来てほいなと思っている。 (編者)「ほいな」は「ほしいな」?
俳句 成せば成る成さねば成らぬ何事も 何だか聞いたことが有るような無いような…。 物事に対する私なりの持論です。 「できるか否か」で決めるのではなく 「やるか否か」で決めるべきだと思っています。 世の中やって見なきゃ分からないことも多いし、 嫌でもやらなきゃならない時もある。 そんな時にこの俳句を思い出して、頑張っています。
とれたてのあけぼの色の桜えび (本宮鼎三) この歌をきくとおなかがすいてくる。
とれたてのあけぼの色の桜えびという歌について、 とてもなんか華やかな感じがして、明るい歌だなぁ と思いました。
とれたてのあけぼの色の桜えび (本宮鼎三) 感想 まさに「新鮮」さを、表していて、とても、わか りやすい。
とれたてのあけぼの色の桜えび (本宮鼎三) 新鮮な桜えびがピチピチはねてる感じがする。
とれたてのあけぼの色の桜えび (本宮鼎三) 桜えびの色をあけぼの色とあらわしているのはす ごいなと思った。
桜蝦を読んで、とれたての桜蝦の新鮮さを見ため で表しているんだなあと思った。 あけぼの色がどんな色かわからないけどとてもき れいな色をしているんだろうと思った。
とれたてのあけぼの色の桜えび (本宮鼎三) 春が旬のさくらえびがいっぱいとれ、とても鮮や かな桜色のえびが想像できる。
桜蝦…シンプルだけど桜えびのきれいな色が想像で きる。
とれたてのあけぼの色の桜えび (本宮鼎三) 桜蝦のとれたての色をすなおに表した句だと思う。
とれたてのあけぼの色の桜えび (本宮鼎三) 桜蝦の色をあえてあけぼの色と読んでいるあたり に何らかの意図を感じる。
とれたてのあけぼの色の桜えび (本宮鼎三) 夜明けの時の太陽のような新鮮で美しく輝く桜え びの姿が思い浮かぶ。 とてもおいしそうだ。
とれたてのあけぼの色の桜えび (本宮鼎三) (感想) 早朝に桜蝦が朝日を浴びて輝いている様子を想像 しました。
とれたてのあけぼの色の桜えび (本宮鼎三) とれたての桜えびはとても桜のようにきれいであっ て、まるでえびが木についているようだ。
とれたてのあけぼの色の桜えび (本宮鼎三) とれたてのあけぼの色の桜えびがとてもおいしそ うなイメージがうかんだ。あけぼの色があまり思い 浮かばないけど、あさやけの色のような気がしまし た。とれたてのサクラエビを一度見てみたいと思い ました。
とれたてのあけぼの色の桜えび (本宮鼎三) とれたての桜えびをテレビのCMで見たことがある けど、とてもきれいな色で、おいしそうだった。
桜蝦 さくらえびは食べたこともあるので、この詞から すぐにさくらえびの姿が浮かんだ。さくらへびの色 はとてもキレイだ。 (編者)「さくらへび」は「さくらえび」?
とれたてのあけぼの色の桜えび (本宮鼎三) しっかりとした色がつくようになった桜えびを見て、 今年も大漁を予感させる詩でした。
とれたてのあけぼの色の桜えび (本宮鼎三) あけぼの色という所がえびの新鮮さとえびがとれ たことのめでたさを表して良いと思いました。
今で旬である桜えびの色鮮やかな体を見て感動し ていた時に書いたものではないかと思った。
とれたてのあけぼの色の桜えび (本宮鼎三) (今年も生きのいい桜えびがとれたぞ とれてうれしいと思っている昔の人々の面影がう かぶ詩でした。)
丸くなくきいろでもなくおぼろ月 (山崎聰) 丸くもなくきいろでもなくおぼろ月というのがす ごく風流だなぁーと思った。 今日の排句でい一番好き。 (編者)「俳句」です。
丸くなくきいろでもなくおぼろ月 (山崎聰) ふつうの丸いものでも、きいろでもなくおぼろ月 が一番きれいだというつよい気持ちが伝わってくる.
丸くなくきいろでもなくおぼろ月 (山崎聰) 月は普通丸くてきいろなのに、丸くないきいろで もなかったらどんな月なんだろう。
丸くなくきいろでもなくおぼろ月 (山崎聰) 普通の月なら丸くて、黄色く光っているものだが、 この日の月は薄い雲に隠れ、ぼやっとした輪郭を持っ た朧月だったということ。
丸くなくきいろでもなくおぼろ月 (山崎聰) 丸くなくて、満月みたいにきれいなきいろではな く雲にかかってきいろじゃないみたいな感じのイメー ジがしました。
丸くなくきいろでもなくおぼろ月 (山崎聰) 丸くなく柔らかい月 きいろでなくかすんで光っている月 朧ろ月夜の春の日が頭に浮かびました。
丸くなくきいろでもなくおぼろ月 (山崎聰) 満月のようにくっきりした球でもなく、 新月のように見えないわけでもなく、 三日月のように名前が広く 知られているわけでもない。 全てが朧気な朧月をよく表していると思います。
丸くなくきいろでもなくおぼろ月 (山崎聰) 朧月を表現するのに、満月のように丸いわけでも なく、キレイにはっきりと黄色く光っているわけで もない.満月に似て違うもの.はっきりと見えない ぼやけた月を表現しているのではないか. とてもゴロがよく言いやすい.
丸くなくきいろでもなくおぼろ月 (山崎聰) おぼろ月が夜空の中に浮かんでいるが、そこに見 える月は、特別に目立つわけでもなく綺麗に輝いて いるわけでもなく、ただそこにあるが、趣を感じと れる俳句だと思う。
丸くなくきいろでもなくおぼろ月 (山崎聰) 今の時期に浮かぶ月は、白くて消えそうな程はか なげで、なんとなくさびしげな俳句に感じた。
朧月 丸くなく きいろでもなく おぼろ月 という俳句をよんで、夜星を一人で見あげてその 美しさにひたっている人を思い浮かべました。自分 が疲れたときにふと空を見あげたとき、おぼろに見 える月が妙に自分をいやしてくれたことを思い出し ました。
丸くなくきいろでもなくおぼろ月 (山崎聰) ’丸い’や’白い’という文字を入れてしまうと’お ぼろ月’のイメージが特定されるが、’〜でない’と いう表現を使うことで、’丸’ ’黄色’以外で自由に 読書が’おぼろ月’を想像することができる。
窓ぎはのすみれいちにち海の色 (野木桃花) 海の色と窓際のすみれの色を同じであることから その一日がおだやかであると感じることができる.
窓ぎはのすみれいちにち海の色 (野木桃花) 私はこの詩を読んでみて、懐かしい故郷の風景を 思い出させる詩だと思いました。
窓ぎはのすみれいちにち海の色 (野木桃花) というのが自分の地元を思い出して懐かしく思いま した。授業内容はとても深いのでおもしろいです。 (編者)どうもありがとう。ヒッヒッヒッヒッヒ!
窓ぎはのすみれいちにち海の色 (野木桃花) 自分のアパートからも海が見えるけどほんとうに 海はキレイだった!
窓ぎはのすみれいちにち海の色 (野木桃花) まるでぼくたちのアパートから見える鮮やかな海 に染まる花のようだ。いつもこの景色を毎日味わえ ることの幸せを感じている。 いちにち海の色というのは、よっぽど青い海に憧 れて感動してるんだなぁ。
『窓ぎはのすみれいちにち海の色』(野木桃花) すみれが海の色を写しているのかなと思われし た。海の色をすみれが写してくれるなら、ずっ と眺めていたいです。
窓ぎはのすみれいちにち海の色 (野木桃花) すみれの青さが海の青色くらい濃いことがよくわ かっていいと思う。
窓ぎはのすみれいちにち海の色 (野木桃花) すみれの白色はとてもきれいです。 そのすみれのきれいな白色を海の色にしてしまう 詩に興味がありました。海の色はどのような色なの だろうか? 窓ぎわはどのようになっているのかと思いました。 (編者)普通スミレは青いのですが、白ならばこんな解 釈の世界が広がりますね。
窓ぎはのすみれいちにち海の色 (野木桃花) すみれも種類が多いらしいので調べてみようと思 いました。
菫 (野木桃花) この歌はとても共感できました。まだ下関に来て 日は浅いですが近所に咲いている花はなぜか海っぽ いというかあわい色をしていて地元の花と違うとこ ろがみょーに新鮮だと感じている今日この頃です。
窓ぎはのすみれいちにち海の色 (野木桃花) →すみれの満開の状況が目に浮かんでくる。また海 が波でそよいでいる様子が感じられる俳句である。
−感想− 特に印象に残ったのは菫という俳句でした。最近 は、すみれを見る機会も減ったけど、やはり人は少 しでも自然と触れあう事で、いろいろなエネルギー をもらっているのだと実感するし、すみれの色のよ うに美しい色をもった海を見てみたくなりました。
おなじ波ふたたびは来ずさくら貝 (木内怜子) なぜさくら貝なのかはわからないけれど、「ふた たびは来ず」の部分が好きです。
おなじ波ふたたびは来ずさくら貝 (木内怜子) これを読んだ時に一番印象的だったのは”おなじ波 ふたたび来ず”というところだ。波が絶えずくるが同 じ波はこないよなぁーと納得させられたからである。
おなじ波ふたたびは来ずさくら貝 (木内怜子) 自然は一瞬として同じ姿を見せない。そのことを 波を例として分かりやすく表現していてすばらしい 俳句だと思いました。 さくら貝とはどんなもののことを言っているのか 調べたいと思いました。
おなじ波ふたたびは来ずさくら貝 (木内怜子) 自然にできたものにはぴったり重なり合うものは 1つしかない
おなじ波ふたたびは来ずさくら貝 (木内怜子) 毎日、漂っている波は全く同じなものはくること はない。波が再び同じのが来てほしいと願っていて もそれは叶わず…また違う波はくる。そんな中、さ くら貝はその波を見ている。何も言うこともなく、 感じることもなくただ、じっーと見ている!!
おなじ波ふたたびは来ずさくら貝 (木内怜子) さくら貝ではないですけど高校の時にアカガイと いう貝を採るために、すっごく汚い海へ潜ったのを 思い出しました。 何か少し切ない俳句ですね。
一度過ぎてしまったことは二度と戻らないんだなぁ と悲しくなる感じだったが、さくら具と最後につけ たことで美しさが出ているように感じた。 (編者)「具」は「貝」?
おなじ波ふたたびは来ずさくら貝 (木内怜子) おなじ波がこないということは またいつかの波 でさくら貝がうち上げられるかもしれない。さくら 貝は海に行って浜辺で見つけたいと思う貝である。 だから、同じことは期待できないけど、手に入れ たいことのチャンスはまたおとずれるということだ と思う。
おなじ波ふたたびは来ずさくら貝 (木内怜子) おなじ波はふたたび来ることはないというところ から誰かを思い続けているのかと想像しました。そ してさくら貝 何か思い出の品にしばられているの かなあと想像しました。
おなじ波ふたたびは来ずさくら貝 (木内怜子) 作者は引きずってしまう性格なんだと思った
風は海から吹きぬける葱坊主 (種田山頭火) 五・七・五になってないことに非常に驚いた。葱 坊主というフレーズがとても印象深い。 (編者)驚くことに、よく見ると五・七・五です。
風は海から吹きぬける葱坊主 (種田山頭火) 風は海から強く吹いているときに葱坊主ががんばっ ている様をかいていると思う。
風は海から吹きぬける葱坊主 (種田山頭火) ・春に、海から吹き込んだ風を、坊主頭のようなネ ギの花が受けて、とても気持ちがいいような想像 ができる。 ・春一番が吹き込んできているような感じがする。
風は海から吹きぬける葱坊主 (種田山頭火) 家の近くの畑に葱坊主がいかってた。この山口の 吉見にふさわしい俳句だと感じた。 (編者)一応「いかってた」と読み取りました。
風は海から吹きぬける葱坊主 (種田山頭火) ネギの花序である葱坊主を風に見たていて、とて も自由気風な「種田山」の性格がよく分る作品。 (編者)「見たていて」は「見たてていて」?「気風 な」と読み取りました。なお作者の名字は「種田」です。
種田山頭火の詩で時々もやもやすることもある
山に花海には鯛のふゞくかな (松瀬青々) 「ふゞく」ってどういう意だろうと思った
山に花海には鯛のふゞくかな (松瀬青々) 山には花があふれ、海には縁起のよい鯛があふれ、 外景がきれいな春らしさを感じた。
山に花海には鯛のふゞくかな (松瀬青々) 海に鯛の桜色がのぞける風景が思い浮かぶかんじ がして、なんかいいと思いました。
山に花海には鯛のふゞくかな (松瀬青々) 山にも海にもそれぞれ独自の良さがある。海は特 に好きだ。
リラ咲けば誰も旅人港町 (古賀まり子) どうしてこの詩にしたのかは僕はライラックが好 きだったから。 港町の人はライラックが咲く季節になれば港から 船で旅に出たり、町からどこかへ行ってしまうとい う少し切ない気持ちが、それと同時に新たな旅立ち という希望が含まれていると感じたから。
リラ咲けば誰も旅人港町 (古賀まり子) 外国航海から帰ってきた船が思い浮かぶ句だと思 いました。
ライラックの俳句がよくわかなかった。
桜蝦や桜貝を見て桜にもいろいろな使い方がある のがわかってよかった。
当たり前のことをわざわざ難しい言い方をするこ とで味が出る.外国人が読んでも意味が通じないだ ろうなと思った.
春は花粉症がつらいです。
おもしろやことしのはるも旅の空 (芭蕉) なかなかよい作品である。実におもしろい。
おもしろやことしのはるも旅の空 (芭蕉) 芭蕉が全国を旅してまわっていろいろなものを見 てきたのだなと連想させられる一句だと思った。旅 の空以外ひらがななのもおもしろい。
おもしろやことしのはるも旅の空 (芭蕉) 今年の春もおもしろい旅が始まるのを楽しみにし ながら空をながめていると感じた。それからの旅を まちあびていることが伝わってきた。 (編者)「まちわびて」?
おもしろやことしのはるも旅の空 (芭蕉) 旅がしやすい季節になり旅にいきごんでいること が伝わってくる。
おもしろやことしのはるも旅の空 (芭蕉) 「ことしの春も」ということは、毎年のことなのだ ろう。何年も家に帰っていないことを「おもしろや」 というところがおもしろいと思う。 (作者は家が嫌いだったのかもしれない)
おもしろやことしのはるも旅の空 (芭蕉) (毎年春は、旅に行きたくなる 天気なのだろうか…)
おもしろやことしのはるも旅の空 (芭蕉) この句は、芭蕉がかいているので、旅の途中でか いたものであると思われる.そして、旅がまだまだ 続くということを感じさせる.すがすがしさをよく 表わしていると思う.
おもしろやことしのはるも旅の空 (芭蕉) 自由な気がしてとてもいいと思います。
おもしろやことしのはるも旅の空 (芭蕉) 旅の様子を出している 冬の情景が分かる
おもしろやことしのはるも旅の空 (芭蕉) 心機一転で新しい年になって、出会いや別れや自 分探しなどワクワクした気分。
おもしろやことしのはるも旅の空 (芭蕉) 芭蕉が忍者ってほんとうですか。テレビで言って ました。 (編者)確かに聞いたことはあります.だれか分かる 人!?
おもしろやことしのはるも旅の空 (芭蕉) 早くテストが終わって旅がしたい。
指組めば指輪冷たき二月かな (小栗庸子) 外気で指輪が冷たくなるほど寒い、二月の様子が うまくあらわせていて、いいなと思いました。
指組めば指輪冷たき二月かな (小栗庸子) 指を組むとやっぱり金属類は、まだ冷たくて、ま だ2月は寒いなって感じる.
指組めば指輪冷たき二月かな (小栗庸子) 2月になったというのに、指を組んでみると、指 輪が冷たくて、春はまだだなぁと思っているのかなぁ と感じた.
指組めば指輪冷たき二月かな (小栗庸子) まだまだ2月は寒い.
指組めば指輪冷たき二月かな (小栗庸子) 最近夜が寒いことで朝5時ぐらいに手足がまひし て目ざめてしまう.
指組めば指輪冷たき二月かな (小栗庸子) 金属は比熱が低いという事実を俳句に乗せた物理 好きの作者の思いがひしひしと伝わってくるような 句です。
指組めば指輪冷たき二月かな (小栗庸子) 金属はすぐ冷たくなるから、冬はあまり身につけ ない方がいいと思った。
指組めば指輪冷たき二月かな (小栗庸子) 指輪の冷たさで季節を感じることもあるんだなと 思った。指輪は冷たいけど、心は温かい感じのする 句だと思った。
指組めば指輪冷たき二月かな (小栗庸子) 指輪から結婚指輪が連想され、二人は仲は春を迎 えており、暖かいように思えるが実際は春はまだ寒 く指輪も冷たい。 しかし、それが逆に幸せを表している気がしまし た。
指組めば指輪冷たき二月かな (小栗庸子) 結婚指輪などは、人によって違うだろうがめった にはずさないものだと思う。だからつけていること を、この排句のときのような場面で思い出すことが あるのだろう。人によって、指輪の存在の感じ方は 違うと思う。幸せな人は温かく、逆の人はわずらわ しかったり、無機質でただの金属だと感じるしかな い人もいると思う。 出来る限り、前者でいたいと思う。 (編者)例によって「俳句」です。
「指組めば指輪冷たき二月かな」(小栗庸子) 思い出してみれば、自分にもそういう時期が あったなと思う。(笑)
指組めば指輪冷たき二月かな (小栗庸子) 指輪がほしい。
波を追ふ波いそがしき二月かな(久保田万太郎) 今の季節にぴったり合っていて、波の音が二月の おとずれを感じさせる。
波を追ふ波いそがしき二月かな(久保田万太郎) 荒れくるう海の表情に焦点を当てた詩だと思う.
波を追ふ波いそがしき二月かな(久保田万太郎) 冬に波が荒くなる響灘にそっくりだと思いました。
波を追ふ波いそがしき二月かな(久保田万太郎) 吉見は海が見えるので、この句はほんとに二月の 海を言い表しているなあと思った。 「いそがしい」という言葉から、寒い風が吹いてい る様子も思い浮かんだ。
波を追ふ波いそがしき二月かな(久保田万太郎) このような表現方法があることを知って、とても うまいなと思った。
波を追ふ波いそがしき二月かな(久保田万太郎)の 詩について この詩は除々に春風が吹いてくる二月ごろを描写 したものだと思う。波が波を追いこすいきおいくら い波が強く風が強い春の情景を明確に表しているよ うに思える。 作者はそのつもりは無いかもしれないが、私にとっ ては新学期に近づきこの学期末である2月のテスト でいそがしいだけに「波いそがしき」が掛かってい るように感じた (編者)「除々」ではなく「徐々」です。
波を追ふ波いそがしき二月かな(久保田万太郎) 2月じゃなくても波はいそがしいと思いました。
初春かな岩に立ちたる波頭 (鍵和田ゆう子) 共感できる
初春かな岩に立ちたる波頭 (鍵和田ゆう子) まるでななまがりのことを表しているようで印象 に残った.
右かれひ左ひらめの余寒かな (草間時彦) かれいやひらめの釣れる時期と寒い時季がぴった りとまっちしていていいと思った。
右かれひ左ひらめの余寒かな (草間時彦) 右かれひ左ひらめはよく聞く言葉だ.
右かれひ左ひらめの余寒かな (草間時彦) かれいとひらめのくべつがわかる、冬の日の話
右かれひ左ひらめの余寒かな (草間時彦) 右を向いているのがカイレ、左を向いているのが ヒラメの特徴を、良く生かした作品だと思った。 (編者)「カイレ」は「カレイ」?
書き下し文のくつりかたがわかりません。 右かれひ左ひらめの余寒かな (草間時彦) ひらめもかれいも実に美味ではありませんか。よ いではありませんか。 (編者)漢詩の書き下し文を誰がどのように作ったのかは 僕にも分かりませんが、書き下し文自体が中国語の詩を元 にした日本の詩だと考えて下さい。
寒明けの魚籠(びく)に命のきらめけり (佐藤瑛子) だんだん寒さが弱くなっていってびくにも多くの 魚が入るようになってきた.
寒明けの魚籠に命のきらめけり (佐藤瑛子) 籠の中の魚が動いていて、光が光っているのがよ くわかる。
寒明けの魚籠に命のきらめけり (佐藤瑛子) びくの中の魚が活気よく動いている様子がうかが える。
寒明けの魚籠に命のきらめけり (佐藤瑛子) <感想> 寒い冬にも命は輝いているという感じをかもし 出している。
寒明けの魚籠に命のきらめけり (佐藤瑛子) まだ底冷えする早朝にしかけをあげ、魚を魚籠に 入れる、その魚が朝日にきらめいてとてもきれいに 見える様子が思い浮かばされる俳句だと思う
蛸壺(たこつぼ)はふかねむりする春岬(尾崎澪) (感) 友達の名前が出てきて、目についた詩だった
蛸壺はふかねむりする春岬 (尾崎澪) この俳句がまるで自分のことを言っているようで かん心を持てました。
蛸壺はふかねむりする春岬 (尾崎澪) (感想) おいしそうなたこな感じがした。
蛸壺はふかねむりする春岬 (尾崎澪) 蛸つぼを海の中に入れているが春になるとたぶん 蛸つぼにたこがはいらないということを表現したい というのがよくわかり、心を打たれる.
春浅き水を渉(わた)るや鷺(さぎ)ひとつ (河東碧梧桐) 〜感想〜 浅い水辺に鷺が立っていて、獲物を狙っている様 子が浮かんだ。
春浅き水を渉るや鷺ひとつ (河東碧梧桐) 鳥は冬でも水の中に入るのだからすごいと思う。 (編者)ドイツ語の授業中の内職で、分けのわからない数 式をしたためている皆さんを見て、ぼくはすごいと思いま す。
春浅き水を渉るや鷺ひとつ (河東碧梧桐) まだ少し、冬の気配を感じました。 春休み水産大のは短すぎ
春浅き水を渉るや鷺ひとつの句を読んで、この句を 読んだ人は、その風景をそのまま表していて、純粋 な句だと感じました。 (編者)2回目の「読んだ」は「詠んだ」の方がいいと思 います。
早春の光返して風の梢(こずえ) (稲畑汀子) あたたかい風が早くも春を予感させるとてもいい 詩だと思う
早春の光返して風の梢 (稲畑汀子) まだ現実は寒いけど、春の暖かい雰囲気が味わえ ることができた。
早春の光返して風の梢 (稲畑汀子) 春のきもちよさが伝わってくる。
早春の光返して風の梢 (稲畑汀子) ・最近暖かい.
金星に余寒の力こもりおり (澤田緑生) 最後の寒さがさらに増すように金星が輝いている イメージが浮かんだ
楽しかったです (編者)そう言ってもらえてうれしい編者かな これで今年の授業も終わります。だんだん年とっていきま す…「なんだかな〜」