水大歳時記(平成二十一年度)

  秋 の 部

     秋、素秋、金秋

  そよ風に秋を感じる今日このごろ

  もう秋か時間がたつのはやいなぁ

  秋なのに外さむすぎやなんでやろ

  秋のごはんおいしい食べ物いっぱいだ

  秋の花散り行く季節は冬の影

  黄砂来て季節はずれのすすけ町      地球はいったいどうなることやら

  秋すぎて朝がなかなか起きられない

  秋が来て冬と見せかけ秋がきた

  秋のようにころころかわるパチンコ台

  文学は秋にあるのもまた風だ       (編者)「風」は「風流」?

 

  文月(ふみづき、ふづき)

  文月に涼しい所へアクセラレータ

 

    立秋(りつしう)

  秋が来たおいしいものを食べたいな

  秋到来紅茶と茶菓の名コンビ

 

      仲秋、中秋

  秋の中ボールおいかけ身をまかす

 

  晩秋(ばんしう、おそあき)

  晩秋は海のきれいな日が続く

  晩秋に友と囲む豆乳鍋

 

      長月、菊月

  きらきらと海が輝く長月の朝

 

     寒露(かんろ)

  メーローが爪跡残した寒露の夜       メーロー…今年の台風18号のこと.マレーシア語でジャ        スミン.

 

  秋の朝、秋暁(しうげう)

  目がさめて寒さを覚える秋の朝

  早起きがだんだんむずい秋の朝

 

       秋の暮

  葉の色が変わり始める秋の暮れ

 

  秋の夜、夜半(よは)の秋

  秋の夜月を見ながら酒を飲む

  秋の夜ふと空見上げ君想う

  秋の夜に大きく光るオリオン座

  秋の夜風冷え流行る咳の病

  秋の夜だんだんさむくなってきた。

  風がふき冬が近づく秋の夜

 

     夜長(よなが)

  日の出持つときが日に日に長くなりけり       (編者)「持つ」は「待つ」?

 

    肌寒(はださむ)

  秋風の肌寒さに目がさめる。

  朝晩が肌寒くなり冬感じる

  肌寒いそろそろ冬がやってくる

 

    朝寒(あささむ)

  寒い朝だんだんこたつ欲しくなる

  朝寒い火燵がだんだん欲しくなる   寝てる時暑かったのか肩が出る      朝の冷えこみ肩を直撃

  朝寒くマフラーしてもまだ寒い

  晴天で天気が良い日は朝寒い

 

       夜寒

  夜寒さにコタツにもぐりうたた寝す       あるあるネタで一句作りました。

 

     秋深し、深秋

  秋深く冷え込む夜に浮かぶ月      ついたため息おぼろ月夜に

  どっぷりと秋深まって欲深まる

 

       秋の日

  秋の日に山の中でははっぱだけ

 

       秋の空

  夏終わり体がだるい秋の空

  秋の空ふとみつめる西の空

  秋の空夕日がやけた目にしみる

  秋空に映る未来に胸躍り

  すぐ変わる女心と秋の空

  秋空に雲一つ浮く静かなり

  秋の空風の吹くなか星ながめ

  秋の空明日もきっとにゃんだふる!

 

       秋高し

  天高し青い色はオゾン色

 

    鰯(いわし)雲

  鼻すすりふと見上げると鰯雲

 

       

  秋月に光る波間に弾ねる魚       (編者)「弾ねる」は「跳ねる」?

  三日月を「ミカヅキモ」もね みてるんだろな

 

   名月、望月(もちづき)

  名月が僕の悲しみふきとばす

  名月や場所はとれても雲り空       (編者)「雲り」ではなく「曇り」です。

  名月日過去よみがえる海の音

 

   居待月(ゐまちづき)

  名月の名残を惜しむ居待月

 

     天の川、銀河

  天の川天上の恋をつなぐ橋 (Ma)

  一年に一度の出会いよかったネ!!   願いごと想いよ届けあまの川

 

   星月夜(ほしづきよ)

  黒い空星がキラキラ美しい

 

     流星、流れ星

  秋夜空ふときらめいた流れ星

  真夜中に一人眺める流星群

  ピーク時に見られなかった流星群

 

   秋風、金風(きんぷう)

  秋風が今年もとてもきもちいい

  秋風がバイクに乗れば冬風に

  秋風であの日のことを思い出す

  秋風が心の溝を深くする

  秋の風見える山々まだ青く

  秋風で山の木の葉がおどりだす

  秋風に、吹かれて落ちる木の葉っぱ

  秋風と煙がうまい月の夜

  金欠が肌身にしみる秋の風

  原付に非情にもなる秋風や

  七曲がり秋風つよく死にかけた

  秋の風体にしみる病み上がり

 

  秋の雨、秋雨(あきさめ)

  物憂げな空は長きに秋の雨

 

   秋時雨(あきしぐれ)

  秋時雨干した服を洗い直す。

  秋時雨去年の秋を想い出す.

  秋時雨後に鮭の遡上あり

  秋時雨もうすぐ冬がやってくる。

 

       秋の山

  紅色に染まる山々もう秋だ

 

       秋の野

  わがせいをあきののはらにはきだした

 

     秋の海、秋の浜

  西の海水面にうつる茜色

  気温差で秋の海岸かぜ強し

 

       干柿

  色づいた軒端の肺見て秋を知る       (編者)「肺」は「柿」?

  干柿のあのおいしさは忘れない。

  寒々と のきにつられた干し柿よ

 

      月見、観月

  遠い人同じ月見て電話する。

  縁側で秋刀魚肴に月見酒

  月見酒飲み過ぎ悪酔い二日酔い

 

    七夕(たなばた)

  気が付いたらもう七夕だなと思いました。

  七夕は****・***の誕生日

  短冊に、自分の願いを吊そうか

  七夕の願いが叶うのいつだろう   若かったたんざく書いてたガキのころ

  七夕は知らない間にすぎていく

  七夕と言ってもただの平日だ

 

      鰡(ぼら)

  行く船に眠りしボラも飛びはねる

  ボラはねて銀色に光る夕暮れ時

  資料見てボラを食べたくなりました

 

     鱸(すずき)

  満月を街灯代わりにスズキ釣り

 

    秋刀魚(さんま)

  秋風の吹く中におう焼きサンマ

  秋なりて秋刀魚を食べて満腹ぞ

 

       秋の蚊

  耳元で音波の如く蚊が喚く

 

    蟋蟀(こほろぎ)

  月を見る自分のそばにコオロギが

 

       鈴虫

  鈴虫に秋を感じる帰り道。

  スズムシが交尾のために鳴いている

 

    木犀(もくせい)

  キンモクセイにおいただよい秋感じる

  秋の空乾いた空気匂う香      きんもくせいが心のいやし

 

       

  山越えて柿(牡蠣)の見えゆる景色かな

  熟れた柿見た目は美味な渋い味

 

  紅葉(もみぢ、こうえふ)

  秋風に吹かれて落ちるもみじの葉

 

     西瓜(すいか)

  井戸水で西瓜冷やした祖母の家

 

      稲、稲の秋

  秋の田の稲穂のこうべあでやかに

  稲穂たれすずめが集う集会所

 

       授業

  腹へった授業はまだまだもうだめだ       (編者)まだ1講目じゃないすか!?

  いろいろとわかってよかと文学       (編者)ありがとう。

  いろいろと海の文学学べたよ

  文学は後期にあってよかったな       (編者)ホント、それともお世辞?

 

      学生生活

  氷山の男山にてまず一杯       氷山酒造純米酒“男山”に引っかける
  オニカサゴよそ見してるとネコが来る       実家(福岡県M市)で今夏の帰省中、オニカサゴを調理        中、飼い猫がちょこんといることから。

  端艇部波を切り裂くかいのおと

  ヘイボーイ夕焼けを背にカウボーイ

  ななまがり夏はあついが冬さむい

  朝ご飯パンとミルクと目玉焼き

  朝寝坊ゲームやりすぎ禁物だ

 

  畦道や山野、河川と衣替え

  山陰線無駄なみすゞは週末に       (編者)確かに。普通席の乗客が虐げられている気がし        ます。

  楽しいなみんなで一緒にエアギター

  楽しさやハヤテのごとく時は経つ

  水の泡はかなく消える恋の音

  傷心を駄目押しされるアドバイス

  初恋の甘さ苦さは一生モノ   恋愛はいくつになってもおもしろい

  レーターよ男の中の男だな

 

  明日から天鷹丸で航海だ       (編者)海洋実習、がんばってください!!

  陸忘れ騒ぐ海にてかけまわる

  こうきしんゆうれい船に会いたいな

  あさはやおきたはいいがまだねむい

 

  夢中で追いつづけたのは夢への放物線

  ヨダレ垂れ写メをとられる***君

 

       物語

       (音)
 ふと夜中に目がさめた。時間はわからない。窓か らのうす暗い街灯の光だけが目に入る。そこで違和 感に気づく。音がしないのだ。  夜中であるはずなのだから静かであるのは当然だ が何もなさすぎるのだ。風の音も、虫の音も、走る 車の音すら、そして傍らで眠る人の寝息さえもだ。  そのことに気づいたとたん恐怖におそわれた。ま るでそこだけ時間が切り取られたかのように、何も 進まない空間なのだ。  再び眠ることも動くこともできずにいると、音が 動き出した。  その音は一定間隔で振動するかのごとく、この空 間に鳴りひびいている。音の発生源などどこにもな く、速くなるでもなく、遅くなることもなく、徐々 に大きくなる音は近づいてきている感覚を覚えた。  緊張なのか恐怖なのかわからない中、音の正体が わかったのだ。これは心臓の鼓動だと。  それが一体誰の音なのか、自分のなのか、隣で眠 る人のものなのか、はたまた他人のものなのか。  すると、今まで一定だった音が徐々に弱まり始め たのだ。  とたん、強烈な眠気におそわれた。そして悟った、 これは自分の音なのだと。  切りとられた空間の中、自らの音の衰弱を聞きな がら再び眠りについた。       (編者)( )のついた題名は、編者が仮に付けたもの        です。

       (彼ら)
 私はいつからだったか、人ではないものが見えて いた。それは幽霊とか、そういったものではなくて、 いるはずのない動物のようなものだった。  町の中に山奥にいるような危険な獣から空想上の 生き物まで様々な種類がいた。  私には彼らが見えていたが、彼らには私が見えて いないかのようだった。けれど、時々、本当にたま にだが彼らの目線と私の目線が重なることがあった。 目線があうときは必ず、私にはどこか彼らを知って いるような覚感がおこるのだ。  確かに知識として、話としては知っているはずな のだが、それとは違うまるで古い友人に会った時の 近親感がわくのだ。  合わさった目線を彼らは決してはずさず、私はな ぜかうしろめたい気分にさせられるのだ。  彼らのことを私が認識しだしてからしばらくたつ と、私はあることに気が付いた。  →来週に続く       (編者)面白そうですね。できれば題名を付けて下さ        い。「覚感」は「感覚」、「近親感」は「親近感」?

     (彼ら)つづき
 彼らは共通して私にデジャブを感じさせる。けれ どけっきょくはわからないままなのだ。  あまりに自然で彼らがいるのがあたり前になった 日、今までとは違う不思議なことが起きた。  私が家から出、外に出ると世界は逆転をしていた。  風景が変わっているわけでも、昼夜逆転している わけでもなく、”私”以外の人と、彼らの位置が逆転 していたのだ。  夢だろうか。とっさに夢というものに逃避した私 をせめる人はいないだろう。  人が、いるのにまるで見えない壁にはばまれてい るかのごとく干渉できず、彼らは今までそこにいた 人のように生活している。  このとき感じたのは恐怖だった。                …つづく

 

      エッセイ

 十月三日,四日、夜、外を歩いてたら、月がきれ いだった。今、考えてみるとそれが中秋の名月とい うものだとわかった。

 10/3の月はきれいだった事を思い出し月見した

 春眠、暁を覚えずと言うが、季節の変わり目とい うものはかくも心地良いものだ。  春の陽気というわけではないが、気分のよい季候 になるこの時期、眠気を誘うものである。  特に春の対となる今は風の移り方がよく見え、窓 から入る日ざしにも一見の価値がある。  しかしその景観以上の好ましいまどろみがあるの だ。夢を見るでもなく季節の移りを感じながら落ち ていくのは何にも変えがたい心地なのだ。

  淋しさに飯をくふ也秋の風 (一茶) (感想)  紅葉と食欲の秋を感じる。

  淋しさに飯をくふ也秋の風 (一茶)  淋しい気持ちがすずしくなった”秋の風”というと ころでも表現されているような気がした。

  淋しさに飯をくふ也秋の風 (一茶) なんか共感できるものだと思い、いいと思う。

  淋しさに飯をくふ也秋の風 (一茶)  秋のさびしい感じがすごく出ていると思った。風 景とか情景とかが想像できた。

  淋しさに飯をくふ也秋の風 (一茶)  秋の夜遅くになると、虫の声しかしないで静かに なるのでそれが淋しさを増してついついご飯を食べ 過ぎてしまうのかと思った。

  淋しさに飯をくふ也秋の風 (一茶)  秋のさびしいときに、気をまぎらわすために飯を 食うことはいいことだと思いました。

  淋しさに飯をくふ也秋の風 (一茶)  今とても自分もこんな感じだなと思った。  秋がくると無性に淋しくなる。  そうなるとあったかいごはんがよくすすむ。  半そでで少し寒いくらいの風が吹くと、しみじみ とそう思う。

  淋しさに飯をくふ也秋の風 (一茶)  淋しさから避けようとして、飯を食うが、秋の風 が寒く、淋しさから逃れることができないと感じ、 今の自分みたいに思えた。

  淋しさに飯をくふ也秋の風 (一茶)  ご飯を食べる方向には向かわないと思う。

  淋しさに飯をくふ也秋の風 (一茶)  一人暮らしをしていて、最近よく思います。

  淋しさに飯をくふ也秋の風 (一茶)  夏が終わって、冬に向かっていく淋しさやどこと なく孤独を感じる秋を表しているように思いました。

  淋しさに飯をくふ也秋の風 (一茶) ー 孤独を紛らわす為に、食事を摂るが、はやり一人 では秋の風がよりいっそう冷たく身にしみる よう なイメージだと思った。

  淋しさに飯をくふ也秋の風 (一茶)  一人で飯を食ったあと、何かを思いながら淋しく 秋の風を受けてもの思いにふけっているように感じ た

  淋しさに飯をくふ也秋の風 (一茶)  秋に吹く風は,他の季節にはない淋しさやむなし さを感じることのできる風であると思う。  秋の夕方に吹く風は本当に,心にポッカリと穴が あくような気持ちになる

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人)  『なんにもなくてあたりまえ』の所が秋の季節を 感じさせていいと思いました。

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人)  どうゆう意味が込められているのかよく分からな い。

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人)  すごい普通のことを言っている。  「秋風」と「あきかぜ」の間になにか違いはある のだろうか?

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人)  この句だけ全部ひらがなで書かれているので不思 議でした。

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人)  すべてひらがなで書かれているところが良いなと 思った。あと、少しなげやりな感じがしておもしろ いと思う。確かに何もない…。

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人) ・感想   漢字が使われていないのはどういう意味を示し   ているのか、気になった。なんとなく空しい感 じがする。

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人)  季節が冬に近づいているようすが想像でき,淋し さを感じた。心にグッと響いた一句でした   夏風と冬風混じる秋風か  暑くもなく寒くもない,心地良い風が吹く秋が一 番よいと私は思う。       (編者)「夏の終わり」と「冬の始まり」を表す家と木        の風景の間に矢印があって秋と書かれているイラスト略。

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人)  俳句を読んで、この作品が一番おもしろいと思い ました。  秋には夏のように大イベントがなくなんにもなく てあたりまえ。まさに俳句通りで共感してしまった。

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人)  秋のおとずれを感じるが秋風は,目に見えないの があたりまえという、あたりまえのことを読んでい る所が他の人々と感念が違っていて風流であると思っ た。       (編者)「感念」は「観念」?

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人)  秋の夕暮れの淋しい風景が思い浮かんでくる。

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人)  冬の寒さを越えて春に芽がでる植物たちにとって 秋風なんて冬の厳しさにどおってことなくたいした ことがないという感じに思いました。

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人)  風は体で感じる事ができるが目には何も映らない

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人)  この俳句は、秋の日の空しさをよく表している俳 句だと思います。シンプルであるのに,とても深く, いろいろと考えることのできる俳句であると思いま した。   秋の空私が見たときくもってる

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人) 感想→逆に何かありそうと期待してしまうけど、 「現実はそう甘くはないんだな」と思ってしまう。   ホテルがないこどもの名前は「うら うみ子」

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人)  あたりまえでビックリしました   ななまがり夏はいいけど秋さむい

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人)  なんとなくしっくりくると思った。   招き猫一体ナニヲまねくノカ

  あきかぜやなんにもなくてあたりまえ             (星野麥丘人)  作者の込めた思いをもっと知ってみたい。   焦っても追いかけてくるクリスマス。

  あきかぜのふきぬけゆくや人の中             (久保田万太郎)  意味はよくわからないけど秋をどことなく感じさ せていたのですきです。

  あきかぜのふきぬけゆくや人の中             (久保田万太郎)  今日の朝は少し寒くて自分の体にすーっと風が吹 きけてきて、まさにその通りの俳句だと思いました。       (編者)「吹きけて」は「吹きぬけて」?

  あきかぜのふきぬけゆくや人の中             (久保田万太郎)  夏が終わり,すこし肌寒い風が人の中をふきぬけ ていくようすが想像できる句だと思った。

  あきかぜのふきぬけゆくや人の中             (久保田万太郎)  夏が終わり,秋風が人の心を洗い流すようにふき ぬけていく少しさみしい感じのする排句である。       (編者)「排句」ではなく「俳句」です。

  あきかぜのふきぬけゆくや人の中             (久保田万太郎)  秋風が人々の中をふけぬけていく様の風景をひら がなで書く事で情緒がでていて、とても印象に残っ た。       (編者)「ふけぬけて」は「ふきぬけて」?

  あきかぜのふきぬけゆくや人の中             (久保田万太郎)  私は,私の好きな季節です。ですがなぜかとても さみしくなります。そして今日は、私の誕生日です。       (編者)誕生日おめでとう!「私は」は「秋は」?

あきかぜのふきぬけゆくや人の中というのが気にな りました。僕の中では、これからだんだんと冷えて いく風が人々の仲が徐々に冷えていく表れだと思い ました.

  あきかぜのふきぬけゆくや人の中             (久保田万太郎)  寒くなって吹き出したあきかぜが人ごみや人の中 をふきぬけてゆく、何かあたたかさを感じる詩であ る。

『あきかぜのふきぬけゆくや人の中』  秋になって再び学校や会社が始まり,人が多くなっ ていく中,秋風が人の間をかいくぐってふきぬける 様子が見えた。  そういう秋のあわただしさを感じれた。

  あきかぜのふきぬけゆくや人の中             (久保田万太郎)  先々週あたりから、昼と夜の気温差をはっきり感 じるようになった。夜,外を歩くと冷たい風がすり 抜けてゆく。ふと人恋いしくなったり、故郷がなつ かしくなったりする,秋の気持ちをよく表している 句だと思う。

  あきかぜのふきぬけゆくや人の中             (久保田万太郎)  秋風が人の中を淋しげに吹きぬけていく様子を表 しているように思いました。秋風が人の数の少ない 中に吹き抜けていく状況を見て,作者は淋しい気持 ちを表現していると感じました。   秋の風淋しさのせて僕に吹く

  あきかぜのふきぬけゆくや人の中             (久保田万太郎)  淋しい感じがする。秋風が人に何も感じられるこ となくただふきぬけていくイメージ。   昼下がり高く見上げる秋の空

  あきかぜのふきぬけゆくや人の中             (久保田万太郎)  久保田万太郎の句がとても興味…、というより親 しみを感じました。他の句と違って秋に対する寂し さが他の作よりわかりやすかった。   夏すぎてさびしさつげる秋の風

  名月や思はせぶりのうす曇 (蓮之)  満月にうっすらかかっている曇に風流さを感じた。

感想  蓮之の歌は一般人にもわかりやすく歌っているの で、意味がくみとりやすい

 (蓮之)感想 せっかく待って居たのに   うす曇で悲しいような感じがでている     と思いました。

  名月や思はせぶりのうす曇 (蓮之)  名月になり、少し曇が月にかさなっている景色が 目に浮かび月の美しさ,満月よりも少し曇がかかっ ているほうが美しく感じられる、日本人独特の美意 識が感じられた。

  名月や思はせぶりのうす曇 (蓮之)  月が曇にかかって不思議な感じが出ていて、とて も感じがいい。

  名月や思はせぶりのうす曇 (蓮之)  せっかくの月が曇でかくされて、見ることができ ないじれったさが伝わってきた。

  名月や思はせぶりのうす曇 (蓮之)  月を見たいのにもかかわらず雲がかかって見れな い、もどかしさがよくでている俳句だと思った。

『名月や思はせぶりのうす曇』  句の中で一番共感できる内容でありきれいな名月 を見たいのに見れないもどかしさを感じながらも奥 深い味がある作品である。

  名月や思はせぶりのうす曇 (蓮之)  これを読んで、数日前月が大きいことに気がつい て、ついつい見とれてしまったが、うす曇のかかっ た月もまた風流であり、風月を友とするなどという が、自然をたしなむことは心にゆとりができ、生活 を潤すと言える。今日の忙しい社会の中において、 夜空を見上げることも少なくなったのか月の話をし ても知らないひとがいた。おぼろ月、小夜時雨、夜・ 雨自然が大好きです。この詞には自然の風景がよく うき出ています。

  舟人となりて見たしけふの月 (観水)  船から見る8月の満月は、きれいだから自分も見 たくなった。

  舟人となりて見たしけふの月 (観水)  舟人としてみる月は、いつもとはまた違ってみえ る。

  舟人となりて見たしけふの月 (観水)  船に乗って見たい月とはどれくらいきれいなのだ ろうと思った。

 観水の「舟人となりて見たしけふの月」は聞いた ら実際に見ていなくても想像できて良い和歌でした。       (編者)和歌ではなく、俳句です。

  舟人となりて見たしけふの月 (観水)  舟人となって月そのものの美しさだけでなく、水 面にうつる月もみたいほど。月がどれほど美しいか がつたわってきてとてもよいと思いました。

  舟人となりて見たしけふの月 (観水)  月が美しく、水面に映った月はさらに趣があり、 それを舟人となってずっと見ていたいというのは、 日本人なら誰しも感じることであり、共感すること ができた。

 観水の「舟人と〜」が私の中で一番心に来た。  舟人となっておそらく船の上から見た月のことに 言っているのだと思う。  船上の昼か夜の月で地上とは違った鋭さや冷たさ もしくは力強さなどを感じただろうか?

  舟人となりて見たしけふの月 (観水)  水の上から一人で見る壮大かつ美しく幻想的な月 のイメージに浮かびました。  幻想的な世界で月を独占しているかのような俳句 だと感じました。  他の人たちと月を共有せず、独占していると私が 感じたのは美しいものの前では言葉も何もいらず、 その幻想的な世界に入り込んで行きたいと思ったか らです。

  舟人となりて見たしけふの月 (観水)  船に乗って見る今日の月は陸で見ていた今までの 月とはちがって美しいものなのかなと思った。  私は今日、乗船実習があるので、船の上から見る 月を楽しみにしておこうと思った。

  舟人となりて見たしけふの月 (観水)  なんか背景がよく想像できるわかりやすいもので はないかと思う。  「しけふ」という意味がよく分からないので帰っ たら調べたいと思う。       (編者)「けふ」は「きょう」つまり「今日」です。昔        の日本語を尊重して古い書き方になってますが、慣れれ        ばおもしろいものです。

  名月や池をめぐりて夜もすがら (芭蕉)  この俳句が一番情景を想像しやすかった。「秋」 と「夜」は寂しいキーワードだと思う。

「名月や池をめぐりて夜もすがら」  この芭蕉の俳句は初めて聞いた.

  名月や池をめぐりて夜もすがら (芭蕉)  この句を読んでいると本当にこの景色を見ている みたいです。

  名月や池をめぐりて夜もすがら (芭蕉)  池に写っている月を見て夜が更けていくのは、な んか風情があるなと思った。

  名月や池をめぐりて夜もすがら (芭蕉)  この句から芭蕉は直接月を見るのではなく池に一 度うつしてから見るとても風流な人だと思った。

(編者)三橋鷹女先生、すみません、「秋風や水より淡き魚のひれ」 を写し間違えました。   秋風が水より淡き魚のひれ  意味はあまり分からないが何かすき通ったきれい で涼しげな感じがあらわれていると思う.

「秋風が水より淡き魚のひれ」という句を読んで私 は思い当たる場面が多くあり感動した。

  秋風が水より淡き魚のひれ  俳句に使われている言葉がとてもきれいだと思っ た。秋風の美しさがとてもよく表されていて、感動 した。「魚のひれ」という言葉を使っているのがと てもおもしろいと思う。

  秋風が水より淡き魚のひれ  秋風がすみわたった水よりもすき通っている魚の ひれにたとえられている様子が目の前にうかびとて も心に残った.

  秋風が水より淡き魚のひれ  この俳句は、秋風が、魚のひれみたいに、すごく きれいで、やわらかい感じがして、秋風がすばらし いものだったということが、すぐにわかることがで きるし、秋風を魚のひれにたとえるという発想に感 心しました。

  秋風が水より淡き魚のひれ  冬にむかって、風がつめたくなっていることを表 しているように思われる。

  秋風や鯉にまぎれて鯰(なまず)ゐる             (上野一孝)  魚がいっぱいでていて、また秋を感じた

  秋風や鯉にまぎれて鯰ゐる (上野一孝)  秋風やとその後の内容の関連がよく理解できず、  風景を想像はできるが季節感を出すために入れた ようにしか思えなかった。

  秋風や鯉にまぎれて鯰ゐる (上野一孝)  秋になっていつもいる鯉だけじゃなく鯰も出てく ることで季節が変わったことを実感している。

  秋風や鯉にまぎれて鯰ゐる (上野一孝)  この詩を読んでピンときたのでこれを選びました。 鯰の鯉にまぎれている姿に対していろんなとらえ方 があり深いなぁと思いました。

  秋風や鯉にまぎれて鯰ゐる (上野一孝)  この俳句は、よく釣りをしていると鯉と鯰が一緒 に泳いでいて不思議な感じがして、秋風の涼しい感 じがしてとても気持ちいい感じがする。   名月を待ちわびていた秋の夜

  秋風が水より淡き魚のひれ   小説の男と遊ぶ居待月 (井上雪)  居待月の句は想像が簡単にできて好きです。

「名月や池をめぐりて夜もすがら」という俳句は中 学か高校の頃に学んだ. 「秋風や鯉にまぎれて鯰ゐる」という俳句は前 期のドイツ語の講義で学んだ.  どれも難しく今一意味が分からない.       (編者)ドイツ語の講義で学んだというのは、ひょっと        してタイピングのテストに出した俳句のことかな。俳句        も慣れれば意味が分からないことも気にならなくなりま        す。そんなもんです。

「淋しさに飯をくふ也秋の風」(一茶)や、 「秋風や鯉にまぎれて鯰ゐる」(上野一孝)、 「あきかぜのふきぬけゆくや人の中」(久保田万太 郎)など、秋風という言葉には、夏から秋に変わり どことなく静かになっていく孤独感を表す意味あい をもっているように感じた。

秋風や鯉にまぎれて鯰ゐる や 淋しさに飯をくふ也秋の風 など 秋風というのは言葉だけでも秋を最も感じるワード だと思った。  また名月,望月は秋風に比べて温かいイメージが つく。   淋しさに温かみのある名月かな

 全部素晴らしいと思いました.

 

 先生の雑談はとても聞いていてためになった。       (編者)ありがとうございます。

 今日の授業は前回よりも興味深い内容で良かった。

 先生の話はとても興味深く、ためになった。

 とてもすばらしいものばかりだった。僕もはい句 を詠んでみようと思った。

 つくりました       冬避   冬近く寒空の下逃避行  冬が近づいてきて夜寒くて逃げたくなるという心 境です。

  秋の夜や泉のごとく酒鳴らす (角川源義)  今からの季節にぴったりな感じの詩であり、趣な 感じだと思った。

  今日の授業で、意味を知った。   秋の夜や泉のごとく酒鳴らす (角川源義)  この俳句が気に入りました。「泉のごとく酒鳴ら す」という表現がとても共感できた。

  秋の夜や泉のごとく酒鳴らす (角川源義)  秋の静かな夜に、お酒を注ぐコポコポコポ、みた いな音が本当に聞こえてくるような、「泉」という 表現がとても素敵だなあと思いました。

  秋の夜や泉のごとく酒鳴らす (角川源義)  秋は暑い日から寒い日に急に変わったりするので、 寒い日などには酒がすすむというように感じられた.

「秋の夜や泉のごとく酒鳴らす」(角川源義)  これは、月を見て、お酒を飲み、風流だと思った。

  秋の夜や泉のごとく酒鳴らす (角川源義)  家の縁側で月を見ながらおちょこに酒をくんでい るようなイメージがうかんだ。

  秋の夜や泉のごとく酒鳴らす (角川源義)  月見をしつつ酒を飲んでいるそんな風景が頭の中 に浮かんだ。秋の夜風が気持ちいいから泉のように 酒を進むそんな一面も見られると思う。

  秋の夜や泉のごとく酒鳴らす (角川源義)  秋のすんだ空気のおかげで月や虫の声を酒の肴に して飲んでいる景色が浮ぶ。

  秋の夜や泉のごとく酒鳴らす (角川源義)  秋の静かな夜に、一人淋しく酒を飲んでいる風景 が思い出される。

秋の夜や泉のごとく酒鳴らすが一番目がいった。 何か悲しいことがあったのだろうか それとも風流に飾っているのだろうかと少し考えて しまう。 優雅に酒を飲んでいるのなら、月でも見て、虫声を 聞きながら飲んでいるのだと思う。

  秋の夜や泉のごとく酒鳴らす (角川源義) (夏から秋に季節がかわり、すずしくなり、泉のよ うに酒をそそぎ気持ちよくのむ感じが伝わってきた. 秋のおとずれも感じられた。)

  秋の夜や泉のごとく酒鳴らす (角川源義)  秋の夜にちびちびと少しずつ日本酒を飲んでいき しまいには泉の様な量をのんでしまった様子が目の 前にうかび、なぜか心に残った.

  秋の夜や泉のごとく酒鳴らす (角川源義)  秋の夜に、酒を飲みまくってとても楽しそうな感 じがする.この時期は酒がうまくなる時期でもある ように思える.

  秋の夜や泉のごとく酒鳴らす (角川源義)  食欲の秋に食べ物をたべながら酒もどんどん飲ん でいくというイメージがある。

  秋の夜や泉のごとく酒鳴らす (角川源義)  秋の夜に宴会をしている風景が目に浮かんでくる。

  秋の夜や泉のごとく酒鳴らす (角川源義)  酒鳴らすという表現は、お祭りのようににぎわっ ている様子が浮かんできた。

  秋の夜  お酒が飲みたくなった。

  天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)  私は、恥かしい思い出をよく覚えているので、納 得させられる作品だなと思った.

  天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)  秋の高く、すみわたった大きな青空をみて、思わ ず自分の人生をふり返って、いろいろなことを回想 している俳句なのだと思う。雲ひとつない青空をみ ていると、人は、いろいろな事を考えてしまうのだ と思う。でも、空の圧到的な大きさに比べると、自 分の人生は、何と小さいものだろうとも考えてしま うと思う。       (編者)「圧到的」ではなく「圧倒的」です。

  天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)  天高くというのは、秋は空気が澄み、晴れ渡った 空は高く感じられる、ということだと思う。恥をか いた時に秋の空を眺めると、その恥を忘れさせてく れるんだと思った。

  天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)  俳句の通り、恥をかくことが多い人生も、月日が たつと笑い話になると思うから、恥ることを恐れず に何事も挑戦したいと思う気持ちになる。

  天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)  人生の恥はつきもの。  空を見て自分のちっぽけさなどを感じた。よし頑 張ろうと思える。

  天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)  恥をかくことをダメなことと思わず、思いきって 何ごともやろうという気にさせてくれる排句だと思 います。この人が何か恥かしいと思う経験をしたと きに後で恥はいいことであると誰かに言われたのだ ろう。       (編者)「排句」ではなく「俳句」です。

  天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)  生きていく上で多少はいい恥をかくべきだと思う。 自分は人生で恥が多いとは思ったことはないけど、 いい恥をかいた記憶は強烈に残っていて、記憶の割 合で考えてみると、ある意味恥が多いのかと思いま した。

  天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)  今のところ自分の人生も恥が多いので、共感でき た.これからもたくさん恥をかくと思った.

  天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)  どんな人生でも間違いを犯さないことなんてない と思った。恥多き者が人間であると思った。

  天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)  自分がほこっていることも世の中ではそれほど認 められなく恥をかく。

  天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)  気持ちのいい気候と秋晴れの高い空をみて、現実 の目先の問題でなく自身の人生などをぼーっと考え る心境は自分だけでなく、共通の感覚なのか、もっ と深い意味があるのか、どんな思いの句なのか興味 が沸いた。       (編者)「沸いた」ではなく「湧いた」です。

  天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)  秋の空や気候は変わりやすく人生のようだ。恥は 多いがそれと同じ良いことが起こると感じた。

  天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)  空が大きく見える秋の空を見て、改めて大自然の 雄大さを実感し、人間の存在の小ささを痛感してい る様を感じた。

  天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)  これまでの人生をふり返ると恥ずかしいことはた くさんあるけどこれからの人生のことを思うとあと どれくらいの恥がでてくるのか、本当に人生は長い と思いました。

  天高く人生なんと恥多き (鈴木真砂女)   山高く人生なんと谷深し。   =目標     =問題、障害

  秋の波同じところに来て崩る (倉田紘文)  「秋風」はよく聞くけど、秋の波は初めて聞いた 表現で新鮮だった。秋の肌寒い様子が伝わってきた。

  秋の波同じところに来て崩る (倉田紘文)  その光景が想像できて風情がある。

 秋の波同じところに来て崩るの詩はあまりイメー ジつかなかったが…

  秋の波同じところに来て崩る (倉田紘文)  秋とか関係ない。どの波もそうだ。夏でも春でも 冬でも。

  秋の波同じところに来て崩る (倉田紘文) 感想  俳句の情景は容易に想像できるが、何も趣深さは  感じない。意味もなく作った俳句なのだろう。

  秋の波同じところに来て崩る (倉田紘文)  秋の季節が来て毎年同じところに来るのかと思っ た

  秋の波同じところに来て崩る (倉田紘文)  同じ所でいつも度まって同じ様にこわれているの では、あまり進歩がないのではないかと思う。       (編者)「度まって」と読みましたが「決まって」?

  秋の波同じところに来て崩る (倉田紘文)  空しさを感じる詩で秋らしいと思う。

  秋の波同じところに来て崩る (倉田紘文)  波が同じところに来て崩れる、ていうところがと ても良い感じ。

  秋の波同じところに来て崩る (倉田紘文)  毎年おなじことをくりかえしているがそれもそれ でまたいいふいんきをかもし出している。       (編者)「ふいんき」ではなく「ふんいき(雰囲気)」        です。

  秋の波同じところに来て崩る (倉田紘文)  同じところに定期的にくる波が、また紅葉の時期 がきて葉を散らすとかけているように思えた。

  秋の波同じところに来て崩る (倉田紘文)  波が、何回も何回もうちよせては白い波がたって いる様子がうかんだ。秋で寒くなってきて、少し荒 々しい海の感じがでている。

  秋の波同じところに来て崩る (倉田紘文) 感想  同じところに波が来て崩れるということから、波 の高さが変わっていない、どこかのどかな感じがし ます.   肌寒く余分に羽織る長袖を

  秋うらら魚拓の尾びれ撥(は)ね上がる                 (今村妙子)  実りの秋、という感じ。  秋に旬をむかえる新鮮な魚が連想される。

  秋うらら魚拓の尾びれ撥ね上がる(今村妙子)     *秋うらら…天気が良い日につかう。        →春の季語 春のように、ぽかぽかとした日に、魚が水しぶきを あげながら跳ねている情景が頭に浮かんだ。 個人的に「秋うらら」という響きが好きだった。

  秋うらら魚拓の尾びれ撥ね上がる(今村妙子)  [感想] 「うらら」ということばは、春の季語なのに秋に使 うところが絶妙だと思った。春の暖かさを秋だけど 一瞬でも感じとれたような気がした。

  秋うらら魚拓の尾びれ撥ね上がる(今村妙子)  秋の天気が良い日、釣りの日よりの日に旬の活き が良く、魚拓をとる程の大物を釣った喜びが「撥ね 上がる」に出ているような気がして、釣り好きな私 にはたまらないなぁと感じました。

  秋うらら魚拓の尾びれ撥ね上がる(今村妙子)  秋は、いろんな魚がつれるから、大物がつれたの かなと思った。  つりに行きたくなった。

  秋うらら魚拓の尾びれ撥ね上がる(今村妙子) <感想>魚拓の尾びれが撥ね上がって何か躍動感を     感じる俳句だと感じた。

  秋うらら魚拓の尾びれ撥ね上がる(今村妙子)  魚拓の魚は動くはずがないけど、生きのよい魚が 頭に浮かびました。

  秋うらら魚拓の尾びれ撥ね上がる(今村妙子)  自分が釣り上げたことへの喜び、素晴らしい魚の 魚拓をとったことへの気持ちの高まりが魚拓が生き てるかのように表現されている。

  秋うらら魚拓の尾びれ撥ね上がる(今村妙子)  この句は秋ののどかな日に魚の魚拓は生きてはい ないのにあたかも生きているかのような魚拓の躍動 感が伝わってくる。   秋よりもやっぱり夏の方がいい

  天高しシャガールの絵の青よりも(稲畑汀子)  秋の空が高くみえる表現がうまく、情景がよく伝 わってくると思いました。

  天高しシャガールの絵の青よりも(稲畑汀子)  秋の高い空が見えるような気がする.

・天高しシャガールの絵の青よりも(稲畑汀子)    晴れ渡っていて、他の季節とはちがう    すがすがしさを感じる。    空が高いところから秋を感じるし、落ち着い    たイメージ。

  天高しシャガールの絵の青よりも(稲畑汀子)  青い空の色は素晴らしい絵画の表現よりも、美し く感じられたことが伝わったように思えた。なお、 先に「天高し」を表記したところに、空の高さは計 り知れないことを伝えようとしたのだと思う.

  天高しシャガールの絵の青よりも(稲畑汀子)  かたかなを使って珍しい俳句だと思った。空の青 さをしっかりと表現している。  シャガールの絵を見てみたいと思った。

  天高しシャガールの絵の青よりも(稲畑汀子)  他の句と違うような幻想的な句だと思いました。

  天高しシャガールの絵の青よりも(稲畑汀子)  秋の空は、澄んでいて、とてもきれいで、雲一つ ない青い空が、想像できる。  シャガールの絵は幻想世界を描いているのに、そ れに劣らず、秋の空はきれいという感じが伝わって きて良いと思った。

[感想]  一番おもしろかったのは四季の暦だ。先生の言う 通り、今の社会(時代)は、数字で動いている気が する。今は「10月」だから「秋だ」。「4月」だか ら「春だ」と、日付で先入観をもって季節を感じて いる気がする。  昔の人のように、体や感覚を使い、今の季節を感 じるのが大切だと思った。  昔の春ならば、すべての始まりで、何もない状態                    →今なら冬 の事…とか、「なるほどな!」と考えされられた。  今のゆとりのない日本人は、これくらいの事を感 じとれる余裕が必要なのかもしれない。 [それとシャガールの絵はよく知っている。 あの人の描く幼想的な青はすごくイイですよね。画 集ももってます。絵も見に行った事もあります.]       (編者)雑談のつもりでしたが、本論よりも気に入って        もらえて複雑に嬉しいです。なお「幼想」ではなく「幻        想」です。

  大猪が松の根を掘る昏(くら)さかな                (杉谷慶子)  秋っていうのがよくわからないが、松が季語なの かなと思った       (編者)季語には動物名もあります。「松」ではなく        「猪」が秋の季語です。

  大猪が松の根を掘る昏さかな (杉谷慶子)  猪が松の根を掘るのは秋って感じです.

  大猪が松の根を掘る昏さかな (杉谷慶子)  このミステリアス詩に感動した。

  大猪が松の根を掘る昏さかな (杉谷慶子)  最初に大猪が出てインパクトがあるが、次に松の 根を掘るという詩が、とても愛らしく愛着がもてた.

(編者)「大猪が松の根を掘る昏さかな」(杉谷慶子)を写し間違えて   大猪が私の根を掘る昏さかな  表面的な意味では自分の畑が猪に荒らされたとい うことを表しているが、最後の「昏さかな」から分 かるように「私の根」というのは畑である他に自分 の心を表していて、非常に悲しいことも感じとれる。  猪が作物を掘り出す悲しさを上手く「私の根」と 表現したことは面白いと思う。

  大猪が松の根を掘る昏さかな (杉谷慶子)  大猪が今日の食料を探そうとし、根をほっている が、なかなか深せない淋しさを昏さかなという表現 をつかっていることがわかった。また、秋の淋しさ も連想させているように思った。   猪が暗い夜に掘りまくる

  水底を水の流るる寒露かな (草間時彦) (感想)  寒くなった水の底の様子がよくわかる.

  水底を水の流るる寒露かな (草間時彦)  「寒露」とあるのでとても寒いと思ったけど現在 の日付で10月8日頃なので、あまり寒くはないけど、 昔を思うとだいぶ寒かったんだろうなと思いました。

  水底を水の流るる寒露かな (草間時彦)  冬の表面に水を張った川の底では少しづつ流れて いる水を想像したらとても情緒のある歌だと思った。

  水底を水の流るる寒露かな (草間時彦) →温暖化の影響か、下関の冬は気温が低く風が強く て、ただ寒いだけなので、もっと風流を感じれたら いいのにと思う。   不思議だな子供はどうやったら生まれるか。

  山よりも野の色づきて大和かな (鷹羽狩行) 感想   山はまだ緑色だけど、野原の草とかが、茶色に   色づくかんじがわかって、ぼくは好きです。

  山よりも野の色づきて大和かな (鷹羽狩行)  句の中に自然豊かな大和(日本)を感じることが できる。

  山よりも野の色づきて大和かな (鷹羽狩行) ・感想  ・秋になった山が紅葉であでやかになっているの   を愛でている句が風流だと思った。  ・「山よりも野の色づきて」という所で、山の元   の色よりも、野の紅葉した色が、日本的かなと   いう意味だと思った。       (編者)「山の元」と読み取りましたが「山の光」?

  山よりも野の色づきて大和かな (鷹羽狩行)  感想、山が色づくよりも稲の色づくのを見て日本 らしさを感じた。

「秋の夜のこぼれしままの水の玉」(宇佐見魚目)  秋になり気温が下がり、さらに夜になることによ り、草葉や窓に空気中の水分が結露して水の玉がこ ぼれ落ちている様子を表していると感じられる、秋 の夜の情景をうまく表した一句だと思った。

  秋の夜のこぼれしままの水の玉(宇佐見魚目)  秋の夜に雨が降ってたともとれるし、秋の夜にな みだを流したともとれ見方によっていくらでもとれ るため奥深さを感じた

 秋の夜のこぼれたままの水の玉が印象に残りまし た。僕はこの句を読んで、くもの巣についた水滴が、 月の光に照らされて輝っている様子が思い浮かびま した。   蜘蛛の巣にきらりと灯る雨の跡

 秋は風情があって良いなと思った。

・「冬」という季節をはっきりと感じさせるいい作 品だったと思った。

  白い息はかなく消える恋の命 <感想>  希語がつかわれると新鮮な感じがする。       (編者)「希語」ではなく「季語」です。

 

 ロビンソン・クルーソーの話はおもしろかったで す.日本のアニミズムなど深い話だと思いました。

  烏賊(いか)哀れ干されて海の方を向く              (保坂リエ)  烏賊が干される時に注目して、あらためて思うと その通りだと思う。

  烏賊干す  いかがかわいそうだと思う。

  烏賊哀れ干されて海の方を向く (保坂リエ)  干されてる所を想像したら、哀れというより食欲 が沸いてきました。       (編者)「沸いて」ではなく「湧いて」です。

烏賊干すの詩を見てスルメイカ食べたいと思いまし た。

自分が心に残ったのは、 烏賊哀れ干されて海の方を向く (保坂リエ) です。自分の考えは、漁師に取られてしまったが、 死してなお、もといた海に帰りたいという悲しみ が出ていると思いました。

  烏賊哀れ干されて海の方を向く (保坂リエ) …イカは干物になっても未だ海に思いを寄せている.  しかし、イカはもう干物として干さいているので  帰りたくても海には帰れない.       (編者)「干さいて」は「干されて」?

  烏賊哀れ干されて海の方を向く (保坂リエ) ・烏賊が海を恋しがっている風景が目に浮かぶ  海で自由に泳ぐ今までの生活がなつかしく思える のだろう.

  烏賊哀れ干されて海の方を向く (保坂リエ)  烏賊が海で泳いでいる時は海がなければ自分は生 きていくことを自覚していない。しかし、もう死ん で食べ物としてされているときに海のありがたさを 感じとっているかのようである。

  烏賊哀れ干されて海の方を向く (保坂リエ)  イカがさばかれて干されながらも自分たちの海を 見ているように、海岸に並べて干されている様子を まるで目の前に故郷があるのに帰れない哀れな人の ように描いている。

  烏賊哀れ干されて海の方を向く (保坂リエ)  烏賊が海に戻りたいように見えたから哀れって書 いたのかなぁと思った。烏賊がさばかれ、干されて いる状態を見て哀れに思う考えがすごいと思う。

  烏賊哀れ干されて海の方を向く (保坂リエ)  突然海から陸にあげられ、体を切られ内蔵をむし り取られ、はずかしめのように海に向けて干物にさ れる烏賊の無念さを感じる悲しげな印象。

  烏賊哀れ干されて海の方を向く (保坂リエ)  一般的に人間に食べられる烏賊ですが、保坂リエ は、おそらく感情的な詩人なので、ついさっきまで いた海を向く死んだ烏賊をかわいそうに思うのでしょ う。  この詩人がいかに感情的であることがとても伝わっ てきました。

  烏賊哀れ干されて海の方を向く (保坂リエ)  すごくその風景が想像できた。  たったこれだけの文なのに、その情景がすごく細 かく想像できたので、この俳句はすごいと思った。 イカの少し切ないような感じもでていて、おもしろ い。

  烏賊哀れ干されて海の方を向く (保坂リエ) ・干されている烏賊にまるで心があるかのように、 そして海が恋しいと思っているかのように描写して おり、ユニークだ。

  烏賊哀れ干されて海の方を向く (保坂リエ)  干された烏賊が哀れでもあるけれど、干されてな お海のほうを向いているのが、何となく皮肉のよう な感じがしておもしろい。

  烏賊哀れ干されて海の方を向く (保坂リエ)  最初によんで、小さくふふっと笑えるところが好 きです。

  烏賊哀れ干されて海の方を向く (保坂リエ)  イカが天日干しされ、少しずつ縮まっていく姿に 哀れさを感じとったユーモアと悲しさを表わしたお もしろい句だと思った。

  烏賊哀れ干されて海の方を向く (保坂リエ)  今までイカを干してこんなことを考えたことなん てなかった。僕は干された時よりも釣られた時が一 番あわれだと思う。イカの人生がその時終わり、人 間は釣ったことを喜ぶ。

  烏賊哀れ干されて海の方を向く (保坂リエ)  この俳句からは昔なつかしの港町の様子が見え、 消えていく日本の文化に残したい風景だと感じた。

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  星を見ると感動させられる.

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  広大な宇宙のイメージがわいた。

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  宇宙の神秘をあらわしているようで、ふしぎな感 じがした。

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  私は流星を実際にはみたことがないが、この句か ら、次々と星が流れ、作者がずっとあきずに流星群 をながめている様子がつたわってきて、私も流星が みたいと思った。手始めに今晩、部屋の窓から星を みてみようと思う。

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  とても幻想的できれいな句だなと思った。  もうすぐ、オリオン座流星群が見れるので、この 句を想いおこしながら流星を見れたらいいなと思っ た。  すごくキラキラしている感じで、一番好きだった。

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  今、流星群で話題となっているため、流れ星が気 になっていたため、この詩を読んでロマンチックだ!! と思った.

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  10月中はオリオン座すぐ近くにたくさんの流れ星 が夜10時位に見れるそうです。見に行きたいです。

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  この知歌を読んで、昨日のきれいな星空を思い出 しました。今日は、流星群を見たいと思います。       (編者)「知歌」は「和歌」それとも「短歌」?いずれ        にしても作品は「俳句」です。

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  星が生まれるという表現が星がただ光っているん ではなくて星も生きているんだなと思った。

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  ちょうど今、流星群の見える時期だが、消えてい く星の悲しさの中に新しい星の生まれる力強さを感 じた.

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  生きとし生けるものの生命の営みの流れを星を使っ て表現しているのがいいと思った。

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  流星が一つ流れていずれ消滅しても、広大な宇宙 のどこかでまた新星が、誕生する、という宇宙の広 大さとその無限性が表わされているかのような一句 だと思った。

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  流れ星が散ったあとは、新しい星が生まれるとい う、星の命の移り変わりをそのまま、わかりやすく 表現している俳句であると思う。星が散ってなくなっ てしまうというイメージの流星であるが、その後、 新しく生まれるということが考えられていて、前向 きな感じがしてよいと思う。

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  人間と同じで、星にも寿命というものがあるんだ なと思った。

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  流れ星が通った後にすぐ、また新しい流れ星が生 れ、流れ星に終わりがないことを想像させる.

[流星のあと新しき星生まる] (土生重次)  一つものが消えても、次から次と、新しい物が生 まれてきて、物事は何でも続いているんだなと思っ た。

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  流れ星の後に新しい星が生まれるのかな

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  星の数など、全て把握できるわけでも無いのに流 れ星の通り過ぎた後には新しく星を見つけた気持ち になるのだろうと思った。

  流星のあと新しき星生まる (土生重次)  流れ星を見て、この詩人は、詩の通りに、新しい 星が生まれるんだと感じたと思う。この詩には、詩 人のロマンが感じられた。

  星飛んで無音の白き渚あり (菅原閧也)  流れ星が消えてしまった後、空は静かになり、海 の渚の白さだけが目に残るということを表現してい るのだと思う。浜辺で流星をながめていて、星が飛 んでいってしまったあとの、静まった夜の風情のあ る様子がとてもよく表わされていると思う。「星」 と「白き渚」という2つの組み合わせがいいと思う。

  星飛んで無音の白き渚あり (菅原閧也)  星が流れて、波がうちよせる感じがすごくでてい ると思った。

  星飛んで無音の白き渚あり (菅原閧也)  流れ星が音もなく静かに飛んでいる景色を想像で きるとても幻想的な感じになった。

・星飛んで無音の白き渚あり (菅原閧也)  流れ星がきれいに飛んでいるという様子が文字だ けでなくイメージをふくらませる。「無音の白き」 というのがいいと思う。

  星飛んで無音の白き渚あり (菅原閧也)  星が白い線となって流れていくのが想像できた。

  星飛んで無音の白き渚あり (菅原閧也) <感想>   真っ暗な夜空に一つの流れ星が流れ、流れた後   の残像が海の白波を思い出させる。

  星飛んで無音の白き渚あり (菅原閧也)  星空と海を照らし合わせているようで、ロマンチッ クだと思った.

(星飛んで無音の白き渚あり)(菅原閧也)  昨夜はとても風が強かったが、星は静かに輝いて いました。この俳句の情景が思い浮かびました。

  星飛んで無音の白き渚あり (菅原閧也)   流星のあと新しき星生まる (土生重次)  この句を読むと、同じ流れ星のことを書いている のに、全くとらえ方が違う。  流れ星のあと新しき星うまる は、新しい星が生まれてると感じる   星飛んで無音の白き渚あり は、星が飛んで、何も音がせずに消えていった、は かなさを感じる。

 流れ星の排句を読んで星にも人間の命と同じよう な物がある気がした。       (編者)「排句」ではなく「俳句」です。

  夜風ふと匂う潮の香星月夜 (稲畑汀子)  秋の夜の空に月もなく満天の星が輝いている.海 のにおいとすずしい風を感じながら見上げる空はと ても美しく、なんとなく寂しい感じもする.

  夜風ふと匂う潮の香星月夜 (稲畑汀子)  月のでていない暗闇に浮かぶ幾多の星を見上げて いると、ふと潮の匂いがしたという情景が感じられ る排句。趣があってよいと思った。       (編者)「排句」ではなく「俳句」です。

「夜風ふと匂う潮の香星月夜」(稲畑汀子) 星月夜という表現が幻想的だった。 月ではなく、星が月のように輝いている光景を見て みたい。 今の季節はよく空気がすんでいるので見られる気が する。 この詩もきっと秋の今頃詠んだんだろうなぁと思う。

  夜風ふと匂う潮の香星月夜 (稲畑汀子)  私は月をながめるのが好きなのだが、浜辺で月の ない満天の星空もまた風流だなと感じた。

  夜風ふと匂う潮の香星月夜 (稲畑汀子)  とても星の多い夜の空が、よいしれるほど、美し いことをあらわしている。

  夜風ふと匂う潮の香星月夜 (稲畑汀子)  すごくロマンチックな詩だと思う。

  夜風ふと匂う潮の香星月夜 (稲畑汀子)  月のない星空の下で夜風にあたりつつ歩いている 姿がありありと想像できた。

  夜風ふと匂う潮の香星月夜 (稲畑汀子)  月の無い夜の明るい星空と潮風が感じられるよう だ。

  夜風ふと匂う潮の香星月夜 (稲畑汀子) (月の無い夜だが、夜空には星が出ていてふと潮の 香がして、しんみりときれいな夜だという感じがし た。

  夜風ふと匂う潮の香星月夜 (稲畑汀子)  月が夜空にないのにもかかわらず、あえて月とい う単語を出し、星を強調しているのがすごいと思っ た.

  夜風ふと匂う潮の香星月夜 (稲畑汀子)  夜の風に漂ってくる潮の香りに感激している。

  夜風ふと匂う潮の香星月夜 (稲畑汀子)  実際にこんな場面に遭遇したい。裏海や吉母港な ら可能な気がする。 「匂う潮の香星月夜」は音がきれいで好きだ。しば らく忘れないかもしれない。

(稲畑汀子)  水大近くもそんな感じだと思う。

  鰯(いわし)引く親船小船夕焼けぬ               (石田波郷)  この俳句を読んでいると、鮮明に風景が想像でき る。

  鰯引く親船小船夕焼けぬ (石田波郷)  すごいきれいな景色が想像できてよかったので選 んだ。

【鰯引く親船小船夕焼けぬ】  夕日に映る船の様子が思い浮かぶ。  淋しさがひしひしと伝わっている

   鰯引く  鰯漁をしている船が夕焼けにそまっている.夕焼 けという秋の象徴を感じとれる

  鰯引く親船小船夕焼けぬ (石田波郷)  漁をしていて、夕焼けになるまでするのは風流で した。

  鰯引く親船小船夕焼けぬ (石田波郷)  大きな船も小さな船もたくさんの船が鰯をとって いて、夕方になってあたりが赤い中、その船の影が できてきれいな情景が思いうかんだ。

  鰯引く親船小船夕焼けぬ (石田波郷)  鰯を獲る季節になり夕焼けの海の上で親船と小船 が協力して鰯をあげている姿が秋のおとずれをつげ ているようで思わずその世界に入り込んでしまうよ うな排句だと思いました。       (編者)「排句」ではなく「俳句」です。

  鰯引く親船小船夕焼けぬ (石田波郷)  鰯を親船と小船で引いていくうちに次第に夕焼け になっていく、一生懸命さが伝わってくる作品だと 思った。   鮪引く大船小船日暮れぬ

<鰯引くの感想>  場面が想像しやすく、船に揚げられる鰯が見えて きそうな感じがしました。   寒くなり蒲団が恋しく起きられず

  嗜(たし)まねど温め酒はよき名なり             (高浜虚子) 感想 この詩の穏やかな情景が頭に浮かんできてとてもよ い詩だと思う

  嗜まねど温め酒はよき名なり (高浜虚子)  温め酒はおいしいから。

  嗜まねど温め酒はよき名なり (高浜虚子)  しこうせずとも温められた酒は良いものだと分か る

  嗜まねど温め酒はよき名なり (高浜虚子)  温め酒は、名は良いが、味はイマイチなのかなと 思った.でも試しに飲んでみたい

  嗜まねど温め酒はよき名なり (高浜虚子) ・自分も下戸だけど、確かにそう思う。  少しお酒がのみたくなる。

  街中に牛蒡(ごぼう)掘る香や      津和野町     (沢木欣一)  牛蒡が好きだから。  土のにおいがのどかな感じを出している.

  街中に牛蒡掘る香や津和野町 (沢木欣一)  牛蒡好きなので少し興味がありました。

  街中に牛蒡掘る香や津和野町 (沢木欣一) なんかこぼうの香りが街中に広まる感じがそうぞう できる。 地元を思い出すような感じがしてなつかしい気持が した。       (編者)「こぼう」ではなく「ごぼう」です。

「街中に牛蒡掘る香や津和野町」(沢木欣一) 〜感想〜   ゴボウの独特の香りが想い出される感じがした。   日本だけでしか食されないことに驚きました。   すごく秋を感じることのできる詩だと想いまし   た。

  衣被(きぬかつぎ)つるりと剥(む)けて      平和かな     (岸田雅樹)  さといもがきりがよくむけて、よろこんでいる句 だと読みとれ、そぼくな、小さな幸せに共同を得た       (編者)一応「共同」と読み取りましたが、「共感」ま        たは「賛同」?

  衣被つるりと剥けて平和かな (岸田雅樹)  さといもがつるりと剥けることによって平和であ る考え方がおもしろいと思った。

  衣被つるりと剥けて平和かな (岸田雅樹)  やはり平和だ大事である。

  紅に匂ふや菊の酒の酔 (長治)  菊の匂いでよってしまうほどに花がさいているの が想像でき、とてもわかりやすい詩である.

  紅に匂ふや菊の酒の酔 (長治)  酒に酔たのではなく菊に匂いに酔からそうとう良 い匂がするだろう

  紅に匂ふや菊の酒の酔 (長治)  赤色をした酒に菊の花の香りがより酔うことを良 い気分にしてくれるように感じた。

 全て良いと思う

 

 ゆう霊船いやだと思います。アホー鳥って、大事 ですね。

 海族の話などはとてもおもしろかったです。       (編者)ありがとう。「海族」ではなく「海賊で        す」。

  軒端にドレミドレミと柿吊す (長谷川和子) 感想  この詩を聴くと、とても楽しい気分になる。

  軒端にドレミドレミと柿吊す (長谷川和子)  柿がぶら下がっている様子が思いうかぶ

  軒端にドレミドレミと柿吊す (長谷川和子)  渋柿を軒に干して干し柿を作っている様子が、音 階のように見えるというユーモアのある作品だと思っ た。

   干柿  のき先に干されている柿が五線譜の音符のように 見えるのが伝わってきた。

  軒端にドレミドレミと柿吊す (長谷川和子)  ぶらさがっている柿をおんぷとして見ていること にすごい想像力だと感心した。

  軒端にドレミドレミと柿吊す (長谷川和子)  干柿を音符に見立てるところがユニークだと思う。

  軒端にドレミドレミと柿吊す (長谷川和子)  排句に、なぜか、音階が出てくる奇抜さがいいと 思った。       (編者)「排句」ではなく「俳句」です。

軒端にドレミドレミと柿吊す (長谷川和子)       ↓  秋っぽい  ドレミドレミってところで、吊すひもの長さがバ  ラバラなんだろうと思う。

   干柿  ドレミドレミとかがはいくに書いてあるのを初め てみたがリズムがいい感じではいくじたいもいいと 思う。

 軒端にドレミドレミと柿吊す (長谷川和子) <感想>   干柿になるのを楽しみに、鼻歌でも歌いながら 吊している様子を感じとれた。

  軒端にドレミドレミと柿吊す (長谷川和子)  柿が順番にならべ干されておりもう秋の終わりが 近づいてるのが楽しくも見えてくる。

  軒端にドレミドレミと柿吊す (長谷川和子)  作者が干柿ができるのを楽しみにしている様子が よく伝わってきていいと思った。  私も柿が好きです。

  軒端にドレミドレミと柿吊す (長谷川和子)  ドレミドレミというのが上手い表現だと思う。軒 先に、順番に、柿がぶらさがっている表現が目にう かぶ。どうってことない風景だが、こう言った表現 を使うことによって、リズミカルに、楽しいような 情景にみえる。

  軒端にドレミドレミと柿吊す (長谷川和子)  軒端に柿がだんだん大きく成長してほしい気持ち を作者はドレミドレミという表現で楽しく吊してい ることがわかりました。

  軒端にドレミドレミと柿吊す (長谷川和子)  とてもていねいに柿をほしていて、おいしくなぁれ 願いを込めていると思った。

 近所で毎年干柿を作ってる所があり、それも音符 みたいに並べてあるなの見ていた。それを見ると秋 が終わっていき冬が始まるのかぁといつも思ってい た。       (編者)「あるなの」は「あるのを」?

  軒端にドレミドレミと柿吊す (長谷川和子)  私は干柿の味は好きではないがよく祖母の家で実 際に干されている様子を見たことがあるのでその風 景は好きである。  句の中にあるドレミドレミにより干柿が規則正し く並んで干されているのが目の前にうかび、とても ほほ笑ましく思った。

軒端にドレミドレミと柿吊す (長谷川和子) 柿の吊し方がわかるような詩 何気ない柿の吊し方が秋を感じさせる自分の故郷を おもいだし、なつかしくなった。

  軒端にドレミドレミと柿吊す (長谷川和子)  農家の昔しながらの風景が浮かんできた。地元で も見たことがあり、なつかしさや、日本の古き良き 文化を感じた。

 柿は、秋がおいしいから、秋だなあと思った。  干柿が食べたいなと思った

 干柿の短歌が可愛らしくて気に入りました。       (編者)短歌ではなく和歌です。

「雲深くして人恋し十三夜」(中村汀女)という句は 素晴らしい。

  雲深くして人恋し十三夜 (中村汀女)  雲が空をおおっていてあまり月が見えないのだろ うか。月が見たいのに見えない、はっきり見えない から手が届かないことを嫌でも感じるし、満月には まだ早く、欠けている状態である様子から、好きな 人(片思いとか遠距離)にめったに会えず、手の届 かない存在の人であり、満たされない思いを抱えて いる人物を想像した。好きな人、ではなく、言葉ど おり人恋しい状況なのかもしれない。一人暮らしは たまに本当に寂しくなることがあるので、そう感じ た。

 十五夜ばかりではなく、十三夜も趣深いなと思っ た。

 雲深くして人恋し十三夜 (中村汀女) 〜感想〜   十五夜ではなく、あえて十三夜にすることで何   か物足りなさを感じる。その物足りなさを人恋   しいこととかけているのではないかなと思った。

  雲深くして人恋し十三夜 (中村汀女)  雲間からぼんやりとみえる少し欠けた月を見て、 どことなくさみしく、誰かと会いたくなる心情が理 解できたように感じた。

  雲深くして人恋し十三夜 (中村汀女)  雲があつくて寒い夜には、誰かに会いたくなると 思いました。最近の吉見のようです。

  雲深くして人恋し十三夜 (中村汀女)  少し欠けた月をその切ない恋をたとえていて、と てもその風囲気が伝わってきて、よかった。       (編者)「風囲気」は「雰囲気」?

(編者)「雲深くして人恋し十三夜」(中村汀女)を写し間違えて   雪深くして人恋し十三夜  雪が降ったら、さむくて、人に会いたくなったん かなって思った。

  雪深くして人恋し十三夜  雪が積もってで歩くことが困難な夜で、ましてや 今と違ってメールなどで連絡をすることも出来ない。 人が恋しくなるのもとても共感できる.

  好きな人嫌いな人も花野中 (鈴木真砂女)  好きな人も嫌いな人も同じ場所にいるという風に 感じた

  好きな人嫌いな人も花野中 (鈴木真砂女) ・好きな人も嫌いな人も近くにいるので世界はせま    いのかと思った

  好きな人嫌いな人も花野中 (鈴木真砂女)  否定的な言葉が入っていても、”花野中”で可愛ら しくなっていると思った。

  好きな人嫌いな人も花野中 (鈴木真砂女)  どんな人たちでも花を見れば落ちついてしまうと いうのは本当に不思議なことだと思います.

  好きな人嫌いな人も花野中 (鈴木真砂女)  好き嫌い関係なく受け入れる花の違大さを感じた       (編者)「違大さ」ではなく「偉大さ」です。

  好きな人嫌いな人も花野中 (鈴木真砂女) 感想→花の中でみんなで幸せになって気持ちよさそ    うな描写が目にうかぶ。   クリスマス気付けば今年も風の中

  秋時雨いつもの親子すヾめかな(久保田万太郎)  雨宿りをしているすずめの様子がありありと想像 できていいと思った。

  秋時雨いつもの親子すヾめかな(久保田万太郎)  秋の季節に雨が降っている時に、作者の家の軒下 で鳴くすずめの姿を書いた詩だと思った。

  秋時雨いつもの親子すヾめかな(久保田万太郎) (秋の冷たさを感じる雨の中、単の中で親子で仲良 く鳴いている様子なのかなと思った.)       (編者)「単」は「巣」?

  秋時雨いつもの親子すヾめかな(久保田万太郎)  冬に近づく淋しさを感じる.

  花野みなゆれ初めたる通り雨 (高木晴子)  雨の降るなか、花がゆれている景色がうかんだ。

 花野みなゆれ初めたる通り雨が心にのこりました. 雨が通って、そろそろ花がかれてくる様子を書いた ように思えました.

  花野みなゆれ初めたる通り雨 (高木晴子)  日常生活にあふれる自然を表わしていると思った。

  岩波は剣(つるぎ)の光後の月 (素丸)  岩を削る浸食の現象は剣のようである

  岩波は剣の光後の月 (素丸)  岩にあたった波が剣のように光っていてその時に 月も光っている

  岩波は剣の光後の月 (素丸)  幻想的だ!!  波と月光のコンビネーションがよい。

  アメリカの大地に樫(かし)の実を拾ふ               (山崎ひさお)  故郷から遠くはなれたアメリカの地で日本にもあ る樫の実を拾えて意外な共通があることがおもしろ く思える。

  アメリカの大地に樫の実を拾ふ (山崎ひさお)  アメリカの大地で樫の実が拾えるように、何事も あきらめては何も得れないなと思いました。

  手を拍(う)って鯉をはげます十三夜                (沢木欣一)  風流できれいであり、十三夜をめでるところがま たよい。どの月もそれぞれいいところがある。

  手を拍って鯉をはげます十三夜 (沢木欣一)  魚の鯉と人の恋をかけている所がいいと思った。

  秋苑の花の名知らずベルサイユ (森田峠)  花の名前はわからないけど、ベルサイユのように キレイなんだなと思った。

 月の俳句をたくさんよむことができよかったです。  秋時雨にも風情があると思った。

 どれもよくできた俳句ですばらしい

 横文字が入っているのは初めて見ました。

 なんとなく意味が分かった。